地獄の沙汰とあれやこれ
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あたしは閻魔庁に勤めている。
当時は仕組みや制度が今ほど確立しておらず、後世になればなるほど徐々に細分化されていった。
別に昔が大雑把だったとか甘かったとか文句を言いたい訳ではない。
まぁ、今と比べると大雑把で甘かったのは事実なのだが。
しかしそれはあの世が日々精進し、改善を怠らなかった証拠でもある。
獄卒は現世でいう公務員に等しいのだが、そのせいか鬼達にとってもかなり人気の職業となっている。
給料は安定し、保障制度も充実している。
採用されて喜びに溢れた笑顔を見ると、あたしも心からの拍手を送りたくなる。
そして、そんな新卒達が見る甘い夢を盛大にぶち壊そうとしていた。
「新入社員の皆さん、入社おめでとうございます」
今日は地獄の新入社員の説明会を行っている。
新卒に対して威厳を保ちたいのか、閻魔大王が珍しく閻魔大王をしている。
真面目な顔をして、いつまで持つことなのやら。
案内役は鬼灯さん……と、何故かあたしである。
「どうしてあたしもなんですか」
居心地は非常に悪い。
この場にいる彼女以外、男ばかりだから、多少の場違い感は仕方のないことだ。
一応、説明の邪魔にならないよう大人しく立っているので、変に敵視されたり蔑視されたりということは幸いにしてない。
だが、好意的に迎えられているとも言えない。
好意的な評価と、好意そのものはイコールではないのである。
いろんな意味で彼女の補佐官任命は、異例の抜擢であり特別扱いだ。
そして今、彼女は人間でありながら地獄で働いている。
「阿鼻地獄関係も回るからです。あそこは危険な上に最も重要な地獄、新卒には特に深く印象を与えなければいけません。そうなると、地獄に来てまだ日が浅い貴方にも知ってもらわねばならない。手当は出るから構わないでしょう」
鬼灯は目立たぬように顔を動かす。
凜も同じように小さく顔を動かして見る。
「最後の一言のせいで、金銭目的で引き受けたようにしか聞こえないのでやめてください。手当が出なくても、鬼灯さんと閻魔様の頼みならばやりますよ。どのみち給金は所望しますが」
「しっかり者……いえ、ちゃっかり者ですね」
「こっちも最低限の生活費くらいが必要なんですよ。消耗品とかとか、本とか本とか本とか」
「ある一定の物に収入の大半を注ぎ込んでいるという事実は理解しました」
鬼灯さんだって金魚草関連に注ぎ込んでいるくせに。
それに地獄製菓の限定品を入手するくらい収集癖があるのも知っている。
人のことを言えた義理じゃないだろう。
「諸君にはこれから獄卒として、日々拷問の限りを尽くしてほしいと思っております。ではこれから各機関を見学していただきます。鬼灯君!」
「はい」
「皆さん、彼に付いて行ってください」
「補佐官の鬼灯です。こちらは私の助手です」
軽い自己紹介の後、鬼灯は補足事項を付け足して新入社員を地獄へと案内する。
「見学後に配属希望を伺います。しっかり観察してください」
扉を開けた瞬間、濛々と立ち込める湯気。
熱湯の大釜や猛火の鉄室に入れられ、号泣、叫喚する罪人。
その泣き喚き、許しを請い哀願する声を聞いた獄卒はさらに怒り狂い、罪人をますます責め苛む。
「熱湯の大釜……ここは盗人の末路です。万引き一回一年間、強盗は百年、下着ドロは千年」
「後半二つの刑の開きはなんだ?」
「さあ…」
罪人に科せられる刑罰の解説に、隠し切れない戸惑いを浮かばせてつぶやく新卒達。
凜はツアーガイドのように新卒達を先導をする。
しかし観光旅行よろしくただのんびり見て回るだけではないのが、この地獄見学である。
「正確には星鬘処といいます。基本的には修行によって飢えている僧侶から、食料を奪った者が堕ちる小地獄です。今では鬼灯さんの言う通り、窃盗をした亡者が堕ちています。ちなみに阿鼻地獄に付随しています」
少女の口からもたらされる情報量の凄まじさは、この場の誰にとっても明らかだった。
凜が地獄で働くことになったきっかけ――あの世の狭間をさ迷っていた亡者を鬼神が見つけ出したあの出来事――を中途半端に知る者ならば、鬼灯が凜を第二補佐官に任命するはずがないと考えても不思議ではない。
涼しげな容貌に落ち着いた物腰が、見る者にいかにも理知的な印象を与える。
腰の高さが他のと鬼達とまるで違い、すらりとした身体つきだ。
しかしそういう色眼鏡を抜きにしても、この場にいる者は皆、彼女の知識の情報量は並みでないということは理解していた。
ただ、地獄の情報と言うある意味平凡な結果以上のことは、聞いているだけではわからない。
「かの石川五右衛門もここで……」
その時、大釜の先で特徴的な髷を結わえた人物を見つけた。
「あ。アレがそうですね。見ると幸せになるというジンクスもあります」
あの伝説の盗賊を目の前に凜は、えっ、と驚き、手帳を取り出し急いでメモする。
「メモしなくていいですから」
「クソー、フザケんな!たかが万引き数回で、こんな目に……」
するとある釜で、苦情を言いまくっている亡者がいた。
生前に数回の万引きをした結果、ここに堕とされたらしい。
ぎゃーぎゃー喚く亡者の顔面に熱湯がぶっかけられた。
さらにフリスビーでも投げるかのごとく、鬼灯は桶を亡者の顔面にぶつけた。
「痛ッ!!ジャストミートでタガが眉間に当たって地味にすっごい痛い!」
ジャストミートでタガ(桶、樽などの周囲に巻いて、締めつけるための竹や金属製の輪)が眉間に当たり、地味ながらすごく痛そうだ。
「このように生意気な亡者は躊躇なく痛めつけてください」
「俺達にできるかなあ…」
鬼神の容赦ない仕打ちに、これから配属される新卒はビクビクしながら不安を覚える。
「鬼ッッ!!」
「鬼ですけど?」
「チ…チクショー、そうだったよちくしょー」
「次、そういう口をきいたら貴方がコムラ返りになったとき、患部をつつきまくります」
ふくらはぎの筋肉が突然痙攣して痛いこむら返りに、さらなる追い討ちをかけて嫌がらせ宣言する。
鬼灯が宣言した嫌がらせに、凜とメモを取っていた新卒達は微妙な顔をした。
「なんの宣言だよ。長丁場なうえに歪んだ嫌がらせ思いつきやがって…」
「これは某人物が某雑貨チェーン店の店長だった頃のお話です……」
鬼灯はとある話を引き出し、亡者に説教するように丁寧に語った。
そこは片田舎で集客数は僅か、客単価の安いお店だ。
しかし毎日大量の万引きに苦しんでいた。
結果ロスと売り上げ不振で、店ひとつ潰れるハメになったのだ。
「万引きを軽罪と考えてるバカ全ての皮を剥いでいいと思ってるくらいです」
「私怨じゃねえか!!」
万引きが原因でも店長責任でボーナス全カット。
いくらカウンターやカメラが目を光らせていても、それらをかいくぐって盗むなど最低極まりない。
「さて――」
話を終え満足そうな鬼灯の後ろで、凜も前へと進んで行く。
堂々と、しかし内心は泣きそうになりながら。
次に移動した場所では、眼下に赤黒い紅に染まった血の水面が広がっている。
そこにはいくつもの人の頭が浮かび上がっていた。
現世でも有名な血の池地獄だ。
「血の池です。ここは詐欺、横領など……」
隠しようもないほど濃密な刺激臭に、
「うおーー」
「鉄臭えーー」
新卒達は眉をひそめ、手を口許に持っていく。
嘔吐しそうなくらい気持ちが悪い。
鉄臭い刺激臭が鼻の粘膜を刺し、あまり気分がよくなさそうだ。
――あたし?
――未だ年若いとはいえ淑女らしく毅然としているのだが実のところ緊張とこの鉄臭い臭いで吐きそうになっていた。
血の池地獄で吐いていた女の子と後々まで噂されたくはないので何があろうと吐くつもりはないが。
「あそこの一角をご覧ください。元政治家です」
一方、この赤黒い血の存在と独特の鉄臭さを前にしても怯むことなく冷静な顔で鬼灯は血の池の一角を促す。
そこには数々のスキャンダルや天下りを行った政治家が、
「助けてくれえ~」
「3億程流すから~」
「替え玉を用意してくれぇ~」
地獄に堕とされてもなお命乞いや賄賂、身代わりで罪を逃れようとしていた。
「こっ…この期に及んでなんつー有り様!!?」
「今まで何千人、こういう亡者を血の池フォンデュにしたことやら」
「まさに血税に溺れたわけですな」
しみじと紡ぎ出された鬼灯の言葉に、新卒がさり気ない口調で返す。
その時、ざわめきが起こった。
「あっ…あれは……!?」
空から虹色に光る一本の糸が下りてきた。
「もしや……」
「芥川龍之介でおなじみの……」
その言葉を聞いた瞬間、凜の脳裏に思い浮かぶものがあった。
(そう!!お釈迦様が極楽へと上るチャンスを与えるために、地獄にいるカンダタに垂らした蜘蛛の糸!!)
それは、とてもインパクトの大きい場面だったからこそ彼女の記憶に焼きついていたのだ。
やけに印象的だったのでついつい覚えてしまっていたのだが、これがそうだったのか……。
それにしてもなんとも感慨深いものだ。
あえて例えるならば、伝説上の人物が手にしていた剣を握ってみた勇者志望の少年のような気持ちとでも言えば一番近い気がする。
「うおおおおおお」
「なんという御慈悲!!」
天上から極楽へと続く一本の蜘蛛の糸が、地獄へと静かに垂らされる。
自分達の上に垂れてきた蜘蛛の糸を見つけた罪人は、喜んでそれを登り始めた。
か細い一本の蜘蛛の糸が、あの何十、何百とない罪人の重さに耐えられるはずがない。
その後の蜘蛛の糸の結末はどうなるか――少女は笑う。
「ふふ」
すごく楽しそうだ。
ニコニコしている。
細い糸に救済を求め、無数に登ってくる亡者達の視界に飛び込んできたのは、こちらをじっと見下ろす少女の姿だった。
生温かい風になびく色素の薄い髪。
薄い血が混じったような赤みがかかった瞳。
その唇は柔らかく微笑んでいた。
およそ地獄には似つかわしくない笑みに見惚れていると、鬼灯が細い糸に躊躇なくハサミを入れる。
チョキン、という希望が潰えた残虐な効果音とは思えないほどにコミカルな音がした。
「このように、いつも絶望を与えるようにしてください」
絶望の悲鳴をあげて面白いほど見事に落下する亡者達には一切、見向きもせずハサミを動かして新卒達に言い聞かせる。
「鬼たるもの、残酷・非道であるべきです。『容赦・慈悲』、そんなものは仏に任せ、しっかりと罪を責め尽くしてください」
「す…すごい」
「鬼でも相当だぞ、この人達」
おののきながら、新卒達はその方を見る。
視線の先には蜘蛛の糸を見ることができて満足そうな少女の姿があった。
「私は鬼ですが、彼女は亡者です。亡者である彼女に負けてどうするんですか。それ以上を目指しなさい」
「目指す前に諦めそうです……」
「諦めたらそこで試合終了ですよ」
何故みんな、こんな有名な光景を前にして胸躍らないのだろうか?
辺りを見てみるとなんで笑っているんだ、という感じでなんとも言えない顔をしている。
(……これはひょっとしてあたしの感性の方がずれているのか?)
他の面々は相変わらず胡乱げな様子でこっちを見ていたのだが、こんなことで他人の目など気にしては好きに生きられない。
凜は気にするのをやめた。
「スピリチュアル地獄です。口の過ぎた者が堕ちます。鬼姑にイビられ続けます」
移動先には座らされた亡者が、声を潜めた鬼達に精神攻撃を受けている。
導入に先立って試験運用中のスピリチュアル地獄だ。
「地味にイヤだな…」
次は衆合地獄。
ここに限らず、地獄には針山がいくつもある。
大剣林処などがいい例だろう。
「針山です。浮気・酒乱の末路です。悲しき人の性。この地獄はいつの時代も多忙です」
この衆合地獄では、針山の上にいる美女をめがけて登り続ける浮気者の末路がいつでも見ることができる。
上に登ったら、その美女達は下に移動してしまうのだが。
「阿鼻地獄です。最も重罪の地獄ですので、新卒はあまり就けません」
阿鼻地獄は別名『無間地獄』とも言い、八大地獄の中で最悪の地獄に位置づけられている。
八大地獄の最下層にあり、大きさも他の地獄とは比にならないくらい大きい。
「見学は以上です。その他の地獄は資料を御覧ください。『人に厳しく』を忘れずに励みましょう」
それまで纏っていた雰囲気が変わり、どことなく剣呑な空気を漂わせ出した鬼灯が新卒達に最終確認のために質問を放つ。
ハッキリ言って怖さ倍増だった。
「配属希望申請書は明日までに提出。遅れた者は金棒で尻を百回叩きますからね」
『はいっ』
まるで規律正しい軍隊のように、新卒達は一斉に敬礼をした。
――このように地獄も日々、精進を欠かしません。
――現世諸君、死後のジャッジをお楽しみに!
このように、地獄も日々精進を欠かしていない。
最初の教育が肝心なのだ。
そして彼らがこれからの地獄を担ってくれることに期待もしている。
亡者の死後のジャッジはとても有意義なものになりそうだ。
当時は仕組みや制度が今ほど確立しておらず、後世になればなるほど徐々に細分化されていった。
別に昔が大雑把だったとか甘かったとか文句を言いたい訳ではない。
まぁ、今と比べると大雑把で甘かったのは事実なのだが。
しかしそれはあの世が日々精進し、改善を怠らなかった証拠でもある。
獄卒は現世でいう公務員に等しいのだが、そのせいか鬼達にとってもかなり人気の職業となっている。
給料は安定し、保障制度も充実している。
採用されて喜びに溢れた笑顔を見ると、あたしも心からの拍手を送りたくなる。
そして、そんな新卒達が見る甘い夢を盛大にぶち壊そうとしていた。
「新入社員の皆さん、入社おめでとうございます」
今日は地獄の新入社員の説明会を行っている。
新卒に対して威厳を保ちたいのか、閻魔大王が珍しく閻魔大王をしている。
真面目な顔をして、いつまで持つことなのやら。
案内役は鬼灯さん……と、何故かあたしである。
「どうしてあたしもなんですか」
居心地は非常に悪い。
この場にいる彼女以外、男ばかりだから、多少の場違い感は仕方のないことだ。
一応、説明の邪魔にならないよう大人しく立っているので、変に敵視されたり蔑視されたりということは幸いにしてない。
だが、好意的に迎えられているとも言えない。
好意的な評価と、好意そのものはイコールではないのである。
いろんな意味で彼女の補佐官任命は、異例の抜擢であり特別扱いだ。
そして今、彼女は人間でありながら地獄で働いている。
「阿鼻地獄関係も回るからです。あそこは危険な上に最も重要な地獄、新卒には特に深く印象を与えなければいけません。そうなると、地獄に来てまだ日が浅い貴方にも知ってもらわねばならない。手当は出るから構わないでしょう」
鬼灯は目立たぬように顔を動かす。
凜も同じように小さく顔を動かして見る。
「最後の一言のせいで、金銭目的で引き受けたようにしか聞こえないのでやめてください。手当が出なくても、鬼灯さんと閻魔様の頼みならばやりますよ。どのみち給金は所望しますが」
「しっかり者……いえ、ちゃっかり者ですね」
「こっちも最低限の生活費くらいが必要なんですよ。消耗品とかとか、本とか本とか本とか」
「ある一定の物に収入の大半を注ぎ込んでいるという事実は理解しました」
鬼灯さんだって金魚草関連に注ぎ込んでいるくせに。
それに地獄製菓の限定品を入手するくらい収集癖があるのも知っている。
人のことを言えた義理じゃないだろう。
「諸君にはこれから獄卒として、日々拷問の限りを尽くしてほしいと思っております。ではこれから各機関を見学していただきます。鬼灯君!」
「はい」
「皆さん、彼に付いて行ってください」
「補佐官の鬼灯です。こちらは私の助手です」
軽い自己紹介の後、鬼灯は補足事項を付け足して新入社員を地獄へと案内する。
「見学後に配属希望を伺います。しっかり観察してください」
扉を開けた瞬間、濛々と立ち込める湯気。
熱湯の大釜や猛火の鉄室に入れられ、号泣、叫喚する罪人。
その泣き喚き、許しを請い哀願する声を聞いた獄卒はさらに怒り狂い、罪人をますます責め苛む。
「熱湯の大釜……ここは盗人の末路です。万引き一回一年間、強盗は百年、下着ドロは千年」
「後半二つの刑の開きはなんだ?」
「さあ…」
罪人に科せられる刑罰の解説に、隠し切れない戸惑いを浮かばせてつぶやく新卒達。
凜はツアーガイドのように新卒達を先導をする。
しかし観光旅行よろしくただのんびり見て回るだけではないのが、この地獄見学である。
「正確には星鬘処といいます。基本的には修行によって飢えている僧侶から、食料を奪った者が堕ちる小地獄です。今では鬼灯さんの言う通り、窃盗をした亡者が堕ちています。ちなみに阿鼻地獄に付随しています」
少女の口からもたらされる情報量の凄まじさは、この場の誰にとっても明らかだった。
凜が地獄で働くことになったきっかけ――あの世の狭間をさ迷っていた亡者を鬼神が見つけ出したあの出来事――を中途半端に知る者ならば、鬼灯が凜を第二補佐官に任命するはずがないと考えても不思議ではない。
涼しげな容貌に落ち着いた物腰が、見る者にいかにも理知的な印象を与える。
腰の高さが他のと鬼達とまるで違い、すらりとした身体つきだ。
しかしそういう色眼鏡を抜きにしても、この場にいる者は皆、彼女の知識の情報量は並みでないということは理解していた。
ただ、地獄の情報と言うある意味平凡な結果以上のことは、聞いているだけではわからない。
「かの石川五右衛門もここで……」
その時、大釜の先で特徴的な髷を結わえた人物を見つけた。
「あ。アレがそうですね。見ると幸せになるというジンクスもあります」
あの伝説の盗賊を目の前に凜は、えっ、と驚き、手帳を取り出し急いでメモする。
「メモしなくていいですから」
「クソー、フザケんな!たかが万引き数回で、こんな目に……」
するとある釜で、苦情を言いまくっている亡者がいた。
生前に数回の万引きをした結果、ここに堕とされたらしい。
ぎゃーぎゃー喚く亡者の顔面に熱湯がぶっかけられた。
さらにフリスビーでも投げるかのごとく、鬼灯は桶を亡者の顔面にぶつけた。
「痛ッ!!ジャストミートでタガが眉間に当たって地味にすっごい痛い!」
ジャストミートでタガ(桶、樽などの周囲に巻いて、締めつけるための竹や金属製の輪)が眉間に当たり、地味ながらすごく痛そうだ。
「このように生意気な亡者は躊躇なく痛めつけてください」
「俺達にできるかなあ…」
鬼神の容赦ない仕打ちに、これから配属される新卒はビクビクしながら不安を覚える。
「鬼ッッ!!」
「鬼ですけど?」
「チ…チクショー、そうだったよちくしょー」
「次、そういう口をきいたら貴方がコムラ返りになったとき、患部をつつきまくります」
ふくらはぎの筋肉が突然痙攣して痛いこむら返りに、さらなる追い討ちをかけて嫌がらせ宣言する。
鬼灯が宣言した嫌がらせに、凜とメモを取っていた新卒達は微妙な顔をした。
「なんの宣言だよ。長丁場なうえに歪んだ嫌がらせ思いつきやがって…」
「これは某人物が某雑貨チェーン店の店長だった頃のお話です……」
鬼灯はとある話を引き出し、亡者に説教するように丁寧に語った。
そこは片田舎で集客数は僅か、客単価の安いお店だ。
しかし毎日大量の万引きに苦しんでいた。
結果ロスと売り上げ不振で、店ひとつ潰れるハメになったのだ。
「万引きを軽罪と考えてるバカ全ての皮を剥いでいいと思ってるくらいです」
「私怨じゃねえか!!」
万引きが原因でも店長責任でボーナス全カット。
いくらカウンターやカメラが目を光らせていても、それらをかいくぐって盗むなど最低極まりない。
「さて――」
話を終え満足そうな鬼灯の後ろで、凜も前へと進んで行く。
堂々と、しかし内心は泣きそうになりながら。
次に移動した場所では、眼下に赤黒い紅に染まった血の水面が広がっている。
そこにはいくつもの人の頭が浮かび上がっていた。
現世でも有名な血の池地獄だ。
「血の池です。ここは詐欺、横領など……」
隠しようもないほど濃密な刺激臭に、
「うおーー」
「鉄臭えーー」
新卒達は眉をひそめ、手を口許に持っていく。
嘔吐しそうなくらい気持ちが悪い。
鉄臭い刺激臭が鼻の粘膜を刺し、あまり気分がよくなさそうだ。
――あたし?
――未だ年若いとはいえ淑女らしく毅然としているのだが実のところ緊張とこの鉄臭い臭いで吐きそうになっていた。
血の池地獄で吐いていた女の子と後々まで噂されたくはないので何があろうと吐くつもりはないが。
「あそこの一角をご覧ください。元政治家です」
一方、この赤黒い血の存在と独特の鉄臭さを前にしても怯むことなく冷静な顔で鬼灯は血の池の一角を促す。
そこには数々のスキャンダルや天下りを行った政治家が、
「助けてくれえ~」
「3億程流すから~」
「替え玉を用意してくれぇ~」
地獄に堕とされてもなお命乞いや賄賂、身代わりで罪を逃れようとしていた。
「こっ…この期に及んでなんつー有り様!!?」
「今まで何千人、こういう亡者を血の池フォンデュにしたことやら」
「まさに血税に溺れたわけですな」
しみじと紡ぎ出された鬼灯の言葉に、新卒がさり気ない口調で返す。
その時、ざわめきが起こった。
「あっ…あれは……!?」
空から虹色に光る一本の糸が下りてきた。
「もしや……」
「芥川龍之介でおなじみの……」
その言葉を聞いた瞬間、凜の脳裏に思い浮かぶものがあった。
(そう!!お釈迦様が極楽へと上るチャンスを与えるために、地獄にいるカンダタに垂らした蜘蛛の糸!!)
それは、とてもインパクトの大きい場面だったからこそ彼女の記憶に焼きついていたのだ。
やけに印象的だったのでついつい覚えてしまっていたのだが、これがそうだったのか……。
それにしてもなんとも感慨深いものだ。
あえて例えるならば、伝説上の人物が手にしていた剣を握ってみた勇者志望の少年のような気持ちとでも言えば一番近い気がする。
「うおおおおおお」
「なんという御慈悲!!」
天上から極楽へと続く一本の蜘蛛の糸が、地獄へと静かに垂らされる。
自分達の上に垂れてきた蜘蛛の糸を見つけた罪人は、喜んでそれを登り始めた。
か細い一本の蜘蛛の糸が、あの何十、何百とない罪人の重さに耐えられるはずがない。
その後の蜘蛛の糸の結末はどうなるか――少女は笑う。
「ふふ」
すごく楽しそうだ。
ニコニコしている。
細い糸に救済を求め、無数に登ってくる亡者達の視界に飛び込んできたのは、こちらをじっと見下ろす少女の姿だった。
生温かい風になびく色素の薄い髪。
薄い血が混じったような赤みがかかった瞳。
その唇は柔らかく微笑んでいた。
およそ地獄には似つかわしくない笑みに見惚れていると、鬼灯が細い糸に躊躇なくハサミを入れる。
チョキン、という希望が潰えた残虐な効果音とは思えないほどにコミカルな音がした。
「このように、いつも絶望を与えるようにしてください」
絶望の悲鳴をあげて面白いほど見事に落下する亡者達には一切、見向きもせずハサミを動かして新卒達に言い聞かせる。
「鬼たるもの、残酷・非道であるべきです。『容赦・慈悲』、そんなものは仏に任せ、しっかりと罪を責め尽くしてください」
「す…すごい」
「鬼でも相当だぞ、この人達」
おののきながら、新卒達はその方を見る。
視線の先には蜘蛛の糸を見ることができて満足そうな少女の姿があった。
「私は鬼ですが、彼女は亡者です。亡者である彼女に負けてどうするんですか。それ以上を目指しなさい」
「目指す前に諦めそうです……」
「諦めたらそこで試合終了ですよ」
何故みんな、こんな有名な光景を前にして胸躍らないのだろうか?
辺りを見てみるとなんで笑っているんだ、という感じでなんとも言えない顔をしている。
(……これはひょっとしてあたしの感性の方がずれているのか?)
他の面々は相変わらず胡乱げな様子でこっちを見ていたのだが、こんなことで他人の目など気にしては好きに生きられない。
凜は気にするのをやめた。
「スピリチュアル地獄です。口の過ぎた者が堕ちます。鬼姑にイビられ続けます」
移動先には座らされた亡者が、声を潜めた鬼達に精神攻撃を受けている。
導入に先立って試験運用中のスピリチュアル地獄だ。
「地味にイヤだな…」
次は衆合地獄。
ここに限らず、地獄には針山がいくつもある。
大剣林処などがいい例だろう。
「針山です。浮気・酒乱の末路です。悲しき人の性。この地獄はいつの時代も多忙です」
この衆合地獄では、針山の上にいる美女をめがけて登り続ける浮気者の末路がいつでも見ることができる。
上に登ったら、その美女達は下に移動してしまうのだが。
「阿鼻地獄です。最も重罪の地獄ですので、新卒はあまり就けません」
阿鼻地獄は別名『無間地獄』とも言い、八大地獄の中で最悪の地獄に位置づけられている。
八大地獄の最下層にあり、大きさも他の地獄とは比にならないくらい大きい。
「見学は以上です。その他の地獄は資料を御覧ください。『人に厳しく』を忘れずに励みましょう」
それまで纏っていた雰囲気が変わり、どことなく剣呑な空気を漂わせ出した鬼灯が新卒達に最終確認のために質問を放つ。
ハッキリ言って怖さ倍増だった。
「配属希望申請書は明日までに提出。遅れた者は金棒で尻を百回叩きますからね」
『はいっ』
まるで規律正しい軍隊のように、新卒達は一斉に敬礼をした。
――このように地獄も日々、精進を欠かしません。
――現世諸君、死後のジャッジをお楽しみに!
このように、地獄も日々精進を欠かしていない。
最初の教育が肝心なのだ。
そして彼らがこれからの地獄を担ってくれることに期待もしている。
亡者の死後のジャッジはとても有意義なものになりそうだ。