第1話
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――あの世には天国と地獄がある。
――地獄は、八大地獄と八寒地獄の二つに分かれ、更に二百七十二の細かい部署に分かれている。
――戦後の人口爆発、悪霊(貞子)とかの凶暴化、あの世は前代未聞の混乱を極めていた。
――この世でもあの世でも、統治に欲しいのは冷静な後始末である。
――が、そういう陰の傑物 はただのカリスマなんかよりずっと少ないのだ。
地獄は今日も忙しい。
地獄のトップである閻魔大王の元には、判子を求めて大勢の獄卒達でごった返していた。
「閻魔大王ッ!!」
「阿鼻地獄で川が氾濫していますっ」
「天国から要請書が…」
「黒縄 地獄は財政破綻しそうですっ」
大王、大王、と呼びかける間にも、またまた新しい書類と慌てふためく獄卒が殺到する。
「大王ーーッ、また亡者がドッと……」
「うわーー、今一杯だよっ」
相変わらず地獄は大忙しで、休日なんてあったものではない。
日々押し寄せる亡者や各処の対応に奮闘する毎日である。
「大王ーー『果樹園を焼いた者はサトウキビ畑でめっちゃ叩く』って……現代に空いません、改定しましょう」
※本当にある地獄。
「あーー、えーっとね……阿鼻は政令指定地獄でしょ、そっちで何とかして。天国のことは知らないよー。鬼灯君にでも相談してっ」
次々に殺到する対応にオロオロして眉を下げながら、閻魔は指示を出していく。
鬼灯とは、彼の第一補佐官だ。
「アレ……そういえば、鬼灯様は……」
新人の獄卒・唐瓜 が、鬼灯の不在に気づいて辺りを見回す。
「視察に行ってるよ。この忙しさでさァ、彼もあっちこっち引っぱりだこだよ」
すると、閻魔に質問の手が挙がった。
「――あ、そういえば大王様、女の亡者を雇ったって本当ですか?」
「俺も聞いたぜ。なんでも、鬼灯様から直々に有能だと判断されたらしい」
「うん、本当だよ」
その発言に、取り囲む獄卒達は一気に色めき立った。
一部では歓声も湧く。
「うぉぉぉぉ、マジか!?」
「噂によると、まだ若いってよ!」
「しかも超美人!」
何やら一部個人的な発言が混ざっているが、わかりやすく妄想に取りつかれる彼らは、もはや遠慮もなくなっていた。
目を血走らせ、息を荒くしている者もいる。
「凜ちゃんはいい子だよ。優しいし、殴らないし、鬼灯君とは大違い」
ただ一人、実際に会っている閻魔は第二補佐官を思い出して表情を緩ませ、ほのぼのとした笑顔を浮かべた。
場所は変わって不喜処では先程名前があがった鬼神・鬼灯が獄卒と共に歩いていた。
「――針山は特に問題なし。不喜処 地獄はどうですか?」
「従業員不足ですねえー」
目の前の鬼灯の紋様を追いかけながら、凜は頭上で交わされる会話のメモを取る。
※不喜処…犬や鳥に骨の髄までしゃぶられる地獄(地獄の中では軽い方)。
第二補佐官――朱井 凜(享年18歳)は天国に空きができるまでは、鬼灯の元で働くことになった。
リストに従業員不足、と書き込む。
具体的な人数を聞いた方がいいのかな、と思っていたその時、後ろから唐瓜が走ってきた。
唐瓜は振り返った彼女の顔を見て、思わず立ち止まった。
その顔は端正に整っていながらも幼さを残し、周りを彩る亜麻色の髪や赤みがかかった瞳と相まって、日本人離れした神秘的な印象を与えてくる。
彼女を飾る服装は、和服をベースにしたもの。
しかし各所に現代風のアレンジが加えられている。
「あの……何か用で?」
声をかける凜に唐瓜は一瞬見惚れ……そして仕事中に気づくと、鬼灯への報告を優先させる。
「鬼灯様ァーー。天国の桃源郷から人材貸出しの要請が……」
「天国の世話までしてられませんよ」
バインダーを受け取り、ざっと目を通しながらぼやく鬼灯の横で、不喜処の報告をしていた獄卒がたしなめる。
「オイ、今、こっちの相談してんだぞ、割り込むなよ」
書類に目を通す鬼灯が忙しそうなので、失礼します、と先の獄卒に話しかける。
「あたしが代わりに伺っておきますが…」
朱井 凜が閻魔大王の第二補佐官である事実は、早くも知れ渡っていた。
「ああ、あんたは最近、任命された第二補佐官だっけ?」
「はい」
凜が微笑むだけで、獄卒は顔を赤くした。
思わず見惚れてしまうほどの微笑みである。
途端に鬼灯が割り込む。
「どうせ、閻魔大王 が面倒だからって、私に相談しろとでも言ったんでしょう」
「今さらっとアホって言った?」
さらりと閻魔をこき下ろす発言に耳を疑う。
「――そういえば鬼灯様、隣にいるのは…」
「鬼灯様が女の子といるなんて珍しいなぁ」
「彼女は今日から私の補佐をしている凜さんです」
「朱井凜です。ご指導お願いします」
「「こちらこそ、よろしくお願いします」」
互いに頭を下げ、軽く挨拶を交わす。
第二補佐官の紹介を終えたことで、鬼灯は本題に入った。
「桃源郷ですか…まァよくも罪人もいないのにヌケヌケと…ゆったりたっぷりのんびりしてるくせに…」
「…旅ゆけば楽しい…」
「…ホテル三日月…」
鬼灯の言葉に、極楽の地を想像する二人。
「何でもかんでも私に回してくる」
本来ならば閻魔大王が決めるはずの、雑多な情報の中から必要なもの、事実と思 しきものを選別する、精査の作業を任せられ、鬼灯は眉をひそめる。
しかし、凜は頬を膨らました。
「……あの、鬼灯さん、あたしに任せられた仕事を勝手に取らないでください。やる気満々だったんですから」
「この際だから言いますけど」
「はい」
「様をつけなさい、上司ですよ」
「別にさん付けでいいじゃないですか」
威厳を込めて命じられたが、凜は受け流した。
「やれやれ、社会ルールを叩き込まねばならないとは。教育しがいがあります」
厳しい視線を突き刺す鬼灯に、凜は適度に自己主張する。
「敬語」
「嫌です」
「むしり取られたいんですか」
すると、赤いリボンで結われた髪を思い切り引っ張られた。
鬼灯が本気を出せば、髪の毛が抜けそうだ。
「痛っ――いだだだだっ!!」
「今のは抵抗ですか」
「いいから離してください!!」
鬼灯が手を離すと、凜は涙目で抗議の声をあげる。
その頃、地獄では予想外の来訪者が怒りを露にしていた。
「だからよォ!!ここで一番強い奴、連れて来いっつってんの!!」
「困りますよぉ~~。そういうことはまず受付を通して頂いて……」
「っかーーッ!!そういうことしか言えねーのかよっ、このマニュアル獄卒!」
埒が明かないと判断した一人の獄卒が、もう一人に助けを求めるよう指示する。
「オイ、今、鬼灯様いらしてるよな?」
「え………はい確か視察で…」
「ちょっと呼んで来てくれ。俺達じゃどーにもなんねーよ」
深い吐息と共に言葉を吹き込む前で、来訪者はなおも騒いでいた。
言われた子鬼は頷き、鬼灯を探しにその場を後にする。
遠くに見えるのは、日本にはありはしない針山。
道は舗装されていないし、荒涼とした大地が続く。
全体的に灰色の世界。
そう、ここは紛れもなく地獄なのだ。
そして一つ仕事が終われば次が舞い込んでくるのがここ、地獄だ。
「桃農家への人材貸出し?」
唐瓜の持ってきた書類を読み上げ、凜は目をまばたきした。
鬼灯は眉間に皺を寄せて、天国の要求を突っぱねる。
「桃の木はこれ以上、いりません。そもそも仙桃 を大量に作って妙薬を確保しようという天国の政策には反対なんです。万能薬は少ないから良いのです。多いと堕落する」
「確かに、豊かすぎるとかえって衰退するって言うし」
ぞんざいな素振りで告げられた鬼灯の言葉に、凜は顎に手を当てて同意する。
「ですが桃源郷は天国の最大観光スポットですし、かつ重要文化財として景観の維持を…」
「ああ…まあ、手入れは必要ですが…」
「とにかく、芝刈りだけでも手伝ってほしいと……」
「鬼灯様アアアアアアアアアアアア」
またもや慌ただしい声に振り向けば、白いふわふわの髪に垂れ目と麻呂眉毛の茄子 が、一大事とばかりに走ってきた。
「どうしました」
「スミマセンッ、ちょっとトラブルが……桃太郎というのが来て……」
桃から産まれて三匹のお供を連れて鬼退治に行って金銀財宝をかっさらっていった奇妙なヒーローさんが脳裏に浮かんだ。
(ファンタジーの次は日本昔話だと?)
「桃が来た?いりません」
「もらった品物はちゃんと受け取らないと失礼ですよ」
しかめっ面で返す鬼灯と眉をひそめて怒る凜。
たまにあるこういった二人の言動は、ただのボケなのか天然なのか、わからなくなる。
「あ…イヤ…あの、別にお中元とかじゃないんですけど……とにかく来てくださいっ!」
唐瓜の抗議も虚しく、茄子はいそいそと鬼灯を引きずっていってしまった。
「あっ…ちょっと今、こっちの…」
「オイッ不喜処 が先だったのに…」
「凜さん」
「はい」
鬼灯と一瞬だけ目が合う。
それだけで互いの意思が呑み込めた。
「現状のご報告さえ頂ければ、後に決定事項を」
「そうか。じゃあ頼むわ」
すると、獄卒は安心して、不喜処に欲しい具体的な人数やその仕事内容を聞く。
最後に希望の期限と彼の連絡先を控えておいた。
また連絡します、と言って頭を下げ、不喜処の方へ戻る彼を見送った。
そして、凜は所在なさ気に佇む唐瓜に向き直る。
「君、後でどうなったかは伝えに行くから、ちょっと待っててね」
「はっ……はい!」
――鬼灯さんのことだから、なんだかんだ言いながらも方法を見つけて対処してくれるだろう。
それじゃあ、お疲れ様、と言って唐瓜と別れて、鬼灯と茄子を追う。
凜が走ると、その束ねた長い髪もふわりふわりと舞い、赤いスカートも翻る。
時折見える太ももが艶めかしい。
が、その足に見惚れているとあの世へ直行だ。
何故なら彼女の靴は黒い革のブーツで実は鉄入り……要するに安全靴だから恐ろしい。
「桃太郎ってあの桃太郎ですか?」
「そうです!」
なんとか早足で進む彼らに追いつくと、鬼灯が振り返って、どうでしたか、と訊ねてくる。
急いで手帳を開き、早足で進みながらも簡潔に先程の話を伝えた。
ちょうど話し終えて、静かにそれを聞いていた鬼灯が口を開きかけた時、
「ギャーーー」
と悲鳴をあげる、中世ヨーロッパで刑罰や拷問に用いる拷問具を見つけた。
「あの拷問用具 、いつの間に導入したんですか。予算はどこから…」
玲悧 な眼差しで追及すると、明らかに顔を歪めて話題を逸らす。
「いやっ…あの、あっち見てください、あっち!」
「あっ、鬼灯様!」
切羽詰まった声が聞こえて、二人の注意は否応なしにそちらへ惹きつけられた。
「申し訳ございません、お忙しい中…」
その男は日本一、と書かれた旗を掲げ、日本刀を構えていた。
古風な顔立ち。
胸の辺りには桃の印。
「おっ!そいつ、上官だな!?俺と勝負しろっ!!!」
正真正銘の桃太郎の後ろにはお供の犬、猿、雉が控えていた。
「えーと……」
鬼灯は逡巡した後、獄卒に耳打ちする。
「あの困ったさんはどこのコですか?」
「アレが桃太郎って奴です」
こそこそと囁き合う鬼灯と獄卒に、桃太郎は顔を真っ赤にしている。
「ヒッ…ヒソヒソするな!!」
恥ずかしがっているのか怒っているのか。
凜といえば、
「桃太郎実在したの!?」
と目を輝かせ、おとぎ話だと思っていた人物の遭遇に大騒ぎしていた。
(それにまず驚き…っていうか英雄がこんなところで何してんだ!)
『わあ、新鮮な反応』
その新鮮な反応に犬、猿、雉が驚きを口にする。
「アイツ急にやって来たと思ったら、道場破りなみたいなことし始めて……普段は天国の住民だから、捕まえてはおけないし…」
「…何でしょう…思ったより…………いえ、大変古風で見目麗しい…」
不意に、桃太郎は目を見開いた。
たまたま視線の先にいた、長い髪の麗しい相貌の少女・凜を見つけたのである。
「乙女……倒すべき敵を倒して、麗しき乙女を救う!これがなければ始まらない!英雄の存在意義がない!」
鬼を退治し、海を越えて旅する英雄。
英雄の血のたぎりに任せて激昂する。
一方の凜は、
「うん」
と一度頷くと、率直に感想を述べた。
「現代には通じない顔だね」
「なっ…何が言いたいっ!?」
ひそひそと話していたことを容赦ないストレートなご感想で放った凜に、その場にいた獄卒達は凍りつき、鬼灯は額に手をやり溜め息をついた。
桃太郎がまた顔を真っ赤にさせて怒り始める。
あ、一応恥ずかしいんだ。
「生前悪い鬼の対峙でご活躍なさったのを誇るのはいいですが、大義を見失っちゃあいませんか」
「いーや、見失ってないね。俺は鬼と戦ってこそ、桃太郎なんだ。なっ相棒!」
意気揚々と胸を張って、お供の三匹に振り返る。
「俺は契約料 のためです」
と犬。
「でも現代はキビダンゴより美味いものが多すぎる」
と猿。
「雇用形態が室町時代から変わらんから、正直転職を考えている」
とさらに追い討ちをかける雉。
お供達の返答はなんとも現実的で、互いの意見を聞いたお供同士、先程の鬼灯達のように桃太郎をチラチラ見ながら話し始める。
「あっ、お前も?」
「俺達、霊力ある神獣なのにさァ」
「アイツ一人、いつも熱いしなー」
「英雄の部下なのに何が不満なんだよォォォォ!!?」
哀れな桃太郎は、悲痛な声で叫んだ。
若者の就職率が低下しているとは聞いているけれど、その一例なんだな、この人は。
「要するに社内で体育会系が一人だけ変にたぎっていると」
「うっとうしいですね」
――人一倍頑張るが空回りする社員に、
「悪い人じゃないんだけど…」
――どうしていいかわからない他の社員がいる。
「…凜さん、セリフとらないでください…可愛いから許しますけど」
「あ、ごめんなさい。でも、可愛いなんて言葉は使わない方がいいですよ」
嫌味なつもりで告げた台詞ではない。
言葉通りの謙遜だ。
――地獄は、八大地獄と八寒地獄の二つに分かれ、更に二百七十二の細かい部署に分かれている。
――戦後の人口爆発、悪霊(貞子)とかの凶暴化、あの世は前代未聞の混乱を極めていた。
――この世でもあの世でも、統治に欲しいのは冷静な後始末である。
――が、そういう陰の
地獄は今日も忙しい。
地獄のトップである閻魔大王の元には、判子を求めて大勢の獄卒達でごった返していた。
「閻魔大王ッ!!」
「阿鼻地獄で川が氾濫していますっ」
「天国から要請書が…」
「
大王、大王、と呼びかける間にも、またまた新しい書類と慌てふためく獄卒が殺到する。
「大王ーーッ、また亡者がドッと……」
「うわーー、今一杯だよっ」
相変わらず地獄は大忙しで、休日なんてあったものではない。
日々押し寄せる亡者や各処の対応に奮闘する毎日である。
「大王ーー『果樹園を焼いた者はサトウキビ畑でめっちゃ叩く』って……現代に空いません、改定しましょう」
※本当にある地獄。
「あーー、えーっとね……阿鼻は政令指定地獄でしょ、そっちで何とかして。天国のことは知らないよー。鬼灯君にでも相談してっ」
次々に殺到する対応にオロオロして眉を下げながら、閻魔は指示を出していく。
鬼灯とは、彼の第一補佐官だ。
「アレ……そういえば、鬼灯様は……」
新人の獄卒・
「視察に行ってるよ。この忙しさでさァ、彼もあっちこっち引っぱりだこだよ」
すると、閻魔に質問の手が挙がった。
「――あ、そういえば大王様、女の亡者を雇ったって本当ですか?」
「俺も聞いたぜ。なんでも、鬼灯様から直々に有能だと判断されたらしい」
「うん、本当だよ」
その発言に、取り囲む獄卒達は一気に色めき立った。
一部では歓声も湧く。
「うぉぉぉぉ、マジか!?」
「噂によると、まだ若いってよ!」
「しかも超美人!」
何やら一部個人的な発言が混ざっているが、わかりやすく妄想に取りつかれる彼らは、もはや遠慮もなくなっていた。
目を血走らせ、息を荒くしている者もいる。
「凜ちゃんはいい子だよ。優しいし、殴らないし、鬼灯君とは大違い」
ただ一人、実際に会っている閻魔は第二補佐官を思い出して表情を緩ませ、ほのぼのとした笑顔を浮かべた。
場所は変わって不喜処では先程名前があがった鬼神・鬼灯が獄卒と共に歩いていた。
「――針山は特に問題なし。
「従業員不足ですねえー」
目の前の鬼灯の紋様を追いかけながら、凜は頭上で交わされる会話のメモを取る。
※不喜処…犬や鳥に骨の髄までしゃぶられる地獄(地獄の中では軽い方)。
第二補佐官――朱井 凜(享年18歳)は天国に空きができるまでは、鬼灯の元で働くことになった。
リストに従業員不足、と書き込む。
具体的な人数を聞いた方がいいのかな、と思っていたその時、後ろから唐瓜が走ってきた。
唐瓜は振り返った彼女の顔を見て、思わず立ち止まった。
その顔は端正に整っていながらも幼さを残し、周りを彩る亜麻色の髪や赤みがかかった瞳と相まって、日本人離れした神秘的な印象を与えてくる。
彼女を飾る服装は、和服をベースにしたもの。
しかし各所に現代風のアレンジが加えられている。
「あの……何か用で?」
声をかける凜に唐瓜は一瞬見惚れ……そして仕事中に気づくと、鬼灯への報告を優先させる。
「鬼灯様ァーー。天国の桃源郷から人材貸出しの要請が……」
「天国の世話までしてられませんよ」
バインダーを受け取り、ざっと目を通しながらぼやく鬼灯の横で、不喜処の報告をしていた獄卒がたしなめる。
「オイ、今、こっちの相談してんだぞ、割り込むなよ」
書類に目を通す鬼灯が忙しそうなので、失礼します、と先の獄卒に話しかける。
「あたしが代わりに伺っておきますが…」
朱井 凜が閻魔大王の第二補佐官である事実は、早くも知れ渡っていた。
「ああ、あんたは最近、任命された第二補佐官だっけ?」
「はい」
凜が微笑むだけで、獄卒は顔を赤くした。
思わず見惚れてしまうほどの微笑みである。
途端に鬼灯が割り込む。
「どうせ、
「今さらっとアホって言った?」
さらりと閻魔をこき下ろす発言に耳を疑う。
「――そういえば鬼灯様、隣にいるのは…」
「鬼灯様が女の子といるなんて珍しいなぁ」
「彼女は今日から私の補佐をしている凜さんです」
「朱井凜です。ご指導お願いします」
「「こちらこそ、よろしくお願いします」」
互いに頭を下げ、軽く挨拶を交わす。
第二補佐官の紹介を終えたことで、鬼灯は本題に入った。
「桃源郷ですか…まァよくも罪人もいないのにヌケヌケと…ゆったりたっぷりのんびりしてるくせに…」
「…旅ゆけば楽しい…」
「…ホテル三日月…」
鬼灯の言葉に、極楽の地を想像する二人。
「何でもかんでも私に回してくる」
本来ならば閻魔大王が決めるはずの、雑多な情報の中から必要なもの、事実と
しかし、凜は頬を膨らました。
「……あの、鬼灯さん、あたしに任せられた仕事を勝手に取らないでください。やる気満々だったんですから」
「この際だから言いますけど」
「はい」
「様をつけなさい、上司ですよ」
「別にさん付けでいいじゃないですか」
威厳を込めて命じられたが、凜は受け流した。
「やれやれ、社会ルールを叩き込まねばならないとは。教育しがいがあります」
厳しい視線を突き刺す鬼灯に、凜は適度に自己主張する。
「敬語」
「嫌です」
「むしり取られたいんですか」
すると、赤いリボンで結われた髪を思い切り引っ張られた。
鬼灯が本気を出せば、髪の毛が抜けそうだ。
「痛っ――いだだだだっ!!」
「今のは抵抗ですか」
「いいから離してください!!」
鬼灯が手を離すと、凜は涙目で抗議の声をあげる。
その頃、地獄では予想外の来訪者が怒りを露にしていた。
「だからよォ!!ここで一番強い奴、連れて来いっつってんの!!」
「困りますよぉ~~。そういうことはまず受付を通して頂いて……」
「っかーーッ!!そういうことしか言えねーのかよっ、このマニュアル獄卒!」
埒が明かないと判断した一人の獄卒が、もう一人に助けを求めるよう指示する。
「オイ、今、鬼灯様いらしてるよな?」
「え………はい確か視察で…」
「ちょっと呼んで来てくれ。俺達じゃどーにもなんねーよ」
深い吐息と共に言葉を吹き込む前で、来訪者はなおも騒いでいた。
言われた子鬼は頷き、鬼灯を探しにその場を後にする。
遠くに見えるのは、日本にはありはしない針山。
道は舗装されていないし、荒涼とした大地が続く。
全体的に灰色の世界。
そう、ここは紛れもなく地獄なのだ。
そして一つ仕事が終われば次が舞い込んでくるのがここ、地獄だ。
「桃農家への人材貸出し?」
唐瓜の持ってきた書類を読み上げ、凜は目をまばたきした。
鬼灯は眉間に皺を寄せて、天国の要求を突っぱねる。
「桃の木はこれ以上、いりません。そもそも
「確かに、豊かすぎるとかえって衰退するって言うし」
ぞんざいな素振りで告げられた鬼灯の言葉に、凜は顎に手を当てて同意する。
「ですが桃源郷は天国の最大観光スポットですし、かつ重要文化財として景観の維持を…」
「ああ…まあ、手入れは必要ですが…」
「とにかく、芝刈りだけでも手伝ってほしいと……」
「鬼灯様アアアアアアアアアアアア」
またもや慌ただしい声に振り向けば、白いふわふわの髪に垂れ目と麻呂眉毛の
「どうしました」
「スミマセンッ、ちょっとトラブルが……桃太郎というのが来て……」
桃から産まれて三匹のお供を連れて鬼退治に行って金銀財宝をかっさらっていった奇妙なヒーローさんが脳裏に浮かんだ。
(ファンタジーの次は日本昔話だと?)
「桃が来た?いりません」
「もらった品物はちゃんと受け取らないと失礼ですよ」
しかめっ面で返す鬼灯と眉をひそめて怒る凜。
たまにあるこういった二人の言動は、ただのボケなのか天然なのか、わからなくなる。
「あ…イヤ…あの、別にお中元とかじゃないんですけど……とにかく来てくださいっ!」
唐瓜の抗議も虚しく、茄子はいそいそと鬼灯を引きずっていってしまった。
「あっ…ちょっと今、こっちの…」
「オイッ
「凜さん」
「はい」
鬼灯と一瞬だけ目が合う。
それだけで互いの意思が呑み込めた。
「現状のご報告さえ頂ければ、後に決定事項を」
「そうか。じゃあ頼むわ」
すると、獄卒は安心して、不喜処に欲しい具体的な人数やその仕事内容を聞く。
最後に希望の期限と彼の連絡先を控えておいた。
また連絡します、と言って頭を下げ、不喜処の方へ戻る彼を見送った。
そして、凜は所在なさ気に佇む唐瓜に向き直る。
「君、後でどうなったかは伝えに行くから、ちょっと待っててね」
「はっ……はい!」
――鬼灯さんのことだから、なんだかんだ言いながらも方法を見つけて対処してくれるだろう。
それじゃあ、お疲れ様、と言って唐瓜と別れて、鬼灯と茄子を追う。
凜が走ると、その束ねた長い髪もふわりふわりと舞い、赤いスカートも翻る。
時折見える太ももが艶めかしい。
が、その足に見惚れているとあの世へ直行だ。
何故なら彼女の靴は黒い革のブーツで実は鉄入り……要するに安全靴だから恐ろしい。
「桃太郎ってあの桃太郎ですか?」
「そうです!」
なんとか早足で進む彼らに追いつくと、鬼灯が振り返って、どうでしたか、と訊ねてくる。
急いで手帳を開き、早足で進みながらも簡潔に先程の話を伝えた。
ちょうど話し終えて、静かにそれを聞いていた鬼灯が口を開きかけた時、
「ギャーーー」
と悲鳴をあげる、中世ヨーロッパで刑罰や拷問に用いる拷問具を見つけた。
「あの
「いやっ…あの、あっち見てください、あっち!」
「あっ、鬼灯様!」
切羽詰まった声が聞こえて、二人の注意は否応なしにそちらへ惹きつけられた。
「申し訳ございません、お忙しい中…」
その男は日本一、と書かれた旗を掲げ、日本刀を構えていた。
古風な顔立ち。
胸の辺りには桃の印。
「おっ!そいつ、上官だな!?俺と勝負しろっ!!!」
正真正銘の桃太郎の後ろにはお供の犬、猿、雉が控えていた。
「えーと……」
鬼灯は逡巡した後、獄卒に耳打ちする。
「あの困ったさんはどこのコですか?」
「アレが桃太郎って奴です」
こそこそと囁き合う鬼灯と獄卒に、桃太郎は顔を真っ赤にしている。
「ヒッ…ヒソヒソするな!!」
恥ずかしがっているのか怒っているのか。
凜といえば、
「桃太郎実在したの!?」
と目を輝かせ、おとぎ話だと思っていた人物の遭遇に大騒ぎしていた。
(それにまず驚き…っていうか英雄がこんなところで何してんだ!)
『わあ、新鮮な反応』
その新鮮な反応に犬、猿、雉が驚きを口にする。
「アイツ急にやって来たと思ったら、道場破りなみたいなことし始めて……普段は天国の住民だから、捕まえてはおけないし…」
「…何でしょう…思ったより…………いえ、大変古風で見目麗しい…」
不意に、桃太郎は目を見開いた。
たまたま視線の先にいた、長い髪の麗しい相貌の少女・凜を見つけたのである。
「乙女……倒すべき敵を倒して、麗しき乙女を救う!これがなければ始まらない!英雄の存在意義がない!」
鬼を退治し、海を越えて旅する英雄。
英雄の血のたぎりに任せて激昂する。
一方の凜は、
「うん」
と一度頷くと、率直に感想を述べた。
「現代には通じない顔だね」
「なっ…何が言いたいっ!?」
ひそひそと話していたことを容赦ないストレートなご感想で放った凜に、その場にいた獄卒達は凍りつき、鬼灯は額に手をやり溜め息をついた。
桃太郎がまた顔を真っ赤にさせて怒り始める。
あ、一応恥ずかしいんだ。
「生前悪い鬼の対峙でご活躍なさったのを誇るのはいいですが、大義を見失っちゃあいませんか」
「いーや、見失ってないね。俺は鬼と戦ってこそ、桃太郎なんだ。なっ相棒!」
意気揚々と胸を張って、お供の三匹に振り返る。
「俺は
と犬。
「でも現代はキビダンゴより美味いものが多すぎる」
と猿。
「雇用形態が室町時代から変わらんから、正直転職を考えている」
とさらに追い討ちをかける雉。
お供達の返答はなんとも現実的で、互いの意見を聞いたお供同士、先程の鬼灯達のように桃太郎をチラチラ見ながら話し始める。
「あっ、お前も?」
「俺達、霊力ある神獣なのにさァ」
「アイツ一人、いつも熱いしなー」
「英雄の部下なのに何が不満なんだよォォォォ!!?」
哀れな桃太郎は、悲痛な声で叫んだ。
若者の就職率が低下しているとは聞いているけれど、その一例なんだな、この人は。
「要するに社内で体育会系が一人だけ変にたぎっていると」
「うっとうしいですね」
――人一倍頑張るが空回りする社員に、
「悪い人じゃないんだけど…」
――どうしていいかわからない他の社員がいる。
「…凜さん、セリフとらないでください…可愛いから許しますけど」
「あ、ごめんなさい。でも、可愛いなんて言葉は使わない方がいいですよ」
嫌味なつもりで告げた台詞ではない。
言葉通りの謙遜だ。