小竜さに
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今年の七夕の夜空は、絶好の逢瀬日和だった。雲ひとつない晴れ渡る夜空に、星々が美しい大河を作って流れている。風はなく、視界は良好。カササギの橋渡しを邪魔するものはひとつもない。今ごろは日本一有名な恋人たちが、年に一度の再会を喜んでいることだろう。
雲の上の逢瀬に思いを馳せながら、笹の葉の合間に揺れる五色の紙を手に取ってゆっくりと眺める。本丸の至るところに括りつけられた笹や色とりどりの飾り、直線が美しい短冊、少しだけ豪華だった夕飯は、本丸総出で準備したもの。梅雨明け前の鬱屈とした空気に嫌気がさしていたのだろう、普段は行事に興味を示さないような刀まで、文句を言いながらも七夕を楽しんでいた。
(これは秋田、小夜、江雪……これは稲葉かな? こっちが日本号、長谷部、謙信)
ひとつひとつの短冊に書かれた願い事は、無記名であっても誰のものかすぐに知れた。いかにもその男士らしい願いもあれば、意外な内容を綴っている男士もいる。嫌々欠かされていた刀もいたはずだが、しかしどれもが健気で慎ましく、微笑ましい。緩んだ口元はそのままに、次の短冊に手を伸ばす。そこに綴られていた願い事に、はてと首を傾げてしまった。
「あ、ねえ小竜。これ、小竜の字だよね」
たまたま通りがかった小竜景光を捕まえて尋ねれば、彼はきょとんとした様子で私の手元に視線を移した。それから得心がいったように頷いて、彼お得意の挑戦的な笑みを浮かべる。
「ああ、よく分かったね。それがどうかしたかい?」
「いや……なんでかなって思って」
「なんでって?」
「小竜がこんなお願いする意味が分からないっていうか」
「牽牛も、同じ願いを抱いているだろうって思っただけさ」
「ふぅん……?」
分かるようで分からない説明に、ひとまず曖昧に頷いて返す。この、口説き文句めいた願い事を牽牛が祈るのは分からなくもない。織女もまた、きっと同じ願いを胸に抱いているだろう。しかし何故、小竜がこんなことを――じっと黄色の短冊を見下ろしていると、頭上から喉を鳴らすような音が降ってきた。反射的に顔を上げる。いつの間にか鼻先がぶつかりそうな距離に彼の胸元が迫っていた。次いで視界に陰が差す。釣られるように見上げた先、まるで夜空にカーテンでも引くように、空色の外套が私の頭上を覆い隠そうとしていた。
「小竜……?」
「知りたいかい? それの意味」
手袋に覆われた指先が、トンと短冊を叩いて見せる。
含みのある物言いはいつものこと。しかし低められた声と、決して笑っていない目元が、非日常を訴える。月明かりを反射する紫の瞳の奥で、小さな何かがチリと揺れた。
「見たよ、キミの短冊」
「え……」
笑うふりをするように細められた目が恐ろしいはずなのに、視線をそらすことができない。徐々に0に近づく距離を、拒めない。目の前の刀は、混乱に陥った私を見て口角を上げる。その仕草すらどこか白々しく、同時に、妙な艶やかさを感じた。
「みんなの願いが叶いますように、というやつだろう? キミらしい、慎ましい願いだ」
「そう、かな……?」
「ああ。だから俺もキミのために、自分の願いが成就するよう努めるべきだと思ってね」
「で、でも、小竜の願いって」
叶うわけがないだろう。
そう続けようとした唇に、そっと人差し指が当てられる。手袋越しだ、体温など感じない。しかしその黒い指先から炎でも灯されたかのように、口元から頬に、耳に、全身に、高い熱が走り抜けた。思わず一歩後退するも、添えるように唇に触れていた手がすばやく二の腕を掴む。存外強い力に、熱とともに戸惑いが増した。
「きっとまだ分からないだろう? この願い事の意味」
「意味って……そのままじゃ……」
「ハハ、それじゃあヒントをあげるよ。俺はね、主。今夜、キミを奪うつもりでここに来たんだ」
「……は?」
「それを踏まえれば、自ずと答えは知れるだろう?」
「!」
外套が完全に頭上を覆い隠し、空色のカーテンと、小竜の顔だけが視界に映る。二の腕を掴む手が彼らしからぬ強引さで私を引き寄せ、次の瞬間に見えたのは、ふたつの紫色だけだった。美しい瞳に、思わず見入る。それから遅れて、唇のすぐ横に落とされた口づけの熱に、意識が向いた。息を止め、呆然と目の前の双眸を見つめる。何が起きたのか、すぐに理解ができなかった。
「……たとえ朝が来たとしても、キミの心がずっとこの星合に捕らわれていれば……キミが今を忘れることができなければ、この夜が明けていないのと、同じだ」
すりと額をすり合わせながら、低められた声が真剣みを帯びて語る。
「奪われてくれ、主。どうかこの夜ごと、俺のものになって」
冗談や酔狂ではない告白に、言葉をなくす。今の状況があまりに非現実的すぎて、まるで理解が追いつかない。彼が語る屁理屈など鼻で笑って受け流してしまいたいし、唇の横とはいえ一方的なキスに、怒り出したい気持ちもある。
けれど、できない。
ゆっくりと、試すように解放された二の腕に、これ幸いと逃げ出すことができない。開かれた空色のカーテンが再び閉じられてしまう前に、誰かの助けを呼ぶことができない。一度離れ、もう一度寄せられた鼻先を押し戻すことも、避けることも、星明かりを集めてキラキラと光る紫色から目をそらすことも、やはり、できない。
「いいね、それ。ずっと俺を見ていてよ。今夜が終わるまで……そのあとも、ずっと」
目前に迫る双眸の奥、小さく揺れていたそれが輪郭を描いてはっきりと灯る。炎か、あるいは欲か。判然とする前に黒い手のひらが両手で私の頬を包み、今度こそ、冷えた唇が重なった。
雲の上の逢瀬に思いを馳せながら、笹の葉の合間に揺れる五色の紙を手に取ってゆっくりと眺める。本丸の至るところに括りつけられた笹や色とりどりの飾り、直線が美しい短冊、少しだけ豪華だった夕飯は、本丸総出で準備したもの。梅雨明け前の鬱屈とした空気に嫌気がさしていたのだろう、普段は行事に興味を示さないような刀まで、文句を言いながらも七夕を楽しんでいた。
(これは秋田、小夜、江雪……これは稲葉かな? こっちが日本号、長谷部、謙信)
ひとつひとつの短冊に書かれた願い事は、無記名であっても誰のものかすぐに知れた。いかにもその男士らしい願いもあれば、意外な内容を綴っている男士もいる。嫌々欠かされていた刀もいたはずだが、しかしどれもが健気で慎ましく、微笑ましい。緩んだ口元はそのままに、次の短冊に手を伸ばす。そこに綴られていた願い事に、はてと首を傾げてしまった。
「あ、ねえ小竜。これ、小竜の字だよね」
たまたま通りがかった小竜景光を捕まえて尋ねれば、彼はきょとんとした様子で私の手元に視線を移した。それから得心がいったように頷いて、彼お得意の挑戦的な笑みを浮かべる。
「ああ、よく分かったね。それがどうかしたかい?」
「いや……なんでかなって思って」
「なんでって?」
「小竜がこんなお願いする意味が分からないっていうか」
「牽牛も、同じ願いを抱いているだろうって思っただけさ」
「ふぅん……?」
分かるようで分からない説明に、ひとまず曖昧に頷いて返す。この、口説き文句めいた願い事を牽牛が祈るのは分からなくもない。織女もまた、きっと同じ願いを胸に抱いているだろう。しかし何故、小竜がこんなことを――じっと黄色の短冊を見下ろしていると、頭上から喉を鳴らすような音が降ってきた。反射的に顔を上げる。いつの間にか鼻先がぶつかりそうな距離に彼の胸元が迫っていた。次いで視界に陰が差す。釣られるように見上げた先、まるで夜空にカーテンでも引くように、空色の外套が私の頭上を覆い隠そうとしていた。
「小竜……?」
「知りたいかい? それの意味」
手袋に覆われた指先が、トンと短冊を叩いて見せる。
含みのある物言いはいつものこと。しかし低められた声と、決して笑っていない目元が、非日常を訴える。月明かりを反射する紫の瞳の奥で、小さな何かがチリと揺れた。
「見たよ、キミの短冊」
「え……」
笑うふりをするように細められた目が恐ろしいはずなのに、視線をそらすことができない。徐々に0に近づく距離を、拒めない。目の前の刀は、混乱に陥った私を見て口角を上げる。その仕草すらどこか白々しく、同時に、妙な艶やかさを感じた。
「みんなの願いが叶いますように、というやつだろう? キミらしい、慎ましい願いだ」
「そう、かな……?」
「ああ。だから俺もキミのために、自分の願いが成就するよう努めるべきだと思ってね」
「で、でも、小竜の願いって」
叶うわけがないだろう。
そう続けようとした唇に、そっと人差し指が当てられる。手袋越しだ、体温など感じない。しかしその黒い指先から炎でも灯されたかのように、口元から頬に、耳に、全身に、高い熱が走り抜けた。思わず一歩後退するも、添えるように唇に触れていた手がすばやく二の腕を掴む。存外強い力に、熱とともに戸惑いが増した。
「きっとまだ分からないだろう? この願い事の意味」
「意味って……そのままじゃ……」
「ハハ、それじゃあヒントをあげるよ。俺はね、主。今夜、キミを奪うつもりでここに来たんだ」
「……は?」
「それを踏まえれば、自ずと答えは知れるだろう?」
「!」
外套が完全に頭上を覆い隠し、空色のカーテンと、小竜の顔だけが視界に映る。二の腕を掴む手が彼らしからぬ強引さで私を引き寄せ、次の瞬間に見えたのは、ふたつの紫色だけだった。美しい瞳に、思わず見入る。それから遅れて、唇のすぐ横に落とされた口づけの熱に、意識が向いた。息を止め、呆然と目の前の双眸を見つめる。何が起きたのか、すぐに理解ができなかった。
「……たとえ朝が来たとしても、キミの心がずっとこの星合に捕らわれていれば……キミが今を忘れることができなければ、この夜が明けていないのと、同じだ」
すりと額をすり合わせながら、低められた声が真剣みを帯びて語る。
「奪われてくれ、主。どうかこの夜ごと、俺のものになって」
冗談や酔狂ではない告白に、言葉をなくす。今の状況があまりに非現実的すぎて、まるで理解が追いつかない。彼が語る屁理屈など鼻で笑って受け流してしまいたいし、唇の横とはいえ一方的なキスに、怒り出したい気持ちもある。
けれど、できない。
ゆっくりと、試すように解放された二の腕に、これ幸いと逃げ出すことができない。開かれた空色のカーテンが再び閉じられてしまう前に、誰かの助けを呼ぶことができない。一度離れ、もう一度寄せられた鼻先を押し戻すことも、避けることも、星明かりを集めてキラキラと光る紫色から目をそらすことも、やはり、できない。
「いいね、それ。ずっと俺を見ていてよ。今夜が終わるまで……そのあとも、ずっと」
目前に迫る双眸の奥、小さく揺れていたそれが輪郭を描いてはっきりと灯る。炎か、あるいは欲か。判然とする前に黒い手のひらが両手で私の頬を包み、今度こそ、冷えた唇が重なった。