君恋いわたる今日のながめ(般若さに)
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どしんと、大きな音と衝撃と共に大太刀が倒れた。
何が起こったのかはよく分からない。私はただ必死に前に進もうとあがいていて、気がつけば大般若が抱え起こしてくれていた。彼の本体が大太刀の肘の内側に刺さっていたことに気が付いたのは彼の背に隠されたあとで、振り上げられた大太刀を無言で見上げる背中に縋りたくなる気持ちをこらえて、覚悟を決めた。
大太刀が倒れたのは、そのあとだった。
後ろ向きに倒れていった大きな体躯にぽかんと口を開ける。大般若が何かしたのだろうかと思ったが、彼は私のそばから動いてはいない。では誰があれを倒したのか。
答えは、大太刀の後ろから現れた小さな体が教えてくれた。
「あるじ!」
「っ、謙信!」
謙信景光。修行に行ったのだろう、極姿の短刀が、私たちの後ろに向けて声をかけた。そういえば一緒に逃げてきた少女はずっとかの短刀の名前をつぶやいていた。きっと彼が彼女の近侍なのだろう。謙信景光に駆け寄る少女を、彼は安堵の表情で見守っていた。
「良かった、生きてたぁ……!」
「あるじのこと、すっごくさがしたんだぞ! けがはしてない?」
「大丈夫、あのお姉さんが一緒に逃げてくれたの……!」
謙信景光と少女が一緒にこちらを向く。謙信景光は礼儀正しくこちらに会釈すると、丁寧な礼を述べた。
「ぼくたちのあるじをたすけてくれてありがとう。ほんまるをだいひょうして、おれいをいわせてほしいのだぞ」
「いやいや、礼を言うのはこっちの方さ。正直なところ、次の一手は特になかった」
ふうと息を吐き出しながら大般若は立ち上がった。大太刀から引き抜いた本体を鞘に収めると、私の方へと向き直る。ドキリとしたのは、昼までの浮かれた思いからではない。何か言いたげな、咎めるような視線だったからだ。
しかし予想に反して、大般若は私を責めるようなことは言わなかった。座り込んだままの私の前にしゃがみこみ、微笑みかけてくれる。安心させようとしているのかもしれない。しかし下がった眉尻が、彼の複雑な心境を表していた。
「悪かったな、遅くなって」
「ううん、大丈夫。来てくれてありがとう」
信じていたのだ。彼は必ず来てくれるのだと。生きて前に進んでさえいれば、彼が助けに来てくれるのだと、その期待を頼りに走っていた。その期待に応えてくれたことが、どれほどうれしかったか――今になって震えてきた手を、ぎゅっと握りこんでやりすごす。精一杯口角を上げて笑って見せると、彼はまた似たような顔で口角を上げた。
私たちが逃げ回っている間に戦況は変わったらしく、すでに概ねの戦闘は終了しているのだと謙信景光は言った。遠からずアナウンスも流れるだろうと言ったそばから、戦闘終了の知らせが建物中に響き渡る。ほっと息を吐くと、両肩に重みを感じた。大般若が、彼のジャケットを肩にかけてくれたようだった。
「失礼」
紳士的に声をかけ、彼はジャケットのボタンをとめていく。袖を通してもジャケットの中には随分と空間ができてしまっていた。彼との体格差を実感し、場違いにも心臓がドキリと鳴る。そのまま流れるように差し出された手に、たくしあげた袖から少しだけ覗いた自分の手を重ねる。立ち上がらせてくれるのだろうと彼の手に体重をかけようとしたが、何を思ったか、大般若は私の手を引くと彼の首筋へと誘導した。
「掴まってな」
「え、わっ」
突然の浮遊感に、思わず両手を目の前の首に回してしがみついた。背中と膝裏に感じる体温と高くなった視界に、抱え上げられたのだと知る。目の前で揺れる銀の髪が肌をくすぐり身をすくめた私に、小さな笑い声が漏らされた。
「お、重くない?」
「まったく。だが今はむしろ、重い方がいい」
「何、それ」
「あんたの重みを感じたい」
きっと心配をかけたのだろう。確かめるように手に力を込める大般若に、それ以上は何も言えなかった。照れくささもあってあちこちに視線をさ迷わせていると、斜め下からの二対の視線に気がつく。どちらもキラキラと輝きながら、私たちを見上げていた。
「あの、本当にありがとう。お礼がしたいから、本丸の番号とか教えてもらえたら……」
「えっ!? あ、えっと……お礼!? それはむしろ私が……! ねっ、謙信!」
「う、うん! ぜひれんらくさきをおしえてほしいんだぞ!」
口頭で本丸の番号を伝えあい、重ねてお礼を伝えてふたりと別れる。と言っても行き先を決めたのは大般若で、彼は私たちが逃げて来た方向へと歩み始めた。あの大太刀は私が想像していたよりも暴れていたようで、両側の壁や一部の天井が崩れたり、ヒビが入ったりしていた。生きて逃げ延びることができたのは奇跡だったのだろう。またしても背筋がぞっと震え、大般若の体に身を寄せた。
しばらく進んだところで、見覚えのあるパンプスを見つけた。大太刀に踏みつけられてしまったのだろう、片方は無事だが、片方はヒールが折れてしまっていた。命に比べれば安いものだが、それでもショックなものはショックだ。無言でパンプスを見下ろしていると、大般若は私を抱えたまま膝を折り、片手で折れたヒールとパンプスを拾い上げた。また立ち上がり歩き始めても、しばらくの間、会話はなかった。
コツコツと静かになる彼の革靴の音が心地よい。振動を感じるたびに右足は痛むが、体の半分に感じる体温も、上半身をすっぽりと包んでくれたジャケットの香りも、すべてがこれまでの緊張感を奪っていく。力が抜け落ちていくことで、今まで自分の体が強張っていたことを知った。
「今朝」
ぽつりと落とされた声に、耳を傾ける。
「本当は、こうしてやりたかった」
「こうって?」
「雨の中、あんたを抱えて歩こうかと本気で考えてた」
「え、なんで?」
「大切な靴なんだろう? それを濡らすのが忍びなくてなぁ」
「ああ……でも私は、今朝のエスコートがうれしかったよ」
靴だけでなく、自分自身が大切に扱ってもらえたことが照れくさくて、それ以上にうれしかった。こう言えばきっと彼は「なら良かった」と笑ってくれることだろう。期待とともに見上げた赤い双眸は――射貫くように私を見下ろしていたものだから、心臓が妙な具合に跳ねあがり、息をのんだ。彼は歩みを止めて、ゆっくりと、薄い唇を上下させる。
「俺は、自分が思っていたよりも欲深かったらしい」
「ど、どういうこと?」
「あのなまくらはもちろんだが……あんたに触れるものは、雨粒のひとつでも許容しがたい」
「……はい?」
「あんたの命も、その美しい生き様も、他の何かに譲り渡すことは、できそうにない。この腕の中に収めて、俺だけに、愛でさせてほしい。……狭量な男だと笑うかい?」
彼お得意の冗談では、ないだろう。鋭い視線に反して声に力はない。私を抱きかかえ、主導権を握っているのは彼の方なのに、縋るように私を抱き寄せる。そこに大人の余裕などはかけらもなく、ただ私が頷くのを待つひとりの男が、所在なさげに佇んでいる。
それを突き放すことなど、私にできるわけがない。
口の端を、わずかに上げる。彼の首に回した手を引き寄せるようにして上半身を持ち上げれば、彼も応えるように背を丸めた。白いまぶたが触れそうな距離に迫って、ゆっくりと下ろされる。私も目を伏せると、次いで唇に、わずかな熱が落とされた。きっと時間にすれば数秒。体感ではどのくらい経過したのか心配になるほど長く触れ合った唇は、やがて名残惜しげに離れていった。目を開くと視界いっぱいに広がる赤い瞳と銀の髪に、じわじわと頬が熱くなる。大般若は最早本日何度見たのか分からない、眉尻を下げた微笑みと共に、こつりと額同士を重ねた。
「やっぱり俺は欲深いようだ。こんな子ども騙しじゃ、到底満足できない」
「え、えっとー……」
「待ちきれないなぁ、その足が治るの」
なんだか不穏な一言を残して、大般若は背筋を伸ばした。言及はしない方が身のためだろう。それよりも今は、思いが通じ合った喜びを、噛みしめたい。
私は、この男の腕の中に収まることができたのだ。
今はただそれだけを、感じていたい。
シャツ越しにも伝わる心音に耳を傾けながら、戦闘後の慌ただしい建物の中を進んでいく。途中、窓から外が見えた。土砂降りは、未だ続いている。雨脚が弱まる気配はない。遠くの空を見ても雲の切れ間はなく、この雨はしばらくの間地面に落ち続け、水たまりを広げ、やがて川のようになってどこかに流れていくのだろう。
(眠くなってきちゃったな……)
本来ならば、このあと政府に安否確認と被害状況の報告をしなければならないはずだ。しかし疲労と幸福に満たされた体は眠気を訴え、意識を手放そうとしている。足の痛みは続いているものの、ざあざあと響く雨音に誘われるように、愛しいひとの腕の中で、そっとまぶたを下ろした。
何が起こったのかはよく分からない。私はただ必死に前に進もうとあがいていて、気がつけば大般若が抱え起こしてくれていた。彼の本体が大太刀の肘の内側に刺さっていたことに気が付いたのは彼の背に隠されたあとで、振り上げられた大太刀を無言で見上げる背中に縋りたくなる気持ちをこらえて、覚悟を決めた。
大太刀が倒れたのは、そのあとだった。
後ろ向きに倒れていった大きな体躯にぽかんと口を開ける。大般若が何かしたのだろうかと思ったが、彼は私のそばから動いてはいない。では誰があれを倒したのか。
答えは、大太刀の後ろから現れた小さな体が教えてくれた。
「あるじ!」
「っ、謙信!」
謙信景光。修行に行ったのだろう、極姿の短刀が、私たちの後ろに向けて声をかけた。そういえば一緒に逃げてきた少女はずっとかの短刀の名前をつぶやいていた。きっと彼が彼女の近侍なのだろう。謙信景光に駆け寄る少女を、彼は安堵の表情で見守っていた。
「良かった、生きてたぁ……!」
「あるじのこと、すっごくさがしたんだぞ! けがはしてない?」
「大丈夫、あのお姉さんが一緒に逃げてくれたの……!」
謙信景光と少女が一緒にこちらを向く。謙信景光は礼儀正しくこちらに会釈すると、丁寧な礼を述べた。
「ぼくたちのあるじをたすけてくれてありがとう。ほんまるをだいひょうして、おれいをいわせてほしいのだぞ」
「いやいや、礼を言うのはこっちの方さ。正直なところ、次の一手は特になかった」
ふうと息を吐き出しながら大般若は立ち上がった。大太刀から引き抜いた本体を鞘に収めると、私の方へと向き直る。ドキリとしたのは、昼までの浮かれた思いからではない。何か言いたげな、咎めるような視線だったからだ。
しかし予想に反して、大般若は私を責めるようなことは言わなかった。座り込んだままの私の前にしゃがみこみ、微笑みかけてくれる。安心させようとしているのかもしれない。しかし下がった眉尻が、彼の複雑な心境を表していた。
「悪かったな、遅くなって」
「ううん、大丈夫。来てくれてありがとう」
信じていたのだ。彼は必ず来てくれるのだと。生きて前に進んでさえいれば、彼が助けに来てくれるのだと、その期待を頼りに走っていた。その期待に応えてくれたことが、どれほどうれしかったか――今になって震えてきた手を、ぎゅっと握りこんでやりすごす。精一杯口角を上げて笑って見せると、彼はまた似たような顔で口角を上げた。
私たちが逃げ回っている間に戦況は変わったらしく、すでに概ねの戦闘は終了しているのだと謙信景光は言った。遠からずアナウンスも流れるだろうと言ったそばから、戦闘終了の知らせが建物中に響き渡る。ほっと息を吐くと、両肩に重みを感じた。大般若が、彼のジャケットを肩にかけてくれたようだった。
「失礼」
紳士的に声をかけ、彼はジャケットのボタンをとめていく。袖を通してもジャケットの中には随分と空間ができてしまっていた。彼との体格差を実感し、場違いにも心臓がドキリと鳴る。そのまま流れるように差し出された手に、たくしあげた袖から少しだけ覗いた自分の手を重ねる。立ち上がらせてくれるのだろうと彼の手に体重をかけようとしたが、何を思ったか、大般若は私の手を引くと彼の首筋へと誘導した。
「掴まってな」
「え、わっ」
突然の浮遊感に、思わず両手を目の前の首に回してしがみついた。背中と膝裏に感じる体温と高くなった視界に、抱え上げられたのだと知る。目の前で揺れる銀の髪が肌をくすぐり身をすくめた私に、小さな笑い声が漏らされた。
「お、重くない?」
「まったく。だが今はむしろ、重い方がいい」
「何、それ」
「あんたの重みを感じたい」
きっと心配をかけたのだろう。確かめるように手に力を込める大般若に、それ以上は何も言えなかった。照れくささもあってあちこちに視線をさ迷わせていると、斜め下からの二対の視線に気がつく。どちらもキラキラと輝きながら、私たちを見上げていた。
「あの、本当にありがとう。お礼がしたいから、本丸の番号とか教えてもらえたら……」
「えっ!? あ、えっと……お礼!? それはむしろ私が……! ねっ、謙信!」
「う、うん! ぜひれんらくさきをおしえてほしいんだぞ!」
口頭で本丸の番号を伝えあい、重ねてお礼を伝えてふたりと別れる。と言っても行き先を決めたのは大般若で、彼は私たちが逃げて来た方向へと歩み始めた。あの大太刀は私が想像していたよりも暴れていたようで、両側の壁や一部の天井が崩れたり、ヒビが入ったりしていた。生きて逃げ延びることができたのは奇跡だったのだろう。またしても背筋がぞっと震え、大般若の体に身を寄せた。
しばらく進んだところで、見覚えのあるパンプスを見つけた。大太刀に踏みつけられてしまったのだろう、片方は無事だが、片方はヒールが折れてしまっていた。命に比べれば安いものだが、それでもショックなものはショックだ。無言でパンプスを見下ろしていると、大般若は私を抱えたまま膝を折り、片手で折れたヒールとパンプスを拾い上げた。また立ち上がり歩き始めても、しばらくの間、会話はなかった。
コツコツと静かになる彼の革靴の音が心地よい。振動を感じるたびに右足は痛むが、体の半分に感じる体温も、上半身をすっぽりと包んでくれたジャケットの香りも、すべてがこれまでの緊張感を奪っていく。力が抜け落ちていくことで、今まで自分の体が強張っていたことを知った。
「今朝」
ぽつりと落とされた声に、耳を傾ける。
「本当は、こうしてやりたかった」
「こうって?」
「雨の中、あんたを抱えて歩こうかと本気で考えてた」
「え、なんで?」
「大切な靴なんだろう? それを濡らすのが忍びなくてなぁ」
「ああ……でも私は、今朝のエスコートがうれしかったよ」
靴だけでなく、自分自身が大切に扱ってもらえたことが照れくさくて、それ以上にうれしかった。こう言えばきっと彼は「なら良かった」と笑ってくれることだろう。期待とともに見上げた赤い双眸は――射貫くように私を見下ろしていたものだから、心臓が妙な具合に跳ねあがり、息をのんだ。彼は歩みを止めて、ゆっくりと、薄い唇を上下させる。
「俺は、自分が思っていたよりも欲深かったらしい」
「ど、どういうこと?」
「あのなまくらはもちろんだが……あんたに触れるものは、雨粒のひとつでも許容しがたい」
「……はい?」
「あんたの命も、その美しい生き様も、他の何かに譲り渡すことは、できそうにない。この腕の中に収めて、俺だけに、愛でさせてほしい。……狭量な男だと笑うかい?」
彼お得意の冗談では、ないだろう。鋭い視線に反して声に力はない。私を抱きかかえ、主導権を握っているのは彼の方なのに、縋るように私を抱き寄せる。そこに大人の余裕などはかけらもなく、ただ私が頷くのを待つひとりの男が、所在なさげに佇んでいる。
それを突き放すことなど、私にできるわけがない。
口の端を、わずかに上げる。彼の首に回した手を引き寄せるようにして上半身を持ち上げれば、彼も応えるように背を丸めた。白いまぶたが触れそうな距離に迫って、ゆっくりと下ろされる。私も目を伏せると、次いで唇に、わずかな熱が落とされた。きっと時間にすれば数秒。体感ではどのくらい経過したのか心配になるほど長く触れ合った唇は、やがて名残惜しげに離れていった。目を開くと視界いっぱいに広がる赤い瞳と銀の髪に、じわじわと頬が熱くなる。大般若は最早本日何度見たのか分からない、眉尻を下げた微笑みと共に、こつりと額同士を重ねた。
「やっぱり俺は欲深いようだ。こんな子ども騙しじゃ、到底満足できない」
「え、えっとー……」
「待ちきれないなぁ、その足が治るの」
なんだか不穏な一言を残して、大般若は背筋を伸ばした。言及はしない方が身のためだろう。それよりも今は、思いが通じ合った喜びを、噛みしめたい。
私は、この男の腕の中に収まることができたのだ。
今はただそれだけを、感じていたい。
シャツ越しにも伝わる心音に耳を傾けながら、戦闘後の慌ただしい建物の中を進んでいく。途中、窓から外が見えた。土砂降りは、未だ続いている。雨脚が弱まる気配はない。遠くの空を見ても雲の切れ間はなく、この雨はしばらくの間地面に落ち続け、水たまりを広げ、やがて川のようになってどこかに流れていくのだろう。
(眠くなってきちゃったな……)
本来ならば、このあと政府に安否確認と被害状況の報告をしなければならないはずだ。しかし疲労と幸福に満たされた体は眠気を訴え、意識を手放そうとしている。足の痛みは続いているものの、ざあざあと響く雨音に誘われるように、愛しいひとの腕の中で、そっとまぶたを下ろした。