君恋いわたる今日のながめ(般若さに)
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研修棟の襲撃から2カ月が過ぎた。時間遡行軍による被害はそれなりにあったようで、政府ではさまざまな対応と検証に追われていると聞いている。再発防止のために審神者を対象にしたヒアリング調査等も行われ、怪我を負った私もその対象とされていた。政府には研修の際は普段着の着用を推奨するよう強く申し立てておいた。
右足首は骨折をしていたようで、その状態でさらに走り続けたものだからなかなか大変なことになっていたらしい。病院で医者から苦言を呈され、本丸では刀たちに囲まれて泣きつかれ、政府からは見舞金を受け取った。
例の女性審神者は、数日後にわざわざ近侍と初期刀を連れてお礼に来てくれた。まだ若いが礼儀正しい少女は、私がいかに自分を励ましてくれたのかを切々と語り、彼女の刀たちも「良い手本を見せてくれた」としきりにお礼を言ってくれた。私の方でも彼女の本丸を訪問し、改めて命を救ってもらった礼をした。彼女とは連絡先を交換し、今でもときどき近況報告をしあっている。もっとも彼女が知りたいのは本丸というより、私と大般若の関係のことだろうが、それに関しては何も教えるつもりはない。何せあれ以降、まったくと言っていいほど進展がなかったからだ。
(あれってもしかして夢だったのかな)
休憩時間であるのをいいことに、自室にごろりと横たわる。
私の記憶が確かであれば、はっきりと言葉にしないまでも、私と大般若は思いが通じ合っていたはずだ。キスとか、したように思う。何やら独占欲めいたことも言われた。
しかし本丸に帰還して以降、彼は以前と変わらない距離感で私と接していた。骨折によって不便をしている分の手助けは積極的にしてくれたものの、それ以外に特別な時間を過ごすことは特にない。それらしい会話すら、一度もしていない。彼はただ節度を保った紳士的な――あるいは他人行儀な距離感で、私と接し続けていた。あのときのやりとりが夢だったら恐ろしいので、私の方からも何も聞けずにいる。
(そもそも聞いた方がいいのかな。こういうのって、はっきりさせるべき? いやでも夢だったとしたら、私がただのヤバい人になっちゃう。でも気になる……)
正解が分からない。何が現実だったのかも分からない。ゴロゴロと転がりながら悶々としていると、廊下から声がかかった。渦中の刀、大般若長光の声だった。
「どうぞ~」
体を起こして返事をすると、彼は「失礼するよ」と礼儀正しく入室してくる。やはりこの態度は近侍のそれだ。頼もしいような寂しいような気持ちで用件を尋ねると、彼は投げ出された私の右足に目をやった。
「今日、受診の日だろう? 同行しようかと思ってね」
「ああ、大丈夫だよ。今日は最終チェックだけだし」
全治6週間の怪我は、すでにほとんど完治している。自力での歩行もできているし、今日は経過観察のみ。異常がなければ最終受診日となる。これまでの受診もほとんど同行していたので大般若も分かっていたはずだが、彼は「だからこそさ」と、薄らと笑った。
「? 最後まで見届けたい的な?」
「それもあるが……先生のお墨付きが必要だろう?」
「何に?」
「おや、約束を心待ちにしてたのは俺だけだったかな」
「やくそく……あ」
夢。もとい現実。
初めて唇を触れ合わせたあと、確かに彼は一方的に不穏なつぶやきを残していた。彼は言ったのだ。あれだけでは満足できない、右足の完治が楽しみだ、と。
「あんたも覚えてたようで安心したよ」
ぽっと頬に宿った熱は、あっさりと見破られてしまった。気まずさから視線を泳がせると、笑うような声が聞こえる。
「今夜、久しぶりに雨が降るそうだ。あんたの部屋で、共に夜雨を眺めたいんだが……どうだい?」
露骨な誘いに、すぐに頷くことは憚られた。
あれが現実であったのなら、喜んで彼を迎え入れたい。けれどそんなことをしてははしたないと思われるだろうか。それとももっと駆け引きを楽しむべきものなのだろうか。何が正しいのか、よく分からない。あと単純に恥ずかしい。
膝の上で指先をいじりながら、「あー」とか「うー」とか、意味のない音を漏らして思考する時間を稼ぐ。うろうろと無意味に動く瞳が捉えた大般若は、口元に笑みを引き、黙って私の様子を窺っていた。きっと試しているのだろう、私がどう答えるのか。それを聞くまで、彼から動くことはない。意地が悪い刀の意図を察して、私も少しいじわるをしたくなる。
「……雨が降らなかったら、どうするの?」
「はは、それは考えてなかったな。雨が降らなければ……月を眺めよう」
「くもってたら?」
「雲を眺める」
「真っ暗で何も見えなかったら?」
「灯りを持って散歩にでも出ようか」
「それで、大般若の欲は満たされるの?」
「さて、それはやってみないことには分からないな。それにあんたも知りたいだろう? 自分がどんな感情を抱かれてるか」
「……」
「好きに暴いてくれ、この胸の内を。俺ひとりでは到底抱えきれそうにない」
明確な返事を待たずに大般若は立ち上がる。今のやりとりの中で、彼なりに何か判断したということだろう。「じゃああとで迎えに来るよ」と言い置いて、大般若は部屋を出ていった。とんとんと小さな音と共に気配が遠ざかったことを確認し、急いで自室の隅にあるタンスを開いた。
(まずい。これは何があっても絶対になんやかんやするやつだ。何の準備もしてない!)
かわいい下着はあっただろうか。恋人に見せられるパジャマはなかったのではないか。それにあれもこれも準備が必要になるのではないか。
タンスを漁りながら高速で回り始めた思考が、夜に向けて必要なものを考え始める。
(え、どうしよ! 買い物とか行った方がいいんじゃない!? 病院のついでに……いや大般若一緒じゃん! 無理じゃん! なんとか置いていけないかな……!?)
足りないものや必要な準備をひとつずつ確認し、タンスを閉じて立ち上がる。病院には大般若を置いていこう。そうしよう。それしかない。心に決めて廊下に出る。足早に彼の背を追えば、あっという間に追いつくことができた。
「あっ、大般若! やっぱり病院はひとりで行く!」
「……理由を聞いても?」
「えっ……買い物とか……行こうかなって……」
「それはいいな。この2カ月間の埋め合わせに、俺が見立ててやろうか」
「いやいやいや、大丈夫! ひとりで行きたいの! ひとりで!」
「さっきはそんなこと言ってなかったが」
「そのあと決めたの! 女子にはいろいろ事情があるので!」
「へえ……?」
大般若は口元に手を当てると、じっと私の顔を見る。まるで何かを見透かそうとするような、探るような視線。居心地が悪くなり視線を外したくなったが、ここで退いてはやましいことがあるのだと思われるかもしれない。ぐっと耐えて赤い瞳を見つめ返す。しばらく謎のにらめっこが続いたが、やがて大般若の方が両手をあげて降参を示した。
「分かった、無理についていったりはしない。ただ医者の話は聞きたいから、病院で別れることにしようか」
「! うん、そうしよう」
「ま、俺のための買い物だっていうなら、ついていきたいのが本心だが。それは次のお楽しみにするとしよう」
「……なんで、大般若のためだと?」
「なんでだろうなぁ」
ニヤリと片方の口角だけを上げて、大般若は踵を返す。遊ばれていることに気がつけないほど鈍感ではなかったが、上手な返しができるほど賢くもない。一枚上手な言動が少し悔しかったが、この軽口を言い合える距離感は、以前の私たちにはなかったものだ。そう考えれば、このやりとりにも、愛おしさを感じる。
(……準備しよう)
受診まではまだ時間があるが、今から始めて損はない。病院とはいえ、大切な存在とのお出かけだ。少しでもかわいいと思ってほしい。今日の夜も、彼のために準備をしたのだと、自信を持って言えるようにしておきたい。
(今日はスカートにしようかな。靴は……あのパンプス、履きたいけど)
大般若が持ち帰ってくれたパンプスはきれいに修理され、また履けるようになった。骨折していたから履けずにいたが、そろそろ履いてもいいだろうか。
(ネイル、どんなのが好みかな。しない方が好印象かな。パジャマもかわいい系か、大人っぽいのか……)
うんうんと唸りながら歩く私に、通りすがりの刀たちが奇妙なものを見るような目を向けていく。しかし浮かれきっている私には、なんの苦痛でもない。こうして思い悩む時間すらが心を躍らせ、今日があの夢のようなやりとりの続きにあるのだと、実感させてくれる。
(雨、降るかな)
できるならば、降ってほしい。夜雨に濡れた庭を眺めながら、ゆったりと彼と語らい、触れ合いたい。
ささやかな願いを受け止めてくれたのか、どこからかぽつりと、雨粒が落ちる音が聞こえた。
右足首は骨折をしていたようで、その状態でさらに走り続けたものだからなかなか大変なことになっていたらしい。病院で医者から苦言を呈され、本丸では刀たちに囲まれて泣きつかれ、政府からは見舞金を受け取った。
例の女性審神者は、数日後にわざわざ近侍と初期刀を連れてお礼に来てくれた。まだ若いが礼儀正しい少女は、私がいかに自分を励ましてくれたのかを切々と語り、彼女の刀たちも「良い手本を見せてくれた」としきりにお礼を言ってくれた。私の方でも彼女の本丸を訪問し、改めて命を救ってもらった礼をした。彼女とは連絡先を交換し、今でもときどき近況報告をしあっている。もっとも彼女が知りたいのは本丸というより、私と大般若の関係のことだろうが、それに関しては何も教えるつもりはない。何せあれ以降、まったくと言っていいほど進展がなかったからだ。
(あれってもしかして夢だったのかな)
休憩時間であるのをいいことに、自室にごろりと横たわる。
私の記憶が確かであれば、はっきりと言葉にしないまでも、私と大般若は思いが通じ合っていたはずだ。キスとか、したように思う。何やら独占欲めいたことも言われた。
しかし本丸に帰還して以降、彼は以前と変わらない距離感で私と接していた。骨折によって不便をしている分の手助けは積極的にしてくれたものの、それ以外に特別な時間を過ごすことは特にない。それらしい会話すら、一度もしていない。彼はただ節度を保った紳士的な――あるいは他人行儀な距離感で、私と接し続けていた。あのときのやりとりが夢だったら恐ろしいので、私の方からも何も聞けずにいる。
(そもそも聞いた方がいいのかな。こういうのって、はっきりさせるべき? いやでも夢だったとしたら、私がただのヤバい人になっちゃう。でも気になる……)
正解が分からない。何が現実だったのかも分からない。ゴロゴロと転がりながら悶々としていると、廊下から声がかかった。渦中の刀、大般若長光の声だった。
「どうぞ~」
体を起こして返事をすると、彼は「失礼するよ」と礼儀正しく入室してくる。やはりこの態度は近侍のそれだ。頼もしいような寂しいような気持ちで用件を尋ねると、彼は投げ出された私の右足に目をやった。
「今日、受診の日だろう? 同行しようかと思ってね」
「ああ、大丈夫だよ。今日は最終チェックだけだし」
全治6週間の怪我は、すでにほとんど完治している。自力での歩行もできているし、今日は経過観察のみ。異常がなければ最終受診日となる。これまでの受診もほとんど同行していたので大般若も分かっていたはずだが、彼は「だからこそさ」と、薄らと笑った。
「? 最後まで見届けたい的な?」
「それもあるが……先生のお墨付きが必要だろう?」
「何に?」
「おや、約束を心待ちにしてたのは俺だけだったかな」
「やくそく……あ」
夢。もとい現実。
初めて唇を触れ合わせたあと、確かに彼は一方的に不穏なつぶやきを残していた。彼は言ったのだ。あれだけでは満足できない、右足の完治が楽しみだ、と。
「あんたも覚えてたようで安心したよ」
ぽっと頬に宿った熱は、あっさりと見破られてしまった。気まずさから視線を泳がせると、笑うような声が聞こえる。
「今夜、久しぶりに雨が降るそうだ。あんたの部屋で、共に夜雨を眺めたいんだが……どうだい?」
露骨な誘いに、すぐに頷くことは憚られた。
あれが現実であったのなら、喜んで彼を迎え入れたい。けれどそんなことをしてははしたないと思われるだろうか。それとももっと駆け引きを楽しむべきものなのだろうか。何が正しいのか、よく分からない。あと単純に恥ずかしい。
膝の上で指先をいじりながら、「あー」とか「うー」とか、意味のない音を漏らして思考する時間を稼ぐ。うろうろと無意味に動く瞳が捉えた大般若は、口元に笑みを引き、黙って私の様子を窺っていた。きっと試しているのだろう、私がどう答えるのか。それを聞くまで、彼から動くことはない。意地が悪い刀の意図を察して、私も少しいじわるをしたくなる。
「……雨が降らなかったら、どうするの?」
「はは、それは考えてなかったな。雨が降らなければ……月を眺めよう」
「くもってたら?」
「雲を眺める」
「真っ暗で何も見えなかったら?」
「灯りを持って散歩にでも出ようか」
「それで、大般若の欲は満たされるの?」
「さて、それはやってみないことには分からないな。それにあんたも知りたいだろう? 自分がどんな感情を抱かれてるか」
「……」
「好きに暴いてくれ、この胸の内を。俺ひとりでは到底抱えきれそうにない」
明確な返事を待たずに大般若は立ち上がる。今のやりとりの中で、彼なりに何か判断したということだろう。「じゃああとで迎えに来るよ」と言い置いて、大般若は部屋を出ていった。とんとんと小さな音と共に気配が遠ざかったことを確認し、急いで自室の隅にあるタンスを開いた。
(まずい。これは何があっても絶対になんやかんやするやつだ。何の準備もしてない!)
かわいい下着はあっただろうか。恋人に見せられるパジャマはなかったのではないか。それにあれもこれも準備が必要になるのではないか。
タンスを漁りながら高速で回り始めた思考が、夜に向けて必要なものを考え始める。
(え、どうしよ! 買い物とか行った方がいいんじゃない!? 病院のついでに……いや大般若一緒じゃん! 無理じゃん! なんとか置いていけないかな……!?)
足りないものや必要な準備をひとつずつ確認し、タンスを閉じて立ち上がる。病院には大般若を置いていこう。そうしよう。それしかない。心に決めて廊下に出る。足早に彼の背を追えば、あっという間に追いつくことができた。
「あっ、大般若! やっぱり病院はひとりで行く!」
「……理由を聞いても?」
「えっ……買い物とか……行こうかなって……」
「それはいいな。この2カ月間の埋め合わせに、俺が見立ててやろうか」
「いやいやいや、大丈夫! ひとりで行きたいの! ひとりで!」
「さっきはそんなこと言ってなかったが」
「そのあと決めたの! 女子にはいろいろ事情があるので!」
「へえ……?」
大般若は口元に手を当てると、じっと私の顔を見る。まるで何かを見透かそうとするような、探るような視線。居心地が悪くなり視線を外したくなったが、ここで退いてはやましいことがあるのだと思われるかもしれない。ぐっと耐えて赤い瞳を見つめ返す。しばらく謎のにらめっこが続いたが、やがて大般若の方が両手をあげて降参を示した。
「分かった、無理についていったりはしない。ただ医者の話は聞きたいから、病院で別れることにしようか」
「! うん、そうしよう」
「ま、俺のための買い物だっていうなら、ついていきたいのが本心だが。それは次のお楽しみにするとしよう」
「……なんで、大般若のためだと?」
「なんでだろうなぁ」
ニヤリと片方の口角だけを上げて、大般若は踵を返す。遊ばれていることに気がつけないほど鈍感ではなかったが、上手な返しができるほど賢くもない。一枚上手な言動が少し悔しかったが、この軽口を言い合える距離感は、以前の私たちにはなかったものだ。そう考えれば、このやりとりにも、愛おしさを感じる。
(……準備しよう)
受診まではまだ時間があるが、今から始めて損はない。病院とはいえ、大切な存在とのお出かけだ。少しでもかわいいと思ってほしい。今日の夜も、彼のために準備をしたのだと、自信を持って言えるようにしておきたい。
(今日はスカートにしようかな。靴は……あのパンプス、履きたいけど)
大般若が持ち帰ってくれたパンプスはきれいに修理され、また履けるようになった。骨折していたから履けずにいたが、そろそろ履いてもいいだろうか。
(ネイル、どんなのが好みかな。しない方が好印象かな。パジャマもかわいい系か、大人っぽいのか……)
うんうんと唸りながら歩く私に、通りすがりの刀たちが奇妙なものを見るような目を向けていく。しかし浮かれきっている私には、なんの苦痛でもない。こうして思い悩む時間すらが心を躍らせ、今日があの夢のようなやりとりの続きにあるのだと、実感させてくれる。
(雨、降るかな)
できるならば、降ってほしい。夜雨に濡れた庭を眺めながら、ゆったりと彼と語らい、触れ合いたい。
ささやかな願いを受け止めてくれたのか、どこからかぽつりと、雨粒が落ちる音が聞こえた。
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