破鏡再び照らす
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同日 午前11時13分
総合病院 階段
億劫な足取りで、一段一段ゆっくりと階段を降りる。
これからの生活をどうするか、と嫌な未来が脳内に浮かんでは消えを繰り返していて、ため息ばかりを吐いてしまう。
ふと、下の踊り場から女の声が聞こえた。
その声は嫌な感情が乗っていて、妙に甲高い。
遠回りしようとUターンする途中で、踊り場の女性の顔が目に入る。
「十六夜(イザヨイ)先生……」
入院中にお世話になった女医がいた。
なんとなく気になって、あたしは静かに踊り場まで近づく。
「もういい加減にして!」
彼女と向かい合っているのは、くたびれた背広を着た中年の男だった。
「なぁ頼む。もう一度やり直してくれ」
今にもすがりつきそうな勢いで、男は十六夜先生に迫っている。
だが、彼女はそんな彼に冷たい表情を向けていた。
「あなたとの夫婦関係は終わったの。裁判であなたも納得したでしょ?」
そう言い捨て、十六夜先生は男に背を向けた。
中年男の眉間に凶悪な皺が寄り、男が腕を上げる。
気づいたときには、足が動いていた。
踊り場まで駆けて、あたしは先生の腕を引っ張った。
男の拳が空を切り、よろける。
こちらに向かって、憤りで赤く充血した眼が突きつけられた。
「邪魔すんじゃねえ!メガネ!!」
男の怒声で、びくっと自分でもわかるぐらい肩が大きく跳ねた。
十六夜先生を後ろにかばうように男の前に立つ。
「どけよ!」
拳を振り上げられ、体の筋肉が一気に固くなる。
渇いた痛みの後に頬の内側から血の熱が鋭く燃えた。
重く鈍い痛みが顔に広がる。
頬の熱さや痛みで、改めて殴られたのだと実感した瞬間、じわっと視界がぼやける。
瞬きをすると、頬に水が滑り、視界がクリアになる。
だが、すぐにぼやけてしまう。
殴られたときに、マスクが取れてしまったみたいだ。
頬が空気に直に触れていた。
「っ……」
声が出なくなる。
怖くて、立ち上がれない。
「たっ他人が首突っ込むからだろ……。おっお前が悪いんだ!」
私を指さしながら、震える声で男は私を見下ろしている。
怖いけれど、胸から湧き上がる不快な熱のおかげで、顔だけは上げられた。
怒りで見開かれた男の目がヒクッと不自然に揺れる。
「なんだよ……その目……なんか文句あんのかよ」
とっさに飛び出したけど、しゃべる言葉を考えていないので何も言えない。
「だっ黙ってないで……なんとか言えよ!」
男が足を振り上げ、ガッと後頭部に圧がかけられ、髪の毛を頭皮ごと削り取るように踏まれる。
「やめて!!」
痛みで呻く中、高い声がその空間に木霊した。
踏まれた足がどかされ、私は声のした方へ顔を向ける。
体を震わせながら、十六夜先生は男を睨んでいた。
「わかったわ。明日のお昼に診察室に来てちょうだい」
男の顔が先ほどの態度が嘘のように、明るくなる。
「あぁ、いいさ!」
軽い足取りで、男は踊り場を去っていった。
無言の空間の中で、私は上半身は起こしたが、顔をあげられなかった。
ボロボロと涙が零れる。
「ごっっ…め…んっな……い」
こんな時ですらまともにしゃべれない自分に対して、太股に強く拳を打ち付けた。
「顔を上げて」
優しい声色につられ、首を起こした。
心臓が凍りつく。
イザヨイ先生は困ったような笑みを浮かべいた。
だが、その目は冷え切っていた。
体の奥底まで冷たい水が流し込まれるようで、全身が震える。
呼吸すらも凍り、息が喉を通らなくなる。
「余計なことに首を突っ込まないでちょうだい。
これは私たち夫婦の問題だから」
彼女の声はひどく乾いていて、空虚に聞こえた。
「……とりあえず、その頬の手当てを……」
「どうかしましたか?」
白衣の男性が声をかけてきた。
「ちょうどよかった。椎名先生。この子の手当てをお願いします」
私の顔を見て、椎名先生と呼ばれた男はぎょっとした顔になる。
「うっわ!これはひどい。頬が腫れてるじゃないですか」
「それじゃ、私はこれで」
「えっちょっ十六夜先生!?」
白衣の女性の背を私はぼんやりと見ていた。
被害妄想なんかじゃない。
邪魔な人間をハッキリと攻撃して、悪者にならないようにするときの……。
彼女の声から感情が直に伝わってきた。
じわじわと体にその事実が沁みてきて、涙の落ちる量が増える。
余計なことをしてしまった。
黙って立ち去るべきだったのだ。
「大丈夫ですか。立てますか?」
思考と現実が切り離されて、額縁の外から覗いてるような感覚で、私は視界を眺めていた。
昔からそうだ。
鈍くさくて、トロくさくて……。
大人になったってそれは変わらない。
"変わる努力をしないからだ"
誰かに言われたその言葉は、時が過ぎても私の胸をちくちくと責め続ける。
それを深く考えたくなかった。
結果を見ればそうだったから。
でも、それだったら、いつもいつも体に渦巻く
やるせない気持ちは?
泣きたくなるような息苦しさは?
こんなにもぐるぐると悩み続けて
発散されることのない感情のエネルギーはなんなのだ。
"無意味なこと"
そう切り捨てられれば、もう何も言い返せなくなる。
正論は強い。
けれど、私にはそれがいつも短絡的で暴力的な答えに感じてしまう。
反論さえもさせてくれない伝家の宝刀。
けれど、誰との会話も続けさせない拒絶のツール。
そう思えてならなかった。
最初から決まっているのなら、考えることすら無駄じゃないか。
ぐるぐるととりとめのない支離滅裂な感情の考えが頭の中を回り、埋め尽くしていく。
思考の迷路に迷い込んでいた私は、気付いたときには手当てを終えて病院の入口まで来ていた。
どうやってここまできたかその経緯がまったく思い出せなかった。
暗い思考に侵食されて、頭が働いていないのだろう。
ぐしゃぐしゃと頭を掻き混ぜる。
私は……どうするのが正しかったんだろう……。
黙っているのが正しかったんだろうか。
過ぎた事を考えてももうどうしようもないのに、自分の過ちに思考を使わずにはいられなかった。
総合病院 階段
億劫な足取りで、一段一段ゆっくりと階段を降りる。
これからの生活をどうするか、と嫌な未来が脳内に浮かんでは消えを繰り返していて、ため息ばかりを吐いてしまう。
ふと、下の踊り場から女の声が聞こえた。
その声は嫌な感情が乗っていて、妙に甲高い。
遠回りしようとUターンする途中で、踊り場の女性の顔が目に入る。
「十六夜(イザヨイ)先生……」
入院中にお世話になった女医がいた。
なんとなく気になって、あたしは静かに踊り場まで近づく。
「もういい加減にして!」
彼女と向かい合っているのは、くたびれた背広を着た中年の男だった。
「なぁ頼む。もう一度やり直してくれ」
今にもすがりつきそうな勢いで、男は十六夜先生に迫っている。
だが、彼女はそんな彼に冷たい表情を向けていた。
「あなたとの夫婦関係は終わったの。裁判であなたも納得したでしょ?」
そう言い捨て、十六夜先生は男に背を向けた。
中年男の眉間に凶悪な皺が寄り、男が腕を上げる。
気づいたときには、足が動いていた。
踊り場まで駆けて、あたしは先生の腕を引っ張った。
男の拳が空を切り、よろける。
こちらに向かって、憤りで赤く充血した眼が突きつけられた。
「邪魔すんじゃねえ!メガネ!!」
男の怒声で、びくっと自分でもわかるぐらい肩が大きく跳ねた。
十六夜先生を後ろにかばうように男の前に立つ。
「どけよ!」
拳を振り上げられ、体の筋肉が一気に固くなる。
渇いた痛みの後に頬の内側から血の熱が鋭く燃えた。
重く鈍い痛みが顔に広がる。
頬の熱さや痛みで、改めて殴られたのだと実感した瞬間、じわっと視界がぼやける。
瞬きをすると、頬に水が滑り、視界がクリアになる。
だが、すぐにぼやけてしまう。
殴られたときに、マスクが取れてしまったみたいだ。
頬が空気に直に触れていた。
「っ……」
声が出なくなる。
怖くて、立ち上がれない。
「たっ他人が首突っ込むからだろ……。おっお前が悪いんだ!」
私を指さしながら、震える声で男は私を見下ろしている。
怖いけれど、胸から湧き上がる不快な熱のおかげで、顔だけは上げられた。
怒りで見開かれた男の目がヒクッと不自然に揺れる。
「なんだよ……その目……なんか文句あんのかよ」
とっさに飛び出したけど、しゃべる言葉を考えていないので何も言えない。
「だっ黙ってないで……なんとか言えよ!」
男が足を振り上げ、ガッと後頭部に圧がかけられ、髪の毛を頭皮ごと削り取るように踏まれる。
「やめて!!」
痛みで呻く中、高い声がその空間に木霊した。
踏まれた足がどかされ、私は声のした方へ顔を向ける。
体を震わせながら、十六夜先生は男を睨んでいた。
「わかったわ。明日のお昼に診察室に来てちょうだい」
男の顔が先ほどの態度が嘘のように、明るくなる。
「あぁ、いいさ!」
軽い足取りで、男は踊り場を去っていった。
無言の空間の中で、私は上半身は起こしたが、顔をあげられなかった。
ボロボロと涙が零れる。
「ごっっ…め…んっな……い」
こんな時ですらまともにしゃべれない自分に対して、太股に強く拳を打ち付けた。
「顔を上げて」
優しい声色につられ、首を起こした。
心臓が凍りつく。
イザヨイ先生は困ったような笑みを浮かべいた。
だが、その目は冷え切っていた。
体の奥底まで冷たい水が流し込まれるようで、全身が震える。
呼吸すらも凍り、息が喉を通らなくなる。
「余計なことに首を突っ込まないでちょうだい。
これは私たち夫婦の問題だから」
彼女の声はひどく乾いていて、空虚に聞こえた。
「……とりあえず、その頬の手当てを……」
「どうかしましたか?」
白衣の男性が声をかけてきた。
「ちょうどよかった。椎名先生。この子の手当てをお願いします」
私の顔を見て、椎名先生と呼ばれた男はぎょっとした顔になる。
「うっわ!これはひどい。頬が腫れてるじゃないですか」
「それじゃ、私はこれで」
「えっちょっ十六夜先生!?」
白衣の女性の背を私はぼんやりと見ていた。
被害妄想なんかじゃない。
邪魔な人間をハッキリと攻撃して、悪者にならないようにするときの……。
彼女の声から感情が直に伝わってきた。
じわじわと体にその事実が沁みてきて、涙の落ちる量が増える。
余計なことをしてしまった。
黙って立ち去るべきだったのだ。
「大丈夫ですか。立てますか?」
思考と現実が切り離されて、額縁の外から覗いてるような感覚で、私は視界を眺めていた。
昔からそうだ。
鈍くさくて、トロくさくて……。
大人になったってそれは変わらない。
"変わる努力をしないからだ"
誰かに言われたその言葉は、時が過ぎても私の胸をちくちくと責め続ける。
それを深く考えたくなかった。
結果を見ればそうだったから。
でも、それだったら、いつもいつも体に渦巻く
やるせない気持ちは?
泣きたくなるような息苦しさは?
こんなにもぐるぐると悩み続けて
発散されることのない感情のエネルギーはなんなのだ。
"無意味なこと"
そう切り捨てられれば、もう何も言い返せなくなる。
正論は強い。
けれど、私にはそれがいつも短絡的で暴力的な答えに感じてしまう。
反論さえもさせてくれない伝家の宝刀。
けれど、誰との会話も続けさせない拒絶のツール。
そう思えてならなかった。
最初から決まっているのなら、考えることすら無駄じゃないか。
ぐるぐるととりとめのない支離滅裂な感情の考えが頭の中を回り、埋め尽くしていく。
思考の迷路に迷い込んでいた私は、気付いたときには手当てを終えて病院の入口まで来ていた。
どうやってここまできたかその経緯がまったく思い出せなかった。
暗い思考に侵食されて、頭が働いていないのだろう。
ぐしゃぐしゃと頭を掻き混ぜる。
私は……どうするのが正しかったんだろう……。
黙っているのが正しかったんだろうか。
過ぎた事を考えてももうどうしようもないのに、自分の過ちに思考を使わずにはいられなかった。