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長曾我部元親

俺は、海に居た。

返す波が俺の素足を撫で上げ、また沖へと帰っていく。

辺りは晴れた日の早朝の様に明るいのに、何故か太陽は見当たらない。
今は何時かすら、俺は何故海にいるのかすらも分からなかった。

「元親!」

ぼうっと水平線を見つめる俺に、不意にそんな呼び声が投げかけられる。心の底から楽しげに、嬉しさに胸を躍らせる子供のような声色で。
声の主の方へと目を向けてみれば、案の定見慣れた顔が俺の少し先に立っていた。

「行こう!」

満面の笑みで、その声の主は俺に手を差し出した。俺の手の中にすっぽりと収まってしまいそうな程に小さな手を。

黒髪を海風に揺らしながらそう言った彼女は、酷く幸せそうな顔をしていた。

俺は彼女の手を取らなくてはいけない。
彼女の手を取って、この永遠に続きそうな海を。

じゃぶじゃぶと波を掻き分けて歩み寄り、彼女の前に立ち止まる。変わらず差し出されている右手を、離してしまわないようにしっかりと握りしめた。

彼女に手を引かれて歩き出すと、頭に残っていた小さな疑問たちが水泡の様に消えていった。

何故俺がここに居たのか、何故彼女がここに居るのか。

水の中に足を踏み入れる度に、何処かでプチプチと音を立ててその疑問一つ一つが空気に溶けて消えていく。その感覚が妙に心地良い。
このまま彼女と何処までも歩けたならば、俺はどれだけ。






見慣れた天井が、視界に広がった。
小鳥の囀る声が嫌に煩くて、嫌になった。

夢から覚めたくなかったなんて子供じみた事を思ったのは何時ぶりだろうか。

襖の向こうの空はきっと酷く澄み渡っていることだろう。風もきっと穏やかで、絶好の航海日和だろう。

隣で静かに寝息を立てる彼女の方に目を移す。
掛け布団をギュッと握りしめて眠っている彼女の頬には、薄らと涙の痕が残っていた。

先程の夢の中の彼女の笑顔を思い出し、胸が詰まるような感覚に襲われる。俺が現実で彼女の笑顔を見たのは一体どれ程前の出来事だっただろうか。

涙の痕を消すように、そっと彼女の頬に手を擦り寄せる。
穏やかとは言えない彼女の寝顔にそっと口付けを落とした。

せめて、夢の中ではこんな想いをさせないようにと、まじないを込めて。



こんな俺を許してくれと、身勝手な祈りを込めて。
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