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エネルギー

 重い腰を上げるためには、地球の重力じゃキツすぎる。

 僕は昨日、一通の手紙を拾った。『気持ち、とっても嬉しいです。これからよろしくおねがいします。』と締めくくられた恋文はいったい誰への返信なのか。ただその文字から幸福感に満ちた様子が伺えるほど、相当な思いを募らせた相手からの告白だったのだろうということは伝わってくる。そしてそれがつい最近書かれたものであることもわかった。恋心に恥じらうかのように文章の前半分はほとんど関係のない日常の話ばかりだったからだ。いまどき紙の手紙だなんて、微笑ましくも羨ましく思えた。とっても素敵な恋文だ。

 しかしこの恋文にも問題はある。この字は、どう考えても僕の彼女の字だからだ。僕との関係の水面下でこんなことが繰り広げられているとはにわかには信じがたいが、伝わってくる幸福感は僕の脇腹を何度も何度も貫くナイフのようだった。前半分の日常だって僕と過ごした日常から僕を消した話だ。彼女の中で僕はどこへ行ってしまったのだろう。考えるほどに視界が薄暗くなってゆく。絶望が胸を満たす。やがて現実を知る。僕と彼女との関係は程なく解けてしまうのだと。

 その日はそう遠くなかった。『ちょっと時間あるかな』と無機質なフォントが僕を喫茶店に誘った。席につくやいなや正面の彼女の後ろには恋文の相手の姿が点滅する。こちらも察しがついているからか、生まれてしまった物々しい雰囲気にお互い口を開けないでいる。

 やがて彼女は怯えるように言葉を紡ぎ、別れを告げた。ずっと一緒にいた女の子から繰り出される言葉はあの幸福感の裏返しなのだ。聞き慣れた声が聞きたくないことばかりを押し付けてくる。私は掠れた声で『いままでありがとう』と告げた。彼女だった女の子は言いたいことを言うと、椅子に縛られた僕を置いて店をあとにした。




 それから、どれだけの時間がたったかはわからない。

 重い腰を上げるには、地球の重力じゃキツすぎる。

 それでも僕は振り絞ったエネルギーで、店をあとにした。
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