プロムの恋人
name chenge
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
【後編:本当は彼女と】
後夜祭の一大イベントとして迎えた、夜のプロム。
会場となった体育館はシャンデリア風の照明と華やかな装飾で彩られ、普段の無機質な空間とはまるで別世界のように変貌していた。
大音量で流れる音楽と、ドレスやタキシードで着飾った生徒たちの歓声。
私は壁際に立ち、ジュースが入ったグラスを手にしながら、その喧騒をどこか他人事のように眺めていた。
本当なら、私はこのパーティーに出席するつもりなんてなかった。
プロムのパートナーとして誘いたい人が、私にはいたのだ。
——小栗有以。
学年で知らない者はいない、誰もが認めるミスコンの優勝候補。
華やかな笑顔と圧倒的なオーラを持つ彼女は、私にとってずっと高嶺の花であり、密やかな憧れだった。
彼女をプロムに誘えたら、どんなに素晴らしいだろう。
そんな夢を抱いていた時期もあった。
けれど、ミスコンの優勝者はミスターコンの優勝者とプロムに出るという噂を聞き、私は声をかける前に早々に諦めてしまったのだ。
そして有以は前評判通り、ミスコンでクイーンに選ばれた。
届かない高望みをするくらいなら、最初から参加しない方がいい。
そうやって自分の気持ちに蓋をして逃げようとしていた私のドアをノックしたのが、伊藤百花だった。
『千歳、もうパートナー……決まってる……?』
一ヶ月前、放課後の教室で必死に声を絞り出していた彼女の姿が脳裏に蘇る。
感情がすぐに顔に出るいとももは、あの日、泣き出しそうなほど強張った顔をしていた。
はじめは断るつもりだった。でも、勇気を出して誘ってくれたいとももの気持ちを無碍にはできなかった。
妥協だったのかもしれない。自分への言い訳だったのかもしれない
有以と踊れないのなら、誰といても同じだ。
むしろ、他の誰かと踊ったほうが、気が晴れるかもしれない。
そんな冷めた気持ちが、あの時の私の中に全くなかったと言えば嘘になる。
だけど——。
人混みをかき分けてこちらへ走ってくる足音に、私は思考を打ち切った。
そこにいたのは、普段の制服姿とはガラリと雰囲気を変えた、パステルピンクのドレスに身を包んだいとももだった。
少し控えめなメイクとアップにした髪型が、彼女の可憐さを引き立てている。
「康、おまたせ!……どう、かな。変じゃない?」
自信なさげに視線を下げるいともも。あまりの美しさに息を呑んだ。
「……すごく似合ってるよ。綺麗だ」
「えっ!? お世辞じゃない!? ほんとに……?」
私の言葉に、いとももは一瞬で顔を真っ赤にして、視線をあちこちに泳がせた。
この一ヶ月間、体育で習ったぎこちないペアダンスのステップを、放課後の教室で二人でおさらいした練習風景が思い出される。
少しステップが合えば子供のように飛び跳ねて喜び、うまく踊れないと分かりやすく落ち込む。
一生懸命に私の「パートナー」になろうと努力してくれるいとももの素直さに、私はいつの間にか深く救われ、心惹かれていた。
一緒にいて、本当に心地がいい。
いとももと過ごす時間は温かく、私の心を優しく満たしてくれていた。……それなのに。
「あ、クイーンとキングのお披露目だって!」
会場の電気が少し暗くなり、ステージの上にスポットライトが当たった。
司会の声とともに壇上に現れたのは、誰もが息を呑むほど美しくドレスアップした小栗有以だった。
スポットライトを浴びて煌めく彼女の笑顔を見た瞬間、私の中で深く眠っていたはずの未練が、ここぞとばかりに顔を出す。
あんなにも眩しい。やっぱり、私はあの光に憧れていたんだ。
吸い寄せられるように、私の視線は有以から離れなくなった。
もし、あの時勇気を出して手を伸ばしていたら。もし、彼女の隣に立っているのが私だったら。
もしかしたらの妄想が頭の中を渦巻き、私は隣にいる存在のことすら一瞬忘れてしまっていた。
その時だった。
キュッと、私のジャケットの袖が引っ張られた。
「……え?」
我に返り、隣を見る。
いとももが、私の袖を小さな手でギュッと握りしめていた。
彼女はステージを見つめたまま、俯き加減に唇を噛みしめている。
その瞳には、今にもこぼれ落ちそうな涙が溜まっていた。
「いともも……?」
「……ごめんね」
消え入りそうな、掠れた声だった。
「ごめんね、私なんかと来させちゃって。康が……ずっと誰をかを見てるって、最初から分かってたのに」
いとももは私を困らせないよう、必死に涙を堪えて微笑もうとしていた。
けれど、悲しみを隠しきれないその表情は、どんな言葉よりも強く私の胸を打ち刺した。
——何をやっているんだ、私は。
脳を殴られたような衝撃が走った。
私は、自分のあまりの愚かさと最低さに激しい自己嫌悪を抱いた。
届かない高嶺の花への未練に囚われ、今、私の目の前で、誰よりも一途に私だけを見つめてくれていた人の心を、私は酷く傷つけていたのだ。
有以への憧れはただの自己満足に過ぎない。
私を必要とし、この手を掴んでくれたのは、他の誰でもない、目の前にいるいとももなのだ。
練習のとき、私に褒められるたびにパッと花が咲くように浮き立っていた彼女の笑顔。
私の隣で、一生懸命にステップを踏んでくれたあの時間。
私が見るべきだったのは、愛おしむべきだったのは、ずっと最初から彼女だった。
「……ううん。謝らないで」
私は有以から完全に視線を外した。
そして、私の袖を握っていたいとももの細い手を、包み込むように力強く握り直した。
いとももが驚いたように目を丸くして、私を見上げる。
「私の方が、ごめん。……私がバカだった。
遠くの光ばかり見て、一番近くで私を照らしてくれていた大切な存在に気づかない振りをしていた」
「康……?」
「私が見たかったのは、一緒にいたかったのは、君だよ。……百花」
まっすぐに彼女の目を見つめて告げると、百花の瞳から一筋の涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
けれど、それはさっきまでの悲しい涙ではなく、安堵と喜びに満ちた輝きだった。
ちょうど会場には、ゆっくりとしたスローナンバーが流れ始めていた。
フロアの中央では、カップルたちが優雅に踊り始めている。
「私と、踊ってくれますか?」
私は少し大袈裟に腰を落とし、彼女に手を差し出した。
百花は涙を拭うと、感情を隠すことなんて忘れたように、とびきりの笑顔を咲かせた。
「はい! !」
重ねられた手のぬくもりが、じんわりと心に広がっていく。
私たちは誘い合うようにダンスフロアの中央へと歩み出た。
誰かの影を追うためじゃない。
本当の意味で、この愛おしい「彼女」のパートナーとして踊るために。
スポットライトの光の中、私はもう二度と離さないと誓うように、百花の手を強く握りしめた。
2/2ページ