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長曾我部元親

ある日、とある晴れた青空の日のこと。

私はいつものように、干潮の時にだけ現れる道を通ってお社へと向かっていた。干上がったばかりの砂はまだ少し湿っていて、足を踏み出す度にじわりと海水が滲み出る。手には村の人から持たされたお供え物を持って。

私の村では、この離れ小島にある神様のお社に毎日お供え物を持っていく決まりがある。一ヶ月毎に持っていく人が変わって、年末年始には大きなお祭りを開く。そんな伝統。そして、今月の担当は私になったということ。八月の担当になってしまった時は、この暑さの中外に出なければならない煩わしさに少しうんざりしてしまったけれど、始めてみると案外嫌なことでも無かった。干上がったばかりの道は砂が焼けていないし、吹き抜ける海風や足にかかる波も冷たくて、涼しくて心地が良い。

「こんにちわぁ」

ここの神様のお社は、お社というよりは大きな屋敷。他の担当の人が綺麗に掃除しているので、いつ来てもピカピカ。人が住んでいないから余計な荷物も無いし、広いし、扉を全部開けると風通しが良くて夏でも快適。私のお気に入りの場所。一ヶ月しか来られないのが残念なくらい。
私が本殿の前で挨拶をすると、すぐに目の前の大きな扉が音を立てて開く。そこには、涼しそうな着物を着た"神様"が立っている。

「今日もよく来たな。さ、上がっていきな」

招かれるままに本殿の大部屋へと歩いていくと、そこには二人分の冷たいお茶が出されていた。以前私がお供え物にこっそり混ぜておいたお茶っ葉、どうやら気に入って貰えたようで良かった。

「今日も持ってきてくれたのか」

神様は私の手の中にある包みを見てニコリと笑った。どうぞ、とその包みを神様に差し出すと、神様はお礼を言いながら受け取ってくれた。
「今日はまだ日も高い。ゆっくりしていきな」
私はこくりと頷いて、促されるままに敷かれている座布団の上に座った。


私はこの時間が好きだった。村の人達はいつも早く帰ってきているけれど私はどうやらそれが下手なようで、いつも他の人よりも遅い時間に帰ってきてしまう。神様と話すのがとても楽しくて仕方がないから。


今日も神様と話をして一日を過ごした。どうせ神様の担当になっている時は他のことをやらなくても構わないのだし、話しているのは楽しいし。
でも、前に夜遅くに帰った時は流石に怒られてしまった。だから、最近は夕方には帰るようにしている。それでも村長やお母さんは少し機嫌が悪そうな顔をするけど。


そんなこんなで、今日も日暮れ頃になってしまう。日が沈む前の最後の干潮の時間が迫ってきている。帰らないと。

「神様、今日もありがとう。楽しかった」

神様は私がそう言うと、神様は少し寂しそうな顔をして私を見送ってくれる。
でも、今日は少しだけ違っていた。

「……道が、無い?」

いつもならばこの時間になれば、干潮になって道が出来上がっている筈なのに、今日はまだ潮が引いていない。昼頃に来た道は未だ海の中にある。

お社の外まで見送りに来てくれた神様も少し目を丸くして、何かを考え込むように手を顎に当てている。

「随分と荒れてるな……今日はもう潮が引かねぇかもしれねぇ」

そんな、と神様の顔を見る。潮が引かないということは、道が無いということで、つまりそれは……。


「今日はもう村に帰れないの?」
「……そうなるな」


どうしよう、と頭を抱えてしまう。きっとお母さんも心配するだろうし、帰ったら"だから早く帰ってこいとあれほど言ったのに"と怒られるかもしれない。

「……風も出てきたな」

神様のその言葉でハッと我に返ると、確かにお社の周りに植えられた木々がいつもよりも激しく揺れている音が聞こえた。それに重ねて、少し強い風の音。もうその頃には私が見てもわかるくらいに海に高い波が出始めていた。

「とりあえず中に入れ。この様子だと雨も降りそうだ」

私と神様は急ぎ足でお社の中へと戻り、慌てて雨戸を全て閉めて回った。その間も風はどんどんと激しくなっていき、お社から見える海はあっという間に荒れ狂う黒い海へと姿を変えてしまっていた。


「こっち来な」

ぼぅっと荒れる海を見ていると、神様がそんな声を私に投げた。急いで最後の雨戸を閉めて、私は神様の所へと駆け寄る。
どうやら神様はお社の中に火をつけてくれたらしく、雨戸を全て閉めているのに部屋の中は暖かな明かりに包まれていた。

誘われるままにそちらへ駆け寄り、何をするでもなく床に腰を下ろす。パタパタという小さな雨音が聞こえてくるので、雨が降り出したのが分かる。

そしてそこでようやく落ち着いて、今の状況を理解し始める。
海が急に荒れだして、今日はもう島へ帰る道が無い。だから今日はお社でお泊まり。お社で、お泊まり。

お泊まりという言葉に心が躍ってしまう自分に少し呆れてしまう。非日常な状況にドキドキしていると、神様が何処からか大きな包みを持って私の前に座る。

「幸いなことに、アンタが持ってきてくれた供え物がまだ残ってる。乾物ばっかだけどな」

水も一応ある、と飲み物と食べ物を私に差し出してくれた。

「え、でも一応それはお供え物で……」
「その本人が良いって言ってんだから大丈夫だ。気にすんな」

俺は食べなくても死なないからな、と言いながら神様は包みを開いた。中身は私が村のみんなに持たされたお供え物。

「人間は食わねぇと死ぬんだろ。いいから食いな」

一食くらいは食べなくても大丈夫だと言おうと思ったけれど、ここまで言われると断る方が失礼なのではと思ってしまって、山のようにある食べ物を一つ手に取った。



「ご馳走様でした」

差し出された食べ物を一通り食べ終わり、手を合わせてそう言う。お社の中で晩御飯を食べるなんて初めてだけど、何だか友達の家にお泊まりに来ているようで楽しい食事だった。神様を友達呼ばわりなんて罰当たりかもしれないけれど。

「あとは……寝る場所だな。どうすっかな……」

適当に床で寝るよ、と言っても神様は立ち上がって何処かへと行ってしまった。

そしてしばらくすると、神様は両手に真っ白な布を抱えて戻ってきた。これを床に敷いて寝ればまだマシになるだろうと。

「使っても大丈夫なの?」
「あぁ、まぁ大丈夫だろきっと」

そんな適当な返事をしながら、神様は床に白い布を数枚重ねて、私に横になるように促した。

「怖いならそばに居てやろうか?」

神様は少し冗談めかしてそう言う。もう子供じゃないから嵐なんて怖くないと言おうと思ったけれど、この広くて大きな部屋に一人で寝るのは少し寂しいかもしれない。

そう言うと、神様は笑って「なら一緒に居てやるよ」と私の頭をわしわしと撫で付けた。



そして夜。明かりの消えたお社は、昼間に見るお社とは全く雰囲気が変わっていて、何処か不気味だけど不思議な感覚がする。いつもと違う布団で、いつもと違う場所で、いつもと違う人と。

やっぱりドキドキする。

掛布団代わりにかけられた白い布を口元まで引き上げると、神様はふわりと微笑んでまた私の頭を撫でた。なんだか子供扱いされている気がする、と思いながら私はウトウトと微睡みの中へと落ちていった。




「……い、おい。起きな。朝だぜ」

射し込む朝日と、鳥の声と、神様の声で目を覚ます。ぱちくりと瞬きをして周りを見ると、もう既に雨戸は全て開かれていて、朝の眩しい日差しがお社の中いっぱいに注がれている。

「おはよ、ございます……」

まだ上手く出ない声でそう挨拶をすると、神様はお社から外へ指をさして「見てみな」と言った。身体を起こして其方へと視線を移してみる。

「わ、綺麗……!」

眩い朝の光にキラキラと照らされる海が視界いっぱいに広がる。眠気が吹っ飛ぶ程の綺麗な景色に目を奪われていると、一本の白い道が視界に映る。

「あ、道が出てる!」

お社から身を乗り出しながらそう言う。一晩で嵐が過ぎてくれて良かった。

「神様ありがとう!」

神様のいる方向へと振り返りながらそう言うと、神様は「礼なんざ要らねぇよ」よ笑って見せた。

それと同時に、村の方から何やら騒がしい声が聞こえてくる。改めてそちらへと視線を移してみると、村の人達が数人こちらに向かって何かを言っているのが見えた。

「あ……お迎えが来たみたい!私行ってくるね!」

ありがとう、ともう一度お礼を言ってお社を飛び出した。

「あぁ良かった!無事だったのね!」

村人たちの居る所へと合流すると、その中にいたお母さんに強く抱きとめられる。他の村人達もほっと息をついて安堵の声を漏らしている。

「でもよく無事だったわね。一人で雨戸を全部閉めたの?」
「ううん、神様が手伝ってくれたの」
「まぁ、そうなの?」

信心深いから無事に帰ってこられたんだ、と村人たちはそう言い合っていた。




そんなことがあった数日後のこと。夜、友人たちと夏祭りに来ていた日のこと。どんな流れだったかは忘れてしまったけれど、あの嵐の夜の話になった。

「それでね、神様が食べ物とか布団とか用意してくれたの」

けれども、友人たちは私の話をおとぎ話を聞くような態度で聞いていた。本当のことなのに。
「夢でも見てたんじゃない?」と言う友人まで出る始末だ。

「そんなことない」と言っても信じては貰えない。
「じゃあそっちが担当だった時のことを教えてよ」と言うと、友人達は目を丸くして顔を見合わせた。まるで私がおかしいことを言ってしまったような雰囲気で。

「担当だった時、って……ただお供え物を本殿の前に置いて帰ってきただけだけど……」
「そうなの?」

なんだ、みんな神様のお誘いを断って帰ってきていたのか。あんなに何度も誘ってきたのに、あれを断れるだなんて凄いなぁ。

「逆に、いつも遅くまであの島で何してるの?何か面白い場所でもあるの?」
秘密基地とか作ってたら怒られちゃうよ、と言われてしまう。

「何、って、神様に誘われて本殿で……」


そこまで口に出して、何だか違和感があることに気づく。もしかしてみんなには神様が見えていないのか?


友人たちも同じような違和感を覚えたらしく、先程の茶化すような雰囲気は何処かに消えてしまって、ただ少し重い沈黙だけが流れていた。

「……ね、一応確認の為に聞くんだけどさ」
そんな中、一人がそう私に声を投げた。

「……お供え物持っていく時、一人だよね?一人で行って、一人で帰ってくるよね?だって、あの島には誰も居ないんだし……」


私は黙って首を横に振ることしか出来なかった。


だって、当たり前のように居たから。だって、村長から何回も聞かされた神様の姿と、同じだったから。


「……じゃあ、やっぱり貴方が見たのって、本物の……」


その台詞に被せるように、ドン、と大きな音が鳴り響く。心臓がビクリと跳ね上がってしまう。が、すぐにそれが打ち上がった花火の音であると理解して胸を撫で下ろした。

怖がる必要なんて何も無いのに、"私にしか見えない"という事実に心臓を強く握られて仕方がない。

本来ならば、綺麗だと楽しめる花火ですら何処か心に響かないままに祭りの時間は過ぎていった。






その日の夜。私は布団の中であの違和感についてグルグルと思考を回していた。何故私だけに?他の友人はみんな神様なんて見たことがないと言っていた。
このままでは寝れるものも寝れないと身体を起こし、枕元の蝋燭に火をつける。確か、箪笥の何処かに神様についての書物が入っていたはず。






そして、次の日。
私はいつものようにお供え物を持って本殿への道を歩いていた。いつもよりか幾分か足が重いけれど、向かわない訳にはいかないから。
本殿の前にはいつものように神様が待っている。私にしか見えない神様が。

「こんにちは」

いつもと変わらないように、努めてそんな声で。

「あぁ、よく来たな」

そしていつものように、本殿に上がる。本来ならば鍵がかかっていて入れないはずの本殿へ。
光の射す本殿は、私の心の中の疑念を溶かしてしまいそうな程に美しくて、厳かで、穏やかで。

私も、許されるならばこのままこの時間がずっと続けばいいのにと思う。

でも、そんな思考もじわりと黒い考えに溶けていく。


視界の中にある、白い道が、途切れ始めている。


先程干上がったばかりなのに。本来ならば、干潮はもっと続くはずなのに。


「……ねぇ、もう潮が満ちて来てる」


お社から沈みゆく道を見つめながらそう言うと、背後に立つ神様は「潮はいつか満ちるもんだろ」と、何処か的外れな答えを返してくる。

「ねぇ神様、私、今日は早く帰らなくちゃならないの」

私が道を見つめたままそう言うと、背後に立つ神様は明らかに残念そうな声で「そうか」と零す。

「じゃあ、次に潮が引くまでゆっくり……」
「ねぇ神様」



少し声が震えている。ダメ。あくまでも落ち着いて。何も知らないように振る舞わないと。



「神様、ってさ、海の神様なんでしょ?彼処だけ干上がらせたり、なんて……」

振り返ることが出来ない。呼吸が浅くなっているのを感じる。
拳をぎゅっと握りしめた瞬間、背後に立っていた神様が乾いた笑い声をあげた。ゾクリと背中に冷たい何かが走ったような気がした。

「はは、面白い事を言うな」




「なぁアンタ、俺の"本当の言い伝え"見たな?」




ゾワリ、と今度は間違いなく冷たいものが背中に流れる。
ただの思いつきだよ、と冗談めかして笑える程、私は演技が上手くない。
沈黙は肯定になる、なんて言葉があるけれどまさにその通りで。



神様の本当の言い伝え。
波を操り、海を統べて、人の里を飲みこんでしまうという神様。
宝として生贄を要求していた神様。
それを、何とか"毎日のお供え物"にまで落とし込んだ私達の村の御先祖様。
なら、何故私の前に?



どうしよう、なんて考えが脳内に染み渡ったその瞬間、酷い風の音が耳を劈いた。強い風に目を瞑ってしまい、次に目を開くと目の前の海は真っ暗な嵐の海にすっかり姿を変えてしまっていた。
砂の道どころか、目と鼻の先である島の影すら見えない。



「アンタを一目見た時に思ったんだよ」
「あァ、久々に人を喰いてぇ、ってな」

嵐はまだ、止みそうにない。
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