このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

フューとコクビャク


走っている。
走っている。
走っている。

追い掛けられて、
追い掛けられて、
追い付 かれ て



「ひっ!」
コクビャクの肩を、何者かががっしりと掴んだ―――ような、気がした。
肩に何も触れられていないことを確かめてから、コクビャクは今、自分がベッドの中にいることを思い出す。
―――あれは夢。夢だったのだ。
そう言い聞かせても、息苦しさと震えが止まらない。
一人で耐えるのはあまりに辛くて、コクビャクはベッドを抜け出した。
多分、今なら彼がいるはずだ。
部屋を間借りした挙句に、すっかり居着いてしまってはいるけれど、こういう時は、ただひたすらに存在が有り難い。
「フュー……?」
呼び掛けながら、そろそろと部屋のドアを開ける。
明かりをつけていなくても、部屋の中は大量のディスプレイのせいで少し眩しい。
その中心で回転椅子にあぐらをかきながら、フューは画面と睨めっこをしていた。
「んー?あれ、起きちゃったの?」
回転椅子をぐるりと回し、フューがコクビャクの方を向いた。
「寝るって言ってからまだ4時間しか経ってない……、……コクビャク?」
「……怖い、夢見て」
コクビャクは啜り上げながら、フューに駆け寄った。
「……ごめんなさい、今、一人じゃ、いられそうに、なくて、」
「コクビャク」
フューはコクビャクの小柄な身体を抱き寄せ、抱き締めた。
「これでいい?」
「ん……」
コクビャクは小さく頷き、フューの首に腕を回して抱き着いた。
「ありがとう……ごめんね、急に」
「だーいじょうぶ、もう慣れたよ」
フューはそう言って、コクビャクの髪を撫でる。
コクビャクはほっとして、小さく息を吐いた。
「今日はどうしたの。昔の夢でも見た?」
悪気なく訊いてくるフューに、コクビャクは頷いてみせる。
正直触れられたくないところではあったが、今更フューに対してそんな気遣いを求めるつもりはなかった。
今こうして抱き締めてくれているのも、度々コクビャクが悪夢から目を覚まし、その都度「抱き締めて欲しい」と頼んでいたのを覚えていただけ、というのも分かっている。
フューの体温は温かくはなかったが、それでもコクビャクの気持ちを落ち着かせるには、十分過ぎるほどだった。
「そっかぁ……」
何か思うところがあったのか、うーんと唸りながら、フューが天井を見上げる。
「ならボク、悪夢を見なくなる薬でも開発しようかなぁ……」
「やめて、絶対ろくなことにならないから」
「あはは!信用ないなー」
座る?とフューが膝を叩き、コクビャクはおずおずと彼の膝に座った。
痛いくらいの息苦しさはとうに落ち着いていたが、もう少し彼に触れていたい。
甘えるようにすり寄ると、フューも体重を載せて寄りかかってきた。
「……ねえ、コクビャク」
「……?」
「そんなに辛い歴史でもさ、君は変えたいと思わないの?」
唐突な問いに、コクビャクは目を瞬かせる。
フューが興味深げな顔をしているのを見て取って、コクビャクは少し考えてから、答えた。
「……そう、だね。変えられるなら、どんなにいいか」
「じゃあさ……」
「でも、」
何か言いかけたフューの言葉を遮って、コクビャクは更に続ける。
「歴史を変えたところで、今の私が変えられるわけじゃないでしょ」
「…………」
フューの不満そうな表情に、コクビャクは苦笑した。
そんなのボクがなんとかする、とでも言いたいのかもしれない。
正直なところ、余計なことはしないで欲しい。
「それにね、歴史を改変しちゃって、そのせいであなたに出会えなくなるのは嫌だよ、私」
「そこはボクが何とかすれば良くない?」
やっぱり言い出した。
コクビャクは思わず笑いを堪えながら、宥めるようにフューの髪を撫でた。
「何とかしなくていいから。余計なことしないで」
「だってさ〜……」
「良い子だから、わがまま言わないの」
「む〜……」
フューが唇を尖らせる様子は、完全に子供のそれだ。
コクビャクはやれやれと思いつつ、「ダメだからね?」と、もう一度念を押した。
フューはしばらく黙っていたが、やがて、
「……ねえ、コクビャク」
と、甘えた口調で擦り寄ってきた。
「なに?」
「一緒に寝よっか」
と、フューが色眼鏡を外す。
「なんかボクも眠くなってきちゃったんだよね」
「……ん、そっか」
コクビャクは小さく微笑んだ。
「なら、一緒に寝よう」
そうして二人で寝室に向かい、ベッドに潜り込む。
まだコクビャク自身の体温が、温く残っていた。
「おやすみ、コクビャク」
「おやすみ、フュー。良い夢を」
どちらからともなく声を掛け合い、寄り添って目を閉じる。
悪夢は、見ずに済みそうだった。



***



パラレルクエストの受付は今日も賑々しい。
順番待ちを退屈に待つうちに、昨夜の睡眠不足がじわじわと効いてきていた。
「ふぁーあ……」
「寝不足か?」
コクビャクが思わず大きく欠伸を漏らすと、いつの間にか横にはユピテルが立っていた。
「ふぁ。おはようですーよ、ユピテルくん」
「おはよう、コクビャク」
コクビャクは目尻に浮かんだ涙を拭いながら、「ちょっと悪い夢を見てですーね……」と答える。
「いやまあ、その後すぐに寝直したんですーけどね。だから、ちょびっと寝不足ってとこですーよ」
「そうか」
ユピテルの返事は淡々としていたが、声色はどこか優しい。
「寝不足での戦闘は危険に繋がる。大事ないのであればいいが」
その言葉から、彼が心配してくれていたのだとコクビャクには分かり、ちょっとだけ嬉しくなった。
「えへへー、大丈夫ですーよ。無理はしないですーから」
そう答えてから、コクビャクはふと気になり、訊ねてみることにした。
「ユピテルくんは、怖い夢見たりするんですーか?」
ナメック星人も夢を見るのだろうか。
そんな好奇心からの質問だったが、ユピテルは不思議そうに、
「怖い夢、とは?」
と、聞き返してきた。
「ええと……何かに追っかけられたり、とか?」
コクビャクは昨夜の悪夢を思い出さないようにしつつ、答えを返す。
ユピテルは考え込むように顎に当てて、
「……そういった夢を見た覚えはないが」
「そうなんですーか?」
「いや、怖い夢か……そうだな、」
と。
「あの人を、失う夢を見たことなら」
ユピテルの視線が投げ掛けられた先には、魔人の少女―――ブロッサムがいた。
ちょうどパラレルクエストの受付の真っ最中らしく、受付用ロボットと何か楽しそうに話をしている。
コクビャクはその姿とユピテルを交互に見て、はふ、と一つ息を吐く。
「……ほんとにユピテルくんて、サキ先輩好きですーね……」
いっそ感心すらしてコクビャクがそう言うと、ユピテルは首を傾げてみせた。
「……この感情に地球人が名前を付けるなら、そうなるんだろうな」
「分かってるですーよ。恋愛感情じゃないんですーよね?」
「少なくとも、そうであるとは思うが」
と、ユピテルは自らの顔の傷に指を添えるようにして、目を細めた。
「そもそも恋愛を理解出来ていない以上、これが恋愛感情ではないと否定出来る根拠も、俺は持たん」
「ほえ」
「……それを言うと、周囲がまたやかましく騒ぐだろうからな」
ユピテルの唇が、コクビャクにだけわかるように微笑んだ。
「今のはここだけの話にしてくれ」
「い、いいですーけども」
コクビャクはぱちぱちと目を瞬かせ、怪訝そうな顔をしてみせる。
「コクビャクには言うんですーね?」
「お前のことは信用してる」
あっさりと、だがきっぱりとユピテルは言った。
「理解もしてくれている。いや、少なくとも理解しようとしてくれているからな」
「ユピくーん!早く行こー!」
ブロッサムがユピテルに声をかけるのが聞こえ、二人はそちらに顔を向けた。
ブロッサムはコクビャクにもすぐ気付き、嬉しそうに手を振り始める。
「今行きます!……ではな、コクビャク」
「行ってらっしゃいですーよ」
ブロッサムとユピテルの二人に手を振って、コクビャクは彼らを見送った。
―――と。
「君のこと『は』、信用してるってさー」
「やっぱり聞いてたんですーか」
背後に突然現れたフューに向かって、コクビャクは呆れたように言った。
フューは甘えるようにコクビャクの頭に顎を載せ、のしかかる。
「重いんですーけど……」
「ねえねえ、」
フューはコクビャクの顔を覗き込むようにして訊ねる。
「コクビャクもボクがいなくなったらやだ?」
「当たり前のこと聞くんじゃないですーよ」
コクビャクの返答に、フューはにんまりと笑った。
「夜中に抱きつけなくなったら困るもんね〜」
「それはいいですーけど」
と、コクビャクはフューをかわして、正面から向き合うように立つ。
それから、
「毎晩あなたを夢に見そうだから、出来れば急にいなくなったりしないで」
―――と、フューにだけ聞こえる、小さな声で囁いた。
フューは一瞬呆気に取られ、
「……努力するよ」
「うむうむ、よろしいですーよ」
思わず真面目な顔で答えるフューに対し、コクビャクはあっという間に『いつもの顔』をしてみせる。
「あ、そろそろ順番ですーね。じゃ、仕事行ってくるですーからね!良い子にしてるんですーよ」
「はぁーい」
幼い姉弟のようなやり取りをしてから、コクビャクは受付へと向かっていく。
「……夢見なくなる薬、作るのやめとこっかなぁ……」
その背中を眺めながら、ぽつりとフューが呟いたのに、コクビャクは気付いていなかった。
1/1ページ