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できたてのパンケーキを前に息を呑んだのは、決して空腹からというわけではなかった。ごくりと喉を鳴らす音が重なって聞こえたのも幻聴ではない。人間ひとり、刀2振りの視線を集める渦中の刀剣男士は、私たちの緊張をよそに「うまそーだな」とフォークを取った。
私の豊前江はあまり食に興味がない。何を出しても選り好みなく食べられるのは美点だが、代わりに特別おいしいと思うものもないようだ。食事やおやつの感想は基本的に「甘い」「しょっぱい」「苦い」をベースに「ちょっと甘い」「すげー甘い」と変化する程度。食べ物に対する印象も薄いらしく、話題にあげるときは「この間食った甘いやつ」などと表現するから、まずはそれがなんなのかを突き止めるため質問攻めをしなければならない。小豆長光に並ぶスイーツ職人たる私にとって、これほど悔しいこともなかった。
「ごくまれに、うまかったと言うこともありますよ?」
味覚が未発達な豊前になんとかおいしいと言わせようと躍起になっておやつ作りに励む私に、篭手切は少しだけ首を傾げた。主に衝撃走る。レシピ本を取り落とすのも構わずがばりと顔を上げて篭手切を見た。
「うそ! いつ!?」
「いつかは覚えていませんが……パンケーキだったと思います。最初は甘じょっぱいと言っていたのに、最後の1枚だけうまいと」
「3枚食べてる間に舌が発達したってこと!?」
「さすがにそれは……」
「パンケーキ出したのいつだっけ!? 先月!?」
「ああ。けれどきのうもかれは、ゼリーをたべてつめたくてあまいとしかいわなかったよ」
「じゃあパンケーキが好きってこと!?」
「それはそれで、はやとちりのようなきもするが」
私が取り落としたレシピ本を拾い上げ、小豆はペラペラとページをめくり始めた。オーソドックスなショートケーキやレモン果汁をたっぷり入れたチーズケーキ、やわらかな色合いの三色団子に、果ては手作りせんべいまで。豊前の味覚未発達問題が発覚してから、私と小豆はより腕によりをかけてありとあらゆるおやつを作り続けてきた。豊前だけに出すわけにもいかなかったから、いつもヘトヘトになりながら全員分のスイーツをこしらえてきた私たちは最早戦友のようなもの。すべては豊前においしいと言わせ、食に興味を持ってもらうためだ。その甲斐もなく何度豊前の「甘い」「ちょっと甘い」「すげー甘い」攻撃に心を折られかけたかは分からない。今日もリベンジを果たすべく、ふたりでレシピを考案していたのだ。
しかし偶然にも現れた篭手切によって、実は私たちの目的は達成されていたのだと知る。うれしいような拍子抜けしたような気分で、テーブルに散らばった手書きのレシピ集を見下ろす。小豆は静かに口角を上向かせ、その中の1枚を手にとった。
「きょうのおやつは、きまりだな」
こくりと頷き、袖をまくりあげて立ち上がる。おやつまでおよそ1時間。手伝いを申し出てくれた篭手切の手も借りて、黙々とパンケーキを焼き上げていった。
今日のトッピングは、篭手切の記憶を頼りにシンプルに。狐色に焼けたまん丸のパンケーキに、バターをひとかけらとメープルシロップを回しかける。甘い香りに惹かれて厨にやってきた面々の中に豊前はいなかったが、わくわくとフライパンを覗き込む刀たちのために、心をこめて生地を焼いた。
食事とおやつの際は全員が広間に集まることが、この本丸の数少ない取り決めのひとつだった。豊前が広間に入ってきたのはかなり遅い時間だったので、席はすでにほとんど埋まっている。キョロキョロと空席を探す豊前を呼び寄せ、目の前に特別上手に焼けたパンケーキを置いてやると、彼は「うまそーだな」などと珍しいことを言ってフォークを取った。
(おいしいって言え、おいしいって言え)
乱雑に4等分にされたパンケーキを口に運ぶ豊前を、私と篭手切と小豆、3人でじっと見守る。こちらの緊張など気がついてすらいないのだろう、豊前は大きなひとかけらを易々と口の中に収め、それから「うまいな」と、笑顔を浮かべた。
「!!!」
「これ、前も食ったよな。なんだっけ?」
「ぱんけえきですよ、りいだあ。ぱんけえきです!」
「ぶ、豊前。本当においしい? そのパンケーキ、甘いとか甘じょっぱいとかじゃなくて、おいしい?」
「ああ。甘くてしょっぱくて、うまい」
「っしゃあ!!!!」
思わず太い叫びがお腹の底から出ていった。握った拳を天に突き上げる私に、篭手切をはじめとした事情を知る面々がわっと拍手を送ってくれる。突然のことに肩を揺らしたのは当の豊前で、しかし困惑しながらも「よく分かんねーけど良かったな!」と共に喜んでくれた。
3枚重ねてあったはずのパンケーキは、あっという間に豊前のお腹の中に納められていった。次々と皿から消えていく渾身のおやつに気分はさらに上がっていく。豊前は妙に上機嫌な私を不思議がってはいたものの、最後まで惜しみなく、私が待ち望んでいた言葉を投げかけてくれた。
「うまかった。ごちそーさん」
「お粗末様。豊前、パンケーキが好きだったんだね」
また近いうちに作ってあげなければ。次はどんなパンケーキにしようかと早速トッピングを検討する。生クリームやフルーツも良いし、アイスを添えてもいいかもしれない。はちみつをたっぷりかけるのも捨てがたいし、和風の味付けも合うだろう。豊前はどんなものが好きだろうか――わくわくとレシピを考える私に、豊前はきょとんとした様子で首を傾げた。
「いや? そんなことはねーよ?」
「……えっ?」
「特別好きなわけじゃないっつーか……普通?」
「……」
主に本日二度目の衝撃走る。
今、もしかして豊前は否定したのだろうか。別にパンケーキは、好きではないと。他の食べ物と、なんら変わらない存在なのだと。あれほどうまいうまいと食べておいて、普通だと。そう、言ったのだろうか。
(そんなことある?)
そう思ったのは私だけではなかったのだろう。先程拍手をしてくれた刀たちが軒並み口を閉ざし、お葬式のようなムードで気の毒そうに私を見る。唯一冷静に口を開いたのは小豆で、彼は自分の皿から一口分のパンケーキを豊前の皿に乗せると、それを食べるように促した。
「? なんで?」
「いいから、あじをみてほしいんだ」
言われるがまま再びフォークを口に運んだ豊前は、戸惑うようにパンケーキのかけらを咀嚼した。小豆の意図は分からないが、なんとなく私も黙ってそれを見守る。やがてパンケーキを飲み込んだ豊前は、「甘じょっぱいな」と、いつもの感想を口にした。
「……ではさきほどのパンケーキは?」
「うまかった」
「……なるほど? きみのしたは、かんじょうにしょうじきなようだ」
「へ?」
「小豆、それってどういう……」
「豊前は、つくりてのちがいがわかる、すばらしいみかくのもちぬしだということだよ」
「あっ」
ハラハラと私たちを見守っていた篭手切が、合点がいったように声を上げた。どういうことなのか分かっていないのは私だけのようで――なんとまあ豊前までもが「そういうことか」と、はにかむように笑う。
「そりゃすぐ分かるよ。うまいからな、主が作ったすいーつ」
「……ん? 私?」
「ああ。他のやつが作ったのと味は同じだけどさ、うまいなって思うのは主のだけなんだよ」
「……待って」
「だから主が作ったやつに当たるとらっきーって思っててさ。今日も……」
「待って待って、ちょっとほんと待って」
「どーした?」
どうしたもこうしたもない。なんだかものすごく当たり前のように言っているが、豊前の主張はだいぶおかしい。
私が作ったスイーツはすぐに分かる。他の男士が作ったものと味は同じでもおいしさが違う。
今日の豊前のパンケーキは、確かに私が焼いたものだ。そしてあとから小豆が差し出したのは彼が焼いたもの。私がそれを知っているのは自分たちが作り、盛り付けをしたからだ。豊前はそのようなこと知る由もなく、それでも簡単に、作り手を見分けた。
それだけでもかなりの衝撃だというのに、豊前はさらに衝撃的な言葉を続けた。
「やっぱ好きなやつが作ったものって、なんでもうまく感じるよな」
「……」
他意はない。絶対に。豊前の言う「好き」は間違いなく「主として」という一言が省略されている。それでも頬をわずかに染め、照れ隠しのようにくしゃりと笑う様を見せられると、どうしたって、勘違いしそうになってしまう。
赤くなった顔を隠すべく、両手で頬を覆いそっぽを向く。周囲からの同情の視線は、いつの間にか生ぬるい何かに変わっていた。
私の豊前江はあまり食に興味がない。何を出しても選り好みなく食べられるのは美点だが、代わりに特別おいしいと思うものもないようだ。食事やおやつの感想は基本的に「甘い」「しょっぱい」「苦い」をベースに「ちょっと甘い」「すげー甘い」と変化する程度。食べ物に対する印象も薄いらしく、話題にあげるときは「この間食った甘いやつ」などと表現するから、まずはそれがなんなのかを突き止めるため質問攻めをしなければならない。小豆長光に並ぶスイーツ職人たる私にとって、これほど悔しいこともなかった。
「ごくまれに、うまかったと言うこともありますよ?」
味覚が未発達な豊前になんとかおいしいと言わせようと躍起になっておやつ作りに励む私に、篭手切は少しだけ首を傾げた。主に衝撃走る。レシピ本を取り落とすのも構わずがばりと顔を上げて篭手切を見た。
「うそ! いつ!?」
「いつかは覚えていませんが……パンケーキだったと思います。最初は甘じょっぱいと言っていたのに、最後の1枚だけうまいと」
「3枚食べてる間に舌が発達したってこと!?」
「さすがにそれは……」
「パンケーキ出したのいつだっけ!? 先月!?」
「ああ。けれどきのうもかれは、ゼリーをたべてつめたくてあまいとしかいわなかったよ」
「じゃあパンケーキが好きってこと!?」
「それはそれで、はやとちりのようなきもするが」
私が取り落としたレシピ本を拾い上げ、小豆はペラペラとページをめくり始めた。オーソドックスなショートケーキやレモン果汁をたっぷり入れたチーズケーキ、やわらかな色合いの三色団子に、果ては手作りせんべいまで。豊前の味覚未発達問題が発覚してから、私と小豆はより腕によりをかけてありとあらゆるおやつを作り続けてきた。豊前だけに出すわけにもいかなかったから、いつもヘトヘトになりながら全員分のスイーツをこしらえてきた私たちは最早戦友のようなもの。すべては豊前においしいと言わせ、食に興味を持ってもらうためだ。その甲斐もなく何度豊前の「甘い」「ちょっと甘い」「すげー甘い」攻撃に心を折られかけたかは分からない。今日もリベンジを果たすべく、ふたりでレシピを考案していたのだ。
しかし偶然にも現れた篭手切によって、実は私たちの目的は達成されていたのだと知る。うれしいような拍子抜けしたような気分で、テーブルに散らばった手書きのレシピ集を見下ろす。小豆は静かに口角を上向かせ、その中の1枚を手にとった。
「きょうのおやつは、きまりだな」
こくりと頷き、袖をまくりあげて立ち上がる。おやつまでおよそ1時間。手伝いを申し出てくれた篭手切の手も借りて、黙々とパンケーキを焼き上げていった。
今日のトッピングは、篭手切の記憶を頼りにシンプルに。狐色に焼けたまん丸のパンケーキに、バターをひとかけらとメープルシロップを回しかける。甘い香りに惹かれて厨にやってきた面々の中に豊前はいなかったが、わくわくとフライパンを覗き込む刀たちのために、心をこめて生地を焼いた。
食事とおやつの際は全員が広間に集まることが、この本丸の数少ない取り決めのひとつだった。豊前が広間に入ってきたのはかなり遅い時間だったので、席はすでにほとんど埋まっている。キョロキョロと空席を探す豊前を呼び寄せ、目の前に特別上手に焼けたパンケーキを置いてやると、彼は「うまそーだな」などと珍しいことを言ってフォークを取った。
(おいしいって言え、おいしいって言え)
乱雑に4等分にされたパンケーキを口に運ぶ豊前を、私と篭手切と小豆、3人でじっと見守る。こちらの緊張など気がついてすらいないのだろう、豊前は大きなひとかけらを易々と口の中に収め、それから「うまいな」と、笑顔を浮かべた。
「!!!」
「これ、前も食ったよな。なんだっけ?」
「ぱんけえきですよ、りいだあ。ぱんけえきです!」
「ぶ、豊前。本当においしい? そのパンケーキ、甘いとか甘じょっぱいとかじゃなくて、おいしい?」
「ああ。甘くてしょっぱくて、うまい」
「っしゃあ!!!!」
思わず太い叫びがお腹の底から出ていった。握った拳を天に突き上げる私に、篭手切をはじめとした事情を知る面々がわっと拍手を送ってくれる。突然のことに肩を揺らしたのは当の豊前で、しかし困惑しながらも「よく分かんねーけど良かったな!」と共に喜んでくれた。
3枚重ねてあったはずのパンケーキは、あっという間に豊前のお腹の中に納められていった。次々と皿から消えていく渾身のおやつに気分はさらに上がっていく。豊前は妙に上機嫌な私を不思議がってはいたものの、最後まで惜しみなく、私が待ち望んでいた言葉を投げかけてくれた。
「うまかった。ごちそーさん」
「お粗末様。豊前、パンケーキが好きだったんだね」
また近いうちに作ってあげなければ。次はどんなパンケーキにしようかと早速トッピングを検討する。生クリームやフルーツも良いし、アイスを添えてもいいかもしれない。はちみつをたっぷりかけるのも捨てがたいし、和風の味付けも合うだろう。豊前はどんなものが好きだろうか――わくわくとレシピを考える私に、豊前はきょとんとした様子で首を傾げた。
「いや? そんなことはねーよ?」
「……えっ?」
「特別好きなわけじゃないっつーか……普通?」
「……」
主に本日二度目の衝撃走る。
今、もしかして豊前は否定したのだろうか。別にパンケーキは、好きではないと。他の食べ物と、なんら変わらない存在なのだと。あれほどうまいうまいと食べておいて、普通だと。そう、言ったのだろうか。
(そんなことある?)
そう思ったのは私だけではなかったのだろう。先程拍手をしてくれた刀たちが軒並み口を閉ざし、お葬式のようなムードで気の毒そうに私を見る。唯一冷静に口を開いたのは小豆で、彼は自分の皿から一口分のパンケーキを豊前の皿に乗せると、それを食べるように促した。
「? なんで?」
「いいから、あじをみてほしいんだ」
言われるがまま再びフォークを口に運んだ豊前は、戸惑うようにパンケーキのかけらを咀嚼した。小豆の意図は分からないが、なんとなく私も黙ってそれを見守る。やがてパンケーキを飲み込んだ豊前は、「甘じょっぱいな」と、いつもの感想を口にした。
「……ではさきほどのパンケーキは?」
「うまかった」
「……なるほど? きみのしたは、かんじょうにしょうじきなようだ」
「へ?」
「小豆、それってどういう……」
「豊前は、つくりてのちがいがわかる、すばらしいみかくのもちぬしだということだよ」
「あっ」
ハラハラと私たちを見守っていた篭手切が、合点がいったように声を上げた。どういうことなのか分かっていないのは私だけのようで――なんとまあ豊前までもが「そういうことか」と、はにかむように笑う。
「そりゃすぐ分かるよ。うまいからな、主が作ったすいーつ」
「……ん? 私?」
「ああ。他のやつが作ったのと味は同じだけどさ、うまいなって思うのは主のだけなんだよ」
「……待って」
「だから主が作ったやつに当たるとらっきーって思っててさ。今日も……」
「待って待って、ちょっとほんと待って」
「どーした?」
どうしたもこうしたもない。なんだかものすごく当たり前のように言っているが、豊前の主張はだいぶおかしい。
私が作ったスイーツはすぐに分かる。他の男士が作ったものと味は同じでもおいしさが違う。
今日の豊前のパンケーキは、確かに私が焼いたものだ。そしてあとから小豆が差し出したのは彼が焼いたもの。私がそれを知っているのは自分たちが作り、盛り付けをしたからだ。豊前はそのようなこと知る由もなく、それでも簡単に、作り手を見分けた。
それだけでもかなりの衝撃だというのに、豊前はさらに衝撃的な言葉を続けた。
「やっぱ好きなやつが作ったものって、なんでもうまく感じるよな」
「……」
他意はない。絶対に。豊前の言う「好き」は間違いなく「主として」という一言が省略されている。それでも頬をわずかに染め、照れ隠しのようにくしゃりと笑う様を見せられると、どうしたって、勘違いしそうになってしまう。
赤くなった顔を隠すべく、両手で頬を覆いそっぽを向く。周囲からの同情の視線は、いつの間にか生ぬるい何かに変わっていた。