小竜さに
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「ウインクして? ……なんだい、それ」
「小竜」
夕食後から一心不乱に作業していた手を止めて顔を上げれば、真後ろから私の手元を覗き込んでいた小竜の長髪が目の前でゆらりと揺れた。そのまま首を後ろに倒せば、真上から見下ろす紫の瞳と視線がぶつかる。彼は来週予定しているアイドルのコンサートを目前にせっせと拵えていたうちわを、ものすごく訝しげに見ていた。
「これはー……えっとぉ……ファンサもらうための……うちわです」
「ふぁんさ?」
「ファ、ファンサービス」
改まって説明するのが少し恥ずかしく、もごもごと曖昧な説明をする私に、小竜はよりいっそう訝しそうにしながら正面に腰を下ろした。あの様子では、本当にファンサがなんなのかをよく分かっていないらしい。偏見と言えば偏見だが、ファンサもうちわも知らない小竜景光がこの世にいることがわりと驚きだ。さらに詳細な説明を求められたことも驚きだ。
まあ特に後ろめたいことがあるわけでもなかったので、作りかけのうちわを手に広間をぐるりと見回した。口で説明するよりも実際に見る方が早いだろうとの判断だった。
「あ、太鼓鐘ー! ファンサして!」
我が本丸ファンサしてくれそうな男士堂々トップの太鼓鐘貞宗にうちわを向ける。彼は何の迷いもなく即座に「いいぜ!」と快諾し、何故か彼の隣の燭台切をウインク付きで指さした。パチンと星が飛んだ気がした。
「みっちゃん、今日の飯もうまかったぜ!」
「え、うん、ありがとう……でも貞ちゃん、主にやってあげた方がいいんじゃない?」
「えっ、だってファンサってファンに向けてサービスするってことだろ? 俺のファンって言ったらみっちゃんだし」
「貞ちゃん……」
カラカラと笑う太鼓鐘に呆れつつ満更でもなさそうな燭台切。まあ、なんだ、間違ってはいない。というかものすごく正しいファンサービスだった。けれど私が望んでいるのはそれじゃない。小竜に視線を戻せば、とても白けた様子で私を見ていた。
「全然分からないんだけど」
「次は大丈夫! 大丈夫だから……えっと……加州ー!!!」
現代のことにも精通し、ノリがいい彼のこと。きっとしっかりファンサしてくれるに違いない。加州がこちらを向いた瞬間にうちわを掲げ――ようとしたが、それより早く、ニヤリと笑んだ彼が「主ー! 俺のこと愛してー!」と妙なことを言い出した。
「んんん?」
「俺、主の大ファンだから。ファンサするよりもされたいなーって思って」
「そういうことは棒読みやめてから言って」
「じゃあ他あたって。俺ネイル中~」
「ネイルしててもウインクはできるだろうよ」
「できない」
「こんなに冷たい加州清光いる? まあいっか。しゃーなし、薬研! ファンサして!」
「お安い御用だ、大将。ほらよ」
薬研は待ち構えていたかのようにノータイムで潔くウインクしてくれた。だが絶妙にへたくそで、ぱっちり開いているべき左目が半分閉じ、少し痙攣しているのがこの距離でも分かる。なんだこの本丸。主の顔が見てみたいわ。私か。なら仕方ない。気を取り直して小竜に向き直るも、彼はよりいっそう白けたようだった。半目で枝毛を探している。しかしめげる私ではない。
「まあこんな感じよ。分かった?」
「愉快なやつばっかりだってことは分かった」
「そんなの前から分かってたし、もっといろいろ感じ取ることあったでしょ」
「他の加州清光って塩対応じゃないの?」
「そこはいいから、触れないで」
「で? どうしてファンサもらうのにうちわが必要なんだい?」
「急に話戻すじゃん。コンサートとかだとこっちの声はアイドルに聞こえないでしょ? だからうちわ見せてお願いするの」
「なるほどね。我らが主には、そこまで入れ込んでいる男が外にいるってわけか」
「人聞きわるぅ。嫉妬してんの?」
「ハッ」
「鼻で笑うんじゃない」
ムッと口をとがらせた私に対し、小竜は小竜でどこかおもしろくなさそうな半笑いと共に斜め上を見やった。それからぐっと手を伸ばし、元凶であるうちわと手に取る。一生懸命切りぬいた創英角ポップ体は彼のお気に召さなかったようで、やはり変な半笑いのまま「笑いたくもなるさ」とつぶやくように言った。
「バカにしてるのがありありと伝わってくるよ。もうちょっとオブラートに包んで」
「バカになんかしてないさ。ただ……なるほどと思っただけ」
「そのなるほどにはこの主また滑稽なことしてるなって意味が込められてるでしょ」
「まさか。……嫉妬だよ、嫉妬。キミが言った通り」
「ならさっき鼻で笑ったのはなんだったんだよ」
「ハハハ」
「とびきりの作り笑いしても全然誤魔化せてないからね」
「ところでこの字体ダサいと思うよ。もうちょっとおしゃれにしたらどうだい?」
「いーーーんだよ!! 見やすさだよこんなん!! 暗闇の中で目立って読みやすければなんだっていいの!!」
「そこまでしてファンサなんてのがほしいわけ?」
「毎日血なまぐさい話ばっかりしてるから癒しがほしいの!」
「癒し、ね……こっちのことなんか微塵も知らない男に上っ面だけのウインクしてもらうのが、癒しねえ」
「燭台切ー! お宅の刀派の若いのが主にいやな絡み方してきます!!」
「ああ、それ、そんなに癒しがほしいなら自分がファンサしてあげようかって意味だよ」
「どいつもこいつも、いっつも適当ばっかり言ってくれるよな……」
まあいいけど。やれやれと首を振って、うちわに手を伸ばす。端を取って引っ張れば、すぐに私の手元に戻ってくるはずだったそれは、何故かピクリとも動かない。少しだけ視線を上にずらすと、紫の瞳はにらむように燭台切を見ていた。口元は笑みの形をとっているが、端の方は分かりやすく引きつっている。
「え、なに……」
「なんっ……で、俺が、主に、ファンサしなくちゃならないわけ?」
「知らんし……別にしなくていいし……」
「は?」
「なんでそこですごむの? したいの?」
「はぁ? そんなわけ……」
「あー、そっかそっか、そういえば小竜って素直になれない男だったね。仕方ないなぁ。小竜~! ファンサして~!」
「やるわけないだろ。……キミは別に、俺のファンじゃないんだし」
「ファンならしてくれたんだ……じゃあファンになろっかな……」
「そんな不純な動機でファンになる人に提供できるファンサは持ち合わせてないよ」
「えー!? ファンサで落ちてファンになる人もいるのに!?」
「……そうなの?」
「そうだよ! たまにエグいファンサしてくれるアイドルいてさぁ」
「ふーん……」
小竜は何故だか少し考える余地を持ってくれたようで、何やら思考を巡らせながら斜め上を見やった。早急にうちわを返してもらい作業に戻るには彼に満足してもらうほかない。ファンサがしたいのならばさせてあげよう。
「いいよ、やってあげても」
ややあって、小竜はもったいぶった口調でそう言った。先ほどまでの憮然とした表情はどこへやら、挑戦的に細められた紫色に、なんとも言えず生あたたかい気分になる。
(本当はめちゃくちゃファンサしたかったんじゃん……?)
そのようなことを口に出せばみるみるご機嫌を損ねてしまうだろうからお口を閉ざし、こくりと頷いて見せる。そうと決まればうちわを向けてあげようと引っ張ったうちわは、しかし未だピクリとも動かなかった。それどころか小竜はみかんの皮でも剥くように私の1本ずつはがし、ぽいとうちわを投げ捨てる。
「あ!? お前!?」
「コラコラ、そんなにガラが悪い主にはサービスしてやらないよ」
「別にいいけど!?」
「本当に? 残念だねえ。エッグいの、見られるかもしれないのに」
「えっ!? 見られるんですか!?」
それならうちわを粗雑に扱ったことには目をつぶってあげよう。欲望に忠実な主に小竜は呆れた顔をしたが、すぐに表情を切り替えて口の端を持ち上げた。
(まあでも、さっきまでファンサが何かも知らなかった刀だもんな。そんなに期待はしませんとも)
それよりも小竜がこうして私のお遊びに乗ってくれていることの方がうれしいし楽しい。いったい何をしてくれるつもりなのかと、わくわくと座卓の上に身を乗り出す。
「じゃあ行くよ、小竜。えーっと……何がいいかな……えっと……」
「……なにを迷ってるんだい? ウインクすればいいんだろ?」
「今日逃したら小竜のファンサなんて二度と見れないかもしれないし……うーん……あっ、決めた! 小竜~! 覗き竜見せて~!」
「……」
「なにその真顔。ご自慢のキュートな彫り物じゃないの?」
「……そうだけど。……まあいい。親愛なる主のおねだりには応えないとね」
言いながら小竜は右手を持ち上げた。首の後ろに回った骨ばった手はあちこちに飛び跳ねる金色の髪の毛を雑に掴み、右の首筋へと流す。数本の金糸を残してあらわになった首筋は想像よりもたくましく、少しだけそらされたその場所に浮きあがった血管と小さな竜が、妙な色気を醸し出していた。存外男っぽい仕草と体躯に驚き、ドキリと跳ねた心臓を胸の上からおさえる。斜め上から流されるように寄越された視線には、常のひょうひょうとした低めの温度は感じない。寧ろわずかに熱が乗った紫色は、挑発するように私を見てすうと細くなる。なんてつややかな視線。ドンと、胸の内からものすごい音が聞こえた気がした。
「ひえっ」
「ひえっ? ……どう? キュートだろ?」
「い、いや……キュートっていうか……思ったより……色気が……?」
「触れてみたい、って顔だね」
「いいんですか!!!?」
薬研よろしく返事も待たずにノータイムで手を伸ばす。しかし座卓が隔てる距離は想定よりも遠く、指先を掠めることもなく覗き竜は遠ざかってしまった。
「あれ!?」
「はい、終わり終わり」
「ああー!?」
小竜がパッと両手を挙げると押さえていたはずの髪の毛が元の位置に流れて、小さな竜はすっかり身を隠れてしまった。行き場をなくした手はそのままに、思わずかわいくない声を上げる。小竜はいたずらが成功した子どものようにニヤリと口角を持ち上げた。
「自分の刀にもてあそばれた!」
「それこそ人聞きが悪い。いつも言ってるだろ? がっつくんじゃないってさ」
「思わせぶりなこと言う方も悪くない!?」
「別に俺は触っていいなんて一言も言ってないけど」
「うそ……聞こえたよ……だって……目が……そう言ってた……たぶん」
「幻聴だったって薄々分かってるんだろ。……ま、キミがいい子にしてたらまたやってあげてもいいよ。お楽しみはそのときでも構わないだろう?」
「えっと……本当の意味での素人質問で恐縮ですが、どうすればいい子になれるんでしょうか」
「そんなの自分で考えなよ」
「分かんないよ。いい子だったことなんかないし。例ちょうだい、例」
「そうだねえ……事務作業は溜めないとか、困ってる人を助けるとか……誰彼構わずファンサを求めない、とか?」
「勝った! 前2つはいける!」
「3つ目ができない悪い子にやるファンサはない」
「それが本題なんじゃん!」
「キミがそう思うならそうなのかもね」
小竜は畳の上に打ち捨てられたままになっていたうちわを座卓の上に戻し、いつものマントを翻して広間を出ていく。最初に比べれば随分とご機嫌は回復したようだが、結局なんだったのだろうか。頭にクエスチョンマークを浮かべながら中断していたうちわ作りに戻ろうとして、ふと気が付く。いつの間にか、装飾用のテープや紙が消えている。何かのタイミングで落としたのかと周囲に目をやるも、どこにも落ちてはいない。もしかして部屋から持ってきたというのは今日ではなく別の日の記憶だったのだろうか。首を傾げる私に答えを教えてくれたのは薬研だった。
「大将、いつものキラキラしたやつなら小竜景光が持ってたぜ」
「え」
「やっぱ気づいてなかったのか? わりと堂々とマントの中に隠していったんだが……別の何かに気を取られすぎてたな」
「え……あっ……あ、あいつ!!」
薬研の指摘には心当たりがあった。何かって、それは間違いなく覗き竜だ。確かにあのとき右手は髪の毛を押さえていたが左手はフリーになっていた。きっと私のうちわ作りを妨害するためにファンサをしたに違いない。
「うちわ作るのそんなにダメかな!? こちとら推しから1回ファンサもらうのに人生かけてるんだけど!?」
「その人生観が気に入らないんでしょ、小竜は」
「うちの加州はすぐに冷たいこと言う!」
「よその加州でも同じこと言うよ。主、ネイルの乾燥機貸して」
「いいよ!」
何度考えても他の加州清光よりだいぶドライなうちの加州清光くんは乾燥機を持ち出すために私の部屋へと行ってしまった。広間にいた他の刀たちもさして私に興味があるわけではなないようで、めいめいにやりたいことをしながら楽しそうに過ごしている。もっと主を気にかけてくれてもいいのではと思うものの、その主がこうして自分の趣味を全開で楽しんでいるのだから本丸全体もそうなるに決まっている。「他人の趣味に干渉しない」はこの本丸の暗黙の了解だ。
(そう考えると、小竜はちょっと変わってるかも)
どの刀も多少ドン引くことはあれど、私の趣味を邪魔してくることは一度もなかった。邪魔したくなるほど引かれたのか、それとも別の意図があるのか。燭台切の言う通り本当にファンサがしたかったわけでもないだろうし、いったいなんだというのだ。一生懸命考えてみても答えは出ないし、装飾だって返ってはこない。仕方がないからいろいろと諦めて、自室にあった他の装飾類を使ってうちわを完成させた。
翌朝、広間に置いたままにしていた完成品のうちわを見た小竜は、板についてきた半笑いで「俺の話聞いてた?」と問いかけた。
「どの話?」
「……いい子にしてたらってやつ」
「え、あれ本気だったの?」
「はぁ……」
聞いたことがないくらい深いため息は、朝食の喧騒にまぎれてすぐに消える。そんなに悪いことをしたのかとこちらがうろたえていると、ミステリアスが売りのはずの小竜景光くんは「俺はいつも本気だよ」と柄にもないことを口にした。何故だか落ち込んでいるらしい。さすがにちょっとかわいそうだったので卵焼きをひとつわけてあげると、さらに深いため息が食卓に落とされた。
「小竜」
夕食後から一心不乱に作業していた手を止めて顔を上げれば、真後ろから私の手元を覗き込んでいた小竜の長髪が目の前でゆらりと揺れた。そのまま首を後ろに倒せば、真上から見下ろす紫の瞳と視線がぶつかる。彼は来週予定しているアイドルのコンサートを目前にせっせと拵えていたうちわを、ものすごく訝しげに見ていた。
「これはー……えっとぉ……ファンサもらうための……うちわです」
「ふぁんさ?」
「ファ、ファンサービス」
改まって説明するのが少し恥ずかしく、もごもごと曖昧な説明をする私に、小竜はよりいっそう訝しそうにしながら正面に腰を下ろした。あの様子では、本当にファンサがなんなのかをよく分かっていないらしい。偏見と言えば偏見だが、ファンサもうちわも知らない小竜景光がこの世にいることがわりと驚きだ。さらに詳細な説明を求められたことも驚きだ。
まあ特に後ろめたいことがあるわけでもなかったので、作りかけのうちわを手に広間をぐるりと見回した。口で説明するよりも実際に見る方が早いだろうとの判断だった。
「あ、太鼓鐘ー! ファンサして!」
我が本丸ファンサしてくれそうな男士堂々トップの太鼓鐘貞宗にうちわを向ける。彼は何の迷いもなく即座に「いいぜ!」と快諾し、何故か彼の隣の燭台切をウインク付きで指さした。パチンと星が飛んだ気がした。
「みっちゃん、今日の飯もうまかったぜ!」
「え、うん、ありがとう……でも貞ちゃん、主にやってあげた方がいいんじゃない?」
「えっ、だってファンサってファンに向けてサービスするってことだろ? 俺のファンって言ったらみっちゃんだし」
「貞ちゃん……」
カラカラと笑う太鼓鐘に呆れつつ満更でもなさそうな燭台切。まあ、なんだ、間違ってはいない。というかものすごく正しいファンサービスだった。けれど私が望んでいるのはそれじゃない。小竜に視線を戻せば、とても白けた様子で私を見ていた。
「全然分からないんだけど」
「次は大丈夫! 大丈夫だから……えっと……加州ー!!!」
現代のことにも精通し、ノリがいい彼のこと。きっとしっかりファンサしてくれるに違いない。加州がこちらを向いた瞬間にうちわを掲げ――ようとしたが、それより早く、ニヤリと笑んだ彼が「主ー! 俺のこと愛してー!」と妙なことを言い出した。
「んんん?」
「俺、主の大ファンだから。ファンサするよりもされたいなーって思って」
「そういうことは棒読みやめてから言って」
「じゃあ他あたって。俺ネイル中~」
「ネイルしててもウインクはできるだろうよ」
「できない」
「こんなに冷たい加州清光いる? まあいっか。しゃーなし、薬研! ファンサして!」
「お安い御用だ、大将。ほらよ」
薬研は待ち構えていたかのようにノータイムで潔くウインクしてくれた。だが絶妙にへたくそで、ぱっちり開いているべき左目が半分閉じ、少し痙攣しているのがこの距離でも分かる。なんだこの本丸。主の顔が見てみたいわ。私か。なら仕方ない。気を取り直して小竜に向き直るも、彼はよりいっそう白けたようだった。半目で枝毛を探している。しかしめげる私ではない。
「まあこんな感じよ。分かった?」
「愉快なやつばっかりだってことは分かった」
「そんなの前から分かってたし、もっといろいろ感じ取ることあったでしょ」
「他の加州清光って塩対応じゃないの?」
「そこはいいから、触れないで」
「で? どうしてファンサもらうのにうちわが必要なんだい?」
「急に話戻すじゃん。コンサートとかだとこっちの声はアイドルに聞こえないでしょ? だからうちわ見せてお願いするの」
「なるほどね。我らが主には、そこまで入れ込んでいる男が外にいるってわけか」
「人聞きわるぅ。嫉妬してんの?」
「ハッ」
「鼻で笑うんじゃない」
ムッと口をとがらせた私に対し、小竜は小竜でどこかおもしろくなさそうな半笑いと共に斜め上を見やった。それからぐっと手を伸ばし、元凶であるうちわと手に取る。一生懸命切りぬいた創英角ポップ体は彼のお気に召さなかったようで、やはり変な半笑いのまま「笑いたくもなるさ」とつぶやくように言った。
「バカにしてるのがありありと伝わってくるよ。もうちょっとオブラートに包んで」
「バカになんかしてないさ。ただ……なるほどと思っただけ」
「そのなるほどにはこの主また滑稽なことしてるなって意味が込められてるでしょ」
「まさか。……嫉妬だよ、嫉妬。キミが言った通り」
「ならさっき鼻で笑ったのはなんだったんだよ」
「ハハハ」
「とびきりの作り笑いしても全然誤魔化せてないからね」
「ところでこの字体ダサいと思うよ。もうちょっとおしゃれにしたらどうだい?」
「いーーーんだよ!! 見やすさだよこんなん!! 暗闇の中で目立って読みやすければなんだっていいの!!」
「そこまでしてファンサなんてのがほしいわけ?」
「毎日血なまぐさい話ばっかりしてるから癒しがほしいの!」
「癒し、ね……こっちのことなんか微塵も知らない男に上っ面だけのウインクしてもらうのが、癒しねえ」
「燭台切ー! お宅の刀派の若いのが主にいやな絡み方してきます!!」
「ああ、それ、そんなに癒しがほしいなら自分がファンサしてあげようかって意味だよ」
「どいつもこいつも、いっつも適当ばっかり言ってくれるよな……」
まあいいけど。やれやれと首を振って、うちわに手を伸ばす。端を取って引っ張れば、すぐに私の手元に戻ってくるはずだったそれは、何故かピクリとも動かない。少しだけ視線を上にずらすと、紫の瞳はにらむように燭台切を見ていた。口元は笑みの形をとっているが、端の方は分かりやすく引きつっている。
「え、なに……」
「なんっ……で、俺が、主に、ファンサしなくちゃならないわけ?」
「知らんし……別にしなくていいし……」
「は?」
「なんでそこですごむの? したいの?」
「はぁ? そんなわけ……」
「あー、そっかそっか、そういえば小竜って素直になれない男だったね。仕方ないなぁ。小竜~! ファンサして~!」
「やるわけないだろ。……キミは別に、俺のファンじゃないんだし」
「ファンならしてくれたんだ……じゃあファンになろっかな……」
「そんな不純な動機でファンになる人に提供できるファンサは持ち合わせてないよ」
「えー!? ファンサで落ちてファンになる人もいるのに!?」
「……そうなの?」
「そうだよ! たまにエグいファンサしてくれるアイドルいてさぁ」
「ふーん……」
小竜は何故だか少し考える余地を持ってくれたようで、何やら思考を巡らせながら斜め上を見やった。早急にうちわを返してもらい作業に戻るには彼に満足してもらうほかない。ファンサがしたいのならばさせてあげよう。
「いいよ、やってあげても」
ややあって、小竜はもったいぶった口調でそう言った。先ほどまでの憮然とした表情はどこへやら、挑戦的に細められた紫色に、なんとも言えず生あたたかい気分になる。
(本当はめちゃくちゃファンサしたかったんじゃん……?)
そのようなことを口に出せばみるみるご機嫌を損ねてしまうだろうからお口を閉ざし、こくりと頷いて見せる。そうと決まればうちわを向けてあげようと引っ張ったうちわは、しかし未だピクリとも動かなかった。それどころか小竜はみかんの皮でも剥くように私の1本ずつはがし、ぽいとうちわを投げ捨てる。
「あ!? お前!?」
「コラコラ、そんなにガラが悪い主にはサービスしてやらないよ」
「別にいいけど!?」
「本当に? 残念だねえ。エッグいの、見られるかもしれないのに」
「えっ!? 見られるんですか!?」
それならうちわを粗雑に扱ったことには目をつぶってあげよう。欲望に忠実な主に小竜は呆れた顔をしたが、すぐに表情を切り替えて口の端を持ち上げた。
(まあでも、さっきまでファンサが何かも知らなかった刀だもんな。そんなに期待はしませんとも)
それよりも小竜がこうして私のお遊びに乗ってくれていることの方がうれしいし楽しい。いったい何をしてくれるつもりなのかと、わくわくと座卓の上に身を乗り出す。
「じゃあ行くよ、小竜。えーっと……何がいいかな……えっと……」
「……なにを迷ってるんだい? ウインクすればいいんだろ?」
「今日逃したら小竜のファンサなんて二度と見れないかもしれないし……うーん……あっ、決めた! 小竜~! 覗き竜見せて~!」
「……」
「なにその真顔。ご自慢のキュートな彫り物じゃないの?」
「……そうだけど。……まあいい。親愛なる主のおねだりには応えないとね」
言いながら小竜は右手を持ち上げた。首の後ろに回った骨ばった手はあちこちに飛び跳ねる金色の髪の毛を雑に掴み、右の首筋へと流す。数本の金糸を残してあらわになった首筋は想像よりもたくましく、少しだけそらされたその場所に浮きあがった血管と小さな竜が、妙な色気を醸し出していた。存外男っぽい仕草と体躯に驚き、ドキリと跳ねた心臓を胸の上からおさえる。斜め上から流されるように寄越された視線には、常のひょうひょうとした低めの温度は感じない。寧ろわずかに熱が乗った紫色は、挑発するように私を見てすうと細くなる。なんてつややかな視線。ドンと、胸の内からものすごい音が聞こえた気がした。
「ひえっ」
「ひえっ? ……どう? キュートだろ?」
「い、いや……キュートっていうか……思ったより……色気が……?」
「触れてみたい、って顔だね」
「いいんですか!!!?」
薬研よろしく返事も待たずにノータイムで手を伸ばす。しかし座卓が隔てる距離は想定よりも遠く、指先を掠めることもなく覗き竜は遠ざかってしまった。
「あれ!?」
「はい、終わり終わり」
「ああー!?」
小竜がパッと両手を挙げると押さえていたはずの髪の毛が元の位置に流れて、小さな竜はすっかり身を隠れてしまった。行き場をなくした手はそのままに、思わずかわいくない声を上げる。小竜はいたずらが成功した子どものようにニヤリと口角を持ち上げた。
「自分の刀にもてあそばれた!」
「それこそ人聞きが悪い。いつも言ってるだろ? がっつくんじゃないってさ」
「思わせぶりなこと言う方も悪くない!?」
「別に俺は触っていいなんて一言も言ってないけど」
「うそ……聞こえたよ……だって……目が……そう言ってた……たぶん」
「幻聴だったって薄々分かってるんだろ。……ま、キミがいい子にしてたらまたやってあげてもいいよ。お楽しみはそのときでも構わないだろう?」
「えっと……本当の意味での素人質問で恐縮ですが、どうすればいい子になれるんでしょうか」
「そんなの自分で考えなよ」
「分かんないよ。いい子だったことなんかないし。例ちょうだい、例」
「そうだねえ……事務作業は溜めないとか、困ってる人を助けるとか……誰彼構わずファンサを求めない、とか?」
「勝った! 前2つはいける!」
「3つ目ができない悪い子にやるファンサはない」
「それが本題なんじゃん!」
「キミがそう思うならそうなのかもね」
小竜は畳の上に打ち捨てられたままになっていたうちわを座卓の上に戻し、いつものマントを翻して広間を出ていく。最初に比べれば随分とご機嫌は回復したようだが、結局なんだったのだろうか。頭にクエスチョンマークを浮かべながら中断していたうちわ作りに戻ろうとして、ふと気が付く。いつの間にか、装飾用のテープや紙が消えている。何かのタイミングで落としたのかと周囲に目をやるも、どこにも落ちてはいない。もしかして部屋から持ってきたというのは今日ではなく別の日の記憶だったのだろうか。首を傾げる私に答えを教えてくれたのは薬研だった。
「大将、いつものキラキラしたやつなら小竜景光が持ってたぜ」
「え」
「やっぱ気づいてなかったのか? わりと堂々とマントの中に隠していったんだが……別の何かに気を取られすぎてたな」
「え……あっ……あ、あいつ!!」
薬研の指摘には心当たりがあった。何かって、それは間違いなく覗き竜だ。確かにあのとき右手は髪の毛を押さえていたが左手はフリーになっていた。きっと私のうちわ作りを妨害するためにファンサをしたに違いない。
「うちわ作るのそんなにダメかな!? こちとら推しから1回ファンサもらうのに人生かけてるんだけど!?」
「その人生観が気に入らないんでしょ、小竜は」
「うちの加州はすぐに冷たいこと言う!」
「よその加州でも同じこと言うよ。主、ネイルの乾燥機貸して」
「いいよ!」
何度考えても他の加州清光よりだいぶドライなうちの加州清光くんは乾燥機を持ち出すために私の部屋へと行ってしまった。広間にいた他の刀たちもさして私に興味があるわけではなないようで、めいめいにやりたいことをしながら楽しそうに過ごしている。もっと主を気にかけてくれてもいいのではと思うものの、その主がこうして自分の趣味を全開で楽しんでいるのだから本丸全体もそうなるに決まっている。「他人の趣味に干渉しない」はこの本丸の暗黙の了解だ。
(そう考えると、小竜はちょっと変わってるかも)
どの刀も多少ドン引くことはあれど、私の趣味を邪魔してくることは一度もなかった。邪魔したくなるほど引かれたのか、それとも別の意図があるのか。燭台切の言う通り本当にファンサがしたかったわけでもないだろうし、いったいなんだというのだ。一生懸命考えてみても答えは出ないし、装飾だって返ってはこない。仕方がないからいろいろと諦めて、自室にあった他の装飾類を使ってうちわを完成させた。
翌朝、広間に置いたままにしていた完成品のうちわを見た小竜は、板についてきた半笑いで「俺の話聞いてた?」と問いかけた。
「どの話?」
「……いい子にしてたらってやつ」
「え、あれ本気だったの?」
「はぁ……」
聞いたことがないくらい深いため息は、朝食の喧騒にまぎれてすぐに消える。そんなに悪いことをしたのかとこちらがうろたえていると、ミステリアスが売りのはずの小竜景光くんは「俺はいつも本気だよ」と柄にもないことを口にした。何故だか落ち込んでいるらしい。さすがにちょっとかわいそうだったので卵焼きをひとつわけてあげると、さらに深いため息が食卓に落とされた。