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浦島くんはとってもいい子だ。いつも元気に明るく戦場を駆け回り、本丸の中でもみんなのムードメーカー的なポジションにいる。長曽祢と蜂須賀の間のギスギスした雰囲気だって、浦島くん1人がいることで途端にやわらかくなるから不思議だ。もしや兄たちの間を取り持つために無理をしているのではないかと心配していたときもあったが、彼は生来ああいう性質らしい。相手のあるがままを認め、誰とでも仲良く。偏見を持たずまっすぐに笑いかけられれば、誰だってほだされるというもの。折に触れて弟自慢をする蜂須賀の気持ちも、表立って自慢するわけではないがいつも弟を誇らしげに見守っている長曽祢の気持ちもよく分かる。私のことも慕ってくれているからなおさらだ。
「主さん、主さん」
私を見つけると顔を輝かせて駆けてくる彼は、短刀たちに混じっても違和感がないのではないかと思うほどかわいらしい。身長は私とそれほど変わらないはずだし、特別小さい子のように見えているわけでもないのだが、彼の人懐こさは警戒心を簡単に薄れさせる。もしかして自分の弟だったのではないかとすら思えてくるくらい、すっと人の懐に入ってくるのだ。
「何食べてるの?」
縁側に座る私の顔をひょいと覗き込む丸い瞳に笑いかけない人間などいるだろうか。いや、いない。屈託のない笑顔にこちらもにっこりと笑って返す。
「栗まんじゅうだよ」
「へー! おいしそー!」
「1個あげるよ」
「いいの!? ありがと、主さん!」
変に遠慮するわけでもなく厚意を受け入れる素直さも、浦島くんのいいところだ。すっと隣に座った脇差にもう1個の栗まんじゅうを皿ごと渡せば、彼はやたら丁寧にそれを受け取る。すぐに食べるだろうとそのまま見守ってみたが、何故か浦島くんはニコニコと栗まんじゅうを見つめるばかりで、一向に口に運ぼうとしなかった。
「? 好きなの?」
「へっ!? す、好きって!? 何が!?」
「え、栗まんじゅう……」
「あ、そ、そっか、そうだよね……! ……うん、好きだよ。いただきます!」
浦島くんは謎の動揺を落ち着かせるように一度息を吐いてから皿を膝に置いた。きちんと両手を合わせてまんじゅうをつまみ上げる仕草は、彼の兄の姿と少しだけ重なる。さすが虎徹、お行儀がいい。けれど一口で半分ほど平らげる豪快さはもう1人の兄を思わせる。こういうところが、真贋関係なくどちらをも兄と慕う浦島くんらしい。無意識のうちに頬が緩んでいたのだろう、残り半分を口に放り込み再度両手を合わせた浦島くんが、不思議そうに「どうかした?」と首を傾げた。
「いや、かわいいなーって思って」
「……俺?」
「うん。本当に蜂須賀と長曽祢のこと好きなんだね」
「? 好きだけど……なんで今そう思ったの?」
「仕草がどっちにも似てたから。2人のこと、よく見てるんだね」
「へへ、どっちも大好きな兄ちゃんだからね! ……でも、それとかわいいって、つながらないと思うんだけど」
「そうかな」
兄たちが大好きでそれを隠そうともせず、寧ろ真似をしたがる弟。どこからどう見てもかわいいと思うのだが、何故か本人は不満だったらしく少しだけ口をとがらせて「ぶーぶー」と言っている。やはりかわいい。またしても頬が緩みかけ、ハッと慌てて口元を隠す。しかし目ざとい脇差は、今度はムッと口を引き結んだ。
「主さん、俺のこと子どもだと思ってるでしょ」
「子どもとは思ってないよ。なんか、弟みたいでかわいいなって」
「確かに俺は兄ちゃんたちの弟だけど! でも主さんの弟じゃないよ!」
なるほど、一人前扱いされたいということか。ムキになって主張する姿もやはり私にはかわいく映ったが、ぐっと飲み込んで同意を示す。しかし察しが良い浦島くんはそれでは納得できなかったらしく、「思ってないだろ」と組んだ膝の上に頬杖を突いた。
「目がかわいいって言ってる」
「ご、ごめん……ふふ……」
「ほらぁ! 今、絶対、子どもっぽくてかわいいなーって思ってるだろ!」
「ごめんって」
口では謝罪しながらも心の中はかわいいでいっぱいだった。分かりやすくぶすくれる浦島くんがそれに拍車をかける。せめてなんとか笑うのは堪えようと手で口を覆って俯くが、どうにもかわいいが溢れて止まらない。その間もじっとりとした不服そうな視線がぐさぐさと突き刺さっていたが、それすらかわいい。ムスッと口をへの字に曲げる仕草も、愛嬌があって大変愛らしい。
「ひどいよ、主さん。俺だって男の子なのに」
「お、男の子……!」
「なんでもっと笑うの!?」
「言葉のチョイスがツボを突いてきて……」
脇差は短刀たちほど子どもではなく、打刀と比べるとやや幼い。特に浦島くんは、他の脇差と比べても少年感が強い方だ。一人前の大人扱いしてほしい、けれどまだまだ子どもっぽさから抜け出せない中学生くらいの少年が一生懸命背伸びをしているようで、余計にかわいく見えてしまうのだ。それでつい、微笑ましさから笑いがこみ上げてしまう。
(でも、確かに本人にとっては失礼な話だよね)
兄たちよりも強くなろうと日々がんばっている浦島くんにしてみれば、今の私の言動は彼の努力をバカにし、自尊心を傷つけているように見えるだろう。それはよろしくない。気持ちを切り替えるべくこほんとわざとらしく咳払いをして、目じりに浮かんでいた涙をぬぐおうと手を持ち上げる。
しかし横から伸びてきた一回りほど大きな手が、それを掴んで止めた。
「浦島くん?」
唐突な行動に首を傾けながら、左隣の少年を見る。きっとまだぶすくれているのだろうという予想は、あっさりと外れた。浦島くんは表情をなくして、まっすぐに私を見ていた。
「どうしたの?」
さすがに少し怒ったのだろうかとも思ったが、あまりいやな雰囲気は感じない。ただ無言でじっと私の目を覗き込むだけで――ふと、いつの間にか意外と近い位置に彼の両目があることに気が付く。あれ、と思ったのも束の間。私の手を握る右手はそのままに、少しずつ体を寄せられる。頬杖をついていたはずの彼の左手は、私の体の右側に。気が付けば、横から覆いかぶさるような体勢になっていた。驚いて身を引くも、縁側から足を投げ出していたからそれ以上後退することはできない。じわじわと縮められる距離に対して私ができるのは上半身を後ろに倒すことだけで、しかしそれにも限度がある。右手をついて体を支えるが、それが肘になり、とうとう背中が床に触れた。
「う、浦島くん……?」
仰向けに転がる私の顔のすぐ横に手を突いてこちらを見下ろす浦島くんの表情は、初めて見るものだった。よく見慣れた天真爛漫な笑顔とは程遠い、真剣な表情。口元だけは笑っているように見えるが、目は細められているだけで決して笑ってはいない。
「主さん」
いつもと同じ呼びかけが、まったく別の何かに聞こえる。
「俺が間違ってた。さっきの訂正するね」
低められた声音が、文字をひとつひとつなぞるように、言葉を紡ぐ。
「――俺だって、男だよ?」
握られたままだった左手が持ち上げられる感覚。指の形を確かめるように肌の上を滑っていく人差し指の固さに、息をのむ。間違っても子どもとは思えない指先の感触と、鋭さを帯びた双眸。それが少しずつ迫ってくる。焦らすように、試すように。ゆっくりと距離が縮まっていく。見えていたはずの天井がすべて彼の顔に変わる。それもやがて全貌は隠され、ついには2つの瞳と、彼の人となりを現したようなオレンジ色だけが視界に残る。そっと頬に添えられた左手は、思いのほか、大きい。
「いいの? 主さん」
至近距離でまたたく瞳が、やはり笑みの形はとらないまま細くなる。彼が内緒話をするようにささやくたび、口元に吐息が触れ、ぞわりぞわりと肌が粟立つ。
「このままだと、くっついちゃうよ?」
親指が、触れるか触れないかの距離でそっと唇をなぞった。声は聞こえていたが、何を言われたのかまでは理解できない。実感できていたのは体にのしかかるわずかな重さと、至近距離に迫った瞳と唇の温度だけ。何を返せばいいのか、自分は何をすべきなのかも分からず、またじりじりと近づいてくるグリーンをただただ見上げる。やがて唇同士が重なり――そうになる直前。大きな音が、2人きりの縁側に響き渡った。
びくりと体を揺らしたのは私だけだった。浦島くんは表情を変えないまま、視線だけを横に流す。私も追うようにそちらに顔を向けようとしたが、できなかった。動けば触れるような距離に、浦島くんのお顔が迫っていたからだ。仕方なく、目だけを動かして縁側の先を見る。
まず見えたのは床に転がる湯呑とお盆、そして床いっぱいに広がる、おそらくお茶。それを運んできたのだろう刀、蜂須賀虎徹は、お盆を持った体勢のまま大きく目を見開いて私たちを見ていた。
「どうした!? 大丈夫、か……」
続いて蜂須賀の後ろから現れたのは長曽祢虎徹だった。おそらく先ほどの音を聞いて様子を見に来たのだろう。床にぶちまけられたお茶を見ると心配そうに蜂須賀に声をかけ、それから彼の視線の先、すなわち私たちの方へ、視線を動かす。長曽祢もまた、目を丸くして動きを止めた。
全員が、動かなかった。おそらくだが、正確には動けなかった。全員が混乱していた。今、この縁側で何が起きているのか。蜂須賀も長曽祢も、私だって理解できていない。一生懸命に目の前の情報を処理しようとしているけれど答えが出てこない。思考がフリーズしている。おそらく呼吸すらほとんど止まっていた、その最中。軽く左手を握られる感覚に呼ばれるように、視線を元の位置に戻す。唯一この状況を理解できているのだろう刀が、ほんの少しだけ体を起こして私を見下ろしていた。
「見られちゃったね、主さん」
私にだけ聞こえるような大きさで、浦島くんは言う。その頬が、わずかに赤く染まっていることに気が付いた。浦島くんは目を三日月の形にして、どこか照れくさそうに――好きな子を前にした少年のように、笑っていた。
「……蜂須賀兄ちゃん、大丈夫?」
私の返答を待たずに、浦島くんは体を起こした。それまでの焦らすような雰囲気はなりを潜め、握りこまれていた手はパッとあっけなく開放される。頬に添えられた右手だけは惜しむようにその場に留まっていたが、固い人差し指が私の目元をすりとなぞり、離れる。それから彼は、硬直状態の兄のもとに小走りで駆け寄った。
「珍しいね、兄ちゃんが食べ物……飲み物? 無駄にするなんて」
手際よくお盆と湯呑を拾いあげていく姿は、普段の浦島くんそのものだった。元気で明るい、けれど気が利くかわいい良い子。先ほどまで私の上に覆いかぶさっていた事実などなかったかのように、いつも通りに兄たちに話しかけている。普段と異なるのは私たちの方だ。未だ混乱の中から抜け出せず、状況を掴むことができない。私はもちろんのこと、蜂須賀ですら、未だに唖然として浦島くんを見ているだけだ。最も速く我に返ったのは、長曽祢だった。
「う、浦島……?」
「んー?」
探るように名前を呼ぶ兄に、浦島くんはしゃがんだまま返事をする。その声音もあまりにも普段通りすぎたから混乱が戻ってきたのだろう、長曽祢はしどろもどろになりながら「あー」とか「その」とか言葉を探していたが、やがてごくりと息をのみ、覚悟を決めたように口を開いた。
「お前と主は、そういう仲なのか? つまり……恋仲とか、そういう……?」
「え、何言ってんの、長曽祢兄ちゃん。そんなわけないじゃん!」
「! ……じゃあお前、無理やり迫ったのか、主に」
直前までの動揺がなりを潜め、ぐっと声が低められた。弟を甘やかすときとは異なる、ただ一振りの刀としての問いかけ。長曽祢は見極めるような真剣な目を浦島くんに向け、返事を待つ。浦島くんは未だしゃがんで床を片付けていた。お盆に湯呑を乗せ、懐に入っていたらしい手ぬぐいで床をふく。あっという間にきれいになった縁側にしゃがみこんだまま、浦島くんはぼそりと口を開いた。
「んー……どうだろ」
「浦島。大切な話だ」
「……本気でいやがってたらやらないよ、あんなこと」
こちらには背中を向けていたから、私には彼の表情が分からなかった。けれど髪の毛の間から見える耳と首筋が真っ赤に染まっているのが見えて――そこでようやく、何が起こったのかを、理解した。
隣に座っていた浦島くんに押し倒された。手を握られて、キスされそうになった。そこに蜂須賀と長曽祢が現れて未遂に終わったが、長曽祢は私が傷つけられたのではないかと疑い浦島くんに問いかけた。そして浦島くんは、「はい」とも「いいえ」とも言わず、私がいやがらなかったからやったのだと、そう言った。
「……主?」
長曽祢が、静かに事の真偽を問う。浦島くんはかたくなにこちらを見ようとはしない。蜂須賀など最早置き物だ。私はと言えば。
「い……」
「い?」
「い、い……いや、じゃ……なかったです……」
――私はと言えば、両手で顔を覆い、喉の奥から絞り出したようなか細い声で、つい、本音を口にしてしまった。
(だって、だって、ほんとに、いやではなかったもの)
顔が熱い。耳も熱い。心臓はうるさいし、のどの奥がきゅうと苦しい。至近距離に迫った両目と熱、意外なほどくっきりと見えていた喉仏が暗い視界に蘇り、もっともっと苦しくなる。本人が言った通りだ。あんなの子どもじゃない。少年でもない。れっきとした、男性だ。異性にキスをされそうになって、私はそれが、いやではなかった。
「……主さん、ほんと?」
しんと静まり返っていた縁側にぽつんと落とされた声。つられるように、指の隙間からおそるおそる、そちらを見る。先ほどまでは背中しか見えなかった刀が、かたわらの兄のように、目を丸くして私を見ていた。
「ほんとに、いやじゃなかった?」
子どもが機嫌を窺うような、けれどどこか期待を込めた問いかけに、ちょっとの葛藤の末に小さく頷く。あまりにも恥ずかしくて、それ以上のリアクションができなかった。しかし浦島くんはそれだけで満足だったのか、パッと顔を輝かせた。それから飛び上がるように立ち上がったかと思えば、こちらに駆けて来て私の体を強引に起き上がらせる。両肩に手を置き、正面からわくわくと私を見据える表情はいつも通り、元気で明るい、弟のようにかわいらしい浦島虎徹だった。
「主さん! それって、りょ、両思いってこと!?」
「りょっ……そ、それは……えっと……」
「違うの……?」
「ち、違うっていうか」
「でも主さん、さっきのいやじゃなかったんでしょ?」
「それ、は……まあ……はい……」
「ってことは、俺のこと好きってことだよね?」
「き、嫌いではないけど……」
「で、俺も主さんのこと、女の子として好きだから……やったー! 両思いだ!」
「!?」
真正面からがばりと抱きつかれ、またしても体が固まった。やったやったと耳元で喜んでいる刀が、かわいいはずなのになんだか絶妙にかわいくない。
(ま、丸め込まれた……?)
私は浦島くんのことが嫌いではない。浦島くんは私のことが好き。だから両思い。分かるようで分からない理論だ。浦島くんはそれをわりと強引に押し通そうとしている気がしないでもない。
(というか、分かっててやってた……?)
だって、浦島くんは言っていた。いやがる相手にはこんなことをしないと。私自身は無自覚だったものの、浦島くんは私が彼に少なからず好意を持っていると思っていたからこそ、あんな行動に出たのだ。確かにその読みは当たっていて、今もまったく嫌な気持ちはしていない。
すべてが彼の計画通りなのだとしたら、あまりに計算高い。けれど、今にも飛び跳ねて回りそうなほど無邪気に喜んでいる姿を見せられると、到底そんな打算的な人物には思えない。頭がぐちゃぐちゃと混乱する。いったい何が事実で何が事実ではないのか、どんどん分からなくなっていく。
「……ごめんね、主さん」
ふと耳元で告げられた謝罪に、どこかにいっていた意識が目の前に舞い戻る。何のことかと不思議に思っていると、浦島くんは少しだけ迷うように間を空けてから続けた。
「主さん、ずっと俺のこと子ども扱いするから……俺も男なんだぞって分かってもらいたかったんだ」
「……」
「長曽祢兄ちゃんが言う通り。ほんとは順番が逆だって、ちょっと分かってた。ごめんね、主さん。……嫌いになった?」
ぎゅうと、すがるように、抱きつく腕に力がこめられた。顔は見えないが、一応罪悪感と、不安のようなものはあったらしい。この正直さとまっすぐさは、私が知る浦島虎徹の美点だ。微笑ましさから、思わず口元が緩む。そもそもここで「嫌いになった」と返すなら、もっと早く張り飛ばしていただろう。私もそっと彼の背中に手を回し、できるだけやわらかい声で「なってないよ」と本心を告げる。また大きい声で喜びだすかと思っていたが、予想に反して、彼は小さい声で「よかった」とつぶやき、私の肩口に押し付けるように額を寄せた。
ややあって、浦島くんはゆっくりと体を離した。ふと少しの涼しさを感じ、直前まで触れ合っていた体温の高さに気が付く。気恥ずかしさからさ迷わせていた視線は、途中で彼に捕まってしまった。両手が私の頬を包み込み、わずかに上向かせる。
「主さん、改めて言わせて。俺、主さんのことが好きだ。……俺と、お付き合いしてください!」
床に転がっていたときよりは遠く、けれど普段よりはずっと近い位置で弧を描く瞳の端は赤く染まり、大人の余裕などまるで感じない。全身で好意と照れを伝える姿は、恋愛経験など少しも感じさせない初々しさがある。だけど、ほんの10分程度前と異なり、今の私はそれを笑い飛ばすことができない。こちらもそれなりに生きてきたはずの年月と培ってきたはずの経験が、どこかに飛んでいってしまった。言葉にするのが気恥ずかしくて、ただただ、こくりと頷いてだけ返す。浦島くんはははにかむように笑うと、もう一度だけ私の体を抱き込んだ。まるで初恋が実った少年のよう――何分かぶりに、ほんのちょっとだけ彼のことがかわいく思えた、その瞬間だった。
耳元で、小さな音が聞こえた。
少しだけ湿った、リップ音。ぬくもりと呼ぶには生々しい感触が耳元を掠め、続けて吐息を吹き込むように、かすれた声が、耳の中で反響する。
「続きは、兄ちゃんたちがいないとこでしようね」
「え」
「よし! じゃあ俺、お茶淹れなおしてくるよ! 4人分でいいよね? 蜂須賀兄ちゃん、長曽祢兄ちゃん」
「あ、ああ……そう……だな……?」
「おいしいお茶菓子あるかな~。さっき栗まんじゅう食べたばっかだけど、甘いものは別腹って言うし、別にいいよね! じゃあ兄ちゃんたちも主さんも、ちょっと待っててね!」
あっけらかんとした様子で私から離れてお盆を拾い上げると浦島くんはさっさと姿を消してしまった。残された私と兄たちは呆然とその背中を見送り、彼の姿が見えなくなると3人で顔を見合わせる。
「……」
「……」
「……」
「……虎徹の教育ってどうなってるの……?」
「……真作らしい、見事な手管だったな」
「ど、どこぞの贋作から、悪いことを学んだんじゃないか?」
「……主も主だ。簡単に許してよかったのか?」
「わ、私は、別に、その、ねえ?」
三者三様になんとか他人のせいにしようと責任を押し付け合う。そんな不毛なことをしたのは、全員がなんとなく分かっていたからだ。浦島くんは虎徹の誇りをもって真正面から好きな相手にぶつかり、本丸に来てから学んだのだろう俗っぽいテクニックも駆使し、私の甘さに遠慮なくつけこんだのだということを。そしてそれが計算ではなく、彼の素直さと末っ子気質、そして本能によって成し遂げられたものであることを――つまりは我々の影響を素直に受けたがゆえに浦島くんはナチュラルにあんなことができる刀に育ったのだと、私も蜂須賀も長曽祢も、察していた。
「ただいまー! って、何見つめ合ってるの? 3人して」
脇差の機動を発揮してすぐに戻ってきた浦島くんは不思議そうに私たちの顔を見比べた。会話の内容が内容だっただけに返事をしないでいると、浦島くんは床にお盆を置き、何故だかムッと口をとがらせて私の顔を正面から覗き込む。
「確かに兄ちゃんたちはかっこいいけど、もう俺の主さん……恋人さん……彼女さん? ……とにかく俺の特別な人は主さんで、主さんの特別な刀は俺なんだから、見つめるなら俺にしてよ!」
「す、すみません……?」
「分かったならよし! ……なんちゃって! ずーっと主さんに見つめててもらえるように、俺、もっとかっこよくなるからね!」
無邪気に笑う浦島くんにきゅんと胸の辺りが締め付けられる。最早これが母性なのかときめきなのかも分からないが、やはりかわいいものはかわいい。床に転がされたことは一度忘れよう。完全にほだされて浦島くんの頭をなでる私を、長曽祢と蜂須賀がなんとも言えない顔で見ていた。
「主さん、主さん」
私を見つけると顔を輝かせて駆けてくる彼は、短刀たちに混じっても違和感がないのではないかと思うほどかわいらしい。身長は私とそれほど変わらないはずだし、特別小さい子のように見えているわけでもないのだが、彼の人懐こさは警戒心を簡単に薄れさせる。もしかして自分の弟だったのではないかとすら思えてくるくらい、すっと人の懐に入ってくるのだ。
「何食べてるの?」
縁側に座る私の顔をひょいと覗き込む丸い瞳に笑いかけない人間などいるだろうか。いや、いない。屈託のない笑顔にこちらもにっこりと笑って返す。
「栗まんじゅうだよ」
「へー! おいしそー!」
「1個あげるよ」
「いいの!? ありがと、主さん!」
変に遠慮するわけでもなく厚意を受け入れる素直さも、浦島くんのいいところだ。すっと隣に座った脇差にもう1個の栗まんじゅうを皿ごと渡せば、彼はやたら丁寧にそれを受け取る。すぐに食べるだろうとそのまま見守ってみたが、何故か浦島くんはニコニコと栗まんじゅうを見つめるばかりで、一向に口に運ぼうとしなかった。
「? 好きなの?」
「へっ!? す、好きって!? 何が!?」
「え、栗まんじゅう……」
「あ、そ、そっか、そうだよね……! ……うん、好きだよ。いただきます!」
浦島くんは謎の動揺を落ち着かせるように一度息を吐いてから皿を膝に置いた。きちんと両手を合わせてまんじゅうをつまみ上げる仕草は、彼の兄の姿と少しだけ重なる。さすが虎徹、お行儀がいい。けれど一口で半分ほど平らげる豪快さはもう1人の兄を思わせる。こういうところが、真贋関係なくどちらをも兄と慕う浦島くんらしい。無意識のうちに頬が緩んでいたのだろう、残り半分を口に放り込み再度両手を合わせた浦島くんが、不思議そうに「どうかした?」と首を傾げた。
「いや、かわいいなーって思って」
「……俺?」
「うん。本当に蜂須賀と長曽祢のこと好きなんだね」
「? 好きだけど……なんで今そう思ったの?」
「仕草がどっちにも似てたから。2人のこと、よく見てるんだね」
「へへ、どっちも大好きな兄ちゃんだからね! ……でも、それとかわいいって、つながらないと思うんだけど」
「そうかな」
兄たちが大好きでそれを隠そうともせず、寧ろ真似をしたがる弟。どこからどう見てもかわいいと思うのだが、何故か本人は不満だったらしく少しだけ口をとがらせて「ぶーぶー」と言っている。やはりかわいい。またしても頬が緩みかけ、ハッと慌てて口元を隠す。しかし目ざとい脇差は、今度はムッと口を引き結んだ。
「主さん、俺のこと子どもだと思ってるでしょ」
「子どもとは思ってないよ。なんか、弟みたいでかわいいなって」
「確かに俺は兄ちゃんたちの弟だけど! でも主さんの弟じゃないよ!」
なるほど、一人前扱いされたいということか。ムキになって主張する姿もやはり私にはかわいく映ったが、ぐっと飲み込んで同意を示す。しかし察しが良い浦島くんはそれでは納得できなかったらしく、「思ってないだろ」と組んだ膝の上に頬杖を突いた。
「目がかわいいって言ってる」
「ご、ごめん……ふふ……」
「ほらぁ! 今、絶対、子どもっぽくてかわいいなーって思ってるだろ!」
「ごめんって」
口では謝罪しながらも心の中はかわいいでいっぱいだった。分かりやすくぶすくれる浦島くんがそれに拍車をかける。せめてなんとか笑うのは堪えようと手で口を覆って俯くが、どうにもかわいいが溢れて止まらない。その間もじっとりとした不服そうな視線がぐさぐさと突き刺さっていたが、それすらかわいい。ムスッと口をへの字に曲げる仕草も、愛嬌があって大変愛らしい。
「ひどいよ、主さん。俺だって男の子なのに」
「お、男の子……!」
「なんでもっと笑うの!?」
「言葉のチョイスがツボを突いてきて……」
脇差は短刀たちほど子どもではなく、打刀と比べるとやや幼い。特に浦島くんは、他の脇差と比べても少年感が強い方だ。一人前の大人扱いしてほしい、けれどまだまだ子どもっぽさから抜け出せない中学生くらいの少年が一生懸命背伸びをしているようで、余計にかわいく見えてしまうのだ。それでつい、微笑ましさから笑いがこみ上げてしまう。
(でも、確かに本人にとっては失礼な話だよね)
兄たちよりも強くなろうと日々がんばっている浦島くんにしてみれば、今の私の言動は彼の努力をバカにし、自尊心を傷つけているように見えるだろう。それはよろしくない。気持ちを切り替えるべくこほんとわざとらしく咳払いをして、目じりに浮かんでいた涙をぬぐおうと手を持ち上げる。
しかし横から伸びてきた一回りほど大きな手が、それを掴んで止めた。
「浦島くん?」
唐突な行動に首を傾けながら、左隣の少年を見る。きっとまだぶすくれているのだろうという予想は、あっさりと外れた。浦島くんは表情をなくして、まっすぐに私を見ていた。
「どうしたの?」
さすがに少し怒ったのだろうかとも思ったが、あまりいやな雰囲気は感じない。ただ無言でじっと私の目を覗き込むだけで――ふと、いつの間にか意外と近い位置に彼の両目があることに気が付く。あれ、と思ったのも束の間。私の手を握る右手はそのままに、少しずつ体を寄せられる。頬杖をついていたはずの彼の左手は、私の体の右側に。気が付けば、横から覆いかぶさるような体勢になっていた。驚いて身を引くも、縁側から足を投げ出していたからそれ以上後退することはできない。じわじわと縮められる距離に対して私ができるのは上半身を後ろに倒すことだけで、しかしそれにも限度がある。右手をついて体を支えるが、それが肘になり、とうとう背中が床に触れた。
「う、浦島くん……?」
仰向けに転がる私の顔のすぐ横に手を突いてこちらを見下ろす浦島くんの表情は、初めて見るものだった。よく見慣れた天真爛漫な笑顔とは程遠い、真剣な表情。口元だけは笑っているように見えるが、目は細められているだけで決して笑ってはいない。
「主さん」
いつもと同じ呼びかけが、まったく別の何かに聞こえる。
「俺が間違ってた。さっきの訂正するね」
低められた声音が、文字をひとつひとつなぞるように、言葉を紡ぐ。
「――俺だって、男だよ?」
握られたままだった左手が持ち上げられる感覚。指の形を確かめるように肌の上を滑っていく人差し指の固さに、息をのむ。間違っても子どもとは思えない指先の感触と、鋭さを帯びた双眸。それが少しずつ迫ってくる。焦らすように、試すように。ゆっくりと距離が縮まっていく。見えていたはずの天井がすべて彼の顔に変わる。それもやがて全貌は隠され、ついには2つの瞳と、彼の人となりを現したようなオレンジ色だけが視界に残る。そっと頬に添えられた左手は、思いのほか、大きい。
「いいの? 主さん」
至近距離でまたたく瞳が、やはり笑みの形はとらないまま細くなる。彼が内緒話をするようにささやくたび、口元に吐息が触れ、ぞわりぞわりと肌が粟立つ。
「このままだと、くっついちゃうよ?」
親指が、触れるか触れないかの距離でそっと唇をなぞった。声は聞こえていたが、何を言われたのかまでは理解できない。実感できていたのは体にのしかかるわずかな重さと、至近距離に迫った瞳と唇の温度だけ。何を返せばいいのか、自分は何をすべきなのかも分からず、またじりじりと近づいてくるグリーンをただただ見上げる。やがて唇同士が重なり――そうになる直前。大きな音が、2人きりの縁側に響き渡った。
びくりと体を揺らしたのは私だけだった。浦島くんは表情を変えないまま、視線だけを横に流す。私も追うようにそちらに顔を向けようとしたが、できなかった。動けば触れるような距離に、浦島くんのお顔が迫っていたからだ。仕方なく、目だけを動かして縁側の先を見る。
まず見えたのは床に転がる湯呑とお盆、そして床いっぱいに広がる、おそらくお茶。それを運んできたのだろう刀、蜂須賀虎徹は、お盆を持った体勢のまま大きく目を見開いて私たちを見ていた。
「どうした!? 大丈夫、か……」
続いて蜂須賀の後ろから現れたのは長曽祢虎徹だった。おそらく先ほどの音を聞いて様子を見に来たのだろう。床にぶちまけられたお茶を見ると心配そうに蜂須賀に声をかけ、それから彼の視線の先、すなわち私たちの方へ、視線を動かす。長曽祢もまた、目を丸くして動きを止めた。
全員が、動かなかった。おそらくだが、正確には動けなかった。全員が混乱していた。今、この縁側で何が起きているのか。蜂須賀も長曽祢も、私だって理解できていない。一生懸命に目の前の情報を処理しようとしているけれど答えが出てこない。思考がフリーズしている。おそらく呼吸すらほとんど止まっていた、その最中。軽く左手を握られる感覚に呼ばれるように、視線を元の位置に戻す。唯一この状況を理解できているのだろう刀が、ほんの少しだけ体を起こして私を見下ろしていた。
「見られちゃったね、主さん」
私にだけ聞こえるような大きさで、浦島くんは言う。その頬が、わずかに赤く染まっていることに気が付いた。浦島くんは目を三日月の形にして、どこか照れくさそうに――好きな子を前にした少年のように、笑っていた。
「……蜂須賀兄ちゃん、大丈夫?」
私の返答を待たずに、浦島くんは体を起こした。それまでの焦らすような雰囲気はなりを潜め、握りこまれていた手はパッとあっけなく開放される。頬に添えられた右手だけは惜しむようにその場に留まっていたが、固い人差し指が私の目元をすりとなぞり、離れる。それから彼は、硬直状態の兄のもとに小走りで駆け寄った。
「珍しいね、兄ちゃんが食べ物……飲み物? 無駄にするなんて」
手際よくお盆と湯呑を拾いあげていく姿は、普段の浦島くんそのものだった。元気で明るい、けれど気が利くかわいい良い子。先ほどまで私の上に覆いかぶさっていた事実などなかったかのように、いつも通りに兄たちに話しかけている。普段と異なるのは私たちの方だ。未だ混乱の中から抜け出せず、状況を掴むことができない。私はもちろんのこと、蜂須賀ですら、未だに唖然として浦島くんを見ているだけだ。最も速く我に返ったのは、長曽祢だった。
「う、浦島……?」
「んー?」
探るように名前を呼ぶ兄に、浦島くんはしゃがんだまま返事をする。その声音もあまりにも普段通りすぎたから混乱が戻ってきたのだろう、長曽祢はしどろもどろになりながら「あー」とか「その」とか言葉を探していたが、やがてごくりと息をのみ、覚悟を決めたように口を開いた。
「お前と主は、そういう仲なのか? つまり……恋仲とか、そういう……?」
「え、何言ってんの、長曽祢兄ちゃん。そんなわけないじゃん!」
「! ……じゃあお前、無理やり迫ったのか、主に」
直前までの動揺がなりを潜め、ぐっと声が低められた。弟を甘やかすときとは異なる、ただ一振りの刀としての問いかけ。長曽祢は見極めるような真剣な目を浦島くんに向け、返事を待つ。浦島くんは未だしゃがんで床を片付けていた。お盆に湯呑を乗せ、懐に入っていたらしい手ぬぐいで床をふく。あっという間にきれいになった縁側にしゃがみこんだまま、浦島くんはぼそりと口を開いた。
「んー……どうだろ」
「浦島。大切な話だ」
「……本気でいやがってたらやらないよ、あんなこと」
こちらには背中を向けていたから、私には彼の表情が分からなかった。けれど髪の毛の間から見える耳と首筋が真っ赤に染まっているのが見えて――そこでようやく、何が起こったのかを、理解した。
隣に座っていた浦島くんに押し倒された。手を握られて、キスされそうになった。そこに蜂須賀と長曽祢が現れて未遂に終わったが、長曽祢は私が傷つけられたのではないかと疑い浦島くんに問いかけた。そして浦島くんは、「はい」とも「いいえ」とも言わず、私がいやがらなかったからやったのだと、そう言った。
「……主?」
長曽祢が、静かに事の真偽を問う。浦島くんはかたくなにこちらを見ようとはしない。蜂須賀など最早置き物だ。私はと言えば。
「い……」
「い?」
「い、い……いや、じゃ……なかったです……」
――私はと言えば、両手で顔を覆い、喉の奥から絞り出したようなか細い声で、つい、本音を口にしてしまった。
(だって、だって、ほんとに、いやではなかったもの)
顔が熱い。耳も熱い。心臓はうるさいし、のどの奥がきゅうと苦しい。至近距離に迫った両目と熱、意外なほどくっきりと見えていた喉仏が暗い視界に蘇り、もっともっと苦しくなる。本人が言った通りだ。あんなの子どもじゃない。少年でもない。れっきとした、男性だ。異性にキスをされそうになって、私はそれが、いやではなかった。
「……主さん、ほんと?」
しんと静まり返っていた縁側にぽつんと落とされた声。つられるように、指の隙間からおそるおそる、そちらを見る。先ほどまでは背中しか見えなかった刀が、かたわらの兄のように、目を丸くして私を見ていた。
「ほんとに、いやじゃなかった?」
子どもが機嫌を窺うような、けれどどこか期待を込めた問いかけに、ちょっとの葛藤の末に小さく頷く。あまりにも恥ずかしくて、それ以上のリアクションができなかった。しかし浦島くんはそれだけで満足だったのか、パッと顔を輝かせた。それから飛び上がるように立ち上がったかと思えば、こちらに駆けて来て私の体を強引に起き上がらせる。両肩に手を置き、正面からわくわくと私を見据える表情はいつも通り、元気で明るい、弟のようにかわいらしい浦島虎徹だった。
「主さん! それって、りょ、両思いってこと!?」
「りょっ……そ、それは……えっと……」
「違うの……?」
「ち、違うっていうか」
「でも主さん、さっきのいやじゃなかったんでしょ?」
「それ、は……まあ……はい……」
「ってことは、俺のこと好きってことだよね?」
「き、嫌いではないけど……」
「で、俺も主さんのこと、女の子として好きだから……やったー! 両思いだ!」
「!?」
真正面からがばりと抱きつかれ、またしても体が固まった。やったやったと耳元で喜んでいる刀が、かわいいはずなのになんだか絶妙にかわいくない。
(ま、丸め込まれた……?)
私は浦島くんのことが嫌いではない。浦島くんは私のことが好き。だから両思い。分かるようで分からない理論だ。浦島くんはそれをわりと強引に押し通そうとしている気がしないでもない。
(というか、分かっててやってた……?)
だって、浦島くんは言っていた。いやがる相手にはこんなことをしないと。私自身は無自覚だったものの、浦島くんは私が彼に少なからず好意を持っていると思っていたからこそ、あんな行動に出たのだ。確かにその読みは当たっていて、今もまったく嫌な気持ちはしていない。
すべてが彼の計画通りなのだとしたら、あまりに計算高い。けれど、今にも飛び跳ねて回りそうなほど無邪気に喜んでいる姿を見せられると、到底そんな打算的な人物には思えない。頭がぐちゃぐちゃと混乱する。いったい何が事実で何が事実ではないのか、どんどん分からなくなっていく。
「……ごめんね、主さん」
ふと耳元で告げられた謝罪に、どこかにいっていた意識が目の前に舞い戻る。何のことかと不思議に思っていると、浦島くんは少しだけ迷うように間を空けてから続けた。
「主さん、ずっと俺のこと子ども扱いするから……俺も男なんだぞって分かってもらいたかったんだ」
「……」
「長曽祢兄ちゃんが言う通り。ほんとは順番が逆だって、ちょっと分かってた。ごめんね、主さん。……嫌いになった?」
ぎゅうと、すがるように、抱きつく腕に力がこめられた。顔は見えないが、一応罪悪感と、不安のようなものはあったらしい。この正直さとまっすぐさは、私が知る浦島虎徹の美点だ。微笑ましさから、思わず口元が緩む。そもそもここで「嫌いになった」と返すなら、もっと早く張り飛ばしていただろう。私もそっと彼の背中に手を回し、できるだけやわらかい声で「なってないよ」と本心を告げる。また大きい声で喜びだすかと思っていたが、予想に反して、彼は小さい声で「よかった」とつぶやき、私の肩口に押し付けるように額を寄せた。
ややあって、浦島くんはゆっくりと体を離した。ふと少しの涼しさを感じ、直前まで触れ合っていた体温の高さに気が付く。気恥ずかしさからさ迷わせていた視線は、途中で彼に捕まってしまった。両手が私の頬を包み込み、わずかに上向かせる。
「主さん、改めて言わせて。俺、主さんのことが好きだ。……俺と、お付き合いしてください!」
床に転がっていたときよりは遠く、けれど普段よりはずっと近い位置で弧を描く瞳の端は赤く染まり、大人の余裕などまるで感じない。全身で好意と照れを伝える姿は、恋愛経験など少しも感じさせない初々しさがある。だけど、ほんの10分程度前と異なり、今の私はそれを笑い飛ばすことができない。こちらもそれなりに生きてきたはずの年月と培ってきたはずの経験が、どこかに飛んでいってしまった。言葉にするのが気恥ずかしくて、ただただ、こくりと頷いてだけ返す。浦島くんはははにかむように笑うと、もう一度だけ私の体を抱き込んだ。まるで初恋が実った少年のよう――何分かぶりに、ほんのちょっとだけ彼のことがかわいく思えた、その瞬間だった。
耳元で、小さな音が聞こえた。
少しだけ湿った、リップ音。ぬくもりと呼ぶには生々しい感触が耳元を掠め、続けて吐息を吹き込むように、かすれた声が、耳の中で反響する。
「続きは、兄ちゃんたちがいないとこでしようね」
「え」
「よし! じゃあ俺、お茶淹れなおしてくるよ! 4人分でいいよね? 蜂須賀兄ちゃん、長曽祢兄ちゃん」
「あ、ああ……そう……だな……?」
「おいしいお茶菓子あるかな~。さっき栗まんじゅう食べたばっかだけど、甘いものは別腹って言うし、別にいいよね! じゃあ兄ちゃんたちも主さんも、ちょっと待っててね!」
あっけらかんとした様子で私から離れてお盆を拾い上げると浦島くんはさっさと姿を消してしまった。残された私と兄たちは呆然とその背中を見送り、彼の姿が見えなくなると3人で顔を見合わせる。
「……」
「……」
「……」
「……虎徹の教育ってどうなってるの……?」
「……真作らしい、見事な手管だったな」
「ど、どこぞの贋作から、悪いことを学んだんじゃないか?」
「……主も主だ。簡単に許してよかったのか?」
「わ、私は、別に、その、ねえ?」
三者三様になんとか他人のせいにしようと責任を押し付け合う。そんな不毛なことをしたのは、全員がなんとなく分かっていたからだ。浦島くんは虎徹の誇りをもって真正面から好きな相手にぶつかり、本丸に来てから学んだのだろう俗っぽいテクニックも駆使し、私の甘さに遠慮なくつけこんだのだということを。そしてそれが計算ではなく、彼の素直さと末っ子気質、そして本能によって成し遂げられたものであることを――つまりは我々の影響を素直に受けたがゆえに浦島くんはナチュラルにあんなことができる刀に育ったのだと、私も蜂須賀も長曽祢も、察していた。
「ただいまー! って、何見つめ合ってるの? 3人して」
脇差の機動を発揮してすぐに戻ってきた浦島くんは不思議そうに私たちの顔を見比べた。会話の内容が内容だっただけに返事をしないでいると、浦島くんは床にお盆を置き、何故だかムッと口をとがらせて私の顔を正面から覗き込む。
「確かに兄ちゃんたちはかっこいいけど、もう俺の主さん……恋人さん……彼女さん? ……とにかく俺の特別な人は主さんで、主さんの特別な刀は俺なんだから、見つめるなら俺にしてよ!」
「す、すみません……?」
「分かったならよし! ……なんちゃって! ずーっと主さんに見つめててもらえるように、俺、もっとかっこよくなるからね!」
無邪気に笑う浦島くんにきゅんと胸の辺りが締め付けられる。最早これが母性なのかときめきなのかも分からないが、やはりかわいいものはかわいい。床に転がされたことは一度忘れよう。完全にほだされて浦島くんの頭をなでる私を、長曽祢と蜂須賀がなんとも言えない顔で見ていた。
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