君恋いわたる今日のながめ(般若さに)
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そうせずにはいられない人物なのだとは、よく分かっていたつもりだった。
だからこそ美しいと思った。だからこそ触れたいと思った。
この局面でそれ以外の選択肢を取ることができない彼女だからこそ――自分は彼女に惚れたのだ。
(残酷な女だな、あんた)
非常事態のアナウンスが流れてから、必死で彼女の姿を探した。パニックになってひしめき合う群衆の中から目を皿のようにして、愛しい人の後ろ姿を探した。代わりに見つかったのは昼に話をした男性の審神者で、彼を捕まえて話を聞けば、最初は一緒にいたがはぐれたのだと言う。彼女が向かったであろう方向を教えられ、走り出したが、一向に彼女を見つけることはできなかった。似た背格好の人物は見かけたが、彼女ではない。廊下を進むにつれて現れ始めた負傷者や亡骸もすべて確認してきたが、彼女を見つけることはできない。途中、上階からも時間遡行軍が現れたとアナウンスが流れたが、構わずに彼女を探すことに専念した。できるだけ戦闘を避け、当初指示されていた上階を目指す。
(真面目な人だ。絶対に指示には従う。上階でも戦闘があったと分かれば、途中の階に留まっているだろう)
適当な階からしらみつぶしに回っていく。階段を上がってはフロア全体を回り、また次の階へ。繰り返すごとに不安と焦燥は増していく。
今日の彼女はヒールが高い、履き慣れないパンプスを履いていた。それほど早く走れてはいないだろう。一刻も早く見つけて、安全な場所まで連れて行ってやらねばならない。
(大丈夫だ。生きてさえいれば守ってやれる。……たとえ手遅れだったとしても、必ず連れ帰る)
嫌な想像を、舌を打ってかき消す。最悪を想定している場合ではない。自分がこうして顕現しているのだ、彼女は必ず生きている。今は間に合うことだけを考えるべきだ。
そうして走り回っていた最中。建物を破壊するような断続的な物音と、幼い泣き声が聞こえた。おそらく時間遡行軍から逃げる少女だろう。主人のことが優先されるとはいえ、救える命を見捨てるつもりはない。彼女も、それを許しはしないだろう。
だから、声が聞こえた方へと走った。ただ、人助けのつもりで。あわよくば、その少女が彼女を見かけなかったかと、期待も込めて。
それなのに、廊下を曲がった先で目の当たりにした光景は、最悪の一歩手前だった。
予想通り、泣きながら逃げる少女の審神者がいた。それを追う、大太刀型の時間遡行軍も予想外ではない。予想外だったのは、少女の手を引く人物――探し人の姿だった。
苦しげに息を吐きながら走る彼女の様子は見るからにおかしかった。かろうじて走ってはいるが、右足を引きずるようにしている。気に入っていたのだろうパンプスに包まれていたはずの両足は裸足で、足を踏み出すごとに顔を歪めている。
満身創痍という言葉が相応しい状態にもかかわらず、彼女は涙を流す少女の手を引いてやっていた。きっと途中で見捨てることができず、励ましながらここまでやって来たのだろう。その姿が容易に想像できる。
「主人!」
彼女を呼んだのは、反射のようなものだった。もしかしたら生きていることを確かめたかったのかもしれない。こちらの声に釣られるように向けられた双眸は、視線がぶつかった瞬間――きらりと輝いて見えた。
そして彼女は、渾身の力で、隣の少女の背を、こちら側に押し出した。
「この子を!」
少女を助けろという意味だったのだろう。自分はその場で崩れ落ちておきながら、視線だけは真っ直ぐに前を見据える彼女に、怒りにも似た感情が湧き上がる。
彼女が我先にとこちらに走り出しても、咎める者は誰もいなかったはずだ。
自分が少女の手を掴まず、彼女の手を引き寄せたとしても同様。自分の主を優先することに疑問などない。
だが、彼女はそれをしなかった。望まなかった。
この、見知らぬ若い命を優先させたのだ。
ならば彼女の刀たる自分にも、選択肢など残されてはいない。
(残酷な女だな、あんた)
心の中で、吐き捨てる。
分かっている。彼女はそういう人間だ。他人を見捨ててまで自分が助かろうとするような狡猾さを持ち合わせてはいない。教科書に書いたような倫理観を持ち、そのまま実行に移してしまう。お人好しとも、愚直と言ってもいいだろう。
そんな彼女だからこそ、大切にしたいと思ったのだ。
そんな彼女だからこそ美しいと、そう思ったのだ。
今もまた、この状況で瞳に光を宿し、断固たる決意をもって意思を貫こうとする姿のなんと美しいことか。
いくら服が汚れていようと、傷を負って満身創痍の状態であろうとも、前に進もうとするその姿は彼女の心そのもので――こんなときにまで美しいと思わせる彼女は、残酷だ。
(命と生き様を天秤にかけさせるなんて、残酷でしかない)
そして、命を優先させてやれない俺もまた、同じ穴の貉というやつなのだろう。
少女の手を引いて後ろに隠し、振り返らぬまま足を踏み出す。もう歩くことは難しいのだろう、手の力だけで前に進もうとする彼女のすぐ後ろに、時間遡行軍が迫っている。走って間に合うものではない。それでもギリと奥歯を噛みしめ足を踏み出す。
(あんたの生き様を、あんななまくらにくれてやる道理はない)
大太刀が、その本体を振りかぶる。もう少し進めば間合いに入るが、おそらく間に合わないだろう。ならば。
自身の本体を逆手に持ち替え、思いきり振りかぶる。狙うは刀を握る方の腕。体躯は立派だが、直接刃が刺されば動きは鈍るだろう。
(次の一手はないが、盾くらいにはなれるだろうさ)
数秒でいい。少しの猶予ができれば、彼女の体を守ることだけはできる。近侍として、せめてそれだけは成し遂げなければならない。
狙いを定め、腕を振り抜く。手のひらを離れた本体はまっすぐに大太刀の肘辺りに突き刺さり、耳障りな悲鳴が上がった。振り下ろされようとしていた切っ先が主人のすぐ後ろに落ち、床を砕く。その間にも少しずつ前に這ってきていた彼女の体に、ようやく手が届いた。崩れ落ちる寸前の体を正面から支え、そのまま大太刀の反対側へと移す。
近くで見ると、滅多に着ることはないスーツはすっかり汚れてしまっていた。呼吸は荒く、右足首は腫れあがっている。それでも爛々と輝く瞳はやはり美しく、思わず見入ってしまった。その瞳を自分のものにしてしまいたいのだと言いかけて、そのような場合ではなかったのだと思い出す。
当然ながら、大太刀は再び刀を振り上げていた。自身の本体は未だ、太い腕に深々と突き刺さっている。鞘はあるが、この一振りを防ぐ前に砕け散ることだろう。
(さて、どうしたもんかな)
ここで自分が折れれば、彼女も少女も命を失うことになる。かと言って本体を引き抜いて首を落とすことができるのかと問われれば、即座に頷くことは難しい。
(だが、やるしかない)
徐々に震え始めた体から手を離し、大切な人を背に隠して機を狙う。腕や足の一本で済めば問題ないが、首が飛べばこちらも終いだ。間合いを図りながら慎重に動き出す瞬間を見極めていた――たったの1秒後、巨大な体躯が後ろ向きに倒れた、そのときまでは。
だからこそ美しいと思った。だからこそ触れたいと思った。
この局面でそれ以外の選択肢を取ることができない彼女だからこそ――自分は彼女に惚れたのだ。
(残酷な女だな、あんた)
非常事態のアナウンスが流れてから、必死で彼女の姿を探した。パニックになってひしめき合う群衆の中から目を皿のようにして、愛しい人の後ろ姿を探した。代わりに見つかったのは昼に話をした男性の審神者で、彼を捕まえて話を聞けば、最初は一緒にいたがはぐれたのだと言う。彼女が向かったであろう方向を教えられ、走り出したが、一向に彼女を見つけることはできなかった。似た背格好の人物は見かけたが、彼女ではない。廊下を進むにつれて現れ始めた負傷者や亡骸もすべて確認してきたが、彼女を見つけることはできない。途中、上階からも時間遡行軍が現れたとアナウンスが流れたが、構わずに彼女を探すことに専念した。できるだけ戦闘を避け、当初指示されていた上階を目指す。
(真面目な人だ。絶対に指示には従う。上階でも戦闘があったと分かれば、途中の階に留まっているだろう)
適当な階からしらみつぶしに回っていく。階段を上がってはフロア全体を回り、また次の階へ。繰り返すごとに不安と焦燥は増していく。
今日の彼女はヒールが高い、履き慣れないパンプスを履いていた。それほど早く走れてはいないだろう。一刻も早く見つけて、安全な場所まで連れて行ってやらねばならない。
(大丈夫だ。生きてさえいれば守ってやれる。……たとえ手遅れだったとしても、必ず連れ帰る)
嫌な想像を、舌を打ってかき消す。最悪を想定している場合ではない。自分がこうして顕現しているのだ、彼女は必ず生きている。今は間に合うことだけを考えるべきだ。
そうして走り回っていた最中。建物を破壊するような断続的な物音と、幼い泣き声が聞こえた。おそらく時間遡行軍から逃げる少女だろう。主人のことが優先されるとはいえ、救える命を見捨てるつもりはない。彼女も、それを許しはしないだろう。
だから、声が聞こえた方へと走った。ただ、人助けのつもりで。あわよくば、その少女が彼女を見かけなかったかと、期待も込めて。
それなのに、廊下を曲がった先で目の当たりにした光景は、最悪の一歩手前だった。
予想通り、泣きながら逃げる少女の審神者がいた。それを追う、大太刀型の時間遡行軍も予想外ではない。予想外だったのは、少女の手を引く人物――探し人の姿だった。
苦しげに息を吐きながら走る彼女の様子は見るからにおかしかった。かろうじて走ってはいるが、右足を引きずるようにしている。気に入っていたのだろうパンプスに包まれていたはずの両足は裸足で、足を踏み出すごとに顔を歪めている。
満身創痍という言葉が相応しい状態にもかかわらず、彼女は涙を流す少女の手を引いてやっていた。きっと途中で見捨てることができず、励ましながらここまでやって来たのだろう。その姿が容易に想像できる。
「主人!」
彼女を呼んだのは、反射のようなものだった。もしかしたら生きていることを確かめたかったのかもしれない。こちらの声に釣られるように向けられた双眸は、視線がぶつかった瞬間――きらりと輝いて見えた。
そして彼女は、渾身の力で、隣の少女の背を、こちら側に押し出した。
「この子を!」
少女を助けろという意味だったのだろう。自分はその場で崩れ落ちておきながら、視線だけは真っ直ぐに前を見据える彼女に、怒りにも似た感情が湧き上がる。
彼女が我先にとこちらに走り出しても、咎める者は誰もいなかったはずだ。
自分が少女の手を掴まず、彼女の手を引き寄せたとしても同様。自分の主を優先することに疑問などない。
だが、彼女はそれをしなかった。望まなかった。
この、見知らぬ若い命を優先させたのだ。
ならば彼女の刀たる自分にも、選択肢など残されてはいない。
(残酷な女だな、あんた)
心の中で、吐き捨てる。
分かっている。彼女はそういう人間だ。他人を見捨ててまで自分が助かろうとするような狡猾さを持ち合わせてはいない。教科書に書いたような倫理観を持ち、そのまま実行に移してしまう。お人好しとも、愚直と言ってもいいだろう。
そんな彼女だからこそ、大切にしたいと思ったのだ。
そんな彼女だからこそ美しいと、そう思ったのだ。
今もまた、この状況で瞳に光を宿し、断固たる決意をもって意思を貫こうとする姿のなんと美しいことか。
いくら服が汚れていようと、傷を負って満身創痍の状態であろうとも、前に進もうとするその姿は彼女の心そのもので――こんなときにまで美しいと思わせる彼女は、残酷だ。
(命と生き様を天秤にかけさせるなんて、残酷でしかない)
そして、命を優先させてやれない俺もまた、同じ穴の貉というやつなのだろう。
少女の手を引いて後ろに隠し、振り返らぬまま足を踏み出す。もう歩くことは難しいのだろう、手の力だけで前に進もうとする彼女のすぐ後ろに、時間遡行軍が迫っている。走って間に合うものではない。それでもギリと奥歯を噛みしめ足を踏み出す。
(あんたの生き様を、あんななまくらにくれてやる道理はない)
大太刀が、その本体を振りかぶる。もう少し進めば間合いに入るが、おそらく間に合わないだろう。ならば。
自身の本体を逆手に持ち替え、思いきり振りかぶる。狙うは刀を握る方の腕。体躯は立派だが、直接刃が刺されば動きは鈍るだろう。
(次の一手はないが、盾くらいにはなれるだろうさ)
数秒でいい。少しの猶予ができれば、彼女の体を守ることだけはできる。近侍として、せめてそれだけは成し遂げなければならない。
狙いを定め、腕を振り抜く。手のひらを離れた本体はまっすぐに大太刀の肘辺りに突き刺さり、耳障りな悲鳴が上がった。振り下ろされようとしていた切っ先が主人のすぐ後ろに落ち、床を砕く。その間にも少しずつ前に這ってきていた彼女の体に、ようやく手が届いた。崩れ落ちる寸前の体を正面から支え、そのまま大太刀の反対側へと移す。
近くで見ると、滅多に着ることはないスーツはすっかり汚れてしまっていた。呼吸は荒く、右足首は腫れあがっている。それでも爛々と輝く瞳はやはり美しく、思わず見入ってしまった。その瞳を自分のものにしてしまいたいのだと言いかけて、そのような場合ではなかったのだと思い出す。
当然ながら、大太刀は再び刀を振り上げていた。自身の本体は未だ、太い腕に深々と突き刺さっている。鞘はあるが、この一振りを防ぐ前に砕け散ることだろう。
(さて、どうしたもんかな)
ここで自分が折れれば、彼女も少女も命を失うことになる。かと言って本体を引き抜いて首を落とすことができるのかと問われれば、即座に頷くことは難しい。
(だが、やるしかない)
徐々に震え始めた体から手を離し、大切な人を背に隠して機を狙う。腕や足の一本で済めば問題ないが、首が飛べばこちらも終いだ。間合いを図りながら慎重に動き出す瞬間を見極めていた――たったの1秒後、巨大な体躯が後ろ向きに倒れた、そのときまでは。