小竜さに
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共用の洗面所の端っこで、おそらく忘れ物なのだろうハンドクリームを見つけた。パッケージに覚えはないが、くるりと回して発見した文字列は有名ブランドの名前。すぐに持ち主にピンと来て、親切心から彼の部屋の戸を叩く。しかし燭台切光忠は、予想に反して不思議そうに首を傾げた。
「僕のじゃないと思うけど」
「あれ? じゃあ福島の?」
「俺も違うよ」
手土産のコーヒーとお茶請けを持参して弟の部屋を訪れていたらしい福島光忠も首を横に振る。おしゃれにこだわる男士は数名いるが、このブランドを好みそうなのはこの兄弟くらいだと思っていた。他に心当たりはないかと尋ねれば、ふたりは顔を見合わせてから「あ」と短い声を漏らした。
「もしかしたら小竜くんかな」
「小竜?」
「秋口に、良いハンドクリームはないかって聞かれたよ」
「光忠もか。俺も同じことを聞かれて、それを勧めたよ」
手袋に包まれた指先を私の手元に向けて、福島は頬を緩めた。
「かわいいところあるよね、彼」
「? 素直ってこと?」
「おっと、これは言わぬが花というやつかな」
「馬に蹴られる、の方かもしれない」
訳知り顔で笑いを零すふたりだが、私の方は疑問符でいっぱいだった。何故ハンドクリームひとつでそのような反応をされるのか、考えが及ばない。途方に暮れる私がおもしろかったのだろう、燭台切は笑みを深めて「良い恋人を持ったねってことだよ」と、さらによく分からないことを続けた。
「全然分からないんだけど……?」
「俺たちの主は存外初心だったようだ。お似合いと言えばお似合いかな」
「ええ? なに? 気になるから教えてよ」
「うーん……じゃあヒント。秋って乾燥するよね」
「……えっ、それだけ?」
秋は乾燥する。乾燥するからハンドクリームを塗る。当然のことすぎて何の答えにもなっていない。もしかしてからかわれているのかと口をとがらせるが、燭台切も福島も冗談を言っているようではなかったから困惑は深まる。
「もったいぶらないでよ」
「そういうわけじゃないさ。ただ、彼の気持ちを優先してあげようってだけ」
「ここまで思わせぶりなこと言っといてそれはなくない……?」
「いじわるをしてるつもりはないんだけどな。……仕方ない、大ヒントをあげよう」
「ぜひ」
「君が去年の今頃よりも念入りにリップクリームを塗っているのと同じ理由」
「……」
反射的に不満を連ねようとした口を静かに閉ざし、すっと視線を斜め下に流した。
小竜と恋人関係になってから初めての秋。ズボラな私も生まれて初めて「接近戦」とやらを意識して、近頃はスキンケアに力を入れ始めた。リップクリームを塗るのも、その一環。何せ秋は乾燥する。乾燥するから肌が荒れ、あまり恋人に見たり触れたりしてほしくない状態に陥ってしまう。だから、肌も唇も保湿する。
燭台切が言う通り、もし小竜がハンドクリームを使っている理由が、私と同じなのだとしたら。
「さて、そろそろ本当に馬に蹴られそうだ。それは直接本人に返しておいで」
俯いた顔を上げられなくなった私に、福島は優しく声をかけた。こくりと頷いて踵を返し、恋人の部屋へと向かう。小竜とは廊下の途中で行き合った。
「おや、奇遇だね。……なんだか、顔が赤いような気がするけれど」
「なんでもない」
「なんでもってことは」
「なんでもないんだってば。はいこれ」
ある種の気まずさから小竜の顔を見ることができず、俯いたままハンドクリームを彼のお腹に押し付ける。どうやら小竜もこれを探していたようで、素直なお礼がつむじの辺りに降ってきた。
「キミが持ってたのか。助かったよ」
「……小竜も使うんだね、そういうの」
「ああ、身だしなみにうるさいのが身近にいるだろう?」
言いながら、小竜はハンドクリームごと私の手を取った。私の手の輪郭をなぞるように滑る指先はなめらかで、照れくささとくすぐったさから、まずます顔が上げられなくなる。胸の内で、心音も存在感を増していく。
「それに、やわいものに触れることが増えたから」
「……そっか」
いつもの私ならば、恋人の思わせぶりな言葉の意味を捉えることはできなかっただろう。よく分からないと言って聞き流していたかもしれない。しかし今回に限っては、その真意を知っている。
(……私も、今年はちゃんと、リップ塗ってるんだよ)
だから、いつでも大丈夫。その指先に触れられるのを、実は密かに待っている――などと、口に出せるはずもなく。ただ小竜にされるがまま、よく手入れされたささくれひとつない指先を、熱がこもった目で見つめるしかなかった。
「僕のじゃないと思うけど」
「あれ? じゃあ福島の?」
「俺も違うよ」
手土産のコーヒーとお茶請けを持参して弟の部屋を訪れていたらしい福島光忠も首を横に振る。おしゃれにこだわる男士は数名いるが、このブランドを好みそうなのはこの兄弟くらいだと思っていた。他に心当たりはないかと尋ねれば、ふたりは顔を見合わせてから「あ」と短い声を漏らした。
「もしかしたら小竜くんかな」
「小竜?」
「秋口に、良いハンドクリームはないかって聞かれたよ」
「光忠もか。俺も同じことを聞かれて、それを勧めたよ」
手袋に包まれた指先を私の手元に向けて、福島は頬を緩めた。
「かわいいところあるよね、彼」
「? 素直ってこと?」
「おっと、これは言わぬが花というやつかな」
「馬に蹴られる、の方かもしれない」
訳知り顔で笑いを零すふたりだが、私の方は疑問符でいっぱいだった。何故ハンドクリームひとつでそのような反応をされるのか、考えが及ばない。途方に暮れる私がおもしろかったのだろう、燭台切は笑みを深めて「良い恋人を持ったねってことだよ」と、さらによく分からないことを続けた。
「全然分からないんだけど……?」
「俺たちの主は存外初心だったようだ。お似合いと言えばお似合いかな」
「ええ? なに? 気になるから教えてよ」
「うーん……じゃあヒント。秋って乾燥するよね」
「……えっ、それだけ?」
秋は乾燥する。乾燥するからハンドクリームを塗る。当然のことすぎて何の答えにもなっていない。もしかしてからかわれているのかと口をとがらせるが、燭台切も福島も冗談を言っているようではなかったから困惑は深まる。
「もったいぶらないでよ」
「そういうわけじゃないさ。ただ、彼の気持ちを優先してあげようってだけ」
「ここまで思わせぶりなこと言っといてそれはなくない……?」
「いじわるをしてるつもりはないんだけどな。……仕方ない、大ヒントをあげよう」
「ぜひ」
「君が去年の今頃よりも念入りにリップクリームを塗っているのと同じ理由」
「……」
反射的に不満を連ねようとした口を静かに閉ざし、すっと視線を斜め下に流した。
小竜と恋人関係になってから初めての秋。ズボラな私も生まれて初めて「接近戦」とやらを意識して、近頃はスキンケアに力を入れ始めた。リップクリームを塗るのも、その一環。何せ秋は乾燥する。乾燥するから肌が荒れ、あまり恋人に見たり触れたりしてほしくない状態に陥ってしまう。だから、肌も唇も保湿する。
燭台切が言う通り、もし小竜がハンドクリームを使っている理由が、私と同じなのだとしたら。
「さて、そろそろ本当に馬に蹴られそうだ。それは直接本人に返しておいで」
俯いた顔を上げられなくなった私に、福島は優しく声をかけた。こくりと頷いて踵を返し、恋人の部屋へと向かう。小竜とは廊下の途中で行き合った。
「おや、奇遇だね。……なんだか、顔が赤いような気がするけれど」
「なんでもない」
「なんでもってことは」
「なんでもないんだってば。はいこれ」
ある種の気まずさから小竜の顔を見ることができず、俯いたままハンドクリームを彼のお腹に押し付ける。どうやら小竜もこれを探していたようで、素直なお礼がつむじの辺りに降ってきた。
「キミが持ってたのか。助かったよ」
「……小竜も使うんだね、そういうの」
「ああ、身だしなみにうるさいのが身近にいるだろう?」
言いながら、小竜はハンドクリームごと私の手を取った。私の手の輪郭をなぞるように滑る指先はなめらかで、照れくささとくすぐったさから、まずます顔が上げられなくなる。胸の内で、心音も存在感を増していく。
「それに、やわいものに触れることが増えたから」
「……そっか」
いつもの私ならば、恋人の思わせぶりな言葉の意味を捉えることはできなかっただろう。よく分からないと言って聞き流していたかもしれない。しかし今回に限っては、その真意を知っている。
(……私も、今年はちゃんと、リップ塗ってるんだよ)
だから、いつでも大丈夫。その指先に触れられるのを、実は密かに待っている――などと、口に出せるはずもなく。ただ小竜にされるがまま、よく手入れされたささくれひとつない指先を、熱がこもった目で見つめるしかなかった。