炎のゴブレット
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その背中についていくと、ガーゴイルの像が目に入った。
「ゴキブリ・ゴソゴソ豆板。」
ダンブルドア先生がそう唱えると、ガーゴイルがと音を立てて横に動き、螺旋階段が現れた。
「あ、あれ、お好きなんですか?」
「わしは、悪くないと思うておる。ただし目は瞑ったほうが良いかもしれんのう。」
そう言って、ひょいと先に階段を上がっていった。ナツキは苦笑しながら、その後に続いた。
「さあ、お入り。」
促されるままにナツキが校長室へ足を踏み入れると、そこはいつも通り、奇妙な動く装飾と不思議な器具に満ちていた。
「お座り。」
ダンブルドア先生が優しく促すと、ナツキは重厚な椅子に腰を下ろした。クッションはふかふかで、ナツキを喜んで迎えているようだ。
「さっきまでハリーがここにおった。夢を見たと言ってな。」
「夢?」
ナツキが首を傾げると、ダンブルドア先生は静かに頷いた。
「また傷が傷んだとも。」
ナツキは顔を顰めた。
「ハリーの傷は、一体なんなんですか?」
その問いに、ダンブルドア先生はほんの少しだけ間を置き、心の奥を覗き込むような深い瞳でナツキを見つめた。
「呪いの印のようなものじゃ。アレが痛むのはヴォルデモートが近くにいる時、もしくは、極めて強烈な憎しみに駆られている時じゃと、わしは思うておる。」
ナツキは言葉を失い、胸の奥に重いものが落ちたような気がした。
「このことは、たった今ハリーに伝えたばかりじゃ。ハリーはナツキに話したがるじゃろう。この後存分に聞くがよい。」
ナツキは頷いた。ハリーのことは大変気にかかるが、確かに本題は、ピブルのことだった。
「さて、ピブルのことじゃが・・・知っての通り、彼女の母君はゴドリクソンに使えておった。そのまた母君もそうじゃった。代々、忠実なしもべじゃったろう。じゃが、アルバがホグワーツで教鞭を取るようになってからは、ピブルの母君はホグワーツで手伝いをするようになったのじゃ。」
「え?」
お祖母さんは、その頃、お祖父さんと住んでいたのではないのだろうか。その疑問をダンブルドア先生は言わずとも察したらしい。
「エリックとアルバが結婚したのは、アルバがホグワーツで働いてしばらくしてからじゃ。まあいずれにせよエリックは屋敷しもべ妖精を必要だと思わなかった。彼のことじゃ。おそらく、自分が楽をするよりもアルバの支えになってほしいと思ったのじゃろう。」
ナツキの胸に、写真でしか見たことのない、優しい眼差しの祖父の顔が浮かんだ。
「して、ピブルの母君は献身的にアルバを支え続けたわけじゃ。しかし、エリックもアルバも、死んでしもうた。」
ダンブルドア先生は続けた。
「するとまあ、必然的に生まれたばかりのピブルとその母君の主人はエリザベス・ゴドリクソンとなるはずじゃった。しかし、エリザベスは、全てを放棄したのじゃ。」
「え?」
ナツキは思わず声を上げた。信じられない、という思いが胸に広がった。
「ナツキ、お主はきっと、自信に流れるグリフィンドールの血を誇りを持っているじゃろう。しかしエリザベスはそうではなかったのじゃ。」
ダンブルドア先生はゆっくりと瞬きをひとつした。
「・・・・かくしてピブルとその母君は、ホグワーツに残された。母君が亡くなった後も、ピブルはずっとここにおる。彼女はどうやら、自分の主人をわしだと思いこんでおるようじゃが・・・それは正確ではない。」
先生は指の先で軽く空中をなぞるようにしながら、続けた。
「彼女はホグワーツで一時的に預かっておるだけで、今もなおゴドリクソン家の忠実なしもべじゃ。」
「じゃあ、えっと、」
「初めから、君が彼女の主人なのじゃよ。さあ、ナツキ、名を呼んでご覧。それがわかるじゃろう。」
「・・・ピブル・・・?」
バチンと大きな音がなった。なんと、校長室にピブルが姿現ししたのだ。
「お呼びですか?」
キーキーとした高い声でピブルはダンブルドア先生の方を向いた。しかし、すぐに、真後ろにいたナツキに気がついて、大きな目をさらに大きく見開いた。
「ナツキ・ゴドリクソン様!もしや!もしやお呼びになったのはナツキ様でしたか?」
歓喜に満ち溢れたようにピョンピョン飛びながら興奮してピブルはそう言った。
ナツキはちょっと困ったように微笑みながら言った。
「なんか、最初からピブルはゴドリクソンの妖精なんだって。だから、とっくに、私がご主人様だったみたい。」
「なんと!なんと!!わあああっ!!ピブルは、とっても、とーーーっても嬉しいのです!!」
ピブルはくるくるとその場で回りながら、まるで子犬のように喜びを全身で表していた。
「ナツキがホグワーツにいるときはここの厨房で働くがよい。休暇中どうするかは、二人で話し合うとよいじゃろう。ああ、気が向いたら、アバーフォースにも一声かけるのが礼儀かもしれんの。」
「はい、先生。・・・じゃあ、ピブル、ひとまず夏休みまでは今まで通りホグワーツで働いてもらっていい?」
「はいなのです!」
ピブルは大きな耳をぶんぶんと揺らした。
「よいよい。では、ピブル、仕事中に邪魔をしてすまなんだ。もう戻って構わんよ。」
「はい、ダンブルドア様!ナツキ様!ピブル、すぐに行ってまいります!」
元気いっぱいの返事を残して、ピブルはパチンと音を鳴らし、姿を消した。
その瞬間、校長室はしんと静まり返った。不思議な器具たちの音だけが、空間の静けさを際立たせている。
「しもべ妖精って、ホグワーツでも姿現しができるんですね。」」
ナツキがぽつりと口にすると、ダンブルドア先生はゆったりと頷いた。
「そうなのじゃ。不思議なことに、しもべ妖精はしばしば、我々の魔法の制限から外れておる。」
その言い方には、どこか皮肉めいた響きがあった。ナツキには、それが差別の構造への静かな批判に聞こえた。
しばしの沈黙のあと、ナツキは意を決して言葉を継いだ。
「あの、先生、お伺いしたいことがあって、」
ダンブルドア先生はまた全てを見通すようにナツキを見つめた。
「先生、クラウチさんは・・・生きていると思われますか?」
ナツキの問いに、ダンブルドア先生は長いまばたきを一度だけした。瞳の奥が、ほんのわずかに陰ったように見えた。
「残念ながら、その望みは薄いと、わしは思うておる。君も同じ意見ではないのかね?」
ナツキは静かに頷いた。
「ナツキは今回のことをどう推測しておるんじゃ?」
ダンブルドア先生の声には、何かを確かめようとするような響きがあった。ナツキは息を整え、心の中で言葉を選ぶ。
「ハリーが見て、感じたものが100%正しいと仮定しすると・・・ヴォルデモートは対抗試合の開催を知り、対抗試合を使ってハリーを殺すことを企てた。そこで服従の呪いにかけられたクラウチさんか、潜入している死喰い人がハリーの名前をゴブレットに入れた。」
ダンブルドア先生は微動だにせず、ただ黙って耳を傾けていた。
「でもクラウチさんは、その服従の呪いを、打ち破った。そしてダンブルドア先生の元へ助けを求めようとした。でもそれがやつらに知られた。だから、クラウチさんは潜入していた死喰い人に殺されたんです。私の予想では、ペティグリューが森かどこかに潜んでいます。」
ダンブルドア先生の目がきらりと光った。
「なるほどなるほど。実はの、多くが、わしが予想していることと同じじゃ。」
ナツキは不謹慎なことは承知していたが、思わず口元を緩ませた。
「しかし、いくつか異なるところがあるのう。ヴォルデモートは、ピーターを完全には信じておらんと、わしは見ておる。あの男ひとりに、これほど繊細かつ重要な計画を託すとは思えん。」
「・・・ああ、なるほど・・・・。」
悔しいことに、ナツキはヴォルデモートに共感してしまった。確かに、あの男を信頼しろというのは難しい話だ。
「じゃあ、他の、もっと信頼できる優秀な死喰い人が潜んでいるかも知れないんですね。」
ダンブルドア先生は頷いた。しかし、ナツキにまた疑問が浮かぶ。
「でも、じゃあ、それって難しいことです。ペティグリューのように姿を隠す手段があるか、それか、私たちが知っている人の中にあちら側の人がいるということですよね。」
ナツキは一度言葉を詰まらせて、続けた。
「アズカバンに捕まっていない死喰い人の中に、ヴォルデモートがそれほど信頼を置く奴はいるのですか?」
「・・・・それが、おそらく今回の核心であろう。ナツキ、答えはわしにもわからぬ。」
ダンブルドア先生はゆっくりと立ち上がり、校長室の中を思案するように歩き回った。
「アズカバンにいないのであれば、なぜこれまで大人しくしておった?信を置く部下であれば、奴の所在を突き止めることなど造作もないはずじゃ。ならばなぜ、今になって・・・・」
先生の声は低く、空気を震わせた。まるで自らの疑念と対話しているようだった。
「クィレル先生のように、新たな信奉者を得た可能性は?」
「ないとは言い切れぬ。」
ナツキは聴き忘れていることがあると気づいた。
「先生、あの、一応お尋ねします。カルカロフは死喰い人だったと聞きました。あの人は、ヴォルデモートに忠実ですか?」
「いいや。ナツキの予想通り、ヴォルデモートが奴を信頼するのは、ピーターを信頼するより難しいかもしれん。」
ダンブルドア先生は、深くため息をついたあと、静かに足を止めた。
「嫌なことじゃ。全てが怪しく見えてしまう。」
ナツキ は拳を握り、けれど声は落ち着いていた。
「でも、ある程度は絞り込めます。先生もそうお考えでしょう?」
校長先生はゆっくりと振り向き、静かな目で促した。
「君はどう考える?」
「えっと、クラウチさんを害せる状況にあった人で、17歳以上の人です。つまり、ハリーが先生を呼びに行った後、その付近にいることのできた大人です。・・・・あ、それかダンブルドア先生が駆けつけた後に、探すふりをして・・・・?いや、先生達にバレずにそんなことができるとは思えないか・・・。」
ダンブルドア先生の目がまたキラリと輝いた。
「いや、不可能とも言い難い。クラウチがわかりにくいところに隠れていたとするならば、先に見つければよいだけじゃ。」
「ダンブルドア先生よりも?・・・でもそれって、すごく難しいことです。」
ナツキの言葉に、ダンブルドア先生は目を細め、ふっと小さく笑った。
「そう思っていただけるのは光栄じゃが、わしとて万能ではない。それよりもナツキ、何か見落としておることはないかね?」
「・・・・見落として・・・・何か、大事な・・・・違和感があったかもしれません。なんだったかな・・・・」
ダンブルドア先生はナツキの言葉を静かにまった。
「あ、」
「思い出したかね?」
「ハリーが、スネイプ先生の研究室にクラウチさんが侵入したって言っていたのは聴きましたか?」
「クラウチが?」
「そうだ、その後だ・・・・。スネイプ先生が、鰓昆布と、毒ツルヘビの皮を盗んだのはハリーだって言ってたんです。あの、鰓昆布はハリーが盗んだのではないんですが、まあ、その心当たりがありまして・・・」
ナツキはダンブルドア先生の顔色を伺いながら続けた。
「毒ツルヘビの皮についても、心当たりがないでもないんですが、それは私たちが二年生の時なんです。だから、変だなって思って・・・ダンブルドア先生?」
ナツキの言葉に、ダンブルドア先生の目がわずかに細まり、鋭さが一瞬宿った。今まで見たことのない、緊迫した表情だった。
「・・・ナツキはクラウチがスネイプ先生の部屋から失敬した材料を用いて作成したポリジュース薬を、何者かが服用しているのではと疑っておるんじゃな。」
「今、思いついただけですけど、でも、やっぱり現実的じゃないです。そんなに効果が長く続かないし、それに、対象の体の一部が必要です。」
ナツキはふと不安を覚えて、問いかけた。
「あの、先生、ポリジュース薬で化けた人を見破る呪文はあるのですか?」
「いや、ないのじゃ。変身術であればなんとかなるのじゃが・・・。」
「じゃあ、どうやって見つければ・・・」
「君の気づきがひとつの鍵になるやもしれん。あとは、わしに任せなさい。」
ナツキは、ダンブルドア先生の言葉に力づけられながら、ひとつ深く息を吸い込んだ。
「懐かしいのう。昔を思い出した。」
「え?」
ダンブルドア先生は再び目をキラキラさせて、ナツキを見て微笑んだ。
「わしは非常に賢いのじゃが、それでも行き詰まることはあってな。そんな時、アルバ・ゴドリクソンとよく問答をしたのじゃ。」
先生の瞳には、懐かしさと敬意が宿っていた。
「幸いなことに、わしらはどちらも、点と点を線で結ぶのが得意での。片方が気づいた小さな違和感を、もう片方が見逃さず拾い上げる。そうして、真実に近づいていったのじゃ。」
そう語るダンブルドア先生の瞳が、ふっとナツキに向けられる。
「ナツキ、嬉しいことに、君も同じような能力に恵まれておるようじゃ。こうして時々、わしと問答をしてくれんか?」
思いがけない提案に、ナツキは目をパチクリさせた。
「あの、でも、私、お祖母さんとは違います。知らないこともたくさんあるし、話に聞くお祖母さんのような偉大な魔女ではありません。」
「左様じゃ。」
ダンブルドア先生は即座に頷いたが、その表情は穏やかで、どこか楽しげでもあった。
「君は、まだずっと幼く、未熟じゃ。しかし、だからこそわしらが長い年月のうちに見落とし、忘れてしまった視点を、君は持っておる。」
ナツキは驚きとともに、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「君に見せたいものがあるのじゃ。こちらへ。」
そう言って、彼はナツキを校長室の隅にある高い棚の前へと導いた。そこには、銀色の縁取りが施された石製の浅い器が置かれており、内側には白く光る霧のような液体が静かに渦を巻いていた。
ナツキは不思議そうにその器を見つめた。
「これは・・・・」
器の縁に目をやると、ルーン文字が細かく刻まれていることに気づいた。思わず、指先でなぞりながら読み上げた。
「記憶は過去の窓なり・・・真実を映すは、迷いなき水のごとし・・・」
「その通りじゃ。」
静かにダンブルドア先生が答えた。
「それはペンシーブという道具じゃ。記憶を保管し、見返すための器なのじゃよ。」
ナツキは目を見張った。
「記憶を見返す?」
「そうじゃ。ある記憶を、君にも見てもらいたい。言葉では伝えきれぬこともあるからの。」
ナツキはダンブルドア先生に促されるまま、銀色の霧が渦巻くペンシーブを覗き込んだ。まるで水面に引き込まれるような感覚がしたかと思うと、次の瞬間、ナツキの足は、しっかりと石造りの床を踏みしめていた。
そこは古びた大広間だった。高い天井には大きなシャンデリアが輝き、壁にはグリフィンドールの獅子をあしらった豪華なタペストリー。
ナツキが知っているものとは様子は違っていたが、間違いなくそれはゴドリクソン邸だった。
長く磨かれた黒檀のテーブルの両脇には、威厳ある老魔法使いたちや優雅な魔女たちが座り、格式高い食事が静かに進んでいる。だが、その中でひときわ目を引くのは、末席にちょこんと座っている小さな少女だった。
「・・・え・・・」
今のナツキよりもずっと幼いはずなのに、どこか見覚えのある横顔。少女の顔立ちはナツキと瓜二つだった。ただし髪はナツキのような黒ではなく、陽光のように輝くブロンド。瞳は灰色ではなく、深いエメラルドのように緑色だった。
ナツキは自然と引き寄せられるように、その少女に歩み寄った。
「あの、」
声をかけてみたが、少女は全く気づいた様子もなく、銀のフォークをくるくると回して夢中で遊んでいた。
「5歳の頃のアルバ・ゴドリクソンじゃよ。」
「わっ!」
思わず声を上げると、すぐ横にいつの間にかダンブルドア先生が立っていた。
「アルバがわしに預けた、重要な記憶じゃ。彼女がまだ子どもだった頃の、ある出来事を君に見せたいのじゃ。」
そのとき、少女はフォークを持って立ち上がった。どうやら座っていることに飽きたようだ。
「ついていくのじゃ。わしらはこの中では、アルバから離れてはいけない。」
「はい。」
ナツキは混乱しながらも、小さなアルバのあとを追って、広間を出た。そのことに、大人達は気づいていない。
小さなアルバは、フォークを持ったまま廊下を走った。そして廊下の先で忙しなく動く影を見て、目を輝かせた。
「プルウェ!」
影はよく見ると屋敷しもべ妖精だった。きっと、彼女は、ピブルの母親だ。しかし忙しいようで、プルウェはアルバに気づかない。
「プルウェ~!」
アルバはさらに駆け寄ろうとした、その時だった。
「っ、あぶないっ!!」
ナツキが思わず悲鳴を上げたときには、アルバの足はカーペットに引っかかり、バランスを崩して前に倒れていた。手にしていたフォークが宙に舞う。
小さな頭にフォークが落ちかかる、その刹那、
ふわりと、銀のフォークが、まるで重力を忘れたかのように宙で止まり、そのままふわふわと空中に浮かび上がった。
廊下の向こうから、もう一つの気配が近づいていたのだ。
そこでは、深紅のローブをまとったかなり年老いた老女が、杖先をフォークに向けていた。
「お気をつけなさい、お嬢さん。わたくしが予見していなかったら、怪我をしていたかもしれませんのよ。」
老女はそう言って、フォークをアルバに手渡した。
「おばあちゃん、ありがとう。」
アルバは無邪気に笑い、何の疑いもなくフォークを受け取った。
その瞬間、老女の動きが止まった。目が見開かれ、白目がわずかに露わになり、息が止まったかのような静けさが、空間を包み込んだ。
「・・・来る、来る・・・!」
喉の奥から絞り出すような声で、老女は呟いた。
ナツキの背に、凍りつくような戦慄が走る。
『偉大なる力は、血よりも深き絆に宿る。愛は闇を超え、光を超え、死すらも越える。』
ナツキは息を呑んだ。
『闇が世界を覆い尽くしても、印されし者の心を絆の光が照らし続け、苦難の中で忠誠を示し、その者の道を支え続ける。その傍らで光は愛の芽を育んでいくだろう。そして運命が集うとき、獅子王の末裔が紡ぎし愛の言葉が争いを癒すだろう。』
沈黙、そして、老女の体が大きく揺れた。彼女は小さく瞬きをして、まるで今起きたことをすべて忘れてしまったかのように微笑んだ。
「まあ、こんな年になると、しばしば立ちくらみがございますのよ。」
「う、う、うわあああんっ!!プルウェーーーー!!」
老女の恐ろしさに耐えきれなくなったのか、小さなアルバ・ゴドリクソンはその場にしゃがみ込み、しゃくり上げながら泣き出した。
遠くの方から、甲高いしもべ妖精の声が響く。
「アルバ様!?どうなさいましたか、アルバ様ぁ!」
その声がだんだん遠ざかっていき、ナツキの視界が、白い霧に包まれていく・・・・
次の瞬間、ナツキは校長室の中に立っていた。ペンシーブの淡い光が静かに揺れ、辺りはいつもの不思議な器具たちの音に包まれていた。
隣には、深い表情で黙って立つダンブルドア先生がいた。
「先生、今のは、なんですか・・・・?もしかして、あれは、予言ですか?」
「彼女は、カッサンドラ・トレローニー。予言者として名を馳せた者じゃが、あの頃には、すでにかなり年を重ねており、本人もあれほどの予言をするとは思っていなかったじゃろう。偶然あのささやかな晩餐会に招かれていたようじゃ。これは、アルバが生涯忘れなかった夜の出来事じゃ。」
ダンブルドア先生は静かにナツキを見つめた。
「ヴォルデモートが動き始めた頃、この記憶を、アルバはわしに見せた。彼女はこの予言の意味をこう解釈していた・・・愛の呪文こそが、闇を打ち払う鍵となる。そしてそれは、獅子王、つまりグリフィンドールの末裔である自らの手でなされるのだと。」
ナツキは言葉を選びながら、そっと口を開いた。
「でも、お祖母さんは、もう・・・」
ダンブルドア先生はゆっくりと目を伏せ、遠くを見るように静かに言った。
「わしは、予言というものが絶対だとは思っておらん。未来は定められたものではなく、いくつもの可能性に満ちておる。じゃが、アルバは違った・・・。彼女は本気で信じていたのじゃ。愛の呪文さえ完成すれば、トムの心も救えると。」
ナツキは愛の呪文が「アマランディア」を指すのだとすぐにわかった。
「けれどアルバもわしも愛の呪文を完成させることはできなかった。だからこそ打ちひしがれ、そして、死を選んでしもうた。」
ナツキは胸が苦しくなり、視線を落とした。
「じゃあ予言は、実現しなかったんですね。」
その言葉に、重く沈んだ沈黙が流れた。だが――
「いや、そうとも限らん。」
ふいに、ダンブルドア先生の声が明るさを取り戻した。瞳にはどこか希望の光が宿っていた。
「獅子王の末裔は、アルバ一人ではない。」
ナツキは一瞬、息を止めた。咄嗟に、先生の言わんとしていることを悟ってしまった。
「まさか、・・・私のことを・・・?」
「おそらくは、そうじゃ。」
ダンブルドア先生はゆっくりと頷いた。
「『印されし者』・・・つまりは闇の帝王によって額に傷を負った少年、ハリー・ポッター。今、彼はその運命のただ中におる。そして、彼を支え、寄り添い、信じている者・・・獅子王の血を引く者は、他でもない、君だけなのじゃよ、ナツキ。」
ナツキの胸の奥に、重い何かがのしかかった。
「ゴキブリ・ゴソゴソ豆板。」
ダンブルドア先生がそう唱えると、ガーゴイルがと音を立てて横に動き、螺旋階段が現れた。
「あ、あれ、お好きなんですか?」
「わしは、悪くないと思うておる。ただし目は瞑ったほうが良いかもしれんのう。」
そう言って、ひょいと先に階段を上がっていった。ナツキは苦笑しながら、その後に続いた。
「さあ、お入り。」
促されるままにナツキが校長室へ足を踏み入れると、そこはいつも通り、奇妙な動く装飾と不思議な器具に満ちていた。
「お座り。」
ダンブルドア先生が優しく促すと、ナツキは重厚な椅子に腰を下ろした。クッションはふかふかで、ナツキを喜んで迎えているようだ。
「さっきまでハリーがここにおった。夢を見たと言ってな。」
「夢?」
ナツキが首を傾げると、ダンブルドア先生は静かに頷いた。
「また傷が傷んだとも。」
ナツキは顔を顰めた。
「ハリーの傷は、一体なんなんですか?」
その問いに、ダンブルドア先生はほんの少しだけ間を置き、心の奥を覗き込むような深い瞳でナツキを見つめた。
「呪いの印のようなものじゃ。アレが痛むのはヴォルデモートが近くにいる時、もしくは、極めて強烈な憎しみに駆られている時じゃと、わしは思うておる。」
ナツキは言葉を失い、胸の奥に重いものが落ちたような気がした。
「このことは、たった今ハリーに伝えたばかりじゃ。ハリーはナツキに話したがるじゃろう。この後存分に聞くがよい。」
ナツキは頷いた。ハリーのことは大変気にかかるが、確かに本題は、ピブルのことだった。
「さて、ピブルのことじゃが・・・知っての通り、彼女の母君はゴドリクソンに使えておった。そのまた母君もそうじゃった。代々、忠実なしもべじゃったろう。じゃが、アルバがホグワーツで教鞭を取るようになってからは、ピブルの母君はホグワーツで手伝いをするようになったのじゃ。」
「え?」
お祖母さんは、その頃、お祖父さんと住んでいたのではないのだろうか。その疑問をダンブルドア先生は言わずとも察したらしい。
「エリックとアルバが結婚したのは、アルバがホグワーツで働いてしばらくしてからじゃ。まあいずれにせよエリックは屋敷しもべ妖精を必要だと思わなかった。彼のことじゃ。おそらく、自分が楽をするよりもアルバの支えになってほしいと思ったのじゃろう。」
ナツキの胸に、写真でしか見たことのない、優しい眼差しの祖父の顔が浮かんだ。
「して、ピブルの母君は献身的にアルバを支え続けたわけじゃ。しかし、エリックもアルバも、死んでしもうた。」
ダンブルドア先生は続けた。
「するとまあ、必然的に生まれたばかりのピブルとその母君の主人はエリザベス・ゴドリクソンとなるはずじゃった。しかし、エリザベスは、全てを放棄したのじゃ。」
「え?」
ナツキは思わず声を上げた。信じられない、という思いが胸に広がった。
「ナツキ、お主はきっと、自信に流れるグリフィンドールの血を誇りを持っているじゃろう。しかしエリザベスはそうではなかったのじゃ。」
ダンブルドア先生はゆっくりと瞬きをひとつした。
「・・・・かくしてピブルとその母君は、ホグワーツに残された。母君が亡くなった後も、ピブルはずっとここにおる。彼女はどうやら、自分の主人をわしだと思いこんでおるようじゃが・・・それは正確ではない。」
先生は指の先で軽く空中をなぞるようにしながら、続けた。
「彼女はホグワーツで一時的に預かっておるだけで、今もなおゴドリクソン家の忠実なしもべじゃ。」
「じゃあ、えっと、」
「初めから、君が彼女の主人なのじゃよ。さあ、ナツキ、名を呼んでご覧。それがわかるじゃろう。」
「・・・ピブル・・・?」
バチンと大きな音がなった。なんと、校長室にピブルが姿現ししたのだ。
「お呼びですか?」
キーキーとした高い声でピブルはダンブルドア先生の方を向いた。しかし、すぐに、真後ろにいたナツキに気がついて、大きな目をさらに大きく見開いた。
「ナツキ・ゴドリクソン様!もしや!もしやお呼びになったのはナツキ様でしたか?」
歓喜に満ち溢れたようにピョンピョン飛びながら興奮してピブルはそう言った。
ナツキはちょっと困ったように微笑みながら言った。
「なんか、最初からピブルはゴドリクソンの妖精なんだって。だから、とっくに、私がご主人様だったみたい。」
「なんと!なんと!!わあああっ!!ピブルは、とっても、とーーーっても嬉しいのです!!」
ピブルはくるくるとその場で回りながら、まるで子犬のように喜びを全身で表していた。
「ナツキがホグワーツにいるときはここの厨房で働くがよい。休暇中どうするかは、二人で話し合うとよいじゃろう。ああ、気が向いたら、アバーフォースにも一声かけるのが礼儀かもしれんの。」
「はい、先生。・・・じゃあ、ピブル、ひとまず夏休みまでは今まで通りホグワーツで働いてもらっていい?」
「はいなのです!」
ピブルは大きな耳をぶんぶんと揺らした。
「よいよい。では、ピブル、仕事中に邪魔をしてすまなんだ。もう戻って構わんよ。」
「はい、ダンブルドア様!ナツキ様!ピブル、すぐに行ってまいります!」
元気いっぱいの返事を残して、ピブルはパチンと音を鳴らし、姿を消した。
その瞬間、校長室はしんと静まり返った。不思議な器具たちの音だけが、空間の静けさを際立たせている。
「しもべ妖精って、ホグワーツでも姿現しができるんですね。」」
ナツキがぽつりと口にすると、ダンブルドア先生はゆったりと頷いた。
「そうなのじゃ。不思議なことに、しもべ妖精はしばしば、我々の魔法の制限から外れておる。」
その言い方には、どこか皮肉めいた響きがあった。ナツキには、それが差別の構造への静かな批判に聞こえた。
しばしの沈黙のあと、ナツキは意を決して言葉を継いだ。
「あの、先生、お伺いしたいことがあって、」
ダンブルドア先生はまた全てを見通すようにナツキを見つめた。
「先生、クラウチさんは・・・生きていると思われますか?」
ナツキの問いに、ダンブルドア先生は長いまばたきを一度だけした。瞳の奥が、ほんのわずかに陰ったように見えた。
「残念ながら、その望みは薄いと、わしは思うておる。君も同じ意見ではないのかね?」
ナツキは静かに頷いた。
「ナツキは今回のことをどう推測しておるんじゃ?」
ダンブルドア先生の声には、何かを確かめようとするような響きがあった。ナツキは息を整え、心の中で言葉を選ぶ。
「ハリーが見て、感じたものが100%正しいと仮定しすると・・・ヴォルデモートは対抗試合の開催を知り、対抗試合を使ってハリーを殺すことを企てた。そこで服従の呪いにかけられたクラウチさんか、潜入している死喰い人がハリーの名前をゴブレットに入れた。」
ダンブルドア先生は微動だにせず、ただ黙って耳を傾けていた。
「でもクラウチさんは、その服従の呪いを、打ち破った。そしてダンブルドア先生の元へ助けを求めようとした。でもそれがやつらに知られた。だから、クラウチさんは潜入していた死喰い人に殺されたんです。私の予想では、ペティグリューが森かどこかに潜んでいます。」
ダンブルドア先生の目がきらりと光った。
「なるほどなるほど。実はの、多くが、わしが予想していることと同じじゃ。」
ナツキは不謹慎なことは承知していたが、思わず口元を緩ませた。
「しかし、いくつか異なるところがあるのう。ヴォルデモートは、ピーターを完全には信じておらんと、わしは見ておる。あの男ひとりに、これほど繊細かつ重要な計画を託すとは思えん。」
「・・・ああ、なるほど・・・・。」
悔しいことに、ナツキはヴォルデモートに共感してしまった。確かに、あの男を信頼しろというのは難しい話だ。
「じゃあ、他の、もっと信頼できる優秀な死喰い人が潜んでいるかも知れないんですね。」
ダンブルドア先生は頷いた。しかし、ナツキにまた疑問が浮かぶ。
「でも、じゃあ、それって難しいことです。ペティグリューのように姿を隠す手段があるか、それか、私たちが知っている人の中にあちら側の人がいるということですよね。」
ナツキは一度言葉を詰まらせて、続けた。
「アズカバンに捕まっていない死喰い人の中に、ヴォルデモートがそれほど信頼を置く奴はいるのですか?」
「・・・・それが、おそらく今回の核心であろう。ナツキ、答えはわしにもわからぬ。」
ダンブルドア先生はゆっくりと立ち上がり、校長室の中を思案するように歩き回った。
「アズカバンにいないのであれば、なぜこれまで大人しくしておった?信を置く部下であれば、奴の所在を突き止めることなど造作もないはずじゃ。ならばなぜ、今になって・・・・」
先生の声は低く、空気を震わせた。まるで自らの疑念と対話しているようだった。
「クィレル先生のように、新たな信奉者を得た可能性は?」
「ないとは言い切れぬ。」
ナツキは聴き忘れていることがあると気づいた。
「先生、あの、一応お尋ねします。カルカロフは死喰い人だったと聞きました。あの人は、ヴォルデモートに忠実ですか?」
「いいや。ナツキの予想通り、ヴォルデモートが奴を信頼するのは、ピーターを信頼するより難しいかもしれん。」
ダンブルドア先生は、深くため息をついたあと、静かに足を止めた。
「嫌なことじゃ。全てが怪しく見えてしまう。」
ナツキ は拳を握り、けれど声は落ち着いていた。
「でも、ある程度は絞り込めます。先生もそうお考えでしょう?」
校長先生はゆっくりと振り向き、静かな目で促した。
「君はどう考える?」
「えっと、クラウチさんを害せる状況にあった人で、17歳以上の人です。つまり、ハリーが先生を呼びに行った後、その付近にいることのできた大人です。・・・・あ、それかダンブルドア先生が駆けつけた後に、探すふりをして・・・・?いや、先生達にバレずにそんなことができるとは思えないか・・・。」
ダンブルドア先生の目がまたキラリと輝いた。
「いや、不可能とも言い難い。クラウチがわかりにくいところに隠れていたとするならば、先に見つければよいだけじゃ。」
「ダンブルドア先生よりも?・・・でもそれって、すごく難しいことです。」
ナツキの言葉に、ダンブルドア先生は目を細め、ふっと小さく笑った。
「そう思っていただけるのは光栄じゃが、わしとて万能ではない。それよりもナツキ、何か見落としておることはないかね?」
「・・・・見落として・・・・何か、大事な・・・・違和感があったかもしれません。なんだったかな・・・・」
ダンブルドア先生はナツキの言葉を静かにまった。
「あ、」
「思い出したかね?」
「ハリーが、スネイプ先生の研究室にクラウチさんが侵入したって言っていたのは聴きましたか?」
「クラウチが?」
「そうだ、その後だ・・・・。スネイプ先生が、鰓昆布と、毒ツルヘビの皮を盗んだのはハリーだって言ってたんです。あの、鰓昆布はハリーが盗んだのではないんですが、まあ、その心当たりがありまして・・・」
ナツキはダンブルドア先生の顔色を伺いながら続けた。
「毒ツルヘビの皮についても、心当たりがないでもないんですが、それは私たちが二年生の時なんです。だから、変だなって思って・・・ダンブルドア先生?」
ナツキの言葉に、ダンブルドア先生の目がわずかに細まり、鋭さが一瞬宿った。今まで見たことのない、緊迫した表情だった。
「・・・ナツキはクラウチがスネイプ先生の部屋から失敬した材料を用いて作成したポリジュース薬を、何者かが服用しているのではと疑っておるんじゃな。」
「今、思いついただけですけど、でも、やっぱり現実的じゃないです。そんなに効果が長く続かないし、それに、対象の体の一部が必要です。」
ナツキはふと不安を覚えて、問いかけた。
「あの、先生、ポリジュース薬で化けた人を見破る呪文はあるのですか?」
「いや、ないのじゃ。変身術であればなんとかなるのじゃが・・・。」
「じゃあ、どうやって見つければ・・・」
「君の気づきがひとつの鍵になるやもしれん。あとは、わしに任せなさい。」
ナツキは、ダンブルドア先生の言葉に力づけられながら、ひとつ深く息を吸い込んだ。
「懐かしいのう。昔を思い出した。」
「え?」
ダンブルドア先生は再び目をキラキラさせて、ナツキを見て微笑んだ。
「わしは非常に賢いのじゃが、それでも行き詰まることはあってな。そんな時、アルバ・ゴドリクソンとよく問答をしたのじゃ。」
先生の瞳には、懐かしさと敬意が宿っていた。
「幸いなことに、わしらはどちらも、点と点を線で結ぶのが得意での。片方が気づいた小さな違和感を、もう片方が見逃さず拾い上げる。そうして、真実に近づいていったのじゃ。」
そう語るダンブルドア先生の瞳が、ふっとナツキに向けられる。
「ナツキ、嬉しいことに、君も同じような能力に恵まれておるようじゃ。こうして時々、わしと問答をしてくれんか?」
思いがけない提案に、ナツキは目をパチクリさせた。
「あの、でも、私、お祖母さんとは違います。知らないこともたくさんあるし、話に聞くお祖母さんのような偉大な魔女ではありません。」
「左様じゃ。」
ダンブルドア先生は即座に頷いたが、その表情は穏やかで、どこか楽しげでもあった。
「君は、まだずっと幼く、未熟じゃ。しかし、だからこそわしらが長い年月のうちに見落とし、忘れてしまった視点を、君は持っておる。」
ナツキは驚きとともに、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「君に見せたいものがあるのじゃ。こちらへ。」
そう言って、彼はナツキを校長室の隅にある高い棚の前へと導いた。そこには、銀色の縁取りが施された石製の浅い器が置かれており、内側には白く光る霧のような液体が静かに渦を巻いていた。
ナツキは不思議そうにその器を見つめた。
「これは・・・・」
器の縁に目をやると、ルーン文字が細かく刻まれていることに気づいた。思わず、指先でなぞりながら読み上げた。
「記憶は過去の窓なり・・・真実を映すは、迷いなき水のごとし・・・」
「その通りじゃ。」
静かにダンブルドア先生が答えた。
「それはペンシーブという道具じゃ。記憶を保管し、見返すための器なのじゃよ。」
ナツキは目を見張った。
「記憶を見返す?」
「そうじゃ。ある記憶を、君にも見てもらいたい。言葉では伝えきれぬこともあるからの。」
ナツキはダンブルドア先生に促されるまま、銀色の霧が渦巻くペンシーブを覗き込んだ。まるで水面に引き込まれるような感覚がしたかと思うと、次の瞬間、ナツキの足は、しっかりと石造りの床を踏みしめていた。
そこは古びた大広間だった。高い天井には大きなシャンデリアが輝き、壁にはグリフィンドールの獅子をあしらった豪華なタペストリー。
ナツキが知っているものとは様子は違っていたが、間違いなくそれはゴドリクソン邸だった。
長く磨かれた黒檀のテーブルの両脇には、威厳ある老魔法使いたちや優雅な魔女たちが座り、格式高い食事が静かに進んでいる。だが、その中でひときわ目を引くのは、末席にちょこんと座っている小さな少女だった。
「・・・え・・・」
今のナツキよりもずっと幼いはずなのに、どこか見覚えのある横顔。少女の顔立ちはナツキと瓜二つだった。ただし髪はナツキのような黒ではなく、陽光のように輝くブロンド。瞳は灰色ではなく、深いエメラルドのように緑色だった。
ナツキは自然と引き寄せられるように、その少女に歩み寄った。
「あの、」
声をかけてみたが、少女は全く気づいた様子もなく、銀のフォークをくるくると回して夢中で遊んでいた。
「5歳の頃のアルバ・ゴドリクソンじゃよ。」
「わっ!」
思わず声を上げると、すぐ横にいつの間にかダンブルドア先生が立っていた。
「アルバがわしに預けた、重要な記憶じゃ。彼女がまだ子どもだった頃の、ある出来事を君に見せたいのじゃ。」
そのとき、少女はフォークを持って立ち上がった。どうやら座っていることに飽きたようだ。
「ついていくのじゃ。わしらはこの中では、アルバから離れてはいけない。」
「はい。」
ナツキは混乱しながらも、小さなアルバのあとを追って、広間を出た。そのことに、大人達は気づいていない。
小さなアルバは、フォークを持ったまま廊下を走った。そして廊下の先で忙しなく動く影を見て、目を輝かせた。
「プルウェ!」
影はよく見ると屋敷しもべ妖精だった。きっと、彼女は、ピブルの母親だ。しかし忙しいようで、プルウェはアルバに気づかない。
「プルウェ~!」
アルバはさらに駆け寄ろうとした、その時だった。
「っ、あぶないっ!!」
ナツキが思わず悲鳴を上げたときには、アルバの足はカーペットに引っかかり、バランスを崩して前に倒れていた。手にしていたフォークが宙に舞う。
小さな頭にフォークが落ちかかる、その刹那、
ふわりと、銀のフォークが、まるで重力を忘れたかのように宙で止まり、そのままふわふわと空中に浮かび上がった。
廊下の向こうから、もう一つの気配が近づいていたのだ。
そこでは、深紅のローブをまとったかなり年老いた老女が、杖先をフォークに向けていた。
「お気をつけなさい、お嬢さん。わたくしが予見していなかったら、怪我をしていたかもしれませんのよ。」
老女はそう言って、フォークをアルバに手渡した。
「おばあちゃん、ありがとう。」
アルバは無邪気に笑い、何の疑いもなくフォークを受け取った。
その瞬間、老女の動きが止まった。目が見開かれ、白目がわずかに露わになり、息が止まったかのような静けさが、空間を包み込んだ。
「・・・来る、来る・・・!」
喉の奥から絞り出すような声で、老女は呟いた。
ナツキの背に、凍りつくような戦慄が走る。
『偉大なる力は、血よりも深き絆に宿る。愛は闇を超え、光を超え、死すらも越える。』
ナツキは息を呑んだ。
『闇が世界を覆い尽くしても、印されし者の心を絆の光が照らし続け、苦難の中で忠誠を示し、その者の道を支え続ける。その傍らで光は愛の芽を育んでいくだろう。そして運命が集うとき、獅子王の末裔が紡ぎし愛の言葉が争いを癒すだろう。』
沈黙、そして、老女の体が大きく揺れた。彼女は小さく瞬きをして、まるで今起きたことをすべて忘れてしまったかのように微笑んだ。
「まあ、こんな年になると、しばしば立ちくらみがございますのよ。」
「う、う、うわあああんっ!!プルウェーーーー!!」
老女の恐ろしさに耐えきれなくなったのか、小さなアルバ・ゴドリクソンはその場にしゃがみ込み、しゃくり上げながら泣き出した。
遠くの方から、甲高いしもべ妖精の声が響く。
「アルバ様!?どうなさいましたか、アルバ様ぁ!」
その声がだんだん遠ざかっていき、ナツキの視界が、白い霧に包まれていく・・・・
次の瞬間、ナツキは校長室の中に立っていた。ペンシーブの淡い光が静かに揺れ、辺りはいつもの不思議な器具たちの音に包まれていた。
隣には、深い表情で黙って立つダンブルドア先生がいた。
「先生、今のは、なんですか・・・・?もしかして、あれは、予言ですか?」
「彼女は、カッサンドラ・トレローニー。予言者として名を馳せた者じゃが、あの頃には、すでにかなり年を重ねており、本人もあれほどの予言をするとは思っていなかったじゃろう。偶然あのささやかな晩餐会に招かれていたようじゃ。これは、アルバが生涯忘れなかった夜の出来事じゃ。」
ダンブルドア先生は静かにナツキを見つめた。
「ヴォルデモートが動き始めた頃、この記憶を、アルバはわしに見せた。彼女はこの予言の意味をこう解釈していた・・・愛の呪文こそが、闇を打ち払う鍵となる。そしてそれは、獅子王、つまりグリフィンドールの末裔である自らの手でなされるのだと。」
ナツキは言葉を選びながら、そっと口を開いた。
「でも、お祖母さんは、もう・・・」
ダンブルドア先生はゆっくりと目を伏せ、遠くを見るように静かに言った。
「わしは、予言というものが絶対だとは思っておらん。未来は定められたものではなく、いくつもの可能性に満ちておる。じゃが、アルバは違った・・・。彼女は本気で信じていたのじゃ。愛の呪文さえ完成すれば、トムの心も救えると。」
ナツキは愛の呪文が「アマランディア」を指すのだとすぐにわかった。
「けれどアルバもわしも愛の呪文を完成させることはできなかった。だからこそ打ちひしがれ、そして、死を選んでしもうた。」
ナツキは胸が苦しくなり、視線を落とした。
「じゃあ予言は、実現しなかったんですね。」
その言葉に、重く沈んだ沈黙が流れた。だが――
「いや、そうとも限らん。」
ふいに、ダンブルドア先生の声が明るさを取り戻した。瞳にはどこか希望の光が宿っていた。
「獅子王の末裔は、アルバ一人ではない。」
ナツキは一瞬、息を止めた。咄嗟に、先生の言わんとしていることを悟ってしまった。
「まさか、・・・私のことを・・・?」
「おそらくは、そうじゃ。」
ダンブルドア先生はゆっくりと頷いた。
「『印されし者』・・・つまりは闇の帝王によって額に傷を負った少年、ハリー・ポッター。今、彼はその運命のただ中におる。そして、彼を支え、寄り添い、信じている者・・・獅子王の血を引く者は、他でもない、君だけなのじゃよ、ナツキ。」
ナツキの胸の奥に、重い何かがのしかかった。