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ふたりで肩を並べた縁側を、熱風と呼んでも差し支えないような風が吹き抜けた。肌を焼くような日中の日差しがないだけ幾分かマシだが、それでも夏の夜は暑い。じんわりと滲む汗が少しでも熱を飛ばしてくれるよう祈りながら、パタパタと団扇を動かし続ける。あとは布団に入って眠るだけのつもりだったのに、これではもう一度シャワーを浴びる必要があるだろう。倦怠感ばかりを生む熱帯夜に辟易しながら夜空を見上げる。遠くの空にパッと花のような光が広がり、ついて地面全体を揺らすような低い音が響き渡った。
「わあ、見事だね」
子どものようにはしゃぐ声に、視線を隣に移した。実休光忠は普段はぼんやりとしている紫色の瞳をキラキラと輝かせ、一瞬でも目が離せない様子で夜空をじっと見つめていた。見た目で判断するのはよろしくないが、座ってもなお大きい体や黒を基調とした普段の装いに反して、彼は幼い顔を見せることがある。今もまた、大人の男性らしからぬ半開きの口にこみ上げた笑いを噛み殺し、私も花火を鑑賞することにした。
どういう仕組みなのか私には分からないが、夏の景趣に変えると夜空に花火を咲かせることができる。どこからかそれを聞きつけた実休は控えめに私の袖を引き、大きな背中を丸めながら恥ずかしそうにそれが見てみたいのだとねだった。彼がこの本丸で過ごす初めての夏。この暑さと連日の出陣の中、少しでも楽しい思い出を作ってもらいたいと考えるのも主として当然のこと。快く頷けば、実休はほっと息を吐いて「じゃあ夜に」と笑った。
「この本丸に来てから美しいものをたくさん見たけれど、この花火は格別だね」
お腹の底に響く花火の音の合間を縫って、実休はぽつりと言った。彼の視線は未だ花火に縫い付けられ、こちらを向く気配はない。縁側から外に投げ出され時折ぶらぶらと揺れる長い足がやはり子どものようで、気づかれないように少しだけ笑った。
「私も好きだな、花火。……暑いけど」
「僕もこの暑さはあまり……だけど花火は良いね。本当に空に花が咲いているみたいだ。福島が好みそうだね」
「うん、福島も初めてのときははしゃいでたよ。他にどんなきれいなものを見つけたの?」
「ああ、海もきれいだった。押し寄せる波が太陽の光を散らしたみたいにキラキラとしていて、すべて捕まえてみたくなったよ」
「そのうち見飽きると思うけどね」
「僕みたいなのには、それくらいでちょうどいいのかもしれない。あとは……そうだな。一生懸命背を伸ばして咲いてるひまわりとか、子孫を残すために丸々と太ったトマトとか。葉の裏でこっそり息をしているカエルも、倉庫の屋根に巣を作ったスズメも、軒下から落ちる雨垂れも……目に映るものすべてがまぶしくて、美しいと思った」
「じゃあ花火は、その中でもかなり上の方ってことなんだね」
「うん、そうなるかな。でも一番美しいと思ったものには、どうしたって敵わない」
「へえ? そんなに気に入ったものがあったんだ」
「うん。きっとその一番が覆ることはないと思う。この身体を得て最初に見た桜色と、その向こう側で微笑む君以上に美しいものは、現れないと思うから」
「そっ……そっかぁ……」
隠しきれなかった動揺そのままに、なんとか相槌を打った。
圧のある見た目に反して素朴な感性を微笑ましく思っていたはずなのに、急に大きな爆弾を投下してきた張本人は、私の動揺など気づきもせずに口元を緩ませている。含みのある、言うなれば口説き文句などではなく、ただ思ったことをそのまま口にしただけなのだろう、実休に照れている様子はまるでない。
(他意はない、他意はない)
一瞬で外気温よりも高くなった体温を下げるべく、先ほどよりも早く団扇を動かす。その間も実休は緊張感のないぽやぽやとした顔のまま、「たまやって言うんだっけ? それとも、かぎや?」などと打ちあがる花火を楽しげに見上げていた。やはり彼の方に他意はなかったのだと確信し、変に意識している自分がバカらしくなってくる。何度か深呼吸を繰り返し、平静を取り戻すことに努める。いつの間にかカラカラになっていたのどを潤すべくかたわらに置いていたコップに手を伸ばすが、中身は空になっていた。
(まだ花火続くよね)
一度厨に行って、麦茶を淹れてこよう。花火に集中している実休の邪魔をするのも憚られ、無言で立ち上がる。どうせ気が付くこともないだろうとコップを片手に厨に向かって足を踏み出したが、迷いなく伸びてきた手が私の手首を掴んで止めた。反射的に見下ろした先、紫色の瞳が薄らと笑みを浮かべ、すがるように私を見ていた。
「どこに行くの?」
「む、麦茶取りに行こうかと……」
「戻ってくる?」
「うん。実休も飲む?」
「……ありがとう、でも大丈夫。君が戻ってきてくれるなら、それでいいんだ」
「そっか……?」
「うん。君と見たいんだ、最後まで。できるなら、明日の朝雲も一緒に」
「……」
これがもし、燭台切だったならばと考える。明日の朝も共に過ごしたいのだと請われれば、きっと深読みをしていたことだろう。あるいは福島であったならば、大般若であれば、小豆であれば、きっと同じく言葉の裏を読んだはずだ――男女の関係を、期待したことだろう。
しかし相手は実休光忠。直前に他意なく口説き文句めいた言葉を投げてきた刀だ。きっとこの誘いにも裏などなく、ただ共に美しい景色を分かち合いたいという、それだけの素朴な願いでしかないのだと思う。私のべたつく腕を掴む手のひらが、同じく汗をにじませて力をこめるが、きっとそこに意味などない。そう思うのに、確認せずにはいられない。
「……じゃあ、朝にまた、待ち合わせする?」
ただ一緒に朝雲を眺めるだけならば、一晩をともにする必要はない。そうでないのならば、裏を読ませてほしい。ごくりと唾を飲み込み、返事を待つ。実休は瞳の温度を変えないままあくまで穏やかに、ゆっくりとまたたいてから口を開いた。
「それでは、時間がもったいない気がするな」
「……そう?」
「うん。それにまだ、見たことがないんだ。その瞳が宵闇の中で、どんなふうに輝くか」
「……」
「きっととても美しくて、愛らしいのだろうね。独り占め、したくなるくらいに」
下心など微塵もなさそうに見えるのがいっそ不思議に思えるほど露骨な誘い文句。わずかに持ち上げられた口角に、警戒心は抱かない。痛みを感じない程度に手首を握りこむ大きな手を振り払う気も起きない。遠くの空で鳴り響く花火の音と、無垢を装った横顔を照らす色とりどりの花びらが、現実感を薄れさせる。じわじわと全身を濡らす汗の不快感が、かろうじて意識を現実につなぎとめていた。
「わあ、見事だね」
子どものようにはしゃぐ声に、視線を隣に移した。実休光忠は普段はぼんやりとしている紫色の瞳をキラキラと輝かせ、一瞬でも目が離せない様子で夜空をじっと見つめていた。見た目で判断するのはよろしくないが、座ってもなお大きい体や黒を基調とした普段の装いに反して、彼は幼い顔を見せることがある。今もまた、大人の男性らしからぬ半開きの口にこみ上げた笑いを噛み殺し、私も花火を鑑賞することにした。
どういう仕組みなのか私には分からないが、夏の景趣に変えると夜空に花火を咲かせることができる。どこからかそれを聞きつけた実休は控えめに私の袖を引き、大きな背中を丸めながら恥ずかしそうにそれが見てみたいのだとねだった。彼がこの本丸で過ごす初めての夏。この暑さと連日の出陣の中、少しでも楽しい思い出を作ってもらいたいと考えるのも主として当然のこと。快く頷けば、実休はほっと息を吐いて「じゃあ夜に」と笑った。
「この本丸に来てから美しいものをたくさん見たけれど、この花火は格別だね」
お腹の底に響く花火の音の合間を縫って、実休はぽつりと言った。彼の視線は未だ花火に縫い付けられ、こちらを向く気配はない。縁側から外に投げ出され時折ぶらぶらと揺れる長い足がやはり子どものようで、気づかれないように少しだけ笑った。
「私も好きだな、花火。……暑いけど」
「僕もこの暑さはあまり……だけど花火は良いね。本当に空に花が咲いているみたいだ。福島が好みそうだね」
「うん、福島も初めてのときははしゃいでたよ。他にどんなきれいなものを見つけたの?」
「ああ、海もきれいだった。押し寄せる波が太陽の光を散らしたみたいにキラキラとしていて、すべて捕まえてみたくなったよ」
「そのうち見飽きると思うけどね」
「僕みたいなのには、それくらいでちょうどいいのかもしれない。あとは……そうだな。一生懸命背を伸ばして咲いてるひまわりとか、子孫を残すために丸々と太ったトマトとか。葉の裏でこっそり息をしているカエルも、倉庫の屋根に巣を作ったスズメも、軒下から落ちる雨垂れも……目に映るものすべてがまぶしくて、美しいと思った」
「じゃあ花火は、その中でもかなり上の方ってことなんだね」
「うん、そうなるかな。でも一番美しいと思ったものには、どうしたって敵わない」
「へえ? そんなに気に入ったものがあったんだ」
「うん。きっとその一番が覆ることはないと思う。この身体を得て最初に見た桜色と、その向こう側で微笑む君以上に美しいものは、現れないと思うから」
「そっ……そっかぁ……」
隠しきれなかった動揺そのままに、なんとか相槌を打った。
圧のある見た目に反して素朴な感性を微笑ましく思っていたはずなのに、急に大きな爆弾を投下してきた張本人は、私の動揺など気づきもせずに口元を緩ませている。含みのある、言うなれば口説き文句などではなく、ただ思ったことをそのまま口にしただけなのだろう、実休に照れている様子はまるでない。
(他意はない、他意はない)
一瞬で外気温よりも高くなった体温を下げるべく、先ほどよりも早く団扇を動かす。その間も実休は緊張感のないぽやぽやとした顔のまま、「たまやって言うんだっけ? それとも、かぎや?」などと打ちあがる花火を楽しげに見上げていた。やはり彼の方に他意はなかったのだと確信し、変に意識している自分がバカらしくなってくる。何度か深呼吸を繰り返し、平静を取り戻すことに努める。いつの間にかカラカラになっていたのどを潤すべくかたわらに置いていたコップに手を伸ばすが、中身は空になっていた。
(まだ花火続くよね)
一度厨に行って、麦茶を淹れてこよう。花火に集中している実休の邪魔をするのも憚られ、無言で立ち上がる。どうせ気が付くこともないだろうとコップを片手に厨に向かって足を踏み出したが、迷いなく伸びてきた手が私の手首を掴んで止めた。反射的に見下ろした先、紫色の瞳が薄らと笑みを浮かべ、すがるように私を見ていた。
「どこに行くの?」
「む、麦茶取りに行こうかと……」
「戻ってくる?」
「うん。実休も飲む?」
「……ありがとう、でも大丈夫。君が戻ってきてくれるなら、それでいいんだ」
「そっか……?」
「うん。君と見たいんだ、最後まで。できるなら、明日の朝雲も一緒に」
「……」
これがもし、燭台切だったならばと考える。明日の朝も共に過ごしたいのだと請われれば、きっと深読みをしていたことだろう。あるいは福島であったならば、大般若であれば、小豆であれば、きっと同じく言葉の裏を読んだはずだ――男女の関係を、期待したことだろう。
しかし相手は実休光忠。直前に他意なく口説き文句めいた言葉を投げてきた刀だ。きっとこの誘いにも裏などなく、ただ共に美しい景色を分かち合いたいという、それだけの素朴な願いでしかないのだと思う。私のべたつく腕を掴む手のひらが、同じく汗をにじませて力をこめるが、きっとそこに意味などない。そう思うのに、確認せずにはいられない。
「……じゃあ、朝にまた、待ち合わせする?」
ただ一緒に朝雲を眺めるだけならば、一晩をともにする必要はない。そうでないのならば、裏を読ませてほしい。ごくりと唾を飲み込み、返事を待つ。実休は瞳の温度を変えないままあくまで穏やかに、ゆっくりとまたたいてから口を開いた。
「それでは、時間がもったいない気がするな」
「……そう?」
「うん。それにまだ、見たことがないんだ。その瞳が宵闇の中で、どんなふうに輝くか」
「……」
「きっととても美しくて、愛らしいのだろうね。独り占め、したくなるくらいに」
下心など微塵もなさそうに見えるのがいっそ不思議に思えるほど露骨な誘い文句。わずかに持ち上げられた口角に、警戒心は抱かない。痛みを感じない程度に手首を握りこむ大きな手を振り払う気も起きない。遠くの空で鳴り響く花火の音と、無垢を装った横顔を照らす色とりどりの花びらが、現実感を薄れさせる。じわじわと全身を濡らす汗の不快感が、かろうじて意識を現実につなぎとめていた。