賽は投げられた
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3月22日 午後4時17分
街中
「もうこんな時間か」
杏里さんからある程度の情報を聞くことはできたが、とうとうあの泥棒には会えなかった。
はぁと成歩堂はため息をひとつこぼす。
けれど、なぜ杏里さんは鬼風に聞けと言ったのだろうか。
あのまま答えてくれてもよさそうなのに。
「成歩堂さん」
名を呼ばれ、成歩堂は振り返る。
「あっ……」
成歩堂に声をかけてきたのは。
「鬼風……!」
黒いスーツに切れ長の目を持つ美青年が目を細めて微笑んでいた。
成歩堂が近づこうとすると、相手は路地裏にむかってしまった。
「まっ待て!」
成歩堂は鬼の泥棒の後を追いかける。
彼が路地裏に足を踏み入れた瞬間
「ぐっ!!!」
後頭部に衝撃が走る。
気絶する手前で、成歩堂は意識をなんとか踏ん張る。
だが、痛みにより頭が働かない。
地面に倒れた成歩堂の胸部に誰かが馬乗りになる。
「あれ?おかしいな。……気絶させたつもりだったのに」
まぁ、いっか。と頭上から声が聞こえる。
暗い視界の向こう側で、鬼風の顔が見える。
鬼風の唇の端は頬を裂くように大きく吊りあがっていた。
成歩堂は声を出そうとしたが、柔らかい手で口をふさがれる。
んー!!と暴れるが、びくともしない。
相手の手をはがそうと成歩堂は両手で相手の手首を掴むが、少しもズレる気配がなかった。
「暴れないで。ズレちゃうから」
彼の頬の辺りでキラリと光る刃が見え、成歩堂の顔から血の気が引く。
ヒタッと頬に触れる金属の冷たさが、彼の喉奥をギュッと締めつける。
「うーん。平凡そうな顔は案外難しいんだけどな。もうちょっと特徴的な顔がよかったけど、まぁいいか」
ピッと裂ける痛みが耳の下あたりで感じ、全身から冷たい汗が噴き出る。
「あなたの顔、もらうね」
ナイフの先端が成歩堂の顔の皮膚を刺し、成歩堂の耳の下からツゥーっと赤い線が流れる。
んー!!
動けない状態に観念した成歩堂は襲いくる苦痛を覚悟して、両目を固く瞑る。
キンッ!
鋭い金属音がしたかと思うと、成歩堂の顔から痛みが引いた。
「ぐっ!」
馬乗りになっていた相手が手を押さえて、背後を睨む。
成歩堂は体を微かに起こし、視線を追う。
「えっ」
視線を向けた先には、留置所で会った“佐藤 楓”がいた。
「やはりお前か。“狐火”!」
成歩堂たちを見ている楓が、彼に馬乗りになっている鬼風にそう言った。
「ちっ。邪魔をするな」
成歩堂に馬乗りになっていた鬼風は成歩堂からどき、隠し持っていたナイフで楓に切りかかって行く。
横から繰り出されたナイフを楓が鎖で受け止め、相手のみぞおちを蹴り上げる。
成歩堂が目で追えた動きはそこまで。
それからはひたすらに拳と蹴りの打ち合いだった。
常人ではありえない速さの戦闘に、成歩堂はただ眺めることしかできない。
「なにが目的だ!私に変装して!化かすしか能がない狐が!」
「三流の変装術で人を騙してる鬼子に言われたくないわ」
楓は鬼子と言われた瞬間、尖った視線と手刀を相手の額にぶつける。
だが、鬼風は二の腕で楓の手刀を防御し、楓の腕に巻きつく。
ガラ空きになった楓の顔面に、鬼風が拳を打ちこむ。
楓は顔をずらし、すんででかわす。
隙のできた鬼風の脇から拳を繰り出し、顔面を殴る。
鬼風の崩れた体勢を両腕でホールドし相手を拘束しようとするが、鬼風は地面を蹴り上げ楓の両肩に両腕をつき、倒立をしたかと思うとそのまま転がる。
瞬時に背後に移動され楓が振り向くが、鬼風は遠くへ逃げていた。
「くそっ!待て!!」
だが、楓は成歩堂に視線をやり、鬼風を追うのを止めた。
「楓さん……」
先ほどの動きを見て、成歩堂は言い方を改める。
「君は……鬼風かい。“本物”の」
楓は渋面ではぁと重いため息をこぼした。
「……そうだ」
茶髪の女性の口から低い男の声が出る。
「一体、どういうことなんだ?
なんでボクは襲われた?
それに、さっきの奴はなんなんだ。
そもそもどうして君は黒谷さんに変装していたんだ。
……すべて説明してくれ」
「まず最初に、言っておく。
今回、杏里の弁護をアンタに依頼をしたのは“私”じゃない。
あの“狐火”だ」
「さっきの奴が?」
口元を歪めて笑う男の顔を思い出し、ぞっと冷たい空気が成歩堂の背をなぞる。
「“狐火”は組織一の変装の達人。奴が変装できない人物はいない」
「組織というのはなんなんだ。
それに彼はなんでそんなことを?
君の仲間ではないんだろう?
なんのために君に変装して黒谷さんの弁護を依頼なんかしたんだ」
「そんなもんこっちが聞きてぇよ。わざわざ、杏里に化けてた私の弁護を依頼するなんてさ。
なんにせよ、この事件に私とあんたを関わらせたのはあの“狐火”だ」
「黒谷さんに変装していた理由は?」
「もちろん、お仕事のためよ。近い内に≪吉田の桜姫≫っていう人形のために杏里の姿を借りていた……」
「“資料”を盗むため、ではなくて?」
バッと目を大きく開き、睨むように成歩堂に視線を向ける。
「君の相棒である黒谷さんから聞いたよ」
「なっ!?」
あのバカっ!と小さく鬼風が零したのを成歩堂の耳が拾う。
「確かに、さっき、君は嘘は言っていなかったけど、本当のことも言っていなかったね」
鬼風は口元を悔しそうに歪め、黙っている。
「資料をなぜ盗む必要があったんだ?それに、どうして僕はその狐火という人に襲われるんだ」
ぎゅっと両の拳を握り固めると、鬼風は真剣な表情で成歩堂に向き直る。
「ハッキリ言う。杏里の弁護の依頼を取り下げる」
「答えになっていないんだけど」
「アンタはそれを選ぶしかない」
「黒谷さんはどうなる」
「別に正規な方法でなければ、どうとでもなる」
そう言って、背を向けようとする鬼風に成歩堂はハッキリと告げてやる。
「ボクは弁護を続けるよ」
成歩堂の全身の血液が凍りつく。
底のない暗闇色の瞳が、成歩堂を飲み込んでいる。
相手は手ぶらで、しかも成歩堂に触れてすらいない。
それなのに、先ほど狐火にナイフを当てられたような錯覚がまとわりつく。
成歩堂のみぞおちがズキンスキン強く鼓動する。
それは明確な“殺意”だった。
「アンタが引かないというなら、こうするしかないようだな」
「どういうことだい?」
「こういうことだ」
成歩堂の額に固いモノが当てられる。
鬼の泥棒から無愛想で無機質な銃を向けられていた。
足元近くの地面がぐらつき、めまいがした。
呼吸をする喉がギュッと縮みあがる。
「もう一度言う。弁護をやめるって言え」
「……嫌だ」
成歩堂は静かに銃口をまっすぐ睨みつける。
「アンタバカか。今、殺されそうになってんだぞ」
「だからだ。不当な暴力で弁護をやめたらそれこそ相手の思うツボだろ」
「もう一度言う。手を引くんだ。手を引け!」
甲高い声を上げ、荒れた声量で怒鳴る。
「アンタがいなくなったら、部下たちはどうする!あの法律事務所も!」
だが、泥棒の声は、脅しというよりは懇願のように聞こえた。
「たまごちゃん……みぬきちゃんを一人ぼっちにする気か!」
その言葉に成歩堂の意志がグラつきかけたが。
変わらず前を、泥棒の顔をまっすぐ睨む。
「ボクは黒谷さんを弁護する」
成歩堂は銃口を額につきつけられたまま、キッパリと言い切った。
鬼風は舌打ちをして
「……そうか。残念だ」
引き金を引く。
パァン
破裂する強い音が響いた。