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幻寂SS

七月一日。梅雨も明け本格的な夏がはじまり、太陽は容赦なく照り付ける。外にいなくとも、窓から差し込む日光だけでじりじりと体力が削られていく。にも拘らず、まだ夏の盛りではないという事実は十分に小生の心を憔悴させる。
アスファルトから反射する熱は狡猾にも思えるほど攻撃的だ。
(こうも暑いと、何事にもやる気が起きませんねぇ)
物書き机には資料や機材が所狭しと乗っている。この光景もまた、興を削ぐ。
たまには、こんな日があってもいいでしょう。
元々午後には出かける予定があった。本当なら買い物を済ませてすぐに自宅に帰る予定ではあったが、少し足をのばしてみようなどと気まぐれに身支度を整え、靴を履いた。

初めて訪れた大きな公園の木陰のベンチに腰掛ける。休日だけあって人の姿はそこそこにあり、ついついぼんやりと観察してしまう。今日くらいは仕事から解放されてみようと思っていたはずなのに、あの日以来ずっと物語を考えながら生きている自分には難しいようで。
鮮明な光と緑の香りの中、虫の声もちらほらと聞こえ始めている。駆けまわる子供、幸せそうな両親、犬を散歩する婦人、ジョギング中の男性…普段は意識しないであろう平凡が目の前を過ぎ去っていく。
木漏れ日も喧騒も、生き生きと美しい。

「何気ない日常がかけがえのないものだと本当に理解したのは私も最近だよ。…今になって、あの頃が恋しいんだ。愚かしく、哀れだと君は思うだろうね」

あの人がそんなことを言っていたと思い出す。
きっと彼にとって、乱数や山田一郎、碧棺左馬刻と過ごした日々が、かけがいのないものだったのだろうことは想像に難くない。彼らの声は、争いに興味のない市民までも熱狂させるものだった。中でも当時リーダーとして先陣を切っていた彼は強く、美しく、強大な存在で、小生もその活躍に心を躍らせた。
そして彼は、あれ以上の夢を見ることはないのだろう。
それほどに彼らは『伝説』だった。
もうすぐテリトリーバトルがはじまる。小生はその場で、何ができるのだろう。
彼と乱数のバトルに、指先一つ動かせないかもしれない。恐怖。それは帝統も同じだ。彼はああ見えて完全に勝ち目のないものを見極める力は持っている。それは勘というより生来の賢さだ。
(それでも、何か。少しでもいい、傷跡を残したい)
夢だろうか、こんな歪な願望は。
諦めることは上手い方だと自負していた。賭けには出ずに堅実に積み重ねる性分だと思っていたし、実際そうして生きてきた。
いつの間に、こんなたいそれた夢を見るようになったのか。きっとあの日、突然の激しい夕立に濡れた髪をそっとかき上げ微笑む彼を見た瞬間から。まさか自分にこんな激情があったとは。

(いつか遠い日に、小生のことを思い出してくれますように)

気が付けば影がずいぶんと伸びた気がする。あぁ、柄にもなく、不毛な考えに時間を使ってしまった。しかし不思議と後悔はない。
夢の在処に向かって、どこまで行けるのか。今夜は筆が進みそうだ。
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