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恋敬い

 「もしも…」この世界は自分の知らない誰かのためのものかもしれない。この時間を、知らない誰かが誰かを守るために生きて、そのためにあるのだとしたら。惰性で生きてはぐちゃぐちゃな気持ちになる。

 「また難しいことを考えてるの、顔が難しいよ」と微笑みかけるあなたはかけがえなく美しかった。いつからか私は、なんど救われたかわからないこの笑顔の虜になってしまっていた。私のために生きているわけではないけれど、私はこの人のために生きたいと思った。

 私は「そんなことないですよ、たまたまです」と言いながら、ふたりでいるには広すぎる音楽室で、私たちのためだけの時間が流れていることを祈った。

 手元の楽譜に目を戻しながら「そう?なら、いいんだけど」と優しく言う。私は鍵盤に指を運ぶ。焦がれる恋の歌のその先に、彼女は何を想像しているのだろうか。過去の恋愛か。それとも、未来の王子様に思いを馳せているのか。どちらにせよ、そこに私はいないのだろうと思った。

 「さぁ、練習しないとですよ」なんて言っても誤魔化せてるのかわからない。目を逸らすように見つめた窓の外はやがて春色に食い尽くされるだろう。

 「うん、もう少しだもんね」もう少しだから。

 『はい、あとちょっと、頑張りましょう』もう少ししたら、この人は卒業してしまう。どこか遠くへ行って、もう二度と会えないかもしれない。

「大丈夫?」

『大丈夫です』

「泣いてるよ?」

『そんなこと、』

 嗚咽まみれの自分に気づくのに時間がかかった。気づいた瞬間に泣き崩れてしまった。最後の最後まで困らせてばかりの自分が情けない。どれだけ考えても空振りでしかない気持ち、近づいても近づいてもぴったり隣には辿り着けない。時間は無邪気にすすんでゆくのに。何も悪くはないのにぬかるみから抜けられない。

「私の目を見て」

見た。

「ありがとう」




「私もです」

私のせいいっぱいでまっすぐな気持ちだった。
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