親の心子知らず
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2月4日 午後7時14分
富士井屋敷 裏庭
裏庭にある暗い林の中で、鬼風が腰を落とした。
そのそばでは大きな川が、凄まじい音を立てて流れている。
「たくっ。面倒な事に巻き込まれたが、無事お姫さまは確保っと」
ゴソゴソッと例のライトを取り出す。
「杏里、元の姿に戻ってそのまま向かうから」
指輪型通信機に向かって、鬼風が話しかける。
だが、ザーッと耳障りな砂嵐がモミジの鼓膜に響く。
「杏里?」
「ずいぶんと、派手に立ち回ったじゃない」
ばっと背後を振り返った。
木の上から二つの青い光をぎらつかせながら黒づくめの女がゆっくりと降りてくる。
鬼風が構える。
「さっきからちょろちょろあとをつけていると思っていたが、
まーたアンタかよ"水蜘蛛"」
「あのときはよくもやってくれたわね」
「自爆したのはそっちじゃねえか。ゴキブリ並みのしぶとさだな」
「アンタに言われたくないわ。それより、さっさと"コウセキ"を渡しなさい」
鬼風は目を見開く。
「珍しい。もうわかってるのかい。この人形の目が"コウセキ"かどうか」
「テンサイ自身が言っていたからね」
鬼風はちっと舌打ちをする。
「……あのジジィ、余計なこと言いやがって」
「さぁ、さっさと渡しなさい。それが"本物"だってことはわかってるのだから」
「おいおいそれを言うなら、"偽物"だろ?」
「ぐだぐだ言ってないでとっととそれを渡しな!」
「それがわかって、はいそうですかと渡すかよ」
「これを見てもそう言っていられるかしら?」
水蜘蛛の背後から人影が現れる。
「卵ちゃん!?」
空色のマジシャンが縄で縛られていた。
「なんで……!?」
「あんたにしては迂闊過ぎたわね。鬼風」
青いスーツのトンガリ頭の男が鬼風の頭に過る。
「まさか…!あのときの……」
青年はだんっとイラ立ちを隠さず地面を踏みつけた。
「やられたっ……あれは"狐火"か……」
鬼風はギリッと奥歯を噛んだ。
「アンタを消すと聞いたら喜んで手を貸してくれたわ」
「あぁ。そうかよ」
「昔からとても仲が良かったものね。アンタたち」
「あぁ、あれの顔を見るたび嬉しくてナイフを投げつけたくなるぐらいにな」
くくっくと水蜘蛛が笑いを漏らす。
「あいつに"顔"があったなんて驚きだわ」
「言葉を間違えたよ。あったら、こうして卵ちゃんが人質になんかなるはずねえわな」
鬼はキッと鋭く目を吊り上げる。
「それで、条件は?」
「その"雲の絶間姫"を頂くわ」
掴んだ人形を鬼風は脇に抱き込む。
チラッと水蜘蛛の腕に捕らわている奇術師の少女に目を向ける。
まぶたをきつく閉じ、熟考してから、刃物のような鋭い墨色の瞳が開かれる。
「……わかった。お姫様を渡す」
近づこうとする水蜘蛛に手のひらを向けて、鬼風がそれを止める。
「ただし、同時にだ」
「こっちには人質がいる」
みぬきにナイフを突きつけた瞬間、鬼風のクナイが人形の顔に振り下ろされる。
水蜘蛛の表情が凍り付く。
ピタッと人形の鼻先でクナイの先端が止まった。
鬼は銃口の目つきを、相手に突きつける。
「こっちは別にお姫様を破壊できればいい。もし、契約を破るなら私はこれを壊す」
「貴様!それがどんなものかわかってるのか!それはあの方にとって……!」
「てめえの御託は聞き飽きた。この人形が床につく前に……放せ」
ポイッと足元に人形を放り投げる。
あああああ!と絶叫しながら、水蜘蛛が突進してくる。
鬼風はそれと入れ違うように、みぬきの元へ一瞬で詰め寄った。
すぐさま、水蜘蛛へと向き合う。
鬼風はにっと口元を釣り上げ、腕を引いた。
見えない糸が絶間姫につながっており、水蜘蛛の腕から人形が離れる。
鬼風の手元に絶間姫が戻ってきた。
「そう簡単に渡せるかよ」
鬼風の腕の中で、空色の奇術師が目を開いた。
みぬきのシルクハットが地面に落ちる。
「……っぁ!!」
少女の手に握られているナイフが鬼風の腹に埋まっていた。
みぬきを突き飛ばし、腹にナイフを突き刺したまま鬼風が距離を取る。
焦点を失ったような半開きの虚ろな目が鬼風を見据えていた。
「……催眠……!」
放り出された絶間姫を拾いながら、水蜘蛛が笑い声をあげる。
「くくっ。油断したわね。私の能力をもう忘れたの?」
「前回は使わなかった癖に……調教済みだったとはな……」
ナイフを引き抜くと、栓を抜いたワインのごとく赤黒い血液が地面に零れ落ちる。
くっと痛みに顔を歪め、鬼風は地面に膝をつく。
みぬきの目に光が戻った。
「え……鬼風さん!?」
目の前の状況に、みぬきは理解が追いつかない。
「なんで……血まみれで……」
みぬきが駆け寄り、涙を目に浮かべる。
「あなたが刺したのよ」
バッとみぬきが背後に振り向いた。
黒づくめの女が青ざめた表情のみぬきを見下ろしている。
「みぬきが……?」
「てめえが……操って……だろ」
流れる血を手で押さえながら、鬼風が相手の言葉に噛みつく。
「人をお人形にしやがって……悪趣味"男"」
鼻で鬼風が笑った瞬間、水蜘蛛が髪を逆立てる。
「よくも……!てめえだって似たようなものだろうがっ!この××××女!!」
突如、荒い口調になった水蜘蛛だが、すぐに口調を戻す。
「そこをどいてくれる。お姫様」
みぬきは反射的に両手を広げて、水蜘蛛の前に出た。
「……ダメっ!」
水蜘蛛の唇が三日月のごとく歪む。
「大丈夫。殺しはしないわ」
それでもみぬきは動かなかった。
少女は空色のマントの下で肩を震わす。
星空色の眼に溜まっていた涙が、片方から零れた。
その涙がみぬきの頬を伝って濡れ輝く。
「泣くなよ」
ぽんっと鬼の青年が少女の頭に手を置く。
みぬきは弾かれたように振り返る。
「“太陽の娘”がそんな顔すんなよ。ジジィに怒られんぞ」
鬼風は苦痛を堪えて弱々しい表情をしていた。
だが、薄闇色の鬼の目は烈風のように強い意志を宿している。
「大丈夫。どんな分厚い雲がお天道を覆ったとしても……吹き飛ばしてみせらぁ」
モミジは暁の薄明りのような笑みを浮かべる。
「だから、いつもみたいに笑ってろ」
鬼が右手から豆粒のような物を弾き飛ばした。
水蜘蛛が咄嗟に腕を出すと、豆が腕で割れた。
鬼風はみぬきの目を腕で覆う。
割れた豆から激烈な光が放たれた。
「ぐっ――――!」
暗闇で真っ白な光が水蜘蛛の視力を奪い去る。
目を眩まされたが、水蜘蛛は執念深く鬼の場所を探し、
きょろきょろと見えない目で見まわす。
ザッと地面の擦れる音に、鋭く顔を向ける。
「逃がすかっ!」
水蜘蛛から大量のナイフが放たれる。
人影が一瞬でハリネズミにされた。
「ふんっ!バカめっ!」
視界が戻り水蜘蛛が近寄った。
その人影―――黒装束を着た紳士人形に。
その横には空色のマントを巻き付けた丸太が転がっている。
「なっ!?」
ぼちゃんっと川から水音が響き渡る。
勢いよく音のした川の方へ振り返ると、
川に浮かんでいる空色のシルクハットが激流に弄ばれていた。
水蜘蛛は歯茎をむき出しにして、川を睨む。
「"変わり身"かっ!忌々しい!川から逃げるつもりだなっ!」
水蜘蛛は冷たい笑みを浮かべる。
「お荷物を抱えた状態なら下流で待ち伏せすれば、始末するのは容易いわ」
口からそう零し、水蜘蛛は川を沿いながら下流へと向かった。
足音が聞こえなくなると、
ハリネズミの状態の紳士人形―――"ぼうしくん"がむくっと起き上がる。
「……行ったみてぇだな」
ぼうしくんが横にいる丸太を叩く。
「動いていいぞ」
丸太がゆっくりと動く。
「うまくいったみてぇだな。
川に落としたぼうしくんを私らと勘違いしてくれたようだ」
ぼうしくんが顎に手を当て、ピリッと顔を剥がした。
破れた顔から、濡れ落ち葉のような器量の悪い女の顔が現れる。
丸太の格好をしたみぬきが、顔を出す。
みぬきに素顔を見せる前に、モミジは素早く予備の鬼の仮面を被った。
だが、みぬきはモミジを見て、首を傾げる。
「鬼風……さん?雰囲気が、違うような……」
「気のせいだろ」
内心冷や汗を流しながら、モミジは涼し気に男用の低い声で答えた。
「とりあえず、この場所からおさらばするぞ」
そう言って、みぬきの手を引っ張った。
…………。
二階建てのビルの前――――なんでも事務所の前で、バイクを止める。
「着いたぞ」
モミジは後ろに乗せていたみぬきに振り返りながら声をかける。
「どうした?」
少女は顔を俯かせていて表情が見えない。
「怪我は……」
あぁとみぬきの言葉に鬼風は即答した。
「大丈夫だ。手当てはしてあっから。それにあれくらいじゃ鬼は死にゃせんよ」
「それに…」
「それに?」
「……よかったんですか。あの人形を、あの人に渡しちゃって……」
「まずいわな」
鬼の表情は変わらなかったが、みぬきは微かに震える泥棒の指先に気づいた。
「ごめんなさい」
さらに顔を沈める少女に、モミジは肩をすくめる。
そして、陶器のようなキレイな額を指で弾いた。
「いったっ!」
「たわけ。泥棒の心配なんてしなくいいんだよ」
デコピンをしてから、モミジは気まずそうに顔をしかめた。
「……むしろ、それはこっちの台詞だ」
フルフェイスマスクから覗く目が、悲しげに細まる。
「……怖い思いさせちまって、悪かったな。
用がねえから、親父さんの元に早く返したつもりだったんだが、
アレの変装に見抜けなくて危険な目に合わせた」
鬼風は悔しさを滲ませた声色で言った。
「それに……"ぼうしくん"にも悪いことしたな。私らの身代わりになっちまった」
「大丈夫です」
明るい声が聞こえ、鬼風はみぬきの顔を見た。
「ぼうしくんはまた作ればいいですから。
それに、みぬき思ったほど怖くありませんでしたよ」
少女は五月晴れのような明るい笑顔を向ける。
「だって、鬼風さんがついてましたから」
ぽかんとしている泥棒を、みぬきが見つめ返す。
奇術師の笑顔に鬼風は顔をそらし、奇術師の栗色の髪を撫でた。
そよ風のような小さな声だったが、みぬきの耳には確かに届いた。
"ありがとな"
みぬきがバイクから降りた。
「送ってくれてありがとうございました」
「……三日待ってくれよな」
「えっ?」
みぬきが疑問符を頭に浮かべる。
「三日って、どういうことですか?」
それには答えず、鬼風はふっと笑いを零しただけだった。
「じゃあな。お日様の魔術師ちゃん」
そう言って、鬼の泥棒はバイクと共に、闇夜の中に溶けるように消えていった。
富士井屋敷 裏庭
裏庭にある暗い林の中で、鬼風が腰を落とした。
そのそばでは大きな川が、凄まじい音を立てて流れている。
「たくっ。面倒な事に巻き込まれたが、無事お姫さまは確保っと」
ゴソゴソッと例のライトを取り出す。
「杏里、元の姿に戻ってそのまま向かうから」
指輪型通信機に向かって、鬼風が話しかける。
だが、ザーッと耳障りな砂嵐がモミジの鼓膜に響く。
「杏里?」
「ずいぶんと、派手に立ち回ったじゃない」
ばっと背後を振り返った。
木の上から二つの青い光をぎらつかせながら黒づくめの女がゆっくりと降りてくる。
鬼風が構える。
「さっきからちょろちょろあとをつけていると思っていたが、
まーたアンタかよ"水蜘蛛"」
「あのときはよくもやってくれたわね」
「自爆したのはそっちじゃねえか。ゴキブリ並みのしぶとさだな」
「アンタに言われたくないわ。それより、さっさと"コウセキ"を渡しなさい」
鬼風は目を見開く。
「珍しい。もうわかってるのかい。この人形の目が"コウセキ"かどうか」
「テンサイ自身が言っていたからね」
鬼風はちっと舌打ちをする。
「……あのジジィ、余計なこと言いやがって」
「さぁ、さっさと渡しなさい。それが"本物"だってことはわかってるのだから」
「おいおいそれを言うなら、"偽物"だろ?」
「ぐだぐだ言ってないでとっととそれを渡しな!」
「それがわかって、はいそうですかと渡すかよ」
「これを見てもそう言っていられるかしら?」
水蜘蛛の背後から人影が現れる。
「卵ちゃん!?」
空色のマジシャンが縄で縛られていた。
「なんで……!?」
「あんたにしては迂闊過ぎたわね。鬼風」
青いスーツのトンガリ頭の男が鬼風の頭に過る。
「まさか…!あのときの……」
青年はだんっとイラ立ちを隠さず地面を踏みつけた。
「やられたっ……あれは"狐火"か……」
鬼風はギリッと奥歯を噛んだ。
「アンタを消すと聞いたら喜んで手を貸してくれたわ」
「あぁ。そうかよ」
「昔からとても仲が良かったものね。アンタたち」
「あぁ、あれの顔を見るたび嬉しくてナイフを投げつけたくなるぐらいにな」
くくっくと水蜘蛛が笑いを漏らす。
「あいつに"顔"があったなんて驚きだわ」
「言葉を間違えたよ。あったら、こうして卵ちゃんが人質になんかなるはずねえわな」
鬼はキッと鋭く目を吊り上げる。
「それで、条件は?」
「その"雲の絶間姫"を頂くわ」
掴んだ人形を鬼風は脇に抱き込む。
チラッと水蜘蛛の腕に捕らわている奇術師の少女に目を向ける。
まぶたをきつく閉じ、熟考してから、刃物のような鋭い墨色の瞳が開かれる。
「……わかった。お姫様を渡す」
近づこうとする水蜘蛛に手のひらを向けて、鬼風がそれを止める。
「ただし、同時にだ」
「こっちには人質がいる」
みぬきにナイフを突きつけた瞬間、鬼風のクナイが人形の顔に振り下ろされる。
水蜘蛛の表情が凍り付く。
ピタッと人形の鼻先でクナイの先端が止まった。
鬼は銃口の目つきを、相手に突きつける。
「こっちは別にお姫様を破壊できればいい。もし、契約を破るなら私はこれを壊す」
「貴様!それがどんなものかわかってるのか!それはあの方にとって……!」
「てめえの御託は聞き飽きた。この人形が床につく前に……放せ」
ポイッと足元に人形を放り投げる。
あああああ!と絶叫しながら、水蜘蛛が突進してくる。
鬼風はそれと入れ違うように、みぬきの元へ一瞬で詰め寄った。
すぐさま、水蜘蛛へと向き合う。
鬼風はにっと口元を釣り上げ、腕を引いた。
見えない糸が絶間姫につながっており、水蜘蛛の腕から人形が離れる。
鬼風の手元に絶間姫が戻ってきた。
「そう簡単に渡せるかよ」
鬼風の腕の中で、空色の奇術師が目を開いた。
みぬきのシルクハットが地面に落ちる。
「……っぁ!!」
少女の手に握られているナイフが鬼風の腹に埋まっていた。
みぬきを突き飛ばし、腹にナイフを突き刺したまま鬼風が距離を取る。
焦点を失ったような半開きの虚ろな目が鬼風を見据えていた。
「……催眠……!」
放り出された絶間姫を拾いながら、水蜘蛛が笑い声をあげる。
「くくっ。油断したわね。私の能力をもう忘れたの?」
「前回は使わなかった癖に……調教済みだったとはな……」
ナイフを引き抜くと、栓を抜いたワインのごとく赤黒い血液が地面に零れ落ちる。
くっと痛みに顔を歪め、鬼風は地面に膝をつく。
みぬきの目に光が戻った。
「え……鬼風さん!?」
目の前の状況に、みぬきは理解が追いつかない。
「なんで……血まみれで……」
みぬきが駆け寄り、涙を目に浮かべる。
「あなたが刺したのよ」
バッとみぬきが背後に振り向いた。
黒づくめの女が青ざめた表情のみぬきを見下ろしている。
「みぬきが……?」
「てめえが……操って……だろ」
流れる血を手で押さえながら、鬼風が相手の言葉に噛みつく。
「人をお人形にしやがって……悪趣味"男"」
鼻で鬼風が笑った瞬間、水蜘蛛が髪を逆立てる。
「よくも……!てめえだって似たようなものだろうがっ!この××××女!!」
突如、荒い口調になった水蜘蛛だが、すぐに口調を戻す。
「そこをどいてくれる。お姫様」
みぬきは反射的に両手を広げて、水蜘蛛の前に出た。
「……ダメっ!」
水蜘蛛の唇が三日月のごとく歪む。
「大丈夫。殺しはしないわ」
それでもみぬきは動かなかった。
少女は空色のマントの下で肩を震わす。
星空色の眼に溜まっていた涙が、片方から零れた。
その涙がみぬきの頬を伝って濡れ輝く。
「泣くなよ」
ぽんっと鬼の青年が少女の頭に手を置く。
みぬきは弾かれたように振り返る。
「“太陽の娘”がそんな顔すんなよ。ジジィに怒られんぞ」
鬼風は苦痛を堪えて弱々しい表情をしていた。
だが、薄闇色の鬼の目は烈風のように強い意志を宿している。
「大丈夫。どんな分厚い雲がお天道を覆ったとしても……吹き飛ばしてみせらぁ」
モミジは暁の薄明りのような笑みを浮かべる。
「だから、いつもみたいに笑ってろ」
鬼が右手から豆粒のような物を弾き飛ばした。
水蜘蛛が咄嗟に腕を出すと、豆が腕で割れた。
鬼風はみぬきの目を腕で覆う。
割れた豆から激烈な光が放たれた。
「ぐっ――――!」
暗闇で真っ白な光が水蜘蛛の視力を奪い去る。
目を眩まされたが、水蜘蛛は執念深く鬼の場所を探し、
きょろきょろと見えない目で見まわす。
ザッと地面の擦れる音に、鋭く顔を向ける。
「逃がすかっ!」
水蜘蛛から大量のナイフが放たれる。
人影が一瞬でハリネズミにされた。
「ふんっ!バカめっ!」
視界が戻り水蜘蛛が近寄った。
その人影―――黒装束を着た紳士人形に。
その横には空色のマントを巻き付けた丸太が転がっている。
「なっ!?」
ぼちゃんっと川から水音が響き渡る。
勢いよく音のした川の方へ振り返ると、
川に浮かんでいる空色のシルクハットが激流に弄ばれていた。
水蜘蛛は歯茎をむき出しにして、川を睨む。
「"変わり身"かっ!忌々しい!川から逃げるつもりだなっ!」
水蜘蛛は冷たい笑みを浮かべる。
「お荷物を抱えた状態なら下流で待ち伏せすれば、始末するのは容易いわ」
口からそう零し、水蜘蛛は川を沿いながら下流へと向かった。
足音が聞こえなくなると、
ハリネズミの状態の紳士人形―――"ぼうしくん"がむくっと起き上がる。
「……行ったみてぇだな」
ぼうしくんが横にいる丸太を叩く。
「動いていいぞ」
丸太がゆっくりと動く。
「うまくいったみてぇだな。
川に落としたぼうしくんを私らと勘違いしてくれたようだ」
ぼうしくんが顎に手を当て、ピリッと顔を剥がした。
破れた顔から、濡れ落ち葉のような器量の悪い女の顔が現れる。
丸太の格好をしたみぬきが、顔を出す。
みぬきに素顔を見せる前に、モミジは素早く予備の鬼の仮面を被った。
だが、みぬきはモミジを見て、首を傾げる。
「鬼風……さん?雰囲気が、違うような……」
「気のせいだろ」
内心冷や汗を流しながら、モミジは涼し気に男用の低い声で答えた。
「とりあえず、この場所からおさらばするぞ」
そう言って、みぬきの手を引っ張った。
…………。
二階建てのビルの前――――なんでも事務所の前で、バイクを止める。
「着いたぞ」
モミジは後ろに乗せていたみぬきに振り返りながら声をかける。
「どうした?」
少女は顔を俯かせていて表情が見えない。
「怪我は……」
あぁとみぬきの言葉に鬼風は即答した。
「大丈夫だ。手当てはしてあっから。それにあれくらいじゃ鬼は死にゃせんよ」
「それに…」
「それに?」
「……よかったんですか。あの人形を、あの人に渡しちゃって……」
「まずいわな」
鬼の表情は変わらなかったが、みぬきは微かに震える泥棒の指先に気づいた。
「ごめんなさい」
さらに顔を沈める少女に、モミジは肩をすくめる。
そして、陶器のようなキレイな額を指で弾いた。
「いったっ!」
「たわけ。泥棒の心配なんてしなくいいんだよ」
デコピンをしてから、モミジは気まずそうに顔をしかめた。
「……むしろ、それはこっちの台詞だ」
フルフェイスマスクから覗く目が、悲しげに細まる。
「……怖い思いさせちまって、悪かったな。
用がねえから、親父さんの元に早く返したつもりだったんだが、
アレの変装に見抜けなくて危険な目に合わせた」
鬼風は悔しさを滲ませた声色で言った。
「それに……"ぼうしくん"にも悪いことしたな。私らの身代わりになっちまった」
「大丈夫です」
明るい声が聞こえ、鬼風はみぬきの顔を見た。
「ぼうしくんはまた作ればいいですから。
それに、みぬき思ったほど怖くありませんでしたよ」
少女は五月晴れのような明るい笑顔を向ける。
「だって、鬼風さんがついてましたから」
ぽかんとしている泥棒を、みぬきが見つめ返す。
奇術師の笑顔に鬼風は顔をそらし、奇術師の栗色の髪を撫でた。
そよ風のような小さな声だったが、みぬきの耳には確かに届いた。
"ありがとな"
みぬきがバイクから降りた。
「送ってくれてありがとうございました」
「……三日待ってくれよな」
「えっ?」
みぬきが疑問符を頭に浮かべる。
「三日って、どういうことですか?」
それには答えず、鬼風はふっと笑いを零しただけだった。
「じゃあな。お日様の魔術師ちゃん」
そう言って、鬼の泥棒はバイクと共に、闇夜の中に溶けるように消えていった。