賽は投げられた
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3月22日 午後4時11分
化美公園
「杏里が私から話をしろと?」
鬼風に連れられ、成歩堂は人の気配がない公園へと移動させられた。
鬼風はこめかみを掻きながら、相棒の考えを察した。
「あいつのことだから、私の方が知ってるって判断したんだろう」
「君たちが盗む歌舞伎人形シリーズの“コウセキ”とは一体なんなんだい?」
「!あいつそこまで話したのか!」
成歩堂の眼差しを見て、鬼風はハァとため息を吐いた。
「……話すしかねえみたいだな」
うんっと咳払いをひとつしてから、鬼の泥棒が話し始めた。
「紅石 ってのは人を操る石。あっさり言うと人に催眠をかける石だ」
「それは黒谷さんから聞いた。でも」
成歩堂の戸惑う様子を見て、鬼風は仕方ないという風に肩をすくめる。
「胡散臭いだろうけど、それが事実だ。
まぁ、能力はすごいんだけど、その持続時間は短い。
期限つきの催眠だ。
普通のコウセキなら、大した力を持たない」
「普通のコウセキ?
その言い方だとコウセキの中にも特別なモノがあるってことかい?」
鬼風は成歩堂の言葉に頷く。
「そっ。私たちや組織が求めてるのは“コウセキ”のなかでも
特別な石。
純度のたかい“真緋石 ”と呼ばれる石だ」
「シンピセキ?」
「コウセキの強化バージョンってやつさ」
「コウセキと何がちがうんだい?」
鬼の泥棒は口の端を片方だけつり上げる。
「“永遠の催眠”だ」
「――――!」
「永遠ではない、な。正確に言うと、暗示をかけた人間が死ぬまで。
要は、一生終わらない夢の中に閉じ込められるってわけさ」
その言葉を聞き、成歩堂の顔が強張る。
「コウセキの催眠をかける条件は、結構簡単でコウセキに強い衝撃を与えると赤く光る。
その光が出ている間に暗示の言葉をかけるだけ。
催眠をかけられる対象は光を見た人物なら“何人”でも可能だ」
「“一人”だけではないのかい?」
「試したことはないけど、光を見ることさえできれば制限なく催眠はかけられる」
「だけど、どうして君たちはその“コウセキ”……“シンピセキ”を探してるんだい?」
「もし、その催眠が悪人に利用されたら……どうなる?」
成歩堂の疑問に鬼風は問いかけで返した。
「ボクから見れば、君たちも悪人ではないという証拠はないけど」
「ははっ、それもそうだな。
しかし、私の場合は肝心の彼がシンピセキで催眠にかかってくれないからなー」
「え?」
「暗示をかけたい男が催眠にかからないんじゃ無意味だろ」
「ちょっと待った。催眠にかからない人間がいるのかい?」
「あぁ、いるよ。シンピセキは、人が死ぬまで催眠をかけられる。
だけど、その催眠が効かない人間もいる。
そして、赤い魔石が見せる夢から人々を目覚めさせることができるのもそいつらだけだ」
「……君のその催眠をかけたい相手って」
「唯一、その紅い光に惑わされない真実の目を持つ者たち……」
成歩堂の言葉を遮りながら鬼風はニヒルな笑みを頬に浮かべる。
「アンタもよく知ってるだろ?“或真敷”の一族は」
「!」
「彼らは太陽の目……嘘やマヤカシに惑わされない真実を見通す優秀な目を持ってる。
そして、彼らだけがコウセキやシンピセキの催眠にかからず、その催眠を解くことができる。
まぁ、本当に奴らに解くことができるのかどうかは怪しいもんだがね」
≪催眠をかけたい相手≫
「……待った」
「なにかな。成歩堂弁護士」
成歩堂の追求をどこか面白がるように鬼風が返事をする。
「君は今、催眠をかけたい“男”がいると言ったね」
「あぁ、ナルホドくんもよく知ってるだろ」
自分の考えを言おうとして、成歩堂は少し迷う。
「“ムジュンしてる”と言いたいんだろ?」
彼の言葉を予想して、鬼風が先に言った。
「……あぁ、そうだ。
君は、コウセキの催眠にかからないのは“或真敷の人間”だと言った。
だけど、ボクの知ってるアルマジキの人間はボクの娘であるみぬきしかいないはずだ」
アハハと鬼の泥棒が笑いだす。
「おいおい。弁護士が真実を歪めるのはいかがかと思うがね?」
「君こそハッキリ言ったらどうなんだ」
お互いの瞳に相手の姿を映し、両者は沈黙を貫く。
視線が交差する中、鬼風がくくっと笑いながら先に沈黙を破った。
「居るだろ?死んだと言って、存在を消されてしまった女が」
「あぁ。……或真敷 優海さんだろ。
だけど、或真敷の一族はこの世にその二人の“女性”だけだ。
“彼”、というのはおかしい。
その条件に当てはまる或間敷 天斎はすでに死んだのだから」
「どうしても私の口から言わせたいみたいだな。ナルホドくん?」
鬼の目が怪しく光る。
「いいぜ。アンタの要望通り、そのムジュンの答えを言ってやるよ。
タマゴちゃんの“種違い”の“お兄さん”のことをな」
「!そこまで知ってるのか」
「さぁ、とぼけるのはなしだぜ。ナルホドくん。ここまで言って誰のことを言ってるのかわからないとは言わせねえぞ?」
「やっぱり君は、或真敷に関係ある人間なのかい」
「ちょっとした腐れ縁みたいなものさ」
【或真敷との関係】
「君は一体、或真敷一座とどういう関係なんだ」
「大した繋がりじゃねえよ。或真敷 天斎が元組織の人間ってだけさ」
「“組織”って君たちが居たという?」
「そっ。まだ青二才だった天斎は組織と取引をして組織から抜けた人間なんだ」
「その取引とは?」
「“コウセキ”の譲渡だ」
「コウセキを持っていたのは天斎だった?」
「コウセキはもともと或真敷の一族が管理していたモノだ。
組織を抜ける条件として、天斎は一部のコウセキを渡した」
「一部?」
「あのジイさん、隠してやがったのさ。
コウセキの一部とシンピセキが、歌舞伎人形シリーズの瞳に埋め込まれているということを」
「なんで歌舞伎人形にそんな石を埋め込んだんだ?」
「さぁな。どうしてそんなことをしたのかは或真敷一族にしかわからん。
こっちとしちゃ迷惑な話だよ。私らの人形にそんなモノ勝手に埋め込んで。
あのジイさんも、さっさとその危ない石を壊してくれりゃよかったものを」
「私ら?」
「そっ。あの歌舞伎人形をつくったのは私らのご先祖、夕間一族の先祖なんだよ」
【夕間と金山】
「じゃあ、金山半左エ門が君たちの……」
ご先祖さまなんだね?と続けようとして、成歩堂の全身に悪寒が走る。
先ほど体感した鬼風からの殺気を再び浴びて、成歩堂は無意識に口を閉じた。
「……その名前を出すなよ。ナルホドくん?自分でもなにをしでかすかわからねえからな」
成歩堂が恐る恐る頷く。
心臓が凍り付くような冷え冷えとした殺気が弱まり、成歩堂は無意識に止めていた呼吸を再開した。
「誤解がねえように言っとくが、アレは私の先祖じゃねえ」
「でも、あの人形は君のご先祖が作ったモノなんだろ?」
「あぁ、そうだ」
「でも、それじゃ、金山は歌舞伎人形シリーズを作っていないということになるんじゃ……」
「簡単な話だよ。ナルホドくん。
金山は人形を≪夕間の先祖≫、名前を≪紅葉≫というんだが、そいつに人形を作らせて、自分がそれを作ったと言いふらしていた。
要するに夕間 紅葉は金山のゴースト人形師だったってことさ」
「ん?ちょっと待って。なんだかややこしくなったきたな……。
或真敷の一族はコウセキを持っていて、歌舞伎人形を作ったのは君のご先祖さまである紅葉って人で……。
なんでコウセキはその人形に埋め込むことになったんだ?」
「これはあくまで憶測だが、たぶん或真敷一族はコウセキを壊すのを渋った。
だから、壊さない方法として人形にコウセキを“隠す”という手段を取ったんだと思う」
「危険な石なのに?」
「利用価値のある魅力的な宝でもあったんだろうよ。壊すのは惜しかったんだろ」
【夕間と或真敷】
「よくわからないのが、君たち夕間と或真敷の関わりなんだけど、どうやって彼らは関わったんだい?」
或真敷と私ら夕間を繋げてるのはあの“腕輪”だけ」
「腕輪?」
「二つに別れてしまった可哀想な或真敷の家宝さ」
「君とあの“腕輪”がどうして或真敷をつなげるんだ」
「簡単な話だよ。あれを作ったのは夕間一族って話だよ」
「え」
「材料はあっちが持ってきて、それをこっちで作って贈ったのがあの腕輪だ」
「……あの腕輪を君の先祖がつくった?」
「まぁ、だいぶ昔の話だが、或真敷の一族は芸能の神様を祀っていた流浪の一族だったんだ。
それで、彼らが舞や踊りを披露するときの道具を作成したり、彼らの身を護衛していたのが、私ら……夕間一族。
主と従者みたいな関係だったのさ。それも、江戸時代までの話だけどね
コウセキは或真敷の秘宝だったんだよ。
というか、或真敷にしか使えない秘宝だった」
「どういうことだい?」
「加工する前が問題なんだよ。あの金属の加工技術は失われてしまっていて、今はあの金属を使うことはできない。或真敷以外にあの金属は扱えない。なぜならあれは幻覚を見せるからだ」
「ちょっと待った。それはおかしい。もし、君の言う通り、コウセキが幻覚を見せるなら君たち夕間はなぜコウセキを加工できたんだい?コウセキは或真敷の人間しか扱えなかったんだろう?」
鬼風はふっと視線を外してから、成歩堂に向き合う。
「これは私の仮説だが、私たち夕間はその幻覚の症状が弱かったんじゃないかと考えてる。
私ら夕間は弱視……目が悪い奴らが多かった。
伝説じゃ、目一つ鬼という鬼の鍛冶師の子孫だったからその子どもも視力が弱いと言われてる。
まぁ、鬼の子孫ってのはただのでたらめだけど……たぶんだが、視力が弱いのは金工師の職業病だったんだろうよ
鉄を溶かすとき片目を瞑って炉の火を見ていたりしたから、火の粉を浴びて失明したり、
そのせいで、コウセキの影響を受けにくかったんじゃないかと言われてる」
「でも、それだけで幻覚が防げるのかい?」
「わからん。これはあくまで私の仮説だ。夕間一族が果たして弱視のおかげでコウセキを加工できたかということまではわからん」
「それなら、君たちが腕輪を作ったというのが本当かはわからないじゃないか」
「作った。それは確かだ」
「根拠は?」
「……私はあれと全く同じ腕輪をつくることができる」
「!」
「そう驚くことかね」
「でも、コウセキの加工技術は失われたって言ったじゃないか」
「あぁ、一族全体では忘れさられたよ。私を除いてね」
「失われた技術、君だけがコウセキを加工できる……君、いったいいくつだい?」
「150歳」
「……本当に?」
「うっそ」
そう答えた鬼の泥棒に、成歩堂は冷めた眼差しを向ける。
鬼の泥棒は肩をすくめてみせる。
「年は嘘だが、技術は覚えてる。私の中に流れる“血”がな」
よくわからない言動をする鬼風に成歩堂は怪訝な表情を浮かべる。
「それは、どういう?」
「まぁ……これは、覚えてたらまた違うときに話してやる」
無理矢理、話を中断させられ、成歩堂は訊きたいことがあったが、鬼風の様子を見てそれは諦めた。
「技術は覚えている。ただ、材料がねえからもうつくれねえ」
「君たちが盗んだコウセキを使えば作れるんじゃないのかい?」
「無茶言うなよ。量が圧倒的に足りない。材料が足らないからつくるのは無理だ。
あぁ、ちなみに言い忘れたが、みだらに幻覚を見せるのは加工する前のコウセキで、腕輪になってるあれはその作用がなくなってる。
だから、あれを破壊する必要はない」
「そうだったんだね」
鬼風がふうーと大きく息を吐く。
「まぁ、そのよくわからん“縁”のせいで、あのジイさんから厄介な依頼を押し付けられたんだけどな」
「爺さんというのは、もしかして」
「或真敷 天斎だよ」
「やっぱり、そうなんだね」
「或真敷 天斎の遺言なんだよ。
コウセキとシンピセキを手に入れて処分しろって」
「じゃあ、なぜザックさんはそのことを教えられなかったんんだ」
「ザックやタマゴちゃん……みぬき嬢が受け継いだのが、天斎の正の遺産。
私たちが受け継いだのが或真敷の負の遺産だ。
決してこの世に残してはいけない。排除すべき財産。
できるだけその石のことを知られたくなかったんだよ。あのジイさんは」
「君が素直に天斎の依頼を受けたのは意外だな」
「……利害は一致してたんだよ。私たちの目的と天斎の依頼内容は」
≪組織について≫
「君たちの居た組織って、いったい何なんだ?」
「……身寄りのない子どもを育てるボランティア団体。
《ノルン》
北欧神話の運命の三女神の名から取った名前が組織の名前。
その名のとおり、組織は運命を自分たちの手でつくりだせると思ってるのさ。
身よりのない子どもと言ってるが、本当はその異端な能力で親から疎まれ嫌われた子どもを自分たちの都合の良い駒にするための組織だ」
「なんのためにそんなことを?」
「その目的は、シンピセキと呼ばれる石を手にすることただひとつ。そのために手っ取り早く駒を作るには子どもの頃から洗脳しておくのがいいんだよ」
成歩堂の顔が歪む。
「私たちから見たらろくでもない組織なのかもしれない。
けど、組織で育てられた奴らにとっては唯一の居場所だったんだよ。
親からも見放され、利用されるためとは言え自分を必要としてくれた組織は、なくてはならない家だったんだ」
成歩堂は胸につっかえるなにかを一時的に飲み込み、話をつづけた。
「組織がそれを狙ってるのはわかった。けどシンピセキを手に入れて彼らはなにをするつもりなんだい?」
「さぁ?少なくとも、碌なことには使わないというのが私の意見だ。
根拠も証拠もない、ただの直感だけどな」
【泥棒をする理由】
「君が欲しい物はわかった。でも、なぜ人形を手に入れるために盗むんだい」
「それが一番手っ取り早いからさ。それともう一つ」
「もう一つ?」
「私たちは組織に“シンピセキ”を狙っているということを伝えるために、あえて盗むのさ。
組織が私たちを排除するために動くように」
成歩堂の眉間に深い皺が刻まれる。
「待てよ。それじゃまるで……」
「私たちは囮だ」
「囮ってことは、君たちの他にも仲間がいるってことか!?」
「まっ、仲間ってほど良いモノでもないけどな」
「囮ってことはもしかして、君たちはまた別の組織に所属しているってことかい?」
あくまで成歩堂の推測だったが、鬼風の表情が図星と語っていた。
「そこは大した問題じゃねえよ。私たちの最終的な目標はただひとつ、歌舞伎人形シリーズの中からシンピセキを見つけてそれを回収して破壊をする。
コウセキが取られるのはまだいい。シンピセキだけは絶対に奪われちゃいけない。それをなんとしてでも破壊しなきゃならねえ」
≪“コウセキ”の秘密≫
「けど、人に催眠をかける仕組みは一体どういうものなんだ?」
「さぁ?私にもよくわからん。地学に詳しいわけではないからな。
というか、誰もこの石の幻覚や催眠の原因はわかってねえよ」
「けど、人に催眠をかけられる石なんて……」
「“死んだはずの人間が女達の体に入り込む仕組みはどうなっているか”」
成歩堂は鬼風の言葉に口を閉ざす。
「理屈なんて、このさい大した問題じゃない。
それはアンタだってわかるだろ。
霊媒の仕組みはわからないが、その事実は確か。
この石もそうだ。
この石は人に催眠をかける。
そして、その中で一番大事なことは、その石が存在しちゃいけないということだけだ」
「……そうだね」
「なら、あんまり深く考えすぎるなよ。……ハゲるぞ」
グサッと成歩堂の心に刺さる。
「ぼ僕はそんな年じゃないよ」
【“コウセキ”と“ジンニク病”】
「君たちの目的はわかった。
けど、それがどうして資料を盗むことになったんだい?」
「あー……やっぱり聞くか。それ」
鬼風はちらりと成歩堂を一瞥する。
「……知らない方が幸せって事もある」
「ボクを気遣ってるというよりは、君の方が言いたくなさそうだよ」
「……人によっては心底胸底悪い事だからな」
「君がそこまで躊躇するなら、なおさら知りたい」
「……忠告はした。あとはどう受け止めるかはアンタ次第だ。
無色石と呼ばれる石があるんだが、
それに“ある物質”が付着して長年放置されたことで出来た特殊な赤い石が“紅石”だ」
「ある物質?」
成歩堂の脳裏に杏里の言葉が蘇る。
“「“コウセキ”も“ジンニク病”も奴は研究していた。その二つは密接につながっているからな」”
“「さて、成歩堂センセイ。コウセキは一体どうやって作られるでしょうか?」”
「ジンニク病……」
「!」
鬼風が目を見開き、成歩堂を見据えた。
「黒谷さんが言っていたよ。“コウセキ”と“ジンニク病”にはつながりがあるって」
唇を舐め、口を開くが、鬼風は言葉を発しない。
もったいぶっているというより、鬼の泥棒は躊躇しているようだった。
「鬼風?」
成歩堂が気遣うように声をかけると、鬼風は軽く息を吐き出し話を再開する。
「……コウセキは、ジンニク病患者の“血液”と同じ成分で出来ている」
そして、意を決したように鬼風が告げる。
「あまり信じたくはないが、コウセキは無色石にジンニク病患者の血液が付着してできたものなんだよ」
成歩堂はその事実に固まる。
「藪下はコウセキを作り出すために、ジンニク病について研究しその病に侵された人間を作り出そうとしていたんだよ」
「ちなみにその血液でコウセキをつくるにはどれくらいの量が必要なんだい?」
「一個をつくるだけで最低でも4L。……約人間一人分の血液量が必要だ」
成歩堂の顔から血の気が引く。
「だから……訊かない方が良いっつったのに」
「いや、でも、君たちが資料を優先した理由がよくわかった」
成歩堂は眩暈がしかけた頭を振り、ふとあることを思い出す。
「あれ?でも、藪下さんはジンニク病患者の橋間 京子さんという人を診ていたって……」
「―――は?」
鬼風が成歩堂に詰め寄る。
「患者が居た!?アレは絶滅したはずだろなんで!?」
胸倉を掴まれ、頭突きをされる勢いで眉間に顔を近づけられた。
「ぐえっ、いっ言った、のは、窃盗課、の、刑事さんだっ」
「その女、会ったか?」
「いや、名前だけで」
ばっと鬼風は胸倉を放した。
「どおりであのジジィの部屋から“血の匂い”がすると思った」
「えっ」
成歩堂は鬼風の言葉に状況が飲み込めずにいた。
「血の匂い?」
「その女、死んでるぞ」
「なっ!?」
「言ったはずだ。藪下はコウセキを手に入れたいがためにジンニク病の研究をしていた。
そして、研究材料があちらからやってきてくれた。
研究者がやることなんてただひとつだろ」
「いくらなんでも発想が飛び過ぎだ。彼女が死亡した証拠はなにもないのに」
「じゃあ逆に聞くが、彼女が生きてる証拠はあるのか?」
「それは……」
成歩堂は何も言えなかった。
「あのジジィは組織と同じでコウセキに異常に執着していた。
たぶん、あいつは研究中に橋間って女を死なせたんだよ。
死因はおそらく出血多量。
研究のために殺さないように気を付けていたんだろうけど、欲をかいて血を抜きすぎたんだろ。
それか……」
「それか?」
「いや、大したことじゃない。気にするな」
【泥棒稼業について】
「その“シンピセキ”というのを回収したら、君は泥棒をやめるんだね」
「まぁ、そうなるなぁ。いつになるかはわからないが」
「だったら約束してくれ。君が目的を果たしたら、自首すると」
成歩堂は鬼風がやーなこったと、そっぽを向くと思っていた。
だが、鬼の泥棒は何も表情を浮かべなかった。
「――――っ」
一瞬、目を伏せたが、すぐに元に戻す。
片頬を皮肉気に吊り上げるが、
その笑みは吹けば飛んでしまいそうな弱々しいものだった。
「……自首ね。いやだな。この仕事けっこう気に入ってるんだよね」
鬼の青年はなにかを堪えるように言葉を発していたが、それはすぐに消えてしまった。
「警察との追いかけっこは嫌いじゃないから」
泥棒の笑みは水に映った月のようにどこか空虚なものに思えた。
「つーことで、悪いけどそれは約束できない」
「どうしても?」
「ごめん。それだけは約束してやれないんだ」
成歩堂は問い詰めようとしたが、なんとなくそれはできなかった。
今までと違う。
鬼の泥棒は秋の夕暮れのような、暑さが消え、冬を迎える寂しさに似た笑みを浮かべていた。
だから、成歩堂はそれ以上追求するのを躊躇ってしまった。
「……そんなことより、ナルホドくん。調査の進み具合はどうなんだ?」
化美公園
「杏里が私から話をしろと?」
鬼風に連れられ、成歩堂は人の気配がない公園へと移動させられた。
鬼風はこめかみを掻きながら、相棒の考えを察した。
「あいつのことだから、私の方が知ってるって判断したんだろう」
「君たちが盗む歌舞伎人形シリーズの“コウセキ”とは一体なんなんだい?」
「!あいつそこまで話したのか!」
成歩堂の眼差しを見て、鬼風はハァとため息を吐いた。
「……話すしかねえみたいだな」
うんっと咳払いをひとつしてから、鬼の泥棒が話し始めた。
「
「それは黒谷さんから聞いた。でも」
成歩堂の戸惑う様子を見て、鬼風は仕方ないという風に肩をすくめる。
「胡散臭いだろうけど、それが事実だ。
まぁ、能力はすごいんだけど、その持続時間は短い。
期限つきの催眠だ。
普通のコウセキなら、大した力を持たない」
「普通のコウセキ?
その言い方だとコウセキの中にも特別なモノがあるってことかい?」
鬼風は成歩堂の言葉に頷く。
「そっ。私たちや組織が求めてるのは“コウセキ”のなかでも
特別な石。
純度のたかい“
「シンピセキ?」
「コウセキの強化バージョンってやつさ」
「コウセキと何がちがうんだい?」
鬼の泥棒は口の端を片方だけつり上げる。
「“永遠の催眠”だ」
「――――!」
「永遠ではない、な。正確に言うと、暗示をかけた人間が死ぬまで。
要は、一生終わらない夢の中に閉じ込められるってわけさ」
その言葉を聞き、成歩堂の顔が強張る。
「コウセキの催眠をかける条件は、結構簡単でコウセキに強い衝撃を与えると赤く光る。
その光が出ている間に暗示の言葉をかけるだけ。
催眠をかけられる対象は光を見た人物なら“何人”でも可能だ」
「“一人”だけではないのかい?」
「試したことはないけど、光を見ることさえできれば制限なく催眠はかけられる」
「だけど、どうして君たちはその“コウセキ”……“シンピセキ”を探してるんだい?」
「もし、その催眠が悪人に利用されたら……どうなる?」
成歩堂の疑問に鬼風は問いかけで返した。
「ボクから見れば、君たちも悪人ではないという証拠はないけど」
「ははっ、それもそうだな。
しかし、私の場合は肝心の彼がシンピセキで催眠にかかってくれないからなー」
「え?」
「暗示をかけたい男が催眠にかからないんじゃ無意味だろ」
「ちょっと待った。催眠にかからない人間がいるのかい?」
「あぁ、いるよ。シンピセキは、人が死ぬまで催眠をかけられる。
だけど、その催眠が効かない人間もいる。
そして、赤い魔石が見せる夢から人々を目覚めさせることができるのもそいつらだけだ」
「……君のその催眠をかけたい相手って」
「唯一、その紅い光に惑わされない真実の目を持つ者たち……」
成歩堂の言葉を遮りながら鬼風はニヒルな笑みを頬に浮かべる。
「アンタもよく知ってるだろ?“或真敷”の一族は」
「!」
「彼らは太陽の目……嘘やマヤカシに惑わされない真実を見通す優秀な目を持ってる。
そして、彼らだけがコウセキやシンピセキの催眠にかからず、その催眠を解くことができる。
まぁ、本当に奴らに解くことができるのかどうかは怪しいもんだがね」
≪催眠をかけたい相手≫
「……待った」
「なにかな。成歩堂弁護士」
成歩堂の追求をどこか面白がるように鬼風が返事をする。
「君は今、催眠をかけたい“男”がいると言ったね」
「あぁ、ナルホドくんもよく知ってるだろ」
自分の考えを言おうとして、成歩堂は少し迷う。
「“ムジュンしてる”と言いたいんだろ?」
彼の言葉を予想して、鬼風が先に言った。
「……あぁ、そうだ。
君は、コウセキの催眠にかからないのは“或真敷の人間”だと言った。
だけど、ボクの知ってるアルマジキの人間はボクの娘であるみぬきしかいないはずだ」
アハハと鬼の泥棒が笑いだす。
「おいおい。弁護士が真実を歪めるのはいかがかと思うがね?」
「君こそハッキリ言ったらどうなんだ」
お互いの瞳に相手の姿を映し、両者は沈黙を貫く。
視線が交差する中、鬼風がくくっと笑いながら先に沈黙を破った。
「居るだろ?死んだと言って、存在を消されてしまった女が」
「あぁ。……或真敷 優海さんだろ。
だけど、或真敷の一族はこの世にその二人の“女性”だけだ。
“彼”、というのはおかしい。
その条件に当てはまる或間敷 天斎はすでに死んだのだから」
「どうしても私の口から言わせたいみたいだな。ナルホドくん?」
鬼の目が怪しく光る。
「いいぜ。アンタの要望通り、そのムジュンの答えを言ってやるよ。
タマゴちゃんの“種違い”の“お兄さん”のことをな」
「!そこまで知ってるのか」
「さぁ、とぼけるのはなしだぜ。ナルホドくん。ここまで言って誰のことを言ってるのかわからないとは言わせねえぞ?」
「やっぱり君は、或真敷に関係ある人間なのかい」
「ちょっとした腐れ縁みたいなものさ」
【或真敷との関係】
「君は一体、或真敷一座とどういう関係なんだ」
「大した繋がりじゃねえよ。或真敷 天斎が元組織の人間ってだけさ」
「“組織”って君たちが居たという?」
「そっ。まだ青二才だった天斎は組織と取引をして組織から抜けた人間なんだ」
「その取引とは?」
「“コウセキ”の譲渡だ」
「コウセキを持っていたのは天斎だった?」
「コウセキはもともと或真敷の一族が管理していたモノだ。
組織を抜ける条件として、天斎は一部のコウセキを渡した」
「一部?」
「あのジイさん、隠してやがったのさ。
コウセキの一部とシンピセキが、歌舞伎人形シリーズの瞳に埋め込まれているということを」
「なんで歌舞伎人形にそんな石を埋め込んだんだ?」
「さぁな。どうしてそんなことをしたのかは或真敷一族にしかわからん。
こっちとしちゃ迷惑な話だよ。私らの人形にそんなモノ勝手に埋め込んで。
あのジイさんも、さっさとその危ない石を壊してくれりゃよかったものを」
「私ら?」
「そっ。あの歌舞伎人形をつくったのは私らのご先祖、夕間一族の先祖なんだよ」
【夕間と金山】
「じゃあ、金山半左エ門が君たちの……」
ご先祖さまなんだね?と続けようとして、成歩堂の全身に悪寒が走る。
先ほど体感した鬼風からの殺気を再び浴びて、成歩堂は無意識に口を閉じた。
「……その名前を出すなよ。ナルホドくん?自分でもなにをしでかすかわからねえからな」
成歩堂が恐る恐る頷く。
心臓が凍り付くような冷え冷えとした殺気が弱まり、成歩堂は無意識に止めていた呼吸を再開した。
「誤解がねえように言っとくが、アレは私の先祖じゃねえ」
「でも、あの人形は君のご先祖が作ったモノなんだろ?」
「あぁ、そうだ」
「でも、それじゃ、金山は歌舞伎人形シリーズを作っていないということになるんじゃ……」
「簡単な話だよ。ナルホドくん。
金山は人形を≪夕間の先祖≫、名前を≪紅葉≫というんだが、そいつに人形を作らせて、自分がそれを作ったと言いふらしていた。
要するに夕間 紅葉は金山のゴースト人形師だったってことさ」
「ん?ちょっと待って。なんだかややこしくなったきたな……。
或真敷の一族はコウセキを持っていて、歌舞伎人形を作ったのは君のご先祖さまである紅葉って人で……。
なんでコウセキはその人形に埋め込むことになったんだ?」
「これはあくまで憶測だが、たぶん或真敷一族はコウセキを壊すのを渋った。
だから、壊さない方法として人形にコウセキを“隠す”という手段を取ったんだと思う」
「危険な石なのに?」
「利用価値のある魅力的な宝でもあったんだろうよ。壊すのは惜しかったんだろ」
【夕間と或真敷】
「よくわからないのが、君たち夕間と或真敷の関わりなんだけど、どうやって彼らは関わったんだい?」
或真敷と私ら夕間を繋げてるのはあの“腕輪”だけ」
「腕輪?」
「二つに別れてしまった可哀想な或真敷の家宝さ」
「君とあの“腕輪”がどうして或真敷をつなげるんだ」
「簡単な話だよ。あれを作ったのは夕間一族って話だよ」
「え」
「材料はあっちが持ってきて、それをこっちで作って贈ったのがあの腕輪だ」
「……あの腕輪を君の先祖がつくった?」
「まぁ、だいぶ昔の話だが、或真敷の一族は芸能の神様を祀っていた流浪の一族だったんだ。
それで、彼らが舞や踊りを披露するときの道具を作成したり、彼らの身を護衛していたのが、私ら……夕間一族。
主と従者みたいな関係だったのさ。それも、江戸時代までの話だけどね
コウセキは或真敷の秘宝だったんだよ。
というか、或真敷にしか使えない秘宝だった」
「どういうことだい?」
「加工する前が問題なんだよ。あの金属の加工技術は失われてしまっていて、今はあの金属を使うことはできない。或真敷以外にあの金属は扱えない。なぜならあれは幻覚を見せるからだ」
「ちょっと待った。それはおかしい。もし、君の言う通り、コウセキが幻覚を見せるなら君たち夕間はなぜコウセキを加工できたんだい?コウセキは或真敷の人間しか扱えなかったんだろう?」
鬼風はふっと視線を外してから、成歩堂に向き合う。
「これは私の仮説だが、私たち夕間はその幻覚の症状が弱かったんじゃないかと考えてる。
私ら夕間は弱視……目が悪い奴らが多かった。
伝説じゃ、目一つ鬼という鬼の鍛冶師の子孫だったからその子どもも視力が弱いと言われてる。
まぁ、鬼の子孫ってのはただのでたらめだけど……たぶんだが、視力が弱いのは金工師の職業病だったんだろうよ
鉄を溶かすとき片目を瞑って炉の火を見ていたりしたから、火の粉を浴びて失明したり、
そのせいで、コウセキの影響を受けにくかったんじゃないかと言われてる」
「でも、それだけで幻覚が防げるのかい?」
「わからん。これはあくまで私の仮説だ。夕間一族が果たして弱視のおかげでコウセキを加工できたかということまではわからん」
「それなら、君たちが腕輪を作ったというのが本当かはわからないじゃないか」
「作った。それは確かだ」
「根拠は?」
「……私はあれと全く同じ腕輪をつくることができる」
「!」
「そう驚くことかね」
「でも、コウセキの加工技術は失われたって言ったじゃないか」
「あぁ、一族全体では忘れさられたよ。私を除いてね」
「失われた技術、君だけがコウセキを加工できる……君、いったいいくつだい?」
「150歳」
「……本当に?」
「うっそ」
そう答えた鬼の泥棒に、成歩堂は冷めた眼差しを向ける。
鬼の泥棒は肩をすくめてみせる。
「年は嘘だが、技術は覚えてる。私の中に流れる“血”がな」
よくわからない言動をする鬼風に成歩堂は怪訝な表情を浮かべる。
「それは、どういう?」
「まぁ……これは、覚えてたらまた違うときに話してやる」
無理矢理、話を中断させられ、成歩堂は訊きたいことがあったが、鬼風の様子を見てそれは諦めた。
「技術は覚えている。ただ、材料がねえからもうつくれねえ」
「君たちが盗んだコウセキを使えば作れるんじゃないのかい?」
「無茶言うなよ。量が圧倒的に足りない。材料が足らないからつくるのは無理だ。
あぁ、ちなみに言い忘れたが、みだらに幻覚を見せるのは加工する前のコウセキで、腕輪になってるあれはその作用がなくなってる。
だから、あれを破壊する必要はない」
「そうだったんだね」
鬼風がふうーと大きく息を吐く。
「まぁ、そのよくわからん“縁”のせいで、あのジイさんから厄介な依頼を押し付けられたんだけどな」
「爺さんというのは、もしかして」
「或真敷 天斎だよ」
「やっぱり、そうなんだね」
「或真敷 天斎の遺言なんだよ。
コウセキとシンピセキを手に入れて処分しろって」
「じゃあ、なぜザックさんはそのことを教えられなかったんんだ」
「ザックやタマゴちゃん……みぬき嬢が受け継いだのが、天斎の正の遺産。
私たちが受け継いだのが或真敷の負の遺産だ。
決してこの世に残してはいけない。排除すべき財産。
できるだけその石のことを知られたくなかったんだよ。あのジイさんは」
「君が素直に天斎の依頼を受けたのは意外だな」
「……利害は一致してたんだよ。私たちの目的と天斎の依頼内容は」
≪組織について≫
「君たちの居た組織って、いったい何なんだ?」
「……身寄りのない子どもを育てるボランティア団体。
《ノルン》
北欧神話の運命の三女神の名から取った名前が組織の名前。
その名のとおり、組織は運命を自分たちの手でつくりだせると思ってるのさ。
身よりのない子どもと言ってるが、本当はその異端な能力で親から疎まれ嫌われた子どもを自分たちの都合の良い駒にするための組織だ」
「なんのためにそんなことを?」
「その目的は、シンピセキと呼ばれる石を手にすることただひとつ。そのために手っ取り早く駒を作るには子どもの頃から洗脳しておくのがいいんだよ」
成歩堂の顔が歪む。
「私たちから見たらろくでもない組織なのかもしれない。
けど、組織で育てられた奴らにとっては唯一の居場所だったんだよ。
親からも見放され、利用されるためとは言え自分を必要としてくれた組織は、なくてはならない家だったんだ」
成歩堂は胸につっかえるなにかを一時的に飲み込み、話をつづけた。
「組織がそれを狙ってるのはわかった。けどシンピセキを手に入れて彼らはなにをするつもりなんだい?」
「さぁ?少なくとも、碌なことには使わないというのが私の意見だ。
根拠も証拠もない、ただの直感だけどな」
【泥棒をする理由】
「君が欲しい物はわかった。でも、なぜ人形を手に入れるために盗むんだい」
「それが一番手っ取り早いからさ。それともう一つ」
「もう一つ?」
「私たちは組織に“シンピセキ”を狙っているということを伝えるために、あえて盗むのさ。
組織が私たちを排除するために動くように」
成歩堂の眉間に深い皺が刻まれる。
「待てよ。それじゃまるで……」
「私たちは囮だ」
「囮ってことは、君たちの他にも仲間がいるってことか!?」
「まっ、仲間ってほど良いモノでもないけどな」
「囮ってことはもしかして、君たちはまた別の組織に所属しているってことかい?」
あくまで成歩堂の推測だったが、鬼風の表情が図星と語っていた。
「そこは大した問題じゃねえよ。私たちの最終的な目標はただひとつ、歌舞伎人形シリーズの中からシンピセキを見つけてそれを回収して破壊をする。
コウセキが取られるのはまだいい。シンピセキだけは絶対に奪われちゃいけない。それをなんとしてでも破壊しなきゃならねえ」
≪“コウセキ”の秘密≫
「けど、人に催眠をかける仕組みは一体どういうものなんだ?」
「さぁ?私にもよくわからん。地学に詳しいわけではないからな。
というか、誰もこの石の幻覚や催眠の原因はわかってねえよ」
「けど、人に催眠をかけられる石なんて……」
「“死んだはずの人間が女達の体に入り込む仕組みはどうなっているか”」
成歩堂は鬼風の言葉に口を閉ざす。
「理屈なんて、このさい大した問題じゃない。
それはアンタだってわかるだろ。
霊媒の仕組みはわからないが、その事実は確か。
この石もそうだ。
この石は人に催眠をかける。
そして、その中で一番大事なことは、その石が存在しちゃいけないということだけだ」
「……そうだね」
「なら、あんまり深く考えすぎるなよ。……ハゲるぞ」
グサッと成歩堂の心に刺さる。
「ぼ僕はそんな年じゃないよ」
【“コウセキ”と“ジンニク病”】
「君たちの目的はわかった。
けど、それがどうして資料を盗むことになったんだい?」
「あー……やっぱり聞くか。それ」
鬼風はちらりと成歩堂を一瞥する。
「……知らない方が幸せって事もある」
「ボクを気遣ってるというよりは、君の方が言いたくなさそうだよ」
「……人によっては心底胸底悪い事だからな」
「君がそこまで躊躇するなら、なおさら知りたい」
「……忠告はした。あとはどう受け止めるかはアンタ次第だ。
無色石と呼ばれる石があるんだが、
それに“ある物質”が付着して長年放置されたことで出来た特殊な赤い石が“紅石”だ」
「ある物質?」
成歩堂の脳裏に杏里の言葉が蘇る。
“「“コウセキ”も“ジンニク病”も奴は研究していた。その二つは密接につながっているからな」”
“「さて、成歩堂センセイ。コウセキは一体どうやって作られるでしょうか?」”
「ジンニク病……」
「!」
鬼風が目を見開き、成歩堂を見据えた。
「黒谷さんが言っていたよ。“コウセキ”と“ジンニク病”にはつながりがあるって」
唇を舐め、口を開くが、鬼風は言葉を発しない。
もったいぶっているというより、鬼の泥棒は躊躇しているようだった。
「鬼風?」
成歩堂が気遣うように声をかけると、鬼風は軽く息を吐き出し話を再開する。
「……コウセキは、ジンニク病患者の“血液”と同じ成分で出来ている」
そして、意を決したように鬼風が告げる。
「あまり信じたくはないが、コウセキは無色石にジンニク病患者の血液が付着してできたものなんだよ」
成歩堂はその事実に固まる。
「藪下はコウセキを作り出すために、ジンニク病について研究しその病に侵された人間を作り出そうとしていたんだよ」
「ちなみにその血液でコウセキをつくるにはどれくらいの量が必要なんだい?」
「一個をつくるだけで最低でも4L。……約人間一人分の血液量が必要だ」
成歩堂の顔から血の気が引く。
「だから……訊かない方が良いっつったのに」
「いや、でも、君たちが資料を優先した理由がよくわかった」
成歩堂は眩暈がしかけた頭を振り、ふとあることを思い出す。
「あれ?でも、藪下さんはジンニク病患者の橋間 京子さんという人を診ていたって……」
「―――は?」
鬼風が成歩堂に詰め寄る。
「患者が居た!?アレは絶滅したはずだろなんで!?」
胸倉を掴まれ、頭突きをされる勢いで眉間に顔を近づけられた。
「ぐえっ、いっ言った、のは、窃盗課、の、刑事さんだっ」
「その女、会ったか?」
「いや、名前だけで」
ばっと鬼風は胸倉を放した。
「どおりであのジジィの部屋から“血の匂い”がすると思った」
「えっ」
成歩堂は鬼風の言葉に状況が飲み込めずにいた。
「血の匂い?」
「その女、死んでるぞ」
「なっ!?」
「言ったはずだ。藪下はコウセキを手に入れたいがためにジンニク病の研究をしていた。
そして、研究材料があちらからやってきてくれた。
研究者がやることなんてただひとつだろ」
「いくらなんでも発想が飛び過ぎだ。彼女が死亡した証拠はなにもないのに」
「じゃあ逆に聞くが、彼女が生きてる証拠はあるのか?」
「それは……」
成歩堂は何も言えなかった。
「あのジジィは組織と同じでコウセキに異常に執着していた。
たぶん、あいつは研究中に橋間って女を死なせたんだよ。
死因はおそらく出血多量。
研究のために殺さないように気を付けていたんだろうけど、欲をかいて血を抜きすぎたんだろ。
それか……」
「それか?」
「いや、大したことじゃない。気にするな」
【泥棒稼業について】
「その“シンピセキ”というのを回収したら、君は泥棒をやめるんだね」
「まぁ、そうなるなぁ。いつになるかはわからないが」
「だったら約束してくれ。君が目的を果たしたら、自首すると」
成歩堂は鬼風がやーなこったと、そっぽを向くと思っていた。
だが、鬼の泥棒は何も表情を浮かべなかった。
「――――っ」
一瞬、目を伏せたが、すぐに元に戻す。
片頬を皮肉気に吊り上げるが、
その笑みは吹けば飛んでしまいそうな弱々しいものだった。
「……自首ね。いやだな。この仕事けっこう気に入ってるんだよね」
鬼の青年はなにかを堪えるように言葉を発していたが、それはすぐに消えてしまった。
「警察との追いかけっこは嫌いじゃないから」
泥棒の笑みは水に映った月のようにどこか空虚なものに思えた。
「つーことで、悪いけどそれは約束できない」
「どうしても?」
「ごめん。それだけは約束してやれないんだ」
成歩堂は問い詰めようとしたが、なんとなくそれはできなかった。
今までと違う。
鬼の泥棒は秋の夕暮れのような、暑さが消え、冬を迎える寂しさに似た笑みを浮かべていた。
だから、成歩堂はそれ以上追求するのを躊躇ってしまった。
「……そんなことより、ナルホドくん。調査の進み具合はどうなんだ?」