クリスマスプレゼント
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クリスマスプレゼント
黒の教団の食堂は、ほのかに肉の匂いとスパイスが混ざっていた。
クリスマス前夜。
職員たちが慌ただしく行き来する中、
ミナミは扉の前で息を整えていた。
(ちゃんと言えるかな……
神田、喜んでくれるかな……)
胸の奥でじん、と熱くなる。
手には小さな紙袋。
神田に渡すために、何度も悩んで選んだプレゼント。
ただ――問題がひとつ。
今日はまだ24日。
本番の25日は、
神田か自分が任務に出るかもしれない。
会えるかどうかもわからない。
(だったら……今しかないよね)
勇気を振り絞って扉を開くと、
神田は、食堂奥の席にいた。
食堂奥、窓際の席。
黒髪を束ねた背中。
長い脚を無造作に投げ出し、片手で箸を持ち、無表情で夕食を口に運ぶ男。
――神田ユウ。
ミナミの胸がぎゅっとなる。
いつ見ても大好きで、
いつ見ても恐ろしくかっこよくて、
いつ見ても近づくのに勇気がいった。
「……か、神田……!」
神田は顔を上げ、
わずかに眉を動かした。
「……お前。いつ帰ったんだよ」
「昼過ぎに……帰ってきて、それで……」
言いながら、胸がどきんと跳ねる。
紙袋を握る手が汗ばんでくる。
神田は箸を置き、自分の隣の椅子を指した。
「座れよ」
その一言だけで、
ミナミは嬉しくてたまらなくなる。
神田の隣に腰を下ろすと、
彼は視線を落としながらぼそっと言った。
「……寒かったろ。外、雪降ってる」
優しい。
けれど本人はその優しさに気づいていない顔をしている。
胸がもっと熱くなる。
「はいっ! それで……今日は…その……お渡ししたいものがあって……」
神田は気だるげに眉を上げる。
「……お前、またなんか余計な――」
否定しようとしたその瞬間。
ミナミがおずおずと、小さな袋を差し出した。
「神田……メリークリスマス……です!」
「………………は?」
ほんの一拍、時が止まった。
神田は袋を受け取らない。
ただ、じっとそれを見る。
「……今日、24日だろ。
早ぇんだよ」
「明日……会えないかもしれないから……」
その言葉に、神田の喉がゆるく動いた。
しばらく黙ったあと、
ようやく袋を受け取る。
「……開けりゃいいんだな?」
「あ!待ってください!」
「あん?なんだよ」
「ちょっ…ちょっと」
“返して”とジェスチャーをするミナミに神田は訝しげに紙袋をつっ返す。
「私に付けさせてください」
「は?」
(何をだよ…)
ガサゴソとミナミが中から取り出したのは、黒革のブレスレット。
細身で、男の腕に似合うシンプルな造り。
プレートらしきものがキラリと光る。
「……ブレスレット?」
「えへへ……黒いのが似合うかなって……
サイズも……すごく悩んで、神田の手首見て……」
そこまで言った瞬間――
神田の耳の先が、わずかに赤くなった。
「……じろじろ見てんじゃねぇよ」
「だ、だって……! サイズ間違えたら困るし……!」
「……フン」
そっぽを向きながらも、口元が少し緩んでいる。
それだけで、ミナミの胸はいっぱいになった。
しかしこの時、
ミナミは重大な事実にまだ気づいていない。
――プレートの刻印が、がっつり正面にあることに。
「手を出してください」
「チッ……勝手にしろよ」
照れくさいのをごまかすように腕を差し出す神田。
その大きな腕を両手で包むと、
ほんのり熱が伝わる。
(……さ、さすが神田……手首だけで…私を悩殺してくる…)
「……なんで黙んだよ」
「っ、いえ! なんでも!」
慌てて革を巻き、留め具を留める。
「できましたっ!」
「……ふーん。まぁ、悪くね――」
神田の視線が
“自分の手首”
に落ちた。
そして、固まった。
完全に。
石像のように。
「……神田?」
「…………おい」
低い。
いつも以上に低い。
「な、なんですか?」
「……これ、なんて書いてあんだ?」
プレートの中央。
黒革に映える銀の板に、
筆文字で堂々と刻印されている。
ミナミ命
「…………」
「…………」
ひくっ。
神田の眉がわずかに震えた。
「…………お前」
「……は、はい」
「…………表……」
「……?」
「刻印……表に入ってんぞ……?」
「……えっ」
「気付かなかったのか」
「あっ……ああああああああ!!?」
食堂中が一瞬こちらを見るほどの声が出た。
「うそ……裏面だと思って……な、なんで職人さん……!!?」
「知らねぇよ……」
神田は手首を持ち上げ、
ブレスレットをまじまじと見つめる。
“ミナミ命”
真正面に、ドーン。
「……俺、これ付けて歩くのか?」
「お、女避けです!!」
「…………は?」
「その……その……! 神田モテるから……
女の人に声かけられないように……
“わたしがいますよ”って……」
必死の訴えに、神田は呆れたように頭をかいた。
「お前が思うほど、俺はモテねぇよ」
「いやモテてますよ!?!?!?」
「どこ情報だよ」
「女性職員たちが! 神田さんの話を! いつも!!」
神田は一瞬言葉を失った。
そして、不機嫌に見せかけながら、小さくため息をつく。
「……ったく……
お前は……アホか」
その声が妙にあたたかい。
「す、すみません……」
「謝んな」
神田は手首をひっくり返し、
ブレスレットをゆっくり撫でた。
その仕草が驚くほど優しい。
「……嬉しくねぇとは言わねぇよ」
小さな声。
聞き逃すような。
「……え」
「実際……そうだしな」
「…っ!」
「……来年は……もっとちゃんとしたの用意しろよ。……俺が誤解されんだろ。“俺は、お前のもんです”って言ってるようなもんだぞ」
神田はそっと視線を逸らした。
「か、神田は…わ…わたしのものです!!誤解されていいんですーー!」
ミナミは泣きそうだった。
「わ、わかった…。泣くなよ?おい、泣くなよ?」
「あ、あの……じゃあ……神田さんからは……?」
「……あ?」
「プレゼント……」
その瞬間、神田の顔が“終わった”みたいな顔になった。
完全に忘れていた。
神田は机の上をゆっくり見渡し――
そして、爪楊枝を適当に数本つまんだ。
「……ほらよ」
「…………」
「クリスマスだから特別にやる」
「…………」
去年は“1本”だった。
つまり今年は進化している。
神田ユウのプレゼントスキルは、去年比・大幅向上である。
「っ……うれしい……です……!!」
「なんで喜んでんだよ」
「去年よりレベル上がってるから……!」
「去年基準やめろ」
ミナミは爪楊枝を大事そうに握りしめ、
神田はブレスレットを眺めながら呟いた。
「……来年は……ちゃんとしたの、用意する」
「はいっ!去年もそう言ってました!」
「うっ…。だから……泣くなよ」
食堂の窓の外では、雪が静かに降り続ける。
その白さが、二人の距離をそっと包み込むようだった。
ミナミは、胸の奥から溢れる想いを噛みしめながら思った。
(神田と過ごすクリスマス……
来年も、再来年も……ずっと、こうして一緒にいられたらいいな)
神田は視線をそらしながらも、
結局ブレスレットを外さなかった。
――堂々と“ミナミ命”を光らせたまま。
❄︎ ❅ *. ❅ ✥ ✣ ✤
翌朝-またまた、黒の教団の食堂。
雪はまだ降り続き、窓の外は真っ白だった。
ミナミは食堂に入って、
神田を探した。
(神田……つけてきてくれるかな……?)
昨日のクリスマスイブ。
彼の手首に巻いた黒革のブレスレット。
前面に筆文字で刻まれた “ミナミ命”。
本来、絶対に裏につけるはずの刻印が
正面でギラギラ主張していたという
とんでもない事故だった。
だが――
神田は、外さなかった。
(今日もちゃんとつけてくれてたら……嬉しいな……)
胸を押さえてキョロキョロしていると。
「ミナミちゃん!」
「リナリー!おはよう!」
リナリーはにこにこ笑って、
ミナミをテーブルに誘った。
その斜め向かい。
ラビがワッフルを食べながら手を振る。
「おはよー、ミナミ! 今日も雪すげーな!」
「ほんとだね……ってあれ? ラビ……ほっぺたどうしたの?」
「なんか知らんけど、朝からジジイにやられ……」
ラビが言い終わる前に――
ガタッ。
後ろの扉が開いた。
黒髪を束ねた長身の男。
無表情、長い脚、黒い服。
神田ユウだ。
神田は気怠そうに歩いてきて、
まっすぐミナミの隣へ座った。
「神田…おはよう」
「ああ」
ミナミは胸の高鳴りを押さえながら、
神田の左手首をこっそり見た。
(ど、どうかな……つけて……)
――ついている。
昨日渡した “ミナミ命”ブレスレット が
堂々と、正面に、燦然と輝いている。
(つけてるぅぅぅ!!)
嬉しさで顔が爆発しそう。
そして、それに気づいた人物が一人。
「ん? それ……ユウ……腕……」
「見んな」
「いや見るだろ!? なんだそれ!?」
「見るなって言ってんだろ」
「えっ!? なにさこれ!? なんて書いて――」
次の瞬間。
ラビの声が食堂に響いた。
「“ミナミ命”ーー!?!?!?!?」
食堂が一瞬沈黙した。
「……ミナミちゃん……?」
「ぎゃあああああ!!見ないであげてーーーー!!」
神田はテーブルに肘をつき、
手で顔を覆った。
「……マジでやめろラビ……殺すぞ……」
ラビは爆笑しながら神田の腕を掴む。
「ちょ、お前!! この文字!! 筆字!! ガチ!!」
「放せッッ!! 触るな!!」
ミナミも真っ赤になりながら
必死でブレスレットを隠そうとする。
「ち、違うんです!!
昨日、裏に入ってると思ったら……表で……!!」
「表って……つまり、正面ってこと?」
「そうなの!!
わたし見せないように付けたのに!!
職人さんが!! 表に!!」
「ぷっ……ふふっ……」
リナリーがとうとう笑いを堪えきれなくなった。
「最高すぎる……イニシャルとかじゃなくて……ミナミ命……!!」
神田はテーブルをドンと叩いた。
「うるせえ!!」
「いやでもさ! ユウがこれつけて歩いてるの想像してみ!? 見てみろよ!!」
「やめてあげて!!!」
ミナミは必死で神田の手首を両手で包んだ。
「ラビ!! 神田は……か、かわいいんだから……!!」
「……誰がかわいいんだ誰が」(←でもちょっと嬉しい神田)
ミナミが守るように手首を押さえると、
神田は気まずそうに咳払いした。
「……別に外してもいいんだけどな」
「っ……!! 外さないで……!!」
言った瞬間。
神田は一瞬だけ目を見開いた。
そして、小さく目を逸らす。
「……チッ。
……外さねぇよ」
(神田!やっぱり…かっ……かわ……!!)
「おまえらもう結婚しろ」
やれやれと言ったふうにラビが肩を竦めてそう言った。
「黙れ」
ミナミは涙目で笑いながら思った。
(神田……本当に……つけてくれてる……
“ミナミ命”なのに……)
食堂のざわめきの中、
神田は誰にも悟られないように
そっとミナミの指先を避けずにいた。
ほんの少し、触れている距離。
それだけで十分だった。
+.・ꊛᱸ❄︎ꊛᱸ❄︎ ꊛᱸ.・ꊛᱸ❄︎ꊛᱸ❄︎ ꊛ.・ꊛᱸ❄︎ꊛᱸ❄︎ ꊛᱸ.+・
その日の午後。黒の教団。
廊下にはまだ冷たい空気が漂っていた。
職務を全うする団員たちの足音が響く中、
ミナミは神田を見送るためにゲートに向かって小走りで駆けていた。
階段を駆け上がり、長い廊下の曲がり角を曲がると――
いた。
黒髪を後ろで束ね、
コートを片手で払うように羽織っている。
その左手首には、
もちろんブレスレットがしっかりついていた。
“ミナミ命”
(つけてくれてるぅぅぅ!!)
叫びそうになる喉をこらえ、
ミナミはそっと近づいた。
「……神田」
神田は少しだけ振り返る。
「なんだ?」
「み、見送り……したくて……!」
神田は、視線を逸らしながら低く呟く。
「……別に…、休める時に休んでろよ」
言葉だけなら冷たい。
でもその声音はほんの少し柔らかかった。
ミナミは息を弾ませたまま、彼の左腕をチラリと見た。
しかし神田は、その視線に気づいたらしい。
「……見るな」
「み、見てません!」
「見てるだろ」
「見てません!!」
「嘘つけ」
完全に見抜かれていた。
ミナミは観念して、
そっと神田の左手首を見つめる。
「……その……やっぱり…つけてくれて……嬉しいなって、改めて思って…」
神田は軽く舌打ちした。
「外したら、お前泣くだろ」
「それは…泣きますね」
胸がぎゅうっと締めつけられる。
「神田……任務、気をつけてね」
神田はコートの襟を整えながら呟いた。
「……あぁ。
怪我でもしたら……めんどくせぇしな」
「め、めんどくさい……?」
「泣くだろ、お前」
ミナミは顔が真っ赤になる。
その反応を見て、
神田の眉がひくっと動く。
「ほんっと……お前は……」
ぼそっと言いかけて、
言葉を飲み込む。
代わりに手を伸ばし、
ミナミの頭をぐしゃっと撫でた。
「……泣くなよ」
「な、泣いてません!」
「帰ってくるまで泣くな。
……帰ったら泣いてもいいけど」
「えっ……?」
神田はそのまま手を下ろし、
ミナミの頬に触れた。
指先が熱い。
鼓動が跳ねる。
「……任務の前に、
そんな顔すんなって」
「ど、どんな顔ですか……!」
「あぶねぇから……
欲しくなる」
「っ……!わたしはいつでもウエルカムですけど!」
照れ隠しで言ったつもりが、余計に胸が一気に焼けるように熱くなる。
神田は“フッ”と笑ったあと深呼吸をひとつすると、
視線を落とし――
そっとミナミの頬を引き寄せた。
「……顔、上げろ」
言われるまま顔を上げると、
神田の瞳がすぐ近くにあった。
「……行く前に……ひとつだけ」
そして――
唇が触れた。
雪の朝の空気とは正反対の熱。
優しくて、ゆっくりで、
でも確かに求める力を帯びたキス。
短く、触れるだけのはずなのに、
世界が止まったように感じる。
神田はほんの一秒だけ唇を重ね、
そっと離した。
そして、照れ隠しのように視線を逸らす。
「……帰るまで……
それで我慢しとけ」
「……は、はい……」
神田はコートの裾を翻し、背を向ける。
「じゃあな。泣くなよ」
その最後の言葉が
胸の奥まで温かく響いた。
ミナミは唇を押さえながら、
神田の背中が廊下の向こうに消えるまで
ずっと見送っていた。
終。20251211
黒の教団の食堂は、ほのかに肉の匂いとスパイスが混ざっていた。
クリスマス前夜。
職員たちが慌ただしく行き来する中、
ミナミは扉の前で息を整えていた。
(ちゃんと言えるかな……
神田、喜んでくれるかな……)
胸の奥でじん、と熱くなる。
手には小さな紙袋。
神田に渡すために、何度も悩んで選んだプレゼント。
ただ――問題がひとつ。
今日はまだ24日。
本番の25日は、
神田か自分が任務に出るかもしれない。
会えるかどうかもわからない。
(だったら……今しかないよね)
勇気を振り絞って扉を開くと、
神田は、食堂奥の席にいた。
食堂奥、窓際の席。
黒髪を束ねた背中。
長い脚を無造作に投げ出し、片手で箸を持ち、無表情で夕食を口に運ぶ男。
――神田ユウ。
ミナミの胸がぎゅっとなる。
いつ見ても大好きで、
いつ見ても恐ろしくかっこよくて、
いつ見ても近づくのに勇気がいった。
「……か、神田……!」
神田は顔を上げ、
わずかに眉を動かした。
「……お前。いつ帰ったんだよ」
「昼過ぎに……帰ってきて、それで……」
言いながら、胸がどきんと跳ねる。
紙袋を握る手が汗ばんでくる。
神田は箸を置き、自分の隣の椅子を指した。
「座れよ」
その一言だけで、
ミナミは嬉しくてたまらなくなる。
神田の隣に腰を下ろすと、
彼は視線を落としながらぼそっと言った。
「……寒かったろ。外、雪降ってる」
優しい。
けれど本人はその優しさに気づいていない顔をしている。
胸がもっと熱くなる。
「はいっ! それで……今日は…その……お渡ししたいものがあって……」
神田は気だるげに眉を上げる。
「……お前、またなんか余計な――」
否定しようとしたその瞬間。
ミナミがおずおずと、小さな袋を差し出した。
「神田……メリークリスマス……です!」
「………………は?」
ほんの一拍、時が止まった。
神田は袋を受け取らない。
ただ、じっとそれを見る。
「……今日、24日だろ。
早ぇんだよ」
「明日……会えないかもしれないから……」
その言葉に、神田の喉がゆるく動いた。
しばらく黙ったあと、
ようやく袋を受け取る。
「……開けりゃいいんだな?」
「あ!待ってください!」
「あん?なんだよ」
「ちょっ…ちょっと」
“返して”とジェスチャーをするミナミに神田は訝しげに紙袋をつっ返す。
「私に付けさせてください」
「は?」
(何をだよ…)
ガサゴソとミナミが中から取り出したのは、黒革のブレスレット。
細身で、男の腕に似合うシンプルな造り。
プレートらしきものがキラリと光る。
「……ブレスレット?」
「えへへ……黒いのが似合うかなって……
サイズも……すごく悩んで、神田の手首見て……」
そこまで言った瞬間――
神田の耳の先が、わずかに赤くなった。
「……じろじろ見てんじゃねぇよ」
「だ、だって……! サイズ間違えたら困るし……!」
「……フン」
そっぽを向きながらも、口元が少し緩んでいる。
それだけで、ミナミの胸はいっぱいになった。
しかしこの時、
ミナミは重大な事実にまだ気づいていない。
――プレートの刻印が、がっつり正面にあることに。
「手を出してください」
「チッ……勝手にしろよ」
照れくさいのをごまかすように腕を差し出す神田。
その大きな腕を両手で包むと、
ほんのり熱が伝わる。
(……さ、さすが神田……手首だけで…私を悩殺してくる…)
「……なんで黙んだよ」
「っ、いえ! なんでも!」
慌てて革を巻き、留め具を留める。
「できましたっ!」
「……ふーん。まぁ、悪くね――」
神田の視線が
“自分の手首”
に落ちた。
そして、固まった。
完全に。
石像のように。
「……神田?」
「…………おい」
低い。
いつも以上に低い。
「な、なんですか?」
「……これ、なんて書いてあんだ?」
プレートの中央。
黒革に映える銀の板に、
筆文字で堂々と刻印されている。
ミナミ命
「…………」
「…………」
ひくっ。
神田の眉がわずかに震えた。
「…………お前」
「……は、はい」
「…………表……」
「……?」
「刻印……表に入ってんぞ……?」
「……えっ」
「気付かなかったのか」
「あっ……ああああああああ!!?」
食堂中が一瞬こちらを見るほどの声が出た。
「うそ……裏面だと思って……な、なんで職人さん……!!?」
「知らねぇよ……」
神田は手首を持ち上げ、
ブレスレットをまじまじと見つめる。
“ミナミ命”
真正面に、ドーン。
「……俺、これ付けて歩くのか?」
「お、女避けです!!」
「…………は?」
「その……その……! 神田モテるから……
女の人に声かけられないように……
“わたしがいますよ”って……」
必死の訴えに、神田は呆れたように頭をかいた。
「お前が思うほど、俺はモテねぇよ」
「いやモテてますよ!?!?!?」
「どこ情報だよ」
「女性職員たちが! 神田さんの話を! いつも!!」
神田は一瞬言葉を失った。
そして、不機嫌に見せかけながら、小さくため息をつく。
「……ったく……
お前は……アホか」
その声が妙にあたたかい。
「す、すみません……」
「謝んな」
神田は手首をひっくり返し、
ブレスレットをゆっくり撫でた。
その仕草が驚くほど優しい。
「……嬉しくねぇとは言わねぇよ」
小さな声。
聞き逃すような。
「……え」
「実際……そうだしな」
「…っ!」
「……来年は……もっとちゃんとしたの用意しろよ。……俺が誤解されんだろ。“俺は、お前のもんです”って言ってるようなもんだぞ」
神田はそっと視線を逸らした。
「か、神田は…わ…わたしのものです!!誤解されていいんですーー!」
ミナミは泣きそうだった。
「わ、わかった…。泣くなよ?おい、泣くなよ?」
「あ、あの……じゃあ……神田さんからは……?」
「……あ?」
「プレゼント……」
その瞬間、神田の顔が“終わった”みたいな顔になった。
完全に忘れていた。
神田は机の上をゆっくり見渡し――
そして、爪楊枝を適当に数本つまんだ。
「……ほらよ」
「…………」
「クリスマスだから特別にやる」
「…………」
去年は“1本”だった。
つまり今年は進化している。
神田ユウのプレゼントスキルは、去年比・大幅向上である。
「っ……うれしい……です……!!」
「なんで喜んでんだよ」
「去年よりレベル上がってるから……!」
「去年基準やめろ」
ミナミは爪楊枝を大事そうに握りしめ、
神田はブレスレットを眺めながら呟いた。
「……来年は……ちゃんとしたの、用意する」
「はいっ!去年もそう言ってました!」
「うっ…。だから……泣くなよ」
食堂の窓の外では、雪が静かに降り続ける。
その白さが、二人の距離をそっと包み込むようだった。
ミナミは、胸の奥から溢れる想いを噛みしめながら思った。
(神田と過ごすクリスマス……
来年も、再来年も……ずっと、こうして一緒にいられたらいいな)
神田は視線をそらしながらも、
結局ブレスレットを外さなかった。
――堂々と“ミナミ命”を光らせたまま。
❄︎ ❅ *. ❅ ✥ ✣ ✤
翌朝-またまた、黒の教団の食堂。
雪はまだ降り続き、窓の外は真っ白だった。
ミナミは食堂に入って、
神田を探した。
(神田……つけてきてくれるかな……?)
昨日のクリスマスイブ。
彼の手首に巻いた黒革のブレスレット。
前面に筆文字で刻まれた “ミナミ命”。
本来、絶対に裏につけるはずの刻印が
正面でギラギラ主張していたという
とんでもない事故だった。
だが――
神田は、外さなかった。
(今日もちゃんとつけてくれてたら……嬉しいな……)
胸を押さえてキョロキョロしていると。
「ミナミちゃん!」
「リナリー!おはよう!」
リナリーはにこにこ笑って、
ミナミをテーブルに誘った。
その斜め向かい。
ラビがワッフルを食べながら手を振る。
「おはよー、ミナミ! 今日も雪すげーな!」
「ほんとだね……ってあれ? ラビ……ほっぺたどうしたの?」
「なんか知らんけど、朝からジジイにやられ……」
ラビが言い終わる前に――
ガタッ。
後ろの扉が開いた。
黒髪を束ねた長身の男。
無表情、長い脚、黒い服。
神田ユウだ。
神田は気怠そうに歩いてきて、
まっすぐミナミの隣へ座った。
「神田…おはよう」
「ああ」
ミナミは胸の高鳴りを押さえながら、
神田の左手首をこっそり見た。
(ど、どうかな……つけて……)
――ついている。
昨日渡した “ミナミ命”ブレスレット が
堂々と、正面に、燦然と輝いている。
(つけてるぅぅぅ!!)
嬉しさで顔が爆発しそう。
そして、それに気づいた人物が一人。
「ん? それ……ユウ……腕……」
「見んな」
「いや見るだろ!? なんだそれ!?」
「見るなって言ってんだろ」
「えっ!? なにさこれ!? なんて書いて――」
次の瞬間。
ラビの声が食堂に響いた。
「“ミナミ命”ーー!?!?!?!?」
食堂が一瞬沈黙した。
「……ミナミちゃん……?」
「ぎゃあああああ!!見ないであげてーーーー!!」
神田はテーブルに肘をつき、
手で顔を覆った。
「……マジでやめろラビ……殺すぞ……」
ラビは爆笑しながら神田の腕を掴む。
「ちょ、お前!! この文字!! 筆字!! ガチ!!」
「放せッッ!! 触るな!!」
ミナミも真っ赤になりながら
必死でブレスレットを隠そうとする。
「ち、違うんです!!
昨日、裏に入ってると思ったら……表で……!!」
「表って……つまり、正面ってこと?」
「そうなの!!
わたし見せないように付けたのに!!
職人さんが!! 表に!!」
「ぷっ……ふふっ……」
リナリーがとうとう笑いを堪えきれなくなった。
「最高すぎる……イニシャルとかじゃなくて……ミナミ命……!!」
神田はテーブルをドンと叩いた。
「うるせえ!!」
「いやでもさ! ユウがこれつけて歩いてるの想像してみ!? 見てみろよ!!」
「やめてあげて!!!」
ミナミは必死で神田の手首を両手で包んだ。
「ラビ!! 神田は……か、かわいいんだから……!!」
「……誰がかわいいんだ誰が」(←でもちょっと嬉しい神田)
ミナミが守るように手首を押さえると、
神田は気まずそうに咳払いした。
「……別に外してもいいんだけどな」
「っ……!! 外さないで……!!」
言った瞬間。
神田は一瞬だけ目を見開いた。
そして、小さく目を逸らす。
「……チッ。
……外さねぇよ」
(神田!やっぱり…かっ……かわ……!!)
「おまえらもう結婚しろ」
やれやれと言ったふうにラビが肩を竦めてそう言った。
「黙れ」
ミナミは涙目で笑いながら思った。
(神田……本当に……つけてくれてる……
“ミナミ命”なのに……)
食堂のざわめきの中、
神田は誰にも悟られないように
そっとミナミの指先を避けずにいた。
ほんの少し、触れている距離。
それだけで十分だった。
+.・ꊛᱸ❄︎ꊛᱸ❄︎ ꊛᱸ.・ꊛᱸ❄︎ꊛᱸ❄︎ ꊛ.・ꊛᱸ❄︎ꊛᱸ❄︎ ꊛᱸ.+・
その日の午後。黒の教団。
廊下にはまだ冷たい空気が漂っていた。
職務を全うする団員たちの足音が響く中、
ミナミは神田を見送るためにゲートに向かって小走りで駆けていた。
階段を駆け上がり、長い廊下の曲がり角を曲がると――
いた。
黒髪を後ろで束ね、
コートを片手で払うように羽織っている。
その左手首には、
もちろんブレスレットがしっかりついていた。
“ミナミ命”
(つけてくれてるぅぅぅ!!)
叫びそうになる喉をこらえ、
ミナミはそっと近づいた。
「……神田」
神田は少しだけ振り返る。
「なんだ?」
「み、見送り……したくて……!」
神田は、視線を逸らしながら低く呟く。
「……別に…、休める時に休んでろよ」
言葉だけなら冷たい。
でもその声音はほんの少し柔らかかった。
ミナミは息を弾ませたまま、彼の左腕をチラリと見た。
しかし神田は、その視線に気づいたらしい。
「……見るな」
「み、見てません!」
「見てるだろ」
「見てません!!」
「嘘つけ」
完全に見抜かれていた。
ミナミは観念して、
そっと神田の左手首を見つめる。
「……その……やっぱり…つけてくれて……嬉しいなって、改めて思って…」
神田は軽く舌打ちした。
「外したら、お前泣くだろ」
「それは…泣きますね」
胸がぎゅうっと締めつけられる。
「神田……任務、気をつけてね」
神田はコートの襟を整えながら呟いた。
「……あぁ。
怪我でもしたら……めんどくせぇしな」
「め、めんどくさい……?」
「泣くだろ、お前」
ミナミは顔が真っ赤になる。
その反応を見て、
神田の眉がひくっと動く。
「ほんっと……お前は……」
ぼそっと言いかけて、
言葉を飲み込む。
代わりに手を伸ばし、
ミナミの頭をぐしゃっと撫でた。
「……泣くなよ」
「な、泣いてません!」
「帰ってくるまで泣くな。
……帰ったら泣いてもいいけど」
「えっ……?」
神田はそのまま手を下ろし、
ミナミの頬に触れた。
指先が熱い。
鼓動が跳ねる。
「……任務の前に、
そんな顔すんなって」
「ど、どんな顔ですか……!」
「あぶねぇから……
欲しくなる」
「っ……!わたしはいつでもウエルカムですけど!」
照れ隠しで言ったつもりが、余計に胸が一気に焼けるように熱くなる。
神田は“フッ”と笑ったあと深呼吸をひとつすると、
視線を落とし――
そっとミナミの頬を引き寄せた。
「……顔、上げろ」
言われるまま顔を上げると、
神田の瞳がすぐ近くにあった。
「……行く前に……ひとつだけ」
そして――
唇が触れた。
雪の朝の空気とは正反対の熱。
優しくて、ゆっくりで、
でも確かに求める力を帯びたキス。
短く、触れるだけのはずなのに、
世界が止まったように感じる。
神田はほんの一秒だけ唇を重ね、
そっと離した。
そして、照れ隠しのように視線を逸らす。
「……帰るまで……
それで我慢しとけ」
「……は、はい……」
神田はコートの裾を翻し、背を向ける。
「じゃあな。泣くなよ」
その最後の言葉が
胸の奥まで温かく響いた。
ミナミは唇を押さえながら、
神田の背中が廊下の向こうに消えるまで
ずっと見送っていた。
終。20251211