ザマス先生とイーリス
「人間は、醜く愚かで野蛮です」
淡々と、静かに担任の台詞を真似るイーリスに、ブロッサムはぱちくりと目をしばたたかせた。
コントン都の外れにある、小高く人気のない丘の上。
この都に住まう人々たちの様子がよく見えるその場所で、二人は佇んでいた。
街を見下ろすイーリスの静かな表情を横から眺めつつ、ブロッサムは肩を竦めてみせる。
「でも、そうじゃない人だっているよ?」
「……サキ先輩は、」
イーリスは街から目を離さないままに、静かに問い掛ける。
「自分がそういう者だと思ったことは、ありますか?」
「んー……」
後輩の問い掛けに、ブロッサムは少し考えてから答える。
「イーリスが言う人間が、具体的にはどういう人かはよくわからないけど」
そう前置きして、ブロッサムは続ける。
「自分があんまり頭良くないのは自覚してるし、見た目はそうだなぁ、人の価値観によるんじゃない?私は自分の姿形とか嫌いじゃないけど。あっ、でもねえ、野蛮なのは否定しない。戦うの好きだし」
ふと気づけば、イーリスはブロッサムに小さく微笑みかけていた。
ブロッサムの飾り気のない言葉は、常に清々しい。
いつだって彼女は邪気がなく、素直で真っ直ぐだ。
羨ましい、と、イーリスは内心思う。
彼女のように生きられたら、少しは悩まずに済むのだろうか。
「イーリスは?」
と、ブロッサムが不意に問いかける。
「自分をそんな風に思っちゃうこと、あるの?」
「わたし、ですか?」
イーリスは何度かまばたきしてから、軽く目を伏せた。
「……わたしは、」
少し迷ってから、イーリスは正直に答えることにした。ブロッサムに対して、嘘や誤魔化しや欺瞞で応えるのは、酷く不誠実な気がした。
「……サイヤ人が嫌いです。その全てを兼ね備えているから」
「…………」
「だから、その血が流れている私も同じように、醜く愚かで、……野蛮だと思います。ええ、他のサイヤ人たちと同じように」
―――こんな力さえなければ。
何度繰り返し思ったことだろう。
戦いの中で敵を打ち倒す度に、サイヤ人として扱われる度に、自分に流れている血が酷くおぞましくて憎らしかった。
野蛮で、醜くて、愚かで、汚らわしい。
そんな男ばかりを見てきた。
だから―――
「だからわたしは、」
イーリスは、ふっと息を吸い、一呼吸置いてから、囁くような声で言った。
「……ザマス様に、殺されたかったのかもしれません」
ブロッサムは目を見開く。
赤い瞳が動揺に揺れて、彼女は思わず繰り返した。
「ザマス先生に……?」
イーリスは微笑んで、頷いてみせる。
「あの方なら、わたしの弱さを許さず、強く在ることを許してくださるから」
無駄な戦闘力が役に立ったな、と。
そう言われて、身が震えるほど嬉しかったなんて、きっと自分にしか理解出来ないだろう。
そう思いながら、イーリスは再びコントン都を見下ろした。
*****
イーリスから話を聞いてきて欲しい、とコクビャクに頼まれた時、ブロッサムは思わずきょとんとした。
「私が?」
「サキ先輩が一番適任だと思うんですーよ」
コクビャクの口調は相変わらずどこかのんびりしているが、表情は真面目だった。
「最初はコクビャクが頼まれたんですーがね、サキ先輩の方がいいと思って」
許可は取ってますーから、というコクビャクに、ブロッサムは首を傾げつつ頷いた。
「いいけど……何聞いてきたらいいの?」
「ほら、イーリスって、えーと、」
「?」
「……めちゃくちゃ言いづらいんですーがね」
はぁ、と、コクビャクは一つ溜め息を吐く。
「ザマス先生大好きじゃないですーか」
「そうだね」
「それで色々悪い噂を立てられたりもしてるんですーよ」
「悪い噂って?」
不思議そうに訊ねるブロッサムに、コクビャクは言いづらそうに眉を顰める。
少し迷ってから、コクビャクは声を落として、ブロッサムだけに聞こえるように囁いた。
「……ザマス先生関連の歴史を改変するんじゃないかとか」
「何それ」
ブロッサムは不快そうに顔をしかめた。
「イーリスは絶対そんなことしないよ。真面目だもん」
「ですですーよ」
コクビャクは頷いてみせる。
「コクビャクたちはそのことを、誰よりもよく知ってるですーよ。でも、イーリスは……何せ、あの性格ですーから」
再び、コクビャクの口から溜め息が漏れる。
「敵を作りやすいんですーよ、むやみやたらと。それになまじ優秀ですーからね。やっかみも嫉妬も酷い」
「やっかんでる人たちがそういう噂を流してるってこと?」
ブロッサムは不機嫌さを隠そうともせず、唇を尖らせた。
「腹立つ」
「ですですーね」
コクビャクは同意を示してから、「ただ」と話を続けた。
「実際問題、イーリスの入れ込みようが半端ないのも事実ですーよ。しかも、相手があのザマス先生なんですーから……」
「ザマス先生、ダメなの?」
コクビャクの言い方が気になり、ブロッサムはきょとんとする。
コクビャクも同じようにきょとんとしてから、恐る恐るブロッサムに訊ねた。
「……ザマス先生のやらかしてる歴史はご存知ですーよね?」
「それは知ってるけど」
ブロッサムは首をかしげてみせる。
「やらかしてるのは他の先生も大体一緒でしょ。フリーザ先生とかセル先生とか」
「いや、まあ、そうなんですーが」
ブロッサムの真っ直ぐな疑問にちょっとたじろぎながらも、コクビャクは答えた。
「ただでさえ人間嫌いじゃないですーか、あの先生。でも、どちらかと言うとイーリスは気に入られて、よく一緒にいるですーよ。それが余計、悪い噂を加速させてると言うか……」
「その悪い噂流してる人達に、やめてって言えばいいんじゃない?」
提案するブロッサムに、コクビャクは首を横に振ってみせた。
「認めないですーよ、本人たちは」
「そっか……」
「で、ですーね」
と、コクビャクは少し強引に話を戻す。
「ちょっとあんまりにも不穏な噂なもので、時の界王神さまも見過ごすわけには行かなくなっちゃったみたいなんですーよ」
「ただの噂なのに?」
「人の言葉は、時に何よりも鋭いナイフになりますーからね」
淡々と言うコクビャクに、ブロッサムは何となく黙り込んでしまう。
普段は明るく無邪気に振る舞うコクビャクだが、時折こうして、誰よりも他人に対して冷ややかになる時がある。
そういう時、いつもブロッサムは、コクビャクに何と言えばいいのかわからなかった。
コクビャクは何かを察したのか、安心させるように微笑んでみせた。
「イーリスを心配したんですーよ、時の界王神さまも……。だから、イーリスにそういった意思がないことを、はっきり確かめたい、と。そーいうわけで、白羽の矢がコクビャクに立てられたわけなんですーが……」
「イーリスと一番の仲良しだもんね」
納得の人選だと、ブロッサムも頷く。
「私も、コクビャクがぴったりだと思うけど」
「コクビャクじゃダメなんですーよ」
「どうして?」
ブロッサムは率直に問い掛けた。
コクビャクは困ったように、それでいて寂しそうに、表情を曇らせた。
「……多分わたしじゃイーリスを、分かってあげられないから……」
「…………」
ブロッサムはそれ以上、何も言えなかった。
*****
どうしてザマス先生とずっと一緒にいるの?という、ブロッサムからの身も蓋もない質問に対して、イーリスは「例の噂のことです?」と、冷静に聞き返した。
「よく分かったね……」
「流石に耳に入りますから」
感心するブロッサムに対して、イーリスは澄ました顔をしていたが、わずかに眉間に皺が寄っていた。
自分自身が悪く言われるのは良い。が、この話がザマスの耳に入り、不愉快な思いをさせるのは気に食わない。
噂の出処を突き止めたところで、しらばっくれられて終わりだろう……などと考えていると、ブロッサムが「ねえねえ、」と、あらためて話しかけてきた。
「その噂のことはともかくさ、良かったらイーリスの話聞きたいな」
ブロッサムの笑顔は何のてらいもなく、素直なものだった。
「時の界王神さまには私から上手く言っとくから!あ、時の界王神さまっていうか、元はコクビャクから頼まれたんだけど……二人とも、イーリスのこと心配してたから……」
「…………」
それを言ってしまってはいけないのでは?とは思ったが、イーリスは黙っておくことにした。
嘘のつけないブロッサムのことだ。自分が聞いていたら、きっと教えてくれていただろう。
それに、世話になっている二人が心配してくれているのは、イーリスにも何となく伝わっていた。
「……場所を変えましょうか」
イーリスの言葉に、「うん!いいよ」と、ブロッサムは素直に頷く。
「どこ行くの?」
「着いてきてください」
そう言うなり、ふわりと飛ぶイーリスに、ブロッサムは慌てて着いていく。
そして二人が向かったのは、コントン都の外れにある、小高く人気のない丘の上だった。
*****
「ザマス様が人間を滅ぼすことをお決めになった理由を知った時、わたしは正直、『無理もないな』、と思いました」
イーリスはコントン都を見下ろしながら、ぽつりと言った。
ブロッサムは、黙って話の続きを待った。
イーリスも返事は望まずに、そのまま話し続ける。
「人間は、醜く愚かで野蛮で、醜悪な生き物だから、と。わたしもここに来るまでは、そんな人間たちしか知らなかったものですから」
でも、と、イーリスは顔を上げ、ブロッサムに向き直る。
眼鏡の奥の瞳が、柔らかく微笑んだ。
「コクビャクや、ユエ、……サキ先輩たちと出会って、わたしの世界は、大きく広がりました。醜く汚い世界の片隅から、美しいものが溢れる世界に広がって、……たくさんのものを、見せて貰いました」
そう言って、イーリスは再びコントン都に目を向ける。
今日も今日とて、様々な歴史から集まった人々で、街並みは賑やかだ。
そこは少なくとも、ブロッサムには、明るく楽しい世界に見えていた。
「……サキ先輩は、」
と。
イーリスが、静かに言った。
「ザマス様からお借りしたわたしの言葉に対して、そうじゃない人もいる、と、おっしゃってくださいましたね」
「うん」
ブロッサムはしっかりと頷いた。
「ユピテルやみんなは、醜くもないし、愚かでもないよ。野蛮かどうかは、人によると思うけど」
そう言ってから、ブロッサムは更に付け加えた。
「もちろん、イーリスもね」
「ありがとうございます」
イーリスは穏やかに微笑むが、すぐに表情を固くする。
「……でも、ザマス様のお考えは違いました。いいえ……あの方が、『何故醜く愚かで野蛮な人間が、この世に蔓延っているのか?』という疑問を抱かれた際、あの方にはわたしのように、答えが与えられなかった」
「……答えなら、出てたんじゃないの?」
ブロッサムは、思わず口を挟んだ。
「ザマス先生のお師匠様……ゴワス様、だっけ。その方が教えて……ちゃんと、止めようとしたでしょ?」
確かに、歴史でそう習った覚えがある。
ブロッサムの言葉にイーリスは、頷く代わりに、首を傾げてみせた。
「サキ先輩は……自分が、絶対的に正しい、と思っていることを、納得出来る根拠もなく否定された時、それをすんなりと受け入れられますか?」
イーリスの問いかけに、ブロッサムは咄嗟に答えられず、言葉に詰まる。
少し考えてから、
「……も、ものによる……」
そう答えると、イーリスは小さく微笑んだ。
ブロッサムなら、それでもなお、相手を受け入れる優しさもあるだろう。
イーリスは、そう一人で納得した。
「そうですか。でも、ザマス様にはゴワス様のお話は到底納得できず、受け入れられないものだった、ということです」
「……ゴワス様が説明不足だったってこと?」
言葉通り神をも恐れぬブロッサムの発言に、イーリスは苦笑するしかない。
あくまでも真っ直ぐで素直なこの魔人の少女には、歯に衣を着せては通じないのだと、改めてイーリスは思い直した。
「そうだとは、私は思いません。ですがゴワス様は、ザマス様のお話を否定はすれど、肯定することも受け入れることもありませんでした」
「受け入れたらダメだからでしょ?」
「そうでしょうか」
イーリスは小さく首を振ってみせる。
「少なくとも……ゴワス様があの方の話に一度は理解を示し、受け入れていれば……ゴワス様のお話も、あの方の耳に、いえ、心に届いたのではないかと、私は思うのです」
「……つまり、」
ブロッサムは、戸惑ったように首を傾げる。
「……ザマス先生が自分の話を聞いてもらえなかったから、ゴワス様の話も、ザマス先生には上手く伝わらなかったってこと?」
「わたしは少なくとも、そう思っていますよ」
神に対しておこがましくはありますが、と、イーリスは付け足した。
でも、と、何となく納得いかなそうに、ブロッサムは眉尻を下げてみせる。
「それだって、ゴワス様ばっかり悪いわけじゃないでしょ」
「そうですね」
イーリスが否定しなかったので、ブロッサムは少し驚く。
けれどすぐに、イーリスは言葉を続けた。
「ですが事実として、あの方の周囲に、あの方を理解する者はいなかった。理解されることなくただ否定され、だからこそ、あの方は自分自身しか信じられるものがいなかった」
「……ゴクウブラック……」
ブロッサムが思わず呟いた名前に、イーリスは静かに視線を落とした。
そして、学んだ通りの歴史が辿られていくのを、二人はよく知っている。
ザマスが進んだ道の、その結末も。
「……正直なところ」
俯いたまま、ぽつりと呟くように、イーリスが言った。
「誰かがあの方のお考えに理解を示し、そのうえであの方がまだお気付きではなかったことを、気付かせて差し上げられたのなら……あの方が師を裏切り、この世から魂ごと消されることはなかったのかもしれないと、そう思うことはあります」
「…………」
「でも」
イーリスは、真剣な表情で顔を上げる。
「わたしは、あの方が進んだ道は、決して間違いではないと思っています」
「……イーリス」
「誤りでも間違いでも、歪んでもいない。あの方はただ、ご自分が思うままに、感じたこと、望んだことのままに、ご自身が選ばれた道を進んだだけです」
力強く、彼女ははっきりとそう言った。
イーリスの表情に表れている強い想いに、ブロッサムは何も言えなくなってしまう。
「歴史には例え、大きな罪を犯した神として記されようとも、わたしはそんなザマス様が歩まれた道を守りたい。そして、叶うことならば―――ザマス様の、味方でありたい」
イーリスは言葉を切ると、遠くを見るように目を細めた。
「……あの方を知るほどに、その想いは増すばかりで。だからこそ今も尚、あの方をもっとよく知りたいと思っている」
「…………」
「だからわたしは、あの御方の傍に、出来る限りいたいのです」
そう言って、イーリスはブロッサムに視線を向け、小さく微笑んでみせた。
「……これで、答えになっていますか?サキ先輩」
「えっ?」
イーリスからの問いかけに、ブロッサムはようやく、最初の質問に対する答えを得たのだと気がついた。
「……うん!」
「なら、良かったです」
ブロッサムの笑顔に、イーリスも安心したようにまた笑ってみせる。
「……サキ先輩は、不思議な方ですね。こんなに話すつもりはなかったのですが」
「そうかなぁ?あ、でも、ザマス先生も良かったね」
「え?」
ブロッサムからの唐突な言葉に、イーリスはきょとんとする。
「だって、ザマス先生は歴史の中で、自分を理解してくれる人に出会えなかったんでしょ?」
ブロッサムは、まるで自分のことのように嬉しそうな顔で続けた。
「でも、イーリスは誰よりもザマス先生のこと考えてくれてるし、誰よりも理解しようとしてるじゃない。だから、良かったなぁって」
「えっ、え?」
イーリスは思わず何かを言いかけるも、言葉にならず、とりあえず首を横に振った。
「そ、そんな、わたし如きが……いえ、確かにそういう話はしましたが……」
「それにイーリスは、もし間違っても正しい道に行こうって頑張れるし、頭もいいし、醜くも野蛮でもないでしょ」
ブロッサムは更に言った。
「だからイーリスなら、ザマス先生に、人間ってそんな悪いもんじゃないって思わせられるんじゃない?」
「そ、そんな……」
まさに名案と言わんばかりのブロッサムに対し、イーリスはおののくようにまた首を振る。
「そんな、わたしのような分際で、ザマス様に影響を与えるなんて……そんな、おこがましいです……」
「そうかなぁ」
「そ、それに、ザマス様の過去と未来は、既に歴史に刻まれたものなのですから」
動揺を抑えながら、イーリスは言う。
「だから、わたしがどうあろうと、関係ないのでは……」
「うーん、そうかもしれないけどさ」
そう言いながら、ブロッサムがコントン都に目を向ける。
イーリスも、思わず釣られてそちらを見た。
「コントン都にいる間くらい、元の歴史で出来なかったこと、出来てもいいなぁって……先生たち見てるとね、そう思っちゃうんだよね。イーリスは、そう思わない?」
「それは……いえ……あの……」
それなら、確かに歴史改変には当たらないけれど。
イーリスは何と答えるべきか、暫く迷ってから、
「わ、わたしは……」
「ん?」
「……わたしは、……」
囁くような、小さな声で、イーリスはブロッサムをちらりと見上げる。
「……ザマス様のお傍にいても、いいんでしょうか……」
ブロッサムは再びきょとんとしてみせる。
「だって、一緒にいたいんでしょ?」
「そ、それは、そうなんですが、」
「じゃあ、一緒にいたらいいよ」
「で、でも、ご迷惑かも……さっき語ったのも、全部わたしの独りよがりですし」
「大丈夫だってば」
そう言って、明るくブロッサムは笑う。
「あのザマス先生が、自分の気に入らない生徒をずっと傍に置いとくわけないじゃない」
「……大丈夫、という話の、何の根拠にもなってませんが……」
半分呆れつつ、でも、そうだったらいいな、と、イーリスは思う。
少なくとも、邪魔にされていなければいい、と。
「大丈夫だってば〜。イーリスってザマス先生関連は自信あるのかないのかわかんないね!」
「いえ、さっきの話も別に、自信があったわけではなく……あ、はい。いえ。やっぱりそれでいいです、もう。はい」
ブロッサムの真っ直ぐさは、時々純粋過ぎて扱いに困る。
イーリスが色々諦めようと決めた時、「……ねえねえ」と、ブロッサムが悪戯っぽく笑いながら囁いた。
「ザマス先生の、どこを好きになったの?」
「…………」
―――瞳に、貫かれた。
イーリスが、真っ先に思い出したのがそれだった。
まだタイムパトローラーに成り立てで日も浅い頃、見上げた先の丘の上から見下ろす、氷のような見下げ果てた視線に―――貫かれたのだ。
真っ直ぐに。何処までも。深く、深く。
……つまりは世に言う、一目惚れだったわけだが。
「……内緒です」
「ええ〜?」
「それよりサキ先輩」
不意に不安になって、イーリスはブロッサムに向き直る。
「わたしからの話を、どのように時の界王神さまにお伝えするつもりなんですか?」
「え?えーっと……」
ブロッサムは少し考えて、真面目な顔で言った。
「……イーリスはザマス先生大好きなだけだから大丈夫ですって」
「…………」
「えっだってそうでしょ?!」
「いえ、もういいです」
思わず溜め息が漏れた。そもそもこの人が、上手いこと誤魔化すとか出来るわけがなかった。
「とりあえず、自分で弁明しに参りますから……サキ先輩は、わたしの話の証人になっていただければと」
「わ、わかった……」
何がいけないんだろうと考え込むブロッサムに、イーリスは小さく笑ってみせる。
「……全く、わたしも頼れる先輩を持ったものです」
「えっ?」
「いいえ、何でも。さ、行きましょう」
先に飛んで行くイーリスを、ブロッサムは慌てて追い掛けた。
*****
後日。
数名のタイムパトローラーがイーリスに『手合わせ』で負け、それ以来『悪い噂』はぱったり止んだらしい。
「……それは野蛮って言わないの?」
「何のことでしょう」
ブロッサムの疑問に対し、イーリスはしれっとした表情だ。
「あくまでも、私は申し込まれた手合わせを受けたまでのことです。鍛錬にもなりますから」
「どうやって相手に申し込ませたの……」
「ですから、何のことでしょう」
にこりと笑うイーリスに、ブロッサムは小さく頭を振った。
敵に回したくない後輩だなぁと、しみじみ思ってしまう。
「なーんのお話ですーっかっ!」
「わわっ」
二人の間に割り込むようにして、ひょこっとコクビャクが顔を出す。
「先日あなたが心配してくださっていた件ですよ」
イーリスが何でもないことのように答えると、
「ああ!あの件解決したんですーね、良かった良かったですーよ」
コクビャクはそう言って、安心したように笑った。
「……ねえねえ、コクビャク」
「はい?何ですーか?」
ブロッサムはふと思い出したことを訊ねようとして、口を開けたまま止まってしまった。
「ええっと……」
流石に、イーリスがいる前では聞き辛い。ブロッサムがむにゃむにゃ誤魔化そうとしていると、コクビャクは何かを察してくれたらしい。
「イーリス、サキ先輩借りていくですーよ」
「どうぞお好きに」
「借りられてきまーす……」
コクビャクは少し離れた場所までブロッサムを引っ張っていくと、「で、なんですーか?」と、あらためて聞き直した。
「こないだのことなんだけどね」
「はいですーよ。あ、あらためて、イーリスにお話聞きに行ってくれてありがとうでしーた」
「いやいやそれは良いんだけど」
ブロッサムはちょっと言葉を考えてから、少し心配そうな表情を浮かべて、コクビャクに訊ねた。
「……こないだ、コクビャクがちょっと寂しそうだったから。イーリスと何か喧嘩でもしたのかなーって」
「ほあ?」
コクビャクからすれば、予想外の話だったらしい。やや素っ頓狂な声を上げてから、コクビャクは「うーんと、」と視線を上げて考え始め、
「……イーリスの話聞いてきてってお願いした時ですーよね?」
「うん」
「ああー……いや、そういうわけじゃなかったんですーよ」
心配させてごめんなさいと、コクビャクは小さく謝った。
「うーん。コクビャクとイーリスは確かに仲良しですーけど、やっぱり分かり合えないこともあるですーよ」
「ザマス先生のこととか?」
「それもだし、フューのこととかもですーね」
ちょっと困ったように言うコクビャクに、ああ……と、ブロッサムは納得してしまう。
「イーリス、フュー苦手だもんね……」
「苦手というか嫌いですーからね……そう言うコクビャクもザマス先生ダメですーし」
「えっそうなの」
驚くブロッサムに向かって、コクビャクは頷いた。
「だから、コクビャクからお話を聞くのは止した方がいいかなーって思ったんですーよ。何かの弾みで、イーリスを傷付けたくないですーから」
そう言って、コクビャクは首を傾げてみせた。
「分かってもらえないっていうのは、寂しいものですーよ」
「……それは何となく、わかるよ」
ブロッサムも小さく頷いた。
「ま!そんなわけでしーたから、お気になさらず。何にせよ、無事に解決して良かったですーよ」
「無事って言うのかなぁ……」
「いいんですーよ、友達が無事ならそれで」
コクビャクはからりと笑った。
「大切な人の味方でありさえすれば、後は何とでもなるんですーから」
ブロッサムは一瞬きょとんとしてから、思わず微笑む。
「……イーリスとコクビャクが何で仲良いか、分かったような気がする」
「ほえ?」
「んふふー、何でもない。そろそろイーリスのとこ戻ろ!」
そう言って、ブロッサムはコクビャクの手を引いた。
コクビャクは慌てて体勢を崩しそうになりながらも、ブロッサムと共に、イーリスの傍に戻っていった。
*****