このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

長曾我部元親

春の訪れる足音がようやく聞こえてきた三月のこと。

卒業式の準備という名目で駆り出された春休み満喫中の私達は、折角の休みだと言うのに制服に身を包んで見慣れた学校を訪れていた。
数ヶ月前から決まっていた事とはいえ、長い休みで崩れていた生活リズムを無理矢理に正したせいで眠気も一際強い。

しかし、他の女子生徒はそうでも無いらしい。

体育館の設営を進めている間に、不意にきゃあきゃあと盛り上がる女子生徒の声が聞こえてきた。お返しがどうのこうのだとか。

……今日は三月の十四日。そう、ホワイトデー。今年は卒業式の準備の日がホワイトデーに被るという何とも都合のいい奇跡的なことが起こっている。バレンタインデーに一世一代の告白をした女子生徒は、今日この日に意中の相手から良い返事を貰えるのを期待しているようで、仲間内でわいわいと楽しげにはしゃぎながら設営を進めていた。

実を言うと、私も本来であればあのはしゃいでいる女子生徒達と同じように今日を楽しみにしていただろう。

しかし、私が一ヶ月前にド本命チョコレートを渡したのは長曾我部元親くん。見た目からしてヤンキーだし謎に釘バットを持ったりしているけれど、一部の女子生徒からやけに人気があるのを私は知っている。
一方の私は、チョコレートは渡せたものの告白という告白は出来なかった。

それに加えて、別のクラスの女子生徒が元親くんに告白している場面をうっかり目撃してしまったし。当たり前だけど、元親くんから私へのアクションはその後無し。やってしまったなぁなんて何処か他人事のように思いながら日々を過ごし、今日に至る。

そんな女子生徒達の喧騒を横目に見ながら、ようやく設営を終えた私たちは教室へと戻っていた。

「ねぇ、この後お昼どっか食べに行かない?」
「いいよ」

友人とそんな会話を交わしながら階段を上がる。仕事から開放された生徒たちの中には、既に帰り支度を終えて教室を飛び出す者や私達と同じように昼ご飯の相談をしている者達などがワイワイと騒いでいた。
そんな教室の真ん中で、袋菓子を配っている男子生徒が一人。

「あ、二人ともお疲れ様!」

教室に入った私たちを見つけたその男子生徒は、私たちに向けて菓子の入った袋をこちらに向けて差し出してきた。
「これ、ホワイトデーのお菓子!みんなに配ってるんだけど、良かったら貰ってよ」
長い髪を一纏めにした男子生徒、クラスメイトである前田慶次くんはそういって袋の中身が見えやすいようにもう一度袋を傾ける。
「ありがとう」
「ありがとう!疲れた時には甘いもの、良いよね」

隣に立つ友人はそう言いながら、袋から一つ取り出したお菓子の封を早速破り、口へと運んだ。
フレンドリーな慶次くんらしいなんともさっぱりとしたお返し。渡した側も返す側も後腐れなく終われる素晴らしい選択だと私は思う。本命以外ならこういうお返しでも十分嬉しい。

……元親くんのお返し、どんなのだろうなぁ。

そんなことをぼんやりと考えながら、貰ったお菓子をひと齧りした。サクサクとした口当たりがシンプルに美味しい。学校で食べるお菓子って、何故いつもより少しだけ美味しく感じるのだろう。


「あぁそうだ、ちょっといい?」
お礼を言い、帰る支度をしようと踵を返そうとすると慶次くんに肩を軽く叩かれて呼び止められる。
「えっとね、元親が渡したい物があるんだって」
「……元親くんが?」

不意に彼の名前を出され、思わず怪訝な声を出してしまう。
今日この日に渡したい物といえば、やはりホワイトデーのお返しだろうか?元親くんが、私に?

期待が首をもたげるが、直ぐに首を振ってその考えを振り払う。そんなこと、少し都合が良すぎないか?もしかしたら、チョコをくれた人全員にお返しを渡して回っているのだろうか。

「うん、駐輪場で待ってるってさ」
「駐輪場……分かった、ありがとう。帰るついでに寄っていこっか」
隣にいた友人に顔を向けながらそういうと、また慌てたように慶次くんが声を挙げて私を制した。

「あーっと、これは俺の勘なんだけど……一人のが良いんじゃないかなー、なんて」
「私一人で?」
「うん、ほら、積もる話もあるんじゃない?」

チラリと友人の方を見てみると、特に何も気にして居なさそうな顔で帰り支度を進めようとしていた。

「じゃあ私正門で待ってるよ、友達居る所でお返し渡すのってなんか気まずいんじゃない?知らないけど」
先に行ってるねと、慶次くんから貰ったクッキーを咥えながら友人はカバンを肩にかけて歩いて行ってしまった。
「じゃ、また後でね」
友人は手を振って教室を出ていってしまった。
「あ、うん。すぐ行くね」

[newpage]
そんなこんなで、一人帰り支度をして駐輪場へと向かう。校内を吹き抜ける春風は暖かくて穏やかだけれど、私の心臓は嫌に早く脈打っていた。

駐輪場と言えば、生徒の誰もが使える場所ではあるものの、端の方の一角は元親くんが率いる応援団専用の溜まり場になってしまっている。そんな所に好き好んで近づく人間は少ない。応援団の人か、私のような人間か、そのくらい。

遠目からチラリと駐輪場の奥の方を眺めて見ると、普段の喧騒は何処へやら。妙に静かな空気が漂っている。誰も居ないのだろうか。

自転車を取り出している生徒たちの間をすり抜けて、奥の方へと足を進める。ある場所を越えてから、妙に自転車が止めてある頻度がガクンと下がった。

片思いをしている相手にこう言ってしまうのは余り良くないのだけれども、やはり私も元親くんが好きだという事実が無ければあまりあの近くに自転車を止めようとは思えない。

そんな若干失礼なことを考えていると、彼らがいつもワイワイと騒いでいる場所まで辿り着いた。真上にある音楽室からは、今日も吹奏楽部の熱心な演奏が聞こえてきている。吹奏楽部に入った友人は元気にしているだろうか。


「……なぁ!」
吹奏楽部の演奏と鳥の声にぼんやり耳を傾けていると、不意に声をかけられる。ビクリと肩を跳ねあげて声のした方向へと向き直って見ると、元親くんが何故か妙に神妙な顔をして立っていた。私をここに呼び出したのだから、ここに居て当然なのだけれど。

「は、はいっ!」
思わず、同級生なのに何故か敬語で返事をしてしまう。さっき跳ね上がった心臓がまだ痛い程に脈打っている。

「……悪ぃ。急に呼び出して」

彼はいつも持っている釘バットは何処かに置いてきたのか、何故か背中に何かを隠しているような素振りで此方へと近づいてくる。
何か……余程大きなものでも持っているような、そんな違和感のある歩き方で。
「大丈夫だよ。それでえっと、慶次くんから聞いたんだけど……」

お返しがあるんでしょ、なんて自分から言い出すのは何だか図々しいような感じがして言葉を濁してしまう。
そして何故か元親くんも私と同じように言葉を濁している。

「あー……なんつーか、先月はありがとな。こう言うのは礼をするのが筋だって慶次から聞いてな」

先月と言えば、二月。二月に私が彼に贈ったものと言えば、やはりあのチョコレートしか思い浮かばない。
少しくらい期待してもいいのだろうか。

「こう言うの、何が良いかイマイチよく分からなかったんだけどよ」

そっか、と相槌を打とうとした次の瞬間、私の視界がふわりとカラフルな何かでいっぱいになる。と同時に、花屋を横切った時のような良い香りがぶわりと鼻腔を満たした。
最初、私に差し出された物が何なのか理解出来なかった。

「……え?」

改めて目の前に差し出された物を見てみると、どう見ても薔薇にしか見えない花束がある。それも、オレンジや黄色、赤色など色々な色の薔薇が。

「え、っと……」

バレンタインデーのお返しに、これを?

頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになって、呆然と立ち尽くすことしか出来ない。

人違いでは無いのか、何故そもそも薔薇の花束なのか。

目を白黒させて黙っている私を少し不審に思ったのか、彼は私の顔を見下ろして取り繕うようにこう言った。

「慶次から聞いてよ。……なんだ、バレンタイン?の礼にはこう言うのが良いらしいって」

確かに、チョコレートのお返しでこんなに豪華な薔薇の花束を貰えたならば、ロマンチックなお話が好きな……そう、例えば鶴姫ちゃん辺りならきっと飛び跳ねて喜ぶだろう。でもそれはあくまで"両思いならば"の話。

慶次くんに聞いたということは、きっと今の元親くんはバレンタインのお返しの基準が花束で固定されてしまっているのだろう。
一瞬喜んでしまったのは事実だけれど、これ以上純粋な恋心を弄ばれる可哀想な女子を減らすためにもここは私が彼の誤解をちゃんと解いて終わらねば。

「……元親くん、あのね」

目の前に差し出された薔薇の花束に、少し押し返すように触れて元親くんを見上げる。

「……なんだ?」
「お返しありがとう。でも、その……なんて言うのかな」

やはり少し気まずくなってしまい、花弁に目を落とす。オレンジ、ピンク、赤、黄色。色とりどりの薔薇が美しく咲き誇っている。


「凄く嬉しいんだけど、その……こういうのはもっと、本当に好きな子にあげた方がいいんじゃないかなー、って……」


我ながら何とも虚しいことを言っているのは分かっている。片思いしている相手にこんなアドバイスをするなんて、なんとも言い難い生き地獄のような。

「普通のお返しなら、多分お菓子とかで大丈夫だと思うよ!」

へらりと笑って元親くんを見上げると、何故か元親くんは眉間に皺を寄せて何かを言いたげな顔をしていた。

あ、余計なお世話だったかも。

そう思った瞬間、彼は声を大きくして私にこう言った。




「だから!……だから、アンタにこれを持って来た……!」




彼は薔薇の花束をグイッと私に押し付けるように差し出した。薔薇の良い香りがふわりと顔を包み込む。

「……は、え?」

もう一度確認する為に、薔薇の花束と自分とを交互に指さしてみる。私の今のアドバイスと、彼の言葉。そして何故か耳まで真っ赤になってそっぽを向いている元親くん。

「ほ、本当に……私、に?」

バラバラになっていた点達が、線で繋がっていくのが分かる。その度に、私の体温はどんどん増していってしまう。
こんな都合の良い事が起こっていいものなのか、私は今夢を見ているのではないか。
だって、こんな。こんな事って。


「……さっきからそう言ってんだろ。アンタに、だ」


私は今、世界で一番幸せ者なのだろう。そんなことを本気で思ってしまうくらいに舞い上がっている。ドキドキしてじっとしていられない、今にも何処かに走って逃げてしまいそうな。

「……嘘じゃ、ない?」
「こんな事で嘘吐く奴なんか居るかよ」

震える手で、リボンがかけられた持ち手をそっと握る。その時、一瞬だけ元親くんの手に指先が触れた。私の指先が燃えるように熱いのと同じように、彼の拳も酷く熱を帯びていた。

「……言葉足らずだったよな。悪い」

花束を腕に抱き、まだ頭がふわふわとしている私の顔を彼はじっと見つめている。胸の奥がむず痒いような感覚に襲われて、花束をぎゅっと抱きしめて目を逸らしてしまう。


「好きだ。……俺と付き合ってくれねぇか」


言葉は出ないし、顔に熱が集まって仕方が無い。
訳の分からない涙が滲むのも気にせず、私は静かにコクリと頷いた。


この後、涙目で花束を抱えて元親くんと共に正門に向かうと、先に待っていた友人に「卒業式でもしてきた?」と笑われてしまうのはまた、別の話。
4/10ページ
スキ