小竜さに
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12月ももう半ば。嫌になるほど陽気な音楽と赤と緑の装飾に溢れかえったのは現世だけではなく、万屋街も浮かれきった様子を隠しきれてはいない。行き交う審神者や刀たちも、やれケーキはどうするだの、やれプレゼントは準備したかだのと、月末の一大イベントに向けて楽しげに頬を緩ませていた。こんなにも重たい気分なのは、きっと私くらいのものだろう。
「雪でも降りそうな寒さだな」
隣を歩く小竜景光が、暗い空を見上げながらぽつりとつぶやいた。
彼は私の本丸の刀剣男士ではない。別の本丸の、別の審神者によって顕現された刀だ。ひょんなことから知り合い、月に1回程度は共に出かけるような仲になってから、それなりの月日が経過している。今日は年内最後のお出かけだった。
「うちの本丸は年中、春の景趣なんだ。主が寒いのを嫌がってね」
「そっか」
「おかげで外出のときはどのくらい厚着をすればいいのか、分からなくなる。今日は失敗だ」
鼻先を赤く染め、白い息を吐き出しながら肩をすくめる小竜に私も少しだけ笑って見せた。
私たちの関係性に名前はない。もちろん主従ではないし、友人とも少し違う。知人というカテゴリが一番しっくりくる気もするが、今にも腕が触れ合いそうなこの距離感を考えると首を傾げてしまうのも事実だ。
(もう半歩、右に寄りたい)
この曖昧な関係に似つかわしくない願望が心の端をかすめた。冗談めかしながら寒さを訴える彼の手を握り、温めてやりたいと思う。けれどそれは知人同士がすることではない。もっと特別な名前がつく関係性。それを望むのは私ばかりなのか、それとも彼も、同じ思いでいてくれているのか――この刀の本心を、私はずっと、測りかねている。
(今日も、このまま帰されるのかな)
小竜はいつも夜のとばりが下りきる前に、私を万屋街の入り口まで送ってくれる。私が自分の本丸に向けて足を踏み出すまで一歩も動かず、優しく帰宅を促すのがお決まりだ。紳士的な言動に喜べたのは最初の数回だけ。途中からは、こんなにも簡単に帰してしまえるほど自分には魅力がないのかと、落胆する気持ちが勝ってしまった。
私だって、もういい大人だ。子どもっぽい愛の告白なんて求めていないし、なんとなく恋人関係に発展した相手だっていたこともある。でも、小竜の態度は最初のころから一貫していた。定期的に連絡を寄越して私を連れ出し、たびたびふたりきりで過ごすわりに、それ以上に踏み込んできたりはしない。時折、心から幸せそうに微笑むくせに、その思いを口にすることもない。そして夕方になると、簡単に私を帰路に送り出す。
「名残惜しいけれど、今日の旅の終わりが見えてきた」
今日もまた、彼はなんでもないような顔でそう言った。空はすでにほとんど夜の色に染まっている。万屋街の入り口はこれから遊びに出る審神者たちでにぎわい、それをうらやましそうに眺める子どもの審神者が供の男士に背中を押されてとぼとぼとゲートを通っていった。
次は、私の番。
気を付けて帰るようにと促す声に、いつもならば本心を隠して頷いていた。けれど今日は、それができない。黙って視線を返す私の顔を、小竜が困惑したように見下ろした。
「どうかしたかい?」
「……いいの?」
「うん?」
「いいの? このまま、私を帰して」
息をのむ音が、喧騒にまぎれて小さく聞こえた。わずかに見開かれた紫色の瞳をまっすぐに見上げ、もう一度、ゆっくりと口を上下させる。
「知らないかもしれないけど、冬の夜って長いんだよ」
「……」
「それなのに、本当に、帰していいの?」
強気な言葉とは裏腹に、声は少しだけ震えていた。胸の中で、心臓が大きく拍動しているのが分かる。血管を通る血液の量が一気に増えたのだろう、じわじわと全身が熱くなる。
(言ってしまった)
我ながら露骨な誘いだった。思い返して、羞恥心が湧き上がる。婉曲的な表現を好む、そのうえ清廉潔白な主を求めていると言ってはばからない刀を前に、あまりにストレートで、そのうえ多少はしたない物言いだった。しかし私の頭では、彼が好みそうな情緒的な誘い文句をひねり出すことなどできない。これでも精一杯、オブラートに包んだつもりだ。この長く寒い夜を共に過ごしたいと――私たちの間にある一線を越えてしまえと、私にはその準備ができているのだと、そう言わなかっただけで褒めてほしい。気持ちを落ち着かせるように、細く息を吐き出す。吐息は白く染まり、いつの間にか端まで黒くなった空に音もなく昇っていった。
しばらくの間、私も小竜もただその場所に佇んでいた。言葉ひとつ返らない時間が続き、羞恥は徐々に不安へと変わる。でも、どのような結果になろうとも、後悔はない。だってあのまま黙って帰ることほど、みじめなことはない。きっぱり断られればそれだけの話。帰ってから思いきり泣いておしまいだ。何かしら答えが得られれば、それで良かった。
やがて、深いため息がひとつ、冷えた地面に落とされた。お互いの爪先を見つめていた視線を持ち上げれば、彼もまた、私を見ている。まっすぐに私を見下ろす双眸に、少し前までの困惑や迷いはない。何か心を決めたような瞳に、ひときわ大きく心臓が跳ねた。
「……いいんだね?」
いつもの軽快さが薄れた一言が、ゆっくりと投げて寄越された。この刀は、ここまできてもなお、私に逃げ道を準備してくれている。なんて紳士的で、優しい男なのだろう。その気遣いがうれしく、それ以上にもどかしい。期待と焦燥を抑えつけて頷けば、彼は私の手を引いて来た道を戻り始めた。
「今までは、夜が遅く来る時期の方がうれしかった」
こちらを振り向かないまま、小竜が言う。
「でも、帰さなくていいなら話は別だ」
左手を掴む手のひらの優しさとは裏腹に、急いた様子で斜め前を行く足取りは、まったく小竜らしくはない。行き先も分からないまま小走りで着いていくのがやっとだったが、ふと、髪の隙間から覗き見える耳が赤く染まっていることに気が付いた。寒さだけが原因ではないことは、なんとなく分かっている。彼も私と同じ思いでいてくれたのだとようやく確信できた瞬間、私の耳もまた、冬に似つかわしくない熱を帯びた。
先ほどまでは鬱陶しかった電飾やクリスマスソングが、心を浮かれさせる。何とはなしに見上げた夜空では、磨き上げたような星々が美しく輝く。
相変わらず行き先は知れない。けれど不安もない。ひとりきりの帰路につくことなく、ふたりでこの夜のとばりの中にいられるという事実が、何よりも大切だった。
「雪でも降りそうな寒さだな」
隣を歩く小竜景光が、暗い空を見上げながらぽつりとつぶやいた。
彼は私の本丸の刀剣男士ではない。別の本丸の、別の審神者によって顕現された刀だ。ひょんなことから知り合い、月に1回程度は共に出かけるような仲になってから、それなりの月日が経過している。今日は年内最後のお出かけだった。
「うちの本丸は年中、春の景趣なんだ。主が寒いのを嫌がってね」
「そっか」
「おかげで外出のときはどのくらい厚着をすればいいのか、分からなくなる。今日は失敗だ」
鼻先を赤く染め、白い息を吐き出しながら肩をすくめる小竜に私も少しだけ笑って見せた。
私たちの関係性に名前はない。もちろん主従ではないし、友人とも少し違う。知人というカテゴリが一番しっくりくる気もするが、今にも腕が触れ合いそうなこの距離感を考えると首を傾げてしまうのも事実だ。
(もう半歩、右に寄りたい)
この曖昧な関係に似つかわしくない願望が心の端をかすめた。冗談めかしながら寒さを訴える彼の手を握り、温めてやりたいと思う。けれどそれは知人同士がすることではない。もっと特別な名前がつく関係性。それを望むのは私ばかりなのか、それとも彼も、同じ思いでいてくれているのか――この刀の本心を、私はずっと、測りかねている。
(今日も、このまま帰されるのかな)
小竜はいつも夜のとばりが下りきる前に、私を万屋街の入り口まで送ってくれる。私が自分の本丸に向けて足を踏み出すまで一歩も動かず、優しく帰宅を促すのがお決まりだ。紳士的な言動に喜べたのは最初の数回だけ。途中からは、こんなにも簡単に帰してしまえるほど自分には魅力がないのかと、落胆する気持ちが勝ってしまった。
私だって、もういい大人だ。子どもっぽい愛の告白なんて求めていないし、なんとなく恋人関係に発展した相手だっていたこともある。でも、小竜の態度は最初のころから一貫していた。定期的に連絡を寄越して私を連れ出し、たびたびふたりきりで過ごすわりに、それ以上に踏み込んできたりはしない。時折、心から幸せそうに微笑むくせに、その思いを口にすることもない。そして夕方になると、簡単に私を帰路に送り出す。
「名残惜しいけれど、今日の旅の終わりが見えてきた」
今日もまた、彼はなんでもないような顔でそう言った。空はすでにほとんど夜の色に染まっている。万屋街の入り口はこれから遊びに出る審神者たちでにぎわい、それをうらやましそうに眺める子どもの審神者が供の男士に背中を押されてとぼとぼとゲートを通っていった。
次は、私の番。
気を付けて帰るようにと促す声に、いつもならば本心を隠して頷いていた。けれど今日は、それができない。黙って視線を返す私の顔を、小竜が困惑したように見下ろした。
「どうかしたかい?」
「……いいの?」
「うん?」
「いいの? このまま、私を帰して」
息をのむ音が、喧騒にまぎれて小さく聞こえた。わずかに見開かれた紫色の瞳をまっすぐに見上げ、もう一度、ゆっくりと口を上下させる。
「知らないかもしれないけど、冬の夜って長いんだよ」
「……」
「それなのに、本当に、帰していいの?」
強気な言葉とは裏腹に、声は少しだけ震えていた。胸の中で、心臓が大きく拍動しているのが分かる。血管を通る血液の量が一気に増えたのだろう、じわじわと全身が熱くなる。
(言ってしまった)
我ながら露骨な誘いだった。思い返して、羞恥心が湧き上がる。婉曲的な表現を好む、そのうえ清廉潔白な主を求めていると言ってはばからない刀を前に、あまりにストレートで、そのうえ多少はしたない物言いだった。しかし私の頭では、彼が好みそうな情緒的な誘い文句をひねり出すことなどできない。これでも精一杯、オブラートに包んだつもりだ。この長く寒い夜を共に過ごしたいと――私たちの間にある一線を越えてしまえと、私にはその準備ができているのだと、そう言わなかっただけで褒めてほしい。気持ちを落ち着かせるように、細く息を吐き出す。吐息は白く染まり、いつの間にか端まで黒くなった空に音もなく昇っていった。
しばらくの間、私も小竜もただその場所に佇んでいた。言葉ひとつ返らない時間が続き、羞恥は徐々に不安へと変わる。でも、どのような結果になろうとも、後悔はない。だってあのまま黙って帰ることほど、みじめなことはない。きっぱり断られればそれだけの話。帰ってから思いきり泣いておしまいだ。何かしら答えが得られれば、それで良かった。
やがて、深いため息がひとつ、冷えた地面に落とされた。お互いの爪先を見つめていた視線を持ち上げれば、彼もまた、私を見ている。まっすぐに私を見下ろす双眸に、少し前までの困惑や迷いはない。何か心を決めたような瞳に、ひときわ大きく心臓が跳ねた。
「……いいんだね?」
いつもの軽快さが薄れた一言が、ゆっくりと投げて寄越された。この刀は、ここまできてもなお、私に逃げ道を準備してくれている。なんて紳士的で、優しい男なのだろう。その気遣いがうれしく、それ以上にもどかしい。期待と焦燥を抑えつけて頷けば、彼は私の手を引いて来た道を戻り始めた。
「今までは、夜が遅く来る時期の方がうれしかった」
こちらを振り向かないまま、小竜が言う。
「でも、帰さなくていいなら話は別だ」
左手を掴む手のひらの優しさとは裏腹に、急いた様子で斜め前を行く足取りは、まったく小竜らしくはない。行き先も分からないまま小走りで着いていくのがやっとだったが、ふと、髪の隙間から覗き見える耳が赤く染まっていることに気が付いた。寒さだけが原因ではないことは、なんとなく分かっている。彼も私と同じ思いでいてくれたのだとようやく確信できた瞬間、私の耳もまた、冬に似つかわしくない熱を帯びた。
先ほどまでは鬱陶しかった電飾やクリスマスソングが、心を浮かれさせる。何とはなしに見上げた夜空では、磨き上げたような星々が美しく輝く。
相変わらず行き先は知れない。けれど不安もない。ひとりきりの帰路につくことなく、ふたりでこの夜のとばりの中にいられるという事実が、何よりも大切だった。