春の雨

 神主のミコトは春を気に入っているようだった。嘘をつかない性根がまっすぐなところと、蛇が苦手なのに神社から逃げ出さない律儀なところ……後者は他に理由があってのことだが、それが良い印象となったようだった。

「春ちゃん、蛇を好きになっておくれよ」

 ミコトは言った。
 春が思わず目を見開いて固まると、面白そうに笑って口を開く。

「蛇っていうのはね、本当は怖い存在じゃないんだよ」

 春には到底本当のことには感じられなかった。見るからに恐ろしい、気持ち悪い生き物。手足がなくしゅるしゅると声を上げる紐状の爬虫類。

 鱗。縦に長い瞳孔。鋭い牙。ぐねぐねと動く体。
 何もかもが寒気のする容貌をしている。

「蛇は本当は臆病なんだ。例外を除いて、ちょっかいを出さなければ襲ってくることはない」

 蛇顔のミコトが蛇について語っている。蛇を祀る神社で。
 見事に決まったコンボに、春は引きつった笑みを浮かべるしかできなかった。

「人に慣れれば手乗りする種類だっているんだよ」

 本当は苦々しい顔をしたかった春だが、こうも楽しそうに語られては笑顔を崩すわけにはいかない。

「きょとんとした顔が可愛らしい種類もいるし」

 蛇顔だけに親近感が沸くのだろうか?
 だからこの神社の神主をしていたりするのだろうか?
 疑問が浮かんできたところで、ミコトがふと微笑んだのを見た。

「いい子だねぇ」

 彼は春に向かって言う。春の引きつったまま固まっていた笑顔が、思わず真顔になった。

「え?」
「君は蛇が苦手だっていうのに、嫌な顔をせずに話を聞いてくれて」

 表情が固まっていたことが功を奏したらしい。ミコトがしみじみと呟いて春に手を伸ばす。そのまま頭を数度撫でた。
 ミコトの手は、ひんやりとしていた。髪の生え際辺りに触れたときに分かった。
 手が冷たい人は心が温かい、なんていう迷信を思い出す。確か祖母が言っていたような気がする。

「いい子、いい子」

 そういって撫で続けてくれるミコトに、春は何も言わず、されるがままになっていた。
 少しだけ、気持ちが良かった。

 神社のアルバイトを始めて、学業の成績も上がっていった。ご利益ではない。ミコトが分かりやすく教えてくれるのだ。

「アルバイトを辞めないでくれるお礼だから」

 彼はそう言って、覚えやすい語呂合わせや、この歴史上の人物は本当はこんな趣味があったなどと、興味が引かれる内容を口にする。
 勉強は嫌いではなかった春は、こんな教師ならばもっと勉学が好きになれたのに、と心で思わずにいられなかった。
 それほどに教えるのが上手いのだ。

 また、ミコトは少々悪戯好きな面もあった。
 賽銭箱の鍵を開けて、勝手に小銭を持ち出してしまうのである。

「え、い、いいんですか!?」

 神主はミコトなのだからある程度好きにできるのだろうが、それでも面食らってしまった。春が焦ってミコトに駆け寄ると、ミコトは悪びれもせずに返す。

「これでアイスでも買ってこよう?」
「でも、それ、お賽銭……」
「大丈夫、蛇神様の意思だよ、意思」

 買ってきて、と背中を押された。後ろめたい思いで振り向くと、バニラがいいな、と満面の笑みが返ってくる。
 思わず力が抜けてしまった。
 苦笑いのままコンビニへ行って、ミコトが望むとおりのバニラアイスを買って戻った。

「分けっこね。誰にも秘密だよ?」

 にんまりと笑った顔に愛嬌を感じて、春も笑ってしまった。二人で分けたアイスは舌に優しく溶けていき、悪戯と安らぎの味がした。


 雨が降った日は暇だった。
 参拝客がいない。
 それどころかミコトもいない。
 神社のどこを探してもいないので、社務所で時間を潰した。お守りを整理したり、傘をさしてやってくる参拝客の案内をしたり。

 そろそろアルバイトを終える時間だ。さて帰ろうと席を立ったとき、社務所の窓口に小銭が置かれているのを見つけた。小銭を文鎮代わりにしてメモ用紙が一枚置かれている。

 ――これでアイスを買ってきておくれよ。

 知らない間にミコトが置いていったのだろう。
 今日は駄目です。
 そうとだけ書き残して、思わず笑って、社務所を出た。
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