Dグレ劇場美女と野獣
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それから、少しだけ時間が流れた。
一日が過ぎ、二日が過ぎ、気づけばひと月経っていた。
朝になると、ミナミは決まって神田の毛並みを整える。
大きなブラシで頭を撫でると、神田は嫌そうな顔をしながらも大人しくしていた。
午前中は庭の手入れを手伝った。
花の名前を覚えるたび、ミナミは得意げに神田へ報告する。
午後は読書。
同じソファで本を開き、気づけばどちらかがうたた寝をしている。
夜になると、ダイニングでラビたちと楽しく食事をした。
そんな日々が、ゆっくりと積み重なっていった。
そして、ある日の朝。
城の門が、乱暴に叩かれた。
城門が、重たい音を立てて開いた。
庭へ入ってきた男は、周囲を見渡すと面倒くさそうに肩を鳴らした。
髪を風に揺らし、まるで散歩にでも来たかのような気軽さで歩いてくる。
やがて庭の中央で花の世話をしているミナミを見つけ、男は片眉を上げた。
「よぉ、久しぶりだな」
低く、雑な声。ミナミの父、ソカロだった。
「まさか生きてるとはよぉ。修理費として働いてんのかぁ」
一拍置き、鼻で笑う。
「ちゃんと働くんだぞォ」
ミナミが口を開こうとした、その瞬間。
庭の奥から、低い唸り声が響いた。
振り返ったソカロの前に、巨大な影が落ちる。
毛むくじゃらの巨体、鋭い牙、ぴくりと動く獣の耳。神田がゆっくりと庭へ歩み出てきた。
ソカロの目が、わずかに細まる。
「……よぉ、再戦しに来たぞ」
「こっちは用はない。帰れ」
神田の手が、腰に差した六幻の束を掴んだ。
ソカロは口笛を鳴らす。
「ヒュー」
肩を回しながら、巨大な鋸を持ち上げる。
「なんだぁ、言う割にはやる気じゃねえか。この前の続きをやろうぜェ?」
ミナミの胸がざわつく。
二人の間に漂うのは、見覚えのある空気だった。殺気と、楽しさが混ざったような、戦闘狂同士の匂い。
「お父さん!やめて!」
闘うことが好きなソカロがにやりと笑う。
「勝ったら娘は返して貰うぜ」
神田は、迷いなく答えた。
「臨むところだ」
次の瞬間。
地面が弾けた。
鋸が振り下ろされ、六幻がそれを受け止める。
金属がぶつかる音が庭に響き、衝撃で花壇の花びらが一斉に舞い上がった。
神田は低く踏み込み、横薙ぎに斬り払う。
ソカロは笑いながらそれを受け流し、巨体に似合わぬ速さで距離を詰める。
「ははっ! いいじゃねぇか!」
鋸が再び振り抜かれ、神田の肩をかすめた。
毛並みが裂け、血が飛ぶ。それでも神田は怯まない。鋭い踏み込みで斬撃を叩き込むが、ソカロは半身でそれをかわし、逆に拳を叩き込んだ。
鈍い音が響く。
神田の体が数歩後退する。
ミナミの喉から、かすれた声が漏れた。
「やめて……! 二人ともやめて!」
庭へ飛び出すが、激しい衝突の余波で近づけない。
六幻と鋸がぶつかるたび、空気が裂け、石畳が砕けていく。
ミナミが何度も声を上げるが、二人は止まらない。
戦いに入った男たちの耳に、ミナミの声は届いていなかった。
やがて、戦いの流れが傾き始めた。
ソカロの鋸が、神田の脇腹を深く裂く。
その衝撃で、神田の体が膝をついた。
血が石畳に滴り落ちる。
その瞬間、ミナミは走った。
「ユウ!」
神田の前へ飛び込み、その体を抱きしめる。
ソカロの鋸が、振り下ろされかけて止まった。
「お父さん!もう やめて!」
ミナミは神田を庇うように抱きしめ、必死に叫んだ。
「私、家には帰らない!」
涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。
震える声で、続けた。
「お父さんなんか……大っ嫌いよ!」
その言葉が、庭の空気を切り裂いた。
大っ嫌い。
ソカロの頭の中で、その言葉が何度も反響する。
大っ嫌い。
大っ嫌い。
鋸を握る手が、わずかに止まった。
そしてその時、ミナミの頬から零れ落ちた涙が、神田の傷口にぽたりと落ちた。
次の瞬間。
庭の空気が、震えた。
神田の体を覆っていた毛並みが、淡い光の粒になって崩れていく。
牙が消え、獣の耳が消え、巨大な体躯がゆっくりと人の形へ戻っていく。
光が静かに収まった時。
そこにいたのは――
長い黒髪を揺らす、一人の青年だった。
備品たちの悲鳴が城中から響く。
「戻った!!」
ラビが跳ね回り、アレンが驚きで目を丸くする。
リンクの体も、人の姿へ戻っていた。
ただ、庭の中央だけ、時間が止まったように静まり返る。
神田とミナミが、互いを見つめたまま動かない。
ミナミは、ぽかんとしていた。
目の前にいるのは、さっきまでの野獣ではない。
息を呑むほど整った顔の青年だった。
「……」
ミナミの脳内が完全に停止する。
(……え。ちょっと待って…イケメンすぎない?)
神田もまた、言葉を失っていた。
自分の手を見つめ、ゆっくりと指を動かす。
人の手だった。
呪いが――
解けていた。
庭の中央で、光が静かに消えた。
神田の姿は完全に人へ戻っていた。
だがその直後、よろめいた体が大きく揺れる。
血が石畳へ滴り落ちた。
「……っ」
ミナミの腕の中で、神田の体が崩れる。
その時。
城から複数の足音が駆け込んできた。
「……そこまでさ」
低く言ったのはラビだった。
さっきまで燭台だったはずの青年が、赤髪を揺らしながら神田の前へ立つ。
右手には槌。
戦う者の目をしていた。
その横に、金髪の青年が静かに並ぶ。
リンクは表情を崩さないまま、護符を指の間に挟み構えた。
さらに一歩前へ出たのはリナリーだった。
黒髪が風に揺れ、脚に装着されたイノセンスが静かに光を帯びている。
そして最後に、白銀髪の少年がゆっくりと前へ出た。
アレンが左手を掲げ、クラウン・クラウンを展開する。
四人が神田を守るように、横一列に並んだ。
その全員が、武器を構えていた。
庭の空気が、張り詰める。
ソカロはその光景を見て、しばらく黙っていた。
四人のエクソシスト。
それぞれが戦場の顔をしている。
そしてその背後には、今さっきまで自分と戦っていた男が倒れている。
数秒後。
やがてソカロは、鋸を肩に担ぎ直した。
「……チッ」
小さく舌打ちする。
「四対一か」
面倒くさそうに首を鳴らす。
「分が悪ぃな」
鋸を軽く振ると、その刃が地面へ突き立てられた。
「今日はここまでにしとくか」
視線がミナミへ向く。
ミナミはまだ神田を抱きしめている。
ソカロは一瞬だけ目を細め、鼻で笑った。
「……元気そうで何よりだ」
それだけ言うと、踵を返す。
「じゃあな」
赤髪が揺れ、男の背中が庭の門へ消えていった。
静寂が落ちる。
神田の体が、完全に崩れ落ちた。
「ユウ!」
ミナミが慌てて抱き支える。
神田の意識はもうなかった。
血に濡れた黒髪が、ミナミの腕にかかる。
「ユウ!しっかりして!」
揺する。
「起きて!ねえ!起きて!」
だが神田の瞳は閉じたままだった。
ミナミの声が震える。
「お願い……目を開けてよ……」
その声を聞きながら、リナリーがそっとミナミの肩に手を置いた。
「大丈夫」
優しく言う。
「神田はこのぐらいでは死なないから」
リンクはすでに包帯と薬を準備していた。
ラビが肩をすくめながら言う。
「……まったく、派手にやられたさ」
だがその声には、どこか安心した響きが混ざっていた。
❄︎ ❅ *. ❅ ✥ ✣ ✤
神田の部屋。
ベッドの上に、神田が静かに横たわっている。
胴体には包帯が巻かれ、傷の手当はすでに終わっている。
部屋の中は、静かだった。
窓から差し込む夕方の光が、ゆっくりと床を染めている。
そのベッドの横で、ミナミは椅子に座っていた。
神田の手を、両手で包み込んだまま。
ずっと。
ずっと。
そこにいる。
指先をそっと撫でながら、小さく呟く。
「……ごめん」
涙で濡れた声だった。
「父のせいでごめん……」
神田は、まだ目を覚まさない。
それでもミナミは、手を離さなかった。
まるでその温もりを確かめるように。
静かな部屋で、ただ一人、彼の傍に座り続けていた。
夕方から夜になり、もうだいぶ黒が深くなっていた。
窓の外では風が静かに木々を揺らし、城の中はすっかり寝静まっている。
ベッドの上で、神田はまだ目を閉じたままだった。
その隣。
ミナミは神田の手を両手で包み込んだまま、いつの間にか眠ってしまった。
ずっとそうしていたせいで、肩は少し前に落ち、頬には乾いた涙の跡が残っている。
小さく、規則正しい寝息が聞こえていた。
やがて――
神田の指が、かすかに動いた。
まぶたがゆっくりと持ち上がる。
視界はぼんやりしていた。
見慣れた天井。
自分の部屋。
そして、手に伝わる温かい感触。
神田は少しだけ視線を動かした。
そこにいたのは、ミナミだった。
ベッドの脇に座ったまま、神田の手を握り、うつむくように眠っている。
長い髪が頬にかかり、呼吸に合わせてわずかに揺れていた。
神田はしばらく、その姿を見ていた。
何も言わずに。
ただ、じっと。
やがて、小さく息を吐く。
「……お前が」
声はまだ掠れていた。
それでも、ミナミは目を覚まさない。
神田は握られている自分の手を見下ろした。
細い指。
強く握られているわけでもないのに、妙に離しづらい。
少しだけ力を入れてみる。
すると、ミナミの指が無意識にきゅっと握り返した。
神田の眉がわずかに寄る。
「……」
数秒。
神田は、そっと視線を逸らした。
そして、小さく呟く。
「……帰らなくて良かった」
神田はもう一度、ミナミの顔を見る。
暗がりでも分かる。
涙の跡。
赤く腫れた瞼。
神田はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
そして――
握られている手を、わずかに握り返した。
「……お前、ほんと」
小さく呟く。
「…泣き顔もブスだな」
神田はミナミの手から自分の手を抜いて、ゆっくり体を起こす。
傷はまだ痛むが、動けないほどじゃない。
そして、椅子に座ったまま眠るミナミの頭を、そっと撫でた。
指が髪に触れた瞬間、ミナミが少し身じろぎする。
「……ん……ユウ……?」
寝ぼけた声。
神田の手が止まる。
ミナミは目を開けないまま、神田の手に顔を寄せた。
「……よかった……」
小さく呟く。
「起きたんだ……」
神田は数秒、固まっていた。
だが次の瞬間。
ミナミを引き寄せる。
そのまま、ミナミの額に軽く口づけた。
「……ああ」
低く答える。
「起きた」
「良かった、ユウが無事で」
ミナミは額に残るぬくもりを押さえながら言った。
神田に触れられた場所が、じんわりと熱い。
その顔は真っ赤だった。
ミナミは自分から突っ込んでいく度胸はあるくせに、いざ向こうから来られると弱い。
神田はその様子をしばらく見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……大げさだ」
「大げさじゃないよ!」
ミナミは慌てて言い返す。
「ほんとに、心臓止まるかと思ったんだから」
そう言ってから、少しだけ声を落とす。
「お父さんがほんと、ごめん……。私、1度帰ってきちんと話して来るよ…」
神田の眉がわずかに動いた。
「帰る?」
低い声だった。
ミナミはうなずく。
「うん。ちゃんと話さないと、また、お父さん来ちゃう…」
少しだけ目を伏せて続ける。
「それに、私……」
そこで言葉を切り、神田を見上げた。
「ここに居たいから」
神田の表情が、一瞬止まる。
ミナミは照れくさそうに笑った。
「ユウと一緒に」
沈黙が落ちる。
神田は数秒黙っていたが、やがてミナミの腕を掴んだ。
ぐい、と引き寄せる。
「わっ」
ミナミが体勢を崩し、神田の胸へぶつかる。
神田はそのまま、低く言った。
「俺も行く」
ミナミが瞬きをする。
「……え?」
「俺も話す」
神田はぶっきらぼうに続けた。
「また城で暴れられたら堪らねぇからな」
ミナミの目が丸くなる。
「それって……」
神田は視線を逸らした。
少しだけ耳が赤い。
「……お前を貰うって意味だ」
その一言で、ミナミの顔がぱっと明るくなる。
ミナミは神田の首に飛びついた。
「ユウ大好き!!」
神田の体が一瞬固まる。
だがすぐに、腕が回された。
「……痛えんだよ」
ぼそっと言う。
「傷口に響く」
「あ…ごめん」
ミナミは笑う。
「でも嬉しくて」
神田はしばらく何も言わなかった。
やがて、ミナミの髪に顔を埋めるようにして小さく呟く。
「……俺もだ」
ミナミの心の中で勝利の鐘が乱打された。
脳内ではド派手なガッツポーズと共に花火が打ち上がっている。
あの鉄壁の孤高野獣が、ついに“ 俺もだ”と認めやがった。
ミナミは神田に抱きついたまま、その広い胸板に顔を埋める。
神田からは見えない位置。
そこでミナミは、静かに、そして確信に満ちた笑みを浮かべた。
これまでの苦労、傷ついた腕、死んだふりの大根役者ぶり……そのすべてが報われた瞬間である。
(このイケメンと…こ…こ、子作り……。考えただけで鼻血が出ちゃう…)
そんな煩悩と野望が、湿り気を帯びた笑みとなって口角をじりじりと吊り上げる。
神田は、腕の中のミナミがまさかそんなドス黒い笑みを浮かべているとは露ほども思っていない。
ただ、少しだけミナミの肩が震えているのを感じて、
「……おい、泣いてんのか?」
と、どこまでもおめでたい勘違いをしながら、不器用な手つきでその背中をポン、ポンとあやし始める始末。
(泣いてないわよ、笑いが止まらないだけよ……!)
ミナミはニチャつきを必死に抑え込み、震える声を感極まったフリに変換して、さらに深く神田にしがみついた。
(イケメン、ゲットだぜ!)
❄︎ ❅ *. ❅ ✥ ✣ ✤
城の大広間には、祝宴の灯りがともっていた。
長いテーブルには料理が並び、笑い声とグラスの音が広間を満たしている。
ラビは酒を掲げて上機嫌だった。
「いやー、めでたいさ!」
アレンが苦笑する。
「本当にですね。まさかこんな日が来るなんて」
リナリーは嬉しそうに拍手をしている。
リンクはいつもの無表情で、その様子を静かに見守っていた。
その長いテーブルの中央付近。
神田とミナミが並んで座っている。
ミナミは白いドレス姿で、少し落ち着かない様子で周囲を見回した。
「なんか……すごいね」
小さく笑う。
「みんな楽しそう」
神田は隣でグラスを置いた。
「そりゃ祝いの席だからな」
ぶっきらぼうに言う。
そのときだった。
広間の隅から、静かにピアノの音が流れ始める。
マリだった。
柔らかな旋律が、賑やかな空気をゆっくり包み込む。
ミナミは驚いたようにそちらを見る。
「わ……綺麗」
神田はその様子を横目で見て、小さく息を吐いた。
そして、左手をすっと差し出す。
少し偉そうに。
「踊ってやってもいいぞ」
ミナミはきょとんとする。
それから、くすっと笑った。
「なんでそんなに偉そうなの?」
神田は肩をすくめる。
「踊りたくねえなら別に」
「踊らないとは言ってない」
そう言って、ミナミは神田の手に自分の手を重ねた。
二人は席を立つ。
神田に手を引かれ、テーブルの間を抜けて広間の空いた場所へ出る。
ぎこちない一歩。
それでも神田の手はしっかりミナミを支えている。
ミナミはくすっと笑う。
「ユウ、ちょっと固い」
「うるせぇ」
神田はぼそりと言った。
「黙ってろ」
それでも手は離さない。
その様子を見ていたラビが、にやっと笑った。
そして突然立ち上がる。
「よし!」
グラスを掲げて叫んだ。
「俺たちも踊ろうぜ!」
リナリーが笑う。
「いいね!」
アレンは少し困った顔をする。
「え、僕もですか?」
リンクは無言で立ち上がった。
次の瞬間。
広間のあちこちで椅子が引かれる音がする。
何組もの人が席を立ち、音楽に合わせて踊り始めた。
さっきまで二人だけだった広間が、一気に賑やかになる。
笑い声と足音が広がる。
ソカロは隅で涙ぐんでいる。
その中で、神田とミナミも、ゆっくりとステップを踏んでいた。
神田がミナミを引き寄せる。
距離が近くなる。
周囲では誰もが楽しそうに踊っている。
もう、誰も二人を見ていない。
ミナミが少し顔を上げる。
「ユウ」
「なんだ」
「私。幸せ」
神田はほんの少しだけ目を細めた。
そして静かに顔を寄せる。
唇がちゅっ…と触れた。
音楽と笑い声の中に、二人だけの静かなキスが溶けていく。
神田は小さく言った。
「…二度と離さねえからな」
ミナミは頷く。
「離さないで」
その夜、城はこれまでで一番にぎやかな祝宴に包まれていた。
終
2026/03/05
≫( ∈ ‹‹ ・~ 〉あとがき
笑って、胸がきゅっとして、最後にあったかく終わる。
そんな「うるさいのに優しい城」の物語を、ここまで読んでくれてありがとうございました。
……ちなみにミナミの脳内は、最後までだいたい煩悩まみれです。