舞い落ちる花びら
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【舞い落ちる花びら】
この日は、骨まで染みるように寒かった。
アレンと合流してから、数週間。
戦闘も移動も多いが、野営だけは避けている。
冬の山で一晩過ごせば、能力者でも命を落とす。
だから今夜も、人里離れた小さな宿に泊まっていた。
部屋には薄い暖炉がひとつ。
火のはぜる音だけが、夜をゆっくり撫でている。
アレンとジョニーが眠ったあと、
俺は窓辺に座り、暗い空を見上げていた。
——雪が降っている。
静かに落ちてくる白い欠片を眺めていると、
胸の奥にあるもうひとつの“温度”が疼いた。
(……ミナミ)
その名を頭の中で口にしただけで、
冷え切った空気の中にひとつだけ春が差し込む。
あいつは、世界で唯一、俺を“暖かくする”存在だった。
戦場で擦り切れても、
教団にうんざりしても、
自分の居場所なんてどこにも無いと諦めても——
ミナミの前だけは、息ができた。
言葉を飾らない俺を、拒まず、笑って受け止める。
その優しさが重い日もあったが、
いざ離れてみると、胸がやけに寒い。
カイロ代わりのあいつがいない冬なんて、洒落にならねぇ。
窓の外に舞い落ちる雪を見上げながら、
俺はゆっくり息を吐く。
アルマとの決着をつけ、“あの人”から解放され、
自分の人生をやっと手に入れたはずなのに。
ミナミのいない今の方が、よほど落ち着かない。
教団には戻りたくない。
あの腐り切った組織の空気は、いまだに胸を悪くさせる。
だが——
あいつがそこで待つなら、話は別だ。
どんなに嫌いな場所でも、
ミナミのいる世界なら息ができる。
(……クソ。俺はどこまであいつに縛られてんだ)
自嘲するように笑った。
部屋のベッドで毛布に埋もれて寝ているアレンが、
寝ぼけた声でむにゃ、と呟く。
「……神田……ミナミの名前、寝言で言ってた……」
「言ってねぇ。寝ろ」
「言ったし……重症……」
「てめえはてめえのことだけを考えてろ」
しばくぞ、と言いかけてやめた。
こいつにだけは、こんなことでなんとなく怒りきれない。
夜がまた静かになる。
外の雪は止む気配がない。
白い世界に溶けてしまいそうだ。
——あいつは今、何してんだ。
寒くないか。
ひとりで泣いてないか。
無茶だけはしてないか。
いや、確実に泣いてるな。
別れも告げず置いてきた。
お前なら言わなくても理解してくれるだろうと俺の甘え。
考え始めると、胸がざわついて眠れなくなる。
もう、とっくにわかってんだ。
あいつが笑わなきゃ、俺の世界がまともに回らねぇ。ってことに。
雪がひらりと窓辺に落ちた。
それが舞い落ちる花びらのように見えて、
胸がきゅっと締めつけられた。
——こんな俺を愛してくれたのは、あいつだけだ。
「……戻る理由ができちまったな」
教団が嫌でも、
世界がどうなろうとも、
あいつが待つなら帰る。
ただひとり、俺を暖かくしてくれたあいつのところへ。
そう思った瞬間、
胸の奥の冬がゆっくり溶けていくのを感じた。
(生きて待ってろ、ミナミ。
お前に呼ばれたら、いつでも飛んで行く覚悟はある。だが、今はまだ……)
窓の外には静かな雪。
その向こうに、確かにあいつがいる気がした。
♧*:;;;;;;:*♧*:;;;;;;:*♧*:;;;;;;:*♧*:;;;;;;:*♧*:;;;;;;:*
馬車は乾いた土の道を進んでいた。
車輪が小石を弾くたびに、
コン、コン、と揺れが伝わる。
外は冷たい風が吹いているが、
景色に雪はない。
どこまでも続く、冬枯れの茶色い大地だけ。
その揺れの中で、
アレンはこれからの事に耽っているようで窓の外を見ていた。
ジョニーはその横でこれからの事に落ち着かない様子で見守る。
ティエドール元帥は外で御者をし、
俺の隣にリンク。
背筋を伸ばし、いつもの無表情で、
俺の一挙手一投足を観察している。
(……気づいてやがる)
黙っててもこいつは察する。
本当に厄介だ。
リンクが軽く首を傾けた。
「神田。落ち着きがありませんね」
「落ち着いてる」
「嘘です」
ピシャリと切り捨ててくる。
ちっ、と舌打ちしそうになるのをこらえたその瞬間だった。
——胸の奥が、ふっと跳ねた。
まるで誰かに名前を呼ばれたように。
「神田?」
アレンがこちらを見た。
「……別に」
短く返したが、自分でも分かる。
声が震えた。
リンクが細い目を向けてくる。
「その反応で“別に”は無理があります」
「黙ってろ」
馬車が大きめの石を乗り越え、
車体がふわりと跳ねた。
その瞬間——
また胸がざわついた。
(……ミナミ)
姿が見えないのに、
声が届いたような気がした。
ジョニーが恐る恐る口を開ける。
「……あの子のことを考えているの?」
胸の奥がぎゅっと痛んだ。
ジョニーは続ける。
「あの子の事だから必死で神田を探しているだろうね……
泣く暇もないぐらい」
アレンが頷く。
「確かに。それは想像できますね」
リンクまで静かに口を開く。
「……貴方が再び教団に戻った時、
嬉しそうでしたね。
もう戻らないかもしれないと泣き暮らしてましたからね」
呼吸が止まった。
胸が熱くて、苦しくて、
今すぐ馬車から飛び出したい衝動に駆られる。
「……バカが」
やっとの思いで出た言葉がそれだった。
アレンがやわらかく笑む。
「戻りたいんだね、神田」
「教団に戻りてぇわけじゃねぇからな」
視線を伏せる。
「……あいつがいるから仕方なくだ」
馬車の中に小さな“あたたかさ”が灯る。
ジョニーが言う。
「神田にとって、あの子は……
“帰る場所”なんだね」
否定しようとして、
できなかった。
胸が全部、理解していたから。
世界に柔らかい場所なんて、
とっくに無くなったと思っていた。
でも——
ミナミだけは違った。
笑って呼ぶ声も、
怒る顔も、
泣きそうに震える目も。
どれも、俺を“生きてる”場所に引き戻した。
「……“場所”か」
ぽつりと呟くと、
リンクが静かに瞼を伏せた。
「その選択が……あなたを救うのでしょう」
やがて馬車が止まる、
ここでもやし達とは別れだ。
陰鬱で重くて、
戻りたくもない場所。
だけど。
そこに、
あいつがいるなら——
話は別だ。
ミナミ。
あいつの事を想えば、
胸の奥に落ちた光が、
ゆっくりと広がっていくようだった。
俺はあいつの声に導かれて、
帰るべき場所へ向かった。
+.・ꊛᱸ❄︎ꊛᱸ❄︎ ꊛᱸ.・ꊛᱸ❄︎ꊛᱸ❄︎ ꊛ.・ꊛᱸ❄︎ꊛᱸ❄︎ ꊛᱸ.+・
教団の門をくぐった瞬間、
重たい空気が肌にまとわりついた。
嫌な場所だ。
相変わらず、息が詰まる。
でも——今日は違う。
胸の奥に灯った光が、
そのすべてを押し返していた。
俺の居場所じゃねぇ。
ずっとそう思っていた。
けれど。
視界の端で——
ひとりだけ、
違う世界にいるみたいに俺を見ている人間がいた。
小さな肩が震えていた。
あいつだ。
ミナミ。
目が合った瞬間、
胸がぎゅっと締めつけられる。
(……やっぱりすぐ泣く)
次の瞬間だった。
風のように、あいつは駆けてきた。
周囲の団員なんて視界に入らない。
転びそうになりながら、
必死に、まっすぐに。
その顔は——
泣きながら笑っていた。
涙に濡れたままで、
俺だけを見つめて。
走るたびに、
瞳に光が揺れた。
美しいなんて言葉じゃ足りねぇ。
胸が痛ぇほど、
まっすぐで、綺麗だった。
「……神田……っ!!」
名前を呼ぶ声が震えていた。
俺は動けなかった。
ただ、胸の奥が溢れそうで——
勝手に息が詰まった。
そしてそのまま。
どんっ——
小さな身体が俺の胸に飛び込んだ。
勢いで少し後ろに下がる。
けれど離さなかった。
ミナミの腕が、必死に俺の背中を掴む。
「……どこに行ってたの……!
ほんとに……どこに行ってたの……っ」
震える声が服に染みついた。
その涙の温度が、
胸の奥まで届いてくる。
俺の手が、勝手に動いていた。
ミナミがするように俺も精一杯、腕の中に包んだ。
ミナミの髪の香りが、一気に胸いっぱいに広がる。
懐かしい。
暖かい。
やっと、会えた。
「……泣くな」
そう言った俺の方が震えていた。
ミナミが胸に顔を押しつけ、
さらに泣きじゃくる。
「だって……っ
神田が……いなくて……
こわかった……っ
もう、帰ってこないかと思った……!」
胸の奥がぎゅう、と痛んだ。
あぁ。
もう隠せねぇ。
こいつは——
俺の世界の、いちばん暖かい場所だ。
「……悪かった」
言った瞬間、
ミナミの指が俺の服を強く握る。
「ううん……ううん、いいの……
帰ってきてくれた……それだけで……っ」
涙で濡れた声が胸に響く。
その音が、
心臓の真ん中に触れた。
あぁ、そうか……
俺はもう、この命より先にミナミを離せねぇんだ。
そう気づいた瞬間、胸の奥が痛いほど熱くなった。
抱きしめた腕に自然と力がこもる。
「……あぁ。
今、戻った」
小さく、でもはっきり言う。
ミナミは顔を上げ、
涙の跡をそのままに俺を見つめた。
その瞳は、
泣いているのに、誰よりも綺麗だった。
「神田……」
名前を呼ばれるだけで胸が熱くなる。
俺はその小さな頬に触れた。
指先に伝わる温度が、
確かに“生きている”と教えてくれる。
「……ただいま。ミナミ」
その一言で、
ミナミの瞳が大きく揺れ、
また涙があふれた。
大粒の涙が頬を伝って、唇に溜まり、そこから真珠のように落ちていく。
それがとても綺麗で、
胸が破れそうだった。
気付けばその真珠の粒を、落とさないように口付けていた。
周囲から悲鳴に似た声が上がっていたが、この時の俺には聞こえて居なかった。
ミナミが――
俺を見つけた瞬間の顔を、
多分、一生忘れねぇ。
驚いて、震えて、
それから崩れ落ちるみたいに泣き出して。
俺の名前を呼びながら駆け寄ってきた。
その一瞬で悟った。
待ってたんだ。
ずっと……俺の帰りを。
馬鹿みてぇに、信じて。
胸に飛び込んでくる細い身体を受け止めた時、
心臓が痛いほど跳ねた。
(……何してんだ、俺は)
置いてったのは俺だ。
苦しませたのも俺だ。
勝手に遠ざかったのも、全部俺。
それなのにミナミは、
迷わず、疑いもせず、
涙まで流して笑ってきやがる。
「……ミナミ」
腕に力が入る。
抱きしめるというより、
もう二度と離せねぇみたいに縋りつく。
帰ってきたんじゃねぇ。
戻されたんだ。
こいつのところに。
「お前……ほんと……
なんでそんな顔すんだよ……」
泣き笑いなんざするな。
そんな顔で抱きつかれたら——
俺は、もう、どこにも行けねぇ。
喉の奥が熱い。
言葉がうまく出てこない。
離れていた間、
毎日、どこかが欠けてた。
戦っても、走っても、呼吸しても、
心だけはずっと寒かった。
……でも、今触れてわかった。
寒かった理由は、こいつがいなかったからだ。
「……ミナミ」
名前を呼んだだけで胸が潰れそうになった。
「俺がいなくても……
お前は普通に生きてると思ってた」
でも違った。
待ってた。
信じてた。
俺なんかの帰りを。
そんなことされて、
どう生きろってんだ。
腕の中の温度が震えるたび、
胸の奥が締め付けられる。
「……悪かった」
謝るのなんか、俺らしくねぇ。
それでも言わずにいられなかった。
「黙って出て行って……悪かった。
心配かけさせて……悪かった」
顔を上げたミナミが、
涙の跡を残したまま笑った。
その瞬間——
俺は完全に落ちた。
「……もう無理だ。
離れるとか……二度とできねぇ」
声が震えてた。
弱くなってた。
でも、もう隠す気はなかった。
腕の中に閉じ込める。
苦しいくらい強く。
「……お前が、待っててくれたから……生きて帰れた」
喉の奥から、
ずっと言えなかった本音が溢れた。
「お前がいないと……どこにも帰れねぇんだ」
ミナミの肩に顔を埋めながら呟く。
「これから先、どこで戦おうが……
どんな傷負おうが……
帰る場所は……お前だけだ」
そして小さく、けれど確実に落とす。
「……ミナミ。
俺は……お前に、救われてぇんだよ」
抱きしめ合ったまま、
胸の奥に残っていた氷が
ゆっくり音を立てて溶けていく。
——花びらが、風の中でやっと落ち着く場所を見つけたように。
おわり。20251211
あとがき。
アルマとの別れを経て、
「あの人」から完全に解放された神田は、表向きは自由になったはずでした。
しかしその心は、戦いと喪失に焼かれ、
どこにも居場所を見つけられない“冬”のまま。(←ここだけ原作と違います。原作では神田ユウとして生きようと頑張ってますよね)
そんな神田が唯一、
「温かく息ができる場所」だったのがミナミ。
彼女は、
神田の荒んだ世界にそっと差し込んだ
“最後の春”のような存在。
この短編では、
神田が自分の意思で帰る場所として、
ミナミを選び直す“帰還の物語” を描いています。
長編で原作沿いを書くことは個人的にとても心苦しく、短編という形にしました。
美しく、丁寧に書くことを心がけました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
この日は、骨まで染みるように寒かった。
アレンと合流してから、数週間。
戦闘も移動も多いが、野営だけは避けている。
冬の山で一晩過ごせば、能力者でも命を落とす。
だから今夜も、人里離れた小さな宿に泊まっていた。
部屋には薄い暖炉がひとつ。
火のはぜる音だけが、夜をゆっくり撫でている。
アレンとジョニーが眠ったあと、
俺は窓辺に座り、暗い空を見上げていた。
——雪が降っている。
静かに落ちてくる白い欠片を眺めていると、
胸の奥にあるもうひとつの“温度”が疼いた。
(……ミナミ)
その名を頭の中で口にしただけで、
冷え切った空気の中にひとつだけ春が差し込む。
あいつは、世界で唯一、俺を“暖かくする”存在だった。
戦場で擦り切れても、
教団にうんざりしても、
自分の居場所なんてどこにも無いと諦めても——
ミナミの前だけは、息ができた。
言葉を飾らない俺を、拒まず、笑って受け止める。
その優しさが重い日もあったが、
いざ離れてみると、胸がやけに寒い。
カイロ代わりのあいつがいない冬なんて、洒落にならねぇ。
窓の外に舞い落ちる雪を見上げながら、
俺はゆっくり息を吐く。
アルマとの決着をつけ、“あの人”から解放され、
自分の人生をやっと手に入れたはずなのに。
ミナミのいない今の方が、よほど落ち着かない。
教団には戻りたくない。
あの腐り切った組織の空気は、いまだに胸を悪くさせる。
だが——
あいつがそこで待つなら、話は別だ。
どんなに嫌いな場所でも、
ミナミのいる世界なら息ができる。
(……クソ。俺はどこまであいつに縛られてんだ)
自嘲するように笑った。
部屋のベッドで毛布に埋もれて寝ているアレンが、
寝ぼけた声でむにゃ、と呟く。
「……神田……ミナミの名前、寝言で言ってた……」
「言ってねぇ。寝ろ」
「言ったし……重症……」
「てめえはてめえのことだけを考えてろ」
しばくぞ、と言いかけてやめた。
こいつにだけは、こんなことでなんとなく怒りきれない。
夜がまた静かになる。
外の雪は止む気配がない。
白い世界に溶けてしまいそうだ。
——あいつは今、何してんだ。
寒くないか。
ひとりで泣いてないか。
無茶だけはしてないか。
いや、確実に泣いてるな。
別れも告げず置いてきた。
お前なら言わなくても理解してくれるだろうと俺の甘え。
考え始めると、胸がざわついて眠れなくなる。
もう、とっくにわかってんだ。
あいつが笑わなきゃ、俺の世界がまともに回らねぇ。ってことに。
雪がひらりと窓辺に落ちた。
それが舞い落ちる花びらのように見えて、
胸がきゅっと締めつけられた。
——こんな俺を愛してくれたのは、あいつだけだ。
「……戻る理由ができちまったな」
教団が嫌でも、
世界がどうなろうとも、
あいつが待つなら帰る。
ただひとり、俺を暖かくしてくれたあいつのところへ。
そう思った瞬間、
胸の奥の冬がゆっくり溶けていくのを感じた。
(生きて待ってろ、ミナミ。
お前に呼ばれたら、いつでも飛んで行く覚悟はある。だが、今はまだ……)
窓の外には静かな雪。
その向こうに、確かにあいつがいる気がした。
♧*:;;;;;;:*♧*:;;;;;;:*♧*:;;;;;;:*♧*:;;;;;;:*♧*:;;;;;;:*
馬車は乾いた土の道を進んでいた。
車輪が小石を弾くたびに、
コン、コン、と揺れが伝わる。
外は冷たい風が吹いているが、
景色に雪はない。
どこまでも続く、冬枯れの茶色い大地だけ。
その揺れの中で、
アレンはこれからの事に耽っているようで窓の外を見ていた。
ジョニーはその横でこれからの事に落ち着かない様子で見守る。
ティエドール元帥は外で御者をし、
俺の隣にリンク。
背筋を伸ばし、いつもの無表情で、
俺の一挙手一投足を観察している。
(……気づいてやがる)
黙っててもこいつは察する。
本当に厄介だ。
リンクが軽く首を傾けた。
「神田。落ち着きがありませんね」
「落ち着いてる」
「嘘です」
ピシャリと切り捨ててくる。
ちっ、と舌打ちしそうになるのをこらえたその瞬間だった。
——胸の奥が、ふっと跳ねた。
まるで誰かに名前を呼ばれたように。
「神田?」
アレンがこちらを見た。
「……別に」
短く返したが、自分でも分かる。
声が震えた。
リンクが細い目を向けてくる。
「その反応で“別に”は無理があります」
「黙ってろ」
馬車が大きめの石を乗り越え、
車体がふわりと跳ねた。
その瞬間——
また胸がざわついた。
(……ミナミ)
姿が見えないのに、
声が届いたような気がした。
ジョニーが恐る恐る口を開ける。
「……あの子のことを考えているの?」
胸の奥がぎゅっと痛んだ。
ジョニーは続ける。
「あの子の事だから必死で神田を探しているだろうね……
泣く暇もないぐらい」
アレンが頷く。
「確かに。それは想像できますね」
リンクまで静かに口を開く。
「……貴方が再び教団に戻った時、
嬉しそうでしたね。
もう戻らないかもしれないと泣き暮らしてましたからね」
呼吸が止まった。
胸が熱くて、苦しくて、
今すぐ馬車から飛び出したい衝動に駆られる。
「……バカが」
やっとの思いで出た言葉がそれだった。
アレンがやわらかく笑む。
「戻りたいんだね、神田」
「教団に戻りてぇわけじゃねぇからな」
視線を伏せる。
「……あいつがいるから仕方なくだ」
馬車の中に小さな“あたたかさ”が灯る。
ジョニーが言う。
「神田にとって、あの子は……
“帰る場所”なんだね」
否定しようとして、
できなかった。
胸が全部、理解していたから。
世界に柔らかい場所なんて、
とっくに無くなったと思っていた。
でも——
ミナミだけは違った。
笑って呼ぶ声も、
怒る顔も、
泣きそうに震える目も。
どれも、俺を“生きてる”場所に引き戻した。
「……“場所”か」
ぽつりと呟くと、
リンクが静かに瞼を伏せた。
「その選択が……あなたを救うのでしょう」
やがて馬車が止まる、
ここでもやし達とは別れだ。
陰鬱で重くて、
戻りたくもない場所。
だけど。
そこに、
あいつがいるなら——
話は別だ。
ミナミ。
あいつの事を想えば、
胸の奥に落ちた光が、
ゆっくりと広がっていくようだった。
俺はあいつの声に導かれて、
帰るべき場所へ向かった。
+.・ꊛᱸ❄︎ꊛᱸ❄︎ ꊛᱸ.・ꊛᱸ❄︎ꊛᱸ❄︎ ꊛ.・ꊛᱸ❄︎ꊛᱸ❄︎ ꊛᱸ.+・
教団の門をくぐった瞬間、
重たい空気が肌にまとわりついた。
嫌な場所だ。
相変わらず、息が詰まる。
でも——今日は違う。
胸の奥に灯った光が、
そのすべてを押し返していた。
俺の居場所じゃねぇ。
ずっとそう思っていた。
けれど。
視界の端で——
ひとりだけ、
違う世界にいるみたいに俺を見ている人間がいた。
小さな肩が震えていた。
あいつだ。
ミナミ。
目が合った瞬間、
胸がぎゅっと締めつけられる。
(……やっぱりすぐ泣く)
次の瞬間だった。
風のように、あいつは駆けてきた。
周囲の団員なんて視界に入らない。
転びそうになりながら、
必死に、まっすぐに。
その顔は——
泣きながら笑っていた。
涙に濡れたままで、
俺だけを見つめて。
走るたびに、
瞳に光が揺れた。
美しいなんて言葉じゃ足りねぇ。
胸が痛ぇほど、
まっすぐで、綺麗だった。
「……神田……っ!!」
名前を呼ぶ声が震えていた。
俺は動けなかった。
ただ、胸の奥が溢れそうで——
勝手に息が詰まった。
そしてそのまま。
どんっ——
小さな身体が俺の胸に飛び込んだ。
勢いで少し後ろに下がる。
けれど離さなかった。
ミナミの腕が、必死に俺の背中を掴む。
「……どこに行ってたの……!
ほんとに……どこに行ってたの……っ」
震える声が服に染みついた。
その涙の温度が、
胸の奥まで届いてくる。
俺の手が、勝手に動いていた。
ミナミがするように俺も精一杯、腕の中に包んだ。
ミナミの髪の香りが、一気に胸いっぱいに広がる。
懐かしい。
暖かい。
やっと、会えた。
「……泣くな」
そう言った俺の方が震えていた。
ミナミが胸に顔を押しつけ、
さらに泣きじゃくる。
「だって……っ
神田が……いなくて……
こわかった……っ
もう、帰ってこないかと思った……!」
胸の奥がぎゅう、と痛んだ。
あぁ。
もう隠せねぇ。
こいつは——
俺の世界の、いちばん暖かい場所だ。
「……悪かった」
言った瞬間、
ミナミの指が俺の服を強く握る。
「ううん……ううん、いいの……
帰ってきてくれた……それだけで……っ」
涙で濡れた声が胸に響く。
その音が、
心臓の真ん中に触れた。
あぁ、そうか……
俺はもう、この命より先にミナミを離せねぇんだ。
そう気づいた瞬間、胸の奥が痛いほど熱くなった。
抱きしめた腕に自然と力がこもる。
「……あぁ。
今、戻った」
小さく、でもはっきり言う。
ミナミは顔を上げ、
涙の跡をそのままに俺を見つめた。
その瞳は、
泣いているのに、誰よりも綺麗だった。
「神田……」
名前を呼ばれるだけで胸が熱くなる。
俺はその小さな頬に触れた。
指先に伝わる温度が、
確かに“生きている”と教えてくれる。
「……ただいま。ミナミ」
その一言で、
ミナミの瞳が大きく揺れ、
また涙があふれた。
大粒の涙が頬を伝って、唇に溜まり、そこから真珠のように落ちていく。
それがとても綺麗で、
胸が破れそうだった。
気付けばその真珠の粒を、落とさないように口付けていた。
周囲から悲鳴に似た声が上がっていたが、この時の俺には聞こえて居なかった。
ミナミが――
俺を見つけた瞬間の顔を、
多分、一生忘れねぇ。
驚いて、震えて、
それから崩れ落ちるみたいに泣き出して。
俺の名前を呼びながら駆け寄ってきた。
その一瞬で悟った。
待ってたんだ。
ずっと……俺の帰りを。
馬鹿みてぇに、信じて。
胸に飛び込んでくる細い身体を受け止めた時、
心臓が痛いほど跳ねた。
(……何してんだ、俺は)
置いてったのは俺だ。
苦しませたのも俺だ。
勝手に遠ざかったのも、全部俺。
それなのにミナミは、
迷わず、疑いもせず、
涙まで流して笑ってきやがる。
「……ミナミ」
腕に力が入る。
抱きしめるというより、
もう二度と離せねぇみたいに縋りつく。
帰ってきたんじゃねぇ。
戻されたんだ。
こいつのところに。
「お前……ほんと……
なんでそんな顔すんだよ……」
泣き笑いなんざするな。
そんな顔で抱きつかれたら——
俺は、もう、どこにも行けねぇ。
喉の奥が熱い。
言葉がうまく出てこない。
離れていた間、
毎日、どこかが欠けてた。
戦っても、走っても、呼吸しても、
心だけはずっと寒かった。
……でも、今触れてわかった。
寒かった理由は、こいつがいなかったからだ。
「……ミナミ」
名前を呼んだだけで胸が潰れそうになった。
「俺がいなくても……
お前は普通に生きてると思ってた」
でも違った。
待ってた。
信じてた。
俺なんかの帰りを。
そんなことされて、
どう生きろってんだ。
腕の中の温度が震えるたび、
胸の奥が締め付けられる。
「……悪かった」
謝るのなんか、俺らしくねぇ。
それでも言わずにいられなかった。
「黙って出て行って……悪かった。
心配かけさせて……悪かった」
顔を上げたミナミが、
涙の跡を残したまま笑った。
その瞬間——
俺は完全に落ちた。
「……もう無理だ。
離れるとか……二度とできねぇ」
声が震えてた。
弱くなってた。
でも、もう隠す気はなかった。
腕の中に閉じ込める。
苦しいくらい強く。
「……お前が、待っててくれたから……生きて帰れた」
喉の奥から、
ずっと言えなかった本音が溢れた。
「お前がいないと……どこにも帰れねぇんだ」
ミナミの肩に顔を埋めながら呟く。
「これから先、どこで戦おうが……
どんな傷負おうが……
帰る場所は……お前だけだ」
そして小さく、けれど確実に落とす。
「……ミナミ。
俺は……お前に、救われてぇんだよ」
抱きしめ合ったまま、
胸の奥に残っていた氷が
ゆっくり音を立てて溶けていく。
——花びらが、風の中でやっと落ち着く場所を見つけたように。
おわり。20251211
あとがき。
アルマとの別れを経て、
「あの人」から完全に解放された神田は、表向きは自由になったはずでした。
しかしその心は、戦いと喪失に焼かれ、
どこにも居場所を見つけられない“冬”のまま。(←ここだけ原作と違います。原作では神田ユウとして生きようと頑張ってますよね)
そんな神田が唯一、
「温かく息ができる場所」だったのがミナミ。
彼女は、
神田の荒んだ世界にそっと差し込んだ
“最後の春”のような存在。
この短編では、
神田が自分の意思で帰る場所として、
ミナミを選び直す“帰還の物語” を描いています。
長編で原作沿いを書くことは個人的にとても心苦しく、短編という形にしました。
美しく、丁寧に書くことを心がけました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。