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未来師弟(歴史改変時空)




『悟飯さんのところに泊まるの?いいなぁ』
電話の向こうから羨ましげにそう言われて、トランクスは困ったように笑う。
「ああ、なかなか雨も止まないし……うん、母さんにも言っておいてくれ。夜更かししないようにな」
子供扱いしないでよ、と拗ねたような返事が返ってきてから、電話が切れた。
ついつい兄のような素振りで接してしまったことに反省していると、微笑ましそうな表情でこちらを見られていることに気付く。
「すっかりお兄ちゃんだな」
「や、やめてくださいよ悟飯さん」
「はは、悪い悪い。からかったつもりはなかったんだけど」
悟飯は朗らかに笑って、右手でトランクスの頭をくしゃくしゃと撫でた。
そういえば、別の未来では彼こそ『お兄ちゃん』だ。
けれどこの世界の彼に『弟』はいない。
そのことを思い出しながら、トランクスは何となく窓の外を見やった。

雨が降っていた。




*****





悟飯が一人暮らしすると聞いた時、トランクスは少なからず驚いた。
人造人間を倒し、脅威を少なからず取り除いた後は、「親孝行がしたい」と悟飯は言っていたのだ。
「チチさん、寂しがりませんか」
「ああ……うん、」
君だから話すけど、と悟飯は前置きしてから、
「俺が家にいる方が、母さんが辛いような気がして」
そう言って、申し訳なさそうに笑った。
トランクスは、不用意に訊ねてしまったことを後悔した。
悟飯が一人暮らしを始めてから、彼の腕では何かと不便だろうと、ブルマは度々トランクスたちを手伝いに向かわせた。
いつでも悟飯は歓迎してくれて、手伝いどころか、夕食をご馳走になることも度々あった。
「夕飯の用意の手間が省けて助かるわー。これじゃどっちが手伝ってもらってるかわからないわね」
ブルマはそう言って笑っていた。
夕食をご馳走になっても、トランクスたちは、必ず遅くならないうちに帰ると決めていた。
悟飯の家は、そう広くはない。泊めて貰うなんてことになれば、きっと彼は客人にベッドを譲るだろう。
悟飯にはゆっくり身体を休めて欲しい、というのが、二人のトランクスの総意だった。
「また来ますね、悟飯さん」
「ああ、いつでもおいで」
明るく笑って手を振る彼の表情は、いつも少しだけ、寂しそうに見えた。



その日は、トランクス一人で悟飯のところを訪ねていた。
何か特別な用事があったわけではない。
強いて言うなら、トランクスが悟飯の顔を見たかっただけなのだが、もちろん、本人にそんな恥ずかしいことを言うつもりは無い。
手伝いも要らないような簡単な用事を済ませてから、他愛のない雑談を重ねていると、不意に会話が途切れた。
意味があるようでない沈黙が、二人の会話を通り過ぎる。
「……あ」
話題を探すように窓の外を見た悟飯が、小さく声を上げる。
「トランクス、君、傘は持ってきてたかい?」
「え?」
トランクスも釣られて外を見た。
ぽつりぽつりと、雨の雫が窓を濡らしている。
「晴れてたのに……」
「季節の変わり目だから、天気が変わりやすいのかもな」
意外とすぐ晴れるかもしれないよ、などと悟飯は言っていたが、雨足はひたすら強くなっていくばかりだった。
「…………」
あの日と同じだ、と、頭の中で誰かが言った。
確かに空は、あの日と同じ色をしていた。
灰色を塗り込めたような空からひたすらに雨が降っていて、崩れて壊れた建物の中に橙色の道着が目立って見えた、胸の奥を塞がれたような胸の中が空虚になったようなそんな感覚に支配されながら駆け寄った先には冷たい冷たくなった冷たくなっている彼が
「……トランクス?」
はっ、と、トランクスは顔を上げる。
目の前には、酷く心配そうな表情を浮かべた悟飯がいた。
「大丈夫かい……?」
「え、あ……」
トランクスは頭を振り、何とか笑顔を作ろうとした。
「す、すみません。何だかぼうっとしていたみたいで……」
「顔色が真っ青だ。無理しない方がいい」
言われてみれば、窓に映る自分の顔は酷いものだった。
「横になるかい?」
「いえ……ご心配おかけしてすみません」
脳裏にこびり付いた記憶を振り払うかのように、トランクスは軽く頭を振った。
「ちょっと、昔のことを思い出しただけです。もう大丈夫ですよ」
そう言って苦笑してみせるトランクスに、それでも悟飯は心配そうな顔をしていた。



夜になっても、雨は止まなかった。
「トランクス、今日は泊まっていくといいよ」
悟飯にそう言われた時、トランクスは安心したような、申し訳ないような気持ちになった。
雨を口実に出来るだけ悟飯のところにいたい気持ちと、いい加減帰らなければ行けないという考えがせめぎ合っているうちに、時間だけが経ってしまっていたのだ。
かといって、そのまま申し出を受けるのも、彼から言われるのを待っていたかのようで忍びない。
一度は断ろうとトランクスが口を開きかけると、悟飯が悪戯っぽく笑ってみせた。
「君たち、いつも遅くならないうちに帰っちゃうだろ?賑やかだった後に急に静かになると、やっぱりちょっと寂しいんだ。だから、今日は泊まっていってくれたら嬉しいな、なんて」
「え……」
帰り際に見せるあの寂しそうな表情は、気のせいではなかったらしい。
「それは……すみません」
「はは、謝ることじゃないさ」
悟飯は朗らかに笑った。
「それで、どうかな?無理にとは言わないけど」
「さすがに、そんなこと言われたら断りづらいですよ」
「うん、ちょっと意地悪したくなったんだ」
トランクスは思わずきょとんとする。
「え……何でですか?」
「さあね」
悟飯はそう言って笑うだけだった。





*****





雨が降っていた。

相変わらず、水滴は窓をひたすらに叩いている。
今日は早めに休むといいと言われて、結局トランクスは悟飯のベッドを借りることになった。
陽によく干した毛布は心地良かったが、どこか落ち着かない。
(……悟飯さんの匂いがする……)
安心するような、そわそわするような。
雨の音も相まって、どうにも寝付けずにいるうちに、随分時間が経ってしまったような気がする。
(悟飯さんは、今日はどうするんだろう)
まさか一緒に眠るわけにはいかないだろう。
そう考えて何だか恥ずかしくなり、トランクスは頭から毛布を被った。
彼はソファで眠るのだろうか。
やっぱりベッドを借りるのではなかった。
そんなことをつらつらと考えているうちに、トランクスは眠りに落ちていった。





*****



悟飯さんが死んでいる。
自分が気絶していた間に、人造人間たちに殺されてしまった。
自分がもっと強ければ。
自分にもっと、力があれば―――



****








「っ!!」
真っ暗な部屋で目を覚まし、トランクスは飛び起きた。
酷く胸が苦しくて、胸を押さえて大きく喘ぐ。
いつの間にか止めていた息を深く吸い込み、うずくまっているうちに、夢と現実の境い目がはっきりしてきた。
「はぁっ……はぁ、は……っ……」
知らず知らずのうちに浮かんできた涙を拭い、部屋を見渡す。
風も強くなってきたようで、外の音がやけにうるさく聞こえた。
やけに不安になってきて、トランクスはベッドから降りる。
(悟飯さんはどうしてるんだろう……)
部屋から出て、リビングに向かう。
明かりが漏れていることに気付き、トランクスは、そっとドアを開けた。
「……悟飯さん?」
悟飯はリビングのソファに座っていた。
トランクスが名前を呼んだ途端、悟飯は驚いたように振り返る。
「トランクス。起きちゃったのかい」
「え、ええ……」
トランクスはふと違和感を覚え、すぐにその正体に気がついた。
「悟飯さん、それ……」
悟飯の手元には、火の着いた煙草があった。
悟飯は、見つかってしまったとでも言いたげな表情をしていた後、決まり悪そうに頬をかいた。
「ああ、うん……かっこ悪いとこ見られちゃったな……」
なぜだか恥ずかしそうな悟飯に、トランクスは軽く微笑む。
「……俺も、たまに吸いますよ」
「そうなのかい?」
悟飯はぱちくりとまばたきした。
「体に悪いから止めた方がいいよ」
トランクスは思わず、呆れたような視線を投げかけてしまう。
「……それ、悟飯さんが言いますか?」
「あ……はは、まいったな」
悟飯は苦笑いして、器用に片手で煙草の火を捻り消した。
隣に座るよう促されて、トランクスは悟飯の左側に腰掛ける。
彼の腕の代わりになるため、左にいようとするのが、もうすっかりトランクスの癖になっていた。
悟飯はそのことについては何も言わず、穏やかに問い掛けた。
「眠れなかったのかい?」
「いえ……夢を見て、目が覚めてしまって……」
そう答えながら、トランクスの脳裏に先程の夢が―――いや、夢なんて、優しいものではない。

これは、過去の記憶だ。
どうしようもなく未熟で無力だった、幼い自分の歴史。
あの時は、救えなかった。
力にすら、なれなかった。
自分に、もっと力があれば―――



『彼』は死ななかったのに。



「……トランクス?」
名前を呼ばれ、トランクスはいつの間にか俯いていた顔を上げる。
目の前には、『彼』がいた。
「……悟飯さん、俺は……」
記憶と記憶の間に挟まれて、唇からぽろぽろと、言葉が勝手に零れて落ちて行く。
「……あなたが生きててくれて、良かったと思います」
「…………」
「こうして……また、悟飯さんと一緒にいられるのが、嬉しいんです……」
言い終えてから、トランクスははたと気が付いた。
悟飯には、自分のことをあまり詳しくは話していなかったのに。
驚いたような表情をしている悟飯を見て、トランクスは慌てた。
「すっ……すみません!突然、変な話をしてしまって」
「……いや、構わないさ」
悟飯はそう言って軽く首を振ると、真面目な表情で、おもむろにトランクスと向かい合った。
「……なあ、トランクス……」
一瞬、悟飯の視線が迷うように揺れる。けれど彼は、改めて真っ直ぐにトランクスの目を見つめた。
「……俺は、君の力にはなれないだろうか」
「……え……?」
「君に何があったか、深くは聞かないつもりでいたけれど……時々、酷くぼうっとしている時があるだろう」
今みたいにね、と、悟飯は付け足す。
「君が何を考えているのかは、勿論、俺にはわからないけど……ずっと、何か一人で思い悩んでいるんじゃないかって思っていたんだ」
トランクスは何も言えなかった。
誤魔化せていると思っていた。思い込んでいただけだった。
彼が、自分の師匠が、些細な誤魔化しなんかに、騙されるはずがないのに。
「君が抱えているものを軽くする手伝いができるなら、そうさせて欲しいんだ。……もちろん、無理にとは言わないよ」
そう言って、悟飯は茶目っ気混じりに笑う。
「ただ、君にはあの日から助けられっぱなしだからね。師匠としては、頼りないところばっかり見せるわけにもいかないだろう?」
「そんな、俺は、ただ……」
トランクスは何かを言いかけて、何も言えなかった。
目の前にいる彼の優しさに甘えて、何もかも吐き出してしまいたかった。
自分が出来なかったこと、自分のしてきたことを、全てぶちまけたら楽になるのだろうか。
けれどそれは、自分の荷物を彼に押し付けることに他ならないんじゃないか?
そう思うばかりで何も言えずに、トランクスはただ唇を震わせる。
「………………」
不意に、悟飯が黙って右腕を伸ばし、トランクスはそのまま抱き締められた。
温かい、血の通った彼の身体の感触に、堪えきれずに涙が溢れる。

―――『彼』は、確かに生きている。
けれどここにいる孫悟飯は、自分がいた世界の『彼』ではなかった。
自分にとっての『彼』は、死んでしまったのだ―――

「悟飯さん、俺はっ……」
流れる涙を堪えようともせずに、トランクスは泣きじゃくりながら、悟飯にすがりついた。
「俺は、あなたを救えなかった!助けられなかった、一人で……一人で死なせてしまった……!!」
雨と風の音が、記憶を引きずり出していく。

あの日のこと。
人造人間たちとの戦い。
過去へ飛んだこと。
歴史を守るための戦い。
そして、覚悟を持って望んだ歴史の改変。

思うがままに吐き出していくトランクスの話を、悟飯は時折頷きながら、黙って聞いていた。
やがてトランクスの話が途切れても、悟飯は暫く、静かに彼の背中を撫でていた。
トランクスが恐る恐る顔を上げると―――悟飯は、酷く悔しそうな顔をしていた。
「……すまなかった」
ぽつりと、だが、はっきりと悟飯は言った。
「君のところに、帰れなくて……すまなかった……」
その後に続く言葉はなかった。
トランクスはまた堪えきれずに、声を上げて泣いた。

雨が降っていた。





*****





日差しが目に痛く感じて、トランクスは目を覚ました。
昨夜まで大荒れだった天気は嘘のように晴れており、太陽が明るく照らしている。
やけに温かくて安心する、と思いながらトランクスが身動ぎすると、その正体がすぐ真横にあることに気が付いた。
「ん……」
隣で、悟飯が眠っていた。
「…………!!?」
声にならない声を上げ、思わずトランクスはベッドから転がり落ちる。
盛大な落下音に、悟飯もすぐ目を覚ました。
「……?……わ、と、トランクス……大丈夫かい?」
「す、すみません、大丈夫です……」
後頭部を思い切り床にぶつけたとは言えず、さすりながらトランクスは起き上がった。
「ご、悟飯さん。なんで一緒に寝てたんですか……?」
「ん?ああ、君がずっと泣いてたから、一人にするのが忍びなくてね」
そう言って朗らかに笑う悟飯だったが、トランクスは思わず真っ赤になった。
これではまるで子供扱いだ。実際、昨日は泣き疲れて眠ってしまったらしいので、恥ずかしいことこの上ない。
「ちゃんと眠れたかい?」
「はい……お陰様で」
そう答えてから、トランクスは胸の奥が酷く楽になっていることに気がついた。
つかえていたものが全て流れ出したような、ほっとした心地だ。
だが、悟飯はどうなのだろう。
にわかに不安を覚えていると、悟飯はトランクスに向かって微笑んだ。
「お腹すいたろう。朝ごはんにしようか」
「あっ……て、手伝います」
「そうかい?助かるよ」
起き出してきた悟飯と共に、台所へ向かう。
「なあ、トランクス」
ふと思いついたような顔で、悟飯が言った。
「俺と一緒に住まないか?」
「……え?」
「昨夜、君の話を聞いて、色々と考えたんだ」
トランクスがはっきりと聞き返す前に、悟飯は話を続ける。
「はっきり言って……まだ、なんにも答えは出せてない。だけど俺は、やっぱり君の力になりたいと思ってる」
そう言って、悟飯は照れ臭そうに微笑んだ。
「……なんて、ただのわがままだけどな」
「そんな、わがままなんて……」
それなら自分は、とっくに盛大な我儘を押し通している。
今こうして、悟飯と二人で並んでいるのがその証拠だ。
トランクスが何と返事をすべきか迷っていると、悟飯が更に言った。
「……それに、一人暮らしを始めたのはいいんだけど、やっぱり何かと不便なことが多くてね」
顔を上げたトランクスに、悟飯は小さく微笑む。
「君がいてくれたら助かるんだけどな。あ、もちろん、迷惑じゃなければ」
「め、迷惑なんてことないです!」
トランクスは慌てて首を振り、笑い返した。
「悟飯さんが良いなら、ぜひ。母さんにも話してきますね」
「ああ。ありがとう、トランクス」

その日の空は、晴れ渡っていた。


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