手当の夜
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任務帰還を知らせる鐘が、遠くで鈍く鳴っていた。
夜の医務室は暖かくもなく、冷たくもない中途半端な空気を孕んでいる。
薬品と血の匂いが混ざり、それでも不思議と落ち着くのは、ここが「帰ってくる場所」だからだろう。
その中央、白いベッド。
包帯と血の滲む布に埋もれるのは――神田ユウ。
額の汗は拭き取ったはずなのに、濡れた前髪が頬に貼りついている。
深く刻まれた眉間の皺は、眠っているはずの表情には似合わない。
それでも呼吸は穏やかで、胸の上下は一定リズムを刻んでいた。
「……また無茶して」
小さく零れた声は、誰にも届かない。
もし彼が起きていれば、眉をひそめて「うるせぇ」とでも返してきそうだ。
清潔なガーゼを手に取り、ゆっくりと彼の腕へ触れる。
触れた瞬間、皮膚の熱が指先へ移った。
生きている――そう思うだけで胸が痛い。
ナイフで擦ったような裂傷、黒く焼けたような痕。
戦った証がそこにある。
慎重に薬を塗り、包帯を巻き直す。
手が震える。
痛みを想像してしまうから。
「……触れすぎんなよ」
びくり、と全身が跳ねた。
声が落ちてきた方向を見れば、
神田のまぶたが僅かに開いていた。
眠っていたはずなのに。
今まで気配ひとつなかったのに。
「起きてたの?」
問いかけると、彼は答えない。
代わりにミナミの手を、強く掴んだ。
逃げられないように。
「治療すんだろ」
低く、掠れた声で呟く。
呼吸は荒い。
体は限界のはず。
「手、止めんな」
止めたのは神田なのに。
「……ごめん」
謝る必要なんてないのに、口から勝手に漏れた。
神田は眉ひとつ動かさず、ただあなたの手を握り直す。
「謝るな。ムカつく」
荒っぽく聞こえるのに、握る指は離れない。
その不器用な優しさが、胸を苦しくさせる。
怪我の箇所へ再び触れようとした瞬間――
「痛ぇ」
小さく吐かれた声。
いつもの神田なら絶対に見せない弱さ。
驚いて手を離そうとしたその時、
彼は指を絡めとるようにきつく握り、逃がさなかった。
「離すなって言ってんだろ」
言葉とは裏腹に、その声は微かに震えていた。
痛みか、熱か、それとも違う感情か。
探ろうとした視線に、神田は睨むでもなく、ただ目を逸らす。
「……お前の手、冷てぇ」
掠れた声に、胸が締まる。
冷たいのは恐怖のせいだ。
また彼が戻ってこなかったら。
包帯を巻きながら笑ってくれなかったら。
そんな未来が、一瞬でも過っただけで指が震える。
「生きて帰ってきてよかった」
零れた本音に、神田のまつげが微かに揺れた。
沈黙が落ちる。
治療室は夜の呼吸さえ聞こえるほど静かだ。
その中で、神田の声だけが鮮明に届く。
「……余計な心配すんな」
不器用な拒絶の形をしているのに、
掴む手はまるで「放すな」と言っている。
「お前の泣き顔なんざ見たくねぇ」
その本音が、痛いほど優しい。
ガーゼを替え、傷口を消毒し、包帯を巻き終える。
最後の結び目に触れた瞬間――
「……手、まだ離すな」
子供みたいな声だった。
普段なら絶対に聞けない、弱り切った神田の声音。
ベッドの横に座り、握られた手をそっと包む。
それだけで、神田の呼吸が深くなった。
心臓の鼓動だけが静かにふたりを繋ぐ。
「なぁ」
目を閉じたまま神田が言う。
息の端が震えているのに、声は低く落ち着いていた。
「……お前が無事でよかった」
その一言が胸に刺さる。
命令でも皮肉でもない。ただの本音。
「……もう少しだけ、ここにいろ」
命令みたいで、懇願みたいな声だった。
そのわずかな甘さに、胸が熱くなる。
指と指が絡む。
温度がひとつに溶ける。
夜が明けるまで、手は離されなかった。
――願わくば。
この温度が、永遠に続きますように。
終わり
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