The trap(ぶぜさに)
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畑に向かうと、ちょうど出陣を終えたばかりの桑名がいくつかの農具を運んできたところだった。畑当番の面々はすでに仕事を終えたようで、他に男士はいない。桑名は豊前を見ると、不思議そうに「珍しいね」と言った。
「豊前が自分から畑に来るなんて」
「たまにはな。トマト、とんだろ?」
「ああ、そういう? 困るよなあ、畑を口実に使うなんてさ」
「そう言うなって」
「……まあいいけど。収穫の前に一仕事してもらうよ」
はいと渡された軍手を豊前はしばし無言で見つめていたが、腹をくくったのか「しゃーねーな!」と畑に足を踏み入れた。
「はい、主も。畑で特別扱いとかはなしだからね」
「うん」
軍手をはめて長靴に履き替え、午前中の雨でぬかるんだ畑に入る。やわらかい土の上を歩くのもだいぶ慣れた。桑名に指示されるままに畑当番たちのやり残しや、普段手が回らない細かな作業に没頭し、気が付けば2時間ほど経過していた。桑名は2人だけとはいえ人手が増えたことを大層喜び、汗だくになった私たちにとびきりいい笑顔を向けた。
「助かったよ。その調子で、毎日畑に来てくれたらうれしいんだけど」
「それは勘弁。前も言ったろ? 桑名みてーにうまくできねーし……適材適所ってやつだ」
「分かった、豊前はもういいよ。でも主は畑仕事も嫌いじゃないでしょ?」
「そうだね、結構楽しい。週に何回かならやりたいな。……暑いのはちょっと辛いけど」
「なら早朝においでよ。僕、大抵いるし」
「そっか、じゃあ明日からたまに来るね」
「そう言ってくれると思ってたよ。ね、豊前」
「……」
「豊前?」
「……早朝なら、俺も大抵走ってっから」
「うん?」
「ついでにちょっと寄るくらいならできる」
「え、別にいいよ、無理しなくて。豊前、そんなに戦力にならないし」
「やる」
急に意地を張り始めた豊前に、桑名は困惑した様子で頬をかいた。豊前が私への対抗意識を抱いたのか、それとも別の意図があるのかは定かではない。桑名が「ちょっと本気になりすぎじゃない?」と呆れた声で言うと、豊前は「遊びじゃねーからな」とそっぽを向いた。
畑の守護神から許可をいただいたので、早速豊前とともにトマトが植えてある一角へ向かった。私がトマト好きだと知ってから、桑名がわざわざ作ってくれたスペースだ。何種類かのトマトが栽培されており、少しずつ時期をずらしながら収穫できるようになっているのだと誇らしげに語っていた。
「トマトは水あげすぎない方がいいらしいよ」
「そうなん?」
「乾燥してる方が甘くなるんだって。桑名ってなんでも知ってるよね」
「畑好きだかんな、あいつ」
胸くらいの高さまで伸びたトマトの前にしゃがみこみ、赤くなった実を探す。本格的に収穫できる時期はまだ先らしく、実はついているものの緑色のものばかりが見つかる。茎も葉も緑色なのだから赤いトマトなど簡単に見つかりそうなものなのに、意外にもなかなか見つけることができなかった。
「全然見つけられない。赤いのあるって言ってたよね?」
「んー……」
「もっと奥の方かな……ええー……ないじゃんかー……」
「……あれじゃねーか?」
「どれ?」
「ほら、そこの葉っぱの裏」
「! ほんとだ!」
隣にしゃがみこんだ豊前が指さす先の葉をめくると、鮮やかな赤色がパッと姿を現した。他の実を落とさないよう慎重に茎から実を外し、親指と人差し指でつまみ上げる。雲の切れ間から差し込む日光にかざすように持ち上げると、ツヤツヤとした皮が光を反射して輝いた。
「野菜ってよく見るときれいだよね……」
「……そだな、きれーだ。食っちまいたい」
「あはは、ちょっと待ってて。豊前の分もちゃんと」
探すから、と続けようとして、言葉を切る。
赤い両目が、私を見ていた。採れたてのおいしそうなトマトではなく、私を――透き通るような赤色の目が、私を捉えて細められる。目じりから頬にかけて紅潮しているように見えるのは、屋外での畑仕事のあとだからだろうか。少し疲労をにじませながら、けれど溢れ出る幸せを噛みしめるように弧を描く唇が、薄く開いて同じ言葉を繰り返す。
「きれいだよ」
お互いに汗だくで手足は泥だらけ、全身が土ぼこりにまみれている。だから決して、私のことを言ったわけではない。けれど真っ直ぐに両の目を合わせながら紡がれた言葉に、心臓が内側から膨れ上がるような感覚がした。膨張した心臓はそのままの大きさで脈を刻み、たくさんの血液を全身に流す。元々上がっていた体温がさらに上昇したのは気のせいではないだろう。次いで頭の中が真っ白になり、唯一、目の前の刀が発した言葉だけがぐるぐると回り出す。
(私じゃない、私じゃない、トマトの話)
必死に自分自身に言い聞かせる。豊前に他意はない。私が振ったトマトの話に乗ってくれただけだ。そうでなければ、いったいなんだというのだ。あの瞳の奥にくすぶる感情の名前など、私は知らない。知ってはいけない。そう思うのに、どうして目をそらすことができないのだろう。
不意に、篭手切の言葉が脳裏によぎる。
両思い。豊前以外のみんながそう思っていたのだと、彼は言っていた。本当に、そうなのだろうか。豊前も、私も。お互いのことが、特別に好きなのだろうか。もし、そうなのだとしたら――まとわつくような不快な湿気を忘れて、赤色に見入る。トマトよりも鮮やかで、太陽の光を透かすような宝石のような瞳。ふと、豊前が何かに気が付いたように、わずかにまぶたを押し上げた。それから軍手をとって泥を払っただけの手が、ゆっくりとこちらに伸びてくる。先ほどまでの私ならば飛びのいていたところだが、何故か体は動かない。豊前の右の手の甲が私の右の頬を軽くなでても、少しずつ彼が距離を詰めてきても、ただ豊前の両目を見つめることしかできない。呼吸さえも忘れて、ただされるがままになっていた私の時を動かしたのは、桑名の声だった。
「主ー? トマト見つけたー?」
「っ!」
ハッと我に返るのと同時に、まず呼吸が戻ってきた。それから思考が、次いで指先までのコントロール権が戻ってくる。私は何をしていたんだ。直前までの自分の行動が信じられない。慌てて視線を豊前から引きはがし、掲げたままだったトマトに向ける。
「主? どこ?」
「みっ、みみみ見つけましたトマト!!!! ギャア!?」
「あっ」
反射的に立ち上がろうとして、そういえば眼前に豊前のきれいなお顔が迫っていたことに気が付いた。このまま立てばばっちりお顔同士がぶつかってしまう。しかし急に止まることもできず咄嗟に背中をそらすも、バランスを崩してそのまま後ろに傾いていく。支えようと伸ばされた豊前の手は虚しく空気を掴み、私は背中から地面に転がった。トマトの向こうからひょっこり顔を出した桑名は、しばらく唖然とした様子で私と豊前を見ていた。
「……大丈夫? ……ていうか、何してたの?」
「ななな何も!? 何って何!?」
「何って……豊前?」
「……あー! 好かん、こういうの!」
「!?」
突然叫んだかと思えばがしがしと髪の毛をかき乱し始めた豊前にびくりと肩を揺らす。桑名は特に動じた様子もなく、私のことを起こすと、手際よく土や泥を払ってくれた。
「あ、ありがと」
「トマト見つけた?」
「うん、これ」
「もうちょっとあると思うよ。あとで探してあげる」
「う、うん……あの、豊前はいったい……」
「頭冷やしてるとこじゃない? ちょっと待っててあげて」
「主!!」
「待たなくても良さそう」
すっとどいた桑名の後ろに立ち上がった豊前が見えた。ずかずかと大股で歩み寄ってきたかと思えば、がしりと私の両肩を掴んで目線を合わせてくる。相変わらず頬は赤く染まっていたが、表情はまるで違っていた。どこか自棄になっているような、それでいて腹をくくったような顔で豊前は口を開く。
「今夜、部屋で待ってっから!」
「……はい!?」
「こういう、なんつーか、じっくり進めんのもいいかなって思ってたけど、やっぱ性に合わん! 決着つけよーぜ!」
「何の!?」
「逃げんなよ!」
「待って豊前行かないで説明して全部分かんない!」
引き留める声も虚しく、豊前は驚きの速さで母屋の方へ駆けていってしまった。物理的にも精神的にも置き去りにされ、手のひらの上にトマトを乗せたまま呆然と立ちすくむ私の肩を、桑名が優しく叩く。
「ご愁傷様」
「何故……憐れまれているのでしょうか……」
「豊前、あれでかなりしつこいし負けず嫌いだから」
「決闘か何かするの……? もしかして私死ぬ……?」
「ご愁傷様」
桑名は詳細は語ってくれなかったが、代わりと言わんばかりに見つけたトマトを私の両手いっぱいに乗せてくれた。そしてそのまま厨に送り出される。よく分からないままとぼとぼと厨に向かえば、一目で畑帰りだと分かる風体の私を見つけた松井が心底嫌そうに眉を寄せた。
「豊前が自分から畑に来るなんて」
「たまにはな。トマト、とんだろ?」
「ああ、そういう? 困るよなあ、畑を口実に使うなんてさ」
「そう言うなって」
「……まあいいけど。収穫の前に一仕事してもらうよ」
はいと渡された軍手を豊前はしばし無言で見つめていたが、腹をくくったのか「しゃーねーな!」と畑に足を踏み入れた。
「はい、主も。畑で特別扱いとかはなしだからね」
「うん」
軍手をはめて長靴に履き替え、午前中の雨でぬかるんだ畑に入る。やわらかい土の上を歩くのもだいぶ慣れた。桑名に指示されるままに畑当番たちのやり残しや、普段手が回らない細かな作業に没頭し、気が付けば2時間ほど経過していた。桑名は2人だけとはいえ人手が増えたことを大層喜び、汗だくになった私たちにとびきりいい笑顔を向けた。
「助かったよ。その調子で、毎日畑に来てくれたらうれしいんだけど」
「それは勘弁。前も言ったろ? 桑名みてーにうまくできねーし……適材適所ってやつだ」
「分かった、豊前はもういいよ。でも主は畑仕事も嫌いじゃないでしょ?」
「そうだね、結構楽しい。週に何回かならやりたいな。……暑いのはちょっと辛いけど」
「なら早朝においでよ。僕、大抵いるし」
「そっか、じゃあ明日からたまに来るね」
「そう言ってくれると思ってたよ。ね、豊前」
「……」
「豊前?」
「……早朝なら、俺も大抵走ってっから」
「うん?」
「ついでにちょっと寄るくらいならできる」
「え、別にいいよ、無理しなくて。豊前、そんなに戦力にならないし」
「やる」
急に意地を張り始めた豊前に、桑名は困惑した様子で頬をかいた。豊前が私への対抗意識を抱いたのか、それとも別の意図があるのかは定かではない。桑名が「ちょっと本気になりすぎじゃない?」と呆れた声で言うと、豊前は「遊びじゃねーからな」とそっぽを向いた。
畑の守護神から許可をいただいたので、早速豊前とともにトマトが植えてある一角へ向かった。私がトマト好きだと知ってから、桑名がわざわざ作ってくれたスペースだ。何種類かのトマトが栽培されており、少しずつ時期をずらしながら収穫できるようになっているのだと誇らしげに語っていた。
「トマトは水あげすぎない方がいいらしいよ」
「そうなん?」
「乾燥してる方が甘くなるんだって。桑名ってなんでも知ってるよね」
「畑好きだかんな、あいつ」
胸くらいの高さまで伸びたトマトの前にしゃがみこみ、赤くなった実を探す。本格的に収穫できる時期はまだ先らしく、実はついているものの緑色のものばかりが見つかる。茎も葉も緑色なのだから赤いトマトなど簡単に見つかりそうなものなのに、意外にもなかなか見つけることができなかった。
「全然見つけられない。赤いのあるって言ってたよね?」
「んー……」
「もっと奥の方かな……ええー……ないじゃんかー……」
「……あれじゃねーか?」
「どれ?」
「ほら、そこの葉っぱの裏」
「! ほんとだ!」
隣にしゃがみこんだ豊前が指さす先の葉をめくると、鮮やかな赤色がパッと姿を現した。他の実を落とさないよう慎重に茎から実を外し、親指と人差し指でつまみ上げる。雲の切れ間から差し込む日光にかざすように持ち上げると、ツヤツヤとした皮が光を反射して輝いた。
「野菜ってよく見るときれいだよね……」
「……そだな、きれーだ。食っちまいたい」
「あはは、ちょっと待ってて。豊前の分もちゃんと」
探すから、と続けようとして、言葉を切る。
赤い両目が、私を見ていた。採れたてのおいしそうなトマトではなく、私を――透き通るような赤色の目が、私を捉えて細められる。目じりから頬にかけて紅潮しているように見えるのは、屋外での畑仕事のあとだからだろうか。少し疲労をにじませながら、けれど溢れ出る幸せを噛みしめるように弧を描く唇が、薄く開いて同じ言葉を繰り返す。
「きれいだよ」
お互いに汗だくで手足は泥だらけ、全身が土ぼこりにまみれている。だから決して、私のことを言ったわけではない。けれど真っ直ぐに両の目を合わせながら紡がれた言葉に、心臓が内側から膨れ上がるような感覚がした。膨張した心臓はそのままの大きさで脈を刻み、たくさんの血液を全身に流す。元々上がっていた体温がさらに上昇したのは気のせいではないだろう。次いで頭の中が真っ白になり、唯一、目の前の刀が発した言葉だけがぐるぐると回り出す。
(私じゃない、私じゃない、トマトの話)
必死に自分自身に言い聞かせる。豊前に他意はない。私が振ったトマトの話に乗ってくれただけだ。そうでなければ、いったいなんだというのだ。あの瞳の奥にくすぶる感情の名前など、私は知らない。知ってはいけない。そう思うのに、どうして目をそらすことができないのだろう。
不意に、篭手切の言葉が脳裏によぎる。
両思い。豊前以外のみんながそう思っていたのだと、彼は言っていた。本当に、そうなのだろうか。豊前も、私も。お互いのことが、特別に好きなのだろうか。もし、そうなのだとしたら――まとわつくような不快な湿気を忘れて、赤色に見入る。トマトよりも鮮やかで、太陽の光を透かすような宝石のような瞳。ふと、豊前が何かに気が付いたように、わずかにまぶたを押し上げた。それから軍手をとって泥を払っただけの手が、ゆっくりとこちらに伸びてくる。先ほどまでの私ならば飛びのいていたところだが、何故か体は動かない。豊前の右の手の甲が私の右の頬を軽くなでても、少しずつ彼が距離を詰めてきても、ただ豊前の両目を見つめることしかできない。呼吸さえも忘れて、ただされるがままになっていた私の時を動かしたのは、桑名の声だった。
「主ー? トマト見つけたー?」
「っ!」
ハッと我に返るのと同時に、まず呼吸が戻ってきた。それから思考が、次いで指先までのコントロール権が戻ってくる。私は何をしていたんだ。直前までの自分の行動が信じられない。慌てて視線を豊前から引きはがし、掲げたままだったトマトに向ける。
「主? どこ?」
「みっ、みみみ見つけましたトマト!!!! ギャア!?」
「あっ」
反射的に立ち上がろうとして、そういえば眼前に豊前のきれいなお顔が迫っていたことに気が付いた。このまま立てばばっちりお顔同士がぶつかってしまう。しかし急に止まることもできず咄嗟に背中をそらすも、バランスを崩してそのまま後ろに傾いていく。支えようと伸ばされた豊前の手は虚しく空気を掴み、私は背中から地面に転がった。トマトの向こうからひょっこり顔を出した桑名は、しばらく唖然とした様子で私と豊前を見ていた。
「……大丈夫? ……ていうか、何してたの?」
「ななな何も!? 何って何!?」
「何って……豊前?」
「……あー! 好かん、こういうの!」
「!?」
突然叫んだかと思えばがしがしと髪の毛をかき乱し始めた豊前にびくりと肩を揺らす。桑名は特に動じた様子もなく、私のことを起こすと、手際よく土や泥を払ってくれた。
「あ、ありがと」
「トマト見つけた?」
「うん、これ」
「もうちょっとあると思うよ。あとで探してあげる」
「う、うん……あの、豊前はいったい……」
「頭冷やしてるとこじゃない? ちょっと待っててあげて」
「主!!」
「待たなくても良さそう」
すっとどいた桑名の後ろに立ち上がった豊前が見えた。ずかずかと大股で歩み寄ってきたかと思えば、がしりと私の両肩を掴んで目線を合わせてくる。相変わらず頬は赤く染まっていたが、表情はまるで違っていた。どこか自棄になっているような、それでいて腹をくくったような顔で豊前は口を開く。
「今夜、部屋で待ってっから!」
「……はい!?」
「こういう、なんつーか、じっくり進めんのもいいかなって思ってたけど、やっぱ性に合わん! 決着つけよーぜ!」
「何の!?」
「逃げんなよ!」
「待って豊前行かないで説明して全部分かんない!」
引き留める声も虚しく、豊前は驚きの速さで母屋の方へ駆けていってしまった。物理的にも精神的にも置き去りにされ、手のひらの上にトマトを乗せたまま呆然と立ちすくむ私の肩を、桑名が優しく叩く。
「ご愁傷様」
「何故……憐れまれているのでしょうか……」
「豊前、あれでかなりしつこいし負けず嫌いだから」
「決闘か何かするの……? もしかして私死ぬ……?」
「ご愁傷様」
桑名は詳細は語ってくれなかったが、代わりと言わんばかりに見つけたトマトを私の両手いっぱいに乗せてくれた。そしてそのまま厨に送り出される。よく分からないままとぼとぼと厨に向かえば、一目で畑帰りだと分かる風体の私を見つけた松井が心底嫌そうに眉を寄せた。