おばちゃんエクソシスト誕生
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第1話。
おばちゃんの働く食堂は、港町の外れにあった。
煤けた木の看板。古びた窓。中からは煮込みの匂いと、魚の匂いと、酔っ払いの笑い声が漏れている。
十九世紀のどこにでもある、外国の安食堂だ。
「はいよ、シチュー二つとゴマパン!」
威勢のいい声と一緒に、トシコは皿をテーブルに置いた。
丸い体を忙しなく動かし、エプロンの裾で額の汗を拭う。ここで住み込みで働いて三年。客の顔はだいたい覚えている。
だが、今日の客は見慣れなかった。
長身で、どこか芸術家めいた男。柔らかな目をしているくせに、背中に背負った空気は妙に静かだ。
「お待たせしました!アクアパッツァだよ」
この男の名はティエドール。
皿を置くと――
ティエドールは穏やかに微笑んだ。
「ありがとう。君が運んでくれると、料理がいっそう美味しそうに見える」
「やだねぇ、口が上手いお客さんだ」
トシコはけらけら笑う。こういう軽口には慣れている。
その直後だった。
奥のテーブルで皿が割れる音がした。
「てめぇ今なんつった!」
「やる気か!」
怒鳴り声。椅子が倒れる音。客同士の喧嘩は珍しくない。
「ちょ、ちょっとあんたたち!」
トシコは反射的に駆け出した。
「店ん中で暴れるんじゃないよ!」
腕を掴んで引き離そうとした瞬間、酔った男の肘が思い切り振り払われる。
次の瞬間、視界がぐるりと回った。
「うわっ!!」
背中から床に叩きつけられる。とっさに手をつく。
ぐしゃり。
嫌な感触が掌を貫いた。
一拍遅れて、激痛。
(ぎゃーー!手がーー!私の白魚のような手がー!)
本当は赤切れまみれのクリームパンのような手だけども。
割れたガラスが、掌に十字を描いて食い込んでいる。血がどくどくと溢れ、床を赤く染めた。
騒ぎが一瞬止まる。
「大丈夫ですか!」
ティエドールがすぐそばに膝をついていた。温かい手が差し伸べられる。
トシコは涙目でその手を掴んだ。
「大丈夫だよう…ありがとうねえ」
ぐい、と引き上げられる。
思ったより力強い腕に体が浮いて、距離が一気に縮んだ。
顔が近い。
真剣な目で掌を覗き込むティエドールの睫毛が、やけに長く見えた。
心臓が、どくん、と大きく跳ねた。
(…あらまあ…素敵なじいさん…かと思ったら、近くで見ると私より若いじゃないか…)
久しく聞いていなかった音だった。
異性にこんなふうに手を取られるなんて、いつぶりだろう。
不本意に熱がじわっと頬に広がる。
(ちょ、ちょっと待ちな……あたし何ドキドキしてんのさ……)
情けないくらい鼓動がうるさい。
ティエドールはそんな内心など知るはずもなく、眉をひそめた。
「ひどい傷だ……すぐに――」
その時だった。
彼の鞄が、かすかに光を放った。
白く、静かな光。
トシコは瞬きをする。
「……え?」
鞄の口がひとりでに開き、小さな光の欠片が浮かび上がった。
白く、澄んだ光。
それは迷いなく、トシコの傷ついた掌へ吸い込まれていく。
店内のざわめきが遠のく。
世界が白い光で満たされる。
温かい。
春の日差しみたいな、やさしい熱が掌を包む。痛みがすうっと引いていくのが分かった。
光が消えたとき。
血は止まり、傷口は閉じていた。
だが掌には、くっきりと十字の痕だけが残っている。
トシコは手のひらを眺めた。
「ん? なんだい?今の?」
ぽかんとした声が、静まり返った食堂に響く。
ティエドールはその掌を見つめ、高揚した息を吐いた。
そして、トシコの手を取って言う。
「なんて美しい光だ……。
君はもう、私の目には特別に映っている。
世界を救う旅を、私と共に歩いてくれないか?」
「はあ!?」
トシコはティエドールの手を振り払う。
「何言ってんだい!あんた!おばちゃんからかって楽しいかい!?あらやだ!私もまだイケてるってことかい?」
ティエドールは一瞬きょとんとしたあと、慌てて首を振った。
「いや、違う。勘違いさせてしまったようだ」
真剣な声色に、トシコの眉がぴくりと動く。
「なんだい、期待させること言うんじゃないよ」
「それはすまなかったね。君の掌に宿ったのは“イノセンス”――神に選ばれた武器だ。
それを扱えるのは、ごく限られた人間だけ」
「はぁ?なんじゃい。イノセンスだかナンセンスだか」
間の抜けた声が漏れる。
「つまり君は――エクソシストなんだ」
トシコは目をぱちぱちさせてから、腹の底から笑った。
「わたしがエクソシスト??冗談はやめておくれよ!ガハハ!」
ばんばん、と遠慮なくティエドールの肩を叩く。
「こんな食堂のおばちゃんが世界救うって?腹よじれるよ!」
だがティエドールは笑わない。
ただ静かに、その目でまっすぐ見返してくる。
「冗談ではないよ」
その声音の重さに、トシコの手がぴたりと止まった。
「……え?」
叩くのをやめて、恐る恐る顔を覗き込む。
「……まじで?」
ティエドールはゆっくり頷いた。
「ああ。本気だ」
そして一瞬だけ、表情から柔らかさが消える。
「……そして残念ながら、選択の余地はない」
空気が変わった。
さっきまで騒がしかった食堂が、急に遠く感じる。
「イノセンスと適合した者は、教団に“保護”される。それは“お願い”じゃない。“決まり”だ」
トシコは口を半開きにしたまま固まった。
「ちょ、ちょっと待ちな……」
乾いた笑いが漏れる。
「適合って……あたしゃ皿洗いと配膳しかできないよ?世界救う前に、この店の皿も救えてないってのに」
ティエドールは静かに言う。
「君が望まなくても、その力はもう世界に知られてしまった。
ここに置いていくことはできない」
掌の十字が、じん、と熱を持った気がした。
「……つまり」
トシコは自分の手を見下ろす。
「絶対に行かなきゃならないってことかい?」
ティエドールは小さく頷く。
その仕草は穏やかなのに、ひどく重かった。
「……強制だよ」
その晩、おばちゃんは少ない荷物を風呂敷に包んだ。
B6サイズの写真立てにはおばちゃんの家族写真。それにおばちゃんは話しかける。
「あんた、わたしがエクソシストだってよ。何すんのか知らんけど。お引越しですよ」
窓の外が、うっすら明るくなっていた。
夜の黒が、白の絵の具を垂らしたみたいに少しずつ薄まっていく。
港のほうから、かもめの鳴き声が聞こえた。
遠くで誰かが桶を落とした音がして、町がもぞもぞと目を覚まし始める。
いつもなら、この時間にはもう厨房で鍋を火にかけている。
パンの生地をこねて、コーヒー豆を挽いて、店主の怒鳴り声みたいな笑い声を聞く時間だ。
なのに今日は、食堂はしんと静かだった。
トシコは風呂敷を抱えたまま、落ち着かなく足踏みする。
床板がきし、と鳴った。
奥の扉がそっと開いて、店主の女将が顔を出した。
右手に包丁、左手にじゃがいも、背中には赤ちゃん。
「……もう行くの?」
「こんな朝早くに港に来いって言われたからね。やだよ、ほんとに。迷惑な奴だよ」
軽口のつもりで言ったのに、声が少しだけ掠れた。
女将は何も言わず近づいてきて、ぽん、とトシコの背中を叩く。
「無茶しないでよ?」
「誰に言ってんだい。あたしゃ図太いんだよ。体も太いだろ?」
へへ、と笑うと、今度は奥から店主が顔を出した。
腕を組んで、気まずそうに咳払いをする。
「……戻って来いよ。席は空けとく」
「それまで潰れないでおくれよ?」
「当たり前だろうが」
ぶっきらぼうな声に、胸の奥が少し熱くなる。
子どもたちが眠そうな顔で廊下に並び、手を振った。
「いってらっしゃい!」
「お土産忘れないでよー!」
「はいはい」
トシコは手をひらひら振り返す。
「……変な感じだねえ」
ぽつりと呟く。
朝はいつも通り来るのに、自分だけがいつも通りじゃない。
それがおかしくて、少しだけ笑ってしまった。
東の空がぱっと明るくなる。
新しい一日が、何事もない顔で始まろうとしていた。
食堂の家族に見送られたあと、おばちゃんはティエドールにいわれた通りの場所へとぼとぼと歩く。
港はまだ朝靄に包まれていた。
潮の匂いと、遠くで鳴る船の汽笛。
石畳は夜の冷たさを残して、靴の裏にひんやりと伝わる。
指定された桟橋の端に、ティエドールはすでに立っていた。
「おはようございます」
「おはようさん」
トシコが手を上げると、その隣にもう一人、人影があることに気づく。
細身の青年だった。
長い黒髪を後ろで束ね、黒い団服をキチッと着用している。
死んだ魚の目つきなのに、妙に隙がない。
(……なにこの兄ちゃん)
一瞬、思考が止まる。
(世の中こんな綺麗な兄ちゃんいるんだねえ。わたしがあと二十若かったら……くぅっ……)
無意識に腹を引っ込める自分に気づいて、心の中で頭を抱えた。
青年はちらりとトシコを見た。
値踏みするような、遠慮のない視線。
(あ、性格悪そう)
一秒で結論が出る。
(こりゃ女と長続きしないタイプだね)
ティエドールが穏やかに笑った。
「紹介しよう。彼は神田ユウ。優秀なエクソシストだよ」
「……」
神田と言う青年は何も言わず、そっぽを向く。
愛想の欠片もない。
「そしてこちらがトシコさん」
「おばちゃんでいいよ。よろしくね」
トシコは手を神田の向けて出した。
神田は一瞬だけその手を見て、握るでもなく、また視線を逸らす。
「……はあ」
(ほら見ろ。感じ悪い)
おばちゃんは内心で鼻を鳴らす。
ティエドールは苦笑しながら続けた。
「ユーくん。彼女を教団に連れて行ってくれるかな?」
「は?」
神田の眉がぴくりと動く。
「俺がですか?」
「ユーくんも今から教団に戻るでしょ?ついでだよ」
穏やかな口調なのに、有無を言わせない。
神田は露骨にため息をついた。
「……了解しました」
(嫌そうだねえ)
トシコはにやりと笑う。
ティエドールは二人を見比べて、満足そうに頷いた。
「では私は別の用事がある。ここで失礼するよ」
「え、もう行っちまうのかい」
「すぐ会えますよ。ユーくん、レディーには優しく。きちんと1人前のエクソシストにしてあげてね」
「どういう意味です?」
「そのままの意味だけど?」
そう言って軽く手を振ると、ティエドールは霧の中へ消えていった。
残されたのは、無口な青年と、風呂敷を抱えた中性脂肪たっぷりのおばちゃん。
神田が踵を返す。
「ちょっと待ちな!黙って行くんじゃないよ!」
慌てて後を追う。
港から続く坂道は、高台の教会へと伸びていた。
朝日がゆっくりと街を照らし始める。
(……まあ、退屈はしなさそうだね)
トシコは神田の背中を見ながら、小さく笑った。
つづく、2026/02/06