Dグレ劇場三匹の子豚
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米びつの蓋を開けた瞬間、コムイ母さんは固まった。
カラン…。
乾いた音が、空虚な底で跳ねる。
もう一度、確かめるように覗き込む。
「……やはり空だ」
ゆっくりと蓋を閉め、深く息を吸い込む。
空っぽの米びつを抱えたまま、コムイ母さんはしばらく動かなかった。
(どうする?もう、食べ物が無い!)
視線が、畳に転がるニートの三匹へ向く。
いい歳して、働かない3匹の息子たち。
だらけきった背中。
無防備な寝顔。
未来の気配ゼロ。
こめかみを押さえ、頭をぐりぐりと捻る。
(母として、どうする……)
愛か。
現実か。
財布か。
ゴクリ。
唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。
ぎゅっと拳を握る。
(……決めた)
「お前たち……少し聞いてくれないか」
畳の上に転がる三匹の子豚が、だらしなく視線だけ向けた。
「昨今の地球温暖化の影響でね」
「……何の話だ」
「朝から社会派だなー」
「僕たちに関係あります?」
コムイは静かに振り返る。
「食料自給率が深刻なんだよ」
「へぇ」
「知らんがな」
「怖いですねぇ」
コムイは米びつを持ち上げた。
「米が、ない」
沈黙。
三匹の目がゆっくり逸れる。
「米が無いなら蕎麦を食え」
畳に寝転がったまま、鼻で笑う声。
「その蕎麦粉すら買うお金が無いのだよ」
コムイは即座に返す。
「母さん、働いたら?」
間髪入れず、軽い声。
「……働いとるわ!」
食い気味で怒鳴る。
「じゃあなんでお金ないの?」
アレンの無垢な疑問にコムイの額に青筋が浮かぶ。
「お前らが食うからだ! 特にアレン・ウォーカー!」
ビシッ!!
一直線に指が突きつけられる。
「キミが一番食べてるのだよ!」
「へえ……なら、もやし働いてこいよ」
鼻をほじりながら、横目。
「そうさ、アレン……お前が一番食ってるさ」
耳をほじりつつ、追撃。
「ええ!? それなら神田やラビだって! 神田はトリートメント代かかってるし、ラビは本代かかってるじゃないですか!」
壁際。
山のように積まれたトリートメント用品。
その隣には天井近くまで積み上がった本。
ギシ……
床板が不穏に軋む。
コムイは腕を組み、仁王立ちで三匹を見下ろした。
「とにかく……三人とも今すぐ働くか、出てくか……どちらか選びなさい」
「チッ」
「どっちも嫌さー」
「働くにしても急に仕事は見つかりますかね」
コムイ母さんのこめかみがピクピクと震える。
次の瞬間。
ドゴッ!!3匹の子豚のおしりにコムイ母さんからの蹴りが入る。
「いいから出てけぇぇぇぇぇ!!」
ポーン。
ポーン。
ポーン。
見事な放物線を描き、三匹は庭へと射出された。
追い出された三匹は、しばらく家の周囲をうろついていた。
「……チッ」
「寒いさ」
「入りたいです」
東の窓へ回る。
ガラッ。
そこに立っているのは――
鬼。
いや、コムイ。
箒を構え、目が据わっている。
無言。
ただ、圧。
「……西行くか」
西の窓。
ガラッ。
またいる。
同じ角度。
同じ箒。
同じ圧。
「瞬間移動か?」
「母親ってだいたいそういうスキル持ってるさ」
裏口へダッシュ。
ガチャ。
開かない。
背後から、ぬるりと声が降る。
「何をしているのかな?」
三匹、同時に固まる。
しばし沈黙。
「…でもさ…これ、俺たちが本気出せば勝てるんじゃね?」
ぽつりと、ラビ。
神田とアレンの脳裏にも、ラビと同じ映像が浮かぶ。
三対一。
若さ。
体力。
勝算、あるのでは?
「いけるな」
「……理論上は」
三匹、じり、と構える。
コムイ、静かに眼鏡を押し上げる。
「へえ……やるのかい?」
次の瞬間。
ゴゴゴゴゴゴ……
背後の家の影が、不自然に膨らむ。
窓という窓が、ゆっくりと開く。
大量の書類。
未処理の申請書。
借金明細。
光熱費請求。
食費明細。
それらが、風もないのに舞い上がる。
「……母はな」
低い声。
「家計簿という名の最終兵器を持っているのだよ」
バサァッ!!
請求書の雪崩。
「ぐあああ!」
「紙が! 紙が重いさ!」
「現実が痛い!!」
三匹、瞬殺される。
地面に突っ伏す。
コムイは静かに箒を肩に担いだ。
「働くか、出ていくか。もう一度だけ聞こう」
三匹、即答。
「出ていきます」
「さよならさ」
「今までありがとうございました」
こうして子豚たちは、暴力ではなく“現実”に敗北した。
しばらくの沈黙。
3匹は誰も動かない。
風だけが虚しく吹く。
やがて、神田がゆっくりと立ち上がった。
肩を回し、首を鳴らす。
「……たまには…台本通りにやってやるか」
「お!ユウやる気か!じゃ俺も!」
「じゃあ僕は玉乗り芸でもやって稼ごうかな…」
そう言うと3人は散り散りに散った。
風が吹き抜ける自宅の庭の片隅に、きれいに束ねられた大量の藁。
これはコムイ母さんの内職。
わらじ作りの材料だ。
「……あったあった」
ぽつりと神田。
行動は一瞬。
シュバッ。
藁の束を抱え込む神田。
「材料確保」
その時。
背後から、低い声。
「何をしているのかな?」
神田振り向く。
縁側にコムイが編みかけのわらじを片手に立っている。
笑っているが目は笑っていない。
「それはね、来月の光熱費なのだよ?」
沈黙。
風が吹く。
藁が舞う。
神田、真顔。
「…借りるだけだ」
「返せる宛はあるの?」
「ない」
「清々しいな!」
コムイが静かに立ち上がる。
「母の副業を奪うとは……成長したね」
「褒めてるのか?」
「褒めてないわ!」
神田全力疾走開始。
後ろから飛んでくるわらじ。
一発命中。
「痛っ!」
しかし藁を抱えたままの逃走は無事に成功したのである。
こうして神田は、母の光熱費を犠牲にして
台本通りの藁の家を建て始めた。
❄︎ ❅ *. ❅ ✥ ✣ ✤
「あ、いい土地見つけたさー!」
ラビが指差した先は、小高い丘。
風が抜ける。
眺望最高。
日当たり抜群。
両手を大きく広げブンブンと振る。
「ここにログハウス建てたら映えるさ」
次の瞬間。
パサッと看板が目に入る。
【市街化調整区域】
「……え?」
裏にも。
【市街化調整区域】
「こっちは?」
移動してみる。
【市街化調整区域】
「あれも?」
【市街化調整区域】
「なんでさ!?」
丘を見渡す。
全部。
調整区域!
「何さ!眺めいいとこって市街化調整区域ばっかじゃん!」
風が強く吹き抜ける中に立つ、絵になる男、それはラビ。
市街化調整区域とは基本的に建てられない土地。
結局ラビは街中のギッチギチの10坪に建てることにした。
両隣はビルの日照時間はゼロ。
少し泣けてきたラビ。
「……」
ラビ、腕を組み、地面を見つめる。
うーん。
うーん。
うーーーん。
やがて、ポンッと手を叩いた。
「よし、専門家を呼ぼう!」
ラビはスマホをホイホイ操作すると、あるところに電話をかけた。
数時間後。
ぞろぞろと現れる白衣集団。
中央に、眼鏡を光らせたリーバー。
「えー? なにジュニア」
「この土地に家建ててさ!ログハウスは建てらんねえから、 木造で頑丈なやつ!」
ニカッと完璧な営業スマイルのラビ。
「ツーバイフォーとモノコックのハイブリッドで、耐震等級MAX、災害耐性Sランク。あと見た目オシャレで」
「……」
リーバーたち、無言。
「報酬は?」
ピタリ。
空気が止まる。
「え?」
「だから、報酬」
沈黙。
ひゅるりら~
どこからともなく枯葉が舞う。
ラビ、ポケットを探る。
小銭。
一枚。
五円。
「ご縁でどう?」
「帰るぞ」
科学班、即撤退。
「待て待て待て待て! 俺はブックマンJrだぞ!?」
リーバー、振り返る。
「だったら札束持ってこい」
「……」
ラビ、空を見上げる。
「家って高いな…」
❄︎ ❅ *. ❅ ✥ ✣ ✤
街中の広場。
大道芸用の丸い大玉の上で、アレンは涼しい顔をして立っていた。
足元は不安定。
けれどその身体は微動だにしない。
両手ではリンゴを五つ、流れるように回している。
赤い軌道が夕暮れの光を反射し、観客から小さなどよめきが起こった。
ぱち、ぱち、とまばらな拍手。
ショーが終わり、アレンは軽やかに地面へ降り立つ。
足元に置いたのは、さっきまで高級クッキーが入っていたであろう空箱。ゴミ箱から拾ったやつ。
その中を、そっと覗き込む。
「ふぅ……これで、いくつレンガが買えるかな……」
コインが数枚。
紙幣は、心もとない。
彼の視線はどこか遠く、すでに未来のレンガ積みへ向かっている。
その時だった。
「よぉ。レンガが欲しいのか?」
低く、胡散臭さしかない声。
振り返ると、黒いコートの男が立っていた。
クロス・マリアンだ。
「あ。はい」
アレンは即答した。
疑うという概念が存在しない。
「じゃあやるよ」
ひょい、と下から何かが投げられる。
アレンは反射的にそれを受け止めた。
ずしり。
「……レンガ」
「まだまだあるぜ」
男の足元には、台車に山積みになったレンガの群れ。
どう見ても、どこかから合法的とは言い難い方法で持ってきた量である。
「これ、全部やるよ」
「え!? いいんですか!?」
目を輝かせるアレン。
クロスは、口の端をゆっくり吊り上げニチャアと笑った。
「好きなだけ持っていけ」
その笑みの意味を深く考えないのが、アレン・ウォーカーという男である。
「わーい! ありがとうございますー!」
嬉々として台車を押す。
夕陽を背に、レンガの山を引き連れて歩く少年。
その一つ一つのレンガに、小さな紙が貼られていることにも気づかずに。
【代金後払い】
【分割36回】
【利息あり】
【保証人:アレン・ウォーカー】
そして一番下のレンガには、丁寧な文字でこう書かれていた。
【請求先:アレン・ウォーカー様】
ウッキウッキで台車を押すアレン。
数日後、彼のレンガの家がコンクリート無しで崩壊する以前に、借金という名の現実が、彼を先に押し潰すことになる。
❄︎ ❅ *. ❅ ✥ ✣ ✤
食料不足はこちらの種族にも影響していた。
「お腹すいたよー」
野原に大の字で寝転ぶミナミと花の蜜を吸うために花の茎を口に咥えてるティキ・ミック。
こちらの2匹は狼である。
「ミナミ、俺を食べるか?」←〇液のことw
「え…飽きたよ…。お肉食べたいよ…」
「それなら、俺の肉棒を──」
「あ!」
「なんだいきなり大きな声出して」
「豚さんに栄養貰ってくる」
そう言うとミナミはマッハの速さで街へ駆け下りて行った。
「あ、ミナミ!待て!」
真っ先にやってきた場所はもちろん、神田の藁の家。
「ねえねえ!神田!」
外から声を掛けると中から神田の声が、返ってくる。
「なんだ?ミナミか。入ってこい」
ニッコニコで中に入るミナミ。
「お邪魔しまっす!」
「おまえは無駄に元気だな。で、何しに来た」
「神田を食べに❤」
「ほう…」
「いただきマース」
チュッ…と軽やかな音。
それはミナミが神田のほっぺにキスをした音。
「ふぅ……美味しい。ありがとう。それじゃまた後でね…」
「待て」
神田がミナミの手首を掴む。
「おまえはそれだけで満足か?」
「ん?」
人差し指を唇に当てて考えるミナミ。
「うーん。でも、台本にほっぺにチュッとしか書いてなかったよ」
「俺が、満足じゃない」
そう言うと神田はミナミの後頭部に手を回し、グイッと自分に引き寄せ、とても深いマウストゥマウスをした。
「ん…っ」
神田の胸を押して離れようとするが、舌先を絡み取られ、歯の裏もなぞられていく。
そして、あっという間にミナミの腰が砕けてしまった。
「ふう」
やがて唇を離すと神田は自分の濡れた唇を手の甲で拭った。
「ごちそーさん」
「な、なんで、神田が…!」
腰が砕けて立てないミナミを神田は脇にヒョイと抱え、外に出た。
「よし、うさぎんとこ行くか」
二人がラビの元へ旅立ってから数分後。
藁の家の前に、息を切らしたティキが立った。
「はぁ……はぁ……ミナミ……」
額にうっすら汗。
コートの裾を翻しながら、形を保っている家を睨みつける。
(お前だけ行かせると危険なんだよ…。特に抜刀野郎が……)
一歩、近づく。
「おい、ミナミいるか?」
返事はない。
藁が風にさわさわと鳴るだけだ。
「いるんだろ? おい! 神田! ミナミに変なことしてねぇだろうな!」
静寂。
嫌な沈黙。
ティキの脳裏に、最悪の想像が浮かぶ。
(まさか……ミナミが、あの抜刀野郎に……)
拳が震える。
「このやろ……」
怒りに満ちた一撃。
ティキがパンチを繰り出した。
――ボフッ。
次の瞬間。
乾いた音とともに家はあっけなく崩れた。
束ねられていただけの藁は一斉に宙へ舞い上がり、まるで季節外れの収穫祭のように周囲へ散らばっていく。
数秒前まで“住居”を名乗っていたものは、跡形もなく更地へと戻っていた。
そこに残ったのは、地面と、ちょっとだけ踏み固められた藁の跡。
誰もいない。完全に、無人だ。
ティキは立ち尽くした。
ゆっくりと周囲を見渡す。
「……」
風が吹き、藁が一枚、顔に貼りつく。
「ミナミーーー!!」
両手で頭を抱える。
「遅かった……!」
ティキは拳を握りしめた。
「待ってろ、ミナミ……俺が探し出す!」
そして彼は、完全に更地となった藁の家を背に、ラビの木造ハイブリッド住宅へと走り出した。
「あ…」
神田がふと立ち止まった。
「別に藁の家の中でも良かったな」
その言い方が妙に具体的だったので、ミナミは反射的に口を閉じた。
〝何が?〟なんて怖くて聞けない。
皆に分かりやすく言えば、チョメチョメのことだ。
だが結果的にティキが藁の家を消し飛ばしたので、あそこで続行していなくて正解だったと言える。
「あれー? ユウ?」
そこへ、肩に板材を担いだラビがひょこっと現れた。
どうやら二人はいつの間にか、ラビの建築現場――もとい家の前に到着していたらしい。
「なにしてんの?……ってミナミ?」
神田の脇に抱えられたミナミを覗き込む。
「こ、こんにちはラビ」
「ほんと、ふたり何してんの?」
「ちょっと腰が抜けちゃって……」
「へえ……」
ラビが意味ありげな目線を神田へ送る。
「まだだ。まだ食ってねぇ」
「はいはい」
「で、お前の家は?」
「ん? これ」
三人は揃って見上げた。
そこには、柱だけが天に向かって伸びている、まだスケルトン状態の建物。
「いやあ、参ったさあ。知識はあるんだけど、脳みそに手が着いてこなくてさ」
設計図は完璧。
だがひとりでは限界がある。
「スッケスケだねえ」
とミナミ。
「そう、スッケスケさぁ」
「ミナミを閉じ込めておけねぇな」
「さらっと物騒なこと言うなよ。ユウ、手伝え」
「手伝ったらいい事あるか?」
「ミナミを閉じ込めておける」
「よし、乗った」
即答。
神田はミナミをその場に下ろし、迷いなく建物の中へ入っていった。
「い、今のうちに……」
ミナミがそろりと後退する。
しかし、腕を引かれた。
「ミナミ、ほら、早く俺を食べて❤」
「ええ……?」
ラビがわざとらしく唇を突き出す。
「もう……いいよ……要らないよ……」
ピキッ。
ラビのタレ目が光る。
「ムキー! 俺の唇が要らないってか!」
ひょい、とラビに持ち上げられるミナミ。
「ちょ、待っ……」
ぶっちゅー。と勢いだけは全力。
神田とは違う、無駄に長い接触。
呼吸を奪われ、ミナミはじたばたと暴れる。
やっと解放された頃には、
「はあっ……はあっ……」
完全に酸欠。
ラビは満足げに口元を拭う。
「うん、味見完了」
ミナミは涙目で抗議した。
「狼が食べる側じゃないの!?」
遠くで神田の声が飛んでくる。
「柱、斜めだぞ」
ラビが振り返る。
「え!? どこ!?」
その時遠くの坂道で、土煙が上がっているのが見えた。
黒いコートの影が、明らかに人類のスピードを超えた勢いでこちらへ向かってくる。
「…チッ…来たな」
神田のその声にラビが振り返る。
「やべ! うるせえのが来た!」
「逃げろ!」
神田がミナミの上半身を抱え上げる。
同時に、ラビが下半身を担ぐ。
ここまでは良いチームワークだ。
しかし、この後、それぞれ自分の進みたい方向へ踏み出したため、ミナミの体は不自然な角度で引き伸ばされることになる。
左右に引っ張られる。
「痛い! 痛い! 分割配送やめて!」
「ユウ、右だ!」
「俺の右か?」
「俺の右!」
「どっちだ!」
二人は方向を揃えようとしないまま走り出す。
ミナミは水平にぶら下がった状態で運搬されることになった。
そのまま三人はレンガ積みの現場へ突入――
アレンが振り向く。
「え、ちょ、ちょっと待ってください!」
アレンが慌てて両手を広げる。
ミナミを抱えた二人は、アレンの目の前で急ブレーキをかけた。
砂煙が舞う。
「2人ともどうしたんですか! ミナミまで!」
「匿え」
「え?」
「いいから俺たちを匿え」
「匿えって……あのねえ……」
「ティキ・ミックが追ってきてる」
「え!?」
アレンは思わず坂の方を振り返る。
まだ姿は見えないが、確かに土煙が迫ってきている。
ちらり、と二人の脇に抱えられているミナミを見る。
「アレン、こんにちは……」
ぎこちない笑顔。
事情を察したアレンが、ため息まじりに指を差す。
「ミナミを返せば追ってこないと思いますよ」
その通りだ、と言わんばかりに神田とラビが同時に顔を上げる。
「……確かに」
「それさ」
「じゃ、とりま、ミナミ、下ろすか……」
ラビがミナミの足を地面につける。
神田もそっと手を離す。
ミナミはふらりと立ち上がった。
遠くから、確かに聞こえる。
「ミナミーーー!!」
坂を駆け下りてくる声。
「なーんだ、ミナミを返せばいいんじゃん。なんでこんな簡単な事分かんなかったんだろ……」
ラビは胸を撫で下ろし、安堵の息を吐いた。
そして何気なく、レンガの家の壁に手をつく。
その瞬間。
カタ。
小さな、嫌な音。
アレンの顔色が変わる。
「ラビ、そこはまだ――」
ぐらり。
まだモルタルを入れていないレンガが、ゆっくりと傾く。
ラビの顔から血の気が引く。
「え?」
次の瞬間、壁一面がゆっくりと内側に倒れ始めた。
「ちょ、待っ、待って待って待って!」
アレンが必死に支える。
「それ三十六回払いなんですってば!!」
神田は冷静に一歩下がる。
ミナミはぽかんと見上げる。
そして、遠くから迫るティキの声。
「ミナミーーーーー!!」
レンガ、揺れる。
借金、揺れる。
物語、揺れる。
アレンが叫ぶ。
「誰か支えてください!!」
カタ、という不吉な音の次に聞こえたのは、乾いた崩落音だった。
ケチってモルタルも入っていないレンガの壁は、ほんの軽い衝撃に耐えきれず、まるで“やっと解放された”と言わんばかりに一斉に内側へ倒れ込む。
ガラガラガラガラッ――
アレンの三十六回払いの未来が、粉塵とともに地面へと還った。
「……」
アレンは呆然と立ち尽くす。
次の瞬間、膝から崩れ落ちた。
「ぼ、僕の……三十六回……」
半泣きで、崩れたレンガを拾い集める。
その背後から、荒い息が近づいてくる。
「はぁ……はぁ……ミナミ……!」
ティキ・ミックが到着した。
コートを翻しながら、真っ先にミナミを強く抱きしめる。
「無事でよかった……何もされなかったか?」
完全に優しいダーリンモード。
「うん、大丈夫だよ」
にこり、とミナミ。
ふたりの会話は、レンガの瓦礫の横で、やけに平和だ。
「ふたりの巣に帰ろう」
「……うん」
すっと、ティキがミナミを姫抱きにする。
狼同士だからか絵になる。
完璧に絵になる。
その様子を、少し離れた場所から見ている二人。
ティキに姫抱きにされ、素直に身を預けているミナミを見て、神田とラビは同時に目を細めた。
笑ってはいない。
怒ってもいない。
だが、ふたりの視線だけは明らかに物騒だった。
まるで自分の皿から勝手に肉を取られた猛獣のように、二人はティキの腕の中のミナミをじっと見つめている。
「……」
神田はわずかに顎を引き、目だけでティキを射抜く。
ラビは口角を上げているが、瞳はまったく笑っていない。
それは羨望であり、
悔しさであり、
次こそ奪ってやるという無言の宣言でもあった。
ミナミを抱くティキの腕を、まるで“今すぐ引き剥がせる距離を測るように”見つめている。
「俺の許嫁におかしなことしてないだろうな?」
ティキの声が低くなる。
二人、同時に視線を逸らす。
空を見る。
地面を見る。
崩れたレンガを見る。
「……」
「……」
「したんか!!」
ティキ、吠える。
「おい抜刀野郎! お前絶対なんかやっただろ! その目は“やった目”だぞ!
ジュニア! タレ目で口拭うな! 余計怪しいわ!
ミナミ! なんで顔赤い!説明しろ!」
神田は無言。
ラビは口笛。
ミナミは目を泳がせる。
アレンは泣きながらレンガを拾っている。
「誰か……保証人になって……」
夕陽の中、狼はギャーギャーと吠え続け、
子豚たちはそれぞれ違う意味で追い詰められていた。
❄︎ ❅ *. ❅ ✥ ✣ ✤
――数時間後。
実家の前に、三匹の子豚が、きれいに並んで土下座している。
「働きます」
「家賃払います」
「住まわせてください」
窓の向こうではコムイ母さんが鬼の形相で腕を組んでいた。
ゆっくりと窓が開く。
「……本当に働くのかい?」
三人、同時に叫ぶ。
「働きます!!」
沈黙のあと、コムイは静かに言った。
「で、……何をやらかしたのかな?」
その一言で、三匹の背筋が同時にピンと伸びた。
真ん中で正座していたアレンが、ゆっくりと顔を上げる。目はうるうるしている。鼻の頭にはレンガの粉がついている。
「ぼ、僕は……その……」
ごそごそと服の中を探り、取り出したのは分厚い紙束だった。
震える指で、そっと両手に乗せる。
「これを……見ていただければ……」
コムイが受け取る。
ペラリ。
請求書。
ペラリ。
また請求書。
ペラリ。
“レンガ一括配送費”
“運搬料”
“保管料”
“高級ワイン代”
“クロス・マリアン様 接待費”
「……」
アレンは小さく呟く。
「レンガ以外は身に覚えがありません……」
神田とラビがそっと目を逸らす。
コムイ母さんのこめかみが、ぴくりと動いた。
そして静かに、紙束を畳む。
「……なるほど」
一呼吸。
「アレン」
「は、はいっ!」
「レンガを売って君は今すぐ働きなさい」
「ですよね!?」
「神田」
「……あ?」
「藁を母さんに返しなさい」
「チッ」
「ラビ」
「はーい?」
「設計図だけは残して。木材と本を売ってきなさい。今なら高く売れる」
「ええええ!?」
そして母は、ゆっくりと腕を組んだ。
「三人とも。住まわせてほしいのなら、まず借金を片付けることだ」
三匹、再び土下座。
「お願いです!働きますから住まわせてください!」
窓が、無言で閉まる。
家の中から聞こえる声。
「履歴書、三枚な」
三匹の絶望が、夕暮れに溶けていった。
END。
2026/02/28