短編
name chenge
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【恋の正面】
テスト期間の教室はいつもより賑やかだ。
周りの席からは解放感に満ちた溜息や、お互いの答え合わせで一喜一憂する声が聞こえてくる。
試験期間中は部活動もすべて停止だ。
いつもなら放課後もそれぞれの活動場所へ散っていく生徒たちが、今日は一斉に帰路につく。
「かわゆいー! 一緒に帰ろ!」
教室の入り口からひょっこりと顔を出したのは、隣のクラスの花田藍衣――めいめいだった。
「あ、めいめい。うん、帰ろ」
「もう脳みそが限界だよー。日本史全然わかんなかったー」
カバンを肩にかけ、めいめいと並んで教室の賑わいが滲む廊下を歩き出す。
何気ないお喋りをしながら、ふと視線を廊下の窓の外へと向けた、その時だった。
校舎の陰から、ジャージ姿のひとつの影が飛び出していくのが見えた。
すっきりと引き締まったシルエット、風を切るような軽快な足取り。
同じクラスの秋元康。私が片想いしてる人。
部活は休みのはずなのに、康はもう着替えを終えて、自主練のために校門を目指して走っていた。
遠目からでもわかる、あの真っ直ぐで綺麗なフォーム。
私は思わず足を止め、窓ガラス越しにその背中をじっと見つめてしまった。
私と康の間には、埋めようのない距離がある。
運動部でもクラスでも中心にいる康の周りにはいつも人がいる。
人見知りの私は、とてもその輪には入れなくて、遠巻きに康の届かない背中を見つめて、振り返るのを待つだけだ。
「……かわゆい? どうしたの?」
私の足が止まったことに気づき、歩調を合わせてくれためいめいが不思議そうに顔を覗き込んできた。
めいめいの位置からは、ちょうど死角になっていて外の様子が見えていない。
「あ……ううん、なんでもない!」
慌てて視線を外の景色から引き剥がし、何気なさを装って歩き出そうとする。
だけど、めいめいは鋭かった。
私の視線を追うように窓の外へ目を向け、校門をくぐり抜けていくジャージの背中を捉えると、すべてを察したようにニヤリと笑った。
「なーんだ、そういうことね」
「……もう、めいめいのいじわる」
私は耳の裏が熱くなるのを感じながら、ぷいっと顔を背けて拗ねてみせる。
「ごめんごめん! 怒らないでよ。ほら、一緒に帰ろ?」
めいめいは楽しそうに私の腕に自分の腕を絡め、歩き出した。
校門を出て、駅へと続く緩やかな坂道を下る。
でも私の頭の中には、さっき見た康の背中が焼き付いていた。
「ねえ、知ってる? この先の踏切のジンクス」
歩きながら、めいめいが悪戯っぽく切り出してきた。
「……またその話?」
「えー、大事だよ! 遮断機が降りたとき、パッと後ろを振り返って最初に目が合った人に、後で告白されるんだって!」
「迷信だよ」
私は俯いて、自分の靴先を見つめた。
康のような輝いている人が、私みたいな教室の隅で息を潜めているような人間を視界に入れるはずがない。
正面には立てないから、少し離れた場所からその背中を独占したい。
笑顔で話せるのは、心の中だけだった。
「あ、康!」
めいめいの声に顔を上げると、向こう側からランニング中の康が折り返して走ってくるのが見えた。
額に浮かぶ汗、風に揺れる髪。
そのどれもが眩しくて、私はまた、逃げるように視線を逸らした。
康は私たちの横を、熱を帯びた風を残して通り過ぎていく。
――行っちゃった。
やっぱり、私なんて、ただの風景の一部なんだ。
踏切の警報音が、心臓を直接叩くようなリズムで鳴り始めた。
カン、カン、カン、カン……。
重い遮断機がゆっくりと降り、世界が二つに分断される。
「すごいタイミング!かわゆい、 振り返って!」
めいめいが私の背中を強く押す。
「無駄だよ……康はもう、ずっと先を走ってる。私のことなんて、見てるわけない……」
視界が滲みそうになる。
どうせ振り返っても、そこにあるのは無機質なアスファルトと、遠ざかっていく背中だけ。
期待して、傷つくのが怖い。でも――。
「……っ」
震える足で、ゆっくりと後ろを振り返った。
学校へ向かう緩やかな坂道の上。
康は、そこにいた。
走るのを止め、肩を上下に揺らしながら、真っ直ぐに、射抜くような視線を私に向けて。
「あ……」
思わず声が漏れた。
康は、私の目を見たまま、少しだけ照れたように微笑んだ。
その笑顔は、今まで遠くから見ていたどんな笑顔よりも鮮明で、私一人に向けられたものだと、確信させてくれるものだった。
康はまたすぐに前を向いて走り出した。
でも、その背中はもう、届かないほど遠くはなかった。
康は知っていたんだ。この踏切のジンクスを。
そして、私が振り返るのを、あそこで待っていてくれたんだ。
「えっ、ええ!? なに今の、両想いじゃん!」
遮断機が上がり、はしゃぐめいめいに腕を引かれて歩き出す。
ジンクスが本物なら、次に康と目が合うときは――。
胸の鼓動が、夕暮れの街に優しく溶けていく。
恋の正面に立つ日が、きっともうすぐそこまで来ていた。