FRYDAY NIGHT GAME → nightly night love(笹さに)
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週明けは朝から慌ただしく過ぎていった。翌日に迫った会議の準備や後輩への指導、上司からのお小言に、山姥切からの飲み会の件についてのお叱り。加えてすっかり落ち込んでしまった福島へのフォローと、バタバタしているうちにあっという間に定時になっていた。今日は部署全員で定時退社をしようと示し合わせていた日だったので、私もある程度のところで区切りをつけてパソコンを閉じる。荷物を持って廊下に向かうと、ようやく少し気を取り直したらしい福島が隣に並んだ。
「ちょっと元気になった?」
「おかげさまで。お詫びと言ってはなんだけど、どうかな、食事でも」
「いいね。私もこの間、すっぽかしちゃったしさ」
「そういえば、結局何があったんだい? 話しにくいことなら無理には聞かないけど」
「ああ……迷子探したりとかしてて」
「保護者は見つかった?」
「一応? あの日は疲れたなぁ。日曜日もしっかり寝坊しちゃった」
「……自分のことは棚に上げるけど、本当に心配したんだよ? 遅刻するし、全然来ないし、連絡つかないし」
「う……」
「今度からはもっと頼ってもらいたいな」
「気を付けます……」
「よろしい、なんてね。……せっかくだし、長義くんたちも誘おうか。声かけてくるよ」
思いついたように踵を返した福島を見送り、廊下の端に寄って帰りを待つ。他の部署はまだ帰る職員は少ないらしく、ぞろぞろと廊下に出てきた監査の面々を恨めしそうに見ていた。
(何食べに行くのかな)
ああして福島から誘ってきたということは、きっとすでに店は決めてあるのだろう。しかも間違いなくおいしいお店だ。そういった方面では長船の刀は絶対に外さないという確信がある。緩みそうになる頬を引き締めながらわくわくと福島を待っていると、ふと隣に誰かが並ぶ気配がした。反射的に隣を見上げると、斜め上では知った顔が他人行儀に微笑んで私を見下ろしていた。
「どーも。いいかな、お隣」
「……ダメって言ったらどっか行くの?」
「あれ、やっぱ区別つくんだ。すごいね」
機嫌良さそうにそう言って、笹貫はやわらかく口角を持ち上げた。赤の他人のふりをして近づいてきたのはどういう了見か。威勢よく問う前に「本当に分かるのかと思って」と答えが返ってきてしまったから、ムッと結んだ口元から言葉にならない相づちを漏らすことになった。
「……珍しいね、こんな時間に」
「今日は出陣帰り。はい、これ」
手渡された紙袋には、有名なスイーツ店のロゴが印刷されていた。上から覗き込めば、きれいな包装紙に包まれた箱が見える。どうやら菓子折りのようだが、そんなものをもらう心当たりがなかった。
「なに、これ」
「お詫びの菓子折り? 主と加州が、うちの刀がご迷惑おかけしましたって」
「あー……」
「本丸にまで電話してくれたんだって? なんか悪かったね」
「……顔は全然申し訳なさそうじゃないんだけど」
「分かる? そんなに必死にオレのこと探してくれたんだなーって、愛情を噛みしめてるとこ」
「ありがたくちょうだいしますってお伝えください」
「無視ときたか。今日も今日とてつれないね」
肩をすくめる笹貫は見るからに上機嫌だった。これは今に始まったことではなく、日曜の朝から続いている。
結局日曜日は笹貫の方が先に目覚めた。私がすやすやと惰眠を貪っている間に本当に朝食を準備し、それからはベッドの横でじっと私の目覚めを待っていたらしい。目覚めた瞬間、にじみ出る喜びを味わうような笑みと共にベッドに頬杖をつく刀と目が合った私の恐怖心は語るまでもないだろう。
「いいねぇ、こういうの。目が覚めたらあんたの腕の中にいて、早起きして朝食作って、好きな子が起きるのをゆったり待って……自分からあんたの匂いがするのも、うん、なんかすごく、いい」
朝食を食べる間、笹貫は何度もそうこぼしては私の目を見つめた。食器を片付け身支度し、駅から電車に押し込むまでの間も、彼はずっとニコニコと、毒気のない顔で笑っていたと思う。まるで夢をすべて叶えた子どものようだと感じたのは錯覚ではないだろう。彼は今日もまた、同じ顔で口の端を上げ、目を細めて私を見ていた。
「加州清光が、あんたに会ってみたいって言ってたよ。今度遊びに来てよ」
「……本丸の主さんが許可すれば」
「お、言ったね? じゃあ今夜にでも相談してみるかな。ところでこれから時間ある? 食事でも行かない?」
「行かない。福島に誘われたの」
「おっと、それは残念。じゃあ次の約束取り付けて帰るかな。今週末は?」
「……ペース早すぎない?」
「じゃあ来週」
「……日曜なら、まあ、空いてなくもないかも」
「薄々分かってたんだけど、あんたってオレに対してだけやたらとツンツンしてない? 照れ隠し?」
「さ、最初にこういう態度で始めた手前、なんか、タイミングが」
「はは、なにそれ。かわいい」
ボソボソと幼稚な言い訳をする私に、笹貫は吹き出すようにして笑った。しかしその言葉には悪意はなく、代わりになにか、とびきり甘ったるいものが込められていることを察して思わず俯く――ふと、床と2人分の足だけが映る視界にかかる影が、濃さを増した。反射的に後ずさろうととするも、やわらかく二の腕を掴まれ阻まれる。それとほぼ同時、顔のすぐ横に他人の気配を感じた。
「あんまりかわいいから、持って帰っちゃいたいなぁ」
「……!」
バッと音が出そうな勢いで顔を上げる。
こんな往来で何を、とか。その無駄に色っぽい声はなんなんだ、とか。人さらい反対、とか。彼の戯れのようなささやきを拒否する言葉はいくらでも頭に浮かんだ。しかしそれが言葉にならない。ただ顔を真っ赤にしてぱくぱくと口を上下させる私を見て、笹貫はいたずらっぽく挑戦的に細めていた目を丸くした。
「あれま、どうしちゃったの」
「ど、どうって、やめてもらえる!? そういうの!」
「ええ? この前まで全然動じてなかったじゃん」
「違う、そういうことじゃなくて、こんなとこで何をって話で……!」
「あ、もしかして、意識するようになっちゃった、とか? うれしいね。オレの涙ぐましい努力がようやく実を、お?」
笹貫の冗談めかした言葉が中途半端に遮られたのと、私の前に黒い影が現れたこと、それからやわやわと腕をつかんでいた手が離れていったのは、すべて同時だった。何事かと顔を上げれば、鼻先がくっついてしまいそうな距離に、黒くて広い背中が佇んでいる。誰かが私と笹貫の間に割って入ったらしいと気がつき、次いでその黒い背中の先――小豆色の髪の毛を見つけて、喉の奥からひゅっと悲鳴にならない悲鳴が飛び出していった。
「きみ、かのじょになにか?」
低い声が、頭上から降りてきた。低く落ち着いた声音は一見やわらかな印象を与えるが、時と場合によってはそれが見た目以上のずっしりとした重みを持つのだと、私は知っている。恐る恐る、その男の顔を後ろから覗き込む。小豆長光がにっこりと、明らかに貼り付けただけの笑顔を浮かべて笹貫を見ていた。
「あ、小豆……」
「ああ、すまないね、きゅうに。はためにみて、あまりいいじょうきょうにはみえなかったものだから」
「そ、それはー……」
「ただでさえ、さいきんわるいはなしばかりきいていただろう? かびんになるのも、しかたないとおもってもらいたい」
「そう、だね……あはは……確かにぃ……」
乾いた笑いを漏らしながら顔を小豆の後ろに引っ込める。急に弱気になった私を不思議に思ったのだろう、笹貫が困惑したように頬をかいているのが少しだけ見えた。
「えーっと、あんたは?」
「おや、なのりもせずしつれいしたね。わたしは小豆長光。きみは……うわさの、ちじんいがいのなにでもない笹貫、かな?」
「たはは、なんか悪い感じに広まってんのね、オレの名前」
「きをわるくしたかな?」
「まさか。上司には恵まれなくても、彼女はちゃんと愛されてんだなって、安心したよ。で、あんたは彼女の何?」
「かたなだ」
「へ?」
「わたしはかのじょのかたな。かのじょはわたしの、主にあたる」
「……へえ?」
笹貫が件の薄ら笑いを顔に乗せた時点で、面倒なことになったと一瞬で察した。
長船派の太刀・小豆長光は、私が就職した最初の年に顕現させた刀だ。新人のころからずっと二人三脚で仕事をこなしてきたから、それなりに絆は深い。修行にもとっくに行った。半年ほど前、上からの命令で刀を増やせと言われるまでは、彼以外の刀は必要ないと考えていたほどだ。もちろん福島が来てからは、その考えは撤回している。
小豆は小豆で私のことを対等なパートナーのように考えてくれているが、元の性分が世話焼きなのだろう、時折こうしてお節介をしてくる。そして普段は何をされても穏やかに笑っているのに、一度怒るとかなり怖い。どうやら彼が笹貫の件でわりとおかんむりだったらしいと悟り、頭を抱えるしかなかった。
「わたしがそとにでているあいだに、主がせわになったようだね」
「外?」
「小豆はここのところ単独行動してて! 別の部署と一緒に動く仕事だったから! ねっ、小豆!」
「ああ、ながくあけていたけれど、らいしゅうにはもどるよていだよ」
「ふぅん、出向、みたいな感じかな? それでオレは鬼のいぬ間になんとやらできてたってわけか」
「あああ小豆、鬼っていうのはただの慣用句だから! 他意はないと思うよ!」
「そんなにあせらずともわかっているよ、主。ところできみにけがをおわせたのも、このかたなでよかったかな?」
「なんで今聞くの!?」
「いまいがいに、いつきけば?」
「ほ、本人がいないときとか……!」
「なーに、そんな焦って。オレが負けちゃわないか心配?」
「バカッ、煽るな笹貫!」
「なんかオレへのツッコミ、雑じゃない?」
「うるさいな、もっと危機感持ってよ……! うちの小豆、いろんな意味で強いんだから……!」
「ほめことばとうけとっておくよ。……で? さっきはずいぶんとしきんきょりまでせまっていたようだけど、きみはうちの主とどういうかんけいなのかな?」
まずいと思った。ここで笹貫がいつものようにおちゃらけて「体の関係」とでも言おうものならば、小豆は私たちの首根っこを引っ掴んで会議室に連行し、長く重い説教を繰り出す可能性がある。しかもそれは最も軽いパターンで、最悪の場合、このまま笹貫の本丸までお伺いして向こうの主と膝をつき合わせて今後についてお話する、ということもありうる。いずれにせよ私にとっても笹貫にとっても、よろしくない。
(……腹くくるしかない!)
意を決して小豆の背後から飛び出し、2人の間に割って入る。背中は笹貫に向けた。余計なことを言わせないよう、小豆と正面から向き合ってニコニコと笑う彼を見上げる。少しだけ怯むが、勢いに任せて口を開いた。
「さっ、笹貫は私のっ……!」
「きみの?」
「私の、か、か、か、彼氏! です!」
「えっ?」
間の抜けた声は前ではなく後ろから聞こえた。心の中で笹貫に謝罪しながらも、小豆から目を離すことはできない。代わりに肘で笹貫のお腹を小突き、話を合わせるよう促す。
結局今に至るまで、私たちはこの関係性をはっきりさせてこなかった。今後も同じようなやり取りを繰り返しながら恋人関係に落ち着くのかもしれないという漠然とした予感はあったが、この年になって今さら改めて告白というのも気恥ずかしい。きっとあちらも同じような考えだったのだろう。あの日曜日の朝ですら、私も笹貫もそこに触れることはなかった。
けれど事ここに至っては、これが最善の選択だと確信している。
(だってどう紹介したって小豆の反応が怖すぎる……!)
知人。正しいが、知人と酒の勢いで一夜を共にしたのかと言われるとぐうの音も出ない。
友人。知人に同じく、ぐうの音も出ないことを言われる。あるいはより悪い反応をされる可能性もある。
恋人未満の曖昧な関係。今この場で白黒つけろと迫られるに決まっている。
体の関係。それを聞いた瞬間の小豆の顔など想像したくもない。
どれだけ考えても、はっきりと恋人同士なのだと断言してしまう方が傷は浅く済むだろう。
しかし小豆は訝しげに片眉を上げた。
「……なぜ、かれがおどろいているのかな?」
「な、何故とは」
「まさかとはおもうけれど、こいびとだとおもっていたのは主だけで、かれのほうはあそびでしかなかったとか」
「そそそそんなまさか! 彼氏だよ彼氏! すっごい彼氏! そうだよね、笹貫! ……笹貫!?」
口から鍛刀された男が何を黙っているのか。黙りこくる笹貫を、首だけ動かして振り返る――目に入った光景に、私の方もぽかんと口を開けることになった。
笹貫は私を見下ろしていた。その頬は、赤い。大きく見開かれた目はアイスブルーを隠すように少しずつ下ろされ、細められた目じりの赤に、どきりと心臓が跳ねる。すぐ後ろにある胸から、聞こえるはずのない心臓の音が聞こえる気がして、私の脈も速くなる。口元にあてた左手の隙間から見える唇は薄く弧を描き、内面からにじみ出る感情をそのまま私に伝えていた。
「……そっか、彼氏なんだ、オレ」
一言ずつ、噛みしめるような声に、思わず息をのむ。笹貫は私の様子に気が付くとじいと目を覗き込み、それから一息置いて、両手で私の頭をわし掴んだ。ぎょっとしたのも束の間、強引に首の位置を元に戻され、再び小豆と向き合うことになる。小豆は作り笑いをやめていた。笹貫を見定めるような視線に背筋が伸びる。ここで下手なことを言っては、私と笹貫の接触は金輪際断たれることになるだろう。緊張からつばをのみこむ。私の心境を知ってか知らずか、笹貫はすっと私の隣に立ち――流れるように私の肩に手を回し、彼の胸元まで引き寄せた。
「……ん!?」
「ご紹介にあずかりました、笹貫です。豊後の2650本丸所属の刀剣男士、兼、この子の彼氏。オレのかわいい子ともども、どうぞ、末永く、よろしく」
「バカー!」
「いてっ」
目の前の胸元をグーで叩くと、笹貫はさすがに少しよろめいて後ずさった。その拍子に肩を掴んでいた手も離れ、体の自由が戻ってくる。
(バカ! ほんとバカ! 全部違うし全部バカ! 小豆がそんなチャラいあいさつで認めるわけないじゃん!)
他にいくらでも言い様はあるはずなのに、何故一言一句、口調や動作もすべて、小豆の神経をあますことなくすべて逆なでするような方を選ぶのだろうか。痛がるふりをするだけでまったく悪びれていないのは、意図的にやっている証拠だろう。こんな男を彼氏と呼んで事態を丸く収めようとした1分前の自分が憎たらしい。にぎった拳をわなわなと震わせながら笹貫をにらみつけるが、彼はヘラヘラと笑うばかりで真剣に取り合う様子はなかった。
「取り込み中、かな?」
小豆と一緒になって冷たい視線を笹貫に突き刺している最中、山姥切を捕まえた福島が戻ってきた。福島は苦笑を浮かべ、山姥切はひどく呆れたような顔で首を振っている。見ただけでなんとなく状況を理解したらしい。「だから早く白黒つけろと言ったんだ」と正論を突き付けてくる打刀に、ムッとして彼を指さした。
「そもそも山姥切がっ」
「ひとをゆびささない」
思わず荒げた声の上から静かなお説教をかぶせられ、すっと手を下ろす。しかし当然気持ちは収まらなかったので、遮られた文句の続きを舌に乗せた。
「……そもそも山姥切が小豆と福島に余計なことバラすからこんなことになったんじゃん!」
「君が中途半端な嘘をついて彼らにポロポロ自白させられるのと、俺が客観的かつ理路整然と状況を説明するのとでは、後者の方が傷が浅く済んだと思うけどね」
「うぐ……」
「まあまあ、長義くんも小豆くんも、落ち着いて。主だって1人の大人なんだ。色恋沙汰のひとつやふたつ、起こって当然。ちゃんと恋人関係に落ち着いたなら、俺たちはあたたかかく見守るのが吉、じゃないかな?」
「正論だし俺は首を突っ込むつもりは毛頭ないけれど……主に彼氏ができるのは寂しいとさんざん喚いていたのは君では?」
「長義くん、忘れてくれって言ったよね……?」
「すまない、つい」
「とにもかくにも、主が長義をせめるのはおかどちがいだ」
「でっ、でも」
「わたしたちにしられてこまるようなことをしたのはだれかな?」
「私……」
「あやまりなさい」
「いわれのない罵倒を浴びせてごめんなさい……」
「くわしいはなしはみせできこう」
しょぼくれた私にため息をついて、小豆は改めて笹貫に視線を向けた。釣られるように私もそちらを見ると、なんと笹貫は右手で口元を、左手でお腹をおさえ、肩を震わせて笑っていた。
「は?」
「はは、声ひっく」
「なに笑ってんの? 今すぐ元カレにしてやってもいいんだけど?」
「ごめんごめん、仲良いんだなって思ったら、つい」
私たちの仲が良くて、何故大笑いされなければならないのか、まったく解せない。下げられるところまで口角を下げて眉を寄せると、笹貫は丸めていた背中をようやく伸ばして小豆を見た。目じりに浮いた涙をぬぐう様にさらに苛立ちが募るが、小豆の目配せを受けて口を閉ざす。
「ほんと、仲良くて驚いたよ。でも想像してたのとはちょっと違うかな」
「どんなそうぞうをしていたのか、さんこうまでにきいておきたいところだ」
「それは秘密。でも実際のとこ、オレから見ればまるで親子だね、あんたたち」
「……」
「オレってこれでかなーり嫉妬深い方だから、安心っちゃ安心だ」
「そちらだけあんしんされてもこまるのだが」
「ごもっとも。あんたたちの主を快く預けてもらえるよう、努力させてもらうよ。じゃ、来週の日曜に。迎えに行くからとびきりおめかして……今度はあんたが、オレのこと待ってて」
「分かった。分かったからもう黙って。これ以上余計なこと言う前に一刻も早く本丸に帰って」
未だ表情がない小豆と困ったように笑う福島、それから我関せずといった様子で近くの壁の掲示物を見ている山姥切。最後に口元を引きつらせる私を見て、笹貫は満足げに頷くと踵を返した。あっさりと帰ったのは意外だったのか、福島は感心したように「引き際は心得てるんだね」とつぶやいた。
「終わったかな?」
掲示物を端から端まで読み終わったらしい山姥切が涼しい顔で戻ってくる。福島は少しだけ笑って是を示すと、山姥切と並んで先を歩き始めた。私と小豆も顔を見合わせてからその後ろに続く。
「ぶんごの2650。おぼえたぞ」
「私が悪かったから本丸に乗り込むのはやめてね」
「そこまでかかんしょうするつもりはないぞ。ただ、おぼえておいてそんはないだろう?」
「そうですねー……」
「かれは、しんようがおけるおとこなのかな?」
「それは……ちょっと……分かんないっす……」
「すこしくらいわたしをあんしんさせようとしてくれてもいいとおもうぞ」
「う……でも嘘ついてもバレるし……」
「……なぜしんようできるかもわからないようなおとこをえらんだのか、りかいにくるしむのだが」
「……放っておけないから?」
「きみ……」
「……なに」
「かれがしごともせずにきみのへやにすみつきはじめたら、すぐにいうように」
「あの刀、ヒモ予備軍だと思われてる?」
「あとうちにもほうっておけないかたながひとふりいるから、しっかりめんどうをみてくれ」
2メートルほど先を歩くもう一振りの刀を見て、小豆はようやく表情を崩して少しだけ笑った。意外と冗談好きな刀だが、今のは冗談半分・本気半分といったところだろう。福島はしっかりしているしなんでもそつなくこなす刀だが、私から見てもどこか放っておけないところがある。それでも笹貫のような危うさはないから、あまり心配はしていなかった。
「福島は大丈夫だよ」
「おや、わたしがいないあいだに、そちらのなかもだいぶふかまったようだ」
「自分の刀を信用できないようじゃ困るもん」
「なるほど、かれはたにんのかたなだからまったくしんようがおけないと」
「あーあー! もう笹貫の話おしまい! 福島、何食べに行くの?」
耳が痛い話題から逃げるように駆けだし、福島と山姥切の背を追う。ふたりは振り向いて私が追い付くのを待ってくれたが、小走りの私よりも大股で歩いてきた小豆の方が早く彼らの元にたどりついてしまった。憮然として我が刀を見上げるも、小豆は福島と店の確認をするばかりで私のことなどこれっぽっちも気にしていない。なるほど、これは確かに子どものおしゃべりを無視する親のようだと、笹貫の例えに妙に納得してしまった。
(……嫉妬、してたんだよね)
先ほどの笹貫の言い分を思い返すに、おそらく様子がおかしかった原因はそこだったのだろう。私の刀であるという、決して笹貫が持ちえない肩書きひとつに嫉妬して、私を試そうとした。いつもの私ならば苛立ちが湧いてきてもおかしくないのに、今はただ、その子どものようなかわいらしい行動に、胸が締め付けられる。
(しょうがない刀。でも、小豆と福島は絶対にもらえない肩書きをあげたんだから……もうそんな嫉妬、する必要ない)
私に彼氏と呼ばれたときの、あの動揺した顔が頭の中に蘇る。きっと来週の日曜日、彼は意気揚々とその唯一の肩書きと花でも飛び交いそうなほどの幸福感を背負って、私のアパートまでやって来るのだろう。私もそれを表面上はうんざりと、心の中は愛情で満たしながら、出迎えるのだと思う。すっかりほだれてしまった自分に呆れかえるが、耳まで赤くして口元を隠す姿を見て――自分の腕の中でああも安心しきった顔で眠る姿を見て、ほだされない人間がいるだろうか。
「主、聞いてる? お肉と魚、どっちがいい?」
いつの間にぼうっとしていたのか、福島の問いかけにハッと顔を上げる。何かを考える間もなく咄嗟に「お肉」と答えれば、店が決まったらしく福島は意気揚々と店の場所と特徴を語り始めた。小豆は食にはうるさく、山姥切も外食に関してはわりとこだわりがある。刀たちだけで和気あいあいと盛り上がる姿を眺めながら、そのうち笹貫も連れていってあげられるだろうかと、黙って彼らの話に耳を傾けた。
「ちょっと元気になった?」
「おかげさまで。お詫びと言ってはなんだけど、どうかな、食事でも」
「いいね。私もこの間、すっぽかしちゃったしさ」
「そういえば、結局何があったんだい? 話しにくいことなら無理には聞かないけど」
「ああ……迷子探したりとかしてて」
「保護者は見つかった?」
「一応? あの日は疲れたなぁ。日曜日もしっかり寝坊しちゃった」
「……自分のことは棚に上げるけど、本当に心配したんだよ? 遅刻するし、全然来ないし、連絡つかないし」
「う……」
「今度からはもっと頼ってもらいたいな」
「気を付けます……」
「よろしい、なんてね。……せっかくだし、長義くんたちも誘おうか。声かけてくるよ」
思いついたように踵を返した福島を見送り、廊下の端に寄って帰りを待つ。他の部署はまだ帰る職員は少ないらしく、ぞろぞろと廊下に出てきた監査の面々を恨めしそうに見ていた。
(何食べに行くのかな)
ああして福島から誘ってきたということは、きっとすでに店は決めてあるのだろう。しかも間違いなくおいしいお店だ。そういった方面では長船の刀は絶対に外さないという確信がある。緩みそうになる頬を引き締めながらわくわくと福島を待っていると、ふと隣に誰かが並ぶ気配がした。反射的に隣を見上げると、斜め上では知った顔が他人行儀に微笑んで私を見下ろしていた。
「どーも。いいかな、お隣」
「……ダメって言ったらどっか行くの?」
「あれ、やっぱ区別つくんだ。すごいね」
機嫌良さそうにそう言って、笹貫はやわらかく口角を持ち上げた。赤の他人のふりをして近づいてきたのはどういう了見か。威勢よく問う前に「本当に分かるのかと思って」と答えが返ってきてしまったから、ムッと結んだ口元から言葉にならない相づちを漏らすことになった。
「……珍しいね、こんな時間に」
「今日は出陣帰り。はい、これ」
手渡された紙袋には、有名なスイーツ店のロゴが印刷されていた。上から覗き込めば、きれいな包装紙に包まれた箱が見える。どうやら菓子折りのようだが、そんなものをもらう心当たりがなかった。
「なに、これ」
「お詫びの菓子折り? 主と加州が、うちの刀がご迷惑おかけしましたって」
「あー……」
「本丸にまで電話してくれたんだって? なんか悪かったね」
「……顔は全然申し訳なさそうじゃないんだけど」
「分かる? そんなに必死にオレのこと探してくれたんだなーって、愛情を噛みしめてるとこ」
「ありがたくちょうだいしますってお伝えください」
「無視ときたか。今日も今日とてつれないね」
肩をすくめる笹貫は見るからに上機嫌だった。これは今に始まったことではなく、日曜の朝から続いている。
結局日曜日は笹貫の方が先に目覚めた。私がすやすやと惰眠を貪っている間に本当に朝食を準備し、それからはベッドの横でじっと私の目覚めを待っていたらしい。目覚めた瞬間、にじみ出る喜びを味わうような笑みと共にベッドに頬杖をつく刀と目が合った私の恐怖心は語るまでもないだろう。
「いいねぇ、こういうの。目が覚めたらあんたの腕の中にいて、早起きして朝食作って、好きな子が起きるのをゆったり待って……自分からあんたの匂いがするのも、うん、なんかすごく、いい」
朝食を食べる間、笹貫は何度もそうこぼしては私の目を見つめた。食器を片付け身支度し、駅から電車に押し込むまでの間も、彼はずっとニコニコと、毒気のない顔で笑っていたと思う。まるで夢をすべて叶えた子どものようだと感じたのは錯覚ではないだろう。彼は今日もまた、同じ顔で口の端を上げ、目を細めて私を見ていた。
「加州清光が、あんたに会ってみたいって言ってたよ。今度遊びに来てよ」
「……本丸の主さんが許可すれば」
「お、言ったね? じゃあ今夜にでも相談してみるかな。ところでこれから時間ある? 食事でも行かない?」
「行かない。福島に誘われたの」
「おっと、それは残念。じゃあ次の約束取り付けて帰るかな。今週末は?」
「……ペース早すぎない?」
「じゃあ来週」
「……日曜なら、まあ、空いてなくもないかも」
「薄々分かってたんだけど、あんたってオレに対してだけやたらとツンツンしてない? 照れ隠し?」
「さ、最初にこういう態度で始めた手前、なんか、タイミングが」
「はは、なにそれ。かわいい」
ボソボソと幼稚な言い訳をする私に、笹貫は吹き出すようにして笑った。しかしその言葉には悪意はなく、代わりになにか、とびきり甘ったるいものが込められていることを察して思わず俯く――ふと、床と2人分の足だけが映る視界にかかる影が、濃さを増した。反射的に後ずさろうととするも、やわらかく二の腕を掴まれ阻まれる。それとほぼ同時、顔のすぐ横に他人の気配を感じた。
「あんまりかわいいから、持って帰っちゃいたいなぁ」
「……!」
バッと音が出そうな勢いで顔を上げる。
こんな往来で何を、とか。その無駄に色っぽい声はなんなんだ、とか。人さらい反対、とか。彼の戯れのようなささやきを拒否する言葉はいくらでも頭に浮かんだ。しかしそれが言葉にならない。ただ顔を真っ赤にしてぱくぱくと口を上下させる私を見て、笹貫はいたずらっぽく挑戦的に細めていた目を丸くした。
「あれま、どうしちゃったの」
「ど、どうって、やめてもらえる!? そういうの!」
「ええ? この前まで全然動じてなかったじゃん」
「違う、そういうことじゃなくて、こんなとこで何をって話で……!」
「あ、もしかして、意識するようになっちゃった、とか? うれしいね。オレの涙ぐましい努力がようやく実を、お?」
笹貫の冗談めかした言葉が中途半端に遮られたのと、私の前に黒い影が現れたこと、それからやわやわと腕をつかんでいた手が離れていったのは、すべて同時だった。何事かと顔を上げれば、鼻先がくっついてしまいそうな距離に、黒くて広い背中が佇んでいる。誰かが私と笹貫の間に割って入ったらしいと気がつき、次いでその黒い背中の先――小豆色の髪の毛を見つけて、喉の奥からひゅっと悲鳴にならない悲鳴が飛び出していった。
「きみ、かのじょになにか?」
低い声が、頭上から降りてきた。低く落ち着いた声音は一見やわらかな印象を与えるが、時と場合によってはそれが見た目以上のずっしりとした重みを持つのだと、私は知っている。恐る恐る、その男の顔を後ろから覗き込む。小豆長光がにっこりと、明らかに貼り付けただけの笑顔を浮かべて笹貫を見ていた。
「あ、小豆……」
「ああ、すまないね、きゅうに。はためにみて、あまりいいじょうきょうにはみえなかったものだから」
「そ、それはー……」
「ただでさえ、さいきんわるいはなしばかりきいていただろう? かびんになるのも、しかたないとおもってもらいたい」
「そう、だね……あはは……確かにぃ……」
乾いた笑いを漏らしながら顔を小豆の後ろに引っ込める。急に弱気になった私を不思議に思ったのだろう、笹貫が困惑したように頬をかいているのが少しだけ見えた。
「えーっと、あんたは?」
「おや、なのりもせずしつれいしたね。わたしは小豆長光。きみは……うわさの、ちじんいがいのなにでもない笹貫、かな?」
「たはは、なんか悪い感じに広まってんのね、オレの名前」
「きをわるくしたかな?」
「まさか。上司には恵まれなくても、彼女はちゃんと愛されてんだなって、安心したよ。で、あんたは彼女の何?」
「かたなだ」
「へ?」
「わたしはかのじょのかたな。かのじょはわたしの、主にあたる」
「……へえ?」
笹貫が件の薄ら笑いを顔に乗せた時点で、面倒なことになったと一瞬で察した。
長船派の太刀・小豆長光は、私が就職した最初の年に顕現させた刀だ。新人のころからずっと二人三脚で仕事をこなしてきたから、それなりに絆は深い。修行にもとっくに行った。半年ほど前、上からの命令で刀を増やせと言われるまでは、彼以外の刀は必要ないと考えていたほどだ。もちろん福島が来てからは、その考えは撤回している。
小豆は小豆で私のことを対等なパートナーのように考えてくれているが、元の性分が世話焼きなのだろう、時折こうしてお節介をしてくる。そして普段は何をされても穏やかに笑っているのに、一度怒るとかなり怖い。どうやら彼が笹貫の件でわりとおかんむりだったらしいと悟り、頭を抱えるしかなかった。
「わたしがそとにでているあいだに、主がせわになったようだね」
「外?」
「小豆はここのところ単独行動してて! 別の部署と一緒に動く仕事だったから! ねっ、小豆!」
「ああ、ながくあけていたけれど、らいしゅうにはもどるよていだよ」
「ふぅん、出向、みたいな感じかな? それでオレは鬼のいぬ間になんとやらできてたってわけか」
「あああ小豆、鬼っていうのはただの慣用句だから! 他意はないと思うよ!」
「そんなにあせらずともわかっているよ、主。ところできみにけがをおわせたのも、このかたなでよかったかな?」
「なんで今聞くの!?」
「いまいがいに、いつきけば?」
「ほ、本人がいないときとか……!」
「なーに、そんな焦って。オレが負けちゃわないか心配?」
「バカッ、煽るな笹貫!」
「なんかオレへのツッコミ、雑じゃない?」
「うるさいな、もっと危機感持ってよ……! うちの小豆、いろんな意味で強いんだから……!」
「ほめことばとうけとっておくよ。……で? さっきはずいぶんとしきんきょりまでせまっていたようだけど、きみはうちの主とどういうかんけいなのかな?」
まずいと思った。ここで笹貫がいつものようにおちゃらけて「体の関係」とでも言おうものならば、小豆は私たちの首根っこを引っ掴んで会議室に連行し、長く重い説教を繰り出す可能性がある。しかもそれは最も軽いパターンで、最悪の場合、このまま笹貫の本丸までお伺いして向こうの主と膝をつき合わせて今後についてお話する、ということもありうる。いずれにせよ私にとっても笹貫にとっても、よろしくない。
(……腹くくるしかない!)
意を決して小豆の背後から飛び出し、2人の間に割って入る。背中は笹貫に向けた。余計なことを言わせないよう、小豆と正面から向き合ってニコニコと笑う彼を見上げる。少しだけ怯むが、勢いに任せて口を開いた。
「さっ、笹貫は私のっ……!」
「きみの?」
「私の、か、か、か、彼氏! です!」
「えっ?」
間の抜けた声は前ではなく後ろから聞こえた。心の中で笹貫に謝罪しながらも、小豆から目を離すことはできない。代わりに肘で笹貫のお腹を小突き、話を合わせるよう促す。
結局今に至るまで、私たちはこの関係性をはっきりさせてこなかった。今後も同じようなやり取りを繰り返しながら恋人関係に落ち着くのかもしれないという漠然とした予感はあったが、この年になって今さら改めて告白というのも気恥ずかしい。きっとあちらも同じような考えだったのだろう。あの日曜日の朝ですら、私も笹貫もそこに触れることはなかった。
けれど事ここに至っては、これが最善の選択だと確信している。
(だってどう紹介したって小豆の反応が怖すぎる……!)
知人。正しいが、知人と酒の勢いで一夜を共にしたのかと言われるとぐうの音も出ない。
友人。知人に同じく、ぐうの音も出ないことを言われる。あるいはより悪い反応をされる可能性もある。
恋人未満の曖昧な関係。今この場で白黒つけろと迫られるに決まっている。
体の関係。それを聞いた瞬間の小豆の顔など想像したくもない。
どれだけ考えても、はっきりと恋人同士なのだと断言してしまう方が傷は浅く済むだろう。
しかし小豆は訝しげに片眉を上げた。
「……なぜ、かれがおどろいているのかな?」
「な、何故とは」
「まさかとはおもうけれど、こいびとだとおもっていたのは主だけで、かれのほうはあそびでしかなかったとか」
「そそそそんなまさか! 彼氏だよ彼氏! すっごい彼氏! そうだよね、笹貫! ……笹貫!?」
口から鍛刀された男が何を黙っているのか。黙りこくる笹貫を、首だけ動かして振り返る――目に入った光景に、私の方もぽかんと口を開けることになった。
笹貫は私を見下ろしていた。その頬は、赤い。大きく見開かれた目はアイスブルーを隠すように少しずつ下ろされ、細められた目じりの赤に、どきりと心臓が跳ねる。すぐ後ろにある胸から、聞こえるはずのない心臓の音が聞こえる気がして、私の脈も速くなる。口元にあてた左手の隙間から見える唇は薄く弧を描き、内面からにじみ出る感情をそのまま私に伝えていた。
「……そっか、彼氏なんだ、オレ」
一言ずつ、噛みしめるような声に、思わず息をのむ。笹貫は私の様子に気が付くとじいと目を覗き込み、それから一息置いて、両手で私の頭をわし掴んだ。ぎょっとしたのも束の間、強引に首の位置を元に戻され、再び小豆と向き合うことになる。小豆は作り笑いをやめていた。笹貫を見定めるような視線に背筋が伸びる。ここで下手なことを言っては、私と笹貫の接触は金輪際断たれることになるだろう。緊張からつばをのみこむ。私の心境を知ってか知らずか、笹貫はすっと私の隣に立ち――流れるように私の肩に手を回し、彼の胸元まで引き寄せた。
「……ん!?」
「ご紹介にあずかりました、笹貫です。豊後の2650本丸所属の刀剣男士、兼、この子の彼氏。オレのかわいい子ともども、どうぞ、末永く、よろしく」
「バカー!」
「いてっ」
目の前の胸元をグーで叩くと、笹貫はさすがに少しよろめいて後ずさった。その拍子に肩を掴んでいた手も離れ、体の自由が戻ってくる。
(バカ! ほんとバカ! 全部違うし全部バカ! 小豆がそんなチャラいあいさつで認めるわけないじゃん!)
他にいくらでも言い様はあるはずなのに、何故一言一句、口調や動作もすべて、小豆の神経をあますことなくすべて逆なでするような方を選ぶのだろうか。痛がるふりをするだけでまったく悪びれていないのは、意図的にやっている証拠だろう。こんな男を彼氏と呼んで事態を丸く収めようとした1分前の自分が憎たらしい。にぎった拳をわなわなと震わせながら笹貫をにらみつけるが、彼はヘラヘラと笑うばかりで真剣に取り合う様子はなかった。
「取り込み中、かな?」
小豆と一緒になって冷たい視線を笹貫に突き刺している最中、山姥切を捕まえた福島が戻ってきた。福島は苦笑を浮かべ、山姥切はひどく呆れたような顔で首を振っている。見ただけでなんとなく状況を理解したらしい。「だから早く白黒つけろと言ったんだ」と正論を突き付けてくる打刀に、ムッとして彼を指さした。
「そもそも山姥切がっ」
「ひとをゆびささない」
思わず荒げた声の上から静かなお説教をかぶせられ、すっと手を下ろす。しかし当然気持ちは収まらなかったので、遮られた文句の続きを舌に乗せた。
「……そもそも山姥切が小豆と福島に余計なことバラすからこんなことになったんじゃん!」
「君が中途半端な嘘をついて彼らにポロポロ自白させられるのと、俺が客観的かつ理路整然と状況を説明するのとでは、後者の方が傷が浅く済んだと思うけどね」
「うぐ……」
「まあまあ、長義くんも小豆くんも、落ち着いて。主だって1人の大人なんだ。色恋沙汰のひとつやふたつ、起こって当然。ちゃんと恋人関係に落ち着いたなら、俺たちはあたたかかく見守るのが吉、じゃないかな?」
「正論だし俺は首を突っ込むつもりは毛頭ないけれど……主に彼氏ができるのは寂しいとさんざん喚いていたのは君では?」
「長義くん、忘れてくれって言ったよね……?」
「すまない、つい」
「とにもかくにも、主が長義をせめるのはおかどちがいだ」
「でっ、でも」
「わたしたちにしられてこまるようなことをしたのはだれかな?」
「私……」
「あやまりなさい」
「いわれのない罵倒を浴びせてごめんなさい……」
「くわしいはなしはみせできこう」
しょぼくれた私にため息をついて、小豆は改めて笹貫に視線を向けた。釣られるように私もそちらを見ると、なんと笹貫は右手で口元を、左手でお腹をおさえ、肩を震わせて笑っていた。
「は?」
「はは、声ひっく」
「なに笑ってんの? 今すぐ元カレにしてやってもいいんだけど?」
「ごめんごめん、仲良いんだなって思ったら、つい」
私たちの仲が良くて、何故大笑いされなければならないのか、まったく解せない。下げられるところまで口角を下げて眉を寄せると、笹貫は丸めていた背中をようやく伸ばして小豆を見た。目じりに浮いた涙をぬぐう様にさらに苛立ちが募るが、小豆の目配せを受けて口を閉ざす。
「ほんと、仲良くて驚いたよ。でも想像してたのとはちょっと違うかな」
「どんなそうぞうをしていたのか、さんこうまでにきいておきたいところだ」
「それは秘密。でも実際のとこ、オレから見ればまるで親子だね、あんたたち」
「……」
「オレってこれでかなーり嫉妬深い方だから、安心っちゃ安心だ」
「そちらだけあんしんされてもこまるのだが」
「ごもっとも。あんたたちの主を快く預けてもらえるよう、努力させてもらうよ。じゃ、来週の日曜に。迎えに行くからとびきりおめかして……今度はあんたが、オレのこと待ってて」
「分かった。分かったからもう黙って。これ以上余計なこと言う前に一刻も早く本丸に帰って」
未だ表情がない小豆と困ったように笑う福島、それから我関せずといった様子で近くの壁の掲示物を見ている山姥切。最後に口元を引きつらせる私を見て、笹貫は満足げに頷くと踵を返した。あっさりと帰ったのは意外だったのか、福島は感心したように「引き際は心得てるんだね」とつぶやいた。
「終わったかな?」
掲示物を端から端まで読み終わったらしい山姥切が涼しい顔で戻ってくる。福島は少しだけ笑って是を示すと、山姥切と並んで先を歩き始めた。私と小豆も顔を見合わせてからその後ろに続く。
「ぶんごの2650。おぼえたぞ」
「私が悪かったから本丸に乗り込むのはやめてね」
「そこまでかかんしょうするつもりはないぞ。ただ、おぼえておいてそんはないだろう?」
「そうですねー……」
「かれは、しんようがおけるおとこなのかな?」
「それは……ちょっと……分かんないっす……」
「すこしくらいわたしをあんしんさせようとしてくれてもいいとおもうぞ」
「う……でも嘘ついてもバレるし……」
「……なぜしんようできるかもわからないようなおとこをえらんだのか、りかいにくるしむのだが」
「……放っておけないから?」
「きみ……」
「……なに」
「かれがしごともせずにきみのへやにすみつきはじめたら、すぐにいうように」
「あの刀、ヒモ予備軍だと思われてる?」
「あとうちにもほうっておけないかたながひとふりいるから、しっかりめんどうをみてくれ」
2メートルほど先を歩くもう一振りの刀を見て、小豆はようやく表情を崩して少しだけ笑った。意外と冗談好きな刀だが、今のは冗談半分・本気半分といったところだろう。福島はしっかりしているしなんでもそつなくこなす刀だが、私から見てもどこか放っておけないところがある。それでも笹貫のような危うさはないから、あまり心配はしていなかった。
「福島は大丈夫だよ」
「おや、わたしがいないあいだに、そちらのなかもだいぶふかまったようだ」
「自分の刀を信用できないようじゃ困るもん」
「なるほど、かれはたにんのかたなだからまったくしんようがおけないと」
「あーあー! もう笹貫の話おしまい! 福島、何食べに行くの?」
耳が痛い話題から逃げるように駆けだし、福島と山姥切の背を追う。ふたりは振り向いて私が追い付くのを待ってくれたが、小走りの私よりも大股で歩いてきた小豆の方が早く彼らの元にたどりついてしまった。憮然として我が刀を見上げるも、小豆は福島と店の確認をするばかりで私のことなどこれっぽっちも気にしていない。なるほど、これは確かに子どものおしゃべりを無視する親のようだと、笹貫の例えに妙に納得してしまった。
(……嫉妬、してたんだよね)
先ほどの笹貫の言い分を思い返すに、おそらく様子がおかしかった原因はそこだったのだろう。私の刀であるという、決して笹貫が持ちえない肩書きひとつに嫉妬して、私を試そうとした。いつもの私ならば苛立ちが湧いてきてもおかしくないのに、今はただ、その子どものようなかわいらしい行動に、胸が締め付けられる。
(しょうがない刀。でも、小豆と福島は絶対にもらえない肩書きをあげたんだから……もうそんな嫉妬、する必要ない)
私に彼氏と呼ばれたときの、あの動揺した顔が頭の中に蘇る。きっと来週の日曜日、彼は意気揚々とその唯一の肩書きと花でも飛び交いそうなほどの幸福感を背負って、私のアパートまでやって来るのだろう。私もそれを表面上はうんざりと、心の中は愛情で満たしながら、出迎えるのだと思う。すっかりほだれてしまった自分に呆れかえるが、耳まで赤くして口元を隠す姿を見て――自分の腕の中でああも安心しきった顔で眠る姿を見て、ほだされない人間がいるだろうか。
「主、聞いてる? お肉と魚、どっちがいい?」
いつの間にぼうっとしていたのか、福島の問いかけにハッと顔を上げる。何かを考える間もなく咄嗟に「お肉」と答えれば、店が決まったらしく福島は意気揚々と店の場所と特徴を語り始めた。小豆は食にはうるさく、山姥切も外食に関してはわりとこだわりがある。刀たちだけで和気あいあいと盛り上がる姿を眺めながら、そのうち笹貫も連れていってあげられるだろうかと、黙って彼らの話に耳を傾けた。
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