小竜さに
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秋も深まり、朝晩は冷え込む日が増えてきた。日中は汗ばむような日もあったが、それでも夏の装いでは涼しさを感じたし、日が陰れば寒さも感じる。未だ秋支度を整えていなかった主は、なんとか引っ張り出してきた薄いカーディガンの上から腕をこすりながら、とぼとぼと縁側を歩いていた。
「なんだか一回り小さくなってしまったようだね」
出陣の合間の休憩時間。厨にいた刀からもらい受けた団子を食べながらからかってやると、主は眉根を寄せて足を止めた。
「寒くて。小竜はあったかそうだね」
「戦装束が薄着では困るだろう?」
「確かに。お茶もおいしそう」
「すぐに厨に行けば小豆が淹れてくれるよ。運が良ければ試作のスイーツもついてくる」
団子の串をくるくると回して見せると、主は少し顔を輝かせて足早に厨の方へと向かった。かと思えば数分と経たずに湯呑を持って戻ってくる。どうしたのかと黙って見ていると彼女はそのまま隣に腰を下ろし、鼻をすすりながらちらりと俺を見上げた。
「お団子は売り切れてた」
「それは残念だったねえ。もう少し早く通りかかれば半分献上したんだけど」
「でもお茶はもらえたから」
淹れたてのお茶に何度か息を吹きかけ、慎重に湯呑を傾ける仕草は幼い子どものようで、思わず口の端がゆるむ。程よい温度のお茶を飲み込みほっと吐き出した息に色はない。吐息が雪のような白色を帯びる季節は、まだもう少し先だ。にも関わらず、今の時期からこんなにも体を縮こまらせている彼女は果たして冬の寒さに耐えられるのかと、素朴な疑問が頭に浮かんだ。
「今からその調子じゃ、冬を越えられないかもしれないね」
「越冬くらいはできるようにがんばりたいね……」
「次の休みは全員で冬支度するんだろう?」
「うん。こたつとかストーブとか準備しなくちゃ」
「その前にキミの冬服だけでも出しておいた方がいいような気がするけど」
「いや、押し入れからは出したんだよ? でも変なにおいがしたから、全部洗濯してるの。今日中には乾くかな」
「そういうことか。俺はてっきり、キミが不精をしているのかとばかり」
「さすがにそこまでめんどくさがりじゃないよ」
少し体が温まってきたのか、彼女の白かった頬に少しだけ赤色がさし始めた。下を向いていた口角も目じりとともに少しずつ緩み、凍えているようだった声も常の調子を取り戻す。少しだけ安堵したのも束の間、今度は小さな口から噛み殺しそこねたあくびがこぼれ落ちた。
「ごめん」
「寝不足かい?」
バツが悪そうに俯く主に抱いたのは、呆れよりも不安だった。普段の彼女は執務の時間中にあくびをこぼすようなことは絶対にしない。よくよく見れば目元にはうっすらと隈が浮いていた。
「最近、夜寒いでしょう? だから毛布とか布団とか多めにかけて寝てるんだけど、そうしたら今度は暑くて夜中に目が覚めちゃって」
「それで、ここのところ寝不足ってこと? 景趣、春に戻してしまったらどうだい?」
「いやあ……やっぱり季節感くらいは現世とそろえておきたいから」
ごしごしと目元をこする仕草は、やはり幼い。暗い色の目の中にも眠気が浮いてきているからなおさらだろう。油断すればとろんと落ちてしまいそうなほど、まぶたが重たそうに見えた。
「……人の身っていうのは難儀なものだねえ」
「こうやって少しずつ季節の変化に慣れるんだよ。さすがに今日はちょっと寒いし……眠いけど」
「ふぅん。それならここで、ひと眠りしていくというのはどうだい?」
「今?」
「ああ。だってこんなに天気がいい」
見上げれば、まだ日は高い。今朝確認したスケジュールによれば、出陣中の刀剣はいなかったはずだ。次に出立するのは俺が配属された部隊で、あと1時間程度は猶予がある。
主の返事を待たずに湯呑を取り上げ、羽織っていた外套を外して彼女の体にぐるりと巻き付ける。外気にひやりとしたのは一瞬だけだ。何せそれでもまだ、主よりも俺の方が厚着をしている。彼女が突然のことに目を白黒させているうちにごろんと縁側に転がせば、丸くなった瞳が説明を求めて俺を見上げた。
「ここはよく日が当たるからねえ。黒は熱を集めるとも言うし、昼寝にはもってこいだ」
枕がないのが難点だけどと付け加えると、主はくすりと笑って静かに目を伏せる。どうやら抗うつもりはないらしく、消え入りそうな「ありがとう」という声は数分も待たずに規則的な寝息に変わった。横目で見下ろした先、ぎゅっと外套の端を掴む手の小ささに、ざわりと胸の辺りが波立つ。その原因には知らぬふりをして、俺も主の隣、縁側を塞ぐようにして横になってまぶたを下ろした。
目を開いたのは、それから30分ほど経ってからだった。いつの間に眠っていたのか、ハッと意識が浮上した瞬間、視界の下の方に見えた見慣れたつむじにギクリと心臓ごと肩が跳ねる。眠りに落ちる前は確かに隣に横になっただけだったのに、主は何故か俺の腕の中ですやすやと心地よさそうに寝息を立てていた。
「……!?」
主の体にしっかりと回された自分の腕を認識し、バッと勢いよく体を起こした。そのまま後ずさって距離を取る。離したときの衝撃のせいか、それともぬくもりが遠ざかったせいか、主が少しだけ身じろいだ。起こしてしまったかと慌てるも、彼女はすぐにまた深い眠りに落ちていく。せっかくの睡眠を邪魔したわけではなかったことに安堵はしたが、未だ心臓がうるさく異常を訴えていた。
(俺が抱き寄せた……? ……いやいや、まあ、ちょうどいいサイズだからね、主は。腕の中にすっぽり収まるし、ぬくいし。ちょうどいいから、抱き枕に。やましいことなんてない)
胸元を押さえながら誰に言うでもない言い訳を心の中で一生懸命に並べ立てる。
眠っていたのだから、当然何か意図があったわけではない。ただそこにちょうどいい大きさの、ちょうどいいぬくもりがあったから、無意識に引き寄せてしまっただけだ。
まったく矛盾のない理屈を胸に、ちらりと彼女の寝顔を覗き見る。疲労をにじませながらも緩みきった、安心をすべて預けてしまったような横顔に、またしても胸の辺りがざわつく。心臓の表面をなでていったものの正体は、まだはっきりと認識できていない。けれどこの薄桃色の頬に触れることができれば、何かが分かるような気がした。
「おや、起きたか」
「!?」
大袈裟に肩を揺らすようなことはなかったが、いたずらがバレた子どものような心境で勢いよく振り返る。縁側の奥から歩いてくる大般若長光と視線がぶつかり、思わず頬が引きつった。どうやらこの縁側は俺と主によって一時的な通行止め状態になっていたらしく、大般若は「他の刀たちにも知らせてやらないと」などといたずらっぽく笑う。言外の意味を思わせる表情だった。
「起こしてくれて構わなかったんだけどね」
気まずさを気取られないよう、普段通りを装って肩をすくめる。何が投げ返されるのかと身構えたが、今度はただの苦笑だけが戻された。
「あんなに幸せそうに眠ってるところを起こせるような無粋なやつ、この本丸にはいないよ」
「……ああ、主、寝不足だったらしいから。久しぶりにぐっすり眠れているんだろうね」
「主はまあ、そうだろうなぁ」
含みのある口調と視線にとうとう居心地が悪くなり、主を置き去りに立ち上がる。湯呑と団子が乗っていた皿を回収して厨に足を向けると、耐えきれなくなったらしい大般若の笑い声だけが背を追ってきた。
「あれ? 今日は随分すっきりしてるね」
皿と湯呑を片付けたころには出陣の時間が迫っていたため、そのまま玄関先に向かうと同じ部隊の燭台切光忠が不思議そうに首を傾げた。何のことかと考えかけて、外套を主に巻き付けたままだったのだと思い出す。取りに戻ろうかとも思ったが、出陣の時間が迫っていたし、加えて少しの気まずさが胸の内に引っかかっている。
「せっかくの秋晴れなんだ、たまには身軽な旅も悪くない」
それらしい言い訳を並べて出立を促すと、燭台切は不思議そうにしながらもそれ以上言及せずに門へと足を向けた。
出陣を終えて本丸に戻ったのは日が沈んだ頃だった。体感気温がぐっと下がり、さすがに少しの寒さを感じる。部隊長ではなかったのをいいことにさっと自室に引き上げ、内番着の上にニットのカーディガンを羽織って広間へと向かった。広間には少しずつ出陣帰りの刀たちが集ってきているようで、半分程度は自分のように上着を羽織っている。目についた空席に座ると、夕食の配膳を手伝っていた謙信が心配そうに駆け寄ってきた。
「小竜、さむいの?」
「それなりにね。……よく足なんか出していられるね」
「きょうはあったかかったから」
「日中はね」
「いまもそんなにさむくないぞ」
「元気で結構。俺はとっくに風の子は卒業したみたいだよ」
「主もしんぱいしていたぞ。小竜のまんとをかりてしまったからって」
「あ、小竜。おかえり」
噂をすればなんとやら。広間に足を踏み入れた主が、眉尻を下げて駆け寄ってきた。昼間と比べるといくらか隈が薄くなり血の気が戻った顔色にほっと頬が緩む。無意識とはいえ、許可もなく彼女に触れてしまったことに対する罪悪感も、多少は薄れた気がした。
(まあ、どうせ主は何も知らないんだけど……でも俺ばかり意識してるっていうのもつまらないな)
安堵とおもしろくない気持ちが半分ずつ、心を割る。こちらの複雑な心境など知る由もない主は謙信の隣にしゃがむと、両手を合わせて謝罪を口にした。
「門まで追いかけたんだけど、間に合わなくて。帰り、寒かったでしょう?」
「そんなにやわじゃないさ。キミの助けになることの方が重要だしね。……少しは眠れたかな?」
「おかげさまで……本当にありがとう。マント、すぐに洗濯したから。明日の朝には返すね」
「おや、もういいのかい? 主の安眠のためなら一晩だろうが二晩だろうが、外套を貸し出すのもやぶさかではなかったんだけれど」
「あはは、いいの。寒くて、すぐ起きちゃったから」
「? 外套は残していっただろう?」
「でも小竜がいなかったし」
「俺?」
「そう。小竜って意外と体温高いんだね」
「……うん?」
「マントだけじゃ、ちょっと寒かった」
「お……きてたのかい?」
「うん、まあ、さすがに」
ピシリと固まった俺を捨て置いて、主は謙信の手を引くとさっさと厨当番たちのもとに行ってしまった。入れ替わるようにやって来た大般若は、いかにも人をからかいたくて仕方がないとでも言いたげな薄笑いを口元に浮かべ、隣の席に腰を下ろす。それから肘でぐいと脇腹を小突いてきた。
「損したなあ、小竜。大事なものからは、一瞬でも目を離すべきじゃない」
「……何の話?」
「真っ赤になった起き抜けの主の話さ。あんた、俺に弁解するのに必死で下を見ていなかっただろう? かわいかったのになぁ、小竜の外套にみの虫みたいにくるまって寝たふりする主」
「……」
なるほど、あのときの笑い声はそれかと合点がいく。同時に湧き上がってきたのは悔しさかいらだちか、それとも、気恥ずかしさか。とにかくじわじわと上がってきた体温を誤魔化すようにカーディガンの袖をまくり上げ、軽く握ったこぶしで口元を覆う。どれほど堪えようにも上向いていく口角を止めることはできず、慣れた手つきでみそ汁を配膳していく主に向かう視線を引きはがすこともまた、できない。
「おや、ここには紅葉みたいな龍が一匹。秋の訪れを感じるなあ」
「黙ってくれる?」
すかさず隣から飛んできた揶揄に返した声は、低めたはずなのに威嚇にすらなっていない。噛み殺しそこねたらしい笑い声を漏らす大般若をひとにらみするも、逆効果に終わる。弁解すればすれほど自分の首がしまっていくのは明白だったので、癪ではあったがおとなしく口を閉ざし――たった半日で秋の装いを整えてしまった主を残念に思いながら、再び彼女を外套の内側に招く言い訳を探した。
「なんだか一回り小さくなってしまったようだね」
出陣の合間の休憩時間。厨にいた刀からもらい受けた団子を食べながらからかってやると、主は眉根を寄せて足を止めた。
「寒くて。小竜はあったかそうだね」
「戦装束が薄着では困るだろう?」
「確かに。お茶もおいしそう」
「すぐに厨に行けば小豆が淹れてくれるよ。運が良ければ試作のスイーツもついてくる」
団子の串をくるくると回して見せると、主は少し顔を輝かせて足早に厨の方へと向かった。かと思えば数分と経たずに湯呑を持って戻ってくる。どうしたのかと黙って見ていると彼女はそのまま隣に腰を下ろし、鼻をすすりながらちらりと俺を見上げた。
「お団子は売り切れてた」
「それは残念だったねえ。もう少し早く通りかかれば半分献上したんだけど」
「でもお茶はもらえたから」
淹れたてのお茶に何度か息を吹きかけ、慎重に湯呑を傾ける仕草は幼い子どものようで、思わず口の端がゆるむ。程よい温度のお茶を飲み込みほっと吐き出した息に色はない。吐息が雪のような白色を帯びる季節は、まだもう少し先だ。にも関わらず、今の時期からこんなにも体を縮こまらせている彼女は果たして冬の寒さに耐えられるのかと、素朴な疑問が頭に浮かんだ。
「今からその調子じゃ、冬を越えられないかもしれないね」
「越冬くらいはできるようにがんばりたいね……」
「次の休みは全員で冬支度するんだろう?」
「うん。こたつとかストーブとか準備しなくちゃ」
「その前にキミの冬服だけでも出しておいた方がいいような気がするけど」
「いや、押し入れからは出したんだよ? でも変なにおいがしたから、全部洗濯してるの。今日中には乾くかな」
「そういうことか。俺はてっきり、キミが不精をしているのかとばかり」
「さすがにそこまでめんどくさがりじゃないよ」
少し体が温まってきたのか、彼女の白かった頬に少しだけ赤色がさし始めた。下を向いていた口角も目じりとともに少しずつ緩み、凍えているようだった声も常の調子を取り戻す。少しだけ安堵したのも束の間、今度は小さな口から噛み殺しそこねたあくびがこぼれ落ちた。
「ごめん」
「寝不足かい?」
バツが悪そうに俯く主に抱いたのは、呆れよりも不安だった。普段の彼女は執務の時間中にあくびをこぼすようなことは絶対にしない。よくよく見れば目元にはうっすらと隈が浮いていた。
「最近、夜寒いでしょう? だから毛布とか布団とか多めにかけて寝てるんだけど、そうしたら今度は暑くて夜中に目が覚めちゃって」
「それで、ここのところ寝不足ってこと? 景趣、春に戻してしまったらどうだい?」
「いやあ……やっぱり季節感くらいは現世とそろえておきたいから」
ごしごしと目元をこする仕草は、やはり幼い。暗い色の目の中にも眠気が浮いてきているからなおさらだろう。油断すればとろんと落ちてしまいそうなほど、まぶたが重たそうに見えた。
「……人の身っていうのは難儀なものだねえ」
「こうやって少しずつ季節の変化に慣れるんだよ。さすがに今日はちょっと寒いし……眠いけど」
「ふぅん。それならここで、ひと眠りしていくというのはどうだい?」
「今?」
「ああ。だってこんなに天気がいい」
見上げれば、まだ日は高い。今朝確認したスケジュールによれば、出陣中の刀剣はいなかったはずだ。次に出立するのは俺が配属された部隊で、あと1時間程度は猶予がある。
主の返事を待たずに湯呑を取り上げ、羽織っていた外套を外して彼女の体にぐるりと巻き付ける。外気にひやりとしたのは一瞬だけだ。何せそれでもまだ、主よりも俺の方が厚着をしている。彼女が突然のことに目を白黒させているうちにごろんと縁側に転がせば、丸くなった瞳が説明を求めて俺を見上げた。
「ここはよく日が当たるからねえ。黒は熱を集めるとも言うし、昼寝にはもってこいだ」
枕がないのが難点だけどと付け加えると、主はくすりと笑って静かに目を伏せる。どうやら抗うつもりはないらしく、消え入りそうな「ありがとう」という声は数分も待たずに規則的な寝息に変わった。横目で見下ろした先、ぎゅっと外套の端を掴む手の小ささに、ざわりと胸の辺りが波立つ。その原因には知らぬふりをして、俺も主の隣、縁側を塞ぐようにして横になってまぶたを下ろした。
目を開いたのは、それから30分ほど経ってからだった。いつの間に眠っていたのか、ハッと意識が浮上した瞬間、視界の下の方に見えた見慣れたつむじにギクリと心臓ごと肩が跳ねる。眠りに落ちる前は確かに隣に横になっただけだったのに、主は何故か俺の腕の中ですやすやと心地よさそうに寝息を立てていた。
「……!?」
主の体にしっかりと回された自分の腕を認識し、バッと勢いよく体を起こした。そのまま後ずさって距離を取る。離したときの衝撃のせいか、それともぬくもりが遠ざかったせいか、主が少しだけ身じろいだ。起こしてしまったかと慌てるも、彼女はすぐにまた深い眠りに落ちていく。せっかくの睡眠を邪魔したわけではなかったことに安堵はしたが、未だ心臓がうるさく異常を訴えていた。
(俺が抱き寄せた……? ……いやいや、まあ、ちょうどいいサイズだからね、主は。腕の中にすっぽり収まるし、ぬくいし。ちょうどいいから、抱き枕に。やましいことなんてない)
胸元を押さえながら誰に言うでもない言い訳を心の中で一生懸命に並べ立てる。
眠っていたのだから、当然何か意図があったわけではない。ただそこにちょうどいい大きさの、ちょうどいいぬくもりがあったから、無意識に引き寄せてしまっただけだ。
まったく矛盾のない理屈を胸に、ちらりと彼女の寝顔を覗き見る。疲労をにじませながらも緩みきった、安心をすべて預けてしまったような横顔に、またしても胸の辺りがざわつく。心臓の表面をなでていったものの正体は、まだはっきりと認識できていない。けれどこの薄桃色の頬に触れることができれば、何かが分かるような気がした。
「おや、起きたか」
「!?」
大袈裟に肩を揺らすようなことはなかったが、いたずらがバレた子どものような心境で勢いよく振り返る。縁側の奥から歩いてくる大般若長光と視線がぶつかり、思わず頬が引きつった。どうやらこの縁側は俺と主によって一時的な通行止め状態になっていたらしく、大般若は「他の刀たちにも知らせてやらないと」などといたずらっぽく笑う。言外の意味を思わせる表情だった。
「起こしてくれて構わなかったんだけどね」
気まずさを気取られないよう、普段通りを装って肩をすくめる。何が投げ返されるのかと身構えたが、今度はただの苦笑だけが戻された。
「あんなに幸せそうに眠ってるところを起こせるような無粋なやつ、この本丸にはいないよ」
「……ああ、主、寝不足だったらしいから。久しぶりにぐっすり眠れているんだろうね」
「主はまあ、そうだろうなぁ」
含みのある口調と視線にとうとう居心地が悪くなり、主を置き去りに立ち上がる。湯呑と団子が乗っていた皿を回収して厨に足を向けると、耐えきれなくなったらしい大般若の笑い声だけが背を追ってきた。
「あれ? 今日は随分すっきりしてるね」
皿と湯呑を片付けたころには出陣の時間が迫っていたため、そのまま玄関先に向かうと同じ部隊の燭台切光忠が不思議そうに首を傾げた。何のことかと考えかけて、外套を主に巻き付けたままだったのだと思い出す。取りに戻ろうかとも思ったが、出陣の時間が迫っていたし、加えて少しの気まずさが胸の内に引っかかっている。
「せっかくの秋晴れなんだ、たまには身軽な旅も悪くない」
それらしい言い訳を並べて出立を促すと、燭台切は不思議そうにしながらもそれ以上言及せずに門へと足を向けた。
出陣を終えて本丸に戻ったのは日が沈んだ頃だった。体感気温がぐっと下がり、さすがに少しの寒さを感じる。部隊長ではなかったのをいいことにさっと自室に引き上げ、内番着の上にニットのカーディガンを羽織って広間へと向かった。広間には少しずつ出陣帰りの刀たちが集ってきているようで、半分程度は自分のように上着を羽織っている。目についた空席に座ると、夕食の配膳を手伝っていた謙信が心配そうに駆け寄ってきた。
「小竜、さむいの?」
「それなりにね。……よく足なんか出していられるね」
「きょうはあったかかったから」
「日中はね」
「いまもそんなにさむくないぞ」
「元気で結構。俺はとっくに風の子は卒業したみたいだよ」
「主もしんぱいしていたぞ。小竜のまんとをかりてしまったからって」
「あ、小竜。おかえり」
噂をすればなんとやら。広間に足を踏み入れた主が、眉尻を下げて駆け寄ってきた。昼間と比べるといくらか隈が薄くなり血の気が戻った顔色にほっと頬が緩む。無意識とはいえ、許可もなく彼女に触れてしまったことに対する罪悪感も、多少は薄れた気がした。
(まあ、どうせ主は何も知らないんだけど……でも俺ばかり意識してるっていうのもつまらないな)
安堵とおもしろくない気持ちが半分ずつ、心を割る。こちらの複雑な心境など知る由もない主は謙信の隣にしゃがむと、両手を合わせて謝罪を口にした。
「門まで追いかけたんだけど、間に合わなくて。帰り、寒かったでしょう?」
「そんなにやわじゃないさ。キミの助けになることの方が重要だしね。……少しは眠れたかな?」
「おかげさまで……本当にありがとう。マント、すぐに洗濯したから。明日の朝には返すね」
「おや、もういいのかい? 主の安眠のためなら一晩だろうが二晩だろうが、外套を貸し出すのもやぶさかではなかったんだけれど」
「あはは、いいの。寒くて、すぐ起きちゃったから」
「? 外套は残していっただろう?」
「でも小竜がいなかったし」
「俺?」
「そう。小竜って意外と体温高いんだね」
「……うん?」
「マントだけじゃ、ちょっと寒かった」
「お……きてたのかい?」
「うん、まあ、さすがに」
ピシリと固まった俺を捨て置いて、主は謙信の手を引くとさっさと厨当番たちのもとに行ってしまった。入れ替わるようにやって来た大般若は、いかにも人をからかいたくて仕方がないとでも言いたげな薄笑いを口元に浮かべ、隣の席に腰を下ろす。それから肘でぐいと脇腹を小突いてきた。
「損したなあ、小竜。大事なものからは、一瞬でも目を離すべきじゃない」
「……何の話?」
「真っ赤になった起き抜けの主の話さ。あんた、俺に弁解するのに必死で下を見ていなかっただろう? かわいかったのになぁ、小竜の外套にみの虫みたいにくるまって寝たふりする主」
「……」
なるほど、あのときの笑い声はそれかと合点がいく。同時に湧き上がってきたのは悔しさかいらだちか、それとも、気恥ずかしさか。とにかくじわじわと上がってきた体温を誤魔化すようにカーディガンの袖をまくり上げ、軽く握ったこぶしで口元を覆う。どれほど堪えようにも上向いていく口角を止めることはできず、慣れた手つきでみそ汁を配膳していく主に向かう視線を引きはがすこともまた、できない。
「おや、ここには紅葉みたいな龍が一匹。秋の訪れを感じるなあ」
「黙ってくれる?」
すかさず隣から飛んできた揶揄に返した声は、低めたはずなのに威嚇にすらなっていない。噛み殺しそこねたらしい笑い声を漏らす大般若をひとにらみするも、逆効果に終わる。弁解すればすれほど自分の首がしまっていくのは明白だったので、癪ではあったがおとなしく口を閉ざし――たった半日で秋の装いを整えてしまった主を残念に思いながら、再び彼女を外套の内側に招く言い訳を探した。