本戦2:恋の悩みを知る君は
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
名前は自分の人間性があまり整ったものではないという自覚がある。大抵のことにはさして執着しないが、人一倍負けず嫌いで自分の意思や選択が脅かされることに対して過剰な反応を示す。仕事を除けば他人を関わらなくとも生きていけるし、寧ろ人間関係が億劫で仕方がないことの方が多い。必要ならばうそをつくことも、他人の心の中を引っかきまわすことも厭わない。本当は他人を押しのけてでも自分の意思を通したいという願望があるが、他人を傷つけることを厭う偽善者のような振る舞いをし、そのくせ我慢しきれなくなってあとから爆発することもある。
雲雀のように飛びぬけて変わっているわけではないが、それでも整っているとは言いがたい性格――そんな自分を好きになる人間などいるわけがないし、もしいたとすればその人物はきっと何か勘違いをしている。名前は強く、そう確信していた。
沢田に教えられたCEDEF本部のエントランスにたどり着いたのは、空の端が橙色に染まり始めるころだった。名前の予定よりも1時間程度遅れている。CEDEF側からの指示により最寄り駅でタクシーを降り、そこからキャリーケースを引いて石畳の道を歩いてきたためだ。初めての街だったこともあり、おそらく30分ほどの道中は実際よりも長く感じられた。
エントランスで名前を出迎えたのは、件のバジルという青年だった。どうやら名前が出発したあとに沢田から連絡を受けたらしく、時間を見計らって名前の到着を待っていたらしい。亜麻色の髪の毛に青い瞳を携えた青年は丁寧なあいさつとともに右手を差し出す。名前も形式的なあいさつと自己紹介を返し、一度だけその手を握った。穏やかそうな外見とは裏腹に固い手のひらが印象に残った。
「駅から歩いていらっしゃったんですよね。すみません、迎えも出せず」
「CEDEFは諜報組織だと聞いてます。慎重になるのが当然です」
「ご理解ありがとうございます。こちらへどうぞ」
バジルに促され、エントランスからエレベーターに乗り込む。外観から想像するよりも内部の造りは近代的で、名前には使いこなすことができないようなモニターや機器がデスクの周辺に並んでいる。それぞれのワークスペースは透明なガラスのようなもので仕切られており、先進的な印象はあるものの名前は落ち着かない気分になった。
エレベーターを降りてしばらく廊下を進むと、バジルは一室の前で足を止めた。この周辺はガラス張りではなく一般的な内装をしており、部屋の中を覗き見ることはできない。名前は少し安心しながら、バジルに従って入室した。
「失礼します。名前殿が到着されました」
「……失礼します」
こじんまりとした正方形の室内にはロの字型にテーブルが配置されていた。出入り口の正面は大きな窓が設置されているが、その手前に置かれたホワイトボードが景色の妨げになっている。ホワイトボードの下、名前たちから見て真正面のテーブルには、2人の女性が腰を下ろしていた。
1人は長い髪の毛をお団子にまとめた、メガネをかけた女性。名前よりも年上で、顔つきやピシリと着こんだスーツから穏やかで知的な印象を受ける。もう1人は顔に大きな痣のある黒髪の女性だ。オフィススペースにはそぐわないラフな格好で、ノースリーブからすらりと伸びる両腕はしっかりと鍛えられたものだということが見ただけで分かった。
「遅い」
黒髪の女性が吐き捨てるように言った。
「ボンゴレ本部を出てからどれだけ時間が経ったと思っている。沢田綱吉から寄越された前情報と比べるとだいぶノロマなようだな」
「ラル、駅から歩けって言ったのはこちらよ。本来歩く距離じゃないっていうのは、あなただって分かってるでしょう?」
「分かったうえで遅いと言っている。……いつまで突っ立っているつもりだ。さっさと座れ」
メガネの女性のとりなしもバッサリと切り捨て、黒髪の女性はにらむように名前を見る。名前は短く返事をして、目の前のイスにすみやかに座った。
「こちらから向かって左がラル・ミルチ、右がオレガノです。今回サポートと指導をしてくれます」
バジルが名前の隣のイスを引きながら2人の紹介をした。おびえたり慌てたりする様子がないことから、黒髪の女性・ラルとやらの言動は常日頃からこうであるらしい。早速怒らせてしまったとヒヤヒヤしていた名前は、ほんの少し安堵しながら背筋を伸ばした。
「名字名前と申します。よろしくお願いいたします」
「……本題に入る。本部で渡された資料を出せ」
ラル・ミルチの指示に従い、名前はバッグから数枚のペーパーを取り出した。沢田とともに確認した、今回の任務の概要とおおまかなスケジュール表だ。
「内容は理解しているな」
「は、はい、おおまかには」
「おおまか? 何故事前に渡された資料をしっかり読み込んでこない」
「え、えっと……」
「返事は5秒以内、どもらずはっきりと答えろ!」
「す、すみません……?」
初対面の人間からの唐突な厳しい言動に、名前は困惑しつつあいまいな返事をする。まだ出会って1分も経過していないが、彼女はずいぶんとはっきりとした性格らしい。あいまいな言動や中途半端な仕事も許せないタイプなのだろう。
(でも協力をお願いされてるのはこっちなのに強気だな……イタリアではみんな、こんなものなのだろうか……)
少々不思議な気分になりつつ、名前は意識を切り替えることにした。ほとんどプライベートのようだった意識を仕事のそれに切り替え、表情を引き締める。
「資料は拝見しました。ただ数点不明な点があります」
「これからもう一度全行程の再確認を行う。そのうえで分からなければ最後に質問を許可する」
「ありがとうございます」
ラル・ミルチは鼻を鳴らすと、資料の頭から詳細な説明を始めた。彼女の性格をあらわしたような簡潔な説明は名前にとって分かりやすく、一度は読んだはずの資料の内容が改めてすんなりと頭に入ってくるような感覚がした。
彼女の言うところによれば、10日後のパーティー潜入に向けて明日からみっちりと研修を行うらしい。研修内容は護身から一般教養、パーティーマナーなどさまざまで、主に名前のために行われるもののようだった。
また、潜入にあたって最も重要なのはバジルと名前の振る舞いなのだラル・ミルチは続けた。
「端的に言えば、お前たちには恋人に見えるような振る舞いをしてもらう」
「恋人? ただのパーティーの同伴者なのに、ですか?」
「バジルに経験を積ませるためだ」
ラル・ミルチの言わんとするところが汲み取れず、名前は隣のバジルに視線をやる。バジルは恥じ入るような気まずそうな笑いを浮かべて、女性経験がほとんどないのだと言った。
「女がいようがいまいがそれは個人の自由だ。俺たちが関与すべきことではない。しかし任務となると話が違う。時には恋人ではない相手を恋人のように扱わねばならないときがある」
「これを機に、女性の扱いを勉強するようにっていう計らいね」
それまで黙ってラル・ミルチに進行を委ねていたオレガノが苦笑を浮かべた。ラル・ミルチも応じるように、呆れたように息を吐き出す。
「まったく家光も余計な世話を焼く」
「仕方ないじゃない、こればかりは実践を積んでいくしか習得の方法もないんだから」
「……この点に関する具体的な研修についてはオレガノから説明する」
ラル・ミルチに代わり、今度はオレガノが立ち上がった。それからホワイトボードをくるりと裏返し、固定する。名前の手元にあるスケジュール表に加え、事前に準備していたらしい資料や写真がずらりと貼り付けられていた。その内容を確認するよりも早く、オレガノは手のひらをホワイトボードに打ち付けた。乾いた音が室内に反響し、一瞬の静寂を生む。オレガノはそれまでの落ち着いた様子とは一転、声を弾ませてバジルと名前を見た。
「あなたたちにはこれから毎日、デートしてもらいます!」
「そ、れは……恋人らしく見えるように、ということですか?」
「その通り。午後の時間を丸々使って2人で過ごすの。その間はお互い、できるだけ恋人にするように接してちょうだい。あ、もちろん身体的接触は必要ない。2人の間の雰囲気の問題ね」
「……そこまでする必要はないと俺は言った。だがオレガノが譲らなくてな」
「恋人同士かどうかなんて分かる人にはすぐ分かるものよ。ラル、あなたには苦手分野かもしれないけれど」
「得意になるつもりもない」
「もう……まあとにかくバジルはまず、恋人ってどういうものなのかを掴んでちょうだい。意図的に周りに恋人同士だって思わせられるような振る舞いとか言動ってどういうものなのかをしっかり学んで、10日後のパーティーでお披露目よ」
「承知いたしました」
「あなた、名前でいいかしら。名前に一番協力してもらいたいのはここなんだけれど……今、恋人とかいるかしら?」
「いないのでお気遣いなく。仕事ですし。……ただ、私も恋愛経験ってあまりなくて。お役に立てるかどうか」
「大丈夫。とにかくバジルのことを好きな相手だと思い込んでちょうだい。あとは一緒に過ごす時間を重ねればなんとかなるわ」
オレガノはそのまま資料の説明に入った。沢田とともに首をひねった映画やオペラの予定はこの研修の一環だったようで、5日目は日帰り旅行まで計画されている。短い期間で仲を深めるにはとにかく共に過ごすしかないとはオレガノの弁だ。ラル・ミルチはあらゆる場面を想定したデート先を検討しただけだと、ホワイトボードに貼られた美術館のパンフレットを指先で弾いた。
「別にお前たちが本当に仲を深める必要はない。実際の仕事のときだって、そういう演技をするだけだからな」
「その演技にも気持ちが入ってなきゃすぐに見破られてしまうわ。自分の本当の感情を入れる必要なもちろんないけど、どんな演技をしたら気持ちが伴っているように見えるのか、それを学ぶ必要がある」
「……お前たちの外出にはオレガノが離れて付き添う予定だ。毎日評価されると思って行動しろ」
「はい」
「承知しました!」
「名字、質問はあるか。……面倒な任務に巻き込まれたことに関しては同情している。苦情も今ならば受け付けるぞ」
「質問も苦情も特に。……雲雀からは自分の研修だと思って協力しろと言われています。恋人云々に関しては私も身につけたいスキルではあるので、こちらも学ばせてもらうつもりです。よろしくお願いいたします」
会釈するとオレガノは満足そうにうなずき、ラル・ミルチはおもしろくなさそうにそっぽを向いた。文句を言われないところを見るに、名前に対して思うところがあるわけではないらしい。ほっと胸をなでおろして隣の青年を見やる。バジルの方も名前を見下ろし、改めて右手を差し出した。
「短い期間ですが、パートナーとして精一杯務めさせていただきます。よろしくお願いいたします、名前殿」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「……まずはそのお堅い雰囲気からなんとかしましょうね」
握手を交わす名前とバジルに、オレガノが呆れたようにつぶやく。その後、早速名前は敬語を外すように、バジルはできるだけ名前を呼び捨てるように指示が出された。
雲雀のように飛びぬけて変わっているわけではないが、それでも整っているとは言いがたい性格――そんな自分を好きになる人間などいるわけがないし、もしいたとすればその人物はきっと何か勘違いをしている。名前は強く、そう確信していた。
沢田に教えられたCEDEF本部のエントランスにたどり着いたのは、空の端が橙色に染まり始めるころだった。名前の予定よりも1時間程度遅れている。CEDEF側からの指示により最寄り駅でタクシーを降り、そこからキャリーケースを引いて石畳の道を歩いてきたためだ。初めての街だったこともあり、おそらく30分ほどの道中は実際よりも長く感じられた。
エントランスで名前を出迎えたのは、件のバジルという青年だった。どうやら名前が出発したあとに沢田から連絡を受けたらしく、時間を見計らって名前の到着を待っていたらしい。亜麻色の髪の毛に青い瞳を携えた青年は丁寧なあいさつとともに右手を差し出す。名前も形式的なあいさつと自己紹介を返し、一度だけその手を握った。穏やかそうな外見とは裏腹に固い手のひらが印象に残った。
「駅から歩いていらっしゃったんですよね。すみません、迎えも出せず」
「CEDEFは諜報組織だと聞いてます。慎重になるのが当然です」
「ご理解ありがとうございます。こちらへどうぞ」
バジルに促され、エントランスからエレベーターに乗り込む。外観から想像するよりも内部の造りは近代的で、名前には使いこなすことができないようなモニターや機器がデスクの周辺に並んでいる。それぞれのワークスペースは透明なガラスのようなもので仕切られており、先進的な印象はあるものの名前は落ち着かない気分になった。
エレベーターを降りてしばらく廊下を進むと、バジルは一室の前で足を止めた。この周辺はガラス張りではなく一般的な内装をしており、部屋の中を覗き見ることはできない。名前は少し安心しながら、バジルに従って入室した。
「失礼します。名前殿が到着されました」
「……失礼します」
こじんまりとした正方形の室内にはロの字型にテーブルが配置されていた。出入り口の正面は大きな窓が設置されているが、その手前に置かれたホワイトボードが景色の妨げになっている。ホワイトボードの下、名前たちから見て真正面のテーブルには、2人の女性が腰を下ろしていた。
1人は長い髪の毛をお団子にまとめた、メガネをかけた女性。名前よりも年上で、顔つきやピシリと着こんだスーツから穏やかで知的な印象を受ける。もう1人は顔に大きな痣のある黒髪の女性だ。オフィススペースにはそぐわないラフな格好で、ノースリーブからすらりと伸びる両腕はしっかりと鍛えられたものだということが見ただけで分かった。
「遅い」
黒髪の女性が吐き捨てるように言った。
「ボンゴレ本部を出てからどれだけ時間が経ったと思っている。沢田綱吉から寄越された前情報と比べるとだいぶノロマなようだな」
「ラル、駅から歩けって言ったのはこちらよ。本来歩く距離じゃないっていうのは、あなただって分かってるでしょう?」
「分かったうえで遅いと言っている。……いつまで突っ立っているつもりだ。さっさと座れ」
メガネの女性のとりなしもバッサリと切り捨て、黒髪の女性はにらむように名前を見る。名前は短く返事をして、目の前のイスにすみやかに座った。
「こちらから向かって左がラル・ミルチ、右がオレガノです。今回サポートと指導をしてくれます」
バジルが名前の隣のイスを引きながら2人の紹介をした。おびえたり慌てたりする様子がないことから、黒髪の女性・ラルとやらの言動は常日頃からこうであるらしい。早速怒らせてしまったとヒヤヒヤしていた名前は、ほんの少し安堵しながら背筋を伸ばした。
「名字名前と申します。よろしくお願いいたします」
「……本題に入る。本部で渡された資料を出せ」
ラル・ミルチの指示に従い、名前はバッグから数枚のペーパーを取り出した。沢田とともに確認した、今回の任務の概要とおおまかなスケジュール表だ。
「内容は理解しているな」
「は、はい、おおまかには」
「おおまか? 何故事前に渡された資料をしっかり読み込んでこない」
「え、えっと……」
「返事は5秒以内、どもらずはっきりと答えろ!」
「す、すみません……?」
初対面の人間からの唐突な厳しい言動に、名前は困惑しつつあいまいな返事をする。まだ出会って1分も経過していないが、彼女はずいぶんとはっきりとした性格らしい。あいまいな言動や中途半端な仕事も許せないタイプなのだろう。
(でも協力をお願いされてるのはこっちなのに強気だな……イタリアではみんな、こんなものなのだろうか……)
少々不思議な気分になりつつ、名前は意識を切り替えることにした。ほとんどプライベートのようだった意識を仕事のそれに切り替え、表情を引き締める。
「資料は拝見しました。ただ数点不明な点があります」
「これからもう一度全行程の再確認を行う。そのうえで分からなければ最後に質問を許可する」
「ありがとうございます」
ラル・ミルチは鼻を鳴らすと、資料の頭から詳細な説明を始めた。彼女の性格をあらわしたような簡潔な説明は名前にとって分かりやすく、一度は読んだはずの資料の内容が改めてすんなりと頭に入ってくるような感覚がした。
彼女の言うところによれば、10日後のパーティー潜入に向けて明日からみっちりと研修を行うらしい。研修内容は護身から一般教養、パーティーマナーなどさまざまで、主に名前のために行われるもののようだった。
また、潜入にあたって最も重要なのはバジルと名前の振る舞いなのだラル・ミルチは続けた。
「端的に言えば、お前たちには恋人に見えるような振る舞いをしてもらう」
「恋人? ただのパーティーの同伴者なのに、ですか?」
「バジルに経験を積ませるためだ」
ラル・ミルチの言わんとするところが汲み取れず、名前は隣のバジルに視線をやる。バジルは恥じ入るような気まずそうな笑いを浮かべて、女性経験がほとんどないのだと言った。
「女がいようがいまいがそれは個人の自由だ。俺たちが関与すべきことではない。しかし任務となると話が違う。時には恋人ではない相手を恋人のように扱わねばならないときがある」
「これを機に、女性の扱いを勉強するようにっていう計らいね」
それまで黙ってラル・ミルチに進行を委ねていたオレガノが苦笑を浮かべた。ラル・ミルチも応じるように、呆れたように息を吐き出す。
「まったく家光も余計な世話を焼く」
「仕方ないじゃない、こればかりは実践を積んでいくしか習得の方法もないんだから」
「……この点に関する具体的な研修についてはオレガノから説明する」
ラル・ミルチに代わり、今度はオレガノが立ち上がった。それからホワイトボードをくるりと裏返し、固定する。名前の手元にあるスケジュール表に加え、事前に準備していたらしい資料や写真がずらりと貼り付けられていた。その内容を確認するよりも早く、オレガノは手のひらをホワイトボードに打ち付けた。乾いた音が室内に反響し、一瞬の静寂を生む。オレガノはそれまでの落ち着いた様子とは一転、声を弾ませてバジルと名前を見た。
「あなたたちにはこれから毎日、デートしてもらいます!」
「そ、れは……恋人らしく見えるように、ということですか?」
「その通り。午後の時間を丸々使って2人で過ごすの。その間はお互い、できるだけ恋人にするように接してちょうだい。あ、もちろん身体的接触は必要ない。2人の間の雰囲気の問題ね」
「……そこまでする必要はないと俺は言った。だがオレガノが譲らなくてな」
「恋人同士かどうかなんて分かる人にはすぐ分かるものよ。ラル、あなたには苦手分野かもしれないけれど」
「得意になるつもりもない」
「もう……まあとにかくバジルはまず、恋人ってどういうものなのかを掴んでちょうだい。意図的に周りに恋人同士だって思わせられるような振る舞いとか言動ってどういうものなのかをしっかり学んで、10日後のパーティーでお披露目よ」
「承知いたしました」
「あなた、名前でいいかしら。名前に一番協力してもらいたいのはここなんだけれど……今、恋人とかいるかしら?」
「いないのでお気遣いなく。仕事ですし。……ただ、私も恋愛経験ってあまりなくて。お役に立てるかどうか」
「大丈夫。とにかくバジルのことを好きな相手だと思い込んでちょうだい。あとは一緒に過ごす時間を重ねればなんとかなるわ」
オレガノはそのまま資料の説明に入った。沢田とともに首をひねった映画やオペラの予定はこの研修の一環だったようで、5日目は日帰り旅行まで計画されている。短い期間で仲を深めるにはとにかく共に過ごすしかないとはオレガノの弁だ。ラル・ミルチはあらゆる場面を想定したデート先を検討しただけだと、ホワイトボードに貼られた美術館のパンフレットを指先で弾いた。
「別にお前たちが本当に仲を深める必要はない。実際の仕事のときだって、そういう演技をするだけだからな」
「その演技にも気持ちが入ってなきゃすぐに見破られてしまうわ。自分の本当の感情を入れる必要なもちろんないけど、どんな演技をしたら気持ちが伴っているように見えるのか、それを学ぶ必要がある」
「……お前たちの外出にはオレガノが離れて付き添う予定だ。毎日評価されると思って行動しろ」
「はい」
「承知しました!」
「名字、質問はあるか。……面倒な任務に巻き込まれたことに関しては同情している。苦情も今ならば受け付けるぞ」
「質問も苦情も特に。……雲雀からは自分の研修だと思って協力しろと言われています。恋人云々に関しては私も身につけたいスキルではあるので、こちらも学ばせてもらうつもりです。よろしくお願いいたします」
会釈するとオレガノは満足そうにうなずき、ラル・ミルチはおもしろくなさそうにそっぽを向いた。文句を言われないところを見るに、名前に対して思うところがあるわけではないらしい。ほっと胸をなでおろして隣の青年を見やる。バジルの方も名前を見下ろし、改めて右手を差し出した。
「短い期間ですが、パートナーとして精一杯務めさせていただきます。よろしくお願いいたします、名前殿」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「……まずはそのお堅い雰囲気からなんとかしましょうね」
握手を交わす名前とバジルに、オレガノが呆れたようにつぶやく。その後、早速名前は敬語を外すように、バジルはできるだけ名前を呼び捨てるように指示が出された。