大都会の有閑喫茶(全7話)
name chenge
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【#4 テータリックと目的】
9月の終わり。容赦なく照りつけていた陽光が、夕暮れ時には少しだけその鋭さを潜めるようになった。
アスファルトからの輻射熱はまだ残っているが、喫茶『有閑』の店内に一歩足を踏み入れれば、涼やかな空気と穏やかなジャズがそれらを忘れさせてくれる。
カウンターの上には、色とりどりの華やかな紅茶の缶が、まるで小さな兵隊のようにずらりと並んでいた。
「……マスター。うち、いつから紅茶専門店になったんですか?」
後学期が始まり、大学終わりにそのまま出勤してきた瑞葵が、呆れ顔でその缶の数を数えている。
一つ、二つ、……全部で十種類はある。
「いやぁ、専門店に卸している友人がね、『缶が潰れちゃったから』って格安で譲ってくれたんだ。
茶葉の品質に変わりはないし、せっかくなら全種類欲しくなっちゃってね」
「買いすぎですって。そもそも、うちのメニューに紅茶なんてありましたっけ」
「あるよ?今日から」
瑞葵が唇を尖らせて反論しようとした時、一番奥の席でいつものように文庫本を開いていた由依が、ふっと顔を上げて微笑んだ。
「ええやんか、ずっきー。紅茶ならお菓子にも使えるし、濃く淹れてシロップにすれば炭酸で割っても美味しいで。」
「由依さんまでマスターの味方するんですか……? もう、このお店の人はみんなお財布の紐が緩いんだから」
康は「さて、最初の一杯は誰に淹れようかな」と、嬉しそうに銀色のスプーンを手に取った。
ーーーーー
カウベルが軽やかに鳴り、店内に一人の少女が入ってきた。
「あ、かわゆいちゃん。いらっしゃい」
康が明るい声で迎える。
現れたのは、近所の大学に通う三年生の川村結衣だった。
その愛らしい容姿から、親しみを込めて「かわゆいちゃん」と呼んでいる。
「……マスター、いつものブレンドください。ちょっとシャキッとしたいので」
結衣は力なく笑うと、瑞葵が案内したテーブル席にどさりと重そうなリュックを置いた。
その隙間からは、折り目や付箋が大量についた就職活動の資料が顔をのぞかせている。
康は黙って豆を挽き、丁寧にドリップを始めた。
香ばしい香りが立ち上る中、結衣は手元の資料を見つめたまま、深い溜息をついた。
「……就活、難航してるんですか?」
瑞葵がおしぼりを渡しながら恐る恐る尋ねると、結衣は困ったように眉をハの字に下げた。
「そうなんです。エントリーシートを書いてても、自分の『やりたいこと』が全然思いつかなくて……。
このまま東京で仕事を探すべきか、それとも地元に帰るべきか。
北海道の両親は『無理しなくていい』って言ってくれるんですけど、それが逆にプレッシャーというか。私、何がしたいんだろうって」
結衣が視線を落とす。瑞葵はなんと声をかければ良いのかわからず、奥に座る由依に視線をやった。
「……かわゆいちゃんの出身、北海道なんや」
瑞葵からの視線を受け取った由依が、助け舟を出すように結衣に声を掛けた。
「そうなんです。進学で東京に来たんですけど……由依さんは京都のご出身でしたよね?」
「そうそう。一回向こうで就職したんやけど、いろいろあって東京に出てきてん」
地方出身者同士、通ずるものがあるのか、康がコーヒーを淹れている間、二人の会話に花が咲く。
「お待たせしました、ブレンドコーヒーです」
「いい香り……。ありがとうございます」
由依のおかげか、おしぼりを渡した時よりも表情が明るくなった結衣をみて瑞葵は安堵した。
それと同時に、結衣を元気づける役目をお客である由依に丸投げしてしまった不甲斐なさも感じていた。
見かねた康が、カウンターに戻ってきた瑞葵に声をかける。
「ずっきー、紅茶の味見してみない?」
「……紅茶ですか?コーヒーでもあんまり違いがわからないのに、紅茶の味の違いなんて私にわかりますかね……」
「大丈夫、大丈夫。紅茶はコーヒーより味の違いがはっきりしてるし、香りもぜんぜん違うから。
お気に入りの一杯を見つけるつもりで気軽に飲んでよ」
瑞葵がカウンター席に座ると、康が茶葉を手に取り、一つずつ丁寧に紅茶を注いでいく。
いつもはコーヒーの香ばしい香りに包まれている店内も、今は紅茶の華やかな香りに包まれていた。
「はいどうぞ。右からアッサム、ダージリン、ウバ、セイロンだよ」
「……本当だ、味も香りもぜんぜん違う」
「そしてこれがフレーバーティーのアールグレイとアップル」
「え、アールグレイって茶葉の名前じゃないんですか?」
「お。よく気づいたね。アールグレイって実は茶葉にベルガモットっていう柑橘系の香料で香り付けした紅茶なんだよ。アイスティーとかミルクティーによく使われてるね」
「へえ、紅茶も色々あるんですね」
「いつ飲むのか、何かと混ぜるのかで、茶葉を使い分けるんだ。同じように見えても、それぞれに役割があるんだよ」
瑞葵が真剣な表情で紅茶の味比べをしてると、エントリーシートを書いていた結衣が顔を上げた。
「……そういえば。地元にいた頃、一度だけ飲んだミルクティーが忘れられないんです。子どもの頃に家族といった小さなカフェで飲んだんですけど……。
都内のカフェで何軒もミルクティーを頼んでみたけど、どれも『これじゃない』ってなっちゃうんです」
「地元の味、ね。どんな特徴だったの?」
康が興味深そうに身を乗り出す。
「とにかく濃厚で、甘い香りはするのに、飲むと紅茶の風味がしっかりしてて……。普通のミルクティーよりずっとコクがあったんです。名前も分からなくて」
「コクがあって、強い紅茶の風味、か……。ベースはアールグレイじゃなくてアッサムかな……。
もしかして、牛乳じゃなくてコンデンスミルクを使ってなかったかな」
「えっ、コンデンスミルク?」
「マレーシアのスタイルなんだけど、『テータリック』じゃないかな。
……少し待ってて、ちょうどアッサムもコンデンスミルクもあるから作ってみるよ」
康はアッサムティーを煮出し、冷蔵庫からコンデンスミルクを取り出すと、それぞれ別のカップに注ぎ入れた。
「同じカップに注がないんですか?」
康の所作をカウンターから覗き込んでいた瑞葵が、不思議そうに尋ねた。
いつの間にかテーブル席からカウンター席に移動してきた結衣も、興味津々で見つめている。
「テータリックは『引いて注ぐ紅茶』って言われていてね。淹れ方が特徴的なんだ」
そして康は、二つの大きなカップを両手に持った。
「二人とも、少し離れて」
康が腕を高く上げ、片方のカップからもう片方のカップへ、勢いよく紅茶を注ぎ落とした。
琥珀色の液体が美しい曲線を描き、空気をたっぷりと含んでいく。
何度も繰り返されるその動作は、まるで儀式のようだった。
「はい、お待たせ。テータリックだよ」
結衣と瑞葵の前に置かれたのは、きめ細かな泡が表面を覆う、温かな琥珀色のカップだった。
結衣がおずおずと口をつける。その瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。
「これです……! まさか、東京でこれに出会えるなんて……!」
熱い液体が喉を通るたびに、結衣の表情から余計な力が抜けていくのがわかった。
「やりたいことなんて、やってみないとわからないものだよ」
洗い物を終えた康が静かに言った。
「私も昔は、会社を守ることが自分のやりたいことだと思っていた。
でも、会社をやめて、この喫茶店を始めてからようやく気づけたんだ。
自分のやりたかったことは、目の前の誰かに喜んでもらうことだったんだってね」
一番奥の席で静かに話を聞いていた由依も、本を閉じて優しく語りかけた。
「結衣ちゃん。大事なのは、自分の軸を決めることやで。職種とか、人間関係とか、家族との距離とか、何を一番大事にしたいか。それを一度、ゆっくり考えてみたら?」
「自分の軸……」
結衣はテータリックの最後の一口を慈しむように飲み、小さく頷いた。
「ありがとうございました。自分の軸、ちゃんと考えてみようと思います。
……マスター、また今度テータリック淹れてもらえますか?」
「もちろんだよ。いつでもおいで」
外はすっかり日が暮れ、アスファルトの熱もさめていた。
結衣はリュックを背負い直すと、晴れやかな顔で店を後にした。
ーーーーー
「ずっと思ってたんですけど、マスターと由依さんって、考え方似てますよね」
瑞葵がテーブルを拭きながら言った。
康と由依は不思議そうに顔を見合わせた。
「どことなく、雰囲気も似てますし。昔からの知り合い、とかなんですか?」
「昔がどれくらいかわからないけど、私がここに店を開いてからの常連さんだから、由依さんとは5年くらいの付き合いになるのかな……」
「……そやね、それくらいやわ。うちが東京きたのが6年前やし。」
康と由依が古い記憶をたどるように答えた。
「そういえば、由依さん京都で就職したって言ってましたけど、転勤ですか?」
先ほどの結衣との会話を思い出した康が、由依に尋ねる。
「あー、ちゃうよ。京都の会社をやめてから東京にきてん。ちゃんとこっちでお仕事もしとるよ。
……東京来たのは、仕事のためやないんやけどね」
「え、なにしに……いや、踏み込み過ぎですね。すみません」
瑞葵がプライベートに踏み込みすぎたとバツの悪そうな顔をしたが、由依は優しく微笑んだ。
「ええよ別に。隠し事やないし。ただの人探しや」
「人探し?探していた人は見つかったんですか?」
「見つからんね。手がかりも写真しかないし。まあ、ただの興味やから見つからんくてもいいんやけどね。
……そろそろ仕舞いの時間やね。ほな、またね」
そういうと由依はお代を置いて店を出ていった。
開いたドアから季節の移ろいを告げる風が、店内に滑り込んでくる。
康は紅茶を片付けながら、あの写真の少女のことを思い出していた。
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