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うららかな昼下がり。休日を楽しむ刀剣男士たちが、本丸のそこここで賑やかに過ごしている声が聞こえる。大抵は気が合う刀同士、あるいはひとりで、心が赴くまま自由に過ごしていることだろう。笑い声や時折混じる怒声をBGMに空き部屋で横になったのは、昼過ぎだったと思う。座卓でぼんやりとお茶を飲んでいたが、予定もなく、お腹も満たされた我が体は眠気を訴えていた。座布団を枕に真後ろに倒れ、重くなったまぶたに逆らうことなく、昼寝を始めてしまった。
目が覚めたのは、それなりの時間が経過してから。詳細な時刻までは分からない。というか、確認できていない。何せ今の私は狸寝入りを決め込んでいる。浅い眠りから覚め、思いのほか近くから聞こえる誰かの話し声を不思議に思いながら持ち上げたまぶたは――金と銀の長い髪の毛を認めた瞬間、高速で下ろした。
座卓の向かって左に小竜景光。向かって右に大般若長光。
向かい合って座卓を囲む彼らは、ここのところやたら私を間に挟んで笑顔でバチバチと争っていた。
「それにしても、良い天気だなぁ」
大般若ののんびりとした声に、小竜が「そうだねぇ」と同じくのんびりと返す。ふたりは決して不仲というわけではない。同派の刀で、長年の付き合いもあるようだから、どちらかと言えば良好な関係なのだと思う。彼らが張り合ってしまうのは特定の条件下――繰り返すが、間に私を挟んだときだった。
例えば先週。ちょっとした買い物に行こうとしたとき、通りかかった小竜に呼び止められた。出かけるのだと教えると、彼は「ちょうどいい」と口元を緩めた。
「俺も万屋に用事があってね。たまにはお供させてもらおうかな」
「いいの? 珍しい」
「ハハ、俺がどんな男に見えているのか、道すがら確かめないといけないようだ」
冗談めかして肩をすくめながらブーツを履き始める小竜に私も笑って返す。内番着だが財布は持っているのだろうかとぼんやり考えながら立ち上がると、「主人?」と背後から声をかけられた。振り向けば同じく内番着の大般若が廊下の奥から歩いてくるところで、それまでご機嫌だった小竜が途端に口をへの字に曲げたのが見えた。
「お出かけかい?」
「うん。たまたま小竜と一緒になって」
「……へえ?」
切れ長の目がおもしろがるように細められ、小竜の方を向いた。すると小竜はさらに嫌そうに口角を下げたが、さっとわざとらしい笑みを顔に貼りつけてから振り向き、先手必勝と言わんばかりに口を開いた。
「というわけだから、留守は頼むよ」
「なに、名だたる名刀が揃う本丸だ。俺が抜けたくらいで影響は出ないだろうさ」
「謙遜は過ぎると嫌味に聞こえるものだよ。主もそう思うだろう?」
「え? ……ああ、大般若も行きたいの?」
「主人は話が早くて助かるなぁ」
「ちょっと」
明らかに同行を拒否している小竜を無視して、大般若もいそいそと自分の靴を履き始める。普段は滅多に表情を変えない小竜が眉をひそめ、「本気?」と問いかけた。
「スマートじゃないんじゃないの、そういうの」
「本気の勝負でまで冷静な顔はしていられないさ。実は行ってみたい店があってね」
「どんな?」
「うまいケーキを出す喫茶店が万屋街の端っこにできたらしい。味はうちのすいーつ職人のお墨付きさ」
「へー。大般若、甘いもの好きだっけ?」
「特別好いているわけじゃないが、あそこまで絶賛されれば気にもなるだろう? テイクアウトはないようだから、主人に付き合ってもらえると助かるんだが」
「そうだねぇ……」
先にブーツを履き終わり立ち上がった小竜が、無言で私を見下ろしてくる。斜め下からは、試すように口角を上げる大般若からの視線がざくざくと突き刺さってくる。
これはどちらもお出かけにかこつけたデートのお誘いだろう。どちらかと言えば大般若の方が露骨だが、私としては特に断る理由もない。それは小竜も同じなのだろう、はっきりと拒否する理由がないから、ムッと口を尖らせて成り行きを見守っている。かと言って小竜を優先する理由も私にはなかった。
(き、気まずいのですが……)
さりげなく火花を散らすふたりに挟まれて買い物に行くのは、正直なところ気まずい。しかしここまで来て行かないという選択肢もない。いっそのこと「ちょうどいいから小竜と大般若で行っておいでよ」と空気が読めないふりをしたいが、それができない自分がいる。なんとか円満に過ごすことはできないものかとない頭を捻るが、妙案が浮かぶこともなかった。
結局はそのまま出かけることになり、私の用事と小竜の用事を片付け、最後は小豆おすすめの喫茶店で謎に三人でお茶をしてしまった。味は最高だったが、まったくもって謎だった。
(まあ行ったら行ったでギスギス感は出さないでくれたし、ふたりとも大人だから楽しませてくれたけども……)
ここのところ、こういう小さな小競り合いが立て続いている。
私もそれなりの年齢だ。彼らの言動が意味するところは何となく分かっている。好意を寄せられて悪い気もしない。けれど私に見えるところで争うのは止めていただきたい。ええ、ぜひとも止めていただきたい。何せ気まずい。あとそうやって争われたところで、今の私はふたりに対して何かしらの答えを出せるわけでもない。
しかし願いも虚しく、狸寝入りをしている私には気づいていないおふたりは、またしても小競り合いを始めてしまった。
「俺が来る前、何してた?」
大般若のからかうような声に、小竜が乾いた笑いを返す。
「よく言うよ。邪魔したくせに」
「ハハ、悪い悪い。だが邪魔ってのは正しくないな。放っておいても、特に困ったことにはならなかっただろ?」
「どこかの誰かと違って誠実なものでね。いくらこっちが好意を持っていたとしても、本人の意思が伴わなければ暴力と同じだ」
「違いない」
「……詰めが甘くて助かる、って顔してるけど?」
「俺なら躊躇なく奪ってただろうからな」
何をだよ、というツッコミはもちろん口に出すことができず、ただ背中の辺りが少し冷たくなる。おそらく先にこの部屋に入ってきたのは小竜だったのだろう。そのことに何かしら救われたのか、そうではないのか。何にせよ私としては不安ばかりが積もっていく。
「奪う、ねぇ」
大般若の言葉を、小竜がゆっくりと繰り返した。
「実際のところ、キミがそれをやるのは勝敗が決したあとだろう? それって結局は、俺と何も変わらないと思うんだけど」
「勝敗を決する一手になるなら奪うことも厭わない、という点では違うと思ってたが?」
「ハハ、その勘違いは正さないでおこうかな。俺にとっては都合がいい」
「勘違いときたか。存外したたかな男だな」
「伊達に旅はしてないさ」
穏やかなのかそうでないのか。いまいち測りかねる会話は、話題を変えずにぽつぽつと続いていく。牽制しあっていると感じてしまうのは、決してうぬぼれではないだろう。気まずい。あまりにも気まずい。ふたりとも、早くどこかに行ってほしい。そうでなければ私は永遠にここで狸寝入りを続けることになってしまう。しかし願いも虚しく、会話が完全に途切れることはない。
(弾ませるなよ会話を~)
もともとは気性が合うのだろうふたりに、安心半分、気まずさ半分。そろそろ寝返りでも打ちつつ起きてしまおうかと思い始めたころ、思いがけない救世主が現れた。
「あ、ここにいたんだ」
部屋の外から投げ込まれた声に、内心でハッとした。実休光忠。そういえば午後は彼と約束をしていたのだ。これは狸寝入りをやめてふたりを解散させる好機だと、少しだけ希望が湧く。
「主に用かい?」
「うん。一緒に薬草茶を煎じる約束をしていたんだけど……起こすのは忍びないかな」
忍びなくないから一切の躊躇なく起こしてほしい。そう叫びたいのを必死にこらえ、誰かが肩を揺すってくれるのを今か今かと待つ。私の思いを汲んでくれたのか、大般若が「そんなことはない」と実休の言葉を否定した。
「約束を違えたとあれば、主人の方も落ち込むだろうさ」
「そうかな。じゃあ遠慮なく」
畳を踏む音が何度か聞こえ、すぐそばに人の気配を感じた。おそらく入室してきた実休だろう。大きな手が肩に触れ――しかし不思議そうな声が「あれ?」とつぶやいた。
「実休?」
「主人がどうかしたかい?」
「……いや、なんでもないよ。主、起きて。約束の時間だよ」
まるで緩く揺さぶられた衝撃で目が覚めたかのように、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。真っ先に目に入ってきたのは予想通り、実休光忠。その後ろでは小竜と大般若が、微笑ましげに私を見ている。ふたりの視線から逃れるように実休を見上げると、彼はやわらかく口角を上げて「おはよう」と言った。
「……おはようございます」
「そろそろ約束の時間だから探しに来たんだ。行けそう?」
「うん、行く行く」
寧ろ行かない理由はない。いそいそと立ち上がり、心なしご機嫌な実休の後ろに続く。お互いに対して以外は実に寛容な小竜と大般若も「いってらっしゃい」「楽しんできな」と言いながら、快く私を見送る姿勢だ。これ幸いと早足気味に廊下に出ると、すぐに実休がこちらを振り向き、苦笑混じりに私を見下ろした。
「狸寝入りの邪魔をしてしまったかな」
耳元に口を寄せ、小さい声で囁く実休に、私も苦笑しながら首を横に振る。
「バレてた?」
「うん、そばに寄ったときに。ふたりは気付いてなかったようだけど」
「なんか起きるタイミング逃しちゃって。お迎え来てくれてありがとう」
「ううん、僕が君に会いたかっただけだから」
実休はいかにも長船の男士らしく、さらりと口説くようなことを言って微笑んだ。それが少しくすぐったくて笑うと、彼は「主はかわいいね」とさらに口説き文句めいたことを続ける。
「ふたりが君に思いを寄せているのも分かるな」
「な、なにそれ~?」
「本気だよ? 僕も好きになってもいいかな、君のこと」
「え、え~?」
何を言い出すんだこの光忠。返答に困ってヘラッと笑って受け流そうとするも、向けられた視線が思いのほか真剣でそれ以上の言葉が出てこない。なんだこれは。冗談で言っているのか本気で言っているのかも分からない。どうしたらいいんだ。背中に冷たい汗が流れ始めるのを感じる。心なしか少しずつお顔の位置が近づいてきている気がしてじりじりと後退するが、悲しいかな、あっという間に狭い廊下の壁にたどり着いてしまう。とにかくなんだかまずい。どうしようどうしようと頭の中がぐるぐるとする中――ふいに、眼前に黒い壁が現れた。
「言い忘れたんだけど、俺も興味あるな、薬草茶」
聞き覚えのある声。おやと思って上を見上げる前に、横から腕を引っ張られて体がよろめく。
「このあとの予定も空いていることだし、良ければご相伴に預からせていただきたいね」
こちらも聞き覚えがある声。見上げればそこには悠然と微笑む大般若長光がいた。少しだけ息が切れているのは、急いでここに来たからなのだろう。元いた場所で実休と向かい合っているのは案の定小竜で、彼も笑ってはいたが口の端がやや引きつっていた。対する実休は、なんだかものすごく顔を輝かせていた。
「わあ、うれしいな。じゃあ早速みんなで行こうか」
素直。あまりに素直。実休はふわふわと周りにお花を飛ばしながら、彼の自室に向けて歩き始める。おそらく実休の妨害――もとい私を救出しに来たのだろう小竜と大般若は、深く大きなため息を吐いてから同時に私に視線を向けた。
「俺が言うことではないけれど、拒否するときはしっかり拒否しないと、付け込まれてしまうよ」
「え、うん……」
本当に小竜が言うことではない。しかし否定もできずに曖昧に頷くと、大般若も眉をひそめるようにしてから口の端を上げる。
「なんでも受け入れるのはあんたの美点ではあるし、俺は主人のそういうところを好ましく思っているが……ま、小竜の言う通り、危機感は持った方がいいかもな」
「はあ……」
やはり大般若が言うようなことではない。こちらにも返した曖昧な頷きに、大般若と小竜は目を合わせてから苦く笑う。「仕方がない人だ」とでも言いたげなふたりに言い返したい気持ちしかなかったが、立ち止まったままの私たちに気が付いた実休が「喧嘩は良くないよ」とこちらを振り返った。
「喧嘩なんてしてないさ。寧ろここ数カ月で一番息が合っていたかな」
「もともと気は合う方だしなぁ」
「へえ? そんなふうに思ってくれていたなんて、光栄だね」
「ハハ、じゃなきゃ同じものを愛でて取り合うことなんてしないだろ?」
「俺はそういうのを、気が合わないと呼んでいるんだけど」
「……」
はい、また気まずい。私のことが好きなら気まずい思いをさせないでほしい。あと隙あらば遠回しに私の話をするのを止めてほしい。しかしまたしてもそんな本音を口に出すことはできず、かと言ってどんなリアクションをすればいいのかも分からず、無言で実休の方へと歩き出す。大般若はあっさりと手を離してくれたし小竜も道を塞ぐようなことはしなかった。あっという間に追いついた実休は「顔が赤いよ」といらない指摘をしてくれたが、返事はせずにひたすらに廊下を突き進む。
(ほんっと気まずい。……いや、私が何か答えを出せばいいんだろうけど)
こういうときに中途半端で曖昧な態度を取るのは一番よろしくないということは分かっている。ふたりのうちどちらかを選ぶか、あるいは他の誰かを選ぶか、誰も選ばず拒否するという選択肢もある。しかしなんだかはっきりと答えを出すことができず、流れに身を任せてしまっているのが現状だ。優柔不断な自分を恨むほかないが、ひとまず小競り合いは私がいない場所でしてほしい、切実に。しかし願いも虚しく、背後からは飽きることなく火花を散らすふたりの声と、それを微笑ましく見守っているのだろう実休の合いの手が聞こえてきていた。
目が覚めたのは、それなりの時間が経過してから。詳細な時刻までは分からない。というか、確認できていない。何せ今の私は狸寝入りを決め込んでいる。浅い眠りから覚め、思いのほか近くから聞こえる誰かの話し声を不思議に思いながら持ち上げたまぶたは――金と銀の長い髪の毛を認めた瞬間、高速で下ろした。
座卓の向かって左に小竜景光。向かって右に大般若長光。
向かい合って座卓を囲む彼らは、ここのところやたら私を間に挟んで笑顔でバチバチと争っていた。
「それにしても、良い天気だなぁ」
大般若ののんびりとした声に、小竜が「そうだねぇ」と同じくのんびりと返す。ふたりは決して不仲というわけではない。同派の刀で、長年の付き合いもあるようだから、どちらかと言えば良好な関係なのだと思う。彼らが張り合ってしまうのは特定の条件下――繰り返すが、間に私を挟んだときだった。
例えば先週。ちょっとした買い物に行こうとしたとき、通りかかった小竜に呼び止められた。出かけるのだと教えると、彼は「ちょうどいい」と口元を緩めた。
「俺も万屋に用事があってね。たまにはお供させてもらおうかな」
「いいの? 珍しい」
「ハハ、俺がどんな男に見えているのか、道すがら確かめないといけないようだ」
冗談めかして肩をすくめながらブーツを履き始める小竜に私も笑って返す。内番着だが財布は持っているのだろうかとぼんやり考えながら立ち上がると、「主人?」と背後から声をかけられた。振り向けば同じく内番着の大般若が廊下の奥から歩いてくるところで、それまでご機嫌だった小竜が途端に口をへの字に曲げたのが見えた。
「お出かけかい?」
「うん。たまたま小竜と一緒になって」
「……へえ?」
切れ長の目がおもしろがるように細められ、小竜の方を向いた。すると小竜はさらに嫌そうに口角を下げたが、さっとわざとらしい笑みを顔に貼りつけてから振り向き、先手必勝と言わんばかりに口を開いた。
「というわけだから、留守は頼むよ」
「なに、名だたる名刀が揃う本丸だ。俺が抜けたくらいで影響は出ないだろうさ」
「謙遜は過ぎると嫌味に聞こえるものだよ。主もそう思うだろう?」
「え? ……ああ、大般若も行きたいの?」
「主人は話が早くて助かるなぁ」
「ちょっと」
明らかに同行を拒否している小竜を無視して、大般若もいそいそと自分の靴を履き始める。普段は滅多に表情を変えない小竜が眉をひそめ、「本気?」と問いかけた。
「スマートじゃないんじゃないの、そういうの」
「本気の勝負でまで冷静な顔はしていられないさ。実は行ってみたい店があってね」
「どんな?」
「うまいケーキを出す喫茶店が万屋街の端っこにできたらしい。味はうちのすいーつ職人のお墨付きさ」
「へー。大般若、甘いもの好きだっけ?」
「特別好いているわけじゃないが、あそこまで絶賛されれば気にもなるだろう? テイクアウトはないようだから、主人に付き合ってもらえると助かるんだが」
「そうだねぇ……」
先にブーツを履き終わり立ち上がった小竜が、無言で私を見下ろしてくる。斜め下からは、試すように口角を上げる大般若からの視線がざくざくと突き刺さってくる。
これはどちらもお出かけにかこつけたデートのお誘いだろう。どちらかと言えば大般若の方が露骨だが、私としては特に断る理由もない。それは小竜も同じなのだろう、はっきりと拒否する理由がないから、ムッと口を尖らせて成り行きを見守っている。かと言って小竜を優先する理由も私にはなかった。
(き、気まずいのですが……)
さりげなく火花を散らすふたりに挟まれて買い物に行くのは、正直なところ気まずい。しかしここまで来て行かないという選択肢もない。いっそのこと「ちょうどいいから小竜と大般若で行っておいでよ」と空気が読めないふりをしたいが、それができない自分がいる。なんとか円満に過ごすことはできないものかとない頭を捻るが、妙案が浮かぶこともなかった。
結局はそのまま出かけることになり、私の用事と小竜の用事を片付け、最後は小豆おすすめの喫茶店で謎に三人でお茶をしてしまった。味は最高だったが、まったくもって謎だった。
(まあ行ったら行ったでギスギス感は出さないでくれたし、ふたりとも大人だから楽しませてくれたけども……)
ここのところ、こういう小さな小競り合いが立て続いている。
私もそれなりの年齢だ。彼らの言動が意味するところは何となく分かっている。好意を寄せられて悪い気もしない。けれど私に見えるところで争うのは止めていただきたい。ええ、ぜひとも止めていただきたい。何せ気まずい。あとそうやって争われたところで、今の私はふたりに対して何かしらの答えを出せるわけでもない。
しかし願いも虚しく、狸寝入りをしている私には気づいていないおふたりは、またしても小競り合いを始めてしまった。
「俺が来る前、何してた?」
大般若のからかうような声に、小竜が乾いた笑いを返す。
「よく言うよ。邪魔したくせに」
「ハハ、悪い悪い。だが邪魔ってのは正しくないな。放っておいても、特に困ったことにはならなかっただろ?」
「どこかの誰かと違って誠実なものでね。いくらこっちが好意を持っていたとしても、本人の意思が伴わなければ暴力と同じだ」
「違いない」
「……詰めが甘くて助かる、って顔してるけど?」
「俺なら躊躇なく奪ってただろうからな」
何をだよ、というツッコミはもちろん口に出すことができず、ただ背中の辺りが少し冷たくなる。おそらく先にこの部屋に入ってきたのは小竜だったのだろう。そのことに何かしら救われたのか、そうではないのか。何にせよ私としては不安ばかりが積もっていく。
「奪う、ねぇ」
大般若の言葉を、小竜がゆっくりと繰り返した。
「実際のところ、キミがそれをやるのは勝敗が決したあとだろう? それって結局は、俺と何も変わらないと思うんだけど」
「勝敗を決する一手になるなら奪うことも厭わない、という点では違うと思ってたが?」
「ハハ、その勘違いは正さないでおこうかな。俺にとっては都合がいい」
「勘違いときたか。存外したたかな男だな」
「伊達に旅はしてないさ」
穏やかなのかそうでないのか。いまいち測りかねる会話は、話題を変えずにぽつぽつと続いていく。牽制しあっていると感じてしまうのは、決してうぬぼれではないだろう。気まずい。あまりにも気まずい。ふたりとも、早くどこかに行ってほしい。そうでなければ私は永遠にここで狸寝入りを続けることになってしまう。しかし願いも虚しく、会話が完全に途切れることはない。
(弾ませるなよ会話を~)
もともとは気性が合うのだろうふたりに、安心半分、気まずさ半分。そろそろ寝返りでも打ちつつ起きてしまおうかと思い始めたころ、思いがけない救世主が現れた。
「あ、ここにいたんだ」
部屋の外から投げ込まれた声に、内心でハッとした。実休光忠。そういえば午後は彼と約束をしていたのだ。これは狸寝入りをやめてふたりを解散させる好機だと、少しだけ希望が湧く。
「主に用かい?」
「うん。一緒に薬草茶を煎じる約束をしていたんだけど……起こすのは忍びないかな」
忍びなくないから一切の躊躇なく起こしてほしい。そう叫びたいのを必死にこらえ、誰かが肩を揺すってくれるのを今か今かと待つ。私の思いを汲んでくれたのか、大般若が「そんなことはない」と実休の言葉を否定した。
「約束を違えたとあれば、主人の方も落ち込むだろうさ」
「そうかな。じゃあ遠慮なく」
畳を踏む音が何度か聞こえ、すぐそばに人の気配を感じた。おそらく入室してきた実休だろう。大きな手が肩に触れ――しかし不思議そうな声が「あれ?」とつぶやいた。
「実休?」
「主人がどうかしたかい?」
「……いや、なんでもないよ。主、起きて。約束の時間だよ」
まるで緩く揺さぶられた衝撃で目が覚めたかのように、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。真っ先に目に入ってきたのは予想通り、実休光忠。その後ろでは小竜と大般若が、微笑ましげに私を見ている。ふたりの視線から逃れるように実休を見上げると、彼はやわらかく口角を上げて「おはよう」と言った。
「……おはようございます」
「そろそろ約束の時間だから探しに来たんだ。行けそう?」
「うん、行く行く」
寧ろ行かない理由はない。いそいそと立ち上がり、心なしご機嫌な実休の後ろに続く。お互いに対して以外は実に寛容な小竜と大般若も「いってらっしゃい」「楽しんできな」と言いながら、快く私を見送る姿勢だ。これ幸いと早足気味に廊下に出ると、すぐに実休がこちらを振り向き、苦笑混じりに私を見下ろした。
「狸寝入りの邪魔をしてしまったかな」
耳元に口を寄せ、小さい声で囁く実休に、私も苦笑しながら首を横に振る。
「バレてた?」
「うん、そばに寄ったときに。ふたりは気付いてなかったようだけど」
「なんか起きるタイミング逃しちゃって。お迎え来てくれてありがとう」
「ううん、僕が君に会いたかっただけだから」
実休はいかにも長船の男士らしく、さらりと口説くようなことを言って微笑んだ。それが少しくすぐったくて笑うと、彼は「主はかわいいね」とさらに口説き文句めいたことを続ける。
「ふたりが君に思いを寄せているのも分かるな」
「な、なにそれ~?」
「本気だよ? 僕も好きになってもいいかな、君のこと」
「え、え~?」
何を言い出すんだこの光忠。返答に困ってヘラッと笑って受け流そうとするも、向けられた視線が思いのほか真剣でそれ以上の言葉が出てこない。なんだこれは。冗談で言っているのか本気で言っているのかも分からない。どうしたらいいんだ。背中に冷たい汗が流れ始めるのを感じる。心なしか少しずつお顔の位置が近づいてきている気がしてじりじりと後退するが、悲しいかな、あっという間に狭い廊下の壁にたどり着いてしまう。とにかくなんだかまずい。どうしようどうしようと頭の中がぐるぐるとする中――ふいに、眼前に黒い壁が現れた。
「言い忘れたんだけど、俺も興味あるな、薬草茶」
聞き覚えのある声。おやと思って上を見上げる前に、横から腕を引っ張られて体がよろめく。
「このあとの予定も空いていることだし、良ければご相伴に預からせていただきたいね」
こちらも聞き覚えがある声。見上げればそこには悠然と微笑む大般若長光がいた。少しだけ息が切れているのは、急いでここに来たからなのだろう。元いた場所で実休と向かい合っているのは案の定小竜で、彼も笑ってはいたが口の端がやや引きつっていた。対する実休は、なんだかものすごく顔を輝かせていた。
「わあ、うれしいな。じゃあ早速みんなで行こうか」
素直。あまりに素直。実休はふわふわと周りにお花を飛ばしながら、彼の自室に向けて歩き始める。おそらく実休の妨害――もとい私を救出しに来たのだろう小竜と大般若は、深く大きなため息を吐いてから同時に私に視線を向けた。
「俺が言うことではないけれど、拒否するときはしっかり拒否しないと、付け込まれてしまうよ」
「え、うん……」
本当に小竜が言うことではない。しかし否定もできずに曖昧に頷くと、大般若も眉をひそめるようにしてから口の端を上げる。
「なんでも受け入れるのはあんたの美点ではあるし、俺は主人のそういうところを好ましく思っているが……ま、小竜の言う通り、危機感は持った方がいいかもな」
「はあ……」
やはり大般若が言うようなことではない。こちらにも返した曖昧な頷きに、大般若と小竜は目を合わせてから苦く笑う。「仕方がない人だ」とでも言いたげなふたりに言い返したい気持ちしかなかったが、立ち止まったままの私たちに気が付いた実休が「喧嘩は良くないよ」とこちらを振り返った。
「喧嘩なんてしてないさ。寧ろここ数カ月で一番息が合っていたかな」
「もともと気は合う方だしなぁ」
「へえ? そんなふうに思ってくれていたなんて、光栄だね」
「ハハ、じゃなきゃ同じものを愛でて取り合うことなんてしないだろ?」
「俺はそういうのを、気が合わないと呼んでいるんだけど」
「……」
はい、また気まずい。私のことが好きなら気まずい思いをさせないでほしい。あと隙あらば遠回しに私の話をするのを止めてほしい。しかしまたしてもそんな本音を口に出すことはできず、かと言ってどんなリアクションをすればいいのかも分からず、無言で実休の方へと歩き出す。大般若はあっさりと手を離してくれたし小竜も道を塞ぐようなことはしなかった。あっという間に追いついた実休は「顔が赤いよ」といらない指摘をしてくれたが、返事はせずにひたすらに廊下を突き進む。
(ほんっと気まずい。……いや、私が何か答えを出せばいいんだろうけど)
こういうときに中途半端で曖昧な態度を取るのは一番よろしくないということは分かっている。ふたりのうちどちらかを選ぶか、あるいは他の誰かを選ぶか、誰も選ばず拒否するという選択肢もある。しかしなんだかはっきりと答えを出すことができず、流れに身を任せてしまっているのが現状だ。優柔不断な自分を恨むほかないが、ひとまず小競り合いは私がいない場所でしてほしい、切実に。しかし願いも虚しく、背後からは飽きることなく火花を散らすふたりの声と、それを微笑ましく見守っているのだろう実休の合いの手が聞こえてきていた。