短編
name chenge
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【愛とわがまま綱引き中】
「沙樹ちゃん、今日も本当にお疲れ様! 気をつけて帰るんだよ」
「はーい! 先輩方もお疲れ様でした!」
夜のレッスン場に、先輩たちの甘やかな声が響く。
レッスンが深夜まで長引きそうということで、学生組は先に帰る事になった。
今日のレッスンで学生なのは、私と先輩の秋元さんだけだ。
14歳で中学3年生の私は、20期生でも、AKBの中でも最年少。
どこに行っても「可愛い」「赤ちゃんみたい」と頭を撫でられる。
みんなが優しくしてくれるのは本当に嬉しい。
だけど、私の視線はとっくに別の背中を追いかけていた。
秋元康さん。18期の先輩で、17歳。高校3年生。
康さんはゆいちさんと同期で同い年だけど、明るくて活発なゆいちさんとは対象的に寡黙で淡々としている。
18期のみなさんは康さんのことを「大人びていて可愛げがない」といじっているけど、私は知っている。
康さんはただ、感情を顔に出すのが苦手なんだと思う。
「こさき、行くよ」
呼びかける声にはっとして顔を上げると、帰り支度を済ませた康さんが、ドアのところで私を待っていた。
急いでカバンを肩にかけ、私は康さんの後ろ姿を追ってレッスン場を出た。
「康さん、お疲れ様です!」
「ん、お疲れ様」
相変わらず無表情だけど、私を突き放すこともしない。
今だって、先に出ていても良いのに、わざわざ私のことを待ってくれていた。
それだけで、私の胸は小さく弾む。
私と康さんは最寄り駅が同じだから、必然的に帰るときも一緒になる。
AKBに加入してすぐは、緊張してあんまり話せなかったけど、18期さんの昇格コンサートのレッスン期間で一緒に帰ることが多くなってからは、だんだん話せるようになっていった。
だから、マネージャーさんにレッスン場から駅まで車で送ってもらって、そこから一緒に電車で帰るこの時間が、私の密かな楽しみになっていた。
車を降りて、駅の改札口に向かう。
康さんが「時間やばいかも」というからスマホを見ると、電車の発車時刻まであと5分も無かった。
私も康さんを追いかけて改札に向かった。
駅の改札口。康さんはスマートにICカードをタッチして、流れるように先へ進んでいく。
私も鞄からICカードを取り出そうとしたけど、いつも入れている場所にカードが無いことに気づいた。
康さんが先に行っちゃう!と思いながら慌ててカードを探す。
鞄の底に潜り込んだカードを見つけ出し、改札を抜けると、康さんが私を待ってくれていた。
「お待たせしました!」
「……ん」
いつも先輩方やスタッフさんは、私が何かにもたついていると、「大丈夫?」「手伝おうか?」って過保護に手を差し伸べてくるけど、康さんは私を子ども扱いしない。
そんな些細なことがどうしようもなく、嬉しかった。
夜の電車内は、帰宅ラッシュでそこそこ混雑していた。
乗り込んだ瞬間、康さんは無言のまま、自分の体で周囲の混雑を遮るようにして、私をドア付近の壁側へと誘導した。
「あ……」
気がつけば、康さんの体に守られるような形になっている。
(近い、かも……)
いつもなら電車の中でも私が一方的に話し続けるのに、あまりの距離の近さに、喉の奥がキュッと詰まった。
なんだか胸の奥が、熱くてくすぐったい。
康さんの顔が見られなくて、私はじっと自分の靴先を見つめることしかできなかった。
電車を降りると、いつものように康さんは私の家の方へと歩き出す。
駅から私の家と康さんの家は逆方向なのに毎回、何も言わずに家まで送り届けてくれるのが、康さんの隠された優しさだ。
夜風が火照った頬を冷ましてくれて、ようやくいつもの調子が戻ってきた。
私はわざと、康さんの服の袖をちょんちょんと引っ張る。
「康さん。手、繋ぎましょうよ」
「……やだ」
即答。でも、声のトーンは優しい。
「えー、いいじゃないですかー。夜道は危ないですし、迷子になっちゃいますよ?」
「中3は迷子にならない」
「なります! 私、子供ですから!」
そう言ってニコニコしながら顔を覗き込むと、康さんは呆れたように小さくため息をついた。
「……しょうがないな」
差し出された手のひらに、自分の手を重ねる。
ぎゅっと握られたその手は、私よりも少し大きくて、とても心地いい温度をしていた。
トクン、と胸の鼓動が一段高くなる。
だけど、それを隠すように、私はさらにわがままを重ねた。
「あ、康さん。コンビニ行きましょう!」
「やだよ」
「いいじゃないですかー、アイス買いましょうよ!
今日暑いし、私たちレッスン頑張ったし!」
「……一個だけね」
「やった! あ、やっぱり、コンビニの後はあの公園でお話ししましょう!」
「……わがまま」
口ではそう言いながらも、康さんは繋いだ手を離さず、私の歩く方向へと付き合ってくれる。
月明かりだけが静かに照らす、夜の公園。
ベンチに並んで座り、買ってもらったアイスを食べながら、私はずっと胸の中で温めていた疑問を口にしてみた。
「ねえ、康さん。何で私のこと、みんなみたいに子供扱いしないんですか?」
康さんはアイスを口に運んだまま、夜空の月を見上げていた。
少しの沈黙の後、当たり前のような声が返ってくる。
「なんでって……別にもう子供じゃないでしょ。沙樹は」
「え?」
不意に名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。
二人きりのときにしか呼ばない、私の名前。
「周りのことをよく見てるし、気遣いもできる。それに……」
千歳さんは少しだけ照れくさそうに視線を泳がせ、ぽつりと言った。
「ステージの上の沙樹はずっと大人びて見える。
正直、私じゃ敵わないなと思うときもあるし……
だから沙樹のことを、子供だとは思わないな。」
頭が真っ白になった。
他の誰に「可愛いね」「頑張ってるね」と言われるよりも、康さんにそう言ってもらえることが、体の芯が痺れるくらいに嬉しかった。
私の努力を、私の内面を、一人のアイドルとして、一人の人間として、ちゃんと見ていてくれたんだ。
嬉しさと、それから、さっきからずっと胸の奥で燻っている「くすぐったい何か」が爆発しそうになって、私は顔が赤くなるのを隠すために、慌てて残りのアイスを口に放り込んだ。
「……ほら、家の人も心配するからもう帰るよ」
立ち上がった康さんが、私を見下ろして、すっと右手を差し出してきた。
今度は、私からのおねだりじゃない。康さんから、差し出してくれた手。
その手のひらが、さっきよりもずっと、眩しくて、愛おしくて、胸の奥をくすぐってくる。
これが何という気持ちなのか、今の私にはまだ分からないけれど。
「はい!」
私は一番の笑顔で、その手を強く握り返した。
明日も、明後日も、もっとたくさんわがままを言って、この手を離さないでいてもらおう。
そう心に誓いながら。
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