The trap(ぶぜさに)
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湿気が伴う不快な暑さから逃れたくて飛び込んだ共用スペースで、氷たっぷりの麦茶をすすりながらぼんやりとテレビを眺める。先に涼んでいた篭手切江が見ていた、現世のアイドルのライブ映像だ。刀剣男士たちに負けず劣らずのキラキラとしたお顔を輝かせながら歌って踊る様を見るのは、ファンでなくともそこそこ楽しい。座卓を挟んだ向こう側で一心不乱にノートに何か書き込んでいる篭手切を横目に何かおかしでもなかったかと記憶をたどっていると、ふと「そういえば」と声がかかった。
「りいだあと何かありました?」
「な、何かとは……?」
「近頃りいだあが、少し落ち込んでいるようでしたので」
「それって、私と何か関係が……?」
「ないんですか?」
当然あるだろうと言いたげな篭手切に頭を抱える。実のところ、確かに思い当たる節はあった。先週、「豊前の距離感がおかしい疑惑」が浮上してから、彼を避けるようになった。避けるといっても、彼と会わないよう露骨に逃げ回るようななことはしていない。豊前が普段のように1メートル以内に近寄ろうとすると一歩下がってしまったり、20センチの距離まで迫ると挙動不審になって飛びのいてしまったり、その程度だ。自分ではできる限り自然に振る舞えていただろうと思い込んでいたが、周りから見るとそうでもなかったらしい。事の顛末をかいつまんで話すと、篭手切は「確かに主の様子はおかしかったです」と私の努力を切って捨てた。
「りいだあを見ると真っ赤になったり真っ青になったり」
「うそじゃん……そんなに顔に出てた……?」
「桑名さんはとうとうりいだあが主に手を出したのではないかと心配していました」
「とうとう……? とうとうってなに……?」
「えっ?」
うそでしょ、みたいな目で篭手切は私を見た。気のせいでなければ若干引いている。何故私がそのような顔を向けられなければならないのか――そう思う反面、やはりもしかして、と思ってしまう。
「……あの、篭手切さん? その、マジですか、みたいな目やめてもらってもいいですか……?」
「えっ、だって主……まさか自覚なかったんですか?」
「その、それは、その、もしかして、自意識過剰だったら忘れてほしいんだけど……ぶっ、豊前ってもしかして、ええっと、その……」
「りいだあが主をお慕いしているのは主も含めた本丸中の全員が知っていると思っていました」
「おう……」
「というか主もりいだあをお慕いしていて告白だけをしていない状態なのだと思っていました」
まさか、とつぶやきながらまじまじと私を見る篭手切から隠れるように座卓に突っ伏す。鏡を見なくとも分かるほど顔が赤い。それはそうだろう。他人から特別な好意を向けられることに慣れている人など、そうはいない。
(ていうか、やっぱりそうだったんだ……)
突っ伏しついでに頭を抱え、低い声でうめき声をあげる。
万屋から戻ってきてから何度も考えた。もしかして豊前は、私に好意を持ってくれているのではないか。それも他の男士たちが主を慕うのとは異なる、特別な感情を向けてくれているのではないか。だから距離が近い。時折触れようとする。甘い言葉だって平気でかけていく。全部が全部というわけではないだろうが、それでもあの言動のいくつかは、豊前が抱いている特別な思いの表れなのではないか。何度もそんな可能性が頭をよぎり、同じ回数だけ否定した。
「でも、豊前って誰に対してもああじゃない?」
今もまた、咄嗟に否定の言葉を口にしていた。篭手切を信じていないわけではないが、どうにも豊前が私を好いているという可能性を飲み込むことができない。くぐもった問いかけに篭手切はしばし考えるような間をおいて、そんなことはないとさらに私の言葉を否定した。
「確かにりいだあは誰にでも優しくて親切ですが……距離感は正しく測れる方だと思いますよ。おかしいのは主に対してだけです」
「でっ、でも! 本丸には私以外女の人いないし!」
「研修やおつかいで出会った女性に対してもりいだあは紳士的ですよ。一定の距離は保ちますし、体に触れるなんてもってのほかです」
「うう……」
「……すみません、両思いだと思っていたので特に口出しはしなかったのですが、もしかして違いましたか? 主にとっては、りいだあの振る舞いは不快だったとか……」
「ふ、不快ってわけじゃ……え、ていうか両思いって、なんでそんな、え? みんなそう思ってるの? いつから?」
「ずっと」
「ずっとっていつ!?」
「ずっとはずっとです。具体的には……りいだあに顔を寄せられても動じなくなった辺りから?」
「あれは豊前ってこういう性格なんだなって割り切っただけで……!」
「呼んだか?」
先週ぶりにひゅっと喉の奥からかすれた音が漏れていった。ギギギと音が鳴りそうなほどぎこちなく振り向けば、少し開いた障子戸に手をかけた豊前江が室内を覗き込んでいる。午前中まで降っていた雨の名残りか、青空に浮いたグレーの雲を背負ってもなお豊前の笑顔はキラキラと輝いて見える。まるでテレビの中の名前も知らないアイドルたちのようだ。外から吹き込んできた生ぬるい風も不思議とそれほど不快ではない。不快なのは、自分の内側でドコドコ鳴り始めた心臓の方だった。
「一緒にすていじ見てたのか?」
「え、ええ、まあ、そうですね……」
「なんなん、その話し方」
明らかに挙動不審な私のことなど大して気にせず、おもしろそうに笑いながら豊前は私の隣にすっと座った。
(なんなんはこっちのセリフだが!?)
この座卓に座っているのは私と篭手切だけだ。4面のうち2面は空いているのだからどちらでも好きな方に座ればいいのに、何故あえて狭い私の隣に断りもなくこんなにもナチュラルに座るのか。スペースを開けるために少し横にずれれば、豊前もその分だけスライドしてくる。マジになんなん?
「豊前、狭くない……? あっちも空いてるよ……?」
「そっか? でもここがいいからさ」
はにかむように笑う豊前に心臓が耐えきれなくなり、思いきり顔を背ける。豊前が戸惑っている気配は感じたが、どうにもそちらを向く勇気は出なかった。わずかに腕が触れ合うだけで逃げ出したくなるのだ、おそらくあの笑顔を再度直視すれば人間ごときの心臓は簡単に止まってしまう。私たちのやりとりを黙って見守っていた篭手切は「やはり自覚がなかっただけですね」と訳知り顔で頷いた。
「何の話?」
「りいだあと主の話です。……そういえば主、桑名さんが探していましたよ。トマトの収穫がどうとか」
「そっ、そうだった! 桑名と約束してたんだった!」
さすが脇差。すばらしいアシスト能力だ。この気まずい空間から逃げる口実を作ってくれた篭手切に視線で精一杯の感謝を伝えて立ち上がる。お隣からじっと、それはもうじいっと見つめられている気配は感じていたが、あえて見ないふりをして障子戸に手をかける。これで何かが解決するわけでもないことは分かっていたものの、とにかく豊前がそばにいると考えがまとまらない。湿気も暑さも苦手だが、畑の方がよほどまともに考えごとができるだろう。
「じゃあ2人とも、ごゆっく」
「俺も行くかな、畑」
「……はい?」
私の言葉にかぶせるように、豊前が思いがけないことを口にした。
俺も行くかな、畑。
(えっ? 豊前さんも畑に行くんですか?)
思わず豊前の方を振り向けば、彼は私の返事や了承を待たずにすっと立ち上がり、開けかけの障子戸に手を伸ばす。私の背後に立ち、まるで後ろから覆いかぶさるように障子に手をかける豊前に、反射的に肩が揺れた。
(なんか、怖い……?)
いつもの気さくで明るい豊前とは違う、威圧的な雰囲気を感じて、視線を上げることができない。怒らせてしまったのかと、背筋の辺りがひやりとする。障子から入り込んでいた日光が雲に、照明が豊前の体に遮られ、陰が濃くなる。どうすればいいのか、巡らせようとした思考は体と一緒に動きを止めてしまった。豊前の方も何も言わず、かと言って障子を開けて畑に向かうでもなく、ただ無言で私を見下ろしていた。
「こほん」
緊張した空気を緩めたのは篭手切だった。わざとらしい咳払いに、豊前がわずかに身じろぐ。
「私のような未熟者から申し上げるようなことではありませんが、りいだあ」
「……ん?」
「主に非はないかと」
「……そうだな。わりい、主」
あっけないほどあっさりと、豊前は一歩下がって私から距離をとった。突然の変化に驚いて俯いていた顔を上げれば、普段通りのからりとした笑顔と視線がぶつかる。
「俺も好きだからさ、トマト。一緒に行ってもいいだろ?」
「う、うん……」
「んじゃ行こうぜ!」
さっと障子戸を開け放って部屋を出る豊前に戸惑いながら、慌ててそのあとを追う。篭手切に悪いことをした気がして両手を合わせると、彼は気にするなと言わんばかりに笑って、再びよく使い込んだペンを手に取った。
「りいだあと何かありました?」
「な、何かとは……?」
「近頃りいだあが、少し落ち込んでいるようでしたので」
「それって、私と何か関係が……?」
「ないんですか?」
当然あるだろうと言いたげな篭手切に頭を抱える。実のところ、確かに思い当たる節はあった。先週、「豊前の距離感がおかしい疑惑」が浮上してから、彼を避けるようになった。避けるといっても、彼と会わないよう露骨に逃げ回るようななことはしていない。豊前が普段のように1メートル以内に近寄ろうとすると一歩下がってしまったり、20センチの距離まで迫ると挙動不審になって飛びのいてしまったり、その程度だ。自分ではできる限り自然に振る舞えていただろうと思い込んでいたが、周りから見るとそうでもなかったらしい。事の顛末をかいつまんで話すと、篭手切は「確かに主の様子はおかしかったです」と私の努力を切って捨てた。
「りいだあを見ると真っ赤になったり真っ青になったり」
「うそじゃん……そんなに顔に出てた……?」
「桑名さんはとうとうりいだあが主に手を出したのではないかと心配していました」
「とうとう……? とうとうってなに……?」
「えっ?」
うそでしょ、みたいな目で篭手切は私を見た。気のせいでなければ若干引いている。何故私がそのような顔を向けられなければならないのか――そう思う反面、やはりもしかして、と思ってしまう。
「……あの、篭手切さん? その、マジですか、みたいな目やめてもらってもいいですか……?」
「えっ、だって主……まさか自覚なかったんですか?」
「その、それは、その、もしかして、自意識過剰だったら忘れてほしいんだけど……ぶっ、豊前ってもしかして、ええっと、その……」
「りいだあが主をお慕いしているのは主も含めた本丸中の全員が知っていると思っていました」
「おう……」
「というか主もりいだあをお慕いしていて告白だけをしていない状態なのだと思っていました」
まさか、とつぶやきながらまじまじと私を見る篭手切から隠れるように座卓に突っ伏す。鏡を見なくとも分かるほど顔が赤い。それはそうだろう。他人から特別な好意を向けられることに慣れている人など、そうはいない。
(ていうか、やっぱりそうだったんだ……)
突っ伏しついでに頭を抱え、低い声でうめき声をあげる。
万屋から戻ってきてから何度も考えた。もしかして豊前は、私に好意を持ってくれているのではないか。それも他の男士たちが主を慕うのとは異なる、特別な感情を向けてくれているのではないか。だから距離が近い。時折触れようとする。甘い言葉だって平気でかけていく。全部が全部というわけではないだろうが、それでもあの言動のいくつかは、豊前が抱いている特別な思いの表れなのではないか。何度もそんな可能性が頭をよぎり、同じ回数だけ否定した。
「でも、豊前って誰に対してもああじゃない?」
今もまた、咄嗟に否定の言葉を口にしていた。篭手切を信じていないわけではないが、どうにも豊前が私を好いているという可能性を飲み込むことができない。くぐもった問いかけに篭手切はしばし考えるような間をおいて、そんなことはないとさらに私の言葉を否定した。
「確かにりいだあは誰にでも優しくて親切ですが……距離感は正しく測れる方だと思いますよ。おかしいのは主に対してだけです」
「でっ、でも! 本丸には私以外女の人いないし!」
「研修やおつかいで出会った女性に対してもりいだあは紳士的ですよ。一定の距離は保ちますし、体に触れるなんてもってのほかです」
「うう……」
「……すみません、両思いだと思っていたので特に口出しはしなかったのですが、もしかして違いましたか? 主にとっては、りいだあの振る舞いは不快だったとか……」
「ふ、不快ってわけじゃ……え、ていうか両思いって、なんでそんな、え? みんなそう思ってるの? いつから?」
「ずっと」
「ずっとっていつ!?」
「ずっとはずっとです。具体的には……りいだあに顔を寄せられても動じなくなった辺りから?」
「あれは豊前ってこういう性格なんだなって割り切っただけで……!」
「呼んだか?」
先週ぶりにひゅっと喉の奥からかすれた音が漏れていった。ギギギと音が鳴りそうなほどぎこちなく振り向けば、少し開いた障子戸に手をかけた豊前江が室内を覗き込んでいる。午前中まで降っていた雨の名残りか、青空に浮いたグレーの雲を背負ってもなお豊前の笑顔はキラキラと輝いて見える。まるでテレビの中の名前も知らないアイドルたちのようだ。外から吹き込んできた生ぬるい風も不思議とそれほど不快ではない。不快なのは、自分の内側でドコドコ鳴り始めた心臓の方だった。
「一緒にすていじ見てたのか?」
「え、ええ、まあ、そうですね……」
「なんなん、その話し方」
明らかに挙動不審な私のことなど大して気にせず、おもしろそうに笑いながら豊前は私の隣にすっと座った。
(なんなんはこっちのセリフだが!?)
この座卓に座っているのは私と篭手切だけだ。4面のうち2面は空いているのだからどちらでも好きな方に座ればいいのに、何故あえて狭い私の隣に断りもなくこんなにもナチュラルに座るのか。スペースを開けるために少し横にずれれば、豊前もその分だけスライドしてくる。マジになんなん?
「豊前、狭くない……? あっちも空いてるよ……?」
「そっか? でもここがいいからさ」
はにかむように笑う豊前に心臓が耐えきれなくなり、思いきり顔を背ける。豊前が戸惑っている気配は感じたが、どうにもそちらを向く勇気は出なかった。わずかに腕が触れ合うだけで逃げ出したくなるのだ、おそらくあの笑顔を再度直視すれば人間ごときの心臓は簡単に止まってしまう。私たちのやりとりを黙って見守っていた篭手切は「やはり自覚がなかっただけですね」と訳知り顔で頷いた。
「何の話?」
「りいだあと主の話です。……そういえば主、桑名さんが探していましたよ。トマトの収穫がどうとか」
「そっ、そうだった! 桑名と約束してたんだった!」
さすが脇差。すばらしいアシスト能力だ。この気まずい空間から逃げる口実を作ってくれた篭手切に視線で精一杯の感謝を伝えて立ち上がる。お隣からじっと、それはもうじいっと見つめられている気配は感じていたが、あえて見ないふりをして障子戸に手をかける。これで何かが解決するわけでもないことは分かっていたものの、とにかく豊前がそばにいると考えがまとまらない。湿気も暑さも苦手だが、畑の方がよほどまともに考えごとができるだろう。
「じゃあ2人とも、ごゆっく」
「俺も行くかな、畑」
「……はい?」
私の言葉にかぶせるように、豊前が思いがけないことを口にした。
俺も行くかな、畑。
(えっ? 豊前さんも畑に行くんですか?)
思わず豊前の方を振り向けば、彼は私の返事や了承を待たずにすっと立ち上がり、開けかけの障子戸に手を伸ばす。私の背後に立ち、まるで後ろから覆いかぶさるように障子に手をかける豊前に、反射的に肩が揺れた。
(なんか、怖い……?)
いつもの気さくで明るい豊前とは違う、威圧的な雰囲気を感じて、視線を上げることができない。怒らせてしまったのかと、背筋の辺りがひやりとする。障子から入り込んでいた日光が雲に、照明が豊前の体に遮られ、陰が濃くなる。どうすればいいのか、巡らせようとした思考は体と一緒に動きを止めてしまった。豊前の方も何も言わず、かと言って障子を開けて畑に向かうでもなく、ただ無言で私を見下ろしていた。
「こほん」
緊張した空気を緩めたのは篭手切だった。わざとらしい咳払いに、豊前がわずかに身じろぐ。
「私のような未熟者から申し上げるようなことではありませんが、りいだあ」
「……ん?」
「主に非はないかと」
「……そうだな。わりい、主」
あっけないほどあっさりと、豊前は一歩下がって私から距離をとった。突然の変化に驚いて俯いていた顔を上げれば、普段通りのからりとした笑顔と視線がぶつかる。
「俺も好きだからさ、トマト。一緒に行ってもいいだろ?」
「う、うん……」
「んじゃ行こうぜ!」
さっと障子戸を開け放って部屋を出る豊前に戸惑いながら、慌ててそのあとを追う。篭手切に悪いことをした気がして両手を合わせると、彼は気にするなと言わんばかりに笑って、再びよく使い込んだペンを手に取った。