小竜さに
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ただその頬に、その唇に触れる口実が欲しかっただけなのだと伝えたら、彼女はどのような顔を見せてくれるのだろうか。低い位置にある双眸に目線を合わせるため、限界まで丸めた背中が窮屈だと訴えている。それでもまだ、丸々と開いた瞳から、視線をそらすことはできない。したくない。
「今、なんて?」
一から十まで聞こえていただろうに、信じられないとでも言いたげに問うてくる主に内心で苦笑を浮かべる。実際に顔に乗ったのは、普段通りの飄々とした笑みであると思いたい。心地よい緊張感からわずかに早まった心音を耳元で感じながら、先ほど口にしたのとまったく同じ言葉を舌に乗せる。
「キスする? 俺と、キミで」
スマホの上の指先が跳ね上がり、細い喉が言葉をなくして震えたのが見えた。喉を鳴らすように笑い、わざとらしく口角を持ち上げる。できるならば、挑戦的に見えるといい。この胸の内を燃やす熱が伝わればいい。彼女がほんの少しでも、違和感を抱けばいい。際限なく溢れる独りよがりな願望に、目を細める。
今日は「キスの日」なのだと言い出したのは彼女の方だった。いったいつ、誰が、何のために作った記念日なのかは想像もつかない。主もそこまでの関心はなかったのだろう、スマホの画面に指を滑らせるながら、すでに次の情報に興味を移していた。
(キスねえ……)
無表情に近い横顔に視線を落とす。ぼんやりと開いた唇に触れたことは、当然ながら一度もない。自分たちは恋人同士でなければ、何かしらの特別な関係というわけでもない。ただの人間と刀。主と従。間に横たわるのはそれぞれに課せられた使命のみで、甘さなど到底伴わない。それがいつのころからか自分の方だけ、視線に乗せる感情の意味が変わってしまった。
(見ているだけで満足できたはずだったんだけど)
最初は、彼女を視界の内に収めているだけで満足だった。別に言葉を交わさずとも、彼女の視線が自分を捉えずとも、それで良かった。しかし時の経過は、停滞を許さない。気が付けば小さかったはずの思いはすっかりかわいげをなくし、今では彼女の隣に座り、言葉を交わし、視線を重ねるだけでもまだ足りず、直接この手で触れたいなどと、自分勝手な欲望へと膨れ上がった。
(別に、無理にどうこうなんてつもりはない)
主として認めているこの人の尊厳を踏みにじるようなことだけは絶対にしてはならない。そもそも彼女の意思が伴わない行為に意味などないのだ。自分が抱いた欲をコントロールし責任を持つのは、自分自身の役目だろう。そこに葛藤や迷いはない。だが、もしも。
(もし、彼女の意思が、伴ったとしたら?)
ふとそんな考えが頭をよぎり、確かめたくなった。今の彼女の思い。あるいは、今後の展望。望みを持ってもいいのか、じわりじわりと距離を詰めることが許されるのか。いつか彼女の方も俺に触れ、触れられることを望んでくれるのか。それを確かめる機が、どこかに転がっていないものか――まさか彼女の方からチャンスを転がしてくれるとは思いもしなかったが、これだと思った瞬間には口が動いていた。
(俺はしたいよ、キミと。キスも、それ以上も)
後半に続くはずだった本音は飲み込み、じっと彼女のリアクションを待つ。前向きな反応ならばいい。後ろ向きな反応であれば、それでもいい。思いを抱え続けることに諦めがつく。ここで何かひとつのけじめがつけられれば、それでいい気がしていた。
ぽかんと口を開けたままフリーズしていた主は、ハッと我に返ると「えっと、えっと」などと意味のない言葉を繰り返しながらあちらこちらに視線を泳がせる。耳や頬はわずかに赤い。時折視線がぶつかると逃げるようにまた目をそらし、今度は俯いて口を引き結ぶ。じっと何かを考えているような仕草に、意図的に細めていた瞳が思わず上下した。
(おや)
困惑はしているのだろう。しかし不快感や拒否感は感じない。冗談だと笑い飛ばすこともない。決して好意的なリアクションだと断じることはできないが、それでも悪い気はしていないように見えた。
「えーっと……その……小竜……? それはその……えーっと……?」
とうとう頭を抱え、もごもごと次の言葉を探す主に、わざとらしく上げていた口角が緩み、眉尻が下がったのを感じた。多少彼女を困らせてやりたいような気はしていた。このまま放っておいたら、どのような答えを出すのか興味もある。しかし今は、これで十分だ――嫌がられているわけではないという事実が分かっただけで、ひとまず満足している自分がいた。
「……なんてね」
「え」
曲げていた背中を伸ばし、普段通りの軽い声音をあえて作る。隣からバッと音が出そうな勢いで顔を上げる気配がしたが、そちらは見ないまま立ち上がった。
「キミは本当に真面目だねえ」
「……あれ!? からかわれた!?」
「もしかして、期待した?」
「きっ、べっ、別にしてない!」
「ハハ、それは残念」
気づかれないように呼吸を整えながら、座ったままの主を横目で見下ろす。顔を真っ赤にしてまなじりを吊り上げる姿にこみ上げたのは、何の欲か。喉まで出かかったそれを冗談めかした言葉に隠し、本音なのだと気づかれないように外に吐き出す。
「その気になったら、いつでも声をかけてくれて構わないよ」
「こ、小竜はいつもそうやって私のことからかって……!」
「おや、心外だな。俺はいつでも真剣なつもりなんだけれど」
「つもりでしょ、つもり!」
「キミにはあまり伝わっていないようだからね」
「だって伝えようとしてないじゃん! ミステリアスだのなんだのって言って!」
「ああ、もしかして俺のすべてを暴きたいってことかな」
「ああ言えばこう言う……!」
ケラケラと笑って返せば、徐々に主も落ち着きを取り戻し、気を取り直すように大きなため息をついた。一瞬だけ浮かんだ苦笑を彼女に見られる前に足を踏み出し、廊下に向かう。その途中に投げられた咎めるような声に、一度だけ足を止めた。
「あんなこと、簡単に言っちゃダメだからね」
「……ああ、そうだね。肝に銘じておこう」
彼女の言う通りだ。次は決して、軽々しく口にするつもりはない。今回のように逃げ道を作ってなどやらない。本音を隠すつもりもない。こちらもあちらも後に引けない状況で、次の決断を迫る。
(無理強いするつもりはないけど)
しかし彼女の思いが自分の思いが重なると確信できたそのときは、一切の容赦なく、誘い込む。そして彼女の反応を見るに、そのときは、きっとそう遠くはない。
密かな決意は彼女に伝わることはなく、背中越しに感じたのは呆れたような気配だった。
「今、なんて?」
一から十まで聞こえていただろうに、信じられないとでも言いたげに問うてくる主に内心で苦笑を浮かべる。実際に顔に乗ったのは、普段通りの飄々とした笑みであると思いたい。心地よい緊張感からわずかに早まった心音を耳元で感じながら、先ほど口にしたのとまったく同じ言葉を舌に乗せる。
「キスする? 俺と、キミで」
スマホの上の指先が跳ね上がり、細い喉が言葉をなくして震えたのが見えた。喉を鳴らすように笑い、わざとらしく口角を持ち上げる。できるならば、挑戦的に見えるといい。この胸の内を燃やす熱が伝わればいい。彼女がほんの少しでも、違和感を抱けばいい。際限なく溢れる独りよがりな願望に、目を細める。
今日は「キスの日」なのだと言い出したのは彼女の方だった。いったいつ、誰が、何のために作った記念日なのかは想像もつかない。主もそこまでの関心はなかったのだろう、スマホの画面に指を滑らせるながら、すでに次の情報に興味を移していた。
(キスねえ……)
無表情に近い横顔に視線を落とす。ぼんやりと開いた唇に触れたことは、当然ながら一度もない。自分たちは恋人同士でなければ、何かしらの特別な関係というわけでもない。ただの人間と刀。主と従。間に横たわるのはそれぞれに課せられた使命のみで、甘さなど到底伴わない。それがいつのころからか自分の方だけ、視線に乗せる感情の意味が変わってしまった。
(見ているだけで満足できたはずだったんだけど)
最初は、彼女を視界の内に収めているだけで満足だった。別に言葉を交わさずとも、彼女の視線が自分を捉えずとも、それで良かった。しかし時の経過は、停滞を許さない。気が付けば小さかったはずの思いはすっかりかわいげをなくし、今では彼女の隣に座り、言葉を交わし、視線を重ねるだけでもまだ足りず、直接この手で触れたいなどと、自分勝手な欲望へと膨れ上がった。
(別に、無理にどうこうなんてつもりはない)
主として認めているこの人の尊厳を踏みにじるようなことだけは絶対にしてはならない。そもそも彼女の意思が伴わない行為に意味などないのだ。自分が抱いた欲をコントロールし責任を持つのは、自分自身の役目だろう。そこに葛藤や迷いはない。だが、もしも。
(もし、彼女の意思が、伴ったとしたら?)
ふとそんな考えが頭をよぎり、確かめたくなった。今の彼女の思い。あるいは、今後の展望。望みを持ってもいいのか、じわりじわりと距離を詰めることが許されるのか。いつか彼女の方も俺に触れ、触れられることを望んでくれるのか。それを確かめる機が、どこかに転がっていないものか――まさか彼女の方からチャンスを転がしてくれるとは思いもしなかったが、これだと思った瞬間には口が動いていた。
(俺はしたいよ、キミと。キスも、それ以上も)
後半に続くはずだった本音は飲み込み、じっと彼女のリアクションを待つ。前向きな反応ならばいい。後ろ向きな反応であれば、それでもいい。思いを抱え続けることに諦めがつく。ここで何かひとつのけじめがつけられれば、それでいい気がしていた。
ぽかんと口を開けたままフリーズしていた主は、ハッと我に返ると「えっと、えっと」などと意味のない言葉を繰り返しながらあちらこちらに視線を泳がせる。耳や頬はわずかに赤い。時折視線がぶつかると逃げるようにまた目をそらし、今度は俯いて口を引き結ぶ。じっと何かを考えているような仕草に、意図的に細めていた瞳が思わず上下した。
(おや)
困惑はしているのだろう。しかし不快感や拒否感は感じない。冗談だと笑い飛ばすこともない。決して好意的なリアクションだと断じることはできないが、それでも悪い気はしていないように見えた。
「えーっと……その……小竜……? それはその……えーっと……?」
とうとう頭を抱え、もごもごと次の言葉を探す主に、わざとらしく上げていた口角が緩み、眉尻が下がったのを感じた。多少彼女を困らせてやりたいような気はしていた。このまま放っておいたら、どのような答えを出すのか興味もある。しかし今は、これで十分だ――嫌がられているわけではないという事実が分かっただけで、ひとまず満足している自分がいた。
「……なんてね」
「え」
曲げていた背中を伸ばし、普段通りの軽い声音をあえて作る。隣からバッと音が出そうな勢いで顔を上げる気配がしたが、そちらは見ないまま立ち上がった。
「キミは本当に真面目だねえ」
「……あれ!? からかわれた!?」
「もしかして、期待した?」
「きっ、べっ、別にしてない!」
「ハハ、それは残念」
気づかれないように呼吸を整えながら、座ったままの主を横目で見下ろす。顔を真っ赤にしてまなじりを吊り上げる姿にこみ上げたのは、何の欲か。喉まで出かかったそれを冗談めかした言葉に隠し、本音なのだと気づかれないように外に吐き出す。
「その気になったら、いつでも声をかけてくれて構わないよ」
「こ、小竜はいつもそうやって私のことからかって……!」
「おや、心外だな。俺はいつでも真剣なつもりなんだけれど」
「つもりでしょ、つもり!」
「キミにはあまり伝わっていないようだからね」
「だって伝えようとしてないじゃん! ミステリアスだのなんだのって言って!」
「ああ、もしかして俺のすべてを暴きたいってことかな」
「ああ言えばこう言う……!」
ケラケラと笑って返せば、徐々に主も落ち着きを取り戻し、気を取り直すように大きなため息をついた。一瞬だけ浮かんだ苦笑を彼女に見られる前に足を踏み出し、廊下に向かう。その途中に投げられた咎めるような声に、一度だけ足を止めた。
「あんなこと、簡単に言っちゃダメだからね」
「……ああ、そうだね。肝に銘じておこう」
彼女の言う通りだ。次は決して、軽々しく口にするつもりはない。今回のように逃げ道を作ってなどやらない。本音を隠すつもりもない。こちらもあちらも後に引けない状況で、次の決断を迫る。
(無理強いするつもりはないけど)
しかし彼女の思いが自分の思いが重なると確信できたそのときは、一切の容赦なく、誘い込む。そして彼女の反応を見るに、そのときは、きっとそう遠くはない。
密かな決意は彼女に伝わることはなく、背中越しに感じたのは呆れたような気配だった。