1年生
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真新しいオレンジの制服を着た1人の少女がテーブルシティをかけていく。白い帽子から覗く赤毛は、重力を忘れたように、パルデアの澄んだ空に向けて跳ねていた。
「髪の毛直してたらこんな時間になっちゃった!間に合うよね、」
「……って、何これ〜」
オレンジアカデミーへと続く、長くて気が遠くなるような石段。やっとの思いで走ってきた先に、まさかこんな落とし穴(実際は石段だが)があるとは。思わぬ強敵を睨みつける少女ーーミントはげんなりと肩を落としつつ、リュックの肩紐を握り直した。
...
「86.87.88……っはー、筋肉痛どころか、痙攣しそうだよ。どうしたってこんな多くするかな〜。ねえ、そう思わない、イーブイ?」
最初こそ勢いよく登り出したものの、次第に速度を落としたミントは、自分と同じペースに合わせてくれている足元の相棒――色違いのイーブイを見た。彼女は疲れなんて知らない顔で、頬を赤く蒸気させながら必死に登る主人を見て、楽しげに笑っていた。文句をこぼしつつも、いつだって自分に優しく笑いかける主人が、イーブイは堪らなく好きなのだ。
「ブーイ!ィブイッ!」
「早く行こうって?残念だけど、もういまが全速力だよ」
「ブイ〜ッ!」
「あ!ちょっと靴下噛まないで!引っ張らないで!ちょっと、イーブイ!」
はしゃぐごとに揺れるミントの赤毛がおもしろくて、イーブイは機嫌良く駆けていく。その小さな背中に置いていかれないように、ミントは生まれたてのシキジカのように震える足を必死に動かした。
そうして、数分後。
「着い、た…。 これも入学試験か何かじゃないと、むしろ納得できない…」
「ブィーッ」
膝に手をついて深呼吸をしたミントが、汗を拭いながら見上げた視線の先には、視界に収まらないほど背の高い大きな校舎。真ん中に彫られたオレンジのマークが、新入生を誇らしげに迎えている。集合時間が迫っているせいか、校舎前の広場にいる生徒は疎だった。
「……なんかさ、いよいよって感じだね」
「ブィ?」
「……いこう、イーブイ。たくさん勉強して、頑張って…いろんな人を楽しませられる私たちになろう!」
「ブイっ!!」
赤く染まった頬はそのままに、ミントはアカデミーの校舎へと走り出した。
...
入学式とオリエンテーションは浮き立つ胸を抑えている間に過ぎ去っていき、あっという間にお昼時になった。
混み合う食堂で何とか席を見つけたミントは、よいせ、なんて年齢に合わない声を漏らしながら腰掛ける。次いでイーブイ用のフーズを置いてやれば、自分でボールから抜け出したイーブイが勢いよく食べ始めた。
「ごめんね、お腹すいてたよね」
ミントが頭を撫でても、イーブイはチラリと見上げただけですぐにご飯へと意識を戻した。確かに実家では、時間を問わずお菓子をあげてたし…これから慣れてもらわないとな。ミントは苦笑いをこぼしつつ、オリエンテーションで担任が説明してくれた内容を反芻する。
パルデア最古の学園が掲げる、3年間のカリキュラム。座学を中心として、基礎知識を学ぶことに重点を置いた1年目。パルデアの各地に赴き、自身の目で見てポケモンや人の営みを学ぶ校外学習を中心とした2年目。そして最終課程の3年目では、この学園最大の特徴でもある課外授業、『宝探し』を1年通して行うという。
充実したカリキュラムにミントは心を躍らせつつ、同時に少し気後れもしていた。休み時間にすれ違う先輩たちは見ただけでわかるほど鍛え上げられたポケモンを連れているし、食堂では、宝探しに向けた具体的な内容を話し合う新入生だっている。
ーー自分はどうだろうか。
ミントは、特別な知識もなければ、イーブイ以外に手持ちもいない。バトルだって、片手で収まるほどの経験しかない。そもそもミントは、何か明確にやりたいことがあってこの学園に入学したわけではなかった。ただ、自分の直感。学園のパンフレットを見た時、『宝探し』という文字を見た時。ここにくれば、きっとたくさんの人を楽しませることができる、笑顔にできる。そう直感したから、どうにか両親に頼み込んで入学させてもらったのだ。
ギュ、無意識に握られたミントの手を見て、イーブイが彼女の膝に飛び乗った。大丈夫だよ。そう言うように、ミントの手に鼻先を付けたイーブイに、ミントの視界が少しだけ滲む。
(……みんなのこと見て焦ってるだけじゃ、つまんないよね。まずは私らしく楽しめること、見つけないと!)
「ありがと、イーブイ」
「ブイ〜〜」
仕方ないな、そんな顔を見せたイーブイに笑顔を返す。食堂で購入した色とりどりの野菜とお肉がパンパンに詰まったサンドイッチにかぶりついたミントは、薄い膜を張る緑の瞳をきらりと光らせた。
「1年目は、座学中心だったよね」
「ブイ!」
「それなら、いろんなポケモンの技とかも勉強できるはずだよね?私全然分からないから、嬉しいな」
「イブイッ」
「…技の出し方を工夫したら、勝ち負けだけじゃない、楽しいバトルができるよね。それってすっごい楽しそう…!」
「ブイブイ〜!」
ミントの中にあった不安が、少しずつ形を変えていく。せっかくオレンジアカデミーに入学できたのだ。気後れすらスパイスに変えて、楽しまないと損である。大した時間もかけずにすっかり機嫌を良くしたミントに同調するように、イーブイは尻尾を大きく振る。さっそく始まる午後の授業を心待ちにしながら、ミントはサンドイッチを頬張った。
...
入学して1週間。ミントは放課後のバトルコートで、イーブイとの特訓に夢中になっていた。どうすればきれいに技同士を組み合わせられる?どうすれば見ている人をワクワクさせられる?座学で得た知識や実技での気付きから、ミントは思考を膨らませる。
「しっぽをふるで小さくでも気流ができたら、スピードスターの星がきれいに回るかな?イーブイどう思う?」
「ブイ〜……ブイ!ィブイ!」
「なるほどね!たしかにチャームボイスの方がきらきらするかな?」
コートの土で技の絵を描きながら、ミントとイーブイは楽しそうに試行錯誤を重ねていき、気がつくと入学してから2週間がたっていた。
「今日の実技は、他クラス合同で行います!新入生同士の対抗戦よ」
先生の言葉に、教室がワッと沸き立つ。その熱気に当てられて、ミントはこぶしを強く握りしめた。
(ここで勝って、私の直感が間違ってなかったって胸を張りたい)
コートには、乾いた土の匂いが立ちこめていた。クラスメイトたちが見守る中、最初に名前を呼ばれたミントは、イーブイとともに、白い線を跨いでコートの中に入っていく。そして、先生が対戦相手として呼んだ生徒の名前はチリ。ネクタイを少しゆるめて、気怠げにミントを見つめている。
青緑色の、肩までスラリと伸びた髪が印象的だった。熱をそっと隠したような紅い瞳は半分くらい閉じられていて、まるで今にも寝てしまいそうなほど、やる気を感じられない。ミントの癖のある赤い髪と、木漏れ日を受ける芝生のような緑の吊り目。
ーー見た目も雰囲気も、チリとミントは真逆である。
「うち、チリっていうねん。まあ、適当によろしくな」
「わたしはミント! よろしくね」
「それでは2人とも、準備はいい?」
――始めッ!
担当教諭の声が響く。先行を取ったのはミントだった。
「適当になんてさせないよ。イーブイ、スピードスター!」
「ブイブイっ!」
ミントの声に合わせて、イーブイがコートを蹴り上げた。舞い上がった砂が太陽に照らされて、キラキラと反射する様子に、チリは少しだけ目を細める。
白のイーブイが空中でくるりと回転し、しっぽを振る。そこから放たれた無数の光の星が、キラキラと輝きながら、コートいっぱいに広がった。
「わあ、きれい……!」
観客席から小さな歓声が上がる。攻撃するためではなく、相手の動きを制限するための技。そして、見ている人をワクワクさせる、ミントが一生懸命練習してきた魅せ方だった。光の星たちが、チリの足元にいるウパーを包囲するように降り注ぐが、チリは眉毛一つ動かさない。
「ウパー、三歩左。そこ、星の死角や」
チリの指示は驚くほど静かだった。ウパーは最短距離を跳ね、降り注ぐ光の弾幕の隙間へと入り込む。ミントとイーブイが、ワクワクのために複雑にした技の軌道は、チリにとってはただの隙だらけの迷路でしかなかった。
「えっ、もう技の隙間を見抜いたの!?」
「ウパー、ポイズンテール。星、根こそぎ叩き落とせ」
ウパーの毒を纏った鋭い尾がきらめく無数の星を次々とはたき落とし、ミントの計算を狂わせていく。
「イーブイ、すなかけで視界を奪って!」
「無駄や。ウパー、砂の音を聴け。影に潜ってどろかけ」
チリの指示は淡々としていて隙がない。ウパーは砂に紛れてイーブイの懐へと潜り込み、イーブイが踏み込もうとした足元の影に正確に泥を吐きかけた。
「ブイッ!?」
踏み込みの瞬間、ぬるりとした泥に足を取られ、イーブイのバランスが崩れる。
「終わりや、ずつき」
ミントの指示が届くよりも早く、チリの声が響く。ぬかるむ足下と奪われた視界。そこへ、小さなウパーが弾丸みたいなスピードで突き刺さった。
ーードォォォンッ!
重い衝撃音がコートに響き、イーブイの白い体が砂埃を上げて転がった。そこにはもう、光り輝く星も、ワクワクの余韻もなかった。
「……そこまで。ウパーの勝ち!」
「イーブイ!!」
「ま、こんなもんやな」
ミントの完敗だった。楽しませる隙すら与えない強さ。勝ったことを喜ぶ様子もなく、淡々とウパーをボールに戻すチリの姿に、ミントの悔しさは増幅していく。砂と泥にまみれたイーブイの怪我を確認しながらも、ミントはチリが気になってしかたなかった。
(バトルの間、まったく楽しそうじゃなかった…。勝っても全然喜んでないし……どうして…?)
手当てを終え、未だ目を瞑り痛みに耐えているイーブイをやさしく抱きしめる。温かい鼓動が、次第にミントを幾分落ち着けたが、チリの態度は、ミントが目指す楽しいバトルを否定しているようで、無駄なものだと言っている気がして、たまらなく悔しかった。
...
ーー夕暮れ時。
校舎の影が長く伸びる中庭で、ベンチに座っていたチリの視界を、鮮やかな赤が埋め尽くした。
「…ん?自分、さっきの」
チリが顔を上げると、そこには夕日に頬を照らされたミントが、白のイーブイを抱えて立っていた。イーブイはすっかり元気を取り戻したのか、潤んだ大きな目をチリに向けている。
「さっきはどうも、チリ」
「おお何や、名前覚えとったん?ええ子やなあ」
「え、そうかな?へへ……って違う!そんなことは良くて…。あんた、なんなのよさっきの態度」
「流されそうになっとるやん…」
呆気に取られるチリを無視して、ミントは一歩踏み出し、チリの鼻先に指を突きつけた。抱えていた腕が片方のみになって不安定になったのか、イーブイが足をゆらゆらと動かしている。
「あんた、せっかくのバトルだったのに、全然楽しそうじゃなかったじゃん…!」
「それ、自分が弱かったからって思わへんの?」
「う、でも……勝ったのに、当たり前みたいな顔するのはさ。戦った相手にも、自分のポケモンにも、誠意が足りないんじゃないの…?!」
ミントの声は、図星を突かれた焦りで大きくなっているけれども、必死に相手を揺り起こそうとする熱があった。しかしチリはその熱から避けるように視線を落とし、長い足を組み直して小さくつぶやいた。
「失礼…なあ」
チリの髪が、風に揺られてサラリと舞う。
「バトルなんて、勝てばそれでええんちゃうの?相性いい技選んで、セオリー通りに進めればええやん。…そういうんに楽しいとか、要らんやろ」
「……なにそれ。要らなくなんか、ない。バトルだって何だって、せっかくの機会なんだから楽しまなきゃ…」
「バトルは勝つためのもんやろ。強さを示すための場に過ぎひん。そんなもんに楽しむとか……必要ないやろ」
「…そんな、そんなの……」
突き放すような言葉。だが、ミントはチリの様子にどうにも違和感を感じて、指を下ろせずにいた。だってチリのこの様子は、おかしいのだ。チリが言うように、本当に強さが全てと思っているのなら、チリはもっと堂々としているはず。みんなの前で、その力を見せつけたのだから。けれども自身の前にいるチリは、目を合わせようともしない。紡ぐ言葉だって、ミントに投げかけると言うより、自分に言い聞かせているように見える。
どこにもピントが合っていないような、暗い赤の目。ミントの中で、オレンジアカデミーへの入学を決めた時のような直感が働いた。
「………何?まだ何かあるん?」
ため息を吐きながら視線を上げたチリの目を見て、ミントは確信する。自分の直感が、きっと間違っていないことに。このアカデミーに入ったことも、チリのこの態度にも、意味があるということに。
先程までミントの頭を埋め尽くしていたチリの態度に対する疑問は、一気に心配へと塗り替えられた。直後、ミントの肩から力が抜け、自分を抱き込む力が緩んだことにイーブイは不思議そうに耳を立てた。
夕暮れの風が2人の間を抜けて、ミントの陽だまりを思わせる、優しいシャンプーの香りがチリの鼻を掠めた。
「あのね…これは、えっと……私の勘だけど」
先ほどまでの威勢を無くしたミントのつぶやきは、流れる風に攫われてしまうくらい小さいものだった。
「あんた、何か不安なことがあるんだよね?」
「…………っ」
チリの呼吸が、一瞬だけ止まった。ミントにも、イーブイにも気づかれないほどの、微かな動揺。
「自分、何言うてんの? うちはいつだって余裕たっぷりやで」
チリは顔を伏せたまま、乾いた声で笑った。けれど、その指先がわずかに震えているのを、ミントは見逃さなかった。ミントはイーブイをそっと地面に降ろすと、迷わずチリの両頬を、温かな両手で包み込んだ。
「なっ、ちょっ……!?」
「嘘つき」
強引に向き合わされたチリの紅と、ミントの翡翠が至近距離で交錯する。夕闇が迫る中、ミントの瞳だけが、眩しすぎる太陽の残滓を宿して輝いていた。
(何かは知らないけど、この人は今、きっと何かを我慢してる。だから余裕がなくて、バトルを楽しむ暇がないんだ)
(そんなの、絶対退屈じゃん)
「今日は負けたけど、次は絶対、あんたを悔しがらせてあげる。それでいつか、絶対に……心から楽しいって言わせてあげるから」
ミントの指先から伝わる真っ直ぐな体温に、チリは言葉を失う。言いたいことだけを告げて、ミントは「じゃあね!」と元気よく走り去っていった。
「なんや、なんか…嵐みたいな子やったな…」
一人残された中庭。チリは無意識に、ミントに触れられた自分の頬に手をやった。
そこには、これまで誰にも踏み込ませなかった心の奥底に、熱い火種を放り込まれたような、得体の知れない熱が残り続けていた。
「大層な勘やなあ。……鋭すぎて、目眩したわ」
そう呟いたチリの唇が、ほんの少しだけ綻んだことに、本人すらまだ気づいていなかった。
「髪の毛直してたらこんな時間になっちゃった!間に合うよね、」
「……って、何これ〜」
オレンジアカデミーへと続く、長くて気が遠くなるような石段。やっとの思いで走ってきた先に、まさかこんな落とし穴(実際は石段だが)があるとは。思わぬ強敵を睨みつける少女ーーミントはげんなりと肩を落としつつ、リュックの肩紐を握り直した。
...
「86.87.88……っはー、筋肉痛どころか、痙攣しそうだよ。どうしたってこんな多くするかな〜。ねえ、そう思わない、イーブイ?」
最初こそ勢いよく登り出したものの、次第に速度を落としたミントは、自分と同じペースに合わせてくれている足元の相棒――色違いのイーブイを見た。彼女は疲れなんて知らない顔で、頬を赤く蒸気させながら必死に登る主人を見て、楽しげに笑っていた。文句をこぼしつつも、いつだって自分に優しく笑いかける主人が、イーブイは堪らなく好きなのだ。
「ブーイ!ィブイッ!」
「早く行こうって?残念だけど、もういまが全速力だよ」
「ブイ〜ッ!」
「あ!ちょっと靴下噛まないで!引っ張らないで!ちょっと、イーブイ!」
はしゃぐごとに揺れるミントの赤毛がおもしろくて、イーブイは機嫌良く駆けていく。その小さな背中に置いていかれないように、ミントは生まれたてのシキジカのように震える足を必死に動かした。
そうして、数分後。
「着い、た…。 これも入学試験か何かじゃないと、むしろ納得できない…」
「ブィーッ」
膝に手をついて深呼吸をしたミントが、汗を拭いながら見上げた視線の先には、視界に収まらないほど背の高い大きな校舎。真ん中に彫られたオレンジのマークが、新入生を誇らしげに迎えている。集合時間が迫っているせいか、校舎前の広場にいる生徒は疎だった。
「……なんかさ、いよいよって感じだね」
「ブィ?」
「……いこう、イーブイ。たくさん勉強して、頑張って…いろんな人を楽しませられる私たちになろう!」
「ブイっ!!」
赤く染まった頬はそのままに、ミントはアカデミーの校舎へと走り出した。
...
入学式とオリエンテーションは浮き立つ胸を抑えている間に過ぎ去っていき、あっという間にお昼時になった。
混み合う食堂で何とか席を見つけたミントは、よいせ、なんて年齢に合わない声を漏らしながら腰掛ける。次いでイーブイ用のフーズを置いてやれば、自分でボールから抜け出したイーブイが勢いよく食べ始めた。
「ごめんね、お腹すいてたよね」
ミントが頭を撫でても、イーブイはチラリと見上げただけですぐにご飯へと意識を戻した。確かに実家では、時間を問わずお菓子をあげてたし…これから慣れてもらわないとな。ミントは苦笑いをこぼしつつ、オリエンテーションで担任が説明してくれた内容を反芻する。
パルデア最古の学園が掲げる、3年間のカリキュラム。座学を中心として、基礎知識を学ぶことに重点を置いた1年目。パルデアの各地に赴き、自身の目で見てポケモンや人の営みを学ぶ校外学習を中心とした2年目。そして最終課程の3年目では、この学園最大の特徴でもある課外授業、『宝探し』を1年通して行うという。
充実したカリキュラムにミントは心を躍らせつつ、同時に少し気後れもしていた。休み時間にすれ違う先輩たちは見ただけでわかるほど鍛え上げられたポケモンを連れているし、食堂では、宝探しに向けた具体的な内容を話し合う新入生だっている。
ーー自分はどうだろうか。
ミントは、特別な知識もなければ、イーブイ以外に手持ちもいない。バトルだって、片手で収まるほどの経験しかない。そもそもミントは、何か明確にやりたいことがあってこの学園に入学したわけではなかった。ただ、自分の直感。学園のパンフレットを見た時、『宝探し』という文字を見た時。ここにくれば、きっとたくさんの人を楽しませることができる、笑顔にできる。そう直感したから、どうにか両親に頼み込んで入学させてもらったのだ。
ギュ、無意識に握られたミントの手を見て、イーブイが彼女の膝に飛び乗った。大丈夫だよ。そう言うように、ミントの手に鼻先を付けたイーブイに、ミントの視界が少しだけ滲む。
(……みんなのこと見て焦ってるだけじゃ、つまんないよね。まずは私らしく楽しめること、見つけないと!)
「ありがと、イーブイ」
「ブイ〜〜」
仕方ないな、そんな顔を見せたイーブイに笑顔を返す。食堂で購入した色とりどりの野菜とお肉がパンパンに詰まったサンドイッチにかぶりついたミントは、薄い膜を張る緑の瞳をきらりと光らせた。
「1年目は、座学中心だったよね」
「ブイ!」
「それなら、いろんなポケモンの技とかも勉強できるはずだよね?私全然分からないから、嬉しいな」
「イブイッ」
「…技の出し方を工夫したら、勝ち負けだけじゃない、楽しいバトルができるよね。それってすっごい楽しそう…!」
「ブイブイ〜!」
ミントの中にあった不安が、少しずつ形を変えていく。せっかくオレンジアカデミーに入学できたのだ。気後れすらスパイスに変えて、楽しまないと損である。大した時間もかけずにすっかり機嫌を良くしたミントに同調するように、イーブイは尻尾を大きく振る。さっそく始まる午後の授業を心待ちにしながら、ミントはサンドイッチを頬張った。
...
入学して1週間。ミントは放課後のバトルコートで、イーブイとの特訓に夢中になっていた。どうすればきれいに技同士を組み合わせられる?どうすれば見ている人をワクワクさせられる?座学で得た知識や実技での気付きから、ミントは思考を膨らませる。
「しっぽをふるで小さくでも気流ができたら、スピードスターの星がきれいに回るかな?イーブイどう思う?」
「ブイ〜……ブイ!ィブイ!」
「なるほどね!たしかにチャームボイスの方がきらきらするかな?」
コートの土で技の絵を描きながら、ミントとイーブイは楽しそうに試行錯誤を重ねていき、気がつくと入学してから2週間がたっていた。
「今日の実技は、他クラス合同で行います!新入生同士の対抗戦よ」
先生の言葉に、教室がワッと沸き立つ。その熱気に当てられて、ミントはこぶしを強く握りしめた。
(ここで勝って、私の直感が間違ってなかったって胸を張りたい)
コートには、乾いた土の匂いが立ちこめていた。クラスメイトたちが見守る中、最初に名前を呼ばれたミントは、イーブイとともに、白い線を跨いでコートの中に入っていく。そして、先生が対戦相手として呼んだ生徒の名前はチリ。ネクタイを少しゆるめて、気怠げにミントを見つめている。
青緑色の、肩までスラリと伸びた髪が印象的だった。熱をそっと隠したような紅い瞳は半分くらい閉じられていて、まるで今にも寝てしまいそうなほど、やる気を感じられない。ミントの癖のある赤い髪と、木漏れ日を受ける芝生のような緑の吊り目。
ーー見た目も雰囲気も、チリとミントは真逆である。
「うち、チリっていうねん。まあ、適当によろしくな」
「わたしはミント! よろしくね」
「それでは2人とも、準備はいい?」
――始めッ!
担当教諭の声が響く。先行を取ったのはミントだった。
「適当になんてさせないよ。イーブイ、スピードスター!」
「ブイブイっ!」
ミントの声に合わせて、イーブイがコートを蹴り上げた。舞い上がった砂が太陽に照らされて、キラキラと反射する様子に、チリは少しだけ目を細める。
白のイーブイが空中でくるりと回転し、しっぽを振る。そこから放たれた無数の光の星が、キラキラと輝きながら、コートいっぱいに広がった。
「わあ、きれい……!」
観客席から小さな歓声が上がる。攻撃するためではなく、相手の動きを制限するための技。そして、見ている人をワクワクさせる、ミントが一生懸命練習してきた魅せ方だった。光の星たちが、チリの足元にいるウパーを包囲するように降り注ぐが、チリは眉毛一つ動かさない。
「ウパー、三歩左。そこ、星の死角や」
チリの指示は驚くほど静かだった。ウパーは最短距離を跳ね、降り注ぐ光の弾幕の隙間へと入り込む。ミントとイーブイが、ワクワクのために複雑にした技の軌道は、チリにとってはただの隙だらけの迷路でしかなかった。
「えっ、もう技の隙間を見抜いたの!?」
「ウパー、ポイズンテール。星、根こそぎ叩き落とせ」
ウパーの毒を纏った鋭い尾がきらめく無数の星を次々とはたき落とし、ミントの計算を狂わせていく。
「イーブイ、すなかけで視界を奪って!」
「無駄や。ウパー、砂の音を聴け。影に潜ってどろかけ」
チリの指示は淡々としていて隙がない。ウパーは砂に紛れてイーブイの懐へと潜り込み、イーブイが踏み込もうとした足元の影に正確に泥を吐きかけた。
「ブイッ!?」
踏み込みの瞬間、ぬるりとした泥に足を取られ、イーブイのバランスが崩れる。
「終わりや、ずつき」
ミントの指示が届くよりも早く、チリの声が響く。ぬかるむ足下と奪われた視界。そこへ、小さなウパーが弾丸みたいなスピードで突き刺さった。
ーードォォォンッ!
重い衝撃音がコートに響き、イーブイの白い体が砂埃を上げて転がった。そこにはもう、光り輝く星も、ワクワクの余韻もなかった。
「……そこまで。ウパーの勝ち!」
「イーブイ!!」
「ま、こんなもんやな」
ミントの完敗だった。楽しませる隙すら与えない強さ。勝ったことを喜ぶ様子もなく、淡々とウパーをボールに戻すチリの姿に、ミントの悔しさは増幅していく。砂と泥にまみれたイーブイの怪我を確認しながらも、ミントはチリが気になってしかたなかった。
(バトルの間、まったく楽しそうじゃなかった…。勝っても全然喜んでないし……どうして…?)
手当てを終え、未だ目を瞑り痛みに耐えているイーブイをやさしく抱きしめる。温かい鼓動が、次第にミントを幾分落ち着けたが、チリの態度は、ミントが目指す楽しいバトルを否定しているようで、無駄なものだと言っている気がして、たまらなく悔しかった。
...
ーー夕暮れ時。
校舎の影が長く伸びる中庭で、ベンチに座っていたチリの視界を、鮮やかな赤が埋め尽くした。
「…ん?自分、さっきの」
チリが顔を上げると、そこには夕日に頬を照らされたミントが、白のイーブイを抱えて立っていた。イーブイはすっかり元気を取り戻したのか、潤んだ大きな目をチリに向けている。
「さっきはどうも、チリ」
「おお何や、名前覚えとったん?ええ子やなあ」
「え、そうかな?へへ……って違う!そんなことは良くて…。あんた、なんなのよさっきの態度」
「流されそうになっとるやん…」
呆気に取られるチリを無視して、ミントは一歩踏み出し、チリの鼻先に指を突きつけた。抱えていた腕が片方のみになって不安定になったのか、イーブイが足をゆらゆらと動かしている。
「あんた、せっかくのバトルだったのに、全然楽しそうじゃなかったじゃん…!」
「それ、自分が弱かったからって思わへんの?」
「う、でも……勝ったのに、当たり前みたいな顔するのはさ。戦った相手にも、自分のポケモンにも、誠意が足りないんじゃないの…?!」
ミントの声は、図星を突かれた焦りで大きくなっているけれども、必死に相手を揺り起こそうとする熱があった。しかしチリはその熱から避けるように視線を落とし、長い足を組み直して小さくつぶやいた。
「失礼…なあ」
チリの髪が、風に揺られてサラリと舞う。
「バトルなんて、勝てばそれでええんちゃうの?相性いい技選んで、セオリー通りに進めればええやん。…そういうんに楽しいとか、要らんやろ」
「……なにそれ。要らなくなんか、ない。バトルだって何だって、せっかくの機会なんだから楽しまなきゃ…」
「バトルは勝つためのもんやろ。強さを示すための場に過ぎひん。そんなもんに楽しむとか……必要ないやろ」
「…そんな、そんなの……」
突き放すような言葉。だが、ミントはチリの様子にどうにも違和感を感じて、指を下ろせずにいた。だってチリのこの様子は、おかしいのだ。チリが言うように、本当に強さが全てと思っているのなら、チリはもっと堂々としているはず。みんなの前で、その力を見せつけたのだから。けれども自身の前にいるチリは、目を合わせようともしない。紡ぐ言葉だって、ミントに投げかけると言うより、自分に言い聞かせているように見える。
どこにもピントが合っていないような、暗い赤の目。ミントの中で、オレンジアカデミーへの入学を決めた時のような直感が働いた。
「………何?まだ何かあるん?」
ため息を吐きながら視線を上げたチリの目を見て、ミントは確信する。自分の直感が、きっと間違っていないことに。このアカデミーに入ったことも、チリのこの態度にも、意味があるということに。
先程までミントの頭を埋め尽くしていたチリの態度に対する疑問は、一気に心配へと塗り替えられた。直後、ミントの肩から力が抜け、自分を抱き込む力が緩んだことにイーブイは不思議そうに耳を立てた。
夕暮れの風が2人の間を抜けて、ミントの陽だまりを思わせる、優しいシャンプーの香りがチリの鼻を掠めた。
「あのね…これは、えっと……私の勘だけど」
先ほどまでの威勢を無くしたミントのつぶやきは、流れる風に攫われてしまうくらい小さいものだった。
「あんた、何か不安なことがあるんだよね?」
「…………っ」
チリの呼吸が、一瞬だけ止まった。ミントにも、イーブイにも気づかれないほどの、微かな動揺。
「自分、何言うてんの? うちはいつだって余裕たっぷりやで」
チリは顔を伏せたまま、乾いた声で笑った。けれど、その指先がわずかに震えているのを、ミントは見逃さなかった。ミントはイーブイをそっと地面に降ろすと、迷わずチリの両頬を、温かな両手で包み込んだ。
「なっ、ちょっ……!?」
「嘘つき」
強引に向き合わされたチリの紅と、ミントの翡翠が至近距離で交錯する。夕闇が迫る中、ミントの瞳だけが、眩しすぎる太陽の残滓を宿して輝いていた。
(何かは知らないけど、この人は今、きっと何かを我慢してる。だから余裕がなくて、バトルを楽しむ暇がないんだ)
(そんなの、絶対退屈じゃん)
「今日は負けたけど、次は絶対、あんたを悔しがらせてあげる。それでいつか、絶対に……心から楽しいって言わせてあげるから」
ミントの指先から伝わる真っ直ぐな体温に、チリは言葉を失う。言いたいことだけを告げて、ミントは「じゃあね!」と元気よく走り去っていった。
「なんや、なんか…嵐みたいな子やったな…」
一人残された中庭。チリは無意識に、ミントに触れられた自分の頬に手をやった。
そこには、これまで誰にも踏み込ませなかった心の奥底に、熱い火種を放り込まれたような、得体の知れない熱が残り続けていた。
「大層な勘やなあ。……鋭すぎて、目眩したわ」
そう呟いたチリの唇が、ほんの少しだけ綻んだことに、本人すらまだ気づいていなかった。
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