アズカバンの囚人
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ナツキたちはショックで頭の中が真っ白になった。ハグリッドの荒々しく吠えるような声が聞こえて、余計に悲しくなった。
ナツキとハリーは引き返そうとした。しかし、ナツキはハーマイオニーに、ハリーはロンに腕を掴まれた。
「僕たちが会いにいったことが知れたら、ハグリッドの立場はもっと困ったことになる。・・・・城に行こう。」
四人は「マント」にちゃんと隠れるようにゆっくりと歩いて、また城へと向かった。
「スキャバーズ、じっとしてろ。」
ロンが手で胸をぐっと押さえながら、低い声で言った。ロンが突然立ち止まり、スキャバーズを無理やりポケットにもっと深く押し込もうとした。
「いったいどうしたんだ? このバカネズミめ。じっとしてろ・・・アイタッ!こいつ噛みやがった!」
「ロン、静かにして!ファッジがいまにもここにやってくるわ・・・」
「こいつめ、なんでじっと、してないんだ・・・!」
スキャバーズは握りしめているロンの手からなんとか逃れようとしている。ナツキが、可哀想だが何か呪文をかけたほうがいいだろうかと思案している時、ハーマイオニーが呻いた。
「クルックシャンクス!だめ。クルックシャンクス、あっちに行きなさい!行きなさいったら!」
「スキャバーズ・・・・ダメだ!」
遅かった。スキャバーズはしっかり握ったロンの指の間をすり抜け、地面にボトッと落ちて逃げだした。クルックシャンクスがひとっ跳びしてそのあとを追いかけた。ロンは「透明マント」をかなぐり捨て、猛スピードで暗闇の中に消え去った。
残されたナツキ達は顔を見合わせ、それから大急ぎで追いかけた。マントを脱ぎ捨て、後ろに旗のようになびかせながら、ロンを追って疾走した。前方でロンがクルックシャンクスを怒鳴りつけるのが聞こえた。
「スキャバーズから離れろ・・・スキャバーズこっちへおいで・・・・・・・・捕まえた!とっとと消えろ、いやな猫め・・・」
ナツキとハリーとハーマイオニーはロンのぎりぎり手前で急ブレーキをかけた。ロンは地面にべったり腹這いになっていたが、スキャバーズはポケットに戻り、その震えるポケットの膨らみを、ロンが両手でしっかり押さえていた。
城に早く戻ろうと、再びマントをかぶる前に、息を整える間もなく、何か巨大な動物が忍びやかに走る足音を聞いた。暗闇の中を、何かがこちらに向かって跳躍してくる。巨大な、薄灰色の目をした、真っ黒な犬だ。
「・・・・スナッフルズ?」
犬は大きくジャンプし、前足でハリーの胸を打った。ハリーはのけ反って倒れた。
「ハリー!?ス、スナッフルズ!だめ!いい子でしょ!」
ナツキは小声でそう言った。しかし犬が言うことを聞く様子はない。犬は急旋回して唸っていた。犬が跳びかかってきた時、ロンはハリーを横に押しやった。犬の両顎がハリーではなく、ロンの伸ばした腕をバクリと噛んだ。犬はまるでボロ人形でもくわえるように、やすやすとロンを引きずっていった。
「ロ・・・・っ!?」
訳もわからないでいると突然ナツキの頬に鈍い痛みが走った。鞭で打たれたような(打たれたことはないが)感じがした。
ここは暴れ柳の下だったんだ。
暴れ柳の枝から逃げようとしているうちに、ロンは犬に木下の大きく開いた隙間に連れ去られていってしまった。
どうしてスナッフルズがあんな悪いことを!?
そう疑問にも思ったが、そんなことより、この場を切り抜けなければ。ハリーとハーマイオニーと悪戦苦闘しているとクルックシャンクスがさーっと前に出た。殴りかかる大枝の間を、まるで蛇のようにすり抜け、両前脚を木の節の一つに乗せた。突如、暴れ柳は動きを止めた。
「この子、どうしてわかったのかしら・・・・?」
「あの犬の友達なんだ。僕、二匹が連れ立っているところを見たことがある。」
「わ、私あのワンちゃんに餌をあげたことがあるよ・・・。その時は、ただの賢いワンちゃんで・・・・」
「・・・・とにかく行こう。二人とも杖を出して・・・・」
ナツキはグリフィンドールの杖を硬く握りしめた。
根元の隙間から滑り降りていく。
「ロンはどこ?」
底に着くとハーマイオニーが恐々囁いた。
「とりあえず、クルックシャンクスについて行こう。」
トンネルがそこから上り坂になった。やがて道が捩じ曲がり、クルックシャンクスの姿が消えた。
前進すると部屋があった。雑然とした埃っぽい部屋だ。壁紙ははがれかけ、床は染みだらけで、家具という家具は、まるで誰かが打ち壊したかのように破損していた。窓には全部板が打ちつけてある。ハーマイオニーは板の打ちつけられた窓をずいーっと見回していて囁いた。
「ここ、『叫びの屋敷』の中だわ。」
その時、頭上で軋む音がした。何かが上の階で動いたのだ。三人は天井を見上げた。
「・・・明かりを消そう・・・・」
ナツキがそういうと、ハリーもハーマイオニーも「ノックス」と唱えた。暗闇の中、目の前にはドアがあった。いよいよだと目配せをした。
杖をしっかり先頭に立て、ハリーがドアをバッと蹴り開けた。
埃っぽいカーテンの掛かった壮大な四本柱の天蓋ベッドに、クルックシャンクスが寝そべり、二人の姿を見ると大きくゴロゴロ言った。その脇の床には、妙な角度に曲がった足を投げ出して、ロンが座っていた。
「「「ロン!」」」
三人はロンに駆け寄った。ハリーはすぐさま、「犬はどこ?」と尋ねた。
「犬じゃない。」
ロンが呻いた。痛みで歯を食いしばっている。
「ハリー、ナツキ、罠だ・・・・」
「「え?」」
ロンの言葉にナツキとハリーは動きを止めた。
「あいつが犬なんだ・・・あいつは『動物もどき』なんだ・・・・」
ロンはナツキとハリーの肩越しに背後を見つめた。くるりと振り向いた。影の中に立つ男が、二人の入ってきたドアをぴしゃりと閉めた。
汚れきった髪がもじゃもじゃと肘まで垂れている。暗い落ち窪んだ眼窩の奥で目がギラギラしているのが見えなければ、まるで死体が立っているといってもいい。血の気のない皮膚が顔の骨にぴったりと貼りつき、まるで髑髏のようだ。ニヤリと笑うと黄色い歯がむき出しになった。シリウス・ブラックだ。
「エクスペリアームス!」
ロンの杖を三人に向け、ブラックがしわがれた声で唱えた。ハリーとハーマイオニーの杖が二人の手から飛び出し、高々と宙を飛んでブラックの手に収まった。
しかしナツキは咄嗟に盾の呪文を唱えていた。ナツキの杖だけは、彼女の手の中にあった。
「ナツキ・・・・君は、素晴らしい魔女だな・・・・」
ブラックが一歩近づいた。その目はナツキとハリーをしっかり見据えている。
「君たちなら友を助けにくると思った。」
「・・・ナツキ!何か呪文を!!」
ハリーの声が聞こえた。それよりもナツキは、頭の中がゴチャゴチャになっていた。
この声を知っている。吸魂鬼が思い出させてくる忌まわしい記憶の中で。
「ハリー、君の父親もわたしのためにそうしたに違いない。君は勇敢だ。先生の助けを求めなかった。ありがたい・・・そのほうがずっと事は楽だ・・・・」
「ナツキ!早く呪文を!!」
怒ったハリーの声がする。でも、違う。この人は、この人は・・・・・
「・・・お父さん・・・・・・?」
「ナツキ!こいつは!!殺人鬼だぞ!!!」
ハリーの怒号よりも、シリウス・ブラックが、一瞬切なそうに目を細めたことの方が衝撃だった。
もしかしたら、私は・・・私たちは・・・何かとんでもない間違いを犯してるんじゃないか?
ナツキは動くことができないでいた。
「座っていろ。足の怪我がよけいひどくなるぞ。」
ブラックにそう言われたロンは、痛々しい姿でハリーの肩にすがり、まっすぐ立っていようとした。
「僕たち四人を殺さなきゃならないんだぞ!」
「今夜はただ一人を殺す!」
ブラックのニヤリ笑いがますます広がった。
「なぜなんだ?」
ロンとハーマイオニーの手を振り解こうとしながら、ハリーが吐き捨てるように聞いた。
「この前は、そんなことを気にしなかったはずだろう?ペティグリューを殺るために、たくさんのマグルを無残に殺したんだろう?どうしたんだ。アズカバンで骨抜きになったのか?・・・・こいつが僕の父さんと母さんを殺したんだ!」
ハリーは大声をあげた。そして渾身の力で二人の手を振り解き、前方めがけて跳びかかった。
「プロテゴ。」
ナツキはブラックを庇うように盾の呪文を唱えた。
「・・・・ナツキ?君は・・・君は何をしているんだ!!!」
ハリーはまるで信じられないものを見ているようだった。誰よりも信じていてはずのナツキがおかしな行動に出ている。
「待って・・ハリー・・・だって、私、この声を知っているの!・・・この人、私を助けようとした・・・・・!」
「何言ってるんだ!そいつは!君の母さんを殺したんだ!!」
ハリーは奪われていた杖を引っつかんだ。そしてハリーが杖をまっすぐにブラックの心臓に向けた。
「ハリー、わたしを殺すのか?」
「待って・・・ハリー・・・何かおかしいの・・・・」
「おかしいのはナツキだ!!!そいつは、僕の両親を殺した!」
ハリーの声は少し震えていたが、杖腕は微動だにしなかった。ブラックは落ち窪んだ目でハリーをじっと見つめた。
「否定はしない。しかし、君がすべてを知ったら、」
「すべて?」
「おまえは僕の両親をヴォルデモートに売った。それだけ知ればたくさんだ!」
「聞いてくれ。聞かないと、君は後悔する・・・君はわかっていないんだ・・・」
「おまえが思っているより、僕はたくさん知っている。おまえはあの声を聞いたことがないんだ。僕の母さんが・・・ヴォルデモートが僕を殺すのを止めようとして・・・。おまえがやったんだ。おまえが・・・・。ナツキ!!そこをどくんだ!!」
「嫌!!」
ハリーは杖をかまえたまま、凍りついたようにその場に立ちつくした。
そして、新しい物音が聞こえてきた。床にこだまする、くぐもった足音だ。誰かが階下で動いている。
「ここよ!」
ハーマイオニーが急に叫んだ。
「私たち、上にいるわ!シリウス・ブラックよ!早く!」
ブラックは驚いて身動きした。ナツキはその前に守るように立った。
赤い火花が飛び散り、ドアが勢いよく開いた。蒼白な顔で、杖をかまえ、ルーピン先生が飛び込んできた。ルーピン先生の目が、床に横たわるロンをとらえ、ドアのそばですくみ上がっているハーマイオニーに移り、ブラックの目の前で杖を構え合うナツキとハリーを見た。
「エクスペリアームス!」
ルーピンが叫んだ。ハリーの杖がまたしても手を離れて飛んだ。しかしルーピン先生はナツキに呪文をぶつけなかった。
「シリウス、あいつはどこだ?」
ハリーは一瞬ルーピンを見た。ナツキも驚いてルーピン先生を見た。きっと、先生は何かを知ってるんだ。
ブラックはゆっくりとロンを指した。ナツキ達は何が何だかわからなかった。
「しかし、それなら・・・」
ルーピンはブラックの心を読もうとするかのように、じっと見つめながらつぶやいた。
「・・・なぜいままで正体を現さなかったんだ?もしかしたら・・・・もしかしたら、あいつがそうだったのか・・・もしかしたら、君はあいつと入れ替わりになったのか・・・・私に何も言わずに?」
落ち窪んだ眼差しでルーピン先生を見つめ続けながら、ブラックがゆっくりと頷いた。
「ルーピン先生、」
ハリーが大声で割って入った。
「いったい何が・・・・?」
ハリーの問いが途切れた。ルーピンがかまえた杖を下ろした。次の瞬間、ルーピン先生はブラックのほうに歩いていき、兄弟のようにブラックを抱きしめたのだ。
ハリー、ロン、ハーマイオニーが絶望の表情をしている。ナツキだって、吸魂鬼のことがなければ、きっとルーピン先生が裏切り者で、ブラックと通じていたと考えるだろう。
けれど今、ルーピン先生の行動を見て、確信した。シリウス・ブラックは敵ではない。
「私、誰にも言わなかったのに!」
ハーマイオニーが叫んだ。
「ハーマイオニー、話を聞いてくれ。頼むから!説明するから・・・・」
「僕は先生を信じてた。」
「三人とも落ち着いて!!!・・・・先生、私は、真実を知りたい。その人は・・・その人は・・・・」
ナツキは震える声でルーピン先生を見た。
「ハリー、だまされないで。ナツキもしっかりするのよ。あなた、今、きっと『服従の呪い』にかけられてるんだわ。・・・・この人はブラックが城に入る手引きをしてたのよ。この人もあなたたちの死を願ってるんだわ。・・・・この人、狼人間なのよ!」
「ハーマイオニー、狼人間を悪とするのは、マグルを差別することと変わらないよ。」
ナツキは驚くことなく、淡々とそう言った。
「・・・いつもの君らしくないね、ハーマイオニー。残念ながら、三問中一問しか合ってない。私はシリウスが城に入る手引きはしていないし、もちろんハリーの死を願ってなんかいない。しかし、私が狼人間であることは否定しない。いつごろから気づいていたのかね?」
「ずーっと前から。スネイプ先生のレポートを書いた時から・・・」
「スネイプ先生がお喜びだろう。ナツキ、君も気づいていたんだね。君は私の『まね妖怪』を何度も見る機会があったからだろう。」
ナツキはコクリと頷いた。ふと夜空を見上げた時に、ルーピン先生が恐れているものが満月だと気づいたのだ。でもそれは、ナツキにとって大した問題じゃなかった。
「しかし、もう、みんな知ってることだ。少なくとも先生方は知っている。」
「ダンブルドアは、狼人間と知っていて雇ったっていうのか?」
ロンが息を呑んだ。
「先生の中にもそういう意見があった。ダンブルドアは、私が信用できる者だと、何人かの先生を説得するのにずいぶんご苦労なさった。」
「そして、ダンブルドアは間違ってたんだ!」
ハリーが叫んだ。
「先生はずっとこいつの手引きをしてたんだ!」
ハリーはブラックを指差していた。
「私はシリウスの手引きはしていない。わけを話させてくれれば、説明するよ。ほら・・・」
ルーピンは三本の杖を一本ずつ、ハリー、ロン、ハーマイオニーのそれぞれに放り投げ、持ち主に返した。ハリーは、呆気にとられて自分の杖を受け取った。ルーピンは自分の杖をベルトに挟み込んだ。
「君たちには武器がある。私たちは丸腰だ。聞いてくれるかい?」
「ハリー、聞くべきだよ。なんか、なんか変なの!私は服従の呪文なんてかけられてない・・・・・!信じて!」
ナツキの言葉でハリーは少し冷静になってきた。
「ブラックの手助けをしていなかったっていうなら、こいつがここにいるって、どうしてわかったんだ?」
「地図だよ。」
ルーピンが答えた。彼は忍びの地図を作った「ムーニー」その人であったのだ。
「私は今日の夕方、地図をしっかり見張っていたんだ。というのも、君と、ナツキ、ロン、ハーマイオニーが城をこっそり抜け出して、ヒッポグリフの処刑の前に、ハグリッドを訪ねるのではないかと思ったからだ。思ったとおりだった。そうだね?君はお父さんの『透明マント』を着ていたかもしれないね、ハリー。」
「どうして『マント』のことを?」
「ジェームズがマントに隠れるのを何度見たことか・・・。要するに、『透明マント』を着ていても、『忍びの地図』に表れるということだよ。私は君たちが校庭を横切り、ハグリッドの小屋に入るのを見ていた。二十分後、君たちはハグリッドのところを離れ、城に戻りはじめた。しかし、今度は君たちのほかに誰かが一緒だった。」
「え?」
ハリーが言った。
「・・・他にはいなかったよね?」
ナツキが続けた。
「私は目を疑ったよ。地図がおかしくなったかと思った。あいつがどうして君たちと一緒なんだ?」
「誰も一緒じゃなかった!」
ハリーが言った。
「すると、もう一つの点が見えた。急速に君たちに近づいている。シリウス・ブラックと書いてあった。ブラックが君たちにぶつかるのが見えた。君たちの中から二人を『暴れ柳』に引きずり込むのを見た。」
「一人だろ!」
ロンが怒ったように言った。
「ロン、違うね。二人だ。」
ルーピン先生が言った。
「ネズミを見せてくれないか?」
「なんだよ?スキャバーズに何の関係があるんだい?」
「大ありだ。頼む。見せてくれないか?」
ロンはためらったが、ローブに手を突っ込んだ。スキャバーズが必死にもがきながら現れた。逃げようとするのを、ロンはその裸の尻尾を捕まえて止めた。クルックシャンクスがブラックの膝の上で立ち上がり、低く唸った。
「僕のネズミがいったい何の関係があるって言うんだ?」
「それはネズミじゃない。」
突然シリウス・ブラックのしわがれ声がした。
「どういうこと・・・こいつはもちろんネズミだよ・・・」
「いや、ネズミじゃない。」
ルーピン先生が静かに言った。
ナツキの中でパズルのピースが一つずつ組み上がっていく。
「こいつは魔法使いだ。」
「『動物もどき』だ。」
ブラックが言った。
「名前はピーター・ペティグリュー。」
全てのピースが、かちりとハマった。
ナツキとハリーは引き返そうとした。しかし、ナツキはハーマイオニーに、ハリーはロンに腕を掴まれた。
「僕たちが会いにいったことが知れたら、ハグリッドの立場はもっと困ったことになる。・・・・城に行こう。」
四人は「マント」にちゃんと隠れるようにゆっくりと歩いて、また城へと向かった。
「スキャバーズ、じっとしてろ。」
ロンが手で胸をぐっと押さえながら、低い声で言った。ロンが突然立ち止まり、スキャバーズを無理やりポケットにもっと深く押し込もうとした。
「いったいどうしたんだ? このバカネズミめ。じっとしてろ・・・アイタッ!こいつ噛みやがった!」
「ロン、静かにして!ファッジがいまにもここにやってくるわ・・・」
「こいつめ、なんでじっと、してないんだ・・・!」
スキャバーズは握りしめているロンの手からなんとか逃れようとしている。ナツキが、可哀想だが何か呪文をかけたほうがいいだろうかと思案している時、ハーマイオニーが呻いた。
「クルックシャンクス!だめ。クルックシャンクス、あっちに行きなさい!行きなさいったら!」
「スキャバーズ・・・・ダメだ!」
遅かった。スキャバーズはしっかり握ったロンの指の間をすり抜け、地面にボトッと落ちて逃げだした。クルックシャンクスがひとっ跳びしてそのあとを追いかけた。ロンは「透明マント」をかなぐり捨て、猛スピードで暗闇の中に消え去った。
残されたナツキ達は顔を見合わせ、それから大急ぎで追いかけた。マントを脱ぎ捨て、後ろに旗のようになびかせながら、ロンを追って疾走した。前方でロンがクルックシャンクスを怒鳴りつけるのが聞こえた。
「スキャバーズから離れろ・・・スキャバーズこっちへおいで・・・・・・・・捕まえた!とっとと消えろ、いやな猫め・・・」
ナツキとハリーとハーマイオニーはロンのぎりぎり手前で急ブレーキをかけた。ロンは地面にべったり腹這いになっていたが、スキャバーズはポケットに戻り、その震えるポケットの膨らみを、ロンが両手でしっかり押さえていた。
城に早く戻ろうと、再びマントをかぶる前に、息を整える間もなく、何か巨大な動物が忍びやかに走る足音を聞いた。暗闇の中を、何かがこちらに向かって跳躍してくる。巨大な、薄灰色の目をした、真っ黒な犬だ。
「・・・・スナッフルズ?」
犬は大きくジャンプし、前足でハリーの胸を打った。ハリーはのけ反って倒れた。
「ハリー!?ス、スナッフルズ!だめ!いい子でしょ!」
ナツキは小声でそう言った。しかし犬が言うことを聞く様子はない。犬は急旋回して唸っていた。犬が跳びかかってきた時、ロンはハリーを横に押しやった。犬の両顎がハリーではなく、ロンの伸ばした腕をバクリと噛んだ。犬はまるでボロ人形でもくわえるように、やすやすとロンを引きずっていった。
「ロ・・・・っ!?」
訳もわからないでいると突然ナツキの頬に鈍い痛みが走った。鞭で打たれたような(打たれたことはないが)感じがした。
ここは暴れ柳の下だったんだ。
暴れ柳の枝から逃げようとしているうちに、ロンは犬に木下の大きく開いた隙間に連れ去られていってしまった。
どうしてスナッフルズがあんな悪いことを!?
そう疑問にも思ったが、そんなことより、この場を切り抜けなければ。ハリーとハーマイオニーと悪戦苦闘しているとクルックシャンクスがさーっと前に出た。殴りかかる大枝の間を、まるで蛇のようにすり抜け、両前脚を木の節の一つに乗せた。突如、暴れ柳は動きを止めた。
「この子、どうしてわかったのかしら・・・・?」
「あの犬の友達なんだ。僕、二匹が連れ立っているところを見たことがある。」
「わ、私あのワンちゃんに餌をあげたことがあるよ・・・。その時は、ただの賢いワンちゃんで・・・・」
「・・・・とにかく行こう。二人とも杖を出して・・・・」
ナツキはグリフィンドールの杖を硬く握りしめた。
根元の隙間から滑り降りていく。
「ロンはどこ?」
底に着くとハーマイオニーが恐々囁いた。
「とりあえず、クルックシャンクスについて行こう。」
トンネルがそこから上り坂になった。やがて道が捩じ曲がり、クルックシャンクスの姿が消えた。
前進すると部屋があった。雑然とした埃っぽい部屋だ。壁紙ははがれかけ、床は染みだらけで、家具という家具は、まるで誰かが打ち壊したかのように破損していた。窓には全部板が打ちつけてある。ハーマイオニーは板の打ちつけられた窓をずいーっと見回していて囁いた。
「ここ、『叫びの屋敷』の中だわ。」
その時、頭上で軋む音がした。何かが上の階で動いたのだ。三人は天井を見上げた。
「・・・明かりを消そう・・・・」
ナツキがそういうと、ハリーもハーマイオニーも「ノックス」と唱えた。暗闇の中、目の前にはドアがあった。いよいよだと目配せをした。
杖をしっかり先頭に立て、ハリーがドアをバッと蹴り開けた。
埃っぽいカーテンの掛かった壮大な四本柱の天蓋ベッドに、クルックシャンクスが寝そべり、二人の姿を見ると大きくゴロゴロ言った。その脇の床には、妙な角度に曲がった足を投げ出して、ロンが座っていた。
「「「ロン!」」」
三人はロンに駆け寄った。ハリーはすぐさま、「犬はどこ?」と尋ねた。
「犬じゃない。」
ロンが呻いた。痛みで歯を食いしばっている。
「ハリー、ナツキ、罠だ・・・・」
「「え?」」
ロンの言葉にナツキとハリーは動きを止めた。
「あいつが犬なんだ・・・あいつは『動物もどき』なんだ・・・・」
ロンはナツキとハリーの肩越しに背後を見つめた。くるりと振り向いた。影の中に立つ男が、二人の入ってきたドアをぴしゃりと閉めた。
汚れきった髪がもじゃもじゃと肘まで垂れている。暗い落ち窪んだ眼窩の奥で目がギラギラしているのが見えなければ、まるで死体が立っているといってもいい。血の気のない皮膚が顔の骨にぴったりと貼りつき、まるで髑髏のようだ。ニヤリと笑うと黄色い歯がむき出しになった。シリウス・ブラックだ。
「エクスペリアームス!」
ロンの杖を三人に向け、ブラックがしわがれた声で唱えた。ハリーとハーマイオニーの杖が二人の手から飛び出し、高々と宙を飛んでブラックの手に収まった。
しかしナツキは咄嗟に盾の呪文を唱えていた。ナツキの杖だけは、彼女の手の中にあった。
「ナツキ・・・・君は、素晴らしい魔女だな・・・・」
ブラックが一歩近づいた。その目はナツキとハリーをしっかり見据えている。
「君たちなら友を助けにくると思った。」
「・・・ナツキ!何か呪文を!!」
ハリーの声が聞こえた。それよりもナツキは、頭の中がゴチャゴチャになっていた。
この声を知っている。吸魂鬼が思い出させてくる忌まわしい記憶の中で。
「ハリー、君の父親もわたしのためにそうしたに違いない。君は勇敢だ。先生の助けを求めなかった。ありがたい・・・そのほうがずっと事は楽だ・・・・」
「ナツキ!早く呪文を!!」
怒ったハリーの声がする。でも、違う。この人は、この人は・・・・・
「・・・お父さん・・・・・・?」
「ナツキ!こいつは!!殺人鬼だぞ!!!」
ハリーの怒号よりも、シリウス・ブラックが、一瞬切なそうに目を細めたことの方が衝撃だった。
もしかしたら、私は・・・私たちは・・・何かとんでもない間違いを犯してるんじゃないか?
ナツキは動くことができないでいた。
「座っていろ。足の怪我がよけいひどくなるぞ。」
ブラックにそう言われたロンは、痛々しい姿でハリーの肩にすがり、まっすぐ立っていようとした。
「僕たち四人を殺さなきゃならないんだぞ!」
「今夜はただ一人を殺す!」
ブラックのニヤリ笑いがますます広がった。
「なぜなんだ?」
ロンとハーマイオニーの手を振り解こうとしながら、ハリーが吐き捨てるように聞いた。
「この前は、そんなことを気にしなかったはずだろう?ペティグリューを殺るために、たくさんのマグルを無残に殺したんだろう?どうしたんだ。アズカバンで骨抜きになったのか?・・・・こいつが僕の父さんと母さんを殺したんだ!」
ハリーは大声をあげた。そして渾身の力で二人の手を振り解き、前方めがけて跳びかかった。
「プロテゴ。」
ナツキはブラックを庇うように盾の呪文を唱えた。
「・・・・ナツキ?君は・・・君は何をしているんだ!!!」
ハリーはまるで信じられないものを見ているようだった。誰よりも信じていてはずのナツキがおかしな行動に出ている。
「待って・・ハリー・・・だって、私、この声を知っているの!・・・この人、私を助けようとした・・・・・!」
「何言ってるんだ!そいつは!君の母さんを殺したんだ!!」
ハリーは奪われていた杖を引っつかんだ。そしてハリーが杖をまっすぐにブラックの心臓に向けた。
「ハリー、わたしを殺すのか?」
「待って・・・ハリー・・・何かおかしいの・・・・」
「おかしいのはナツキだ!!!そいつは、僕の両親を殺した!」
ハリーの声は少し震えていたが、杖腕は微動だにしなかった。ブラックは落ち窪んだ目でハリーをじっと見つめた。
「否定はしない。しかし、君がすべてを知ったら、」
「すべて?」
「おまえは僕の両親をヴォルデモートに売った。それだけ知ればたくさんだ!」
「聞いてくれ。聞かないと、君は後悔する・・・君はわかっていないんだ・・・」
「おまえが思っているより、僕はたくさん知っている。おまえはあの声を聞いたことがないんだ。僕の母さんが・・・ヴォルデモートが僕を殺すのを止めようとして・・・。おまえがやったんだ。おまえが・・・・。ナツキ!!そこをどくんだ!!」
「嫌!!」
ハリーは杖をかまえたまま、凍りついたようにその場に立ちつくした。
そして、新しい物音が聞こえてきた。床にこだまする、くぐもった足音だ。誰かが階下で動いている。
「ここよ!」
ハーマイオニーが急に叫んだ。
「私たち、上にいるわ!シリウス・ブラックよ!早く!」
ブラックは驚いて身動きした。ナツキはその前に守るように立った。
赤い火花が飛び散り、ドアが勢いよく開いた。蒼白な顔で、杖をかまえ、ルーピン先生が飛び込んできた。ルーピン先生の目が、床に横たわるロンをとらえ、ドアのそばですくみ上がっているハーマイオニーに移り、ブラックの目の前で杖を構え合うナツキとハリーを見た。
「エクスペリアームス!」
ルーピンが叫んだ。ハリーの杖がまたしても手を離れて飛んだ。しかしルーピン先生はナツキに呪文をぶつけなかった。
「シリウス、あいつはどこだ?」
ハリーは一瞬ルーピンを見た。ナツキも驚いてルーピン先生を見た。きっと、先生は何かを知ってるんだ。
ブラックはゆっくりとロンを指した。ナツキ達は何が何だかわからなかった。
「しかし、それなら・・・」
ルーピンはブラックの心を読もうとするかのように、じっと見つめながらつぶやいた。
「・・・なぜいままで正体を現さなかったんだ?もしかしたら・・・・もしかしたら、あいつがそうだったのか・・・もしかしたら、君はあいつと入れ替わりになったのか・・・・私に何も言わずに?」
落ち窪んだ眼差しでルーピン先生を見つめ続けながら、ブラックがゆっくりと頷いた。
「ルーピン先生、」
ハリーが大声で割って入った。
「いったい何が・・・・?」
ハリーの問いが途切れた。ルーピンがかまえた杖を下ろした。次の瞬間、ルーピン先生はブラックのほうに歩いていき、兄弟のようにブラックを抱きしめたのだ。
ハリー、ロン、ハーマイオニーが絶望の表情をしている。ナツキだって、吸魂鬼のことがなければ、きっとルーピン先生が裏切り者で、ブラックと通じていたと考えるだろう。
けれど今、ルーピン先生の行動を見て、確信した。シリウス・ブラックは敵ではない。
「私、誰にも言わなかったのに!」
ハーマイオニーが叫んだ。
「ハーマイオニー、話を聞いてくれ。頼むから!説明するから・・・・」
「僕は先生を信じてた。」
「三人とも落ち着いて!!!・・・・先生、私は、真実を知りたい。その人は・・・その人は・・・・」
ナツキは震える声でルーピン先生を見た。
「ハリー、だまされないで。ナツキもしっかりするのよ。あなた、今、きっと『服従の呪い』にかけられてるんだわ。・・・・この人はブラックが城に入る手引きをしてたのよ。この人もあなたたちの死を願ってるんだわ。・・・・この人、狼人間なのよ!」
「ハーマイオニー、狼人間を悪とするのは、マグルを差別することと変わらないよ。」
ナツキは驚くことなく、淡々とそう言った。
「・・・いつもの君らしくないね、ハーマイオニー。残念ながら、三問中一問しか合ってない。私はシリウスが城に入る手引きはしていないし、もちろんハリーの死を願ってなんかいない。しかし、私が狼人間であることは否定しない。いつごろから気づいていたのかね?」
「ずーっと前から。スネイプ先生のレポートを書いた時から・・・」
「スネイプ先生がお喜びだろう。ナツキ、君も気づいていたんだね。君は私の『まね妖怪』を何度も見る機会があったからだろう。」
ナツキはコクリと頷いた。ふと夜空を見上げた時に、ルーピン先生が恐れているものが満月だと気づいたのだ。でもそれは、ナツキにとって大した問題じゃなかった。
「しかし、もう、みんな知ってることだ。少なくとも先生方は知っている。」
「ダンブルドアは、狼人間と知っていて雇ったっていうのか?」
ロンが息を呑んだ。
「先生の中にもそういう意見があった。ダンブルドアは、私が信用できる者だと、何人かの先生を説得するのにずいぶんご苦労なさった。」
「そして、ダンブルドアは間違ってたんだ!」
ハリーが叫んだ。
「先生はずっとこいつの手引きをしてたんだ!」
ハリーはブラックを指差していた。
「私はシリウスの手引きはしていない。わけを話させてくれれば、説明するよ。ほら・・・」
ルーピンは三本の杖を一本ずつ、ハリー、ロン、ハーマイオニーのそれぞれに放り投げ、持ち主に返した。ハリーは、呆気にとられて自分の杖を受け取った。ルーピンは自分の杖をベルトに挟み込んだ。
「君たちには武器がある。私たちは丸腰だ。聞いてくれるかい?」
「ハリー、聞くべきだよ。なんか、なんか変なの!私は服従の呪文なんてかけられてない・・・・・!信じて!」
ナツキの言葉でハリーは少し冷静になってきた。
「ブラックの手助けをしていなかったっていうなら、こいつがここにいるって、どうしてわかったんだ?」
「地図だよ。」
ルーピンが答えた。彼は忍びの地図を作った「ムーニー」その人であったのだ。
「私は今日の夕方、地図をしっかり見張っていたんだ。というのも、君と、ナツキ、ロン、ハーマイオニーが城をこっそり抜け出して、ヒッポグリフの処刑の前に、ハグリッドを訪ねるのではないかと思ったからだ。思ったとおりだった。そうだね?君はお父さんの『透明マント』を着ていたかもしれないね、ハリー。」
「どうして『マント』のことを?」
「ジェームズがマントに隠れるのを何度見たことか・・・。要するに、『透明マント』を着ていても、『忍びの地図』に表れるということだよ。私は君たちが校庭を横切り、ハグリッドの小屋に入るのを見ていた。二十分後、君たちはハグリッドのところを離れ、城に戻りはじめた。しかし、今度は君たちのほかに誰かが一緒だった。」
「え?」
ハリーが言った。
「・・・他にはいなかったよね?」
ナツキが続けた。
「私は目を疑ったよ。地図がおかしくなったかと思った。あいつがどうして君たちと一緒なんだ?」
「誰も一緒じゃなかった!」
ハリーが言った。
「すると、もう一つの点が見えた。急速に君たちに近づいている。シリウス・ブラックと書いてあった。ブラックが君たちにぶつかるのが見えた。君たちの中から二人を『暴れ柳』に引きずり込むのを見た。」
「一人だろ!」
ロンが怒ったように言った。
「ロン、違うね。二人だ。」
ルーピン先生が言った。
「ネズミを見せてくれないか?」
「なんだよ?スキャバーズに何の関係があるんだい?」
「大ありだ。頼む。見せてくれないか?」
ロンはためらったが、ローブに手を突っ込んだ。スキャバーズが必死にもがきながら現れた。逃げようとするのを、ロンはその裸の尻尾を捕まえて止めた。クルックシャンクスがブラックの膝の上で立ち上がり、低く唸った。
「僕のネズミがいったい何の関係があるって言うんだ?」
「それはネズミじゃない。」
突然シリウス・ブラックのしわがれ声がした。
「どういうこと・・・こいつはもちろんネズミだよ・・・」
「いや、ネズミじゃない。」
ルーピン先生が静かに言った。
ナツキの中でパズルのピースが一つずつ組み上がっていく。
「こいつは魔法使いだ。」
「『動物もどき』だ。」
ブラックが言った。
「名前はピーター・ペティグリュー。」
全てのピースが、かちりとハマった。