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「ねぇ、聞いた?取引先の商社の例のご令嬢をついにフッた話」
「まじで?どこ情報?」
「私も噂で聞いたんだけど、下の受付で何やかんやあったみたい」
桧山さんの誕生日当日の昼下がり。
トイレへと向かうため廊下を歩いているとふと耳に入り思わず近くにあった壁に身を潜めた。
どうやら、桧山さんに定期的に公で求婚していた取引先のご令嬢をバッサリとフッたらしいという内容だった。
今までやんわりと躱していたため、何かしらの心の変化があってそれが恋人ができたことなのではないかと誰かが推測したらしい。
あくまでも噂は噂だ。
それが真実とは限らないし、誰かによって都合よくねじ曲げられた話かもしれない。
その事は分かっているけど――――――。
「……」
どうしても脳裏に栗色の髪がチラついて仕方がない。
桧山さんの副業で取引をしているといえその人が頻繁にこの建物に出入りしているのは知っている。
それが仕事の要件でのことだということも。
だけどたまに2人で喋っている所見かける度に、2人の世界ができていて少し胸が苦しくなる。
そして今も真と決まったわけでないそれが彼女だと思え、ジクジク胸が痛んで仕方がない。
果たして、私は何故こんなにも胸を痛めているのだろうか。
痛む胸に困惑しかおぼえない。
いつもの私なら、こんな噂話にここまで反応することなんてないのに。
(…………私から贈ったらやっぱり迷惑だよね)
こんな噂が出てる以上、大谷さんたちの進言を聞こうという気にはならなかった。
そもそもの話、誕生日当日なんてあちこちからパーティーの1つや2つするのではないだろうか。
そんなことさえ忘れて、ちょっとくらいお顔を見れるのではないかと思っていた。
厚かましい。
ただちょっとのご縁で会社に拾ってもらって、良くしてもらってるだけの私にそんな時間がある訳がない。
どうしようもない羞恥が込み上げて、今すぐにでもどこかに閉じこもりたい。
しかし、まだまだ労働時間内である。
私情でやらなければならいことをほっぽって逃避することは許されない。
いつの間にか、お喋りをしていた社員の声は聞こえなくなっていた。
それでも私はその場から動けなかった。
カタカタカタ。
気持ちのいいタイピング音が人のいないオフィスに響き渡る。
数をチェックして、ミスをしないように表に入力していく。
本来これは明日に回すつもりだった仕事だが、家に帰ったらなにか考えてしまいそうで、残業までして手をつけた。
何かに没頭して忘れたかった。
ただそんな時の時間というのは過ぎるのが遅く、まだ時計が8を示す頃合だった。
早く夜が更けて、終電で帰られせてほしいと切に願うばかりだ。
(忘れよう、なかったことにしよう)
そうしたらまた明日からいつも通り――――――
「………… [#dn=1#]!」
「ヒッ!」
タイピングしていた右手に感じた人肌に、現実に引き戻される。
いきなり感じた温かさに思わず悲鳴をあげる。
恐る恐る振り返ると、現実逃避するハメになったその人がいた。
なぜ?という疑問符が頭の中で乱舞する。
「ひ、桧山さん…………」
「…………相変わらず油断するとすぐ残業をしているようだな」
「アハハ……」
呆れたとでも言うように言われたそれに、ぎこちなく笑って返すしかなかった。
上手く笑えているか気にするほどの余裕がなかったからきっと酷いものだろう。
今頃、桧山さんは恋人とは言わずとも何か予定が入っている思っていた。
それなのになぜ会社に、私の目の前にいるのだろう。
私が生み出した幻想?
思わず頬をつねった。
「?なぜ頬つねる?」
「いや、寝てるのかなと思いまして……」
どうやら夢でないらしい。
思い切りつねったせいで頬が痛い。
「残業しているということは、今日はもう予定がないということだな」
「えっと、まぁ、そうですね……」
思わず出そうになった、桧山さんはご予定あるでしょう?を咄嗟に飲み込む。
「なら今から[#dn=1#]の時間は俺にくれないか?」
「えっ……」
「いやか?」
「い、いやじゃないですけど……」
「そうか、ならよかった。では早速行くぞ」
今日は俺が懇意にしているフレンチだ、とアンバーの瞳を緩ませながらそう微笑みかけられた。
これは。これは。
もしも噂が本当だとして、そしてこの誘いは――――――
(う、自惚れてしまう……)
私が桧山さんにとって、少なからず特別でこうして誕生日を過ごせることに自惚れざるおえなかった。
その事に胸がいっぱいになり、なにか溢れそうで―――――――。
いいや、きっとこれは都合のいい幻想だ。
首を横に振り、今まで考えていたことをなかったことにする。
そんな私を見て、桧山さんは不思議そうな顔をしたのでなんでもないです。と笑んで、そそくさと帰る準備を始めた。
寒空の下を酔い覚ましがてら歩く。
時折頬を撫でる風が冷たくて気持ちがいい。
「ご馳走様でした……」
「[#dn=1#]の食べっぷりはいつ見ても気持ちのいいものだな!」
「きょ、恐縮です……」
美しいご尊顔に微笑まれて言われたものだから、また美味しものを奢ってもらってしまったことにいたたまれなさを感じる。
今日こそ自分の分くらい払おうと思っていたのだが、いつの間にか会計が済んでいた。
さすがと言わざるおえないスマートさにぐうの音も出ない。
「……桧山さん」
「?どうかしたか?」
どうして今日、私を食事に誘ったんですか?という疑問が口を滑りそうになった寸で飲み込む。
代わりに出した言葉は純粋な私の今の気持ちで、そして至ってシンプルなずっと考えて練習していた言葉だった。
「た、誕生日おめでとうございます」
「…………羽鳥か」
「そうですけど、でも、祝いたいと思ったのは紛れもない私自身です…………」
頬がカッと燃える。
汗が手に滲んで、仕事での社交辞令でないおめでとうを言うには心臓が爆発しそうになるのかと初めて感じたことを心に書き留める。
声が最後になるにつれ尻すぼみ、もっとちゃんと伝えなければならないことなのに声が震えてしょうがない。
「それでですね、日頃の感謝を込めて釈悦ながらプレゼント用意したんで、よければ受け取ってください」
鞄の中に大事に入れていた品を出す。
出して渡す、その一連動作だけでどうしようもなく緊張で指先が震えて、受け取ってもらえなかったらどうしようと、悪い想像が頭をよぎって仕方がない。
喉が渇いて、目が潤んで上手く桧山さんの顔が見れない。
「お前は、」
「すみません、私からなんていらないですよね。いらないことしました……」
「いや、そんなことはない。ありがたくこれは受け取ろう」
あぁ、ずるいな。
花が舞いそうな顔で言われて、救われないはずなかった。
「今開けてもいいか?」
「そんなにいいものではないんですけども、そんなのでよければ…………」
「これは……」
「ま、全く実用性のないものをなので全然、ッ―――」
全然捨てて頂いて結構です。
その言葉は驚きのあまり全て声にならなかった。
抱き寄せられた。
その事実が桧山さんと接するところから感じる体温により嫌でも伝わる。
なんで?なぜ?という疑問と、触れられているという喜びと、これ以上はいけないないという警告で脳がかき混ぜられる。
離れなければまたなにか蓋を開けてしまいそうなのに、なのに。
拒絶できなくて、そして流されるままの自分に愚かさを感じる。
「まさか[#dn=1#]から貰えると思わなかった。」
嬉しい、ありがとう。
そう耳元で囁かれ頭が真っ白になる。
「よ、喜んで頂けたなら、幸いです、」
こんなに喜んで貰えるならネタに走らなければよかったと少しばかり後悔する。
ネクタイは無難なものを選んだからまだしも、バイオリン型のネクタイピンはあまりにも酷い。
そもそもバイオリン型を選んだのは、桧山さんがバイオリンを弾くことができることをあの時思い出したからだ。
普通に無難でシンプルなネクタイピンを贈ればよかったと今更思う。
それに、こんなの贈ったの神楽さんにバレたら、高層ビルから突き落とされるのでは?という不安が急に足元から襲って仕方がない。
頭の中の神楽さんが絶対零度の目でこちらを見てくる。
これは後日ちゃんとしたやつを渡さなければ殺られるやつだ。
「[#dn=1#]」
「は、はいっ」
呼ばれ我に戻る。
頭の中の神楽さんが吹雪いていて忘れかけていたが、桧山さんに抱き寄せられていたのだった。
やはり突然起きたそれに受け入れなさに目眩を起こしそうだ。
「お前をもう少し抱きしめていてもいいだろうか?」
「え、えっと、」
キャパオーバーしていて何とか鞭を打って動かしていた思考が本格的にストップする。
抱きしめるって抱きしめるでいいのか?
そもそも抱きしめるという概念はなんだ?と訳の分からないことが頭の中を占めた。
「いやならお前を今すぐ離そう……すまなかった」
「え!いやそんなことでは……!」
先程まで離して欲しいと考えていたのに、正反対の言葉が口から滑るから、私の体は誰かに操られてるのかもしれない。
止まった思考はえぇい!どうにでもなれ!というヤケになる。
「えっとですね、嫌じゃない、ので、す、好きなようにしてください…………」
体温が上昇しすぎて、私は死ぬのではないかすら思えてくる。
自分でも熱に浮かされてとんでもないこと言ってるような気しかしない。
この後絶対後悔するだろうなと自分のことを他人事ようにすら思えてくるからおかしいことだ。
「なら遠慮なくもう少しだけお前を抱きしめていよう」
さっきとは比べ物にならないくらい強く抱きしめられる。
こんなことされたら勘違いしてしまいそうで。
いっそ勘違いしてしまいたい自分がいる気がして仕方がない。
「お前にこんなに触れられるなんて、俺は幸せ者だな」
そんなことを言う桧山さんの視線が甘くて酔いそうで。
「な、なら、喜ばしいことですね」
そう返答するしか私は術がなかった。
なにか開きそうなその先を私は目を逸らして見ないふりをした。
寒空の下の抱擁はまだ続きそうだった。
「まじで?どこ情報?」
「私も噂で聞いたんだけど、下の受付で何やかんやあったみたい」
桧山さんの誕生日当日の昼下がり。
トイレへと向かうため廊下を歩いているとふと耳に入り思わず近くにあった壁に身を潜めた。
どうやら、桧山さんに定期的に公で求婚していた取引先のご令嬢をバッサリとフッたらしいという内容だった。
今までやんわりと躱していたため、何かしらの心の変化があってそれが恋人ができたことなのではないかと誰かが推測したらしい。
あくまでも噂は噂だ。
それが真実とは限らないし、誰かによって都合よくねじ曲げられた話かもしれない。
その事は分かっているけど――――――。
「……」
どうしても脳裏に栗色の髪がチラついて仕方がない。
桧山さんの副業で取引をしているといえその人が頻繁にこの建物に出入りしているのは知っている。
それが仕事の要件でのことだということも。
だけどたまに2人で喋っている所見かける度に、2人の世界ができていて少し胸が苦しくなる。
そして今も真と決まったわけでないそれが彼女だと思え、ジクジク胸が痛んで仕方がない。
果たして、私は何故こんなにも胸を痛めているのだろうか。
痛む胸に困惑しかおぼえない。
いつもの私なら、こんな噂話にここまで反応することなんてないのに。
(…………私から贈ったらやっぱり迷惑だよね)
こんな噂が出てる以上、大谷さんたちの進言を聞こうという気にはならなかった。
そもそもの話、誕生日当日なんてあちこちからパーティーの1つや2つするのではないだろうか。
そんなことさえ忘れて、ちょっとくらいお顔を見れるのではないかと思っていた。
厚かましい。
ただちょっとのご縁で会社に拾ってもらって、良くしてもらってるだけの私にそんな時間がある訳がない。
どうしようもない羞恥が込み上げて、今すぐにでもどこかに閉じこもりたい。
しかし、まだまだ労働時間内である。
私情でやらなければならいことをほっぽって逃避することは許されない。
いつの間にか、お喋りをしていた社員の声は聞こえなくなっていた。
それでも私はその場から動けなかった。
カタカタカタ。
気持ちのいいタイピング音が人のいないオフィスに響き渡る。
数をチェックして、ミスをしないように表に入力していく。
本来これは明日に回すつもりだった仕事だが、家に帰ったらなにか考えてしまいそうで、残業までして手をつけた。
何かに没頭して忘れたかった。
ただそんな時の時間というのは過ぎるのが遅く、まだ時計が8を示す頃合だった。
早く夜が更けて、終電で帰られせてほしいと切に願うばかりだ。
(忘れよう、なかったことにしよう)
そうしたらまた明日からいつも通り――――――
「………… [#dn=1#]!」
「ヒッ!」
タイピングしていた右手に感じた人肌に、現実に引き戻される。
いきなり感じた温かさに思わず悲鳴をあげる。
恐る恐る振り返ると、現実逃避するハメになったその人がいた。
なぜ?という疑問符が頭の中で乱舞する。
「ひ、桧山さん…………」
「…………相変わらず油断するとすぐ残業をしているようだな」
「アハハ……」
呆れたとでも言うように言われたそれに、ぎこちなく笑って返すしかなかった。
上手く笑えているか気にするほどの余裕がなかったからきっと酷いものだろう。
今頃、桧山さんは恋人とは言わずとも何か予定が入っている思っていた。
それなのになぜ会社に、私の目の前にいるのだろう。
私が生み出した幻想?
思わず頬をつねった。
「?なぜ頬つねる?」
「いや、寝てるのかなと思いまして……」
どうやら夢でないらしい。
思い切りつねったせいで頬が痛い。
「残業しているということは、今日はもう予定がないということだな」
「えっと、まぁ、そうですね……」
思わず出そうになった、桧山さんはご予定あるでしょう?を咄嗟に飲み込む。
「なら今から[#dn=1#]の時間は俺にくれないか?」
「えっ……」
「いやか?」
「い、いやじゃないですけど……」
「そうか、ならよかった。では早速行くぞ」
今日は俺が懇意にしているフレンチだ、とアンバーの瞳を緩ませながらそう微笑みかけられた。
これは。これは。
もしも噂が本当だとして、そしてこの誘いは――――――
(う、自惚れてしまう……)
私が桧山さんにとって、少なからず特別でこうして誕生日を過ごせることに自惚れざるおえなかった。
その事に胸がいっぱいになり、なにか溢れそうで―――――――。
いいや、きっとこれは都合のいい幻想だ。
首を横に振り、今まで考えていたことをなかったことにする。
そんな私を見て、桧山さんは不思議そうな顔をしたのでなんでもないです。と笑んで、そそくさと帰る準備を始めた。
寒空の下を酔い覚ましがてら歩く。
時折頬を撫でる風が冷たくて気持ちがいい。
「ご馳走様でした……」
「[#dn=1#]の食べっぷりはいつ見ても気持ちのいいものだな!」
「きょ、恐縮です……」
美しいご尊顔に微笑まれて言われたものだから、また美味しものを奢ってもらってしまったことにいたたまれなさを感じる。
今日こそ自分の分くらい払おうと思っていたのだが、いつの間にか会計が済んでいた。
さすがと言わざるおえないスマートさにぐうの音も出ない。
「……桧山さん」
「?どうかしたか?」
どうして今日、私を食事に誘ったんですか?という疑問が口を滑りそうになった寸で飲み込む。
代わりに出した言葉は純粋な私の今の気持ちで、そして至ってシンプルなずっと考えて練習していた言葉だった。
「た、誕生日おめでとうございます」
「…………羽鳥か」
「そうですけど、でも、祝いたいと思ったのは紛れもない私自身です…………」
頬がカッと燃える。
汗が手に滲んで、仕事での社交辞令でないおめでとうを言うには心臓が爆発しそうになるのかと初めて感じたことを心に書き留める。
声が最後になるにつれ尻すぼみ、もっとちゃんと伝えなければならないことなのに声が震えてしょうがない。
「それでですね、日頃の感謝を込めて釈悦ながらプレゼント用意したんで、よければ受け取ってください」
鞄の中に大事に入れていた品を出す。
出して渡す、その一連動作だけでどうしようもなく緊張で指先が震えて、受け取ってもらえなかったらどうしようと、悪い想像が頭をよぎって仕方がない。
喉が渇いて、目が潤んで上手く桧山さんの顔が見れない。
「お前は、」
「すみません、私からなんていらないですよね。いらないことしました……」
「いや、そんなことはない。ありがたくこれは受け取ろう」
あぁ、ずるいな。
花が舞いそうな顔で言われて、救われないはずなかった。
「今開けてもいいか?」
「そんなにいいものではないんですけども、そんなのでよければ…………」
「これは……」
「ま、全く実用性のないものをなので全然、ッ―――」
全然捨てて頂いて結構です。
その言葉は驚きのあまり全て声にならなかった。
抱き寄せられた。
その事実が桧山さんと接するところから感じる体温により嫌でも伝わる。
なんで?なぜ?という疑問と、触れられているという喜びと、これ以上はいけないないという警告で脳がかき混ぜられる。
離れなければまたなにか蓋を開けてしまいそうなのに、なのに。
拒絶できなくて、そして流されるままの自分に愚かさを感じる。
「まさか[#dn=1#]から貰えると思わなかった。」
嬉しい、ありがとう。
そう耳元で囁かれ頭が真っ白になる。
「よ、喜んで頂けたなら、幸いです、」
こんなに喜んで貰えるならネタに走らなければよかったと少しばかり後悔する。
ネクタイは無難なものを選んだからまだしも、バイオリン型のネクタイピンはあまりにも酷い。
そもそもバイオリン型を選んだのは、桧山さんがバイオリンを弾くことができることをあの時思い出したからだ。
普通に無難でシンプルなネクタイピンを贈ればよかったと今更思う。
それに、こんなの贈ったの神楽さんにバレたら、高層ビルから突き落とされるのでは?という不安が急に足元から襲って仕方がない。
頭の中の神楽さんが絶対零度の目でこちらを見てくる。
これは後日ちゃんとしたやつを渡さなければ殺られるやつだ。
「[#dn=1#]」
「は、はいっ」
呼ばれ我に戻る。
頭の中の神楽さんが吹雪いていて忘れかけていたが、桧山さんに抱き寄せられていたのだった。
やはり突然起きたそれに受け入れなさに目眩を起こしそうだ。
「お前をもう少し抱きしめていてもいいだろうか?」
「え、えっと、」
キャパオーバーしていて何とか鞭を打って動かしていた思考が本格的にストップする。
抱きしめるって抱きしめるでいいのか?
そもそも抱きしめるという概念はなんだ?と訳の分からないことが頭の中を占めた。
「いやならお前を今すぐ離そう……すまなかった」
「え!いやそんなことでは……!」
先程まで離して欲しいと考えていたのに、正反対の言葉が口から滑るから、私の体は誰かに操られてるのかもしれない。
止まった思考はえぇい!どうにでもなれ!というヤケになる。
「えっとですね、嫌じゃない、ので、す、好きなようにしてください…………」
体温が上昇しすぎて、私は死ぬのではないかすら思えてくる。
自分でも熱に浮かされてとんでもないこと言ってるような気しかしない。
この後絶対後悔するだろうなと自分のことを他人事ようにすら思えてくるからおかしいことだ。
「なら遠慮なくもう少しだけお前を抱きしめていよう」
さっきとは比べ物にならないくらい強く抱きしめられる。
こんなことされたら勘違いしてしまいそうで。
いっそ勘違いしてしまいたい自分がいる気がして仕方がない。
「お前にこんなに触れられるなんて、俺は幸せ者だな」
そんなことを言う桧山さんの視線が甘くて酔いそうで。
「な、なら、喜ばしいことですね」
そう返答するしか私は術がなかった。
なにか開きそうなその先を私は目を逸らして見ないふりをした。
寒空の下の抱擁はまだ続きそうだった。