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長曾我部元親

春先のある日。暖かな風が吹き抜ける中、とある一人の男がとても慌てて……いや、急いで小さな船を海へと出していた。
海に出る服装にしては異様にきちんとした、これから結婚式にでも行くような服装をして。


ところ変わって男の住む街も、日常とはかけ離れた異様な賑わいを見せていた。
嬉しげな顔で高いシャンパンを昼から開ける者、人目を憚らず抱き合う者、涙を流しながら喜びの言葉を零すもの。
傍から見れば異様な光景ではあったが、その街の誰もが何処か嬉しげな表情を浮かべている。

その街の中のあるカップルが、こんな会話をしていた。

「本当に嬉しい!こんな日が来るなんて!」
「本当に良かった……!お前とこうして街を歩けるなんて……」
「もう、泣かないでよ。人間って身体が大きいのに本当に泣き虫ね」

そう笑った妖精の女は、自分の身体より何十倍も大きな身体の人間の男の涙を拭っている。

今日から施行されたのは、これまでこの国ではタブーとされていた、異なる種族同士の自由恋愛、そして結婚を認める法律。長きに渡る異種婚のタブーを破る法律が成立されたことにより、これまで隠れて恋愛をしていた人達が今日こうして日の高い街中で愛し合っているという状況であった。



またところ変わって、穏やかな海の中。
人魚達が住むこの海の中の珊瑚礁も、色めきたつ若い人魚達で溢れていた。嬉しさで涙を流す者、ゆらゆらと尾鰭を揺らして顔を赤くしている者。

そんな中、鏡の前で何度も自分の姿を見ている人魚の娘が一人。

鮮やかな淡い紫色の足ヒレをキラキラと彩る貝殻と宝石、首元に輝く鮮やかな青色の首飾り、手首を飾るブレスレットからふわりと揺れるレースが伸びて、腰には海に咲く白色の花が添えられている。

「ね、お母さん。これで大丈夫かな?」

嬉しげな表情を隠さない人魚の娘は、ニコニコと笑いながら鏡の前でくるりと回ってみせた。

「うん、大丈夫。……あとはほら、これを被って」

娘の母親は、娘の髪に、キラキラと輝く金色の小さな王冠を被せてみせた。
「ありがとうお母さん」
「いいのよ。……幸せになってね」
「勿論!元親なら絶対に大丈夫。……幸せになるよ」
「……うん」
「泣かないでお母さん。結婚式までとっておいてよ」
「えぇ、そうね……」

母親と娘は強く抱きしめ合い、娘は母親の手をギュッと握りしめた。

「……行ってくるね」
「えぇ、行ってらっしゃい」

ゆるりと母親の手を離した娘は、尾鰭とレースをひらりと翻し、家を飛び出した。





穏やかな海を泳ぐ娘は海面を進む一隻の小さな船を見つけ、水を蹴る鰭に力を込めた。

「……元親!」

水面に上がると同時に、娘は船の上に居る男の名前を呼んだ。
男もその声に応えるように、娘の名前を呼んだ。

ザバリと水面に顔を出した娘と、海面を覗き込むようにしていた男は、互いの身体を強く抱きしめるように互いの背中に腕を回す。
男は船の上で尚バランスを崩すこと無く、水面から飛び出した娘を強く抱き上げた。高価な服が海水で濡れることを全く気にせずに。

「あぁ……やっとだな」
「やっとだね!本当に嬉しい……!」

強く、強く抱きしめ合いながら二人はそんな言葉を交わす。
しばらく互いの顔をじっと見つめ合っていた二人は、一度幸せそうに微笑んで軽い口付けを交わした。

「ね、人間ってこういう時どうするんだっけ?」

男の背中に手を回したまま、女は男の青色の目をじっと見つめながらそう問いかけた。男は女を抱き上げた体勢のまま、呟くような声でこう囁く。

「人間はな、こういう時指輪を贈るんだよ」
「指輪!それ!」

人魚と人間の婚約の文化は少し違っていた。
男と女は、この法律が可決される前にこんな話をしていたことがあった。



「人間は、好きな人と結婚する時何かを贈るの?私たちはね、自分の宝物を詰めた綺麗な箱を贈るんだぁ」
「へぇ、宝箱ってやつか。人間はな、指輪を贈るんだよ。そんで此処に着ける」
「こっちの手?」
「そう、左手のこの指……薬指だな」
「へぇー、場所も決まってるんだね」
「なんでも、この指が心臓に一番近いんだとよ」
「そうなんだ、人間って色んなこと考えるんだね」



いつか二人で指輪と宝箱を交換しようと指切りをした時には、まさか本当に異種婚が認められるなんて二人とも思ってはいなかった。
何処か人目のつかない場所で、二人きりでひっそりとその儀式を行うものだと、二人ともすっかり思い込んでいた。


「ね、元親。大好き」
男に抱き上げられたままの女は、男の大きな身体をギュッと強く抱きしめ、酷く穏やかな声でそう呟いた。
男もそれに答えるように女を強く抱き締め返し、「俺もだ。愛してる」と囁いた。

「元親、そろそろ……」

しばらくそうしていた後、女がそう言うと、男はそっと海に浸けるように女を腕の中から降ろす。

女はザバリと海中に潜り、近くで待っていた一匹のイルカに手招きをする。そのイルカは一声キュイと鳴いて、一つの少し小さなキラキラと輝く箱を持ってきた。蓋と箱を繋ぐ境界線には青色の宝石が組み込まれ、空から降り注ぐ光に照らされてキラキラと眩く輝いている。

女はその箱を手に持ち、再び海面へと顔を出す。船の上で待っていた男は、手のひらサイズの小さな紺色の箱をその手に握りしめていた。

「……」
「……」

お互いに箱を握りしめた二人は、お互いの目を静かに見つめた。そして、先に口を開いたのは女の方だった。

「私の宝物、どうか大切にしてください」

人魚の、典型的なプロポーズの言葉。


その言葉を受けた男は、自身の手の中にある小さな紺色の箱を開き、キラキラと輝く蒼い宝石が埋め込まれた指輪を女に差し出しながらこう言った。

「必ず俺がアンタを幸せにする」

人間の、典型的なプロポーズの言葉。


お互いの言葉を受けた二人は、目を合わせて、声を合わせて笑う。

「「愛してる」」

なんて言い合いながら、女の箱は男の手の中に、男の指輪は女の左の薬指に収まる。


女は、左手の薬指につけられた自分にピッタリの大きさの指輪を、指輪と同じくキラキラと輝く瞳で見つめる。

「アンタの為に作った指輪だ。海の中でも錆びないように出来てる」

男の言葉をうんうんと聞きながら、女は愛おしそうに自身の手に頬擦りをした。

「……これから色んなことがあると思うが、これだけは言わせてくれ」

そんな嬉しそうな顔で喜んでいる女に、男が静かな声でこう語り掛けた。女はその声を聞き、頬擦りをやめて男の顔を見上げる。



「俺を選んでくれてありがとな」



その言葉に、女は「こっちこそ、ありがとう」と笑いながら返し、二人は二度目の口付けを交わした。



陽の光が、海が、空が、全てが二人を祝福していた。
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