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マヒロとシルエラ


コントン都に夜はない。
基本的に、ではあるが。
中心部である街並みに夜が訪れることはないが、一部の居住区には、試験的に時間経過による空や景色の変化が導入されていた。
シルエラの住む居住区は、まさにその導入が行われている一角だ。

朝の日差しや昼の明るさは、実はそんなに好きではない。
夕暮れもあまり好きではなかったけれど、夜の静けさは好きだった。
けれど、静かな夜に一人きりで眠ることを、シルエラの中の『少女シルエラ』は、良しとはしていなかった。



***



冷たい夜気がさらさらと肌に触れ、シルエラはふと目を覚ます。
露出した肩に肌寒さを感じ、妙な違和感を覚えて起き上がった。
眠る直前に間違いなく閉めたはずの窓が開いていることに気がついたのは、そこから流れ込む冷えた空気が、再び肌を撫でた時だった。

―――そういえば、隣で寝ていたはずの恋人もいない。

「……マヒロさん?」
囁くような声で名前を呼びながら、シルエラはそっとベッドから降りる。
柔らかな絨毯を踏みしめつつ、開いた窓からバルコニーを覗くと、見慣れた姿が手すりにもたれ掛かり、ぼんやりとしているのが見えた。
「ん?」
シルエラの気配を感じ取ったのだろう。マヒロは振り返るなり、魔人特有の赤い瞳の中にシルエラを捉えて、彼女は穏やかに微笑んだ。
「ああ、シルエラ……起きてしまったか。いや、起こしてしまったか?」
「へいき」
普段よりも幼げな口調で返事をしてから、シルエラは白い足をバルコニーに下ろし、マヒロの隣に駆け寄った。
マヒロは何も言わずに優しい目でそれを見守ってから、再び夜空に目を向けた。
その横顔がどことなく寂しそうに見えて、シルエラはぱちぱちと瞬きしてみせた。
「……眠れないの?」
シルエラの問い掛けに、マヒロは静かに微笑んでから、
「少し、昔を思い出していた」
と、淡々と答えた。

マヒロの過去を、シルエラは知らない。
コントン都のTPの大多数がきっとそうだろう。
トキトキ都に降り立ち歴史を救った英雄は、自らについて多くを語ることを良しとはせず、ただあるがままに在るだけだった。

「……私、マヒロさんのこと、何も知らないわ」
少し拗ねたようにシルエラが呟くと、マヒロは目を細めて笑った。
「そうだな。確かに、シルエラには何も教えていない気がする」
「それなのに、どうして恋人になってくれたの?」
良い機会とばかりに、シルエラは疑問をぶつけてみる。
「今までにも付き合ってた子っていたの?私よりも前に好きな人っていた?」
「質問が多いな」
くつくつと楽しそうに喉の奥で笑いながら、マヒロは首を傾げてみせる。
「いや、恋人らしい恋人はお前だけだよ。好きな人……と、言うには少し俗っぽいか。お慕いし、敬愛している方がいることにはいるが、恋とは少し違う」
「……時の界王神様とか?」
その名を出された瞬間、ほんの少しだけマヒロの表情が揺らいだのを、シルエラは確かに見た。
「……いや、時は……まあ、敬愛には近いか。あれはまた別だな。トランクスと同じで、戦友に近い」
無意識にだろう、目を逸らしながらそう言うマヒロに、シルエラは「ふぅん、」とだけ返事をした。
マヒロは意外と、顔に出る。
クールな孤高の一匹狼と思われがちだが、深く付き合ってみるとそうでもない。
とはいえ、シルエラ自身はまだ、彼女の表面のほんの少し先までしか、見せてもらっていないのだけれど。
「……他に何が知りたい?」
マヒロに問われて、シルエラはぱちぱちと瞬きしてみせた。
「いや、確かにお前には何も話していなさ過ぎるな、と思っただけだ。お互い会話と肌を重ねはしたものの、きっとわたしも、お前のことをよくは知らない」
淡々と、だが真面目な顔で、マヒロはそう言った。
「……どうだろう?わたしの話と引き換えに、お前の話も聞かせてもらうと言うことで」
その提案に、シルエラは頷いた。
マヒロが自分に歩み寄ろうとしてくれるのは、少なからず嬉しかった。
「いいわ。じゃあ、マヒロさんからね」
「何が聞きたい?」
「んー……と、ね。じゃあ、昔の話をして」
「ああ、いいよ」
マヒロはそう言って、ふっと遠くを見るように、星空に視線を向けた。
「あれは……そうだな。わたしが、13かそこらのことだ。わたしには、妹が一人いてな……」
それからマヒロは、自分の生い立ちと、唯一の家族である妹について語った。
人を人とも思わぬようなスラムで生まれ育ったマヒロたちは、その日その日を生き抜くために、毎日足掻き続けていたのだとう。

マヒロにとって妹は、自分の全てであり、生き甲斐だった。
妹の笑顔を見るためなら、どんな手段も選ばなかった。

そうやって過去を語るマヒロの声色は、どこか少し硬さを帯びていて、けれど、とても優しかった。
垣間見える過去形の表現が少し気になりはしたものの、シルエラは口を挟まずに、時々相槌を打っていた。
……やがてマヒロの話は、彼女と妹との死別に辿り着いた。
彼女の妹の死について、詳しい経緯は語られなかった。
けれど、妹が死んだと、淡々と語るマヒロの横顔に、シルエラは何も言えずにいた。
「……わたしはきっとずっと、自分を許せない」
マヒロは静かな表情でそう言った。
「許せはしないし、許しもしない。永遠にそんな日は来ないし、来てはいけないとも思う。誰かが許そうとも、わたしは絶対に自分を許したくない」
「…………」
「……だから」
と。
マヒロはふと、申し訳なさそうな、物悲しそうな、そんな目をしてみせた。
「わたしは……お前をちゃんと、許してやれるか、自信がない」
「―――えっ?」
「お前はいつも、自分に甘えを許さないから。……わたしは少し、自信がない」
困ったようにそう言うマヒロに対し、シルエラは少し戸惑った。
まさかマヒロが過去を思い返しながら、自分について考えてくれているとは、思ってもみなかった。
―――けれど、改めて思い直す。
これはきっと、マヒロなりの誠意なのだ。
何も知らせず、何も教えずに関係を結んでしまった互いのために、マヒロが初めて見せてくれた『弱み』なのだろう。

それなら。

「……良いのよ、マヒロさん」
シルエラは、大人ぶった様子で―――彼女が日頃そうしているように―――魅力的な笑顔を浮かべてみせた。
「良いのよ。私、甘やかされると、すぐダメになるから。だからね、許さなくていいの」
大丈夫よ、と笑うシルエラに、マヒロは切なそうな表情をしてみせるだけだった。
安心して欲しい、と伝えたつもりだったが、きっとシルエラの笑顔は、マヒロには強がりとしか映らなかったのだろう。
上手くいかないな、と、シルエラは内心思った。
きっとマヒロとシルエラは、似たもの同士なのだ。
だからシルエラの強がりをマヒロは気がついてしまうし、マヒロの許せない気持ちをシルエラは理解出来てしまう。
それが良いことなのかどうなのか、少なくとも今はそうは思えなくて、ままならないことがもどかしかった。
「……シルエラ」
不意に、マヒロが言った。
「お前の話も聞きたいな。昔の話を」
「……いいわ」
シルエラは微笑んだ。
「でも、少し寒くなってきちゃった。一緒にベッドに入らない?」
「なら、そうしよう」
マヒロも穏やかに笑うと、シルエラの手を取り、二人は部屋の中へと戻って行った。



***



今にして思えば、似過ぎていたせいかもしれない。
マヒロに別れを告げられた時、シルエラは自分自身に原因を探し求めたが、結局何もわからなかった。
マヒロもただ「お前は何も悪くない」と言うばかりで、詳しく教えてくれようとはしなかった。
(……別に、いいんだけどね)
いいや、何も良くはない。
一人で眠るベッドの中は、あまりに広くて寒々しい。
シルエラの心の奥底にいる『少女シルエラ』が、そんなのは寂しいと泣きじゃくっているのを、シルエラは知っている。

いつからだろう。シルエラの中にはもう一人の『少女シルエラ』がいた。

いや、きっとずっと最初からいたのだ。
ただ、寂しがり屋で構われたがりの弱い自分を、『大人の女性シルエラ』は認めたくなかっただけで。
そして、マヒロも気がついていたのだろう。気がついていたからこそ、シルエラに別れを告げたのかもしれない。
少女シルエラ』を許せない『大人の女性シルエラ』を、マヒロもまた許してやれなかったから。

「…………………………」
気付けば、朝が来ていた。
カーテンの隙間から溢れる陽の光に顔をしかめながら、携帯端末で時間を確かめる。
昨夜は確か、仕事を終えたあとにターレスと飲んで、それから帰宅したんだったか。
何だかやけに懐かしい夢を見ていたような気がするけれど、あんまり思い出したくないような気もしている。
そんなことを考えているうちに、結局は夢の端々を思い出して、シルエラは溜め息を吐きながらベッドに身体を沈み込ませた。

自分で自分を宥めることを繰り返すうちに、いつからか一人で夜を迎えるのが怖くなって、シルエラは酒場に逃げ込んでいた。
時間を忘れ、くだらない話で暇を潰し、アルコールに誘われるがままに眠る。
そうすることで、少なくとも眠ることは容易くなった。その代わり、浅い眠りのせいで、夢を見ることが多いと多くなっていたけれど。
「………………」
マヒロが実際どう思っていたかなんて、シルエラが考えたって仕方がないことなのはわかっている。
それでも未だに忘れられずに思い出すのは、未練があるからなのか、それとも―――マヒロを許せないのか。
もしくは、自分を許せないのか。
「…………馬鹿みたい」
そう独りごちて、シルエラはベッドから飛び起きた。
朝日を浴びれば『少女シルエラ』はまた膝を抱えて引っ込み、『大人の女性シルエラ』が表舞台に立つ。
強く在れば在るほどに、シルエラは自分が輝くと知っていた。
だからこそ夜は寂しさに負けそうになる自分が、酷く悔しかった。
終わったことはさっさと忘れて、新しい恋をすれば良かったのかもしれない。
だがしかし困ったことに、『少女シルエラ』も『大人の女性シルエラ』も、理想とプライドだけは高いのだ。
シルエラのお眼鏡に適う相手はそうそうおらず、かといって適当な相手に身を任せて寂しさを紛らわすなんてことは、絶対にしたくはなかった。
(……いつかこんな私でも、受け入れて、許してくれる人はいるのかしら)
シンデレラコンプレックスという言葉が頭の片隅を過ぎり、シルエラは自嘲気味に苦笑いを浮かべた。
そんな相手、望んだっているわけがない。

―――けれど、一人で眠るには、ベッドはあまりにも広くて、寒々しい。

ただ、寂しいという気持ちを消したいだけなのに。
「……ままならないわねえ……」
独り言でぼやきながら、シルエラは朝の支度を始める。



……彼女がまだ見ぬ『誰か』に出会うのは、もう少し、先の話。


***
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