小竜さに
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2月14日は1年で唯一、私が1人だけで厨に立つ日だ。100振り近い刀剣男士全員のために大量の材料をネット注文し、三食の合間を縫って早朝から晩まで、ひたすらお菓子を作り続ける。できあがったチョコレート菓子は夕飯のあと、感謝の言葉とともにひとりひとりに手渡すのが恒例で、今年もまた、夕食の直前になんとかお菓子を作りきることに成功した。
夕食当番の刀たちの邪魔にならないよう、1日かけて焼き上げた大量のブラウニーを一度自室へと運ぶ。冷めたものから切り分けて、ラッピングする作業が残っていた。
「これくらいの手伝いは許されるだろう?」
鉄板サイズのブラウニーを2皿ずつ持って厨と自室の往復をする私を見かねたのだろう、小竜は私の返事を待たずに同じようにブラウニーを持ち上げた。そのまま廊下に出ていく小竜を慌てて追いかけたのは、良心が痛んだからではない。このブラウニーの一部には、まぎれもない下心がこめられていたからだ。
「キミも毎年、よくやるねえ」
小走りで隣に並ぶと、小竜は横目で私を見下ろしてからひゅうと口笛を吹いた。これは嫌味ではなく愛情表現だと分かる程度には、彼のことを知っているつもりだ。「年1回だけだから」と反射のように返すと、彼は満足そうに頷いた。
「ああ、今日はみんな、そわそわと落ち着きがなかった。期待しているようだったよ」
「おいしくできてたらいいんだけど……」
「それは安心していい。主手ずから渡してもらえるということの方が重要だからね」
もちろん味が良いに越したことはないけれどと続けて、紫色の瞳がいたずらっぽく細められた。上向いた口角は、彼も同じように思ってくれていることの証だと考えてもいいのだろうか。もしそうならば、うれしい。いつの間にか彼に対して抱いていた特別な感情も、報われる。
(主としてっていうだけでも……少しでも他と違う気持ちを抱いてくれてるなら、それだけで)
ちくんと痛んだ胸元を誤魔化すように、私の方も笑って見せる。やがて自室に到着すると、小竜はブラウニーを置いて再び厨に戻っていった。
「ラッピングがあるんだろう? 運んであげるから、先に取りかかるといい」
廊下を戻っていく小竜は普段よりも少しだけ上機嫌に見えた。彼の気配が遠のいてから、小さく息を吐いて大量のブラウニーを見下ろす。入るだけ運び込んだテーブルに所せましと並んだ皿と、部屋に充満する控えめなチョコレートの香り。夕食までにすべてを均等に切り分け、まったく同じラッピングを施していかなければならない。だって、誰かひとりでも特別にしてしまえばみんなが不満に思う。優先すべきなのは私の個人的な感情ではなく、この本丸の運営だ。
(でも、ちょっとだけでも、特別にしたかったな)
もし私たちが主と刀剣男士という関係でなければ、この思いを打ち明けてしまえたのに。そんな詮ないわがままを思考の奥にしまいこみ、包丁を取る。ナッツとラズベリーを散りばめたブラウニーを切るのは存外難しく、四苦八苦しながら包丁を動かしているうちに小竜はすべての皿を運び終えてしまった。お礼を言えばきっと退室するだろうと思っていたのに、何を思ったのか小竜はそのままちょこんとテーブル向こう側に腰を下ろした。
「ど、どうしたの?」
「本当はラッピングまで手伝いたいところだけれど、キミのことだ。固辞するだろう?」
「それは……そうだね」
本丸のみんなのために、それくらいの手間はかけたい。
それに小竜には、私が自分の手で準備したものを食べてもらいたい。
本丸を率いる主にはふさわしくない下心を飲み込んで、口の端を持ち上げる。小竜は口元にゆるやかな弧を描き、「だから見学をさせてもらおうかと思ってね」と、あまりよく分からないことを続けた。
「手伝いと見学に何の関係が……?」
「ハハ、キミには少し難しいかもしれない。……ただ、口実がほしいだけさ」
「口実?」
「そう。この部屋に居座る、口実」
ざくと、ナッツが乱雑に砕ける音が室内に響き渡った。包丁を下ろした体勢のまま、彼の言葉を反芻する。
(私の部屋に、居座る口実?)
それがほしいと、小竜は言った。それはつまり、どういうことだろう。彼は、ここにいたいと思ってくれているのだろうか。だとしたら、それは何故? 見るに見かねて? いや、違う。それならば見学する意味が分からない。では、小竜が私のそばに居座りたいと思う、他の理由は――もしかして。
息をのんで視線を持ち上げた先、真正面で細められた紫に挑戦的な光が宿り、この意味が分かるかと問いかける。あるいは、すでに分かっているのだろうと、確信をもって詰め寄ってくる。会話を続けたいのに、あの紫色が、平静でいさせてくれない。目を丸くしてわずかに口を開いたまま、ただ呆然と小竜を見る。小竜は満足げに口の端を持ち上げると、私の手元に視線を移した。
「俺たちの主は、たくさんの刀に愛情を注がなければならないからね」
「……」
「たまには独り占めしたって罰は当たらないだろうし……手伝ったご褒美くらいは、もらえるかもしれない」
細長い指が示す先、砕けたナッツとともにブラウニーが崩れていたことに、ようやく気が付く。
「俺だって、特別がほしくなることもあるさ」
「……これが、特別なの? ボロボロなのに」
「ああ。きれいにラッピングされていたとしても、他と同じじゃ意味がない」
「……」
「俺はキミの特別がほしいよ、主」
そう言いながらも、崩れたブラウニーを勝手に奪っていくようなことはしない。彼はただ、待っている。私が自らの手で、このお菓子のかけらを渡すことを。それを食べることを許可し、他の刀には秘密だと約束させることを、待ち望んでいる。思い上がりや勘違いだと断ずるには、私を見る双眸はあまりに真剣で、ねだるように私を呼ぶ声は、甘かった。
テーブルひとつ分離れた場所にある紫色が熱を帯び、私の思考を溶かす。促されるままに包丁を置き、わずかに震える指先で5センチほどのブラウニーを持ち上げた。耳元で心臓の音が聞こえる。呼吸が早い。全身が熱く、火照っているような感覚が気持ち悪くもあり、心地よくもある。ほんの少し先にある小竜の手が、遠い。
(いいのかな、本当に、こんな)
彼のまなざしがもたらす高揚と、いけないことをしているような罪悪感から、手の動きがのろくなる。それでもやめておこうとは考えなかった。恐る恐る差し出したブラウニーは彼の手のひらに乗ることはなく――初めて触れる大きな手が、私の手ごとそのかけらを口元まで運んだ。
「!」
ゆるく笑んでいた唇が開き、人差し指と親指のすぐそばに特徴的な犬歯が迫る。思わず手を引くがぴくりとも動かすことはできず、小竜はそのままブラウニーのかけらに噛みついた。パッと指先を開くと、彼は器用に残りを口の中に収め、そのままもぐもぐと咀嚼を始める。羞恥心が、ピークに達した。頬から耳にかけてが熱い。鏡がなくとも、顔が赤くなっていることが分かる。動悸もするし、呼吸はおおいに乱れている。恥ずかしさから目には涙も浮いてきた。もう解放してくれと腕を引けば、今度はあっさりと我が右手を救出することができた。胸元に引き寄せた自分の手の甲を守るように左手で覆う。骨ばった指先の感触が、生々しく残っていた。
「ごちそうさま。おいしかったよ」
長い時間をかけてブラウニーを飲み込み、小竜は平然とそう言った。ドキドキと上下する心臓がうるさく、返す言葉も出てこない。混乱しているのだと思う。小竜の言葉と行動に、心と思考がかき乱されている。自分の手を握りながら、とにかくこの熱が引くのをひたすらに待つことしかできない。がちりと固まって無意味にブラウニーを見つめる私に降ってきたのは、小さな笑い声だった。
「さて、これ以上邪魔したら準備が間に合わなくなってしまうかな」
「……」
「手伝いが必要ならいつでも呼んでくれ。……夕飯の準備が整ったら、また来るよ」
俯いたままかろうじて頷いた私を置いて、小竜は部屋を出ていった。動悸は未だに収まらない。遠ざかっていく足音が先ほどよりも大きく、早足だったことに――きっと彼も内心は平静ではないのだろうということに気がつき、体温はさらに上がる。
(どうすればいいの、これ……)
このまま動悸が止まらず熱が引かなければ死んでしまうのではないだろうか。そんな馬鹿げた想像がリアルに感じるほど、心身が異常を訴えている。夕食の準備が整ったとき、私はどんな顔をすればいいのだろう。小竜が再びこの部屋に足を踏み入れたとき、彼は私に、何を望むのだろう。まだまだラッピングにはたどり着きそうにないブラウニーの山に囲まれながら、ただただ頭を抱えて浅い呼吸を繰り返す。
(なんで、なんでこんなことに)
何度考えても答えらしい答えは出てこない。すべてはあの刀の胸の内。この部屋にあるのは、香ばしいチョコレートの香りだけだった。
夕食当番の刀たちの邪魔にならないよう、1日かけて焼き上げた大量のブラウニーを一度自室へと運ぶ。冷めたものから切り分けて、ラッピングする作業が残っていた。
「これくらいの手伝いは許されるだろう?」
鉄板サイズのブラウニーを2皿ずつ持って厨と自室の往復をする私を見かねたのだろう、小竜は私の返事を待たずに同じようにブラウニーを持ち上げた。そのまま廊下に出ていく小竜を慌てて追いかけたのは、良心が痛んだからではない。このブラウニーの一部には、まぎれもない下心がこめられていたからだ。
「キミも毎年、よくやるねえ」
小走りで隣に並ぶと、小竜は横目で私を見下ろしてからひゅうと口笛を吹いた。これは嫌味ではなく愛情表現だと分かる程度には、彼のことを知っているつもりだ。「年1回だけだから」と反射のように返すと、彼は満足そうに頷いた。
「ああ、今日はみんな、そわそわと落ち着きがなかった。期待しているようだったよ」
「おいしくできてたらいいんだけど……」
「それは安心していい。主手ずから渡してもらえるということの方が重要だからね」
もちろん味が良いに越したことはないけれどと続けて、紫色の瞳がいたずらっぽく細められた。上向いた口角は、彼も同じように思ってくれていることの証だと考えてもいいのだろうか。もしそうならば、うれしい。いつの間にか彼に対して抱いていた特別な感情も、報われる。
(主としてっていうだけでも……少しでも他と違う気持ちを抱いてくれてるなら、それだけで)
ちくんと痛んだ胸元を誤魔化すように、私の方も笑って見せる。やがて自室に到着すると、小竜はブラウニーを置いて再び厨に戻っていった。
「ラッピングがあるんだろう? 運んであげるから、先に取りかかるといい」
廊下を戻っていく小竜は普段よりも少しだけ上機嫌に見えた。彼の気配が遠のいてから、小さく息を吐いて大量のブラウニーを見下ろす。入るだけ運び込んだテーブルに所せましと並んだ皿と、部屋に充満する控えめなチョコレートの香り。夕食までにすべてを均等に切り分け、まったく同じラッピングを施していかなければならない。だって、誰かひとりでも特別にしてしまえばみんなが不満に思う。優先すべきなのは私の個人的な感情ではなく、この本丸の運営だ。
(でも、ちょっとだけでも、特別にしたかったな)
もし私たちが主と刀剣男士という関係でなければ、この思いを打ち明けてしまえたのに。そんな詮ないわがままを思考の奥にしまいこみ、包丁を取る。ナッツとラズベリーを散りばめたブラウニーを切るのは存外難しく、四苦八苦しながら包丁を動かしているうちに小竜はすべての皿を運び終えてしまった。お礼を言えばきっと退室するだろうと思っていたのに、何を思ったのか小竜はそのままちょこんとテーブル向こう側に腰を下ろした。
「ど、どうしたの?」
「本当はラッピングまで手伝いたいところだけれど、キミのことだ。固辞するだろう?」
「それは……そうだね」
本丸のみんなのために、それくらいの手間はかけたい。
それに小竜には、私が自分の手で準備したものを食べてもらいたい。
本丸を率いる主にはふさわしくない下心を飲み込んで、口の端を持ち上げる。小竜は口元にゆるやかな弧を描き、「だから見学をさせてもらおうかと思ってね」と、あまりよく分からないことを続けた。
「手伝いと見学に何の関係が……?」
「ハハ、キミには少し難しいかもしれない。……ただ、口実がほしいだけさ」
「口実?」
「そう。この部屋に居座る、口実」
ざくと、ナッツが乱雑に砕ける音が室内に響き渡った。包丁を下ろした体勢のまま、彼の言葉を反芻する。
(私の部屋に、居座る口実?)
それがほしいと、小竜は言った。それはつまり、どういうことだろう。彼は、ここにいたいと思ってくれているのだろうか。だとしたら、それは何故? 見るに見かねて? いや、違う。それならば見学する意味が分からない。では、小竜が私のそばに居座りたいと思う、他の理由は――もしかして。
息をのんで視線を持ち上げた先、真正面で細められた紫に挑戦的な光が宿り、この意味が分かるかと問いかける。あるいは、すでに分かっているのだろうと、確信をもって詰め寄ってくる。会話を続けたいのに、あの紫色が、平静でいさせてくれない。目を丸くしてわずかに口を開いたまま、ただ呆然と小竜を見る。小竜は満足げに口の端を持ち上げると、私の手元に視線を移した。
「俺たちの主は、たくさんの刀に愛情を注がなければならないからね」
「……」
「たまには独り占めしたって罰は当たらないだろうし……手伝ったご褒美くらいは、もらえるかもしれない」
細長い指が示す先、砕けたナッツとともにブラウニーが崩れていたことに、ようやく気が付く。
「俺だって、特別がほしくなることもあるさ」
「……これが、特別なの? ボロボロなのに」
「ああ。きれいにラッピングされていたとしても、他と同じじゃ意味がない」
「……」
「俺はキミの特別がほしいよ、主」
そう言いながらも、崩れたブラウニーを勝手に奪っていくようなことはしない。彼はただ、待っている。私が自らの手で、このお菓子のかけらを渡すことを。それを食べることを許可し、他の刀には秘密だと約束させることを、待ち望んでいる。思い上がりや勘違いだと断ずるには、私を見る双眸はあまりに真剣で、ねだるように私を呼ぶ声は、甘かった。
テーブルひとつ分離れた場所にある紫色が熱を帯び、私の思考を溶かす。促されるままに包丁を置き、わずかに震える指先で5センチほどのブラウニーを持ち上げた。耳元で心臓の音が聞こえる。呼吸が早い。全身が熱く、火照っているような感覚が気持ち悪くもあり、心地よくもある。ほんの少し先にある小竜の手が、遠い。
(いいのかな、本当に、こんな)
彼のまなざしがもたらす高揚と、いけないことをしているような罪悪感から、手の動きがのろくなる。それでもやめておこうとは考えなかった。恐る恐る差し出したブラウニーは彼の手のひらに乗ることはなく――初めて触れる大きな手が、私の手ごとそのかけらを口元まで運んだ。
「!」
ゆるく笑んでいた唇が開き、人差し指と親指のすぐそばに特徴的な犬歯が迫る。思わず手を引くがぴくりとも動かすことはできず、小竜はそのままブラウニーのかけらに噛みついた。パッと指先を開くと、彼は器用に残りを口の中に収め、そのままもぐもぐと咀嚼を始める。羞恥心が、ピークに達した。頬から耳にかけてが熱い。鏡がなくとも、顔が赤くなっていることが分かる。動悸もするし、呼吸はおおいに乱れている。恥ずかしさから目には涙も浮いてきた。もう解放してくれと腕を引けば、今度はあっさりと我が右手を救出することができた。胸元に引き寄せた自分の手の甲を守るように左手で覆う。骨ばった指先の感触が、生々しく残っていた。
「ごちそうさま。おいしかったよ」
長い時間をかけてブラウニーを飲み込み、小竜は平然とそう言った。ドキドキと上下する心臓がうるさく、返す言葉も出てこない。混乱しているのだと思う。小竜の言葉と行動に、心と思考がかき乱されている。自分の手を握りながら、とにかくこの熱が引くのをひたすらに待つことしかできない。がちりと固まって無意味にブラウニーを見つめる私に降ってきたのは、小さな笑い声だった。
「さて、これ以上邪魔したら準備が間に合わなくなってしまうかな」
「……」
「手伝いが必要ならいつでも呼んでくれ。……夕飯の準備が整ったら、また来るよ」
俯いたままかろうじて頷いた私を置いて、小竜は部屋を出ていった。動悸は未だに収まらない。遠ざかっていく足音が先ほどよりも大きく、早足だったことに――きっと彼も内心は平静ではないのだろうということに気がつき、体温はさらに上がる。
(どうすればいいの、これ……)
このまま動悸が止まらず熱が引かなければ死んでしまうのではないだろうか。そんな馬鹿げた想像がリアルに感じるほど、心身が異常を訴えている。夕食の準備が整ったとき、私はどんな顔をすればいいのだろう。小竜が再びこの部屋に足を踏み入れたとき、彼は私に、何を望むのだろう。まだまだラッピングにはたどり着きそうにないブラウニーの山に囲まれながら、ただただ頭を抱えて浅い呼吸を繰り返す。
(なんで、なんでこんなことに)
何度考えても答えらしい答えは出てこない。すべてはあの刀の胸の内。この部屋にあるのは、香ばしいチョコレートの香りだけだった。